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  • 3 hours ago

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00:00今回のお題は応援団喜びを分かち合い悲しみまでをも共有する愛すべき存在を献身的なまでに支え続け
00:29応援団NHKアーカイブスの中から応援団の映像をひたすら探ってみるとその数2万7000件以上そんな応援団の歴史をぎゅぎゅっとしてみると3つの記念日が飛び出してきました
00:59果たして応援団とどんな関係があるのでしょうか?
03:06あっそうなんだそれはおめでたいね1月17日は何かね山口桃江に関してる何かあったな引退させとしてが誕生日かそれでは応援団の歴史を一気にしていきましょう
03:36今から100年前の野球の試合会場は超満員佐賀県と福岡県の旧正高校が県の名誉をかけ初めて戦った絶対に負けられない一戦
03:54まあその地域対抗戦みたいなのがあって
04:02そっかそっか試合が行われたのは佐賀県本庄村福岡から1000人を超える大応援団が遠征しましたひとたびヒットが出ようものなら応援団も大盛り上がり
04:32真夏のような暑さの中9対1で勝利した旧正福岡高校応援団も誇らしげです地元のプライドをかけ熱狂的に応援する日本人の姿が100年前にありました
04:57そもそも応援団が活躍し始めたのはさらに遡ること40年前の明治時代だと言われています
05:09その頃誕生した言葉が
05:13フレーフレーって何なんですか
05:20確かに
05:21そう言われてみる
05:22旗かな
05:22今の応援では欠かせないフレーフレー
05:28このフレーズが誕生したきっかけは1905年の早稲田大学野球部のアメリカ遠征
05:36相手チームの声援でハーレイ風雷という耳慣れない言葉を聞きます それが万歳のような掛け声を意味すると知った応援団は
05:48早速フレーフレー忘せたのエールを叫んだのですそれに刺激された他の応援団も独自の応援を編み出していくようになります
06:02いやー!
06:08こうして日本独特の応援スタイルが次々と生み出されていったのです
06:24さらにフレー誕生から30年後応援といえばあの言葉が一夜にして日本中に広まります
06:36頑張れは昔からあるもんね。
06:50実は当時エールを送る時によく使われていたのはしっかりという言葉だったといわれています小学校の国語の教科書でもスポーツの応援場面で使われていたのはしっかりでしたしっかりそうした中頑張れが日本中を覆い尽くしたのが1936年のベルリンオリンピックの実況です。
07:20日本のみなさら、全国のみなさらこんばんは。
07:27大臣の午後3日、日本時間の午後11日、オリンピック大会第11日の投稿時間が参りました。
07:40頑張れ!頑張れ!頑張れ!頑張れ!
07:43前方リード!前方リード!前方リード!前方リード!
07:46女子200m平泳ぎで前畑秀子選手が日本人女性初となる金メダルを獲得。
07:53実況で連呼された頑張れが日本中を1つにしました。
08:00この頑張れ!
