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偉人・敗北からの教訓 第134回「織田家の内紛・信長と信勝の家督争いと柴田勝家の決断」 - 2026年04月04日
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00:05偶然の勝利はあれども、敗北は全て必然。
00:11日本の歴史を彩った偉人たちは、いかにして敗れていったのか。
00:15その裏にはどんな原因と過ちがあったのか。
00:24今回は織田信長の若き日の試練、後継者をめぐる織田家の内訓に注目します。
00:34偉大な父の死後、信長の前に立ちはだかったのは、実の弟信勝とその家老、柴田勝家。
00:44後に筆頭家老として織田家を支える猛将は、なぜ信長に牙を剥き、屈服したのか。
00:50敗れし者たちの敗北から学ぶ人生哲学。
00:54偉人敗北からの教訓。
01:05歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちは何を学ぶのか。
01:10偉人、敗北からの教訓。
01:11信仰役の中西由里です。
01:14そして歴史作家の伊藤潤さんです。
01:15今日もよろしくお願いします。
01:16よろしくお願いします。
01:27今年の大河ドラマ、豊臣兄弟ということで、助け合える兄弟もいれば、親子同士、兄弟同士で殺し合う。
01:33そんなこともあったり、戦国時代における家族のあり方って、本当に多様ですよね。
01:48非常に仲のいい兄弟もいれば、仲互いしてしまう兄弟もあるということで、仲互いしたケースが非常に目立つので、戦国時代というのは、すごい骨肉の争いが繰り広げられるすごい時代だな、みたいに思われることも多いんですけど。
02:02兄弟間だけに限って言えば、例えば、島津義久、毛利高本、北条氏正、こういった大きな大名の兄弟というのは、多少の意見の相違があっても、いがみ合いや殺し合いまではしていないですよね。
02:03そうですね。
02:13ですからね、歴史というのは、何か目立つケースがあると、なんとなくそんな気がするということで、思い込んでしまうことが多いんですけど、やはり裏付けを取る努力が必要だということですね。
02:38実はこの人も一族の戦いに苦しみ続けました。今回は若き日の織田信長が直面した骨肉の争い。後継者をめぐる織田家の内紛に注目したいと思います。最近、この織田家の研究というのがすごく進んでいるということで、信長自身の実像というのも変わってきているみたいですよね。
03:00いや、大いに変わってきましたよね。例えば信長の青年時代はですね、以前はうつけとして過診断の反発を食らっていたということだったんですけど、実際はですね、もっと政治的な意味があって、具体的に言うと、反今川派の信長と真今川派の弟の信勝の間で分裂が起こっていたということなんですよね。
03:14今回は織田家の骨肉の争いをひもときながらあすを生きるための教訓を探していきます。
03:29こちらをご覧ください。若き日の織田信長が弟信勝とその家臣を相手に繰り広げた内紛は、尾張統一への大きな試練でした。
03:45もともと織田家は、尾張守護、しばしに仕える家臣の家柄です。中でも信長が生まれた織田壇上の上家は、守護代清須織田家の家臣という支流に過ぎませんでした。
04:09そこからのし上がったのが信長の父信秀です。貿易で得た経済力と軍事力で、清須織田家や岩倉織田家など、四日筋をしのぐ勢力に成長し、斎藤氏や今川氏とも戦いを繰り広げた信秀は、
04:33信長に林秀貞や平瀬正秀、弟信勝に柴田勝井らの有力家臣をつけて後継者候補としました。しかし、1552年頃に信秀が亡くなると、兄弟の間で家徳をめぐる争いが始まります。
04:49うつけ者と呼ばれた兄信長は、隣国の今川氏を敵視し、それに反対する柴田勝家ら、新今川派の重臣たちは、こぞって弟の信勝を支持しました。
