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00:00The show is Gigiigi Gigiigi, of course,
00:05and the performance is been held in 2018,
00:10and the show is Gigiigiigi,
00:15I was born in England.
00:21The U.S.s is the originator of the United States,
00:24and that's the Jigumi Gigiigiigi.
00:27当時の仕事は仮設の復興情報交流館の館長。
00:44そうだったね。
00:46地震の後で45分が経ってこちらの半島の先まで津波が到達したんです。
00:53更に15分が経って、要するに1時間後、中心部の方に到達したということ。
00:59忘れられないように、これからの津波に備えての役割を感じている部分があります。
01:07今日天気ですから、すごいのどかな感じで気持ちいいですけど、とても災害があると思えないような。
01:16震災前ほど元気になったわけではないと思うんですけど、一応それに向かってみんな頑張ってますから。
01:24リチャード・ハルバー・シュタットさん。
01:27当時51歳。
01:30ふるさとは日本からおよそ9500キロ離れた。
01:37イギリスのレディング。
01:42人見知りだった少年は、
01:47二十歳の時、バブル期の日本を見てみたい、と初来日。
01:551か月のホームステイを終え帰国後ロンドン大学を卒業したリチャードさんは日本での生活が忘れられず友人の勧めで石巻専修大学の英語講師に就任しましたさあ石巻で暮らし始めたリチャードさんでしたが最初の数か月は友達ができずにかなり孤独感を味わったようです。
02:21しかし、町おこしの演劇に出たことで石巻に心を許せる友達ができました。
02:28うーん、そうだった。
02:405番でございます。
02:43どうもー。
02:45どうもいらっしゃい。
02:46こんばんはー。
02:47こんばんはー。よろしくお願いします。
02:49お久しぶりでーす。
02:51はい。
02:52こちらの方は、フランドホテルの社長さんなんです。
02:57いえ、あのー、万党でございます。
03:00私の特権は彼のこと、社長とかご父さんじゃなくて、むーちゃんです。
03:04むーちゃんです。
03:05むーちゃんです。
03:06呼んでます。
03:07むーちゃんです。
03:08はい。
03:09こちらの高橋ひさしさんという方ですけど、私は呼び捨てでひさしと呼んでます。
03:18特に仲が良かったのは、むーちゃん、ひさし、ゆずるさん。そしてしんちゃんの4人。
03:31まああの、1人だけここに来ることができない人がいますけど、高橋ゆずる。
03:39リチャードさんより6歳年上の親友、ゆずるさん。でも、ゆずるさんは。
03:52津波の方で、お亡くなりになって。
03:54おー。
03:55はい。
03:56はい。
03:57この、中に入れてるんです。
03:59はい。
04:00これが、ゆずるさんですけど。
04:02若い頃のゆずるちゃんで、奥様で、お二人ともお仲になったんです。一緒に。
04:08ほんとに、まさかって思ってます。
04:10我々のメンバーの中ではね、唯一、英語をしゃべれる人だったので、
04:14リチャード君とは、ほんとに早い時期から、最も仲がいい仲間でしたよね。
04:21そして、仙台駅で大きな決断をしました。
04:26仙台には、どうしてもちょっとお話したいことがありまして、
04:31もう人生最大の、まあ、ターニングポイントになった場所だと言えるぐらいの場所なんですね。
04:38はい。
04:39職場の石巻専修大学で被災したリチャードさん。
04:47その時。
04:50イギリス大使館の方から、最初はメール、後で電話だったんですけど、連絡が入りまして、
04:56福島の原発のことがあって、一応イギリスの帰国を進めてますって言われたんですね。
05:04大使館の方々が迎えに来てくれて、まず仙台に行ってお話ししましょうっていうことになったんですね。
05:11結果的に石巻に残ること。
05:13その時点に?
