- 16 時間前
劇作家および演出家である宮沢章夫が講師となり、受講生に3名の生徒を迎え、
サブカルチャーについてのレクチャーなどを行い、トークを繰り広げる。
戦後から続く日本のサブカルチャーの系譜を10年ごとに分けて、10回にわたる説明を行った。
サブカルチャーについてのレクチャーなどを行い、トークを繰り広げる。
戦後から続く日本のサブカルチャーの系譜を10年ごとに分けて、10回にわたる説明を行った。
カテゴリ
📺
テレビトランスクリプション
00:00人生をたどるドラマ 撃墜全編
00:03BSプレミアム 9日土曜日夜7時30分
00:09ザ・プレミアムは土曜の夜
00:17サブカルチャーの夜へようこそ
00:20クールジャパン前夜に何があったのか
00:232回目のコーナーはいざ暑い60年代へ
00:31高度経済成長真っ只中の日本
00:38若者たちはあらゆる権威に脳を突きつけた
00:43そんな時代のエネルギーが豊かなサブカルチャーも育んで
00:47いく
00:49時代を象徴する街は新宿
00:52そこでは若きクリエイターたちが火花を散らし沸
00:56騰した
01:00あの頃若者たちはなぜあれほど自由奔放でいられたのか
01:06そして彼らは一体何を夢見ていたのか
01:12この問いに切り込むナビゲーターは
01:18劇作家宮沢昭夫
01:22演劇界の記載が今宵も愛と独断による異色の
01:26サブカルチャー論を展開する
01:29共に旅に出るのは
01:30セメセメですね
01:33サブカルチャーをこよなく愛するジャニーズ
01:35個性派俳優の風間俊介
01:40さらに秋葉のアイドルプロデューサーに
01:44漫画大好きフランス人俳優も加わる
01:48教科書には載っていないサブカルチャーの歴史をたど
01:51る特別講義
01:54さあ60年代へタイムスリップ
02:01真夏の夜のお供に刺激的なサブカルチャーはいか
02:07が?
02:29アマチュアの
02:37出てくる自分におかしいって
02:40いや何なんだろう
02:42誰も疑問には思ってないですよ
02:44先生だけです
02:46いやちょっと俺おかしくないかなと思って
02:48全然大丈夫です
02:50ありがとうございます
02:52これ第2回目なんです
02:53風間君は選手の話をしたので
02:56まあ分かっていただけたと思いますけど
03:00ちょっと復習だけしておくと
03:021956年にサブカルチャーって生まれたと
03:06これ僕の説です
03:09他の人誰も言ってません
03:13例えばアメリカにビートニクっていう潮流が
03:19アレン・ギンズ・バンとかね
03:21ウィリアン・バローズとか
03:23ジャック・ケラークとか
03:24そういう人たちがビートニクっていう文化的な運動を起こ
03:28すわけですが
03:29それからですね
03:30ルビス・プレスリーが
03:32ハートブレイクホテルでデビューした
03:33デビューというか大ヒットしたんです
03:35それともう一つはですね
03:37石原慎太郎さん
03:39石原慎太郎さんの対応の季節が
03:421956年に悪痰がしを取ったと
03:45いうことで
03:46僕が生まれた年にもあるんです
03:49それでそれがあっての
03:51今日のお話
03:531960年の話になるわけです
03:561960年というのは
03:57一体どんなことがあったかということをですね
03:59今日話しながら
04:00その中でも大事な人を忘れちゃいけない
04:03ちょっと一つ見せたい
04:06我が家の一つの宝なんですが
04:11家から持ってきました
04:14壁に飾ってあるんですよね
04:15すごい
04:17貴重な
04:20これは1968年に制作されて
04:23公開が1969年だった
04:26新宿泥棒に来て
04:28大島渚さんという監督が作って
04:33主演がですね
04:34このポストのデザインもした
04:37横尾忠則さんですね
04:38すごーい
04:39若い
04:40若いです
04:41若い
04:43今美術家ですけどね
04:44大学の先生もやってます
04:46それからこの真ん中にいるのが
04:48唐十郎さんです
04:51かつて今は唐組という集団で
04:55お芝居やってるんですけど
04:57当時は上京劇場
04:59赤天堂ですね
04:59極めて60年代的である
05:02今見てもポスターのデザインが
05:03すごいかっこいいですね
05:05かっこいいと思う
05:06今見てもアバンギャルド
05:07そうでしょ
05:08そうなんですよ
05:12大島渚さんというのは
05:1459年でデビューして
05:16松竹のヌーベルバーグとも呼ばれて
05:18その中の一人で
05:19その60年代を失踪するわけです
05:21今日はそんな話をしていこうと思います
05:25楽しみに
05:2810年経ったら2倍以上と
05:30こういう結論が出てくるわけです
05:32所得倍増を掲げる
05:34池田内閣の発足で幕を開けた60年代
05:39戦後の焼け野原から
05:40東洋の奇跡と称賛される復興を遂げた日本は
05:45豊かさの象徴だった
05:46アメリカ流の暮らしを夢見るようになっていた
05:53当時の娯楽の王道
05:54映画の世界では
05:56黒沢明
05:57小津康二郎など
05:59大監督たちが名作を連打
06:03人々は
06:04キラ星のごとき銀幕のスターに
06:07夢中になった
06:12そんな時代のムードに
06:13反旗を翻す革命児が現れた
06:17大島渚
06:19彼はこの国は本当に幸せなのかと鋭く問い続けた
06:42人は彼を怒りの人と呼ぶ
06:48戦時中父を亡くし貧困のどん底を経験した大島
06:52は
06:53貧しい者を蔑む権威や権力を憎んだ
