00:00フレーバー
00:25もう一度行かなと 正解します
00:28イシャロナカン イシャロナカン
00:38イシャロナカン カンデン
00:47フォーリー イシャロナカン カンデン
00:57フォーリー イシャロナカン カンデン
01:27フォーリー イシャロナカン カンデン
02:18フォーリー イシャロナカン カンデン
02:25フォーリー イシャロナカン
02:45フォーリー イシャロナカン
03:20フォーリー イシャロナカン
03:40フォーリー イシャロナカン
03:41フォーリー イシャロナカン
04:10フォーリー イシャロナカン
04:14フェシャロナカン カンデン
04:29おはようございます。
04:59おめでとうございます
05:29痛み止めを変えればいい
05:31ローソービーフとかね
05:35変えればいいな、こっちで
05:37白い痛み止めはビシサワーズにしよう
05:40ビシサワーズにしよう
05:43これ仕方があった
05:44うれしい
05:48もうこれ
05:51あともうちょっと
05:52白い
05:55あー
06:02すごい
06:03すごい
06:03すごい
06:03あーそうか、なるほど
06:07これはなんか
06:09こう置いて
06:10ここに台置けば
06:12あ、原稿の台
06:14はい、ありがとう
06:18その角位置かして
06:30うん?
06:37はい
06:38どうも
06:40はい
06:40はい
06:40はい
06:44いいね
06:48あっ
06:50音楽
07:17英語の言い方で
07:18His days are numberedというのがありますが
07:22私の状態はまさにそれで
07:24あと3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月
07:28あわよくば1年という具合に考えています
07:33短い間ですが
07:34デモ更新に出ることも
07:36集会でしゃべることももうありませんが
07:39書くことはできるので
07:41できる限り書き続けていきたいと考えています
07:46では、お互いに奇妙な言い方かもしれませんが
07:50生きている限り、お元気で
08:21ご視聴ありがとうございました
08:34ご視聴ありがとうございました
08:40この辺ね
08:41ここは私が36年前に住んでいた
08:45ハーバート大学の大学院の騎士舎ですね
08:48ビチャードホールといって
08:49この108号室と何だか車を横置いてですね
08:52で、今はだいぶ汚くなったけど
08:55当時はまだ立ったばっかりだったんじゃないかな
08:58非常に綺麗で
09:00日本の貧しいところに来て
09:01びっくりしたですね
09:03やっぱり全然豊かな国だと思いましたね
09:30私はある日
09:31思い立って大学の図書館に出かけた
09:35自分がかつて大阪で受けた空襲が
09:38この国でどのように報道されていたかを
09:41見ようとしてのことだ
09:44その頃はマイクロフィルムで昔の新聞が保存されて
09:48いた
09:49長いマイクロフィルムを何本も何本もビュー
09:52上げて
09:54大阪空襲は確かに記録されていた
09:59私は初めて自分がどのような悲惨を見に受けたか
10:03を知った
10:04私は大阪で生まれ育っていたので
10:07大阪市が全部空襲されていくという体験を
10:11私は持ったんですね
10:13未だに思い出すけど
10:151945年の3月ですね
10:17私が疎開から帰ってきた晩に始まったんですよ
10:19大空襲が始まって大阪やけの川になる
10:23ただ私が気になっていたのは
10:24アメリカに留学した時にですね
10:26日本ではいろんな空襲の報道をしていたけれども
10:29一体向こうから見たらどうなるというのか
10:31いろんな驚くべきことが分かりますね
10:34一つはですね
10:35例えばここにニューヨークタイムスがあるんですね
