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  • 7 か月前

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00:00続きまして、講演第2、遠藤俊夫先生、株式会社インプレッシブの代表取締役、そして現在は日本市盤学会事務局長と、そしてNBCR対策推進機構副理事長をしていただいております。
00:23ミャンマー地震とタイバンコクの経験ということで、たまたま遠藤さんがこの前、ミャンマーの大地震がありましたけれども、その時にたまたま出張でタイのバンコクに滞在しておられて、ひどい目に遭ったということですので、
00:49その体験談をお話しいただければと思っております。
00:56それでは遠藤先生、よろしくお願いいたします。
01:04皆さん、改めましておはようございます。
01:06今ご紹介いただきましたように、日本市盤学会の事務局長、並びにNBCR対策推進機構の副理事長を務めさせていただいております遠藤と申します。
01:16本日は、たまたま私がタイに出張していたときに、3月28日、例のミャンマー地震で、バンコクでどんな目に遭ったかという体験談を発表させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
01:37実は、ミャンマーは普段から地震が多いところでございます。
01:49この図のように、ここにミャンマーがあって、タイはここで、バンコクはこの辺なんですけれど、実はミャンマーのところに約1000キロにわたって断層が走っております。
02:03これが過去100年の間に、かなり大きな地震を起こしているというのが原因ということで、今回は震源がマンダレーの近くだったんですが、震源の深さが約10キロと浅かったために、広範囲で強い地震の揺れを感じました。
02:27その10分後には、実は、これはあまり発表になっておりませんが、マグネチュード6.4の陽子も出ております。
02:36今申し上げたように、実は地震が多いところですというところですが、このサガイン断層というのが活発な地震活動を誘発しているということでございます。
02:49これが100年から150年の間で、かなり大きな地震を誘発しております。
02:571930年の5月、12月、これもマグネチュード7.4、7.5、31年には7.7の大地震、そして最近ですと、2016年の8月に実はあって、これも6.8という強い地震で、
03:18神社、仏閣がかなり倒れたというのも報道になっていたと思います。
03:23今回は7.7ということで、非常に大きいんですけれど、実は皆さん、日本も地震が多い国というのは認識をいただいているかと思いますが、
03:33日本では、この100年の間に、実際マグネチュード7ぐらいの地震が何回あったかご存知でしょうか。
03:43もちろん東日本、淡路、阪神淡路という大きなものもありましたが、実はこの100年の間にマグネチュード7は約30回、日本にはございました。
03:54その被害も大きいんですけれど、これから今回のミャンマーの地震の被害と、阪神淡路の被害状況を比較したものをちょっと作ってみたんですけれど、
04:11ミャンマーでは今回、3645人以上ということで、国柄ということもあって、なかなかしっかりとしたデータが出ていないんですが、
04:25私が調べた、これ4月4日時点の情報になりますけれど、死者数が3645人以上、負傷者5000人以上、行方不明者200人というような形が出ておりますが、
04:43おそらくこの数字以上のものが実際にはあるのではないかなというふうに、容易に推測できます。
04:53また、阪神淡路では6,434名の尊い命が亡くなり、負傷者も4万3,792人、行方不明者3名、被害建物数が1万6,000頭ということで、
05:08避難者数が32万人最大で出ております。
05:14ミャンマーの場合は、避難者数というのは数万人ということで書いてありますが、
05:21実際のところは分かりません。
05:25この地震の後の直後も、軍の政府は、攻撃をかわしたり、いろんなことをやっており、
05:39なおさら混乱が招いているというところでございます。
05:43ここからが、私が実際にバンコクで体験したことを、少しずつ発表させていただきたいと思います。
05:52なぜ、今回の震源から1,000キロも離れたところで、地震がバンコクで揺れたのかというところですが、
06:04先ほど申し上げたように、震源の深さが非常に浅かったということで、
06:10バンコクは震源地から約1,000キロ離れておりますが、強い揺れを感じました。
