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偉人・敗北からの教訓 第132回「今川氏真・信玄と家康に屈した駿河の大名」 - 2026年03月21日

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00:05偶然の勝利はあれども、敗北はすべて必然。
00:11日本の歴史を彩った偉人たちは、いかにして敗れていったのか。
00:15その裏にはどんな原因と過ちがあったのか。
00:22今回は戦国大名の名門、今川家を滅亡させた、
00:26今川氏真の敗北を紐解きます。
00:33街道一の弓取りといわれた父吉本が桶狭間でまさかの戦死。
00:43早々たるライバルたちに囲まれ父の死後わずか10年で所領を失った氏真の過ちとは。
00:49敗れし者たちの失敗から学ぶ人生哲学。
01:23歴史上には英雄と呼ばれる人物はたくさんいますけれども、
01:28その裏にも必ず引き立て役のような人もいるじゃないですか。
01:33この番組を担当させていただいて、そういう人物こそ結構面白かったり、
01:35意外な一面があるなというのを感じるんですよね。
01:41引き立て役っていうのは他の人が目立つように背後に回って引き立てる、
01:43そういう役割を果たす人のことを言うんですけど、
01:48歴史上の人物では時には引き立て役の方が目立ってしまう人もいるんですよね。
01:53さあこの人も戦国時代の引き立て役と呼べるでしょう。
01:57今回は戦国大名今川家の最後の当主、
02:01今川氏真の敗北を紐解きたいと思います。
02:06まあ氏真といえばけまりというイメージが強いですね。
02:07まあけまりなどの趣味に夢中になって、
02:11最終的には今川家を滅亡させてしまった、
02:15ちょっとこうお坊ちゃん大名みたいなイメージもありますけれども、
02:17実際はどんな人物だったんでしょう。
02:19まあね、宇治真っていうとけまりが有名で、
02:22かなりの名手だったらしいんで、
02:26今で言えばね、日本のナショナルチームですよね。
02:27そのくらいの。
02:28サッカー選手。
02:32まあね、今川氏っていうのはこの吉本と宇治真の2代にわたって、
02:35信長とか家康の引き立て役になってるんですよね。
02:36ああ、お父さんもそうですね。
02:38そうなんです。
02:40吉本はね、沖狭間の戦いで信長の引き立て役と。
02:42で、宇治真の方は、
02:47駿河東部に広がる広大な領国を失ってしまったと。
02:56その原因は信玄と家康にあるんですけど、結果的にそういった有名な英雄たちのですね、引き立て役になってしまったということなんですよね。
03:03さあ今回はそんな今川氏実の敗北をひもときながら明日を生きるための教訓を探していきます。
03:08まずは今川氏実の人生を振り返ります。
03:24今川氏実は駿河東東部、三河を治める戦国大名、今川義元の着難として、1538年、駿府の今川館に生まれました。
03:36今川家は足利将軍家の一門で、宇治真も幼いころから英才教育を受け、高度な文化教養を身につけました。
03:52この頃の駿府には三河松平家を継ぐ少年、竹千代、後の徳川家康も暮らしており、主君筋の宇治真と深く交流していたといいます。
04:061554年、駿河の今川、貝野武田、相模の北条による高層寸三国同盟が結ばれ、
04:11宇治真は北条氏康の娘、早川殿を聖室に迎えます。
04:22この同盟で背後を固めた父吉本は、尾張の尾田家攻略に本腰を入れ始めました。
04:33宇治真は1558年に家徳を継承しますが、その2年後、予期せぬ出来事が起こります。
04:58大軍を率いて尾張に向かった父吉本が、桶狭間でまさかの戦死をしたのです。この事態に、当主の宇治真は大代わり安堵に追われて、父の仇討ちは愚か、尾田家を食い止める三河の家康に援軍すら出せません。