05:08そんな中、信長は、中都の斎藤道さんという強力な後ろ盾を得ます。ところが、道さんは、長良川の戦いで戦死します。
05:35さらに、信長付きの重臣であった平手正秀が切腹し、林秀貞は信勝になびくなど、相次ぐ不幸で孤立する信長に対し、
05:52わずか700の信長勢が勝家らが指揮する信勝勢1700を激化して実権を手にします。この時、敗れた信勝と勝家らは許されました。
06:20しかし、2年後、信勝が再び兄への無本を企てます。勝家からその動きを聞いた信長は、ついに信勝の中殺に踏み切りました。兄弟で殺し合うことでしか家を守れなかった、小田家敗北の瞬間です。以来、信長は勝家らに支えられ、天下不武の道を進みます。
06:32内紛の痛手と苦しみは若き日の信長に何をもたらしたのか今回は小田家内紛の真相に迫ります。
06:50さあ、ここで当時の小田家の状況を振り返っていきます。VTRの中でもいろんな小田家が出てきて、ちょっと頭がこんがらかってしまうんですけれども、小田家っていうのはこの尾張の国に古くから根を張る一族だったということなんですね。
07:02はい。本来はですね、この小田一族というのは越前の国の小田将の神官だったんです。これ小田じゃなくて小田なんですね。そこからいつの間にか濁った小田になったんですよね。
07:15そのうちこの越前の国でですね、柴氏が守護を務めてますからね、有力家臣にいつの頃からなったと。この柴氏が越前東東海とともに尾張の守護職を兼任することになったんですよ。
07:36その時に尾張の国の守護大として尾張一族がですね、揃って尾張の国に移るんですね。で、その後、清洲城を本拠とする小田大和の神家と岩倉城を本拠とする小田伊勢の神家の2つに分かれて、尾張の国の南北四軍を分割統治する。そういう形になるわけですね。
08:04それでこの大和の神家の方には三武行と呼ばれた諸家があって、稲間の神家、東西門家、壇上の上家ということになるわけなんですよね。この壇上の上家が信長の出身母体なんです。お父さんの信秀はだからもう小田家の支流から、いつの間にか一族の旗頭までのし上がっていったということですよね。その通りですね。まあ今のケースで見ていただいたように壇上の上家、小田家の本当に支流、暴流ということになりますよね。
08:29そこから信秀は大和半国の主になっていくわけですよね。父の信秀は信長と弟の信勝にそれぞれベテランの歌詞をつけたということですけれども、信勝にはあの柴田勝家がついていたんですよね。当時の勝家って小田家中でどんな存在だったんですか。当時の勝家というのは30歳前後の働き盛りで、信勝よりも14歳年上だったんですね。
08:34まさに信勝の代わりに戦場に出てですね八面六臂の活躍を見せるんですよね。
08:50織田一族が隣立する尾張の中で大黒柱の父、信秀を失った信長、信勝と家臣たち、そこから家中が真っ二つに分かれて後継者を巡る派閥争いが始まります。
09:05織田家の一支流に過ぎなかった、壇上の上家を率いる信長の父、信秀は、経済力と軍事力を背景に勢力を広げました。
09:16尾張国内では親族同士による熾烈な勢力争いを展開していましたが、敵は国内だけではありません。
09:37尾張の北に接する美濃では、守護の時使を追放した斎藤氏が勢力を伸ばし、東からは駿河の今川氏が東東美と三河を制して織田寮に迫るなど、幾多の脅威にさらされていました。
09:59当時の終わりは、まさに戦国の真っ只中にあったのです。壇上の上家には二人の後継候補がいました。信長と、その二歳下と伝わる弟信勝です。
10:26二人は同じ母、土田御前の子でしたが、性格は対照的で、信長後期は信長の振る舞いをこう伝えています。町を通る際、人目をはばからず、柿や栗、瓜をがぶりと食べ、町中で立ったまま餅を頬張り、人に寄りかかったり、肩にぶら下がるような歩き方しかしない。