06:58やがてはみ出した人間の屈辱感を描くことが
07:03表現者としての自分の使命と感じるようになる
07:12映画監督大島渚を60年代の長寿へと押し上げ
07:17た時代の流れ
07:20それは運命の数奇な巡り合わせだった
07:2759年4月の皇太子御成婚
07:32その模様は全国に生中継され
07:34これを機にテレビの普及台数が100万台を突破する
07:51歌あり笑いありドラマあり
07:54ブラウン館の中には家族揃って楽しめる夢の世界が
07:59詰まっていた
08:02急速なテレビの普及に危機感を抱いた映画会社
08:05は
08:05新規軸を打ち出した
08:09若手新人監督の起用である
08:13若者を主人公にした斬新なストーリー
08:15ダイナミックな演出の作品を世に問う
08:22白羽の矢が立った一人が27歳の大島渚だった
08:27入社5年目異例の抜擢である
08:35初期の改新作青春残酷物語
08:40ルールなどないかのごとく奔放に生きる若者たち
08:43の生態を
08:44緊張感あふれる映像で描いた
08:47この作品が大島を和製ヌーベルバーグの機種へと
08:51一気に押し上げた
08:54青春残酷物語を作った時に
08:57僕はこれで世界の最高峰
09:01じゃないんだけども
09:03少なくとも最前線に立ったと
09:06フロントに立ったと
09:10大島は当時の制作ノートに
09:12新しい映画に挑む覚悟を綴っていた
09:18一つの国一つの時代は
09:20一人の映画監督しか必要としないのかもしれない
09:26そのような監督にならねばならない
09:35そんな大島が次回作のテーマに選んだのが
09:3860年安保闘争
09:42日米安保条約の強行採決に反対する
09:45学生や市民30万人余りが
09:48国会を取り囲んだ
09:511ヶ月の攻防戦の末
09:53デモは鎮圧
09:55その最中
09:56東大生
09:57神馬美智子が亡くなる事件が起きた
10:10大島は60年安保での学生運動の挫折という
10:15これまでの映画にない題材を選び
10:18戦後の左翼運動のあり方にも疑問を投げかけた
10:24しかし映画は風切り4日後
10:26会社の一方的な判断で上映中止となった
10:30大島は猛抗議
10:32大社を決め独立プロ創造者を設立した
10:37日本映画界に反旗を翻したのだ
10:43これ以降大島の映画制作は
10:45一層専鋭化し
10:47野心作を続々発表する
10:52年3本にも及んだ映画作りの情熱を支えていたのは
10:57怒り
11:0168年
11:01日本のGNPは
11:03アメリカに次いで世界第2位となった
11:07大島は経済大国の影の部分に焦点を当てた
11:15映画少年
11:17実際に大阪であった事件を題材にした
11:32主人公は戦争で負傷した父親に代わって
11:36いわゆる当たり屋として生活費を稼ぐ少年
11:40消費軍人で左手がパーで
11:42おまけに投入病で
11:43車に離らんにはちょうどいいからだよ
11:48何やの
11:49おしゃべりください
11:52生きるために犯罪の深みに
11:54はまっていく少年と家族
11:56高度経済成長下で
11:58誰からも手が差し伸べられない不条理
12:04死ぬ
12:05僕は死んだらええんだ
12:08低予算を逆手に取り
12:10スタッフとキャストを絞って
12:12オールロケで全国を縦断した
12:16大島は映画制作の方法論の点でも
12:20同時代の映画人たちに大きな影響を与えた
12:30映画少年が封切られた69年
12:33全共闘運動が激しさを増していた
12:40世界ではベトナム戦争の激化を受け
12:44大規模な抗議反戦運動が同時多発的に発生
12:49やがて米軍がベトナムから撤退する要因の一つと
12:53なる
12:59アメリカでは大学生を中心に組織された反戦運動
13:03が
13:04全米で数百万人規模に拡大
13:07国人の公民権運動などとも結びついていった
13:13フランスでもベトナム戦争やプラハの春などに
13:17抗議し
13:18国家による抑圧に反対する1000万人が
13:22自由、平等、自治を掲げ
13:25各地でゼネストなどを繰り広げていた
13:34同じ世代のテレビドキュメンタリスト
13:37田原総一郎は言う
13:41聖戦だ聖戦だと君らは早く大人になって
13:46天皇陛下のために死ねとこう教えられたわけで
13:50つまり価値観が180度かかる
13:53そこでやっぱり大島さんたちは
13:55僕は小学校の5年でも思うんですから
13:58偉い人間の言うことは全部信用できないと
14:01信用したらとんでもないことになると
14:04それから国家というのは国民を騙すもんだと
14:07俺たちはだまされたと
14:08こういう強い思いが大島さんにあったんですよね
14:11だからとにかく国家がかっこいいこと言ったら
14:15それは全部怪しいぞと
14:17全部それはね
14:18国民をだますために言ってんだと
14:20こういう思いが強かった
14:22で大島さんの映画は
14:24全部そのことを訴える映画だった
14:27みんながやはり同じように
14:29その時代に対する怒りというものを持ってたと思うんですね
14:35その中で僕は一番そのことについて
14:39自覚的でやったと思いますね
14:44大島さんは僕は一体いつ知ったかという話ですけど
14:57僕が知ったのは小学校5年生だったんですよ
15:03これは1967年ですね
15:08これはなぜかというとですね
15:10一つにはこの歌がヒットしたということがあるんです
15:14帰ってきた酔っ払いという曲です
15:16私カラオケでいつも歌いますよ
15:18これ
15:20聞いたことありますか
15:21歌ってる?