05:14はい。
05:15親友を残して帰れないと、石巻に残ることを決めました。
05:22どうですか?社長。
05:26涙で送り出して行って、我々も覚悟を決めたにもかかわらず、
05:33この大バカ者は戻ってきてしまったわけで、ですからバカ野郎というふうに思わず、顔を見て言ってしまったということです。
05:40分かってました、最初から。愛に満ちたバカ野郎だってこと。
05:44この石巻を離れるわけにはいかないというふうに思って戻ってきてくれたっていうのは、本当に本当に嬉しかったですよね。
05:52彼はですね、日本人、我々日本人と同じ心を持っているイギリス人っていう感じですね。
06:04石巻は、これからの道のりが長いと思いますけど、こういう人たちがいる限りは、きっといい方向に行くっていう感じですね。
06:21それに尽きます。
06:24それだけ。
06:25一緒にやります。
06:26一緒に、はい。いつまでもね。
06:29仲間と。
06:30今、小勝っていう地区に向かってるんですよね。
06:35小勝。
06:36もう、コミュニティ完全にもう、壊滅状態になったと言っていいぐらいの被害になったんですね。
06:45石巻の東に位置する小勝地区は、震災の被害が特に大きかった地域。
06:52この地形はね。
06:54地震発生から、およそ40分後に、最大16.2メートルもの津波に襲われました。
07:01狭まってる分、津波が高くなっちゃったんでしょうね。
07:05こちらはですね、小勝地区の小勝田名小屋街っていう、仮設商店街なんですね。
07:19あの、こっちですけど、まあ、登りにも、あの、おもしろいデザインで書いてありますけど、あと、あの、もう、窓の方にはありますけど、すずりっていう字がありますよね。
07:29はい、はい、小勝すずり。
07:32ここは、あの、昔からすずりを作る場所だったんです。
07:36もう伝統的な。
07:37プレハブでは、小勝すずりの販売もしていました。
07:42これが、もう、典型的なおがつのすずりですね。
07:49もう、本当にもう職人技で、いいとされてて。
07:52はい。
07:53はい。
07:54はい。
07:558年前は、まだ仮設だった工房。
08:00もともと15人いた職人は、震災を境に10人になってしまいました。
08:08まあ、これもちょっと、あの、デザイン側の指定のお皿なんですけど、
08:14基本的には、手がほとんどですね。
08:18これが、今、やってる中で最年少です。
08:21おいくつで出してますか?
08:2225になります。
08:23こちらの方。
08:25はい、小勝の出身です。
08:29当時、最年少の職人だった徳水さんは、地元の伝統を守る、貴重な担い手でした。
08:38ぜひ、続けていただければと思います。
08:40私は、そういう腕がないですので、お任せします。
08:43いや、リザードさん、これからも大丈夫。
08:45そうですか、じゃあ、頑張ります。
08:47そして、リチャードさんは、石巻を一望できる場所に案内してくれました。
08:54ここを見て、やっぱり変わりゆく姿を確認できますよね。
09:00ここは、まさに、これから公園になる場所になってますね。
09:01はい。
09:02復興に向けていってるって気持ちもありますので、新しくきれいになっていくみたいな感じで。
09:15あれから8年、リチャードさんは、今。
09:17はい。
09:18はい。
09:21石巻のリチャードさん、すごくよく覚えてますよ。
09:28そうですね。
09:29もう、仲間を残して帰れないっていうね。
09:31もう、あえて困難な道を選んで、石巻に残ったんですよね。
09:35はい。
09:37番組に来てくださったのが、震災から6年後、あれから8年たっています。
09:42はい。
09:43その後、コロナとかもありましたけれども、今、どうしていらっしゃるんでしょうかね。
09:49ね。
09:50毎年ね、3月11日になると、テレビでも震災のことをやったりしますけれども、今日はですね、10月11日ですけれども、これは本当に定期的にやったほうがいいと。
10:02そうですね。
10:03本当、風化させないこと大切ですよね。
10:06いや、そうですよ。本当にいつ来るか分からないですからね。
10:09まだまだ石巻のために活動していらっしゃるリチャードさんのもとを8年ぶりに訪れました。
10:18石巻が一望できる場所で待ち合わせ。
10:33お久しぶりです。
10:34石巻さん。
10:35どうも、ご無沙汰してます。
10:36初年ぶりですね。