05:11やがて家康が今川家を見限って尾田家と結ぶと、周りの国衆も次々と離反し、宇治真は三河を失います。
05:28その後、三国同盟の一角、武田信玄が信長に接近し、今川家との関係が危うくなると、宇治真は武田家と対立する上杉氏との同盟交渉を進めます。
05:49これを機に武田軍と徳川軍が同時に今川陵へ侵攻し、宇治真は掛川城での同城戦の末に海上を余儀なくされ、戦国大名としての今川家は滅亡します。
06:15宇治真敗北の瞬間ですなぜ宇治真は父から受け継いだ広大な領土を全て失ったのか今回は名門今川家を滅亡させた今川宇治真の敗北をひもときますさあここで今川宇治真の人生の主な出来事を振り返っていきます。
06:38この今川家というのは当時の日本の中でも指折りの名門の家だったんですね。足利一門だったんですよね。この今川氏というのは鎌倉時代に初めて今川氏を名乗るわけなんですね。その時の子祖は国宇治という人で、その息子の元氏の時代は三河の国の三河村だけを所領とする地侍だったんですね。
06:50この元氏の五南のノリクニがですね家徳を継いでから発展していくんですけど、この時出家した四南を除いた四兄弟とともにですね、足利高氏に突き下がって転戦するわけなんですよ。
07:01ところが中仙台の乱という魔法上司が復帰をかけた戦いですね。長男次男三男が揃って討ち死にしたということで、このノリクニが着流になるんですよね。
07:25兄たちの子もあって、ノリクニはですね、高氏から尊海の国の守護職というのをもらえるわけですよね。ここから今川氏の流勢が始まるんですよ。今川家といえば、このお父さんの吉本も宇治真も文化人としてすごく優れていたというようなイメージもありますけど、当時の駿河自体も文化が発展していたということなんですか。
07:54応仁の乱で都が荒廃することによって、その戦火から逃れるために、都の工芸とか文化人、また僧侶などが駿河の国へ下校してくるんですよね。そこで彼らが歌会とか和歌の会ですね、あと茶の湯、古典や漢石の読書とか、そしてまた宇治真が得意とするけまり、こういった文化を駿河の国に伝えるんですよね。ですからいつの間にかこの駿河教風の工芸文化というのが根付いていったんですよね。
08:17そういう文化圏に育ったからこそ、宇治真のような人物が生まれたとも言えるわけですね。全くその通りです。名門、今川家の後継者として偉大な父が築いた勢力基盤を万弱な体制で受け継ぐはずだった宇治真。運命の歯車はいかにして狂ってしまったのか、こちらをご覧ください。
08:363カ国を失い、戦国大名を今川家を滅亡させた今川宇治真。江戸時代の書記に書かれた書物では、父を討たれた恨みを果たす素振りも見せない宇治真の弱腰。
08:53こびへつらう家臣を徴用して国を滅ぼした、などと厳しく批判されています。しかし、近年の研究により、その評価は見直されつつあります。
09:23ファンクンと呼ばれた宇治真の実像とは。今川家が拠点とした今川館は、最近の発掘調査で、現在の寸布城と同じ場所にあったことが明らかになっています。そこでは、大変珍しいものも見つかりました。はい、こちらが今川館の後から出土した金箔河原家です。
09:50使い捨ての食器として使われる河原家に金箔が貼られているということで、今川氏の豊かさが分かるものになっております。今で言えば紙コップに金箔を貼るようなもの。今川家はそれほど裕福だったようです。当時の今川家は、寸布の今川館を拠点に、
10:14駿河、東東に三河の三ヶ国を領有する指折りの戦国大名でした。しかも、足利将軍家の同族という政治的地位と、優れた文化共用により、貝の武田家や相模の北条家よりも優位なポジションにありました。
10:29そんな環境の中で、英才教育を受けて育った宇治真の16歳当時の姿が伺える資料があります。
10:45父、吉本が息子にしたためたと伝わる教訓状です。今川宇治真についての著書を持つ黒田さんに聞きました。