10:38ちょうど私が受けた空襲の一つですけれども
10:41これ新聞の写真が載ってるんですよ
10:44これが大阪空襲の写真なんですよ
10:47そこ全部これ煙に覆われているんですね
10:50ものすごい巨大な煙に覆われている
10:51実は私この中にいたんですよ
10:54この上から見るときれいに
10:55きれいでもないけれども
10:56それから煙に覆われている先しか見えない
10:58中は何が起こっていたかというと
11:00巨大な地獄ですね
11:02巨大な火炎が地面多いですね
11:05あらゆるものを焼けていく
11:06人が死ぬとなるんだけど
11:08上から見ているとなんともない
11:10それからもう一つですね
11:11私やっぱり驚かすのは
11:12同じ日ですね
11:14この広告を見るとびっくりしますね
11:16例えば女性のこういう派手な広告が出ていますね
11:20こういうことをやっておったのか
11:22平時と何の変わらない生活がここにあってですね
11:25そしてあらゆるところを爆撃すると
11:46日本政府は一つの条件をつけたんですね
11:49いわゆる皆さんご承知の国体の誤字という条件をつけ
11:53たんですけど
11:54その国体の誤字という条件に対して
11:57アメリカ合衆国を代表する連合国側はですね
12:01明確な答えを出さなかったと
12:04そうするとその時の報道ってどうなっているか
12:06ちょうどそのポスタム宣言受諾を決めたのが8月
12:10の10日ですね
12:12その次の日の11日のニューヨークタイムズを見ます
12:15と
12:16ここにゴールドルフィーキ見出しがあります
12:19まず日本はサレンダーすると
12:22それに対して
12:23US May Let Emperor Remain
12:26その天皇を存続させるとちゃんと書いてあります
12:31ここにヒロヒトの写真ですね
12:33ヒロヒトサバイブクルシャドジャパン
12:34ヒロヒトを生き延びることですね
12:36これは戦後のニューヨーにとって決定的な要因であると
12:40しかしそれでもね
12:41公式的にはなかなか受諾を表明してなかったんですね
12:45それでアメリカ合衆国はどうしたかというと
12:49もう一回圧力をかけることに決めたんですね
12:51そのどういう圧力かというと
12:53空襲を再開すると
12:54その最後の空襲
12:56小さな空襲を別にして
12:57最後の大空襲は一体どこへ来たかというと
13:00私の住んでいた大阪に来たんですよ
13:028月14日の午後ですね
13:05大空襲したんですよ
13:06200機くらいのB20機が来て
13:08その体験を
13:10お粗末の手掘りの防空壕の中で受けて
13:13それから20時間頃において
13:15戦争は電脳の声によって終わったということを付けられたん
13:19ですね
13:20そうするとね
13:20そういうね
13:21一体の空襲の中に我々は巻き込まれてしまったと
13:24そして我々は知らないで
13:25いまだに合成団は死にているんだと
13:27そうするとその時にね
13:29大阪で死んだ人たちって
13:31一体これ何のために死んだか
13:33ということが私いつも気にかかるんですね
13:37で、もし戦争目的が正しいとしてもね
13:40全く無意味な死でしょ
13:42私はそれで自分の原点として
13:45一つの文章を書いたんですけど
13:46それは無意味な
13:48無意味な死の意味って言うんですね
13:49無意味な死の意味って
13:52気がついてみると
13:54彼らは戦争の渦の中にいた
13:57炎の中にいて逃げまどっていた
14:00私が見たのは無意味な死だった
14:03あの死をどんな風に考えることができるのか
14:06確かなことは
14:08彼らの死がいかなる意味においても
14:10いわば難死であったという事実
14:13ただそれだけであろう
14:15その難死は私の胸に突き刺さる
14:19戦後20年の間
14:21私はその意味を問い続け