10:37はい。
10:38なかなか懲りない人たちですね。
10:39また来るなんて。
10:40まだいらっしゃるんですね。
10:41はい。
10:42いらっしゃるんですね。
10:43います。
10:44はい。
10:45はい。
10:46もちろん言うまでもありません。
10:47はい。
10:48イギリスに帰ろうと思わなかったですか。
10:49全然。
10:50あの、たぶん前回の番組の時に、その時点で20年以上石巻に住んでて、しっかり自分の生活がここでできてますから、もう帰らないままで現在に至る。
11:038年前に紹介していただいた公園ですよね。
11:07はい。
11:08ひより山公園って言って。
11:09はい。
11:10どうなってますか。
11:11それは変わってますよ。もちろん。この長い年月が経ったんで。
11:14緑が増えてます。
11:15当時工事中だったところがね。
11:17うん。
11:188年前に石巻を見渡した高台へ。
11:24特にこちらの方を展望すると、だいぶ変わったってことを分かっていただけると思います。
11:30緑が増えてますね。
11:31緑が増えてますね。
11:32当時工事中だったところがね。
11:33うん。
11:348年前に石巻を見渡した高台へ。
11:40特にこちらの方を展望すると、だいぶ変わったってことを分かっていただけると思います。
11:47かなり整ってきました。
11:49緑が増えてますね。
11:50当時工事中だったところがね。
11:53見た目的には、たぶん更地だったと思うんですけど、
11:56今は緑がいっぱい青があって、
12:00公園になってる場所とか、
12:02あと海のそばには、
12:04あの白い壁みたいなところが、
12:06新しくできた傍聴堤。
12:09新しく傍聴堤もできたんですね。
12:11そうですね。
12:12傍聴堤。
12:13形が変わって、きれいになってきたんで、
12:16かなり前回と比べて、
12:19あの、前進したなって感じがします。
12:22はい。
12:23新たにできた公園へ。
12:28えー、こちらに看板があるんですけど、
12:31石巻南浜津波復興記念公園。
12:35はいはいはい。
12:36石巻の中心部の中で、一番被害が大きかった場所です。
12:40もうすぐ海が隣で、もう津波から直撃だったんで。
12:45震災前、住宅街だった南浜地区は、
12:50津波に襲われ、多くの犠牲者を出しました。
12:55その場所を整備し、防災と伝承、
12:592つの意味を込めた、
13:01復興記念公園が、2021年に完成したのです。
13:06はい。
13:08こちら、あの、丸いグラス張りの建物なんですけど、
13:12公園の中にある、審査の伝承館なんですね。
13:16その施設の屋根には、ちょっと秘密があるんですけど、
13:21え?
13:22はい。
13:23あの、我々が建てる方は、一番高くなってる部分なんですけど、
13:28その屋根の高さは、襲ってきた津波と同じ6.9メートルの高さになってます。
13:37ですから、近くで建つと、どれくらいの大きな波が来たってことは実感できます。
13:43私、170センチくらいの身長ですけど、
13:48それと比べて、こんな高さの水が来たんですよね。
13:54巨大ですよね。
13:57あの、津波は本当に侮っちゃダメで、
14:01例えば、水の40センチくらいの高さでも、
14:04普通の大人は、もう足持っていかれるくらいの勢いですから、
14:09あの、本当にちょっとしたことでも気をつけないといけないんですね。
14:12なるほど。
14:17そして、この公園のすぐ隣にあるのが、リチャードさんの現在の職場。
14:23はい、もう着きましたけど、こちらには私の職場が見えます。
14:30これは実際にあった門巻小学校という学校なんですけど、もうここは海の近くにありますから、もう津波に襲われて、いろいろあったところで、今は石巻市の震災校になってます。はい。
14:39震災当時、300人の児童が通っていた門巻小学校。
15:16ご覧の通り、もう3階建ての校舎で、もう2階も3階もボロボロの状態だっていうのは、
15:27津波の被害は1階だけだったんですけど、2階と3階は津波火災による被害となってます。
15:34だからこの校舎はダブルの被害を受けた校舎なんですね。はい。みんなで頑張ってます。
15:40現在、リチャードさんはこの新たな職場で館長をしています。
15:47こちらのジムスペースには、新しい仲間がいっぱい座ってます。
15:54新たな仲間が?