11:03教訓状がどこまで信用できるのかという問題はあるんですけれども、ただ、それでも当事者にしか分かり得ないような内容が書かれているので、元になるようなものはあったんだろうと思った上で言うと、
11:22勉強好きではないけれども、まあ、生き物には優しい人物。父からの教訓状には、こうあります。
11:48捨てられた子犬まで集めて、屋敷内での犬・鳥の声は耳もつぶれるほどである。開けても暮れても鳥を指図する他には、何の芸能のたしなみも見えない。宇治真は学問や武芸をおろそかにして、
12:17屋敷内に多くの犬や鶏を飼い、動物に指示を出して遊んでいたようです。そんな宇治真を、吉本は強く叱責しています。今の宇治真の覚悟では、国を治めることはできない。しかし、それは親としての優しさの証でした。教訓状みたいなのも書いて、
12:44ちゃんとやれよというふうに言っているわけですよね、わざわざ。1554年、宇治真は、北条宇治康の娘、早川殿を聖室に迎えます。これにより、鶴ヶの今川、貝の武田、相模の北条、それぞれの嫡男が、それぞれの娘を聖室に迎えて結びつくという、
12:49強固な三国同盟が成立しました。
13:12以来、吉本は、背後を気にせず、西に目を向けられるようになったのです。1558年、宇治真は21歳で、今川家の家徳を継ぎます。ただし、吉本は、全ての権力を譲ったわけではありません。
13:4010年ほどかけて、徐々に権限を異常させながら、一人前の党首に育らせていくつもりでした。宇治真には、主に鶴ヶ唐々美の統治と、九大家臣の統制を任せ、吉本自身は、三河の国衆を統制し、戦争外交関係を取りしきっていました。
14:10戦争と外交は、経験がものを言うため、その権力は、吉本が握り続けていたのです。だから、吉本としては、宇治真が、政治的に、さらに成長するまで、その部分を管轄して、宇治真に譲っていいタイミングになったら、譲るっていう、そういう考え方だったと思いますけどね。
14:38宇治真は、父に学びながら、名門今川家の当主として、県産を積んでいくはずでした。ところが、予期せぬことが起こります。ご視聴ありがとうございました。
15:03名門今川家に、予期せぬことが起こります。1560年、終わりの信仰勢力、織田信長との交渉を、納めに向かった吉本が、桶狭間で、まさかの討ち死にをしたのです。
15:14吉本亡き今23歳の宇治真に3カ国の当主としての重責がのしかかります。
15:31周りは武田信玄、北条宇治康、上杉謙信、織田信長、そして徳川家康、今川の命運が若き宇治真に託されました。
15:50今川家の着難に生まれたからには、向き不向き関係なく、武将としての教育がなされていて、そして重い責任も負わされることになる、ちょっと彼の心を考えると、少しかわいそうだなという気もしますよね。
16:17確かにね、やはり向き不向きというのはすごく大事なことで、戦国大名に向いている人と向いていない人というのは、もう歴然としているわけですよね。宇治山の場合、子犬を可愛がったりとか、鳥を可愛がったりとか、そういった一面があるわけで、戦って人を殺して勝ち抜いて、両国を増やしていくというような仕事というのは、向いていなかったのではないかなと思うんですよね。彼の心にすごいストレスを与えていたのではないかというふうに私は思いますね。
16:47今、桶狭間の戦いというのは、今川県にとって大きなタイミングポイントになったと思うんですけれども、これ、お父さんの吉本にとってどんな戦いだったんですか。これ、従来はこの余裕だよ、みたいな感じの戦いだったんですけど、ただ最近の研究、在地、鹿野方の研究ですとね、実際苦しい戦いだったのではないかという説もあるんですよね。これ、織田と今川両家の戦いというのは、小豆坂の戦い以来、今川方が常に有利に進めてきて、
