- 2025/5/13
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00:01:29Eテレ
00:01:37兄は事件のおよそ5ヶ月後、重殺刑となりました
00:01:42はい
00:01:43お参りの時は心の中で書ける言葉って終わりになるのですか
00:01:48ただ黙ってお祈りするわけです
00:01:5286年のお日元に高橋松陽弟さんと一緒に参りましてね
00:02:08安田さんが墓参りを始めたのは
00:02:16死刑となった兄たちの50年の法要の時のこと
00:02:21殺された渡辺城太郎さんの娘、和子さんが
00:02:27兄たちの墓に手を合わせる姿を見たことがきっかけでした
00:02:32やっぱり事件のことを兄と忘れる日っていうのはないですね
00:02:40本当に過ごした兄と一緒に過ごした時間は短いんですけど
00:02:5080年前のことをね
00:02:58今までこの年になるまで引きずって歩くというのも
00:03:04見方によっては
00:03:08おかしいんじゃないかという人もいるかもしれませんけど
00:03:13やっぱり引きずらないで歩くことは私はできないんですね
00:03:19ただ私は渡辺先生が
00:03:27事件後の50年に
00:03:32法要にお参りくださったことによって
00:03:37大きく救われたんじゃないか
00:03:42渡辺先生によって救っていただいたんじゃないか
00:03:49こういう気持ちは今も常に持ち続けております
00:03:5550年の法要に参列した渡辺和子さんは
00:04:04今、岡山市にあるノートルダム精神学園の理事長を務めています
00:04:1129歳の時に修道者となり
00:04:18一貫して教育の仕事に携わってきました
00:04:22父を失ったのは9歳の時でした
00:04:27多分このチャペルができた頃からあるのだと思います
00:04:35マリア様とヨゼフ様
00:04:38普通マリア様が抱いていらっしゃることが多いんですけど
00:04:45ここは不思議なことに
00:04:47ヨゼフ様がいっそく抱いていらっしゃる
00:04:51事件から50年の法要には
00:04:57渡辺さんの父も一緒に弔うので
00:05:00是非にと将校の遺族から壊れて参列しました
00:05:05法要後将校たちの墓へと促されたのは
00:05:11渡辺さんにとって思いがけないことでした
00:05:15私は一瞬やっぱりえっと思いました
00:05:22父のお墓参りならば私も
00:05:28その相手の方のお墓参り
00:05:32お線香渡してくだすって入れて
00:05:38お花渡してくだすって挿して
00:05:42こうやって手を合わせて
00:05:45安らかにお休みください
00:05:49それ心の中でつぶやいて
00:05:53立って
00:05:55こんなところ長くいる必要もないと思って
00:05:59立って
00:06:00でこうトントンと2段降りて
00:06:03来たらそこで
00:06:052人の男の方が涙流して
00:06:09待ってらして
00:06:11でどなたか全然知らない
00:06:13待ってらして
00:06:14そしたら2人の方が
00:06:17これでようやく僕たちの226が終わりました
00:06:21僕は高橋松尉の弟です
00:06:29僕は安田松尉の弟です
00:06:32そのお名前を聞いて
00:06:34初めてちょっとちらっと思ったんですね
00:06:38あの時に父を
00:06:41たどめを差しに来た2人の
00:06:45あの松尉さん2人しかいませんでしたから
00:06:48これで僕たちの226がようやく終わりました
00:06:53もう一度おっしゃって
00:06:55安田さんが多分主になっておっしゃったと思います
00:07:00本当は僕たちが先に
00:07:04閣下のお墓をお参りするはずなのに
00:07:07今日かすこさんがこうやって
00:07:10先に兄たちの墓に参ってくださった
00:07:16本当に申し訳ございません
00:07:18ところで
00:07:20閣下はどこに
00:07:22お墓をお持ちですか
00:07:24おっしゃったんです
00:07:262人で
00:07:26私も忘れもしない
00:07:29玉ぼっちの12区10がは15番地ですと
00:07:34スラスラスラって
00:07:35そしてそれを書き留めてらして
00:07:37ありがとうございました
00:07:39渡辺さんの父
00:07:44上太郎さんは
00:07:45小学校も満足に出られなかった境遇から
00:07:49陸軍教育総監にまで
00:07:51上り詰めた人でした
00:07:5352歳の時に生まれた
00:07:57末娘の和子さんを
00:07:59ことのほか
00:08:00可愛がっていたといいます
00:08:02父様に可愛がられた
00:08:07はい
00:08:08お嬢様でらっしゃいます
00:08:09はい
00:08:09これだけは自信を持って
00:08:13申し上げられると思います
00:08:15毎月の月給の半分が
00:08:24丸善に行ったとか
00:08:26母が後で話してくれまして
00:08:29だから
00:08:30本をよく読んだ人
00:08:34それも
00:08:35いわゆる戦略とか戦術とか
00:08:39そういう本だけでなくて
00:08:42結構広く読んでた人らしくて
00:08:46ちょうど私どもの
00:08:49家の2階に
00:08:51自分の書斎を持っておりまして
00:08:53ガラス戸の戸棚は
00:08:56もう本でいっぱいでございましたし
00:08:59私だけはやっぱり特別だったんですね
00:09:02父が何をしてようが
00:09:05抜き足させ足上まで
00:09:07あの階段を上っていって
00:09:09わっとこう言いますと
00:09:11もう分かってたと思うんですよ
00:09:13足音が聞こえて
00:09:14それなのにわっていって
00:09:16驚いてくれまして
00:09:17その戸棚の隅に置いてある
00:09:22今ですと
00:09:24鳩サブレーでしょうか
00:09:26鎌倉の
00:09:28あそこのお菓子
00:09:29小さな
00:09:30落眼みたいなのや
00:09:33ちょっとした
00:09:34クッキーのようなのを
00:09:36私にくれて
00:09:37とてもうれしそうにしておりました
00:09:40私も
00:09:42私だけに許された