10:50とっぴな行動が多く、奇抜な身なりであった信長は、いつしか大宇助と呼ばれるようになりました。さまざまな資料から、信長の人物像を研究する金子さんは、宇助の印象が広まった理由を、こう考えています。
11:16誰しもが若い頃の若気の至りで、いろんなことをやって、年取ってから後悔するみたいなと同じことだと思うんですけれども、それを信長に対して、周りの人たちが、うつけっていうレッテルを張ってしまって、信長の行動を一つ一つに、うつけのやることだっていうふうにも、
11:32みなしてしまってた結果なんじゃないかなと、私自身は考えています。一方、弟の信勝は、礼儀正しく、母や家臣たちからも愛される人物でした。
11:57対照的な信長と信勝を前に、父信秀は、正式な後継ぎを決めかねていました。日本中世史を専門とする五座さんは、織田家の家徳継承問題について、こう話します。信秀の後継者、家徳を継いだのは、信長っていうふうにも考えられてきたんですけど、
12:18最近の研究で、信長一人というより、信長と弟信勝との分割相続みたいな感じになったっぽい。信長は、幼い頃に、信秀の本居であった名古屋城を譲られます。
12:47一方の信勝は、十代半ばから、信秀の新たな居場である末森城で家臣団をまとめ、両国経営にも関わるようになります。信秀も末森城、信勝も末森城で、同じ城にいますから、信秀は信勝が可愛くて、信勝に頼りになる獣神たちを集めたのかなっていう感じがするんですよね。
13:14信秀が信勝につけた獣神の一人が、信勝より14歳上の柴田勝家でした。後に、織田家の筆頭家老となる柴田勝家は、一説によると、1522年に終わりで生まれ、信秀に仕えて、早くから頭角を現したと考えられています。
13:30勝家が後に本拠とした越前福井で、その実像を探求する後藤さんは、若き日の勝家について、こう話します。
13:45自分一代で自分の武功で上がってきた人だっていうふうに見れる。そうなると、自分をそこまで引っ張り上げてくれた父親である信秀に対しては、忠義心の塊という形になったと思います。
14:05一方、信長には、祝老林秀貞のほか、庭長秀、池田恒之、前田利家ら、行動力のある若い家臣たちが従いました。信長が16歳になった頃、信秀は、
14:23三野の斎藤道さんと和義を結び、道さんの娘、能姫を信長の性質に迎えます。ところが、その3年後、信秀は、正式な後継ぎを決めないまま、病死しました。
14:39信秀って、晩年はかなり病気で苦しんでたっぽくてですね、結局後継者をきちんと決められなかったのかなという感じがいたしますね。渦中は2つに割れていきます。
15:04小田家中が混乱する中、晩生寺で信秀の葬儀が行われました。
15:21信勝らが清掃で参列する中、乱れた紙で足しと脇刺しを締め縄で巻き、袴も履かずに現れた信長は、真っ向を和紙づかみにし、位牌に投げつけたと伝えられています。
15:27住職の大藤さんは信長の振る舞いについてこう話します。
15:45信長にとってはまだ準備が整ってない時代に、信秀は打開をしたんだと思います。そういった思いであったりですね、いろんな辛さを位牌にぶつけてしまったんじゃないかなというふうに思いますけど。
16:07信長一人が家徳ではなくて、なんか信勝も家徳みたいな、そのなんか訳のわからない分割相続に対して信長すごく不満で、それに対する怒りとして投げたんではないかっていうんですよね。この事件で、まあますますやっぱり信勝がふさわしいっていうふうにはなっただろうなと思いますけどね。
16:28信長様に家を任すことはできぬ。気候が目立つ信長が当主となれば、これまでの外交政策に支障をきたしかねない。貧困法制で周りの意見にも耳を傾ける信勝こそ、誕生の条件を積むべきだ。
16:45多くの家臣たちがそう考えるようになりました。さらに、最近の研究では。やっぱり信長の方針というのが、非常に危なっかしいっていうところはあったと思います。