06:18バンコクの地盤というのは、中石層というところで、
06:23約2万年前の氷河期以降にできた、堆積した柔らかい地層でできており、
06:31バンコクは特に海抜0メーターでございまして、非常に地盤が弱いというところが指摘されておりますが、
06:40バンコクに行かれた方は、もうご存知かと思いますが、
06:43今は地下鉄も何本もできて、モノレールもできて、
06:4860階以上のビルがもう何十本もできております。
06:51そういう中で、今回このような地震というのは、本当に大きな問題になってくるかなというふうに思います。
07:01今回の地震は、いわゆる長期振動というところで、非常に長い間、バンコクでも揺れを感じました。
07:12私自身も非常に不安になりましたし、焦りましたし、
07:18何がどこでどういうふうに起きているのかというのは、よくわからないような状態でございましたが、
07:24私の感覚からいくと、震度3または震度4弱、
07:29これが1000キロも離れたところからですね、
07:34約、私が感じていたのは2分半ですね。
07:372分半ずっと揺れていました。
07:40ですから、後で写真とかもお見せしていきたいと思いますけれど、
07:46書類が棚から落ちてきたと、崩れてきたとか、
07:51あるいはバンコク特有でですね、コンドミエムの屋上にプールを設置しているケースがたくさんあって、
07:58そのプールの水が30階、40階建ての上から滝のように落ちてきたという、
08:03ビデオでご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、
08:07そういうような現象が多く見られました。
08:10これが実際に私が、実は昼食をしていたときに揺れたビデオを私が撮ったところでございます。
08:37私も何軒かバンコクで、顧問先があってですね、顧問先のスタッフと食事をしていたところですが、
08:48このようにいきなりゆっくりとゆっくりと揺れてまいりまして、
08:54この後、大臣たちは何がどこで起きているのかと。
08:59私もすぐネットを見たんですが、
09:02ヤフーやグーグルには何の情報もそのときはありませんでした。
09:06ただ、やっぱり大臣の大語で見るところは出ているんですが、
09:13残念ながらしゃべれますが、私は読み書きができないので、
09:18その情報をしっかりとつかむことができずにおりました。
09:22この後、外に出てみると、もう本当に人だかり、
09:29みんな何が起きたのかわからないような状態で、
09:33いわゆるパニック状態というようなところで、
09:38口々に、どこで何が、地震がどうしたというのは、
09:43大語で聞こえてきたんですが、中には日本人もいまして、
09:48大丈夫でしょうかというような話をお互いにしている人がおりました。
09:55実は、バンコクは、すでに日系企業が今、約6,000社進出しておりまして、
10:01在留届を出している日本人も7万人近くおられます。
10:08もう軽くシンガポールを越えておりまして、
10:11日本の企業との関わりも非常に深いところでございますが、
10:19こんなような状況で、私はプロンポンという、
10:22バンコク都内の一番ど真ん中、銀座に近いようなイメージを持っていただければと思いますが、
10:31そういったところで、昼食をとっていたんですけれど、
10:35こんなような状態で、私もすぐ外に出ました。
10:40一番左の写真が、レストランの風景、
10:46そして右上が出た寸前ですね。
10:49その後、BTSというモノレールみたいなところに、
10:54駅に行ったんですが、
10:56もうすでに公共機関はクローズされておりまして、
11:01全く交通の手段がない、
11:04そんなような置いてきぼりをされたような状態で、
11:08道路を見ますと、
11:09一番左下の写真のようにですね、
11:12大渋滞、バイクも全く通れないような状態で、
11:19人はやはりみんな集まってですね、
11:23情報の収集をしているというような状況でございました。
11:26この辺の写真は見たことがある方がいらっしゃるかと思いますが、
11:33建設中のタイの超大手の建設会社と、
11:40中国のJVがやっていたビルが崩壊してしまいました。
11:46後にですね、設計ミスですとか、
11:50強度の足らない鋼材を使っていたんじゃないかというようなことが、
11:58非常に今調査されていたり、
12:02あるいは建設会社のトップは、