00:09:46特権でございましたので
00:09:48その父が本当にびっくりしたんだと
00:09:51思い込んで
00:09:53幸せだったんですね
00:09:54幸せだった父との日々が一転したのは
00:10:031936年
00:10:052月26日未明のことでした
00:10:09天皇が自ら政治を行う
00:10:12天皇申請を求めて
00:10:14決起した青年将校たちが
00:10:16およそ1500名の兵を率いて
00:10:19軍や政府の要人の屋敷を襲撃したのです
00:10:23当時
00:10:25陸軍トップの要職の一つ
00:10:28教育総監だった父上太郎さんも
00:10:31兵士たちの標的となりました
00:10:33東京小木窪の渡辺邸には
00:10:37安田豊
00:10:38高橋太郎将尉率いる兵士たちが
00:10:41乱入しました
00:10:43その寝間に
00:10:46母と私と父と
00:10:50川のうちになって
00:10:51寝ておりまして
00:10:53母も5時過ぎ
00:10:56多分5時ごろには起きて
00:10:59台所の方に立って
00:11:02兄も2人おりましたし
00:11:04私も食事の準備を
00:11:06多分してたんだろうと思います
00:11:08本当に寝てたと思います
00:11:11そして私を揺り起こして
00:11:16家族は
00:11:17お母様のとこに行っておいて
00:11:18その頃はどんどんパチパチやっておりましたから
00:11:23私はそのまま
00:11:25寝巻きのまま起きて
00:11:27隣の部屋を通って
00:11:30母のとこに行ったら
00:11:31もう母は
00:11:32こちらを向いてもくれませんで
00:11:36とにかく相手を入れない
00:11:38ガラス塔を散々に
00:11:41壊していきましたけれども
00:11:42それでしょうがなくて
00:11:45また父が好きだったもんですから
00:11:47またこう戻ってきて
00:11:49父のところへ戻ってきたときに
00:11:53ちょうどその母のところへ行っている間に
00:11:56父はもう拳銃を
00:11:59すぐそばの
00:12:02あれから
00:12:07戸棚
00:12:08戸棚のような
00:12:11そこから取り出して
00:12:13体には貝巻きという
00:12:16回った
00:12:18出てきている
00:12:19あったかいものだったと
00:12:20それをもう体に巻いて
00:12:23ここに寝ておりまして
00:12:25私がこっちから
00:12:27戻ってきてきたのを見て
00:12:29とっても困った顔をして
00:12:31もう一言も言わないで
00:12:34目顔で
00:12:35その影に入る
00:12:36それで私も
00:12:38どういうわけか
00:12:40終わりに落ち着いていたんですね
00:12:41そのまま
00:12:43そこに入った途端に
00:12:45ダダダダという
00:12:47軽機関銃の音が聞こえて
00:12:493、4人だったと思います
00:12:52土足で上がってきて
00:12:56もうすでに死んでたと思うんですよ
00:12:59軽機関銃で
00:13:00ずっと撃たれておりましたから
00:13:02でもそのとどめを刺して
00:13:05行くのは見ました
00:13:07そして
00:13:08多分私は間違ってなければ
00:13:12ちょっと礼をして
00:13:13父の死骸ですよね
00:13:15もう死んでおります
00:13:17空いている廊下から
00:13:19帰っていって
00:13:22それで私は
00:13:23お父様って言っても
00:13:24もう何にも言いませんし
00:13:26私が見た父っていうのは
00:13:28足がほとんどもうなくなってた
00:13:32骨ばっかりの
00:13:34その2本の足と
00:13:36それからもう天井
00:13:37いたるところに
00:13:39飛び散っていた肉片でございますね
00:13:42家族は
00:13:45ここを出なさい
00:13:47母が行ったもんですから
00:13:49出て行った時に
00:13:51赤い
00:13:52血の跡が
00:13:56真っ白の雪に
00:13:58あれでも
00:13:584つか5つ付いておりましたかね
00:14:01そして
00:14:03そして午後の
00:14:042時以下3時頃
00:14:05だったと思いますけども
00:14:07その
00:14:08お父様お帰りよっていうことで
00:14:10こう
00:14:11見た時に
00:14:13もうほとんど
00:14:14全部
00:14:15ぐるぐるに
00:14:16巻かれていって
00:14:17で
00:14:18その時に
00:14:19空いてるところって言ったら
00:14:21もう
00:14:21額しかなかったんですね
00:14:22で
00:14:23そこにこうやって
00:14:24ちょっと手を当てて
00:14:25お父様って言ったんですけど
00:14:27もう冷たかったです
00:14:29私は
00:14:31あの
00:14:32年取っての子供でございますから
00:14:34もう
00:14:34いわゆる
00:14:35おじいちゃんもおばあちゃんも
00:14:36みんな
00:14:37亡くなってたんですね
00:14:38ですので
00:14:39私にとっては
00:14:41生まれて初めて
00:14:42見た
00:14:43死でございました
00:14:44こう
00:14:47額に手を当てて
00:14:48冷たいな
00:14:49でももう
00:14:50母が
00:14:50あの
00:14:51すんだら
00:14:52さっさと
00:14:52出て行きなさい
00:14:53っていう
00:14:54厳しい母でございましたから
00:14:56そんなとこで
00:14:57あの
00:14:58涙なんか流されちゃ困るっていうような
00:15:00感じで
00:15:01あの
00:15:02すぐに出てきなさい
00:15:03本当に私不思議だと思うんですけどね
00:15:07父の
00:15:08その最後の姿を
00:15:10ずっと見た
00:15:11唯一の
00:15:12その
00:15:13娘だった
00:15:14と
00:15:14兄たち二人も見てない
00:15:17姉も
00:15:18見てない
00:15:19母も