17:07厚田神宮の南まで勢力下に降りたこともあったんですね。厚田神宮といえば、かなり尾張の内部に入り込んでますよね。それが信長に代替わりして、その活躍によってかなりお皿気味になってくるんですよ。沖原の戦いに直前に、今川方の共闘法として、尾張の国に残っていたのが、鳴海大鷹領城なんですよね。
17:25この2条を落とされると、今方はですね、尾張の国の所領を失うだけではなくて、遺産への道を閉ざされてしまうということで、そうなるともう攻撃とか、例えば鉄砲の炎症とかも入ってこなくなるわけですよね。そうすると、西三河まで失う危機に陥るということで、
17:47不利を承知で、わざわざ出かけて、なんとか事態を打開しようとした戦いだという、こういう説も出てきてるんです。恵まれた環境にあっても、ハプニングは突然襲ってくるほど、何が起きても冷静に対処できるようになるには、厳しい環境で揉まれる経験が必要ですね。
18:03偉大な父・吉本のまさかの戦死を境にこう総寸三国同盟のバランスが崩れ氏実の運命は激変しますそして名門今川家の滅亡に向けたカウントダウンが始まります
18:29駿府で父・吉本の戦死を知った23歳の氏実は大きな決断に迫られました父の仇討ちか、それとも国を固めるのが先か桶狭間での敗戦は吉本だけでなく多くの有力家臣も戦死し
18:55今川家にとっては大打撃となりました。そんな中で氏実はすぐさま尾張へ出馬する意向を示します。ところが実際はとても出陣できる状況にはありませんでした。大変わり安堵に追われていたのです。
19:15当時、国衆や渦中、自社勢力などとの始終契約は当主が個人で結んでいました。しかし、吉本の死で契約が白紙となったため、氏実がすべて新たに結び直す必要があったのです。
19:30さらにもう一つ大きな問題がありました。越後の上杉謙信が関東の北条の両国へ攻め込んできたのです。
19:41今川家は北条武田と軍事同盟を結んでおり、妻の実家である北条家に援軍を送る義務があります。
19:53宇治真は父の仇討ちを後回しにします。しかし、この選択が後に大きく響きます。
20:13三河岡崎城には、当時松平元康と名乗っていた徳川家康が入り、小田軍相手に小軍奮闘していました。しかし、どれだけ助けを求めても今川の援軍は来ません。
20:41当時の家康の心情について、歴史家の市橋さんはこう話します。なんで来ないんだろうっていう気持ちにはなってましたよね。その援軍とかそれに対しての何らかのリアクションもなかった。これだけのこういうことをやるからもうちょっと頑張ってくれとかね。なんかそういうリアクションが良かったんですけどね。このままでは信長に攻め滅ぼされる。
20:59家康は氏真の許可を得ずに織田家と和睦すると、一転して今川方の拠点に攻め込んできたのです。この行動を氏真は猛烈に批判します。
21:11岡崎躍進今川氏を研究する大石さんは氏真の心中をこう推察します。
21:20これは一番ショックが大きかったと思います吉本が沖狭間で亡くなった以上にショックだったんじゃないかなというふうに思います。
21:31父吉本が三河州のリーダーにと期待していた家康の利藩はまさに晴天の霹靂でした。
21:42これを皮切りに三河の国衆たちが次々と今川家を離れ反乱が三河全土に広がったのです。
21:55氏真は同族の足利将軍に家康との和睦の仲介を願い出ました。
22:01しかし家康は和睦に応じません。
22:09ついに氏真は自ら大軍を率いて家康領に攻め込みます。
22:17ところがあと一歩のところまで追い詰めながらも兵を引きます。
22:25またもや上杉謙信の攻撃を受けた北条氏に援軍を出さねばならなくなったのです。
22:31まだそこに運のなさですよね。
22:362ヶ月あれば家康克服させることできてたんじゃない。
22:39だからもうほんとラッキーですよ家康はね。
22:46なぜ藤真はそこまで三国同盟の維持に固執したのでしょうか。
22:50三国同盟というその縛りになるんだと思います。
22:56いつも東側に目を向けていないと武田北条という一族が