12:04みんな逮捕されております。
12:06実際に倒れて、
12:08ここで一番バンコクでは犠牲者が多かったんですが、
12:11ここで97名が亡くなっております。
12:14バンコクは右下のところにあるような、
12:19こういう3棟をつながって、
12:21それをつなげているようなビルのイメージがたくさんあるんですけれど、
12:26ここも実際にはつながっている連結の部分がですね、
12:32ひびばれたり壊れたりというような報道もたくさんありました。
12:37このだいたいコンドミニアムの一番トップルーフがプールになっておりますので、
12:44その水が全部下に落っこってくるというようなことで、
12:50水着のまま逃げている方もたくさんいらっしゃいましたし、
12:54非常に厳しい状況だったと思います。
12:58実際、バンコクとの被害状況というのは、今わかっているだけですけれど、
13:05死者は103名。
13:08うち、先ほどのビルの崩壊で97名が亡くなっております。
13:14これはタイ人だけではなく、ミャンマーからの出稼ぎ、
13:19あるいはラオスからの出稼ぎの方が亡くなっているケースが多々あります。
13:26負傷者は100人以上。
13:29被災した建物はやはり1万4000棟。
13:33これは軽度損傷も含むということですが、
13:35帰宅難民者は数十万人規模ということで、
13:40私も実はその1人として帰宅難民を余儀なく経験させられたというところでございます。
13:50インフラについては、電気、ガス、水道はほぼ問題なかったので、
13:56こちらについてはラッキーというか、良かったなというところですが、
14:01ショッピングモールやスーパーは翌日まで影響があり、
14:04クローズがほとんどでございました。
14:07ただし、セブンイレブンとかファミリーマート、
14:11こういったコンビニはほぼ空いておりまして、
14:15品物もまだあったというような状況でございます。
14:20余談になりますけれど、バンコクにはセブンイレブンはすでに1万4000件ございます。
14:26ファミリーマートも1万件ぐらいあります。
14:29ほぼ日本と同じような感覚でございます。
14:32私が実際に被災したところから、
14:38どうやってホテルまでたどり着いたかというところを、
14:42ちょっとご紹介したいと思います。
14:46バンコクでは、13時20分ぐらい、
14:49約ミャンマーの発生から30分ぐらい、
14:53ちょっと時差があったような感じがいたします。
14:55私は日本人がたくさん住んでいると言われているプロンポンというところで、
15:02遅めのランチ、日本食、キッチン、新潟という、
15:05非常に昔からある定食屋で食事をとっていたんですけれど、
15:10最初は私もバンコクで地震があるなんて思ってもいなかったので、
15:16これは何だろうと、
15:19もしかして何かトラックがぶつかったんじゃないかとか、
15:22BTSが落っこってきたんじゃないかとか、
15:24いろんなことを考えましたけれど、
15:27周りの大臣が、
15:29あなたは日本人ですよねと、
15:31これは地震じゃないですかということで、
15:34騒ぎ出して、
15:35じゃあちょっと調べてみてよと言ったら、
15:38震源地がミャンマーだというところになりまして、
15:42そこからまたクエスチョンが出て、
15:44なんでミャンマーなのにバンコクがこんなに揺れるんだろうと、
15:48いうふうにちょっと感じた次第です。
15:50周りの大臣も本当に誰も地震を経験したことのない人たちなので、
15:58本当に動揺して、
16:00どちらかというと日本人である私に、
16:03日本の状況を聞いてくるような感じでございました。
16:09まずは2階にいたんですけれど、
16:11まずは外に出ましょうということで、
16:15ビールを昼間から飲んでいる人もいましたし、
16:18まだ厨房は火を使っているような状態でしたので、
16:22私自身ちょっと厨房に入って、
16:25簡単なタイ語で火を消してくださいと、
16:28そして皆さん表に出ましょうというようなことを言って、
16:33自分も外に出ました。
16:35外に出たところ、
16:36先ほどの写真のように、
16:38もうすでにいろんなビルから人が降りてきて、
16:43歩道あるいは車道にですね、
16:45車がもうあふれかえっているような状況でございました。
16:50先ほどちょっと申し上げましたが、
16:53一生懸命日本のYahoo、Googleにアクセスしましたが、