00:15:20兵士たちを
00:15:23こう
00:15:23入れまいとして
00:15:25見てない
00:15:25私しか
00:15:29父の隣住を
00:15:32見とってない
00:15:33ということが
00:15:34一つは
00:15:35私の心の支えになったわけですね
00:15:37それで
00:15:39しかも
00:15:40最後の最後まで
00:15:42私を
00:15:43安じてくれた
00:15:44と
00:15:44それが
00:15:46やはり
00:15:46いつもの
00:15:47お父様だな
00:15:48っていう
00:15:48気持ちがあって
00:15:50それで
00:15:52ああ
00:15:52こういう形で
00:15:54死んでいらした
00:15:55という気持ちは
00:15:57あっても
00:15:58だから悲しい
00:15:59ということは
00:16:00なかったです
00:16:01あの時に
00:16:03体は
00:16:04ズタズタに
00:16:05弾を撃たれたけれども
00:16:08ありがたいことに
00:16:10父は
00:16:11一人も
00:16:12殺さなかったんです
00:16:13それは
00:16:17自分の兵を
00:16:19殺さなかった
00:16:20という意味では
00:16:22父は
00:16:24喜んでいるんじゃないんでしょうか
00:16:27分かります
00:16:32渡辺邸を襲撃した
00:16:38安田豊将尉の弟
00:16:41善三郎さんは
00:16:42今
00:16:43神奈川県
00:16:45葉山町で
00:16:46暮らしています
00:16:46現在
00:16:4990歳
00:16:50事件が起こったのは
00:16:5210歳の時でした
00:16:54これまでに集めた
00:16:59226事件に関する本は
00:17:01200冊近く
00:17:03決起した兄たちは
00:17:05反乱軍として
00:17:06鎮圧され
00:17:07死刑となりました
00:17:09226の記録として
00:17:14取っておこうかな
00:17:16ということと
00:17:18人を殺し
00:17:34罪人として
00:17:3524歳で死刑となった
00:17:37兄
00:17:38安田さんは
00:17:41兄への複雑な感情を
00:17:43整理できないまま
00:17:44長い時間を
00:17:46過ごしてきました
00:17:48兄
00:17:53豊さんは
00:17:54善三郎さんとは
00:17:5613歳年の離れた
00:17:582番目の兄でした
00:18:00休暇に帰ってきておりますとね
00:18:05もう可愛がってくれたんですよね
00:18:08一緒に川に
00:18:09うなぎ取りに
00:18:10連れて行ってくれたり
00:18:11親戚が馬を持ってましたから
00:18:14その馬を借りて
00:18:16馬に乗って
00:18:17私を前に乗せたり
00:18:19私はその馬の後ろに
00:18:20ついて行ったり
00:18:22して可愛がってくれてたんですよ
00:18:25で最後に会ったのが
00:18:28昭和8年になりますかね
00:18:36夏休みに帰ってきましたね
00:18:40私は隣村の船付き場で
00:18:43送って行くつもりで
00:18:46ずっと
00:18:47刀を担いで
00:18:49歩いてたんですよ
00:18:51で
00:18:53ある程度歩いてたら
00:18:55もう遅くなるか
00:18:56お前へ帰れって
00:18:57帰ってきたんですけども
00:18:59まあそれほど私は
00:19:00兄弟みんなそうですけどもね
00:19:02可愛がっていましたけど
00:19:04可愛がってくれてたんです
00:19:05それと
00:19:07あの村で
00:19:10師範学校に入ったのは
00:19:11兄が最初なんですね
00:19:14安田さん兄弟が生まれたのは
00:19:19熊本県天草です
00:19:21貧しい農家の住人兄弟
00:19:26両親は子供たちに
00:19:29高等教育を受けさせようと
00:19:31わずかな田畑を耕し
00:19:33米の仲買いをしながら
00:19:36懸命に働いていました
00:19:38長男は
00:19:41京都帝国大学へ
00:19:43次男の豊さんは
00:19:46師官学校へと進み
00:19:48貧しい中でも
00:19:49家族力を合わせて
00:19:51生きる日々でした
00:19:52しかし
00:19:57兄が起こした事件は
00:20:00一家の運命を
00:20:02一変させました
00:20:08実は私の村
00:20:11生まれた村
00:20:12人口3000人ぐらいの村でしたけれども
00:20:15だいたい
00:20:17旧生中学とか
00:20:18あるいは旧生の女学校に行くのは
00:20:22年に2人か3人いるかいないかなんですね
00:20:26その中で長女は女学校まで行ったと
00:20:30長男は管理中の大学まで行った
00:20:33次男は師官学校に行ったと
00:20:37こういう事で
00:20:38村の人からは
00:20:40一方では
00:20:41千歩のマナコで見られ
00:20:44一方では
00:20:45嫉妬のマナコで見られたわけですね
00:20:492年の校が起きた時
00:20:51村の人たちは
00:20:55安田は
00:20:57教育を教育を言っているけれども
00:21:00教育したって何にもならないかと
00:21:03長男はその頃京都大学
00:21:07昭和5年の京大事件で
00:21:10京都の御城所に捕まって
00:21:141年落台しているんですね
00:21:18左翼運動
00:21:19そうです左翼運動です
00:21:21そういう話が父の耳に直接入ってきてたわけです
00:21:29私たち子供としては何だか父に申し訳ないような
00:21:36特に母にも
00:21:40母はもっともっと
00:21:43ボロを着て働いてましたのでね
00:21:46母にも申し訳ないような
00:21:49気持ちがしてまして
00:21:50私はその頃
00:21:53親には絶対迷惑かけるようなことを
00:21:57そういうことを子供の頃にも
00:22:02自分に言い聞かせておりました
00:22:07事件が起こった当時のことっていうのは覚えてらっしゃるんですか?