23:01自分をもしかしたら認めてくれないというのも含めてかもしれませんけれども
23:04自分の立場というようなものの
23:07証言欲求でもないんですけれども
23:10そういうようなものもあったのかもしれませんけどね。
23:12真言だとかあるいは北条であったとしても
23:16彼らが兵は出せないというふうに言って
23:17今川のところには兵出してないわけですから
23:19特に信玄なんかだ。
23:20今川もそうすればいいんですよね。
23:26今川家と違い武田や北条は
23:32宇治真からの援軍要請をしばしば後回しにしていました。
23:39吉本であれば互いに対等に気を使い合うけれども
23:40やっぱり宇治真が子供世代なんで
23:45どうしてもやっぱり苗頭にされるっていうところじゃないですかね。
23:53宇治真は信玄と宇治安に自分を認めさせたいという承認欲求と
24:00今川家が三国同盟の中心となってリードすべきという名門のプライドによって
24:06領内の問題を治めるより他系の援軍を優先したのです。
24:19三河への進軍か北条への援軍か天秤にかけて北条への援軍を選択してるんですけどそれがすべて裏目に出てるっていう。
24:26宇治真は家康による三河統一を許してしまいます。
24:31三河を捨ててまでも三国同盟を重視した宇治真。
24:51しかしその絆には陰りが見え始めていました三国同盟に先んじて結ばれた今川と武田の同盟は30年近く万弱でした。
25:00ところが藤真は信玄への不信感を少しずつ募らせていました。
25:05父吉本の織田家との戦いに援軍を出さなかった。
25:09家康との戦いにも援軍を出さなかった。
25:16さらには今川家の敵である織田家と急速に接近している。
25:24信玄の裏切りの噂は桶狭間の戦い直後から戦出していました。
25:33信玄が岩川との同盟を破棄しようとしている。
25:39この時手を差し伸べてきたのが上杉謙信です。
25:45謙信は宇治真に同盟を呼びかけます。
25:54謙信と手を結ぶことは信玄への裏切りであり三国同盟に違反することになります。
26:00それでも宇治真は謙信の誘いに乗りました。
26:07長年重視し続けてきた同盟を自分から破ったのです。
26:17最後まで信用できる状態になかったというのはあろうかと思います。
26:26桶山合戦が起きた段階で駿河国内で武田を悪く言う人たちがいたということを考えると、
26:43宇治真だけではなくて駿河国内におけるさまざまな人たちが信玄ってどこまで信用できるんだろうというような形になっていたんじゃないかなと思うんですね。
26:51信玄は今川との同盟を破る気ないので、そこを読み違えたってことじゃないですかね。
26:53宇治真としてはね。
27:00水面下で武田と手を切り、上杉と交渉を始めた宇治真。
27:05ところが先手を取ったのは信玄でした。
27:17宇治真の動きに気づいた信玄がすぐさま攻めてきました。
27:25テルトラとの同盟交渉を開始しちゃったのが、信玄に漏れてたっていうところがすごいですよ。
27:31だから多分、謙信が信長に言って信玄から信玄に情報が回っていったと思うんですけど。
27:33謙信はひどいやつですよ。
27:43最初のミソついたのは長尾影虎の関東侵攻で、関東に援軍行かなきゃいけなかったところから狂い始めたわけですから。
27:50最後までもうね、テルトラにいいように操られちゃったって感じですよね。
28:01信玄は宇治真の裏切りを知ると、急いで織田徳川と同盟を結び、駿河信仰に乗り出したのです。
28:06今川家両国は切り取り次第。
28:16信玄と家康による同時侵攻が始まると、今川家の重臣たちが続々と寝返り始めます。
28:22抵抗不可能となった宇治真は、駿河を脱出します。
28:30そして北条の援軍を頼りに、東東美の掛川城へと打ちのびました。
28:41掛川城を包囲したのは家康の軍勢です。
