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報道の魂‗生きろ 異色の司令官が伝えたこと_太田實_20140720
エセ文化人放送局
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2025/5/13
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ニュース
トランスクリプション
動画のトランスクリプション全文を表示
00:00
ここは太平洋戦争末期の沖縄戦
00:09
旧日本海軍最後の拠点だった
00:14
元海軍兵たちが戦った69年前
00:26
この場所の地下から撃たれた伝聞が今も語り継がれている
00:31
沖縄県民各戦い
00:36
県民に対し後世特別のご後輩を賜らんことを
00:42
これを打電したのは海軍沖縄方面根拠地帯司令官太田実
00:49
ここにはもう一人太田と心を通わせた人物の思いも込められていたと言われている
00:59
太田と同じ沖縄戦開始のほぼ2ヶ月前に赴任した
01:04
戦中最後の沖縄県知事島田明だ
01:08
沖縄の島森と呼ばれた島田は死ぬことを求められた時代に
01:15
周囲に生きることを繰り返し説いていた
01:18
その一方で本土防衛の捨て石とされた沖縄への赴任は
01:23
共に死を覚悟してのものだった
01:26
戦争の仕方
01:29
日本軍とアメリカ軍の戦争の仕方は全然違う
01:34
海軍部隊で伝令を務めていた上上義義孝さんは
01:40
司令官太田を公表す
01:42
ただいろんな言葉からいろんな情報からして
01:48
本人の行動からして私は戦争は反対だ
01:52
戦争は賛美者じゃなかったかと思う
01:55
太田は数多くの言葉を残していた
02:00
そこに込められたメッセージとは何だったのか
02:04
異色の司令官が残した伝言とは
02:08
明治24年千葉県に生まれた太田は
02:23
志望校の受験に失敗し海軍を志した
02:26
海軍では陸戦隊に所属
02:30
その陸戦に長けたリーダーが求められての沖縄不認だったが
02:35
その沖縄に人間太田が読み取れるあるメモが残っている
02:41
米国は敗日をなし不都合なりとせむる日本人は
02:48
朝鮮人に対し台湾人に対し
02:53
いかになしやりやを考えてのち
02:55
米国を責むる幾人ありや
02:58
当時の軍人とは思えない大胆な意見
03:04
さらに
03:07
孔子曰く
03:09
立国上理想主義
03:12
礼節、異色、兵備のうち
03:16
第一に移るべきは兵備
03:19
昭和7年日中戦争への入り口となった
03:25
上海事変から戻った時の父の言葉を
03:28
娘たちは今も忘れられないでいる
03:31
こんなエピソードもある
03:52
肺結核にかかったことで
03:55
衛生面にうるさくなっていたという
03:57
長崎県佐世保市
04:17
一家が最後に共に暮らしたのがこの地だった
04:21
太田は佐世保海平団長として
04:25
新平らの教育に当たっていた
04:27
その日は突然訪れた
04:30
電話は昔の壁掛け式っていうんですか
04:35
それで電話があって
04:37
お母様そこに座ってたと思うんですよ
04:40
で、めったに電話なんてかかってこないから
04:42
お母様はもちろん立ちますよね
04:45
で、私は見えるわけですよ
04:47
お母様の顔が
04:48
そしたらパッと変わったんですね顔色が
04:51
だからあっと思ったんです私は
04:55
沖縄赴任の命令だった
04:58
出発前夜は家族にとって
05:02
いつもと違う特別な夜だったという
05:04
そして昭和20年1月19日
05:10
太田は家族とこの道を歩き出発していった
05:15
無言の別れだった
05:18
お父様が何にも言わないで
05:23
一人一人に教師の礼をして
05:26
で、最後ならだったんですね
05:29
そのまんま
05:30
それがもう本当に生きた
05:32
あのお父様の最後だった
05:35
沖縄の玄関口、那覇空港
05:44
付近には海軍兵1万人が配置されていた
05:49
太田が降り立ったのは
05:52
その前身のオロク飛行場
05:55
オロクはまさに海軍の拠点で
05:58
早くから攻撃の的になっていた
06:00
そのオロクの地で出会ったのが
06:05
島田知事である
06:06
きっかけは那覇港での救援物資や食料の陸上げの際
06:11
作業の手際が悪いと
06:14
太田が沖縄県の熊崎輸送課長を出席したことだった
06:18
当の熊崎はこう振り返る
06:22
今夜中に運べないとはなんだ
06:27