15:22歌ってます
15:26それを聞いてる時の周りの人のリアクションもちょっと気
15:29になりますけど
15:30困った顔してる
15:31200万万ぐらい売れたんですよ
15:33今だとすごいですね
15:35AKBより売れてますね
15:37すごい
15:37であのこれ僕は
15:41小学生の僕はレコードを買ったりして
15:45でこれが映画化されるってことを新聞で知ったんです
15:51であのフォークルがですね
15:55認めた映画監督
15:57この人だったら映画化してもいいよと言ったのが
16:00大島渚だったんです
16:03そういう流れだった
16:04であのそれはすごいなと
16:06小学5年生のくせに新聞読みながら
16:09それは大変な
16:11なんかすごい人なんだろうっていう風に思って
16:14この大島渚っていう名前を覚えたわけですね
16:17ところがですね
16:18あのじゃあもうその田舎に住んでましたから
16:21あのなかなかあの東京みたいにすぐに公開されなかったんです
16:24でちょっとしばらく待ってれば
16:26あの来るだろうと
16:27うちの田舎でも見ることができるだろうと思って待ってたらですね
16:30この映画1週間で打ち切りになります
16:36人気バンドフォーククルセダーズを主役に起用
16:39した
16:39シュールなコメディ映画
16:42お気楽な歌とは対照的に
16:45亡命韓国人への差別という社会問題に取り上げた
16:50大島はこの作品で日本人のアイデンティティを問い
16:55かける
17:24あなたは日本人ですか
17:25何度も同じシーンが出てきたりとか あのそんなことがあって
17:31なんだろうということで会社の幹部が怒って これ打ち気になっちゃうんですね
17:36松竹でやっぱり配給されたんですけど そういうなんかもうなんていうんです
17:41かね
17:41尖った人たちがいた時代っていう監督もそうですし なんかその
17:48僕大島渚監督ってもう映像に出てきたあの 年を召されて
17:55それでも吠えてるっていう姿が僕にとっての私も朝生で怒ってる
18:01人
18:01してよっていう感じなので この当時大島渚監督の映画っていうのはアンダ
18:07ーグラウンドだったんですか
18:08やっぱりある特別なあの 映画好きのものではあったわけですよね
18:15であの大島渚監督はその日本の夜と霧が打ち切られ
18:20やっぱり1週間で打ち切られられるんですよ
18:23全部1週間打ち切られがちだったという問題があるわけです
18:27けど
18:27あの1960年にあの
18:32安保闘争のさっきの出てきた後に日本の夜と霧という
18:38作品を作ってそれを打ち切られてその小地区やめちゃうわ
18:41けです
18:42でも1960年に小地区の一番 あの大監督
18:48まあ大学のところ何人もいましたけど
18:51小津康次郎という人がいたわけです
18:53小津康次郎は有名なのは ローアングルであのカメラ
18:57を低く構えて
18:58あのどっしりとかっちりした絵を撮るという人ですよね
19:04ところが大島なぎさんは手持ちカメラで 報道用のカ
19:08メラを持って街へ出てくるというようなことが
19:10あの大島なぎさんの先進性だったわけです
19:19大島なぎさんの作品を見るとすごい女優さんが綺麗とか
19:23そういうのはないんだけど
19:24なんかすごいあまりにも生々しさみたいなのがすごい大きくて
19:29大島なぎさんってね ものすごい素人を使うんですよ
19:36戦場のメリークリスマスでは坂本隆一さんとデビ
19:41ットボーイとビートたけしさん
19:44この人たちは映画俳優でもなんでもないじゃないですか
19:48で こういうその前の映画なんかはもうもっと街にいた風天を
19:53出したりする
19:54無心中日本の夏っていう映画なんですけどね
19:57それなんかもうびっくりするほど下手なんですよ
20:03これは一体なんだって思いましたからね
20:06でもなんかだからこそその時その瞬間は
20:10その映像に何か新しさが吹き込まれるということはあるわけ
20:14です
20:15それとね大島なぎさんをはじめとして
20:17それからヌーベルバーグについて考えていかなきゃいけない
20:19のは
20:20方法をどうやって新しくするかってことだったんだと思うんですよ
20:24新しいというのはやっぱり作り方だと思うんですね
20:27どう何をどうって言った時にどうの方が大事なんですよ
20:32例えばねそれはあの我々は被害者ではない
20:37戦争が終わった時みんなメソメソしてやがるとか
20:40っていうことに対する怒りだったりするわけですよ
20:43それをどうやって映像化して
20:45映像でこういったものに対して
20:52違うんだという意味を唱えていくかってことは
20:55大島なぎさんがずっと抱いていたことだと思うんですね
20:58常に加害者の側にもある
21:00加害者であるということ
21:01例えばあるいは犯罪者っていうものに対する
21:05ある種のシンパシティ
21:07犯罪者はなぜ犯罪を起こしたかっていうことに対して
21:10それを断罪するだけじゃなくて
21:13じゃあなぜその人はこう人を殺したのか
21:16さっきのアタリアの夫婦の話だって
21:18これは貧困っていうのが背景にあるだろうとか
21:21っていうその時代が持ってる病理みたいなことを
21:25彼はやろうと思ったっていうことはあると思うんですよね
21:28アイノコリーダとかも犯罪を元にされてますよね
21:32あれってね
21:34アイノコリーダ日本で撮影したんだけど
21:36フィルムを現像前のフィルムをフランスに持
21:39ってって