00:22:11もう鮮明に覚えてますね
00:22:1526日の朝
00:22:17学校に行きましたら
00:22:19あの田舎ですから
00:22:21ラジオを持っている家庭でほとんどないんですね
00:22:25一人の
00:22:30その女の子が
00:22:31いや東京で大変なことがあったらしいと
00:22:34こう言ってたんです
00:22:36でその時は何だろうぐらいに思ってたんですね
00:22:40というところに29日の朝
00:22:45朝朝朝朝監が
00:22:49夕方入八草ですから
00:22:51それにさらに
00:22:555人の証拠面観という記事が出てたわけ
00:23:00その中に私の兄の名前が出て
00:23:03でそれを見て
00:23:06見てもう母は本当にもう半狂乱でしたね
00:23:11今でも覚えてますけども父はさすがに涙を見せなかった
00:23:17それからが我が家の何て言いますか
00:23:23本当に言いようのない状況が続きましたね
00:23:36教育教育行ったって何になるかと
00:23:41兄は最悪で弟は殺人じゃないかと
00:23:47そういう日なんです
00:23:50事件から半年弱で死刑になるということでしたけれども
00:24:00父は5月頃だったと思うんですけどね
00:24:07すぐずっと東京におりましてね
00:24:10東京に出てきて裁判が終わるまでいたんですけども
00:24:187月の5日に面会差し許すという電報が来たんです
00:24:23これははっきり動いておりますけど
00:24:25永住刑務所長塚本常吉ですかね
00:24:33今度すぐそれを東京にいる父に返電しなきゃいけないですね
00:24:41ところが私の村には郵便局はあったんですけども
00:24:46電報を取り扱えないんです
00:24:48隣村まで峠を越えて行かなきゃいけないんですね
00:24:52兄が面会差し許す伝来たと電文書きましてね
00:24:59電報口に行った
00:25:00雨の日に山越えしてスゲ傘みたいなのをかぶりましてね
00:25:06一見隣の男の子がいましたが
00:25:08その子に頼んで一緒に行ってもらったんです
00:25:10その電報で父に知らせて
00:25:13父たちは面会に行ったんです
00:25:1612日に今度は豊か商用として支出を行って
00:25:25電報が今度は天草に来たんです
00:25:28ちょうどその時母は田植えに行ってたんです
00:25:32近所の方と共同作業をやってましたからね
00:25:37電報が来たのは夜夕方でしたからね
00:25:42そしたら母も
00:25:44まあ覚悟はもちろんしていたんですけど
00:25:49やっぱり死刑になったということを聞きますと
00:25:55もう嘆き悲しんでおりましたよ
00:25:58で母がその時言いました
00:26:01たまたま雷が鳴って目の前の田んぼが
00:26:06もうピカピカとしてきたって言うんですよね
00:26:10それがちょうど8時ごろだった
00:26:13それが知らせだったかなって後で言ってましたけどもね
00:26:18その頃はお兄様の御葬儀とか大平にはできない状況の時ですか
00:26:26確か遺骨が帰ってきたのが13日
00:26:317月の12日に処刑なって
00:26:34処刑されて13日かあるいは14日だと思うんですね
00:26:37それから遺骨はずっと3ヶ月間
00:26:427、8、9、10、3ヶ月間うちにあったんです
00:26:46で葬儀ができたのが10月の多分中旬
00:26:51月曜の番だと記憶しております
00:26:56夜ですか
00:26:56夜です
00:26:57でその時もちゃんと特効が来ておりましてね
00:27:04そうそう豊のすぐ下の弟が僧侶でしたから
00:27:13で遺骨が帰ってきた時の夏休みに来まして
00:27:19私に禅宗のお経を教えてくれましてね
00:27:23お前はもう朝晩この遺骨の前でこのお経を唱えろと
00:27:28でそれからずっと私はもう朝も晩も
00:27:34訳もわからないお経を唱えてたんです
00:27:38でたまには遺骨って人間の遺骨ってどうなってんだろうと思って
00:27:47あの骨粒の蓋を開きましてね
00:27:50で見たことも数回あるんです
00:27:55と昔は今みたいにもう粉々になるまで焼いてなかったんですね
00:28:02で一番上にあの頭蓋骨があるんです
00:28:05その頭蓋骨がこの辺地で赤くなってるんですね
00:28:12そうそれを見ましてね
00:28:16これを眉間を打たれたからその血が
00:28:19脳の脳に回ったんだなと思ったりしていました
00:28:27これはもう私の心のありようがそういうふうな思いにさせたんじゃないかと思うんですが
00:28:37あのちょうど秋でしたけれどもね
00:28:43授業が終わってから子どもたち私たちみんな
00:28:4750人の子どもが校庭を走らせられたんです先生に
00:28:52で先生から声をかけられて
00:28:56よしと言われたものはみんな
00:29:00走るのをやめてよかったんです
00:29:03ところが私はもう走っても走ってもよしと言われないんですね
00:29:08で最後まで私が残ってしまったんです
00:29:13でその時私はひょっとしたら兄の弟だからそうされてるんじゃないかと