16:57全く情報がなくてですね、
17:00完全に情報、いわゆる情報弱者というようなところで、
17:04困ってしまいました。
17:07私は一駅先、プロンポンから一駅先のトンローというところまで、
17:14一応歩ってですね、
17:16そこには日光ホテルがあってですね、
17:19フランチャイズなんですけれど、
17:22日系のホテルなので、
17:24そこに行っていれば安全かなというような、
17:27安易な考えで移動したんですけど、
17:30歩って15分ぐらいですね、
17:32ホテルまでは、
17:33何事もなく歩っていって、
17:36日光ホテルに着いてロビーで、
17:38日光ホテルではお水とかですね、
17:42飲み物はもうタダで出してくれてましたので、
17:45それを頂戴してロビーで待機していたような状況です。
17:51この間約1時間ぐらいロビーで待機して、
17:54いろいろネットを使ったり、
17:56友人に電話をしたりですね、
17:58大臣の友人に電話したりですね、
18:00しまして情報を得ていたんですが、
18:03全くと言っているほど情報が取れず、
18:07たまたまその顧問先のスタッフに連絡が取れて、
18:12もう今日はやっぱり公共機関のは、
18:14交通機関は全く動きませんと、
18:17動かない予定ですということで、
18:20いわゆるウーバーのタクシーを予約を試みたり、
18:25いろんなことをやったんですが、
18:27これはもう全く予約が取れません。
18:29当てになりませんでした。
18:33帯に行かれた方はご存知かもしれませんが、
18:36バイクタクシー、いわゆる売宅というのがあってですね、
18:40これが渋滞時には非常に便利なんですけれど、
18:43ノーヘルで乗らなきゃいけないので、
18:45転んだときには大怪我をするというようなところがございますが、
18:49この売宅を何とか現地のスタッフにお願いをして来てもらうと。
18:57私は売宅はすり抜けて来るので、
19:01頼んだところから20分か30分で来るだろうというふうに、
19:07鷹をくぐってたんですが、
19:08実際にはですね、バイクもなかなか通れないような交通事情で来るのに、
19:15やっぱり1時間半ぐらいかかってしまって、
19:20結局、自分のホテルに着いたのは夜、夕方の6時ぐらいと、
19:26なんと地震発生からですね、4時間半かかってしまいました。
19:33この4時間半の間、いろんな情報を取ろうとしたんですけれど、
19:38やはり正直言って、バンコクでは外国人である私が、
19:44情報を取るのは非常に難しいなということを痛感いたしました。
19:50たまたまホテル、安いホテルなんですが、
19:53ホテルの被害もなく、電気、ガス、ガスは私は使いません。
19:58電気、ガスは全く問題なく使えていたので、
20:02エアコンも、それからシャワーもしっかり使えたので、
20:07近くのコンビニでできるだけ食料と飲み物を買い込んでですね、
20:13部屋で待機をしていたということで、
20:17早めにやはり疲れたので寝ました。
20:20この時、だいたい歩った距離がですね、
20:23距離というか歩数が1万8000歩ぐらい、
20:27ここだけで歩かせてもらいました。
20:29うろうろしたということもありますけれど、
20:32それぐらい右往左往しておりました。
20:35ビデオをもう一回。
20:37これがバイクタクシーから、ちょっと違反なんですけれど、
20:44ちょっと撮影した状況で、バイクでさえちょっと行っては止まり、
20:50ちょっと行っては止まりと。
20:52普通でしたら、ホテルまでバイクタクシーでしたら、
20:5520分ぐらいかかるところだと思うんですが、
20:58結局1時間半、このようなことを繰り返しして、
21:05バイクタクシーの運転手もですね、
21:07イライライライライライライしながら行ってたと。
21:11これはトンローの次の次の駅ですね、
21:14トンロー、エカマエ、プラカノンというところになりますので、
21:18まだ2駅ですけれど、こんなような状況が続いておりました。
21:24左側に帰宅難民者が一生懸命歩っているというようなところでございます。
21:31翌日ですね、もうちょうど帰国ということになっていたので、
21:378時ぐらいに起きてですね、
21:41ホテルの設備には特に問題がなく、
21:44私が顧問している事務所にBTSという公共機関も
21:50ちゃんと動いておりましたので、