15:55はい。心強いどころか、もういなくては、とてもやっていけない、ありがたい存在ばかりですので、はい。
16:02この震災校を管理しているグループの代表のオースです。
16:07オースさんは、知識の方向でも物知り博士的な存在だと。
16:13もともと新聞会社にお勤めだったんですね、オースさんは。
16:18あっ、そうなんですか。はい。
16:20みんなの中で一番伝承したいという気持ちの強い方だと私は思ってます。
16:25やっぱり新聞記者なので、報道のためにもきちんと写真は撮らなきゃいけないっていうのがあります。
16:32朝にだって火事も起きてた。でも、うちの消防車も来ることはできない。
16:37船が道路に行って、ビルに刺さってたりですね、そんなところを写真撮ったりしてましたね。
16:43もちろんそれは世代を超えて、次の世代、次の世代と伝わっていくことが、その次の世代の命を守ることにつながるというふうに思うんですね。
16:522011年の3月11日の震災で、子どもを3人亡くしています。
16:59自分たちがまさか当事者になるなんてことを全く想像してなかったところがあるんです。
17:04自分の体験をやはりしてほしくないなっていうことが、動機の一つにはなっていると思います。
17:11一番の基本は、とにかく亡くならないでほしい、長生きしてほしいっていうのが基本ですから、そのための伝承ですよね。
17:22自分の体験をしてほしいです。
17:27あれは復興住宅なんですね。
17:30あそこの復興住宅があまり人気ないんです。
17:34かなり多くの人は家を流されて、結局復興住宅暮らしになったんですけど、
17:39やっぱりちょっと危ないとか怖いというイメージがあるので、石巻の元内陸の町で生活を始めたりして、いろいろですね。
17:48こちらは歩いている住宅街なんですけど、結構石巻の内陸のところで。
17:58この辺、新しいお家がすごいいっぱいありますね。
18:01そうですね。ニュー石巻って感じで。
18:05震災の後で人気が出て、次々と新しい家が建って、やっぱりこの辺は内陸にあって過ごしやすい。
18:14すごく人気があるんですよね。みんなこっちの方に住みたがる。
18:17津波の直接的な被害がないといわれる若葉地区には、震災後、多くの人が移住してきました。
18:57私たちと一緒に復興を頑張ってくれるっていうのは、本当に感動しました。
19:07もともと震災の13年前に、南浜角野駅長に家を建てて、津波が来てしまったので、やはり安全なところに住みたいっていう思いで、家族と一緒にこちらに引っ越してきました。
19:23子育てしやすい環境を求め、夫の実家があった南浜地区に移住した石川さん。
19:31震災で6人の家族こそ無事でしたが、13年間暮らした家をなくし、
19:39翌年、若葉地区に引っ越してきました。
19:45ここは、みんな顔見知りじゃない人たちの集まりなんですね。
19:51いろんなところから来て、ここに住んでて。
19:53だから、小松から来た人も、大鹿から来た人も、いろんなところから来た人がいらっしゃるので、
19:57門の脇の時は、もう昔からある町なので、住民同士仲良くて、何をやっても盛り上がったんです。
20:05寂しかったり、夢に出てきたり、戻りたいなって思ったり、そういうことは正直多々ありました。
20:15でも、やはり、こちらに引っ越してきたら引っ越してきたで、また生活が始まって、ここだって。
20:23私も町内会の役員なんですけど、うーん、頑張った。
20:28みんな仲良くなりに頑張った。
20:31でも、そのおかげで祭りできるようになりましたよね。
20:34そうなんですよね。
20:36祭り。
20:37被災者ばっかりの町なので、こうやって夏祭りができること自体すごいんですよ。
20:43こういう風のができるのは奇跡的な。
20:47うん。
20:48やっぱりそのみんなが、ああいうふうにコミュニティっていう状態も、みんな結ばれてるっていうところは、日本の強さだと思いますよ。
20:56みんなで力を合わせて、お祭りとかそういういいことをすることにもつながってますから。
21:03地方に住まれてる方、もともとそれまで住んでいた地域のコミュニティが崩壊するっていうのは、一緒に生きてたりしますからね。
21:13皆さん。大きな問題ですよね。
21:16そうですよね。そして、一度すべて崩壊して、また一からコミュニティを作っていくっていうのは、本当に大変なことですよね。