00:29:22まあ多分これは私の悲願だと思うんですけれども
00:29:26そう思いました
00:29:28ただ中学に行ってから
00:29:35まあそろそろ生意気盛りになりますから
00:29:40まあ喧嘩もしますよね
00:29:42そうすると最後に口喧嘩して
00:29:46お前の兄貴は死刑じゃないかと
00:29:49言われるともうこれで終わりなんですよね
00:29:52返すことがない
00:29:54そういう記憶は何度か経験したことがありますね
00:30:04渡辺さんが理事長を務めるノートルダム精神学園
00:30:19大学の正面玄関にはここを育っていく学生たちに向けた
00:30:25渡辺さんが学長になったばかりの頃
00:30:32困難の中で一人の牧師から送られた言葉です
00:30:37これはねこうの進むとおっしゃる
00:30:43多分これもあのお菓子箱の裏の木だと思います
00:30:51そういう点でも非常にこう派手なことなさらない
00:30:56そこにあるものを使って
00:30:58天の父様どんな不幸を吸っても
00:31:03吐く息は感謝でありますように
00:31:08すべては恵みの呼吸ですから
00:31:13こうの進むと
00:31:16そこには大きないろんな不幸があるのよ
00:31:31お言葉だけどあなた方がこの正面玄関を出て
00:31:36外へ働きに外をして出て行くとき
00:31:42そこには大きないろんな不幸があるのよ
00:31:46そのときにねそれをくっと吸いなさい
00:31:50でも吐くときは感謝にして吐き出す
00:31:57それまでには時間もかかるかもしれない
00:32:01神様はあなた方に
00:32:05負わせることのできない主には
00:32:08決して負わせにならないから
00:32:12もう必ず苦しいことつらいことが
00:32:16あなた方に降りかかったときには
00:32:19そこを抜け出すことができる
00:32:23そしてそれは神様のお恵みだったということが分かる
00:32:28そういうことを書いた詩なんですよって
00:32:36渡辺さんは大学で50年以上
00:32:40人格論という講義を続けてきました
00:32:44自分の体を通して実感した生きる道を
00:32:56若い世代に伝えたいと願ってきました
00:33:00そうですか
00:33:01ここにも勉強
00:33:04ここはねわりに勉強家がね集まるラウンジなの
00:33:09ねそうよね
00:33:11父が亡くなったとき
00:33:15渡辺さん9歳
00:33:17母すずさんは2人の兄と和子さん
00:33:233人の子どもを女で1つで育てることになりました
00:33:28涙一つ見せることがなかった母は子どもたちに
00:33:34これからはお父様の分まで厳しくしつけます
00:33:39そう話したといいます
00:33:42渡辺さんはカトリックの学校
00:33:48双葉高等女学校に進学
00:33:51厳しい母の教えを守り成績はいつもトップクラスでした
00:33:56そんなある日
00:33:58給油から思いがけない言葉をかけられます
00:34:03お友達が困っているときに助けてあげなかったんです
00:34:08あの勉強
00:34:10私はちゃんと自分の分だけ勉強して100点取って
00:34:19そして和子さん10丸100点
00:34:23そしてうちに堂々と帰っていった
00:34:26そのときに何か口争いをしていたらしくて
00:34:30和子さんは鬼みたいとおっしゃったんです
00:34:332人がそろって
00:34:36それは私に響きました
00:34:40私の自分側の意地が悪いこと
00:34:44いつも一番を取らないと母に叱られること
00:34:49私本当にうちの前を行ったり来たりして
00:34:53今日は100点取れなかったから入れてもらえない
00:34:57そういうときが本当にあったんです
00:35:00それがお父様の名をけがすな
00:35:05お父様は陸軍大学校も一番だった
00:35:10恩師の軍党もいただきになった
00:35:12これくらいこういう君子をもいただきになった
00:35:16そういう頭がもう染み付いていたんですね
00:35:20頭に
00:35:21だからあなたは何をしても100点取って帰りません
00:35:25取って帰ってこなかったらうちにはいれません
00:35:28それほど厳しかったんです
00:35:31それで私ももっと思ったんですけど
00:35:34一番になることは必ずしも嫌でなくて
00:35:37その代わりに意地が悪かったと思います
00:35:40双葉を主席で卒業した渡辺さんは
00:35:45精神女子学院専門学校に進みます
00:35:49戦争が激化する中
00:35:52このままの自分で死ぬわけにはいかないと悩んだ渡辺さんは
00:35:57双葉の恩師だったシスターの勧めでカトリックの洗礼を受けます
00:36:031945年4月敗戦間際のことでした
00:36:09私たち小木窪におりましたから
00:36:15それこそ焼夷爆弾がいっぱい落ちて
00:36:19たくさんの方が死んだわけです
00:36:24うちの近くでも
00:36:26それから隅田川に飛び込んでね
00:36:29そのままお亡くなりになった方がたくさんおいでになって
00:36:33絶えず防空後に入ったり
00:36:37警戒警報が鳴れば防空後に入る