17:09最近の研究で言われてるんですけど、信長っていうのは、今川と積極的に戦うみたいな方針を取った。もともと信英は今川氏と敵対していましたが、晩年は友好関係を築くという方針に傾いていました。
17:28ところが信長はそれに強く反発していたのです勝家をはじめとする重臣たちはそんな信長を危険視したのです
17:58勝家は信勝周辺の家臣団と同じ考え方のもと、平和路線で行こうとしたのではないかなと思います。そうなると戦おうとする信長っていうのはふさわしいのか、ふさわしくないのではないか。そこから信勝を担ぎ出す動きに変わっていって、壇中の条件が2つに信長派と信勝派に分かれていったのではないかと見ています。
18:23信長が幼い頃から信長を支えてたような家老とかも、信勝方に寝返っちゃってるっていう状況はあったみたいですよね。家臣たちの意見をよく聞いてくれて、担ぎやすいということですよね。そんな中、信長を必死に守ろうとした重臣の一人が、信秀の代から仕える平瀬正秀でした。
18:34このままでは、織田家が割れる。そう考えた正秀は、何度も信長に意見しました。
18:53しかし、一向に聞き入れられず、自ら命を絶つことで信長を諌めようとしたとも言われています。家臣団の多くが信勝を支持する中、信長に追い風が吹きます。
19:17正秀が亡くなった1553年、信長が宗都の斉藤道さんと、水戸尾張の境にある聖徳寺で初めて面会した時のことです。信長はいつものように奇抜な服装で寺に向かい、隠れて見ていた道さんを呆れさせますが、
19:33対面の場には一点、清掃で現れ、礼節を尽くしました。打つけというレッテル、それは違うんだ、それがレッテル張りだということを確認したんじゃないかなと思いますね。
20:01無茶苦茶な奇抜な格好から清掃に早変わりしたというところが注目されがちですけど、信長の行列というのが、鉄砲とか長槍とかを備えたすごい行列だということに、道さんが驚いたということも一方で書いてあるんですよね。道さんはこの日、最新の武器を揃えた信長の行列を目にし、この同盟は強化すべきだと確信しました。
20:24斉藤堂さんという強力な後ろ盾を得た信長は今川氏への対決姿勢を鮮明にすると同時に自らの家徳継承を主張します信長と信和家徳を巡るコス肉の争いは激しさを増し加水家もその渦に巻き込まれていきます
20:52ここまでキャラクターの違いがはっきりした兄弟というのも、戦国時代で珍しいような気もしてきますよね。珍しいですね。
21:00非常に勢力が強くなってきている時代、小田家の家臣団たちは大国の今川家に戦いを挑む必要はないと思っていた。
21:29攻めっていう姿勢よりは守っていきたいというようなそういう姿勢だったわけですね。
21:39信勝は最初からお兄さんの信長を敵対ししていたのか、それとも周りにそそのかされてそういうふうに思うようになったのか、どちらだと思いますか。
21:47ここで歴史作家ならではの視点で歴史の裏側を考察する伊藤潤の見解ポイント。
21:55私は信勝は信勝なりに終わりの国に平穏をもたらそうというふうに思っていたと思います。
22:06自分が立たねばならない。つまり今川氏と争ってもみなが比叡するだけだから、今川氏と友好関係を結ぶということが、終わりの国にとって一番有効なんではないかなと思ったんですね。
22:10また敵対しとかライバルしもそれほどなかったと思うんですよね。
22:15ですからやはり歴史というのは常に勝者が正しいとは限らないんですよ。
22:30この場合は信長が正しいから正しくない信勝が滅んだというわけではなくて、当時の情勢を虚心単解に考えるとですね、信勝の考えのほうが理にかなっているんじゃないかと私は思うんですよね。
22:38なるほど。たまたまその後信勝が負けてしまったけれども、考え方としては信勝のほうが正しかったんじゃないかということですね。
22:39はい。私はそう思いますね。
22:51そうですか。信勝にとって有利な状況が続いていたとは思うんですけれども、その中でやはり信長にとって追い風になったのが、斉藤道さんの後ろ盾を得られたことですよね。