21:25いろんな方がいらっしゃるでしょうしね。やっぱりどういう方かっていうのが分かり合って、少しずつ馴染んでいくっていうのにやっぱり時間がかかるんだろうなと思いますね。
21:34さあ、この後は、おがつの町で頑張っていた、あの若いすずり職人の方に会いに行ってきました。
21:438年経って、おがつの町も、プレハブだった道の駅も、復興して様変わりしていました。
21:51今、峠を越えて、ここにね、ようこそ、おがつ町へ。
21:58もうおがつに入りましたけど、ここは前回の番組の時も来たと思うんですけど、
22:04中心部じゃなくて、地方の方に値しますから、割とその復興が遅れてる方だったんですよね。
22:14石巻市の東に位置する、おがつ地区。
22:18最大16.2メートルの津波に襲われ、震災の被害が特に大きかった場所。
22:29今、かなり復興が進んでて、これが防潮堤です。はい、これが新しいです。
22:36こんな大きさではなかったと思います。
22:39五月湾って、とっても自然が綺麗な場所ですけど、
22:42防潮堤自体は、こんな大きいものを作ってよかったかなっていう疑問があったり、
22:48守りたい気持ちと、自然を壊したくない気持ち。
22:53福のいろんな要素が、
22:58擁縮されてる場所だと思いますね。
23:018年前の番組の時には、
23:03棚小屋商店街という仮設の商店街に行ったんですけど。
23:128年前、五月を訪れた時は。
23:17こちらはですね、小松地区の小松田名小屋街っていう仮設商店街なんですね。
23:27商店街は、まだプレハブ状態でした。
23:33それはもう終わりまして、
23:36こちらは目の前に看板があるんですけど、
23:39素敵な道の駅の形に生まれ変わりました。
23:43ここはそんなんですね。
23:45これはもともと校長室だったんです。
23:49被災したまんまの状態です。
23:51何も手を加えてないんですよね。
23:53ここに住んでた子供たちが、どれくらいやんちゃだったのかというと、
23:56壁には、お父さんが書いたメッセージがあります。
24:01やっぱり、小松といえば鈴木ですから、
24:03その鈴木の石でできた黒いデザインがコンセプトになってると思うんですけどね。
24:10素敵に出来上がったところなんですよね。
24:14おー、綺麗ですね。
24:16はい。
24:17独特のエレガンスがあるんですけど。
24:20本当ですね、綺麗になりましたね。
24:22ここで作ってる鈴木を販売してますけど、
24:26それだけではなくて、こういう時計とか、
24:30こう立てるためのですね、こういうものも、
24:33本当に何でもこの石だと格好良くなるんですよね。
24:37すごい。
24:39鈴木を作る技術を生かして。
24:43やっとここまで戻ってきたって感じですよ。
24:47お久しぶりです。
24:49あ、ご無沙汰してます。
24:51ご無沙汰しております。
24:53あの、前回、私が来た時に鈴木とか作ってた、
24:59徳水さんなんですけど。
25:01はい。
25:02はい。
25:03そう、この人は。
25:068年前に工房を訪れた際。
25:11これが今やってる中で最名称です。
25:13いくつでらっしゃいますか。
25:14以上になります。
25:15こちらの方。
25:17はい。
25:18本学の出身です。
25:20まだ、新人の職人だった徳水さん。
25:25今って、どういう形になったんですか。
25:28今、鈴木組合の職人として10年勤めまして、
25:33その後、独立して1年、丸1年経ったところになります。
25:37製品として置いてるのは、まだ数少ないんですが、
25:41いくつかございます。
25:43普通の四角では、ただの四角なんですが、
25:46デザイン的には、これをきれいに作るのが一番難しい。
25:51へぇー。
25:52角の丸みとか、きれいですね。
25:55その最初の縁をなぞる段階で、
25:58ごく若干外側に貼らせてます。
25:59そういう細かいことをいろいろとやってます。
26:03すごく8年前より成長してる感じがします。
26:07自分的なあれですけど。
26:09若い方が職人になって伝統を続けてるってことは、
26:14とにかくもう必要不可欠ですよね。