21:39現像したんですよね
21:40フランスで結構子供の頃からちょくちょくテレビ放
21:44送してて
21:46その頃は絶対見ちゃいけないって親父が言われてね
21:48アイノコリーダを無修正で
21:50深夜枠ですけど
21:53フランスってどの
21:54アイノ国だから
21:55フランスは自由とアイノ国なんで
21:58それはやっと最近大人になってからやっと見たんですけど
22:03日本で映画見てぼかしが流行るじゃない
22:07変だと思わない
22:08むしろその方がいやらしいよ
22:11そうですねなんか変に隠してるところが
22:14じゃあ最初から撮らなければいいじゃんっていう話になっちゃうんだけど
22:18見せるために撮ってるのではないだろうかっていうことですね
22:21そうですねそこはぼかしは本当に日本特有の文化だと思うけど
22:24ぼかしについてこれ以上述べてもいいと思うけど
22:27今だと何でもちょっと過激なことだと炎上とか言ってね
22:31ネットで結構視聴者の方々から叩かれて
22:34あんまりアバンギャルドのことができない時代です
22:36でもそこに芸術性が多分きっと隠れてるんだと思うんですよ
22:40絶対的に世の中が批判するものにきっと
22:45次世代の人たちが振り返った時に
22:47あの時代はすごかったって言われるものが多分そこにあるはず
22:50なんだけど
22:51今はさっきのちょっと学生運動とかの話に戻るけど
22:58みんなに問題ないものを作ろうとするじゃないですか
23:02でその時に不思議だなって思うのが
23:05僕らの時の教育で個性を大事に個性を大事に
23:09ってずっと言われて育ってきたんですよ
23:11なんだけど
23:13世の中はみんなに平均値を求めることが多いから
23:18だからこの時代のその突出してる人たちを見ると
23:24なんかちょっとハラハラするというか
23:26羨ましい部分もあるし
23:28なんかちょっと怖さも感じる
23:31それはね一つには人が多かったって言う
23:35学生の数とか
23:36もう圧倒的に多いんだよね
23:40その後減っていくわけじゃない
23:42ただね60年アップはあるじゃないですか
23:44さっきの1960年の時の進学率って低いんですよ
23:48まだ
23:49でその進学率が低い中で東大に入るっていうのは
23:53これはかなり選ばれた人間なんだ
23:56自分たちは選ばれたっていう
23:59その変なエリスト意識じゃなくて
24:01でも社会のために貢献しなきゃいけない
24:04私たちが受けてる教育を還元しなきゃいけないっていう
24:07そうそうそういうのはあった
24:09だからこそ運動に参加した
24:12ということはあるわけですよね
24:1660年代の半ば
24:18新しいものを求める若者たちがこぞって向かった町は
24:22新宿だった
24:29当時の新宿は若者たちにとって祝祭の町だった
24:35人が集えば火花が散り
24:37次々と新たな文化が生まれる
24:40ヒッピー
24:40風天
24:41アングラ
24:42サイケ
24:45アンダーグラウンドな若者文化と
24:47政治運動が交錯する町
24:49新宿
24:50そこではいつも何かが起こっていた
24:57そんな新宿の息吹を伝え続けた伝説のタウン氏が
25:01存在した
25:03新宿プレイマップ
25:08タイトル通りの町の広報誌だが
25:11新宿をこよなく愛する人たちのディープな体験が綴
25:14られ
25:15ファンは全国にいた
25:18寄稿者は
25:19三島由紀夫
25:20五木博之
25:22寺山修司
25:24そんな分断のビッグネームだけにとどまらず
25:27喫茶店でウェイトレスをしている無名の女学生な
25:30ども
25:30訳隔てなく本音と心情をとろしている
25:38発行していたのは
25:40ラジオ局、地元の百貨店や企業や商店街などが
25:44資金を出し合い
25:45組織した小さな団体
25:50それはやっぱりもう少しこう
25:52対象客層に沿った
25:55あの町の雑誌を作っていくという上で
25:58やっぱり
26:02タウン氏っていう
26:03タウンジャーナリズムっていうのが
26:05あっていいんじゃないかと
26:06創刊後をご覧になれば分かるように
26:08ああいう感じの野坂さんが
26:11あのめちゃくちゃなことを
26:12その言うというようなね
26:14その
26:15なんていうか
26:16割とこう
26:18焼け跡時代の新宿
26:21あの
26:22闇市時代の新宿のような
26:24イメージをちょっと強調しすぎちゃったんで
26:27すごい怒られました
26:3160年代初頭
26:32都会を象徴する町といえば
26:35最新ファッションに身を包んだ紳士宿女が
26:38確保する
26:38銀座だった
26:41ところが64年
26:42そんな雰囲気を嘲笑うかのように現れたのが
26:45通称
26:46三行族
26:48独特なファッションに身を包み
26:50ズタ袋を持って
26:51無目的に徘徊した
26:53しかし彼らは銀座のイメージダウンになると町を追
26:56い出され
26:57たどり着いたのが
26:58新宿だった
27:01新宿は様々なタイプの人が集まることが運命づ
27:05けられていた町
27:07300年前
27:08甲州街道最初の宿場町
27:10内藤新宿に始まる
27:14大正時代には東京西部と都心を結ぶ鉄道網が開
27:19通し
27:19ターミナルとなる
27:23終戦翌年
27:24GHQによる交渉制度廃止を機に
27:28焼け野原に最初に出現したのは赤線地帯
27:33政府に認められた合法的な売春エリアだった
27:3958年
27:39売春防止法で赤線は姿を消す