08:09頑張れが日本中を沸かせ金メダルを獲得した日として競技が行われた8月11日は頑張れの日とされました8月11日は頑張れの日。知らなかったね。
08:46あのアナウンサーが連呼したことでやっぱポピュラーになったんだねはあそれまではしっかりが前畑しっかり前畑しっかりってでもこの音感って何か女子バレー部とかさうん何かいってた気がするしっかりしっかりいってた入れてこーみたいしっかりに戻しますしねいやだって最近頑張れって言われることに対してプレッシャーを感じるって人がいるじゃない?だから頑張れはいけませんって言ってますね。
08:53前畑しっかり前畑しっかりってでもこの音感って何か女子バレー部とかさうん何か行ってた気がするしっかりしっかり行ってた入れてこーみたいしっかりに戻しますしねいやだって最近頑張れって言われることに対してプレッシャーを感じるって人がいるじゃないだから頑張れはいけませんって言ってるのやっぱね感じがかたくなに腫れだもんねちょっときついしっかりに戻そう
09:23しっかりって言い方はもうやち草薫る調査やっぱり戦後の復興から高度成長期に入ろうとする頃日本人の応援の形を大きく変えるものが登場します
09:43テレビです
09:47まだまだテレビが高価だった時代
09:52人々は街頭テレビに夢中になり周りには常に人だかりが
09:58やっぱりいろんなオリンピックだったりやっぱりスポーツを見るってことの目的がテレビの霊夢駅は
10:07中でも日本人が熱狂的に応援したのは
10:11両腕足固めでキングコミを苦しめ優勢であり
10:15プロレスラーの力道山
10:18力道山は人前と飛びかかりお得意の空手チョップを乱打
10:24力道山に勝ちが宣せられました
10:29力道山の試合は街頭テレビで大人気
10:35なんと2万人が殺到したこともあったといわれています
10:40空手チョップってみんなやってたね
10:45やってた
10:46多くの人々を熱狂させたテレビが初めて放送されたのが
10:531953年2月1日
10:57テレビ放送が始まった記念日です
11:03さらにテレビの普及とともに
11:08遠く離れた場所からでも応援ができるようになります
11:12アーカイブズには1965年
11:18東京から400キロ以上離れた
11:21山形県串引村から
11:23テレビ越しに地元の英雄に
11:26エールを送る様子が残されていました
11:28優勝戦線に残っている
11:31郷土力士柏田の活躍を見ようと
11:33家に帰る暇もない農家の人たちは
11:36とうとうトランジスターテレビを
11:39田んぼに持ち出しました
11:40柏田の聖火には
11:49村の人たちが次々に集まってきました
11:51これからいよいよ
11:53佐田の山との優勝決定戦が始まろうとしています
11:56柏田のお父さん
12:02さすがに心配そうです
12:04おばあさん怖くて見ていられません
12:11お父さんがこっそり用意しておいた
12:14お父さんがこっそり用意しておいた
12:30酒樽が早速抜かれ
12:32優勝を祝いました
12:33横綱柏の席の優勝をお祝いいたしまして
12:37この時代からみんながテレビの前で声援を送り遠く離れた場所の出来事に一喜一憂するようになったのです
12:57これは夢のようなことだね
13:04いやびっくりだよねこれ衝撃だっただろうね
13:08それまでラジオでもちょっとびっくりしてたと思うんだけど
13:11応援はやっぱ僕は本当に
13:15ミスター長嶋志郎君やっぱ野球の応援はずっとしてましたよね
13:20俺だから本当に正座して拝んでたもん
13:25ホームラン落ちますよ
13:26長嶋監督が引退した時はチケット取れなかったんだけど
13:30ちょっとでも近くにいたいと思って
13:33ホテルの部屋取って
13:35そこでテレビを見てたんですよ
13:38ちょっとでも近くに行きたいという気持ちは昔からあるんじゃない
13:41あるねあるね
13:44日本がスポーツに湧き立つ中
13:49時代は高度成長の真っただ中へ
13:53暮らしが豊かになるにつれ
13:57就職や旅行など人々の動きが活発になっていったこの頃
14:08エールを送る光景が多く見られる場所がありました
14:12駅のホームです
14:16新婚旅行へ出かける日には
14:21胴上げで新婚夫婦のめでたい旅立ちを応援します