21:53行って事務所の中を確認したりしましたけれど、
21:57おかげさまでというか、幸いそのものの落下もなく、
22:01無事にオフィスもしっかりキープできていたと。
22:06ただ、やっぱりスーパー等は全く空いてなくてですね、
22:10コンビニで食料を購入して、
22:12ホテルにレイトチェックアウトを依頼して、
22:1618時にチェックアウトをして、
22:18顧問先のドライバーに空港まで送っていただいたと。
22:23途中の高速道路もですね、
22:25全く問題なく動いておりましたし、
22:28空港内のシステムも問題なく、
22:32予定通りエアジャパンのLCCで帰国をさせていただきました。
22:37今後の対策というか、私が言うのもおこがましいんですけれど、
22:45やはり外国人がこういう災害に遭ったときに、
22:51一番問題なのは言葉。
22:54全く何も聞こえてこないですね。
22:59たまたま少し対語ができるので、
23:02簡単なことはちょっと聞いたりできましたし、
23:06たまたま顧問先があるので、
23:08そこに日本語ができる子がいるので、
23:10その子から情報を取ったりとかいうことができましたけれど、
23:15多くの場合は非常に難しいんじゃないかなと。
23:18で、これを日本に置き換えると、
23:21今日本も年間4000万人を超えるような勢いでのインバウンドが入ってくるというところを考えますと、
23:29これから南海トラフですとか、
23:32いろんなことが起こり得る災害があると、
23:35富士山の爆発もそうですけれど、
23:37そういったときに、
23:38日本人も右往左往するのに、
23:41そこにいる月に何百万人って来ている外国人は、
23:47本当に大丈夫なのかというようなことを身をもってちょっと感じました。
23:53それに加えて、
23:54障害のある方や高齢者の方、
23:58これのハザードマップや避難訓練なんかも、
24:01バンコクでは全く行われていないというような状況でございますので、
24:08何も動いていませんでした、本当に。
24:12もちろん何か被害が出たところには消防警察は動いておりましたけれど、
24:18いわゆる帰宅難民に対しての情報とか指示は全くないような状況でございました。
24:27ラジオとかテレビとかつけても、
24:30全部対語でやってますので、
24:32これは対語がわからないと全く理解できないような、
24:38状況でございました。
24:40夜になってネットがつながって、
24:44ヤフーとかグーグルを、
24:45日本のグーグルを検索したら、
24:47しっかりとミャンマーの地震で、
24:50バンコクも揺れて、
24:51こんなような状況だというのは見れましたけど、
24:54それはすでに8時間とか、
24:567時間過ぎてからの情報でしたので、
24:59非常に難しいんじゃないかなというふうなことを痛感いたしました。
25:06これからですね、やはりたまたま今回バンコクで、
25:10本当は震源地のミャンマーはもっと大変なことになっていると思うんですけれど、
25:15日本人がたくさんいる、
25:18外国人もたくさんいる、
25:20観光旅行者もたくさんいる、
25:22バンコク市内で、
25:23都内で、
25:24これからやっぱりどういうことが必要なのかというところで、
25:28私ももともと建築関係の仕事をしておりましたので、
25:32その構造計画、構造設計ですとか、建築基準、
25:37特に日本は阪神淡路の後にですね、
25:40建築基準法が変わって、
25:43耐震法もできて、
25:44耐震のメソッドというか、
25:48やり方も公的にしっかりと国交省が認めてきているのがあって、
25:52それで各幼稚園、小学校、中学校、
25:58こういったところはもうほぼ耐震工事が終わっているというような状況になっておりますけれど、
26:02バンコクでは全くそういうことが進んでおりませんでしたし、
26:06そもそも地震があるということは認識していなかったので、
26:11この辺の地震のリスクによるリスクの高まりで、
26:17いろんなことを直していかなきゃいけないというようなことが挙げられると思います。
26:24私のところにもすでに、
26:27構造設計ではナンバーワンナンバーツーの会社からもですね、
26:31いろいろタイで仕事を一緒にやらないかという話も来ておりますけれど、
26:38まだ政府がどういう方向でやるかというのも決まっていませんし、
26:42いきなり行ってもですね、なかなか難しいところはあるかと思いますけれど、