26:17震災の前にも職人さんが減少してるっていうことが、
26:22もう前からの問題だったんですけど、その震災の後で、
26:25また重なった形でいろんな問題が出てきたんですけど。
26:298年前、10人いた職人は高齢化の影響で年々減少。
26:36わずか5人になってしまいました。
26:39さらに減ってしまったんですね。
26:42受け継ぐ人いないっていうのは本当にもったいないと思うので、
26:45それをちょっと真に伝えなきゃなという思いは感じ始めておりますので、
26:50インターン生の募集を始めてまして。
26:53そうだったんですね。
26:55小勝地区では職人として住み込みで3日間働き、
27:00伝統と街の暮らしを体験してもらう制度を昨年から開始しました。
27:06内定者は2人。
27:09来年4月から5月に移住する予定です。
27:14現地で採れた石を使って製作されていて、それが人々の手に渡っていくっていう、
27:23そういう循環がすごく大きくて、とても楽しい貴重な経験になったなと思いました。
27:32次の世代って感じですよね。
27:36希望が持てるなって感じだと思います。
27:41現在、販売所の周りは再開発され、道の駅になりました。
27:47ここは道の駅らしくね、特産品とか新鮮な魚介類とか、はい、いかがですか、新鮮そのものです。
28:09うわー、ホタテですね。
28:12立派なホタテが。
28:14石巻のホタテは、山からの複流水でプランクトンが豊富な海で育つため、甘みが強く、肉厚。
28:24おー、元気。
28:27ホタテ漁師さんを訪ねました。
28:34あ、いますね、漁師さんが。
28:37こんにちは。
28:40ちょっとお話、よろしいでしょうか。
28:43はい。
28:44ありがとうございます。
28:46じゃあ、これが6メーターだったから、簡単にこいでいくくらいの波が押し寄せてきたもんだから、まあ、この地区は全滅、全滅状態。
28:59これ何やったの?がれきの山で、船一層もないからほとんど、みんな流されて。
29:05ゼロもいいと思う。
29:07ほんとだ、がれきの山。
29:09海のものっていうのは、年数かかるじゃないですか。
29:12今年はしょうがないと、来年水揚げないと終わりだなって思うように。
29:18とにかく頑張っていと思い切ってやったんだね。
29:22復旧には5年かかると見込まれていましたが、力を合わせ、わずか3年で、震災前と同じ水揚げ量に戻しました。
29:34好きだね。この土地で生まれて、ガギの頃から薬を知ってて、海嫌いだとか、まだ地震来たらどうとか、こういうようなこと一言も言わないね。
29:48それよりも、なんとか自分たちの力でこの地を守るっていうんだ。そっちのほうがずっと強いところだね。
29:56まあ、この強さはね、全て物語ってるって思いますよね。
30:01はい。
30:02こんだけ大変な体験して、それでもね、続けてやってるっていうのが。
30:09ホタテ養殖の復旧には、さまざまな人の協力がありました。
30:15すごいですね、これ。
30:18ホタテ養殖の復旧を後押ししたのは、
30:23県外からの移住者でした。
30:28山形県鶴岡市のイタリアンで修行していた高橋さんが、
30:344年前に移住し、オープンしたお店。
30:39料理にオガツさんのホタテを使っています。
30:42おいしそうですね。
30:44すごいですね、これ。
30:45ねえ。
30:46海の幸、コロッコロですよ。
30:48一応待って頑張ってる生産者なんかもたくさんいますので、
30:52それは食の面で盛り上げて、
30:54食材にスポットが当たるような感じになればいいんだと思います。
30:59美味しい海の幸、こういうイタリア料理という形で、
31:12食べていただいて楽しんでいただきながら、
31:15とにかく全体の循環を元気にしますから、
31:19ぜひぜひそれ、希望しています。
31:27次はですね、もう名前がかかってますけど、
31:32オガツロースファクトリーガーデンという、
31:35オガツの一つの復興の印なんですけど、
31:40地域を残したいという気持ちとか、
31:42交流の場のつもりで、
31:44こういうとても素敵な庭園のようなものなんですね。
31:49あ、徳光さん、こんにちは。
31:51また来てしまいました。
31:53よろしくお願いします。
31:55友達を石巻を案内するときには、