14:23その問いかけの上に
14:25自分の世界を形作ってきたと言える
14:48私は自分の部屋の壁に
14:50一枚の写真をかけている
14:53大阪の大空襲を
14:54B29爆撃機から撮った写真だ
14:59理由は私自身がその煙の下
15:03渦巻く火炎の中にいたからだけではない
15:06その記憶が私の思考思想の原点のようにしてあるからだ
15:12ねえ何かこう整理してこうあるんですよね
15:18ずっとねほとんどはい年代を追ってですよ
15:24えっとねあっこれは1959年60年
15:29留学から何でも見てやろうの
15:32旅に出た時のですよね
15:59これはねあのスペインで買ったらしいです
16:02まあこれをポケットに入れてその何でも見てやろうの旅をしてた
16:07んですよ
16:09これはその当時持ってた写真の機種ですね
16:13ねそれからトラベラースチェックね
16:16それからあのみんな飛行機のチケットの番号とかパスポート
16:20ナンバーとかね
16:22えっとねー
16:26あーこれだ
16:281月20日水曜日ね
16:29アテネ
16:30プニクスの丘の上で
16:32陽光に輝く実際輝いているのである
16:35アクロポリスを見ている
16:37午後3時
16:38ついにギリシャに来たのである
16:40っていうところがやっぱりね
16:41あのちょっと大きめの文字で書いてるから分かりますよね
16:45背後はこれもまた陽光にきらめく地中海である
16:49アクロポリスがこれほどまでに美しい
16:52少なくともインプレッシブであるとは思わなかった
16:55感無量である
16:57っていうこのあたりなんていうのは気持ちがよく伝わりますよね
17:02感動した彫刻のこの絵もずっと描いてね
17:06これなんかもそうですよね
17:14ギリシャを去る前日
17:16私はアクロポリスの丘に登った
17:19夕刻であった
17:21私はパロテノン神殿の巨大な大地石の柱の陰
17:25に立ち
17:26永下界に真っ逆さまに落ちていく太陽を見た
17:31これでヨーロッパともお別れなのだ
17:34私はつくづくそう思った
17:37いや1年半前のアメリカに始まった
17:40西洋というものとも私は別れを告げるのだ
17:45貧乏旅行をしたあげくに日本に帰り着いたのは
17:491960年の安保闘争の最中だった
17:53しかし私はその闘争にまるっきり参加していない
17:57その時の違和感は今でもよくわからないが
18:01おぼろげながら言えることは
18:03それが何か日本のことだけを考えている
18:08そういう闘争であるように感じられていたのではないかと思う
18:27ご視聴ありがとうございました
18:28ご視聴ありがとうございました
18:55私は電話かけたんです
18:57彼は西宮にいたんですよ
19:01でほんと電話
19:03よく知らない人間から電話かけてきてですね
19:072、3分の話でね
19:09やろうって言うんですよね
19:13で東京に出てくからね
19:16新橋駅の2階にフルーツパーラがあるから
19:22そこで会おうってことになって
19:24その時も和田誠は
19:27車の中でビラ帰ってきたんですよね
19:30でそれが最初に出てきた
19:34八百屋さんも花屋さんもっていう
19:37普通の人間にある
19:41自分も殺されたくないし
19:44人も人を殺したくもない
19:46戦争は嫌だっていう普通の感じなんですよ
19:53そこから飛び抜けた別の理論を作ろうって考えないんです
20:02私たちは普通の市民です
20:04普通の市民というのは
20:06会社員がいて小学校の先生がいて
20:10新聞記者がいて花屋さんがいて
20:13小説を書く男がいて
20:15英語を勉強している青年がいて
20:18つまりこのパンフレットを読むあなた自身がいて
20:22その私たちが言いたいことが
20:25ただ一つベトナムに平和を
20:53私にとって
20:54ベヘーデンの思想的な起点は何種だろう?