00:36:41空襲警報が鳴れば防空後に入る
00:36:44夜も防弾チョキを着て寝る
00:36:50そういう私がそのころになって
00:36:53やっぱり父の死にざまっていうものが戻ってきたんでしょうね
00:36:59不思議なもんですね
00:37:01父のあの時の包帯でくるくる巻きになった
00:37:07そういう姿が街角で死にかけてらっしゃる方の姿に重なったんでしょうね
00:37:17特に父のことを思い出したっていうのではないんですけれども
00:37:23やはりまともな死に方はしたいと思いました
00:37:27それまでほとんど先例の背の字も考えてなかった人間なんですけれども
00:37:35私が死ぬ時にはやっぱり防空好きをかぶったままで
00:37:40あの防空壕うちの庭に掘ってございました
00:37:43割に大きな防空壕をあの中で死ぬんだろうか
00:37:49兄も2人とも徴兵で捉えておりました
00:37:53だとすればうちを守るの私しかいない
00:37:57その私が防空壕をかぶって
00:38:01あの防空壕をかぶって
00:38:05はい、というような
00:38:07その普段のプライドの高い私にしてみたら耐えられなかったんでしょうね
00:38:15だからせめて先例を受けておけば天国へ行けるんじゃないかと
00:38:21そんなその虫のいいことを考えてたんだと思う
00:38:27うちの母がそれは怒りましてね
00:38:31うちは浄土真宗だからって言って大反対
00:38:36その母がことあるごとに
00:38:39それでもあなたはクリスチャンって言って
00:38:42なじってくれたんです、私は
00:38:44敗戦後渡辺さんは軍人恩急が途絶えた一家の家計を支えるため学業の傍ら上智大学にできた国際部の事務局で働き始めます
00:39:02当時の上司で大学経営に手腕を発揮したアロイシャス・ミラー神父は
00:39:09教務や財務の仕事を教えるだけでなく
00:39:12生涯にわたりクリスチャンとしての生き方を示してくれる恩人となりました
00:39:1829歳の時
00:39:24一家の働き手の役割を得た渡辺さんは
00:39:28かねてから志していた修道者となる道を踏み出します
00:39:33母は結婚だけが幸せとは限らないからと送り出してくれました
00:39:40ナミュール・ノートルダム修道所会の修道院に入った渡辺さんは
00:39:49まもなくアメリカ・ボストン郊外の修練院に送られることになります
00:39:55予期しなかった慣れない外国での修道生活
00:40:02さらにボストンの大学でそれまで学んだことのなかった
00:40:09教育学の博士号を取ることを命じられました
00:40:14がむしゃらに学んだ3年間を過ごして無事博士号を取得
00:40:21帰国したのは1962年のことでした
00:40:25待っていたのは岡山にあるノートルダム精神女子大学での仕事
00:40:33救世した2代目の学長に代わって36歳で学長を命じられます
00:40:40創立以来ずっとアメリカ人シスターたちが率いてきた大学に
00:40:46初めて誕生した年若い日本人の学長
00:40:52学生たちは歓迎してくれました
00:41:02かつての教育相関の末娘が学長になったということでも
00:41:07世間からの注目を集めました
00:41:12しかしその一方で学園で働く年長の修道者たちとの関係は
00:41:18想像以上に厳しいものでした
00:41:22孤立の中、修道会をやめようとまで思い詰めた渡辺さんは
00:41:27東京のミラー神父を訪ねます
00:41:35大学の玄関に掲げた言葉を贈られたのも
00:41:39そうした困難の中でのことでした
00:41:45私はどっちにも慣れていない学校にも
00:41:48ここの大学には行っていない
00:41:52そして今までもここの中学高校と学校にも行っていない
00:41:57だから本当によそ者でつらい
00:42:01そしたら神父様ずっと聴いてくださって
00:42:05そして慰めてくださるかと思ったら
00:42:09あなたが変わらなければ
00:42:16何にも変わらないよと
00:42:20その時にやっぱりお恵みなんでしょうね
00:42:24目から鱗が落ちるってよく言いますけど
00:42:27自分ではっと気がついたんです
00:42:30学生たちには愛されるより愛することを
00:42:34慰められるより慰めることを
00:42:37お前言ったじゃないかと
00:42:40学長になった時に
00:42:42そういう女の人になりましょうね
00:42:45そういう人をここは育てるのよって
00:42:48言っておきながら何のざま
00:42:50ちょっとのことであの人がいなければとか
00:42:54あの人が変わってくれればとか
00:42:57それをその神父様ご自分もつらい目に
00:43:01きっとお会いになったと思うんです
00:43:03もうズバッとして
00:43:04そして私二の子が告げませんでした
00:43:12私は結構意地が悪いですから
00:43:15言い返そうと思えば結構言い返せるんです
00:43:18でもあのうちの母が
00:43:21あなたの大きさは
00:43:23あなたが言い返そうとすることの大きさだと
00:43:27そんな小さなことでくよくよしてたら
00:43:34あなたの大きさはこれだけよ
00:43:37そんなことを忘れてしまいなさい