31:59ここにだいたい連れてくるんですよね。
32:02この前で来ましたよね、アメリカ人と。
32:04そうなんですね。
32:0510年前の震災で母を亡くしてますので、
32:08母とそれから全部流されて、
32:11何もかも亡くなったところに、
32:15土地とかなくなった人に対してしたいなと思って、
32:19やったのは二株の花植えでだけだったんです。
32:21外国から来てて、それでもやっぱり、
32:22ここ捨てないでいるっていう方がいるだったら、
32:27私たちだって続けていくべきだよな、みたいな。
32:37そうやって石巻に残ってくださった人がいるっていうことは、
32:38もうすごい後押ししてくれましたね。
32:43そして、この日は。
32:44これかな?
32:45これかな?
32:46はい。
32:47今回はですね、三重県の方から一生懸命、
32:49審査の勉強をしているようですけど、
32:50その高校生たちの方に、
32:52開設することになっています。
32:53なるほど。
32:54三重県から。
32:55いらっしゃいませ。こんにちは。
32:56どうぞ、こちらのスペースまでお進みください。いらっしゃいませ。
32:59ご覧ください。
33:00そして、この日は。
33:02三重県から来た4人の高校生に震災移行を開設します。
33:31お越しくださいまして、誠にありがとうございます。
33:35これから90分ほどのご案内という形で、
33:39私と一緒に施設を回ることになりますが、
33:42その前にはですね、三つの校舎でできています。
33:47一番ボロボロになっている本校舎と、
33:49後ろにあります特別教室、第二の校舎ですね。
33:53そしてさっき私たちが入っていた体育館、この三つ。
33:57はい、こちらは本校舎で被災したまんまの状態です。
34:04何も手を加えてないんですよね。
34:06これはもともと校長室だったんです。
34:08はい、こちらは本校舎で被災したまんまの状態です。
34:17何も手を加えてないんですよね。
34:19これはもともと校長室だったんです。
34:22校長室では貴重品も保存するんですよね。
34:26目の前にあります大きな金属の箱。
34:29これが金庫なんです。
34:313月に発生したものですから、
34:33卒業予定者の卒業証書も入っていたんですけど、
34:36それも無事に出てきて、
34:38卒業生の手に渡っていたという、
34:40ちょっと嬉しい話になっています。
34:42はい、2階に上がってきました。
34:46ということは、ここは火事だけの被害を受けた階なんですね。
34:50で、たぶん一番目に入るのは、
34:52机と椅子の様子だと思います。
34:55木の部分が全部火事のために燃えてしまって、
34:58金属だけが残っている状態なんですね。
35:01はい、必ずお客さんに言われるのは、
35:04津波が太陽の水なので、
35:06一体なんで火事になるのかということですけど、
35:08うちの中で灯油のストーブとか焚いている人がいっぱいいたはずですけど、
35:12燃えているものがありまして、
35:14津波の流れは本校舎にぶつけて火事が燃え移りました。
35:19東日本大震災の時に小さかったので、
35:23あまり記憶がなくて、
35:27自分ごととして捉えることができなかったんですけど、
35:30リチャートさんの話を聞いて、
35:33リアルな話とか知ることができて、
35:36すごくいい機会になりました。
35:41ここから見ると、
35:43その細長い感じがわかると思います。
35:46ということは、実はこれが廊下なんです。
35:50左側は本当は壁があるはずですけど、
35:53燃えてなくなってしまって、
35:55すべての教室が丸見え状態になっているんですよね。
35:59それもどんなに大変な鍵だったのか、物語要請となってます。
36:05当時私は3歳で実際のこの悲惨さをあまり理解できてなかったところがあったので、どれだけの人が犠牲になったかを思い知らされました。
36:19こちらの15という数字がついているのは、実際に人が暮らしてた仮設住宅です。
36:31もし入れたければどうぞと、みんながどういう暮らししてたか見えます。
36:35どうぞどうぞ。
36:37夜 toward theanne
36:41夜ー
36:52入れてた?