27:44しかし盛り場の混沌とした文化が残った
27:49ちょうどこの頃から新宿は若者の町へ変わっていく
27:5560年代に入ると
27:57新宿は既成の価値観にとらわれない
28:00自由な考え方や行動を求める若者たちを引き寄
28:03せ始める
28:08大島もそんな新宿に引きつけられた一人だった
28:15日本で最も流動の激しい町で
28:18若者たちの闘争が最高点に達した時期
28:21その功用をそのまま撮りたい
28:26新宿泥棒日記
28:2968年夏の新宿で全編ロケを観光
28:34この映画には新宿と縁の深い斬新なキャストが登場
28:38する
28:41主役は横尾忠則
28:44新新経営のグラフィックデザイナーとして
28:46若者の熱狂的な支持を得ていた
28:52何よ
28:53寝るよりおっぽでよかったよ
28:55危なく射精しそうでした
28:57そしてアングラ芝居の第一人者
29:00カラ十郎
29:11カラは63年に自ら劇団を旗揚げ
29:16その後花園神社境内に赤テントを張り
29:20上京劇場の公演を続けてきた
29:2460年代浮かれてましたか
29:26いわゆる若者文化に
29:28明日は明日の風が吹くっていう状態
29:31それから全教と運動となったでしょう
29:35つまり明日のことは知らない
29:36今この燃えたぎる青春の嵐
29:41こんな顔を泳いでいくだけだとか
29:43ロマンチズム
29:4560年代
29:46カラをはじめ清水邦夫や
29:48皆川幸男など
29:50それまでの進撃に反旗を翻す前衛的な演劇人が続
29:55々と衝撃団を旗揚げ
29:58そして空の本拠地花園神社からほど近い場所では
30:02あの寺山修司が演劇実験室天井さじきで新たな
30:07表現を世に問うた
30:13みんな食事は終わったのか
30:17はい
30:18滑裂をいただきました
30:21確かに滑裂でございました
30:24それは犬の肉なんかじゃありませんよ
30:28私はそんなものは食べさせませんからね
30:33僕は要するに現実をイリュージョンによって覆す
30:38それで現実がイリュージョンとしてね
30:41別のイリュージョンとして定着した時に
30:43それにまた別の現実がぶつかっていって
30:46それが限りなくね
30:47現実とイリュージョンとが葛藤していくと
30:49そこでは要するに殺人が行わろうが
30:52つまり自分の子供を殺す芝居をやろうがね
30:55つまりそういうことは全然
30:57もうみんな安心して見てるわけでしょ
31:0464年にはキノクニアホールが
31:0767年には小劇場サソリ座がオープン
31:11新宿は新しい演劇が生まれる拠点ともなった
31:16テント一枚ぺろっとまくり上げれば
31:20まさに新宿のそれこそ雑踏と喧騒
31:25そういうとこでやると
31:26まあそれこそどういう人がいるか分かりませんから
31:32うるさいって石がいるかもしれないし
31:35ですからこっちもさっき立って芝居してるから
31:38お客さんはお客さんで
31:40さっき立っているのがまた楽しみ合ってくれるという
31:46舞台と客席が入り乱れる劇場
31:49それが街全体を覆い尽くす
31:53新宿とはそんな街だった
31:58いやー面白そう
31:59この時代の新宿
32:00いやいいですね
32:02この時の新宿に集まってる人たちっていうのは
32:06どこか志を持ってたりとか
32:09もちろん風天族とかは
32:11世の中一般から見たら
32:12志を持ってないとされてる人たちだとは思うんですけど
32:16なんかちょっと不思議なエネルギーを持った人たちが
32:19集まる街だったんですね
32:20なんで新宿にそういう風に集まってきてたんですか
32:24そこなんですよ
32:25分からないのは
32:26分からない
32:27でもね
32:28それは僕は
32:29例えばね
32:32銀座って
32:34盛り場として
32:36一流じゃないですか
32:38高級なイメージですよね
32:40今でも例えば銀座四丁目
32:42和光があるところあたりの土地っていうのは
32:46日本で一番高い土地でしょ
32:48九郷堂前の土地が一番高いとされてる
32:52日本で
32:53でそれに比べると二流なんですよね
32:57言い方悪いかもしれないけど
32:59二流っていうものが持ってるエネルギーってあるじゃないですか
33:03それこそサブカルちゃんみたいな
33:05あの盛り場っていう言葉あるじゃないですか
33:08盛り場
33:09盛り場の盛りってなんだっていう話なんですよ
33:13でそれを書いたのがこの吉見さんのね
33:18都市のドラマティルキーっていう本があるんですけど
33:20この中で吉見さんはこういう風に書いてます
33:23つまり盛り場とはもともとは流動的で
33:25一時的な盛りを
33:28他の場所よりも濃密に抱えた空間であり
33:31したがってこの言葉本来の重心は
33:33容器である商業施設が娯楽施設よりもまず
33:37中身である盛りそのものにある
33:40盛りっていうこと日本語は
33:42あのー性的にも使われるじゃないですか
33:45そうですね
33:46でこれを吉見さんは
33:49よくできた証言ですよね
33:50性的コノテーションといって
33:53あの盛り場にこのようなものが
33:56性的な隠れた意味ですね
34:00コノテーションっていうのは
34:02そういうものがないと面白くないんだと
34:07その街っていうものがそういったものが暗がりですね
34:12いわゆる細い路地があってそこが暗がりである
34:15その先何があるか分かんない
34:17我々ちょっと怖いなと思うようなところがあるから
34:21絶対的に魅力って雑多でわい雑なものってすごくエネル