島田知事はどこだと猛虎のごとくたけり狂った
06:31
悪人は無責任だ
06:34
運べなければ責任を取れ
06:38
数日後、太田は島田や熊崎を遠赤に招待している
06:43
オロク飛行場近くの海軍の施設だった
06:47
太田司令官は真っ先に私に杯を差しながら
06:54
那覇港内の船舶を港の外へという陸軍に反対して
06:57
貴重な物資を一個でも多く陸上げすべきだと主張した立場上
07:01
俺も一生懸命だった
07:03
勘弁してくれという
07:05
あなたの面前で死んでやろうと思ったが
07:10
あいにく拳銃に装填してなくて命拾いしたと答えたら
07:14
たじまち腹をゆすってすまんすまんと笑い出した
07:17
一気に場が和み、息統合した太田と島田は
07:23
簡単相照らす仲となった
07:25
ただ、この時言及した陸軍との関係は
07:30
その後の戦いに大きな影響を及ぼすことになる
07:33
沖縄戦は4月1日
07:42
アメリカ軍が沖縄本島に上陸し本格化
07:45
圧倒的な戦力で日本陸軍の司令部がある首里を目指した
07:51
一方、太田率いる海軍の拠点、オロクでは
07:56
ゴーと呼ばれる自然洞窟に置かれた司令部が
08:00
激しい攻撃の中で移動を繰り返していった
08:03
その一つは今も戦いの跡を残している
08:08
5月上旬、総攻撃に失敗し
08:16
日本軍主力部隊の兵力が3分の1に低下すると
08:20
陸軍は海軍兵力の切り込み隊への投入を求めた
08:24
自らの部隊が引き抜かれ
08:27
首里防衛の最前線に送り込まれる作戦に
08:30
太田は大きな疑念を抱いていた
08:32
槍を主体とする右翁の州となる
08:36
海軍兵力をして要塞を放棄し
08:39
歩兵として使用するの具
08:41
陸軍との確執はその後決定的となった
08:47
5月22日、陸軍は方針を転換
08:52
首里を放棄し南部撤退を決めた
08:56
指揮下にあった海軍にも
08:58
陸軍援護のため南部への移動を命じた
09:01
しかし、思惑より早く海軍が移動を完了したことに
09:07
驚いた陸軍は
09:08
おろくへ戻るよう命令したのである
09:11
それは移動を完了した翌日のことだった
09:18
太田は淡々と事実を報告している
09:22
戻った後に陸軍は再び南部への移動を命じたが
09:28
今度は太田がおろくを動くことはなかった
09:32
この時の天末を太田の部下が主旗に残している
09:41
陸軍は豪の民間人を追い出して
09:44
軍隊が豪に入って戦うというのだが
09:47
海軍の司令官はこれに怒って
09:50
軍隊というものは住民を守るのが目的であり
09:54
これを艦砲射撃にさらすのは忍びないといって
09:59
急遽元の守備陣地おろくに戻った
10:02
そして今後は陸軍との共同作戦はできないとして
10:07
海軍は自らの手で築いた陣地で最後まで頑張り通した
10:13
そのおろくにアメリカ軍が一気に攻め込んできた
10:19
今は埋め立てられ
10:24
那覇空港ターミナル地区となっているこの場所に
10:27
6月4日アメリカ軍が再上陸
10:30
午前5時上陸開始
10:35
猛撃を加わるなど撃退に努めしも
10:40
敵は逐次浸透
10:43
この砲台からの反撃もとても立ち打ちできるものではなく
10:49
最後に構えた拠点も陥落は時間の問題となっていた
10:55
最後の時は近づいていた
11:16
敵戦車軍は我が司令部洞窟を攻撃中なり
11:23
根拠地帯は11日23時30分玉砕いす
11:29
猛攻撃の中アガリエさんが司令部号に飛び込むと
11:34
しばらくして外へ出ろと上官に命じられた
11:38
その瞬間聞こえたのは乾いた発砲音だった
11:43
司令官たち自決だと出ろと言って追い出された
11:48
ピストル自殺中です
11:50
沖縄赴任から144日後のことだった
11:56
全滅の時が迫る中で太田はある命令を出していた
12:03
戦死しなさいじゃなくて自決しなさいじゃなくて
12:09
国上に脱出しなさいということが太田さんの指令なんですよ
12:14
国上に脱出しなさいの意味というのはやはり
12:16
生き残れということです
12:19
軍人としては言えないことですよ
12:22
そして生きることを部下に命じたのをあえて陸軍首脳に伝えていた
12:30
敵後方を拡乱または遊撃戦を遂行のため
12:36
総統数の将兵を残地す
12:40
右将来のため一言申し残す次第な
12:46
脱走ではなく自分が命じて脱出させたことを強調したのである
12:54
沖縄戦で巡り合った知事と軍人は
12:59
時代に逆らう価値観を共有していた
13:02
沖縄戦は陸軍が撤退した南部で
13:09
避難していた多くの住民が戦闘の巻き沿いになった