20:59誰を無難視させるな
21:01その叫び声を
21:03私たちは外に向かって叫んでいたのではない
21:07おそらくそうしながら
21:08自分たち自身に向かっても言っていた
21:12私たち日本は
21:13ベトナム人たちを殺す立場に立っている
21:17そこまでの認識の広がりとともに
21:20私は自分たちの過去のことを
21:22初めてはっきりと捉えるようになったと思う
21:26問題は自分のことだった
21:29自分の内面の倫理、論理のことだった
21:50何度も同じで
21:51自分の内面のことだった
21:51どんな安全を信じるか
21:51自分の内面のことを
21:57保険に既に日々の方々に
21:57属性を決して
21:57さて、私は私は
21:58私は coarseし
22:01私は私たちに
22:11記者会見に予定されていた部屋は
22:14まさに黒山の人だかりであった
22:18私と鶴見俊介 吉川雄一の3人で
22:22映画を上映しながらの記者会見をやった
22:26しかし日本政府がどうこれから出てくるか
22:30アメリカ合衆国政府ともども
22:32どんな手を打ってくるのか
22:35そして最も肝心の日本の市民たちが
22:39どのような態度を取るのか
22:42私たちにとって そして私自身にとって
22:46全て未知数だった
22:48私は大げさに言えば
22:50その時全ての未知数に直面した気持ちになっていた
22:57歴史を通じて雑草兵という名称は
23:00卑怯者 裏切り者 余計者などに被せられてきました
23:05でも私たちはカテゴリーや呼び名には関心がありません
23:10私たちはなぜこのような行動に出た
23:13私たちはベトナム戦争のエスカレーションに反対
23:16します
23:18先進技術国が貧困に打ち引きがれた農業国を組
23:21織的に爆撃し
23:23人を殺し民間人を無用に虐殺することは犯罪だからです
23:28私たちはアメリカが全ての爆撃を中止し
23:32ベトナムから撤退し
23:33ベトナムをベトナム人の自ら決するところに任せな
23:37ければならないと考えます
23:39私はいかなる政治的つながりをも持ちません
23:42私は軍事的大量虐殺の支持を拒否する
23:46一アメリカ人以外の何者でもありません
23:49こうした事件は今後も起こると思う
23:51また起こることを私たちは期待したい
23:54そのためにはこれでうち大大のアメリカと日本の皆様
23:57全部が力を合わせて
23:59こういう事件がむしろ起こることを希望し
24:01このことで協力していきたい
24:04そのためには力とか金とか便宜とかあらゆるものを提供していき
24:07たい
24:07こういう人たちに対してあらゆる便宜を図ってあげたい
24:10と思います
24:11これは日本の人たちとアメリカ人たちに対する希望であります
24:23脱走兵はいつも一人だった
24:26たとえ何人かが固まって一緒にいようと
24:30一人一人が一人でいる感じを身につけていた
24:34彼が敵に向かって撃たないと決めた時
24:38国家はたちまち飛び抜き
24:40今度は彼に向かって国家がその全体で立ち向かって
24:45くる
24:46その時彼は一人だ
24:49一人になっている
24:51国家という属性さえももぎ取られて
24:54むき出しの一人の人間となっている
24:57脱走兵と一緒にいて
24:59私がいつも言いようのない孤独と怖さを感じたのは
25:04そのせいではなかったかと思う
25:06このイントロピードという言葉の意味は
25:08勇敢なということなんですね
25:09戦争で勇敢なという意味でつけたんだと思うけれども
25:13私にとってこの軍艦に乗っていた乗組員4人ですね
25:16完全としてベトナム戦争を反対して
25:19自ら脱走したと
25:20勇敢なる水兵が乗っていた軍艦として
25:23私このイントロピードという名前が非常に記憶に刻み込ま
25:26れています
25:59当然のことは起こったと思いましたね
26:02勝ったという感じがしますね
26:05それは非常に喜ばしいことです
26:07まず第一に喜びがきますね
26:09当然のことだと思います
26:10同時に日本政府あるいはそういうものを支持した
26:14いろんな人たちというのは一体何を考えてきたか
26:17これ根本的に考え直しが必要だと思いますよ
26:20その根本的に考え直しなしにね
26:22これからの事態を見ていくことはできないだろうというふうに思いました
27:03ご視聴ありがとうございました
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