00:43:40というようなことをずいぶんつらいな
00:43:45広いなと思いながら
00:43:47母から聞いておりましてね
00:43:49慰められるよりも
00:43:51慰める人におなりなさい
00:43:53愛されるよりも
00:43:55愛する人になりなさい
00:43:57理解されるよりも
00:43:59理解する人になりなさい
00:44:02これフランシスコの祈りですけれども
00:44:04本当にそれが平和への祈りって言うんです
00:44:09すべては
00:44:11つまりあなたが不幸だと思ってる
00:44:16それも神様の恵みな
00:44:20あなたのために必要だったんですよと
00:44:23だからある意味で
00:44:24馬鹿にならないといけない時があります
00:44:28ただいつかちょっと申し上げたように
00:44:31うちの母がお父様がいい時に
00:44:33お亡くなりになったと
00:44:35あれで生きてらしたら
00:44:37きっとあれだけのこの頭と
00:44:42文学博士的なものを持ってたら
00:44:45きっと戦争に巻き込まれて
00:44:48縛り組みになってたかもしれない
00:44:58というそのずいぶん不幸を吸ってから
00:45:03恵みの呼吸だと思うまでに何十年とかかりました
00:45:09母もその時私はもう三十いくつか何かになってたと思いますから
00:45:15三十年近くかかったと思います
00:45:19でもでも本当にそうだと思います
00:45:25敗戦後
00:45:36天草で父の農業を手伝っていた安田さんは
00:45:40二十一歳の時に上京大学に入学します
00:45:48天草を離れても
00:45:50就職し家族を持つようになっても
00:45:53兄が人を殺したということへの追い目を追い続けていました
00:45:57死利死欲のためではなかったと言い訳をしてみても
00:46:06かえって辛さが増すばかりでした
00:46:11天気が訪れたのは
00:46:13六十歳も過ぎたころ
00:46:16渡辺さんと出会い
00:46:18その後の交流を続ける中でのことでした
00:46:27五十年の法要は
00:46:29渡辺さんの学長就任から
00:46:31二十年余り後のことでした
00:46:34先生と高橋さんと私
00:46:37で私はそこで一緒に写真に収まって
00:46:40いいもんだろうかと思って遠慮してた
00:46:43そしたら先生が一緒に撮りましょうとおっしゃって
00:46:47撮ったのが文書実った写真なんですけどもね
00:46:52もし私が逆の立場だったら
00:46:55相手のお墓に参れるだろうかと
00:47:00まあ下品な表現になりますけど
00:47:02唾でもふっかけて帰るんじゃないかと
00:47:05これは普通の人では私できないと思うんですよ
00:47:11それから私は
00:47:15先生がお書きになった本を読みまして
00:47:25そのうちどうしてもあと
00:47:28一回お目にかかりたくて
00:47:30もう思い切って
00:47:33翌年の五月に手紙を差し上げたんです
00:47:38そしたら六月の多分十七日だったと
00:47:41いらっしゃいっていうお手紙いただきまして
00:47:46で、金井と二人で岡山に出かけて
00:47:49で、前の晩は
00:47:53ノートールダム精神女子大学の近くのホテルに泊まりましてね
00:47:58眠れないんですよ
00:48:02で、翌朝
00:48:03遅れなきゃ遅れちゃいかんからと思って
00:48:07大学までの玄関まで歩いていきまして
00:48:13時間を測りましてね
00:48:15それで、お目にかかった
00:48:20玄関の玄関を入った
00:48:25本部玄関を入ったところに確かありましたよね
00:48:28数域は不幸の域であっても
00:48:33白池は感謝でありますように
00:48:36ちょうど高さ、この辺の高さ
00:48:41いや、本当にあそこ玄関まで出て
00:48:48迎えてくださいましてね
00:48:50まあ、これ私の
00:48:56目からすると、全く平成に受け止めていただいたような
00:49:03歓迎していただいたような気がしております
00:49:06お目にかかった途端に、もう、なんて言いますか
00:49:13穏やかな気持ちになりましてね
00:49:18本当に、あの、平穏にお目にかかることができました
00:49:26はい
00:49:27ご自身が抱えてこられた苦しさとか
00:49:31そういうものを聞いていただきたいとか
00:49:34はい、そういうことも一切お話ししませんでした
00:49:38私が仮にそういうことをお話しますと
00:49:41今度は先生だっても
00:49:45やっぱ思い出されると思うんですよね
00:49:47あの苦しいときのことを
00:49:49ですからそういうことには本当に
00:49:53全くといいぐらい話はしなかったと思うんですけどね
00:49:59別に避けて通るというわけではないんですけれども
00:50:08先生もおそらく忘れていらっしゃるわけではないと思うんですよ
00:50:14私も忘れているわけではないんですけども
00:50:21話題に上ったことはなかったですね、ないですね
00:50:28安田さんにとってはどういう時間でらっしゃるんですか?