26:46やっぱりこれを全体的に直していくには、
26:48建設市場、業界全体がいろんな意識の改革を求めていかなきゃいけないのかなというふうに思います。
26:56タイではですね、よくよく調べると、
27:022021年に地震設計規則BE2564というのが施行されて、
27:09耐震設計が求められる地域に対しては、
27:13建物の種類とかが拡大されたとありましたけれど、
27:17今回の地震で、実は先ほど出てたように1万4000件ぐらい建物の被害があって、
27:24これをどうやって直すのか、あるいはどうやって補強するのかというところは、
27:29正直言って、日本の建設関係の会社様が先生になってですね、
27:38行くのが非常にいい方法じゃないかなと私も思っております。
27:43で、いずれにしてもやはり、住民を守る、国民を守るという意味では、
27:48日本でもタイでも、タイでも、どこの国でも一緒ですので、
27:52こういった建物の耐震性、あるいは安全基準の拡大、工事の推進ということで、
28:02安全を保っていかなければいけないんじゃないかなというふうに思います。
28:10最後になりますけれど、海外で自分が被災者として感じたことを、
28:16ちょっとまとめさせていただきました。
28:19先ほどから何度も申し上げてますように、
28:22やはり情報弱者という立場に陥ってしまいました。
28:27まず、現地の言葉がよくわからない。
28:31これに尽きると思います。
28:33これで不安と焦りがあって、どう行動していいのかと。
28:38たまたま私は少し対応ができたり、
28:40タイ人の友人がいたり、連絡を取れたりとかということで、
28:45なんとか無事にホテルまで帰還というか、戻ることができましたけれど、
28:52そうじゃない方もたくさんいらっしゃったと思います。
28:57あと、今回は電気、ガス、水道の被害がなくて、
29:01ホテルでも、いわゆる民間、皆さんの住宅でも、
29:06全く問題なく過ごせたということで、
29:09当時、3月28日ですが、タイは非常に暑くなってきてまして、
29:15気温が約40度近く、昼間だとあります。
29:19夜になると30度切るような状態になりますけれど、
29:24日本と同じように湿気が強く、
29:274月が一番、タイでは暑い時期で、
29:31バンコクでも45度を超えるような気温になりますので、
29:35こういった時に、もし地震があった時に、
29:38どうやって避難をするのか。
29:40避難誘導とか、避難場所とか、
29:43そういったものは、全く私には感じられませんでしたし、
29:48そういう誘導も、情報もなかったです。
29:52ですから、自分で、自分で考えて、
29:55自分で行動を起こすしかなかったというのが、
29:59非常に問題というか、課題だなというふうに思っています。
30:07日本も先ほどから申し上げたインバウンドが多くなってきて、
30:10外国人が多くなって、非常に困る人が出てくる。
30:14そこを、先ほどの浜口先生の話ではないですけれど、
30:18やっぱりボランティアとか、あるいは自治体の動きとか、
30:23そういった連携をしっかりとっていかないと、
30:28これは日本としても問題が出てくるんじゃないかなと。
30:33日本国民に対して、まだしっかりできていないというのが、
30:36もっと前提にあるかもしれませんけれど、
30:39とはいえ、国はインバウンドを推奨して、
30:42今年は多分4000万人以上の外国人が入ってくるというような状況で、
30:48その人たちがもし被災したときには、
30:51どうするのかということも考えていかなきゃいけないんじゃないかなというふうに、
30:57自分も海外で被災者の一人として感じたところでございます。
31:04今、皆さんにも、今日もここに来ていただいて、
31:09日本新版学会、NBC対策推進機構の災害時における活動、
31:16こういった知識、あるいは資機材、
31:19そういったものを広く、みんなで考えていくということが、
31:25これから非常にやはり大切になると思いますし、
31:28先ほど石原理事長からもありましたように、
31:32認定制度というところで、
31:36防災士、浜口先生のように私はしっかりと、
31:39いらないとは言えませんが、
31:43やはり、もっと現実的に使える資格ですとか、
31:49あるいは知識ですとか、
31:51そういうものを、ぜひ皆さんと研究をさせていただいたり、
31:56勉強をさせていただいたりして、
31:58私自身も今回の被災者と、