34:26ギー量が高いと思うんですよ
34:28洗練されたものってちょっとクールでいった方がいいから落ち着いた
34:34文化になっていくじゃないですか
34:35その雑多でわい雑で
34:38下世はなものにエネルギーがあって
34:41そのエネルギーがこの当時の新宿にはあったと思うんですよ
34:44でも今でもこの花園神社とかこのゴールデン街の周辺に行
34:48くと
34:48なんか雰囲気というか当時の名残みたいなのはすごい感じ
34:53それの前まで日本の中で一番外国人が外国人観光客
34:57が訪れる場所っていうのは新宿なんですよ
35:00京都よりも鎌倉よりもどこよりも新宿っていうところで
35:04そこにやっぱり西新宿に行くとそういうでっかい建
35:07物の都庁とかがあったり
35:10逆にそのゴールデン街とかみたいなもう昔みたいな本当にちっちゃい
35:14老児
35:15あの思い出横丁だったりとか歌舞伎町も独特で日本ら
35:19しいそういう看板がいっぱいあって
35:21やっぱあのそれはまあ今言ってたねあの現在の新宿も魅力的で
35:28あると
35:30と思いますただやっぱり60年代の新宿っていうのはやっぱりもっと特別なんだ
35:34よね
35:36だからいろんなあの 芸術映画もアートシアと新宿文化って
35:42のはもともとが
35:43あの映画 あの芸術映画を上映する場所だったしね
35:51それから 木の具屋商店もそうだしこれ花園神社での赤点
35:56ともそうだしそれから風月堂があったりとかっていうことってね
35:59この線は何だろうですか すごい今見て都電って書いてあった
36:04当然あったのは知ってるけれども見たことでこれ路面電車だったんです
36:08か そうそうです
36:09ああなるほど花園神社も囲まれてる感じですよね
36:12そうですね
36:15それでは60年代の新宿の最もディープな半径1キロ四
36:20方のワンダーランドを紹介しよう
36:26花園神社に隣接するかつて闇市だった場所 通称ゴ
36:31ールデン街
36:33間口一軒に満たない木造長屋の店が狭い路地を
36:37挟んで並ぶ
36:39作家やジャーナリスト 映画監督や俳優
36:43酔いどりたちが日々泣き笑い議論し喧嘩した こ
36:49んな場所から新たな文学が生まれた
36:53新宿はジャズの聖地でもあった 死後厳禁のジャズ喫茶
36:58に若者たちが押し寄せた
37:06中でも気まぐれで来店したジャズミュージシャンが奏
37:10でる即興のジャムセッションは
37:12新宿でしか体験できなかった
37:16さらに最先端のクリエイターたちが入り浸った伝
37:20説のカフェがある
37:22風月堂
37:25元は名曲喫茶だった
37:27次第に演劇人 詩人 文学者が集うサロンへ
37:33常連には五木博之 野坂昭之 岡本太郎
37:40若者文化の聖地と呼ばれ 外国のガイドブックに
37:44も掲載された
37:46風月堂は東京カルチャーの代名詞だった
37:54そして新宿で忘れてはならないのが東口にある大型書店
38:00その創業者は田辺も一
38:06大島渚は映画新宿泥棒日記に田辺を実名で出
38:12演させている
38:15田辺は横尾忠則演じる主人公の万引きを咎め
38:19ず
38:20逆に自分の著書をプレゼントするという重要な役所を演
38:25じている
38:26昨日が予告で今日が本番なんだね
38:31そんな日本が好きなら
38:33だけどここにあるのはみんな店の売り物だしね
38:38じゃあ私の売れない本をあげよう
38:44新宿の文化を愛し
38:46自由で雑多な人たちが集まる街でやりたいと願って
38:49いた田辺
38:52高まりつつあった風天族排除の空気にも意を唱えて
38:57いた
39:01今僕たちはあそこの書店ってただの大きな書店としか考
39:06えてないじゃないですか
39:06正直私たちの印象としては
39:09ずっとあそこにある歴史が長いというイメージはありますけど
39:14社長さんがああいう風に出てきてというようなことまで見るのは
39:17初めてです
39:18やっぱり文化を文化そのものを発信していく
39:21そこが例えば劇場もあったら今でも劇場あるけど
39:25当時あのきのくにゃ書店のきのくにゃホールで舞
39:30台をやるというのはまた別の意味があったんだろうと思うし
39:33からその近くにさあのアートシアだ新宿文化っていう
39:37特別なあの劇場があったということも大きな意味はあると思うんですね
39:41だから演技家にとっても新宿ってのはかなり大きな意味が
39:47あったし
39:47文化全体とかそれから若者の生態そのものがこの中にこう
39:5460年代のある瞬間から煮えたぎるようにこう
40:00ふつと湧いてた湧き上がったとエネルギーがという風に
40:04考えられるのが新宿なんですよね
40:06いやでもだからそのなんかその最先端のうっくつとしたエネルギー
40:10みたいな人たちが
40:11呼ばれて呼ばれて呼ばれて集まってきてなんかこう
40:15呼ばれたんですかねこうみんなのその街に集まってきたのか
40:20それともこの街にいるから周囲はこう染まっていったのか
40:25呼ばれたんですね
40:27何か何か引きつける力があったんですよ
40:31大田さんの歴史とかね
40:32磁石のようなものが
40:33そこに引きつけられてみんながわらわらとやってくる
40:37何せね1975年に僕は東京出てきた
40:40その時もまだ東京に出てくるってことは
40:44つまり新宿に足を踏み入れることだったんですよ
40:47この時代だからですよね
40:49僕にとっての新宿って
40:51もうその二流って言ってもそのエネルギーは僕の中であん
40:54まり感じないんですよね