13:13
おろくに留まった海軍が陸軍と一線を隠していたことに
13:18
評価の声はある
13:20
が、とどまったことで住民の多くが犠牲となったのも事実だった
13:25
日本の大学で唯一の沖縄戦の抗議を行う吉浜教授は
13:33
おろく地区に接する当時のトミグスクソンの住民犠牲者の多さに注目している
13:38
アメリカ軍は海岸線から上陸する一方で
13:43
時を同じくして首里方面からも海軍司令部を目指し進行した
13:48
完全にこのトミグスクが包囲されている
13:54
米軍に包囲されている状況が分かるわけです
13:57
そしたらそこにいた住民は逃げば失う
14:01
実際は砲爆撃、つまり鉄の暴風にさらされる
14:05
軍民混在の状況があると
14:08
そういう中での3名に1人の
14:11
1000名余りですね
14:14
トミグスクの人がそこで亡くなったという事実を忘れてはいけないと
14:19
沖縄戦で亡くなったトミグスクソン出身者の3人に1人が
14:25
アメリカ軍に包囲された村内で犠牲となっていた
14:28
それも海軍が亡くに戻って以降
14:32
大たら幹部が自決するまでの期間に集中していた
14:36
軍隊は戦争をやるものですから
14:39
住民はそうじゃない
14:41
そういう立場の違うのが
14:44
同一戦場に置かれた場合
14:46
一体どうなるかという事でしょうね
14:49
軍人と民間人が混在した事による悲劇は
14:54
海軍の拠点の周辺でも起きていたのである
14:57
住民の犠牲が軍人を上回った沖縄戦で
15:02
沖縄の人々が得た教訓は
15:04
軍隊は住民を守らないだった
15:07
沖縄戦の実装は
15:10
大田の目指した形とはあまりにもかけ離れていた
15:21
毎年この旧海軍司令部号を訪れるのは
15:24
大田実の三男、落合太夫さんだ
15:28
大田が沖縄に赴任した当時5歳だった落合さんは
15:36
その後、いわば父の後を継いで海上自衛官になっていた
15:41
その落合さんは沖縄が日本に復帰した1972年
16:01
父を追うように沖縄に赴任していた
16:04
復帰と共に配備された自衛隊に人材を集める責任者として
16:09
戦争の傷が消えない復帰直後の沖縄と
16:13
正面から向き合う日々だった
16:15
ここが我々だったんですよ
16:22
こういうところに全部赤いビラを貼られて
16:28
3枚の、今でもそうでしょ、シャッターなんでしょ
16:31
そのシャッターに夜中でスプレーで落書きして
16:35
我々毎朝起きてね
16:37
まずこのシャッターの前のスプレーを消して
16:40
それからシャッターのところに貼ってあるビラを剥がして
16:43
この辺を剥がして、それから仕事が始まるんです
16:46
復帰直後の沖縄には沖縄戦で住民を虐殺するなどした
16:53
日本軍の再来だと自衛隊への強い抵抗感があったのである
16:57
なぜこれほど自衛隊は嫌われるのか
17:02
落合さんは反発心さえ抱いていた
17:05
しかし、ある人の言葉が気持ちを変えさせた
17:10
復帰運動をリードした矢良長廟知事である
17:15
初めての面会で抗議するつもりだったが
17:18
かけられたのは意外な言葉だった
17:21
しかしあなたのお父さんが沖縄県民各戦い
17:24
あの電報を打ってくれたおかげで
17:27
今日沖縄県は日本に復帰できたんですよ
17:30
27年間沖縄は里子に出されたんです
17:35
それはやっと20年経って親元に帰ってきたんですよ
17:38
その気持ちを汲んでやってくださいって
17:41
沖縄について勉強してくださいって
17:43
コンコンと言われちゃったとかでびっくりしてね
17:46
それでも悩むと落合さんの足は
17:50
父の最後の場所に向かっていた
17:53
支えていたのは司令官室での父との対話だった
17:58
お前何やってんだこの野郎って
18:01
怒られというような印象は強いですよね
18:03
これはもう精神誠意ね
18:05
誠意に尽くすしかないということで
18:08
なんてベストを尽くしがないということですよ
18:12
そしていつしか沖縄の人に
18:16
溶け込めるようになっていたという
18:18
体感して18年
18:22
落合さんはOBとして
18:25
後輩や関係者への講演を続けている
18:28
自衛隊初の海外実任部
18:38
ペルシャ湾での嫌い除去活動
18:40
1991年
18:42
総海底部隊を率いたのが
18:44
当時の落合一等会社だった
18:47
湾岸戦争後とはいえ
18:50
命の危険がつきまとう中で大きかったのは
18:53
父の存在だった
18:54
戦友交絡というかね
18:57