14:26子どもたちの集団就職を見送るホームでも
14:40アーカイブスには甲子園初出場を決めた野球部を応援する映像が
14:59野球部が甲子園へ向かう日には地元の駅のホームに町中の人々が集結
15:09親しい友人や家族の新たな門出にエールを送る人たちがあふれていました
15:32やっぱ駅の別れとかねやっぱ船の別れとかさ泣いてあるよね船ってずっと見えるの分かるちょっとたまらない
15:47昔はねフェリーで旅行するっていうのは結構ポピュラーだったから
15:52俺子供の頃の写真にね紙テープを持ってる写真とかあるわけ
15:58紙テープでつながってるわけよ戦場の人と
16:01もうほんと三輪さんのなんかボンボンやーしみたい
16:06やっぱ船とストリップ劇場のリボンは大切なんですよ
16:13ストリップ劇場のリボンですか
16:16で投げたら踊り子さんに当たらないようにバーって巻き上げるみたいな
16:21応援よねそれも
16:23そうだね
16:24時代は70年代から80年代
16:29若者たちの中で新しいスタイルの応援団が誕生します
16:36アイドルの親衛隊です
16:39この頃多くのアイドルがデビューし
16:44熱烈に応援する親衛隊も生まれました
16:48そうよ親衛隊よ
16:53その役割はコンサートを盛り上げる応援だけでなく
16:58アイドルのガードまで
17:03もちろん応援の練習も欠かせません
17:10歌手と一緒にコンサートを楽しむ
17:19一般のお客さんに一生懸命歌ってくれるんだから
17:22やっぱり一生懸命僕らも何かの形で応援しようと
17:25親衛隊はアイドルにとっても心強い存在だったのです
17:35俺は一番最初ファンになったのは
17:39アグネスラム
17:43出た男の子はアグネス
17:47でもアグネスラム行くには幼いかったよね
17:51俺ね初めて下敷きの中に
17:54それまで長島修行と小回り君しか入れてなかったのに
17:57下敷きの中に女の人生えたのはラムなんです
18:01ラムなんだ
18:03俺その次聖子ちゃん行ったから
18:06同じ地元だって言う言葉でかかったんです
18:09本当だ
18:10だからうちらの町から都に行く人がいる何かこう道が見えてきたって言いますか?
18:25応援の形が変化していく中でも昔ながらの応援に青春を捧げる高校生たちの映像もありました岩手県立福岡高校の応援団
18:48甲子園出場を祈って県大会の初戦が行われる森岡市の球場まで80キロもの道のりを丸1日かけて歩く姿に密着していました
18:59かっこいい好きになっちゃう
19:03こういう息子に囲まれたいよね
19:06うん囲まれたーい
19:08そこらの難泊さよ男だし見てくれの目先の欲望に囚われて
19:14今こうカッコつけたところで果たして自分の将来の糧になるかってことを考えれば
19:20そういうバカな真似をしといた方が自分の糧になるんじゃないかっつ
19:22野球部を応援する応援団
19:26そして応援団を応援する人たちの姿が
19:31高校を出て20キロほどのところにある休憩地
19:34こつなぎ駅に差し入れを持った女の子が来ていました
19:38応援団ファンの福岡高校の1年生で
19:41彼らの来る2時間も前から暗闇の中を立ちっぱなしで待ち続けていました
19:46さし入れの品は全て手作り
19:55お礼のエール
20:00これ泣くわ
20:02これは嬉しいよね
20:06彼らこうやって食べてってくれてどういう気持ちいい今
20:15嬉しいの一言
20:18もう全てが魅力です
20:22俺はねこの子たちを応援する団を作りたい
20:27もう応援の連鎖がすごい
20:31子受け孫受け孫受け
20:33分かる
20:36どんどんユニットが小さくなればなるほどグッときちゃうから
20:39分かる
20:401993年には新たな応援文化が日本に誕生します
20:48バブル経済が崩壊し心の豊かさを求めるようになった時代です
21:02そんな中誕生したのが
21:05Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かって
21:12その第一歩を踏み出します
21:14Jリーグ
21:17同じユニフォームに身を包み応援する人々はサポーターと呼ばれ
21:2812人目の選手としてチームの一員であり
21:32共に戦う仲間という存在になったのです
21:35そして1995年