22:56道さんはなぜあのタイミングで信長を支持しようと思ったと思いますか。
23:08これはですね、今川氏の勢力が非常に大きくなってきていると、それが尾張の国に及べば、つまり尾張の国を今川氏が平等してしまえばですね、次の標的って道さんの美濃の国じゃないですか。
23:24ああ、こっちに来るぞと。来るぞということですよね。で、信長が反今川の旗を掲げているかぎり、防波堤の役割を果たしてくれますよね。あくまで信長の外交姿勢が美濃の国と斉藤家にプラスだったから同盟を結んだというふうに考えられると思いますね。
23:40現状を維持するのかそれとも現状を打破するのかそれによって立つべきリーダーが変わります。まずは現状をどれだけ正しく理解できるかが重要かもしれませんね。
24:34その翌年信長が主下である清洲織田家と一戦を交えます。現在の名古屋市北区が戦場となった中市場合戦です。この時勝家は信勝の命を受け壇上の上家の一員として出陣しました。
25:15頼みの道さんが息子吉達との戦いで打ち死にしたのです。
25:18助けに行ったんだけど間に合わなかった。
25:27ずっと父親代から使えていた過労給たちは自分たちの既得権益もあるわけですよ。
25:50その中で自分たちを守ろうと思ったら戦いを避けて平和路線で行く勝家もそれを理解した斉藤堂さんが亡くなって自分たちはどう獄のかという選択肢をつけつけられた時から信勝を中心に信勝につけられた家臣団たちが対信長という意識を持ち始めたのではないかと思うんです。
25:54ついに兄弟が激突します。
26:09長年信長についていた重心林秀貞が信勝側に寝返り反信長の動きが一気に加速します。
26:24これを機に信勝は信長の領地に大官を派遣し年貢の取り立てを図りました。
26:28っていう宣言だと思いますね。
26:36兄弟は一触即発の状況となります。
26:49反信長派は信勝を担ぎ決戦に向けて動き出します。
27:02今川氏と関係の深い勢力を味方につけ戦力の増強を図ったのです。
27:12結果700足らずの信長軍に対し信勝軍は1700もの兵を集めることができました。
27:22こうして信勝が優位の中、兄弟の合戦、技能の戦いが幕を開けます。
27:33序盤は戦上手の勝家がさっさ成政の兄を打ち取る活躍で信長の本陣に迫ります。
27:46ところが森義成らの反撃に苦しみ、さらに信長に大声で威嚇されて一気にたじろぎました。
27:55勝家の支持系統で動いていた家臣たちは信長に従って離散したんですよね。
28:06その時に信秀の恩をもらった男重の上家の家臣団は信長に逆らえないという事実を勝家は目の当たりに見たはずです。
28:27そもそも少数の信長の方から積極的に攻めているので、信勝側からするとびっくりしたっていうところはあるんじゃないかなと思いますね。さらに信勝軍が驚いたのは信長が自ら陣頭式を取ったことでした。
28:33信長後期によればその敵の大将である林美正香の神の首を信長が自ら取っている。
28:46総大将が最前線に行って敵の大将の首を取るということは戦国時代でもほとんどない事例だと思いますので、これはかなり珍しいことだと思いますね。
28:59信長の家臣が一人左手手を切られたんですね奴を殺させるなっていうことで信長が我が家臣を助けにあの美正香の神を自分の手で自ら討ち取るんです。
29:23主力部隊を崩された信勝軍は敗走を余儀なくされます安全な後方にいた信勝と最前線にまで出て大きな声で味方をこぶし敵の大将の首まで取るっていうリーダーのやっぱ覚悟の違いが勝敗を分けた。
29:42常識にとらわれず少数でも勝ちを信じて突き進む信長の胆力その姿に勝家はようやく悟ります信長様は織田を守るだけの器ではない織田を前に進める男だ。
29:52家臣を思う信長の行動とそのカリスマ性と最前線に出ていく強さというのを勝家はここで目の当たりにするわけです。
