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  • 5 か月前
新撰組の母胎とも云ふべき、幕府が新に徴募した浪士団が家茂将軍警護の名目で、江戸を出発したのは、文久三年の二月八日であつた。
朗 読:岩倉 洋子
たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
The Shinsengumi, or the mother organisation of the Shinsengumi, was formed on 8 February in the 3rd year of Bunkyu when a group of newly recruited ronin left Edo under the guise of guarding Shogun Iemochi.
Recitation: Yoko Iwakura
Taoyaka Internet Broadcasting Website: http: //taoyaka.at-ninja.jp/

カテゴリ

📚
教育
トランスクリプション
00:00たおやかインターネット放送
00:30上不適切な表現がありますが作者の意図を尊重して原文のまま朗読します
00:36新選組の母体とも言うべき幕府が新たに聴簿した老子団が家持将軍慶吾の名目で江戸を出発したのは文休3年の2月8日であった
00:51総勢およそ240名23日に京都郊外三部に着いたがこれらを新調組と言う
01:04隊長閣は省内の清川八郎で竹のすらりとしたおもながの高男子
01:11頑固鋭く人を射る男だったという
01:15幕府は初め老子の人員を50名ぐらいという方針であった
01:22しかし実際は風雲を望んでいた天下の老子たちが旗元くらいにはなれるという腹で続々集まってきた
01:33甲州の京郭雄天千之助が子分20名を引き連れて加わり
01:42すぐに五番隊の御長として採用されたことなどを見ても
01:47だいたいこの老子団の正体がわかる
01:50これが京都に留まること20日ばかりで分裂し
01:57芹沢近藤ら13人が清川に背き
02:02宿舎八木玄之城の屋敷前へ
02:06三部村老子豚書の看板を出したのが
02:10いわゆる新選組の乱章である
02:13隊員長倉新八子と杉村義絵王
02:20大正4年まで尊命
02:23の語り記すところによると
02:25総勢13名の新選組も初めはひどく貧乏だった
02:313月に隊ができて5月になるというのに
02:36まだ綿入れを着ている者が多かった
02:39いろいろ考えた末
02:42芹沢が真っ先に立って
02:458名の老子がわざわざ大阪まで行き
02:50河野池を脅して200両借りて戻った
02:53体のいい暴力団だ
02:56これで朝の羽織に門付きの人へ
03:01小倉の袴を新調して
03:03初めて江戸以来の着物を脱いだわけである
03:07しかもその羽織たるや大変なもので
03:12朝着地の袖を中心蔵の義士のように
03:16だんだら染めにした
03:19これが当時の新選組の制服になり
03:23後に池田屋襲撃の時も
03:27隊員一同この羽織を着て奮戦したのである
03:33新選組結成6ヶ月で近藤勲
03:37ひじかたとしぞうはその隊長
03:40瀬里沢鴨をその正宅に襲って切った
03:44瀬里沢は水戸の郷子で本名を下村嗣といい
03:51水戸天狗島の生き残りである
03:54天狗島にいた時は
03:57板子の宿で気に食わぬことがあって
04:01部下3名を並べて首を切ったり
04:03鹿島神宮へ参景して
04:06拝殿の太鼓が大きすぎて目障りだといって
04:10これを鉄線で叩き破った
04:13というほどの乱暴者であった
04:15瀬里沢亡き後の新選組は
04:18当然近藤ひじかたの天下で
04:21幕府の後押しもあり
04:23京都守護職松平片森の信頼もあり
04:28隊の勢いは火ならずして流々として上がり
04:32強楽に格索する勤納の志士にとって
04:36隠然たる一大敵国をなすに至った
04:39近藤勲
04:43新選組隊長近藤勲といえば
04:47剣劇大衆小説に幾百回となく描き尽くされ
04:52幕末者のヒーローであるが
04:55その実質としては
04:57暴力団の団長以上には評価されない
05:00剣術のよくできる反動的物資といったところである
05:06ごくひいきめに見ても
05:09三代騒音の旗本八幡記の
05:11だらしのないのに反して
05:13三玉の土豪出身でありながら
05:17幕府のために私力を尽くしたのは偉い
05:20という表がせいぜいである
05:22しかしこれらの見方は
05:25近藤その人の全貌を尽くしていないし
05:29彼のためにも気の毒である
05:32近藤の刑事は
05:35慶応4年4月25日であるが
05:38この年6月6日発行の中外新聞には
05:43ウルウ4月8日
05:47元新選組の隊長
05:49近藤勲というものの主級
05:51関東より来て
05:53三条河原に強制られたり
05:56その身すでに中陸をこうむりたるものなれば