21:44あの頑張れ
21:47応援の言葉が日本中に広がりました
21:50それがこの年阪神・淡路大震災が発生
22:04頑張ろう神戸を胸に多くの人々が被災地へ応援に駆けつけました
22:11このグループは今月1日から
22:21淡路島の市宮町の老人福祉センターに拠点を置いて
22:25ボランティアの活動を続けています
22:27この日は壊れた屋根瓦を片付ける作業を行いました
22:32避難所には全国の多くの人々から衣服や食料などさまざまな物資が届きました
22:49誰かが困っているなら自分にもできることがきっとある
22:56日本中に思いが広がりこの年は後にボランティア元年と呼ばれるようになるのです
23:09その中の一人に被害を受けた人々のためにおむすびを握り続けた女性がいます
23:15藤木千明さんです
23:20おむすびを握り続けた日にちは40日間
23:27避難所に届けた数は1万2000個になりました
23:34当時多くの人が被災地におむすびを届けました
23:48このおむすびが人々を支え応援したとして
23:561月17日はおむすびの日といわれるようになりましたそうか震災のね毎年1月17日になるとあの日を忘れないようおむすびを握るさまざまな活動が行われています
24:16だからその何か災害が起きて何かしなきゃ手伝えることはないだろうかもそうだしじゃあ好きなアイドルでもそうだしスポーツでもそうなんだけど応援って言葉になっちゃうとまた大げさにだらけと人は何か何だろうねうんうん
24:40応援したいとかその何かサポートしたいっていう気持ちはみんな持ってるっていうことはすごくやっぱこう殺伐とした世の中で何か人間ってまだあったかいものがあるなとは思いますけどねもうこれでさ人の応援なんかしてる余裕はないっていうことになったらもうほんとこの世の果てってやつなんじゃないの?
25:02その時はもうだから終わりです人じゃなくなるってことなんでエンドオブザワールドですよね本当にエンドオブザワールドですね
25:13だからその誰かが何だろううちの娘はアイドルの応援ばっかりしててねみたいなお母さんがあるかもしれないけどまだねそういう気持ちをお母さん
25:23お宅の息子さんは人を応援するそんなに心優しい本当に応援は今多様化の時代となりネットを通してできるまでに
25:53みんなで一緒の応援だけでなく個人個人が好きなものを好きなように応援するようになりました応援の形は時代とともにさまざましかし愛する存在を支えたいという日本人の思いは昔も今も変わっていません
26:18応援のしかたいろいろですけどねそうそうだから応援団が野球部ってそこでものすごい応援に後押しされたその子がヒットを打ってそこからまた実業団に入ったりとか人の応援ってその応援された人も応援した人の人生も変えてるからそうなんです何かねただの民派なものではないんだっていうことはね形はいろいろあれどね
26:48温かい気持ちというのはそしてね人を応援してる人っていうのはあの能代の大根持ってる人たちもそうですけどどんなアイドルの応援してる人もどんなスポーツ選手の応援してる人も滑稽に見えるもんなんですよその自分のことを召してますからまあねだから人のために応援してる人って滑稽に見えるぐらいがやっぱ人温かみがあってよろしいねそういうことです滑稽になっていきましょう
27:15みんなで大根振りましょう振りましょう本当に最高です
27:22Time to say goodbye
27:30Time to say goodbye
27:34Time to say goodbye
28:19俺ねブラックピンクが大好きで年取って何かを応援するっていうのからもう生きる何か喜びの一つの仕事はいかない優先する順位をもう変えたんです僕ねそうだって死んじゃうもんそうそんなドラマに出るよりもずっと。
28:48暴大なアーカイブス映像の中からスキーの歴史を一気見してみると
29:18放送はNHKBS今夜9時
29:23高級魚うなぎ
29:29養殖用の稚魚の取引が国際的な問題となる中うなぎの稚魚が取れるドミニカ共和国にカメラが入りました
29:36国際報道今夜10時です
29:39熱血バスケ今回のスペシャルゲストBリーグのお祭り男辻尚人です
29:47Dリーグ10年辻選手が選ぶ名場面
29:51お楽しみに!
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