司官戦闘とかね
18:58
要するにその
18:58
まず部下を思いということが
19:02
ずっと至るところにありますよね
19:04
そういったのはやっぱりね
19:06
そうだなと思いましたよ
19:08
だから心がけてはいましたね
19:11
ともかくまず考えることは
19:13
まず隊員のこと
19:13
部下を思うその原点は
19:17
玉砕主義に抗い
19:18
生きることを命じた父の
19:20
あの伝聞だった
19:21
脱走したんじゃないよ
19:23
俺の命令で生きるために
19:25
みんなをそのためにこれを出した
19:27
あの家はね私好きなんですよ
19:29
みんなが国にあげてさ
19:30
そうやってあの捕虜になるな
19:32
山添魂でなんとかってね
19:34
そういう
19:34
その時に部下のことを思ってね
19:37
あれはあの伝聞はやっぱりすごいなと思うんですよ
19:40
5歳で別れた父と息子を
19:43
沖縄が結びつけていた
19:45
島田の思いも受け止め
19:51
太田が打電したのは
19:52
戦場の沖縄県民の苦難だった
19:55
軍事はそのサイレントネイビーでね
19:59
ことあげしちゃいかんっていうのにね
20:00
ああいう文章を書いてきたっていうことは
20:03
よっぽどのことがあったんだと思ってね
20:06
うんやっぱり
20:08
変な話だけど
20:10
父がかわいそうだなと思いました
20:12
言いたくないことを言ったんだと思って
20:14
沖縄県民の実情に関しては
20:25
県知事より報告せらるべきも
20:27
県にはすでに通信力なく
20:30
本職
20:31
県知事の依頼を受けたるにあらざれども
20:34
現状を看過するに忍びず
20:36
これに代わって緊急ご通知申し上げ
20:40
県民は青少年の全部を防衛招集に捧げ
20:45
残る牢用扶助士のみが
20:48
相次ぐ砲爆撃に
20:50
家屋と火災の全部を焼却せられ
20:52
わずかに身をもって
20:55
軍の作戦に差し支えなき場所の
20:58
消防空壕に避難
20:59
若き夫人は率先軍に身を捧げ
21:04
看護婦放水婦はもとより
21:07
砲弾運び
21:08
挺身切り込み隊すら申し出るものあり
21:11
さらに軍において作戦の大転換あるや
21:16
輸送力皆無のもの
21:19
黙々として宇宙を移動するあり
21:22
陸海軍沖縄に進駐以来
21:26
終始一貫勤労奉仕
21:28
ひたすら日本人としての
21:30
ご奉公の守りを胸に抱きつつ
21:33
一目一掃
21:34
消土と河川
21:35
両職6月いっぱいを刺さうるのみなりという
21:40
沖縄県民各戦いり
21:44
県民に対し
21:46
後世
21:47
特別のご後輩を賜らんことを
21:51
司令官の身を僕は当時
21:55
当時ね
21:56
いろいろ考えたけど
21:58
非常につらかったと思いますよ
22:00
どんなことがあっても
22:08
戦争だけはすべきじゃないです
22:10
太田の遺骨が収集されたのは
22:20
自決から7年後のことだった
22:22
太田の部下だった3人によって確認された
22:26
沖縄の土になると言っていたという太田は
22:47
今最後の場所に眠っている
22:50
平和って何だろう
23:02
平和ってみんなが笑顔になれるっていうこと
23:05
平和ってみんなが笑顔になれるっていうこと
23:10
6月23日待たず
23:17
系統の花散りました
23:23
長い長い煙たなびく
23:29
子どもたちを見てくださいね
23:38
あれ今言ったの一番ですよ
23:39
あれが一番じゃないそれぞれが
23:40
平和って何だろう
23:42
平和って何だろう
23:43
全部言ってましたよ
23:43
笑って暮らすことです
23:44
それが続けばいいですね
23:47
と思います
23:47
異色の司令官が
23:51
後世へ伝言を託してから69年
23:54
その目に
23:55
今のこの国に広がる風景は
23:58
どう映るのだろうか
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17:00
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2025/5/16
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SWITCHインタビュー 達人たち_ブレイディみかこ×鴻上尚史_20200321
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2025/5/15