30:00信長のそのやり方がこれでまぁある意味確立したのかなって気はするんですよね。
30:12自分で判断してリーダーシップを発揮してまあ家臣たちを導いていくというタイプのトップダウン型のカリスマ的リーダーなんですよね。
30:19そのカリスマ性がはっきり出たのがやっぱり異能の戦いだと思うんですよね。
30:39敗れた信勝は末森城に籠城します。その後信長軍に攻め寄せられるも母土田御前の取りなしで辛くも除名され、勝井らと共に清洲城の信長に強巡を誓いました。
31:03ところが内紛はこれでは収まりませんでした。1558年、反逆者を許す信長を手ぬるい大将と見け出した反信長派は再び立ち上がろうとします。
31:17信勝はそれに乗りまたもや無本を企てます。斉藤義立だとか岩倉尾田氏とかに言われてその気になっちゃったんじゃないですかね。
31:33この動きを知った勝家は信勝の側近たちに無本の無謀さを説いて反対しました。勝家は信長の強さを知ってるからこそこれ以上戦ってはいけないことを知っている。
31:51だけれども戦場に出てこなかった信勝好きの過労収がそれを理解できてない。うつけのままの認識で終わってる。信勝を担ぎたい、既得権益を守りたい、子さんの過労収から勝家はどんどんどんどんどん浮いていってしまったんだと思います。
32:17信長に従うべきと主張する勝家は信勝好きの家臣たちの中で孤立していきます。祝儀の忠誠より重んじるべきは家が栄えることなり。勝家は団長の思いで信長に信勝の無本計画を密告しました。
32:39信勝がいる限り、壇上の状況はまとまらない。信長は病を装い、信勝を清洲城に誘い出します。そして見舞いに訪れた信勝を中殺しました。
32:57家中をまとめるために信勝粛清に踏み切った小田家家中の敗北です。勝家は信秀にその才覚を認められて信勝につけられているわけです。
33:15だからこそ信長と信勝が共に壇中の情景を盛り立てていけるように勝家は働きかけたかったと思います。信勝の死後、勝家は信長直属の家臣となります。
33:33信長ってやっぱり欲も悪くも能力主義なので、勝家が優れた武将だと思ってるから使おうってことなんだと思うんですね。勝家は12歳下の新たな仕君に絶対の忠誠を誓いました。
33:46この身織田のために2つに割れていた壇上の条件は信勝の死で一つになり5割統一を目指していきます
34:05柴田勝家は非常に冷静に小田家信長と信勝を見ていたんだなというのを感じたんですけれども勝家の存在があったからこそその後小田家というのは信長のもとで団結することができたともいえますよね。
34:29勝家という重大騒音の家臣が中心にいたが故に後から新参門の橋場秀吉明智光秀が入ってきても小田家の家臣団というのは揺るがなかったということは言えると思うんですよね。そうですね。信長は異能の戦いの後、弟と柴田勝家のことは許しているじゃないですか。ここの信長の親中というのはどんなものだったと思いますか。
34:54まず信勝を許したのは信長の親領縁謀があったと思うんですよね。敗れたとはいえですね信勝の尋問した家臣も多いというのはこれ事実じゃないですか。ですから信勝がいれば家中が収まるならそれを利用するというのはですね当然のことですよね。でも一方柴田勝家についてはですね殺す理由はないんですよね。感情的な部分で腹が立っている部分はあったかもしれないですけど
35:16あの柴田勝家はしっかり壇上の条件に忠誠を尽くし信秀から指名された信勝に忠誠を尽くしたわけですから筋が通ってますよね。そうですね。勝家を殺す理由はないわけですよね。ただ信勝のその謀反というのを密告するときは勝家としてはどうでしょう。結構悩んだんじゃないかなとも思うんですけれども。
35:44異能の戦いで信長が勝ちますよね。信勝は信長に詫びを入れて着流の座を信長に明け渡すことで命を救われるわけですよね。その後信勝が無本を働くことというのは筋違いですよね。勝家にとってはそんな筋違いなことをやられてしまっては困るということで信長についたのは非常に理にかなっていると思うんです。信長が当初になったことで織田家というのはどんどん成長していくわけですけれども