00:50:34これは本当に私服のときといいますか
00:50:40世間話とかそういうことでしたけど
00:50:46そのお話の中で、中でやっぱり
00:50:52先生の、なんて言いますか
00:50:58素晴らしさといいますか、ご立派さといいますか
00:51:04そういうのを感じ取ることができるんですよね
00:51:07お目にかかっているだけで
00:51:11安田さんは226事件の天末をたどり
00:51:19改めて兄に向き合うようになりました
00:51:26事件を裁く裁判では
00:51:28黒幕と疑われた軍の上層部は無罪
00:51:32兄たちに率いられた兵の多くは
00:51:36やがて日中戦争の最前線へと送られました
00:51:42渡辺さんとの出会いから10年余り
00:51:47安田さんは兄の記録を本にまとめました
00:51:52子供も残さずに、それから伴ってくれる
00:52:01釣り合いも残さずに
00:52:04ああいう形で死んでいった居酒を
00:52:09やっぱり不憫に思う気持ちがありましてね
00:52:12何らかの形で彼を残してやらなきゃいかんと思って
00:52:18資料を集めてこれを作ったわけです
00:52:23まあ兄の書き残した衣装とか
00:52:28他日記とかいっぱいありましたからね
00:52:31中学校の頃も家に帰るとそれを広げたり
00:52:37父に叱られるんじゃないかと思いながら
00:52:41それを広げたりしておりましたから
00:52:45私の兄が堺中尉の部下で
00:52:49斎藤司釈と渡辺大将のところに行ってるわけですよね
00:52:54それを割り当てられた時
00:52:56斎藤邸を襲撃した後渡辺邸に行くのは
00:53:00私も生きているかどうか分からないから
00:53:04行きたくないって言ってるんですよね
00:53:07それでも行けと
00:53:09生きてたら行けと言われて
00:53:11渡辺邸に行ってるわけです
00:53:13私はその…
00:53:28直接兄が手をかけなかったら
00:53:32ここまでは考え込まないじゃないかと思うんです
00:53:39どうしてああいう事件を起こしたんだろうという気持ちが強いですね
00:53:46彼らが信じた天皇は
00:53:50本当に彼らのために
00:53:52あるいは我々のための天皇だったのかと
00:53:56ああいう気持ちは強いですよね
00:54:02まあ振り返ってみまして
00:54:05誰でもがやっぱりそういう重荷を背負っていると思うんですけどね
00:54:11ですからそういう重荷を背負っているのは
00:54:15私だけではないんですから
00:54:18まあ過去は変えられませんしね
00:54:21まあ
00:54:25渡辺先生との会合があったってことは
00:54:28私にとってはもう
00:54:30私の人生でも最大の喜びでした
00:54:35つまりその私には
00:54:42父を売ったり殺したり
00:54:50とどめを刺したりする人たちは
00:54:54私にとっては敵でなかったということです
00:54:57だから許しの対象ではなかった
00:55:03この人たちは何をした人かということは
00:55:07今日もこうやって浅井さんに申し上げるし
00:55:11どなたに聞かれても
00:55:13私はこの目で何人かの方が
00:55:19父を刺したりとどめを刺したり
00:55:22それから弾を打ったりしたのは
00:55:26確かに見ましたと
00:55:28でもだからその殺した敵だという気持ちが
00:55:34本当に浅井さん不思議なんですけどね
00:55:37私にはいつかも申し上げたように
00:55:42後ろで糸を引いてて
00:55:46そしてご自分を守るために
00:55:50私は何にも関係がないということを
00:55:55おっしゃった方
00:55:56その方はある種の憎しみを持っています
00:56:01それは父を殺したからではなくて
00:56:05たくさんの千何百名の兵隊たち
00:56:11その人たちがやがて戦争が始まったときに
00:56:16一番つらいところに送られて
00:56:19それから憲兵たち二人のように
00:56:24いわゆる剥奪されてやめさせられた
00:56:31そして自分は自分がしたんじゃないって
00:56:37シラを切ることができる
00:56:40そういう人は私の父でなくてよかったと思います
00:56:46不思議なようですけど
00:56:49この方が父を殺した安田さんの弟さんだっていうような気持ちは
00:56:58ほとんど持ったことないです
00:57:00ありがたいお恵みだと思います
00:57:04本当に何か私を助けてやりたいというお気持ちがあって
00:57:11そしてそれがもう本当にびっくりするような
00:57:15例えばお家に招いて奥様のお手作りのね
00:57:19お焼肉か何かをくださったり
00:57:22お庭を見せてくださって
00:57:25そして葉山という土地のことを教えてくださったり
00:57:28それから鎌倉プリンスに一晩泊めて
00:57:34そして次の朝奥様とご一緒にお食事をして
00:57:40また戻ってくる
00:57:41そういうその普通の方から私はしていただくことがなかった親切
00:57:50そういうものをそれもその親切がましくなくて
00:57:55時たま私がこんなにしていただいてっていうときに
00:58:00いやこれは僕にとってはつぐのいですからさせてください
00:58:04おっしゃって
00:58:07それで私もあんまり気にしないで
00:58:11むしろお断りするよりも
00:58:14甘えた方がこの方のためには
00:58:17きっとあのお気持ちがすっきりなさるだろうと
00:58:21こうの進む先生が
00:58:26天の父様どんな不幸を吸っても
00:58:30吐く息は感謝でありますように
00:58:33というあの詩をお作りになったときに
00:58:37この不幸の息を吸うときと
00:58:40感謝の息になるときと
00:58:43時間はかかるんですよ
00:58:45かかるときもあるんですよ
00:58:47っていうことを私にはお伝えになりたかったと思うんですね
00:58:53旧約聖書に
00:58:57すべてのことには時があるっていう有名な箇所がございます
00:59:03そのことでないんでしょうか
00:59:07そういう長さというものは
00:59:10その人その人によってやっぱり違うでしょうね
00:59:16そんなことでないんでしょうか
00:59:20そんなことでないんでしょうか
00:59:22ご視聴ありがとうございました
00:59:24ご視聴ありがとうございました
00:59:28ご視聴ありがとうございました
00:59:58ご視聴ありがとうございました
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