28:47家康は16もの神次郎を築き、波状攻撃を仕掛けます。
28:54宇治真は北条からの援軍とともに、牢状に徹します。
29:03家康側から和睦の使者がやってきました。
29:13その条件は、掛川城を開城後、東東美は家康の領国とする。
29:21しかしながら、駿河を武田から奪い返すことができれば、駿河は今川領国とする。
29:27藤真は決断を迫られました。
29:32このまま牢状を続ければどうなるか。
29:36やがて兵糧は尽き、滅亡だ。
29:42では家康と和睦して掛川城を出ればどうなる。
29:51この時点で北条の援軍が駿河の3分の2を武田から奪還していました。
29:55ほんのちょっとだけだったんですよ、武田が抑えてるのは。
29:58もう一息っていう。
30:02駿河を奪還できる可能性は大きい。
30:08だが、奪還できなければ今川は滅びる。
30:132ヶ月間悩み抜いた藤真が出した答え。
30:14それは…
30:27藤真は駿河復帰の可能性にかけて家康と和睦し、掛川城を開城しました。
30:37しかし、その目論みはあわと消えます。
30:40掛川城を出た藤真は、
30:45海路、伊豆と駿河の国境にある城に入り、
30:49北条軍と共に駿河奪還を目指します。
30:55しかし、武田信玄が再び駿河に進行すると、
31:03北条方はみるみるうちに領土を失い、駿河から完全に撤退します。
31:15その後、北条武田間で同盟が再締結され、北条が信玄の駿河領友を認めたことで、戦国大名としての今川家は滅びました。
31:23今川宇治真、経験不足の敗北です。
31:30なぜこんなにもあっけなく全ての領土を失ったのでしょうか。
31:36王石さんは、宇治真の甘さを指摘します。
31:49自分が三国同盟に忠実に動いていた以上、その三国同盟というようなものを守ってくれるのが普通だというふうに考えたんじゃないでしょうか。
31:52でも、攻めてこないというのを信じたいという。
31:57合戦、あるいは交渉とか、そういうようなものを経験している。
32:01その経験値というようなものが宇治真にはなさすぎた。
32:04それが一番大きな問題だと思います。
32:14足利一族の名門今川家のプリンスは父の死からわずか10年で全ての基盤を失ったのです。
32:34戦国時代の外交、同盟というのは本当に難しいですよね。すごく安心感を与えてくれるものでもありますけれども、誤解とか疑心暗鬼を生んでしまって、結局そこから破滅につながってしまうというケースもあるわけですね。
32:43内山は北条氏には援軍を出しても、家康への対応というのはちょっと後回しにしてたじゃないですか。これはなぜそういう判断になったと思いますか。
32:46家康との信頼関係というのは過信してたと思うんですよ。
32:51子供の頃から一緒に育ってますし、家康だったらなんとか防いでくれるんじゃないかと。
32:57北条氏に援軍を出した後、家康が防いでる間にまた自分がご詰めに行けばいいだろうというふうにね。
33:23ところが家康にしてみれば、このまま今川方として三河の国頑張っていると、織田家の攻撃を一心に受けなきゃならないですよね。で、多分ですね、これ援軍を宇治座に要請してるんですよ、家康は。ところが宇治座がそれに応えてこないということで、宇治座に対しての不信感というのが醸成されていくわけですよね。それで勝手に織田方と和睦にしてですね、その参加に入ると。で、今川方と敵でっていう、こういうですね、流れになってしまったんです。
33:50この氏実の考え方というか見通しっていうのはどうしても甘いなっていう気がするんですよね氏実がそこまで大切にしていたこの三国能明ですけれども信玄が外交方針を変えただけで一気に揺らいでしまったじゃないですか信玄は今川と上杉に挟み撃ちされることを一番警戒していたとは思うんですけれども氏実が自分が攻め込まれる前に攻め込んでいたら結果って変わっていたと思いますか?