40:55その新宿って言われると
40:59もうこの時のエネルギーではなくて
41:01もう完成された街であって
41:04どちらかというともう
41:07僕にとっては
41:08出来上がってる感じはしますよね
41:09アンダーブランド性は感じないですね
41:11そういう意味だと今の2000年代前半とかは
41:14私の中のイメージだと新宿ってカルチャーがちょっと一旦
41:18落ち着いて
41:19秋葉原とかの方がカルチャーとしてまだこれからいろいろ
41:22出てくるみたいな
41:23サブカルチャーとして新しい土地として
41:26秋葉原が目立ってきたみたいな印象がすごい
41:28そうでしょ
41:29僕もそう思ってます
41:31その新宿が
41:33新宿60年代的な新宿が
41:35やっぱりいつか終わりが来ると
41:38それはどこでどういう風に終わっていったかというのをちょっと見てみ
41:41ましょうか
41:45新宿を虚構と現実
41:48生徒暴力が渦巻く街として捉えた映画
41:51新宿泥棒日記
41:54そのラストは
41:56交番への投石事件直後のドキュメント映像で始
42:00まる
42:03大島は騒乱の予兆を嗅ぎつけ
42:06カメラを構えていたのだ
42:11それは新宿の終わりの始まりだった
42:1968年10月
42:20核材で武装した2000人の学生と
42:24これに便乗した数千人の一般人が
42:27新宿駅になだれ込み
42:29ホームと線路を占拠
42:37この辺りから新宿は徐々に新都心へと変貌し始め
42:43る
42:45街中至る所で浄化作戦が始まり
42:49新宿から60年代の新宿が姿を消していく
42:56旗揚げ以来一貫して新宿にこだわり続けた唐十
43:00郎も
43:00花園神社を追われた
43:05その時こんな捨て台詞を残している
43:10新宿見たけりゃ今見ておきゃれ
43:13直に新宿原となる
43:17原と同じく新宿を拠点にしていた
43:20寺山修司や二永和幸男も
43:23新宿を去る
43:31伝説のタウン誌新宿プレイマップも
43:34タイトルから新宿の二文字が消えた
43:38編集方針の変更を余儀なくされ
43:41店の紹介記事や最新のファッション情報が中心
43:45の
43:45普通のタウン誌へと生まれ変わり
43:49ほどなくして配管してしまう
43:55若い人たちが新宿はダメだと
43:59もう若者の町どころじゃないよというような
44:04声が上がってですね
44:06自由思考的な連中の若者はですね
44:11新宿をどんどん立ち去っていくというような状況があった
44:17んですね
44:1960年代の終わり万博特殊に湧く日本には
44:23開発の波が押し寄せていた
44:26新宿もまた例外ではなかった
44:29西口では新都心計画の工事が着々と進行
44:35新都心への通路にするため
44:37西口地下広場を一方的に通路へと変更
44:42そこにたむろしていた若者たちは排除される
44:49そんな時
44:50新宿の終わりを決定的に印象付ける事件が起きた
44:55花園神社を追われた後も
44:57なおも新宿にこだわり続けていた唐十郎が
45:01200人の警官隊が包囲する中
45:04新宿中央公園でゲリラ公園を決行
45:43新宿の終わり
45:45新宿の終わりを決定的に
45:48新宿の終わりを決定的に
45:49新宿の終わりを決定的に
45:51そして同じ頃
45:54新宿西口では
45:57最後の名物が消えようとしていた
46:02新宿西口フォークゲリラ
46:05始まった当初30人ほどだった
46:07路上フォークライブが
46:093ヶ月後には500人規模へと膨れ上がった
46:20ボート化を恐れた警察は
46:22機動隊を導入し実力排除に踏み切った
46:37歩道も車道も自由に歩ける
46:40明るい今日の日曜日
46:42歩行者の皆さん
46:43東道一帯に車は入ってきません
46:46どうぞご自由にお歩きください
46:50そして交通事故も販売もない
46:52明るい新宿の街づくりに
46:55ご協力ください
46:56もうそこに
46:57行かれる若者の居場所はなかった
47:00どうぞ手をしっかりに
47:02見てあげてください
47:06いつでもこの時代の映像とかを見て
47:09思うのが
47:11その根幹にある
47:13その何て言うんですか
47:14権力に対する
47:15イラつきだったり
47:17その格差だったり
47:18そういうものに対するのって
47:20今と繋がってると思うんだけれども
47:23そのアプローチの仕方が
47:25今と全く違いすぎて
47:27ちょっと別の国のものを見てるような
47:29気分にいつもなるんですよ
47:30なんか今の映像を見てても
47:33面白いよね
47:34面白い
47:35何なんだろう
47:36先ほどの映像で追い出されるって警察に
47:39本当に泣きそうになったというか
47:41なんかみんな一生懸命そう
47:44社会的に言えばいけないっていうのが
47:46暴力だったりとかするかもしれないけど
47:48でも何か訴えたくて
47:49それを形にしてる
47:51さっきのインタビューで
47:52敗北だったっていう言葉があったけど
47:56その敗北ってことは
47:57少なからず戦ってるじゃないですか
47:59僕らの世代って
48:01そういう何かこう
48:02圧迫されたものに対して
48:05戦うっていうよりかは
48:07もう何かちょっと分離してるというか
48:09じゃあもう分かったよ
48:10もうはいはいはいっていうような
48:12ところがあるんで
48:14この映像を見てるとやっぱすごいなって思うんですよ
48:16いやーこうして新宿から
