00:00This is from宮城県仙台市から中継.
00:06山崎さん、羽生結弦さん。
00:14私は宮城県仙台市にあるスケートリンクアイスリンク仙台に来ています。
00:28今日はエブリィのスペシャルメッセンジャー羽生結弦さんとともにお伝えしていきます。羽生さんはこちら仙台市のご出身で、15年前にこちらのリンクで震災を経験されたんです。
00:41実際にこのリンクの中央あたりで練習をしていて、すごく揺れ始めて壁が崩れていたりとか、本当に怖い思いをしました。
00:45やはりその時の記憶というのは鮮明に残っているんですね。
00:53羽生さんは毎年3月11日に鎮魂の思いを込めてとあるプログラムをされてきました。
00:58この後、このニュースエブリィの中でお伝えしていきます。
01:05東日本大震災から15年、各地の様子をお伝えしています。続いては宮城です。
01:12ここからはニュースエブリィ、スペシャルメッセンジャーの羽生結弦さんとともにお伝えしていきます。
01:23宮城県仙台市のスケートリンクから羽生結弦さんとお伝えしています。
01:28震災と向き合い続ける中で様々な経験をしました。
01:33震災から15年、今の私が伝えたい思いです。
01:4015年前のあの日も雪でした。
01:45避難するときちょうどこういう感じで雪がバーって降ってて。
01:53懐かしいですね。
01:58いやぁ、思い出しますね。
02:03宮城県仙台市。
02:09この学校は羽生さんが震災の日、家族と避難した場所です。
02:16救水車とかが体育館の手前まで、今の鉄棒あたりですかね、まで来てくれたりとか。
02:23当時16歳。15年前に見た光景。
02:27救水車に大勢の人々が並んでいました。
02:33家族と避難した体育館。
02:39僕らはここです。
02:42ここです。
02:46羽生家いたところここですね。
02:48寝てたんですよ、こうやって。
02:51こうやって寝てて、こうやって撮ったんです。
02:57羽生さんが撮影した写真。
03:03当時ここには、およそ450人が避難していました。
03:08あの日から、この写真をずっと持ち歩いていたといいます。
03:15忘れてはいけない光景だなって思いながら、はい、過ごしています。
03:3215年前の今日。2011年3月11日、東日本大震災。
03:37羽生さんは仙台市内のスケートリンクで震災に遭いました。
03:43こちらは震災から10ヶ月後に取材した映像。
03:46当時、世界ジュニアチャンピオン。
03:50すでに将来を期待されていた羽生さん。
03:57震災の記憶はまだ生々しく残っていました。
04:07本当にまた電気が復活するとか、本当にまた同じようにみんな住めるのかなっていう。
04:11不安でした。はい、本当不安でした。
04:19ナイフラインの途絶えた中、夜は自家発電のわずかな明かりだけ。
04:27物資も不足し、炊き出しは1日2食だったといいます。
04:35そのおにぎり粉とか、そういうものを先生方が、
04:39騙さげながら渡してくださったのを覚えています。
04:51スケートについては。
04:55やっぱりスケートやりたいなっていう思いはありましたし。
05:01だけど、それを口から出せるか、自分の口から出せるかっていったら、
05:03絶対出せなかったし。
05:08仙台市内のリンクも被災し、閉鎖。
05:11練習拠点も失いました。
05:20こうした中、羽生さんは仙台を離れ、 別の場所で練習を再開することができました。
05:29日本各地のリンクで練習に打ち込みました。
05:39しかし。
05:47本当に申し訳ないなって思いました。自分のスケートのために、
05:53自分だけが逃れていて、 本当にいいのかなっていうような感じでした。
06:11夜になると、避難所で撮ったあの写真を見ていたといいます。だからこそ、震災から3年後のソチオリンピック。
06:37金メダルを取った直後も。復興に直接手助けになるわけではないので、あの、すごい、すごい無力感というか、何もできてないんだなっていう感じもちょっとします。口にしたのは、無力感という言葉。