36:54Animal
36:57横
37:00どっしたら片付けるわけ?
37:01片付けるわけ?
37:03この
37:04・パパ
37:05I've been living in a house and I've been living in a house.
37:11I'm very happy to live.
37:17What do you want to do with your own life?
37:22I can't believe it.
37:24My heart is not an answer.
37:26I can't believe it.
37:28I can't believe it.
37:31I can't believe it.
37:33I can't believe it.
37:38I can't believe it.
37:40I can't believe it.
37:42At least at the beginning of the night,
37:46KEN-chan!
37:54Ah, do you want to?
37:56Do you want to?
37:58This is a friend of the Kuro Sawa KEN-ichi KEN-chan.
38:04Yes, I am.
38:05I am very sorry.
38:07This is a friend of the GAN-VARO-I-SINO-MAKI-KAN-BAN.
38:11I'm the mayor of the town.
38:14So?
38:15At the time of the震災,
38:18I had a place where I grew up on a tree.
38:22It was like a dream.
38:24So I wanted to create a message that I wanted to make.
38:29I wanted to make a message that I wanted.
38:32I wanted to make a message that I wanted.
38:35I wanted to make a message that I wanted.
38:39I created a 3-year-old scene.
38:42I started to make a project for a year.
38:45For the children.
38:47So the children, I took place.
38:49They helped to see a disaster.
38:51The time they did,
38:53it helped become a dream.
38:55So, I could see their story as a story
38:58That's where we can continue to take the future.
39:01I did more than that.
39:03At the moment,
39:04it's an environment where my住住所 is.
39:08This is the base.
39:10This is the bedroom.
39:12It's a restaurant in the middle.
39:14It's a shop room where there is a place where there is a room.
39:20During the toilet, it was still hidden.
39:24The realness is very interesting.
39:27The way it is in the middle of the room is the same.
39:30The outside car, the building was pushed over the door.
39:36Yeah, I think it's important to be able to see how difficult it was, I think it's important to be able to see the people who are living in the middle of the day.
40:06北上川。
40:36北上川。
41:06北上川。
41:36生まれ変わって歩き出すよ。
41:42弱った折れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ。
41:55伝承の中には辛い思い出も入っているんですけど、できる人からやればいいですし、それを大切にしながら、未来、前の方を見たいなという気持ちもありますね。
42:11リチャードさん、まだ日本を好きでいてくれますか?
42:23それもちろんそうです。自分の人生半分以上もこの日本、この石巻に過ごしてますので、ふるさとにもなったと思いますし、大切な仲間がいっぱいできたし、ここにいると幸せを感じます。
42:45今後ね、震災の記憶が薄れていったときに、若い人たちは次の世代にまた語りついていってくれるといいですね。
42:55でも、あれだけ意思を持った学生さんも、リアルタイムでの記憶がない、それぐらい時間が経っているってことですもんね。
43:05そうですね。
43:06でも、人ごとじゃなく、自分ごと、若い世代も、もちろん我々も、みんなでこう、忘れないで風化させないでいきたいですね。
43:13そうですね。はい。
43:14今年は昭和100年、戦争だったり震災といったこういう忘れてはいけない記憶、こういう形で残すことは大切かなと思いますね。はい。
43:28花からもらうものは最高です。
43:34温かい家が欲しければ、やっぱり自分たちで薪を作ると。それが家のポリシー。
43:40こういうところで子どもたちが遊んだり、季節とともに子どもの成長も、自分の成長もあるかなと。
43:53子ども5人と一緒に、より黒のエリアを元気にしていきたいです。
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