33:59ここで歴史作家ならではの視点で歴史の裏側を考察する伊藤潤の見解ポイント。
34:06それはね、不可能なんです。なぜかっていうとですね、氏実が最も頼みとしていたのは北条氏なんですよね。
34:18もしそんなことをして氏実自ら三国同盟を破壊するようなことをしたらですね、北条氏は同盟違反行為として真偽に見かけたしますよね。
34:29うん特にあの漂流を嫌う氏康がいまだ補助権の主導権握ってる時ですからもう交渉の余地はないわけですよ。ですから氏実から攻め入るってことはできないわけですよね。
34:44相手に不信感を抱いたとしてもまずは相手方の事情を理解しましょう一方的に関係を断とうとすると逆に自分が追い込まれることになりかねませんよ。
35:00武田徳川の同時侵攻を受けて駿河を追われた今川氏実。その後、かつての敵に頭を下げてでも本拠地に復帰する夢は捨てませんでした。こちらをご覧ください。
35:30氏実はまだ駿河復帰を諦めていませんでした武田信玄が病没すると氏実は駿河復帰の夢を家康に託します今川家を裏切った家康と父義元を殺した信長に氏実は頭を丸めて降参し駿河への復帰を懇願したのです。
35:52切り替えたんですよねプライド高かったでしょうけどそれを一切捨てることができたってことですよね駿河を取り戻すためにこの氏実の着替えに対して信長は駿河を取り戻したら氏実に与えると約束しました
36:06信長による竹田攻めが始まると氏実は駿河攻略の最前線菅原城の城主を任されます。
36:12学芸員の萩原さんに案内してもらいました。
36:30目の前に見えるのが大井川となっています大井川を境にして向こう側が駿河の国ですね大井川を越えれば駿河の国に入れるということでここに立って景色を眺めていたんじゃないかなというふうに思います。
36:41氏実は大きな期待をもって駿河攻めの旗頭を務め丘陵奪還を目指しました。
36:55そして北条が織田徳川と結んだことで信長による竹田攻めは一気に進展し1582年竹田家は滅亡しました。
37:25その後駿河を与えられたのは家康でした信長は駿河攻略は家康の力であるとして氏実の功績を否定したのです信長は評価しなかったんですよねまあ家康も氏実を伴ってるので駿河の占領っていうのがたやすくできたわけですよ。
37:39領民とか旧心の犯行もなくすんなり行ったのは氏実がいるからってことなんですけど信長によってもう覆されちゃったっていうところで残念だったでしょうね。
37:44駿河を追われてから14年
37:50宇治真の丘陵復帰の夢は完全に絶たれました。
37:59この頃のものと考えられる宇治真の和歌が近年発見されました。
38:16そこには弓を構えて罪深い、罪をすすぐなど武士であることへの罪悪感がつづられていました。
38:22新たな人生として歩み出したいというような気持ちは見て取れるかなというふうに思います。
38:28宇治真は新たな道を歩み始めます。
38:35それは戦国大名とは別の形で加盟をつなぐ道でした。
38:42今川家の高い文化教養を徳川家のもとで生かす。
38:48宇治真は家康の政治顧問として徳川家を支え、
38:58宇治真の妹は若き秀忠の貢献役となって、主君としてのあるべき姿を教えさとしました。
39:04まあやっぱり代々の蓄積があるので、今川家は。
39:12そういう武家としての知識、徳川家の時代を養育するっていうんですかね、育てるっていう。
39:15そういう役割にシフトしたってことですよね。
39:21さらに宇治真の孫は後家今川家となり、
39:27儀礼を通じて徳川将軍の権威を高める役目を担いました。
39:35宇治真は徳川の基盤の中に、名門今川家の仮名を残したのです。
39:45宇治真は東京杉並区の観戦時に眠っています。
39:51とても人間味あふれる方だったんではないかなっていうふうに思います。
39:58あのお父様の敗北を受けて、すぐ今川氏を滅ぼしたダメな人というふうに言われて続けておりましたけども、
40:06生き残る道を取り、そして何よりも今川家を明治幕末まで存続することができたというところは、
40:14もういろんな意味で生き様というものは、私たち現在人に通じる教訓をもらえる方でいらっしゃるんじゃないかなと思います。
40:22クソ伝来の地を失った宇治真には何が足りなかったのでしょうか。