36:11これ仮に信勝が当主だった場合ですね。織田家はどれくらい持ったと思いますか。基本的にこの信勝というのは人望と人徳を兼ね備えた武将だったと思うんですよね。非常に穏やかな性格だったらしくやはり今勝との間も良好な関係を築いていきたいということがあったらしいんですよね。ですから可能性として最大でも終わり身の両国にまたがる戦国大名に成長していった可能性はあると思うんですよね。
36:21ということは信勝にもそれなりの武将としての才能はあったと私はあったと思いますよそうしなければ人がこれだけついてこないわけですからそうですね
36:37自分の尊徳や価値観だけで物事を判断するとどうしても偏りが出てしまいますリーダーを選ぶ際には先の先まで見据えて偏見なく選びましょうね
36:55小田家の未来を背負ってリーダーとなった信長とそれを支えた勝家は天下不武への道を歩み始めます。こちらをご覧ください。
37:081560年終わり統一を目指していた信長は桶狭間の戦いで駿河の大大名今川義元を討ち取り一躍名を挙げました。
37:35旧信勝派の家臣たちが恐れていた今川家に勝利した信長は勢いに乗って尾張と美濃を平定しました。当時の勝家に目立った武功はありません。実はこの頃信長は信勝の幼い嫡男信住の養育を勝家に任せていました。
38:01本当は実の弟である自分を支えてくれるはずの信勝を信長は死なせたくなかった。本当は勝家も自分が仕えている信勝を死なせたくはなかった。信勝を死なせなければ男重の条件が一つにまとまらないから命を奪うしかなかった悲しみをここで信長と勝家は共有してるんですよ。
38:20絶対に信長を裏切らない人物に育てるというのは信勝を死なせてしまったという悲しみの上にあると思います。勝家の訓導を受けて育った信住は後に信長の側近として頭角を表しました。
38:30そして1568年の上落戦を境に勝家の活躍の場は一気に広がりました。
38:45常に自ら先陣を斬り、遺産で戦場を駆け回る姿はかかれしばたと呼ばれ、織田軍の猛将として一目置かれる存在となったのです。
39:04実力さえあればどんどんのし上がれるんだっていう点では信長も勝家も同じ考えなので信長は勝家の実力を認め、勝家も信長の実力を認めた結果深い絆が生まれたってことだと思いますね。
39:281575年、勝家は信長に任せられた大仕事越前一行一揆の平定を成し遂げると北の少女を与えられ、織田家の筆頭過労に上り詰めました。勝家は明日共に信長の右腕となったのです。
39:40弟信勝を死なせたことで織田家は信長のもとで一つになり天下夫婦の道を猛スピードでまい進していきます。
40:03まあこの戦国時代において身内っていうのは結構難しいものなのかなと思いますよね味方になってくれたらこれほど心強いものはないですけれども敵に回ってしまった時のややこしさといいますか何かそういうものをすごく感じさせる戦いだったなと思いますね。
40:24そうですね。兄弟の間のそういった着流の争奪センターとか感情的な長たがいということ以上にやはりそれぞれ過信団で誰が着流になるかでメリットがある人物がたくさんいるわけですよ。そうした人たちの利害というのが対立することによってことがこんだけ大きくなっていくわけなんですよね。
40:52そうですね。これあの勝家が育ってた信勝の息子ですよね。この人はその後どうなったんですか。はい。この信住という人なんですけどこれは小田市の祖先にゆかりのある津田生というのを名乗らせるんですよね。かなり優遇してるんですよね。越前一戸一騎の政抜戦で一手の大将を務めて大きな功績を上げるとか、丹波で苦戦する明智光秀の援軍として派遣されるとかですね。