06:01行いの是非を論ぜず
06:03その言うに至りては
06:05惜しむべき草子なり
06:07と言わざるものなしとある
06:09この頃
06:12俗軍として死刑に処せられたものは
06:15今日の共産党被告以上に
06:18見られていたのであるから
06:19出版物にこれだけ書くだけでも
06:22容易でない
06:23俗軍であっても
06:26彼の評判は
06:27当時において非常に良かったことは
06:30この記事でも分かると思う
06:33伊佐美が生まれたのは
06:35天保5年で
06:36近藤秀才の養子となり
06:39新調組に加わった頃までは
06:42剣術も学問も
06:44特に目立って言うほどのこともなかった
06:48新調組から分離した時から
06:50伊佐美は前時当格を表してきた
06:55藍津藩 鈴木丹下の総上日記には
06:59そのうち
07:00近藤勇というものは
07:03智雄金備わり
07:05何事を掛け合いに追い
07:07総来へども
07:08滞りなく返答いたし
07:11候者の良し
07:13とあり
07:13この頃から
07:15智雄賢美というような
07:17賛辞が捧げられている
07:19彼は当衆と合して
07:22相当立派な字を書いている
07:25学問は大したものではないが
07:29当時の賢客としては
07:31神後に落ちないくらいの
07:33素養はあったのであろう
07:34その政治上の主義としては
07:39彼の上書に
07:41全体我どもは
07:43人中報告の詩詩
07:46よって
07:47しかるに今般
07:49お召し
07:50愛王子
07:52去る2月中
07:53はるばる状況つかまつり
07:56孔明尊大
07:59異的上位の
08:01護衛団招致つかまつり
08:03存ずる志にて
08:05大経
08:06まかりあり
08:08
08:08云々
08:09文旧3年10月15日上書
08:13とある
08:15また
08:17偉音一力楼で
08:19合図
08:19日後の神の
08:20小縁で
08:21
08:22
08:23
08:24愛などの
08:26各藩
08:26重式
08:27列席の会合でも
08:28彼は
08:29堂々と
08:30その主張を
08:31比例し
08:32つらつら
08:34愚行つかまつり
08:35
08:36ところ
08:36ただいままでは
08:38長藩の
08:39上位は
08:40これあり
08:41候へども
08:42真の上位とは
08:44申されまじく
08:45
08:46この上は
08:47後部合体
08:49先逸
08:50いたし
08:51その上
08:52幕府において
08:53断然と
08:54上位
08:55仰せ
08:55出され
08:56候はば
08:57自然
08:58国内も
09:00安全とも
09:01存じ
09:01たてまつり
09:02
09:03近藤の
09:04手紙の
09:05一節
09:05
09:06述べている
09:07近藤の
09:09意見では
09:10候部合体
09:12すなわち
09:13強固なる
09:14巨国
09:15一致内閣で
09:16上位すべし
09:17というのである
09:19近藤
09:21上位
09:22候部合体
09:23説であった
09:24彼は
09:26この主義の
09:27ために
09:28一子
09:28報告の
09:29念に
09:29燃えていた
09:30のであるから
09:31新選組が
09:33単なる
09:33非常警察と
09:34考えられるのには
09:36大いに不満でも
09:37あったらしい
09:38私どもは
09:42昨年以来
09:43中訓
09:44報告の
09:45有志を
09:46お募りに
09:47相なり
09:48すなわち
09:49お召しに
09:50応じ
09:51上京
09:52建祭り
09:53これまで
09:54滞在
09:55建祭り
09:56相連の
09:57相連の
09:57大いに
09:58大いに
09:59おつのりにあいなり候義には
10:02ござなく候と存じたてまつり候
10:06現時元年三日上書の一節
10:12とある
10:14彼にもまた高校たる志はあったのだ
10:20自生を憂え自生を知ることにおいて
10:24立場こそ異なれ
10:26あえて薩長の志士に劣るものではなかったのである
10:30ことに近藤の光栄とすべきは
10:35宮中第一の豪傑であらせられる
10:38国宮朝彦親王との関係である
10:42親王の日記には彼の名前も見え
10:47慶応三年九月十三日の項には
10:52幕府の拉腕家原一之心に変わるべきものは
10:57近藤である
10:58よ自身近藤を召しかかえたいと
11:03恐れ多くも仰せられているのである
11:06暴力団の狩猟というよりも
11:11自流の波に乗り損なった志士と言うべきだろう
11:14菊地監作 池田屋襲撃第一話をお送りしました
11:21次回もお楽しみに
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