40:25やっぱり成り上がれないってことですよね。
40:29鶴ヶ彦さんみたいなのがないとね。
40:32信長とか秀吉とかもう嘘をつきまくってるじゃないですか。
40:34そういうことはしないよ。
40:43やっぱり気候子ですから。育ちがね、素直な性格をしてますよね。
40:52名門のプリンスでありながら、プライドを捨てて裏切り者と親の仇に頭を下げた思いとは。
40:58誰の前であれ、頭を下げてでもとりあえず生きる。
41:07しかもそれは足利という将軍の一つの血筋を一つ残していった。
41:17彼がいたから江戸時代幕末まですら残ったわけでして、それはすごく大きな問題だろうなというふうに思いますけどね。
41:22ある意味では勝利といえる敗北だったのかもしれません。
41:34戦国大名としての今川家滅亡してしまいましたけれども、なんか一人の人物としてはちゃんと尊重されていたような印象を受けるんですよね。
41:43ちゃんと家康の相談役になっていたり、あと宇治真の妹も秀忠の後見役になっていた。このエピソードも結構驚きました。
41:48近年黒田本木先生が発掘した今川宿関連の真理術というのがありましてね。
41:56これあの帝春二という宇治真の妹にして、かつて武田義信に突入でいたそういう女性がですね。
42:01二代将軍秀忠のですね、女性からを兼貢献役を果たしていたっていうんですよね。
42:05つまり彼女が秀忠の養育係だったんですよ。
42:17従来は家康は今川家の文化とか教育みたいなものを否定的に考えていたんではないかという、そういう説が起こしてたんですけど、こういった事実からするとですね、肯定的に捉えていたと思うんですよね。
42:22そうなると当然宇治真とも親密な関係を築けていたということが言えると思うんですよね。
42:30宇治真にとってどういう生き方が良かったかというと、まあおそらくあの家臣や領民への責任を捨てて自分の好きなことをして暮らす。
42:56そういう生き方が彼にあっていた。それを自分でも最後はわかったんですよね。そういう意味で今川氏の滅亡は宇治真にとって良かったということも言えるんではないか。確かに彼の性格を考えると、いや、むしろ藤真らしく人生を終えられたんじゃないかなという気がしますよね。さあ、改めて宇治真の敗北から私たちが学ぶべき人生の教訓をお願いします。
43:21自分の適性をよく見極めろですね。私が子供の頃はですね、戦国大名というのは誰でも天下取りを目指しているという前提でドラマや物語が作られていたんですよね。宇治真の場合ですね、家徳を接種したんでね、致し方ない側面もあるんですけど、実際に戦国大名をやってみたら周囲には信長信玄、謙信、宇治安、こういった面々がいて、まあ家康もいますよね。
43:32そういった面々とこういろいろ蝶々橋の駆け引きとか戦いをしていった中でですね、俺にはもうちょっと戦国大名の適性がないやっていうふうに後で気づいたと思うんですよね。
43:43ですからあの駿府を今川市のものとしては回復ならなかったんですけど、逆にこの戦国の大名レースから降りることができて、肩のに下ろしたんじゃないかと思うんですよね。
44:05ですから人にとって大切なのは他人の価値観に左右されず、冷静に自分の適性を見極めることだと思います。仕事も生き方もミスマッチな人生は苦悩の道のり。でも本当の自分を知り自分に合った道を選べば、未来が一気に開けてくるかもしれませんね。
44:29これぞ今川宇治真の敗北から学ぶ教訓です。宇治真ってまさに伊藤さんがおっしゃった教訓を自分で体得して、後半戦も自分の適性に従って生きていたような気がするので、軽やかさみたいなところが彼の魅力なのかなというのを感じましたね。
44:56自分の居場所を何かというのを考えて、自分の居場所を見つけて、それで家康に対してもですね、僕にはこういうことができますよと言って、うまく僕が爆反体制の中に入り込んでいった。そういった意味からすると宇治真っていうのは実は下高だったのではないか。ああ、そうかもしれないですね。はい。伊藤さん、今日もありがとうございました。ありがとうございました。偉人、敗北からの教訓。それではまた次回お会いしましょう。
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