07:02その4ヶ月後、羽生さんは宮城県石巻市へ。一人一人、すごい丁寧にメッセージ書いて、待ってて。オリンピックの前、石巻の中学校から、応援の寄せ書きをもらっていたのです。
07:28震災後、初めて訪問した津波の被災地。地元の人に声をかけられました。笑顔で話す男性。その後、明かしたのは。
07:44うちも何も、うちでは、女房から、牛から、犬から、小屋から、プレハムから、全部みんな流せ、何もねえんだ。不意に突きつけられた、津波被害の現実。
08:11辛い。辛い。辛い。辛い。辛い。ここまで来れないと、それだけの苦労があった。きつい。辛い。辛い。その後、中学校を訪ねました。津波で大きな被害を受け、生徒ら4人が犠牲になりました。不安な気持ちで向かうと。
08:23イエーイ!迎えてくれたのは、生徒たちの完成。リクエストに応えて、便宜のポーズ。イエーイ
08:39!そういうことでしたね。無力だと思っていた金メダルには、人々を笑顔にする力がありました。
09:01こんなにも自分の演技で、自分の結果で元気になってくれる方がいるっていうのを知れたので、またいい結果を持って来れるようにしたいなって思いました。自分には役割がある。強い決意が生まれました。
09:20大きな地震が起きて、それでも生き残っているっていう使命が絶対あるはずだから。動くがすべきことっていうのは、やっぱりこの現状を伝えていって、みんなに知ってもらうことが一番大切だと思うので。
09:37被災地の思いを伝えていく。福島の仮設住宅を訪問。東京電力福島第一原発の事故で避難していた人々も、帰れなくなったふるさとへの思い。
10:04私たちも4年間このふるさとを追われてて。ふるさとって、ごめんなさい。母のね、地球の中にいる。養成の中にいるほど安心できるようなものだなっていう。その後、東北に加えて日本各地で被災した方々を取材。思いを伝えてきました。
10:36熊本県の豪雨災害では、避難の大切さを聞きました。2年前には、地震で大きな被害を受けた石川県輪島市へ。全焼した輪島朝市。こんなにつらいことはないね。うーん、つる。
10:55そして、東日本大震災から15年。羽生さんは毎年、3月11日に、鎮魂の思いを込め、演技をしています。今、伝えたい思いとは。
11:23震災が起きて、この世界が変わってしまったことに対して、受け入れられなかったり、その世界をただ呆然と歩いていたり、天に昇ってしまうような魂に対して手を伸ばして、でもやっぱり行ってしまって絶望して、でもその先にきっと希望があると思って、その希望の光を目指しながら祈りを捧げる。
11:40羽生さん、2011年の8歳から被災地の取材、人々との交流、オリンピックの優勝、本当に様々なご経験があったと思いますが、この15年というのをどのように振り返られますか。
11:58そうですね。振り返ってみると、やはりいろんなことがあったなとは思います。ただ、15年という数字を聞くと、こんなにも経ってしまったんだなという気持ちもありますし、何か複雑な思いですね。
12:17早いような、ゆっくりなような、濃かったような、あっという間のような、そんな15年だったと思います。さまざまな感情が入り混じる感情だと思いますが、そうした15年の思いも含めて、羽生さんは毎年3月11日にあるプログラムを披露されているんですよね。
12:45はい。自分で、もう本当に自己満足かもしれないんですけれども、いつも鎮魂の思いを込めて演技をしています。先ほど震災による絶望、ただその先にきっと希望がある、その希望の光を目指して祈りを捧げるといった思いもありました。その演技を先ほど午後2時46分を迎える直前にこのリンクで披露していただきました。羽生譲さんの天と地のレクイエムです。
13:17羽生譲さんの天と地のレクイエムです。
13:47羽生譲さんの天と地のレクイエムです。
14:16羽生譲さんの天と地のレクイエムです。羽生譲さんの天と地のレクイエムです。
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