41:18信住のことを大阪の司令官とまで呼んでるんですよね。筋が通っているとは言うもんの、信勝を裏切る形になったということはですね、勝家にとってトラウマだったと思うんですよね。それに報いるように信住の養育に力を注いだということは言えると思うんですよね。その後小田家の天下を脅かす秀吉と静岡家の戦いを演じるわけなんですけど、そこで勝家は敗れ去ってしまったということになるわけですが、
41:38自分の説を貫いた、つまり織田壇上の条件に忠説を尽くしきった生涯に悔いはなかったんじゃないかなというふうに思うんですよね。一本筋の通った織田家の家臣だったわけですね。こうして見ていくと、信長が上落後、すごいスピードで天下に大手をかけることができた。
42:00あのスピード感というのも、終わりの統一とか身の攻略までの、あるいは内輪揉みみたいなところ、あそこを乗り越えたというところが大きかったのかもしれないですね。終わり国内の内交の時代、その時にいろいろ培った外交軍事、経済、そういったものが信長の第一の資産になっていたのは間違いないですよね。
42:23しかも信秀や斉藤道さんといった抑止から学べることも多かったということで、そういったことが大きな地震につながり、天下不武の道を歩み始めたんではないかなと思いますね。さあ、改めて織田家の内紛から私たちが学ぶべき人生の教訓をお願いします。矢表に立たないトップは駆逐されるですね。
42:53中市場の戦いもそうですけど、井上の戦いで信勝は最前線まで出陣せずですね、安全地帯から敷き取ってましたよね。ここいろんな事情があるとは思うんですけど、結局そういう形になってしまった。つまり、敷居を担いで何、委託していたわけですよね。これではですね、兵力的に勝っていても、勝てる行くさんも勝てないわけですよね。これ、現代社会でもこうしたケースって多いんですよね。政治家、経営者、管理職はですね、人頭指揮を取らないと社員はついてこない。
43:22つまり、率先推翻こそ、組織を動かす原動力になるということですよね。しかし、現実を考えてみると、外野から文句をつけるだけで、自らの手を汚さない人も多いんですよね。私もそういった人たち、何人も見てきたんですけど、結果がうまくいかなかった時に、ああ、俺はこうなると思ってたんだよね、みたいなことを平気で言うんですよ。つまり、結果論で語るわけですよね。ですから、もし、井上の戦いで信勝が人頭指揮を取っていたら、兵力的にまさに信勝型の勝利に終わった可能性は高いと思うんですよね。
43:46何事もそうですが、自ら先頭に立って働きに働く。そうすれば、結果は自らついてくると思います。現場を知らず、リスクも嫌うリーダーには、誰もついていきません。トップが自ら先頭に立ち、覚悟を見せることで、組織は強くなっていくんですよ。
44:06これぞ、織田家の内紛から学ぶ教訓です。これまで私、信長の弟の信勝にそこまで注目したことがなかったんですけど、もし信勝と信長がうまく手を取り合えていたら、
44:29もっと違う未来があったんじゃないだろうかという、その可能性も今日見えてきました。織田家の場合というか、信長の場合、戦いが繰り広げられていく過程で、自分の身内がみんな死んでいっちゃうわけですよね。信長亡家とのキオス会議って、4人の宿路って全部他人がやるじゃないですか。普通だったら、1人ぐらいは身内が入っているのがおかしいですよね。
44:57結局そういう形で身内がいなくなってしまった。つまり一門宗とか電子宗がいなくなってしまったことによって、織田家の天下というのは全く秀吉に乗っ取られてしまうという形になったわけですね。そういう点でやはり兄弟というのは非常に重要な鍵を握っているんだなというのを今回痛感しましたね。そうですね。伊藤さん、今日もありがとうございました。ありがとうございました。偉人、敗北からの教訓。それではまた次回お会いしましょう。
45:01ありがとうございました。
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