48:18そのさっき言ったような
48:21盛り場の盛りが持ってるある特別な意味ね
48:25そういうものがこう
48:26排除されてしまうっていうようなことはあった
48:30だろうと思うし
48:31どんどんそうなってますよね
48:33あの日本だとあんまり汚いと思ってるところを外に見せたくない
48:37っていう風には思ってるんだけれども
48:40汚いんじゃなくて深いっていうことを見え方をした方がいいと思
48:43うんですよね
48:44えっと新宿歌舞伎町に対しても
48:48そのやっぱ都市クリーンにするっていうので
48:52また僕らはその時期を見てるじゃないですか
48:55歌舞伎町がちょっと怖い街から
48:59ちょっとクリーンになりましたね
49:00暑さがなくなっていくにつれて
49:02なんか新宿の元気もやっぱりちょっとなくなっていくんだな
49:05僕はそれ全部否定はしないけど綺麗
49:08綺麗な方がいいもん
49:11ところがね
49:12例えばニュータウン行くとねほんと綺麗なんですよ
49:19でもさここだってニュータウン綺麗だけど
49:22ゴミは出てるわけじゃない
49:24どっかに隠されてるんですよね
49:26だから人間ってこう悪意を持ったりとか
49:30恨みとか妬みとかそういうのってあるじゃない
49:33そういうのってどっかに隠されてるんだなと思うんです
49:36そういうものが60年代ってみんななんか吐き出すように
49:40いろんな表現になってたんじゃないかなという風に思うんですね
49:44それがあの時代のある文化を形成してた要素の一つかな
49:52という風に思うんです
49:53だからそれは大島なぎさんの作品にも通じるじゃないですか
49:56犯罪者が持ってた怒りとか
49:58犯罪者が持ってた恨み
50:00世界社会に対する恨みとか
50:01大島なぎさんが問題にしてた怒りのある部分っていうのは
50:06やっぱり犯罪者の側にどうやって私はシンパシーを感じる
50:11か
50:11っていうことだったように僕は感じます
50:14でねさてあの今みたいに69年に新宿からいろんなものが排
50:21除されていって
50:2172年に二永さんさっき二永幸男さんが
50:28当時桜社っていう劇団がありましてね
50:31そこには二永さんとか石橋蓮司さん
50:35つい最近亡くなられた蟹江恵蔵さん
50:39という人たちがいたんですね
50:41で72年に清水邦夫さんが描いた作品が
50:47僕らが非常の大河を下る時という作品です
50:53新宿を舞台に戦いに敗れた無名の戦士たちの
50:57青春と挫折を描いた舞台
51:02クライマックス
51:04戦いで傷ついた主人公のセリフには
51:07かつての新宿への愛と赤別の思いが込められて
51:11いた
51:15誰だ泣いてんの
51:23風か
51:27いや水の音だ
51:30川だ川が流れている
51:33臭いひでえ匂いだ
51:34きっと腐った動物たちの視界が流れてるんだ
51:37猫やら豚やら人間やら
51:40ああなんておじょくに満ちた華やかな混乱なんだ
51:52この背景には実は
51:551972年に起こった浅間山荘事件と
51:59それから連合責任の臨時殺人事件というものが
52:06背景にあるんですけど あのある種の敗北感ですよね
52:10それからでもここではないどこかに行かねばきゃいけない
52:15なんておじょくに満ちて華やかな混乱なんだっていう
52:18その世界に行きたいところが
52:21それは新宿にはもう存在しなかったっていうのが
52:25あの似長さが感じたその時代意識なんです
52:29ここが僕はあの新宿が終わったところだと思ってるんです
52:33で新宿の60年代制というのは64年に始まって
52:38記憶や書店が建て替えをした64年から72年までの8
52:44年間
52:45この8年間ぐらいが新宿のあるやっぱり一番若者の文
52:54化が
52:54あの沸き立ってた時代だろうという風に考えることができるかな
52:59と思っています
53:00それでもやっぱ新宿に残ってる雰囲気だとか
53:03やっぱり今でも新宿から生まれるカルチャーっていうのもあると思
53:06うので
53:07やっぱりそういうそれぐらいでも濃いものが濃いエキスのよう
53:11なものが
53:11やっぱりその時代に流れてたからこそ
53:14今の若者たちに影響を与えてるカルチャーとか
53:17未だにすごいたくさんあると思うし
53:20その名残だけでやっぱり
53:22飯3杯いけるみたいな
53:24そういうインパクトなんだよ
53:27面白いよね
53:28面白いです
53:30社会に反旗を翻し
53:32新しい生き方を追い求めた若者たちの
53:35熱い思いを受け止めた町
53:37新宿
53:40この町をこよなく愛した映画監督
53:43大島渚は新宿を公表した
53:50新宿は日本各地の人間の巨大なるつぼであり
53:55巨大な疑似ふるさとなのである
54:03あの時があるから今がある
54:06日本戦後サブカルチャー史
54:15日本戦後サブカルチャー史
54:18伝説の漫画を読みまくる
54:221960年代漫画革命
54:26当たり前を疑え壊せ
54:30これでいいのだ
54:32日本戦後サブカルチャー史
54:33Eテレ15日夜11時開講
54:45この夏宇宙博2014が開幕
54:48アメリカナサからは
54:49有人宇宙開発の歴史を
54:52日本は近年目覚ましい成果を上げている
54:55JAXAからの展示など
54:56宇宙開発の夢と歴史
54:58そして未来が一堂に返します
55:01宇宙博2014
55:03この夏マグハリメッセが宇宙になる
55:05お楽しみに
55:15みなさんこんばんは
55:19ごきげんいかが
55:212355の時間です