32:02特に体の傷も多いませんでしたけれど、
32:07ストレスはやはりかなりありましたし、
32:09そういった体験も生かしながら、
32:13ますます日本新版学会、NBCR対策推進機構に、
32:19いろんな形で寄与していきたいなというふうに思いますし、
32:23皆さんといろんなことを考えて、
32:25発信をしていきたいというふうに思います。
32:29私ごときの発表で、
32:31傾聴していただきまして、
32:33誠にありがとうございました。
32:35これで発表を終わらせていただきます。
32:37ありがとうございます。
32:37ありがとうございました。
32:43遠藤先生、どうもありがとうございました。
32:47何かご質問、あるいはコメント等ございますでしょうか。
32:59遠藤さん、ありがとうございました。
33:00ちなみにタイでは、
33:03いわゆる、当然災害が起これば、
33:06警察や消防や軍隊が動くと思うんですが、
33:10私もお話をしておりますが、
33:12ボランティア団体というか、
33:14あるいは教授の担い手的な、
33:15そういうふうな動きというか、
33:19一緒にあるんですか。
33:22ボランティア団体は、
33:24確かに存在しております。
33:27ただ、あまり災害がないので、
33:30出番がないと。
33:33最近といっても、
33:3410年ぐらい前に、
33:36大きな洪水があったときに、
33:38そういったボランティアの人が動いたり、
33:40あるいは、水が引けた後の感染症対策というところでは、
33:47消防、警察、いろんなところが動いたと。
33:51それに伴って、ボランティアも動いております。
33:53タイ人の性格から言うと、
33:56やっぱり、人の役に立つためという気持ちは、
33:59非常に強い国民だと思いまして、
34:02少女仏教が盛んなので、
34:05特に家族を守るとか、
34:07友達を守るという気持ちは、
34:09非常に強い国民だと思います。
34:12ただ、今回の場合は、
34:14ボランティアの、
34:15人も、かけらも見えなかったですね。
34:19というのは、何が起きたか分からなかったのと、
34:22全く対策が取られてなかったんじゃないかな、
34:26というようなことがちょっと思いました。
34:29はい。
34:30ありがとうございました。
34:36他によろしいでしょうか。
34:38はい、どうぞ。
34:45ありがとうございました。
34:47タイだからっていうことよりも、
34:50日本も同じじゃないかなって感じたりとかしたところ、
34:53すごいあるんじゃないかなと思いました。
34:55タイ語っていうのも、やっぱり独特なものもありますけど、
34:58やっぱり日本語ってすごく独特で、
35:00日本語って喋れる外国人の方、
35:04ほとんどいないですし、
35:06好きで喋れる方もいらっしゃっても、
35:08そう、ごくわずか。
35:09さらにですね、
35:10日本人が、やっぱりもともと、
35:12インバウンドとかを考えている国ではないので、
35:15そういう学びを持っていないので、
35:17英語も喋れない方がほとんどいる中で、
35:20この状態っていうのは、
35:21タイと本当に同じなんじゃないかな、
35:23というふうに私もすごく思ったのと、
35:25あともう一つすごい問題点っていうのが、
35:28日本人っていうのは、
35:29結構宗教に対してっていうのも、
35:31すごく薄い。
35:32なので海外の方って、
35:34やっぱり宗教に濃い方たちがいっぱいいらっしゃる中で、
35:37備蓄品とかっていうのも、
35:39日本のアレルギーの食品っていうのは、
35:42最近出してきたものの、
35:43やっぱり、
35:44例えばチキンエキス、
35:45ポークエキスって入っているものっていうものは、
35:47食べれない宗教の人たちのことも考えてないですし、
35:51こういったことも含めて、
35:53やっぱり、
35:53これからどういうふうに、
35:56日本で取り組んでいきたいなっていうのがあったかっていうのを、
35:59もう一つ教えていただきたいなと。
36:02まさにですね、
36:04タイで私は体験をしましたけれど、
36:07これが同じように日本であったら、
36:10外国の方はどうしてしまうんだろうと。
36:14たまたまタイでの被害は、
36:16大きくありませんでした、今回は。
36:18ビルの崩壊は非常に残念な結果になっておりますけれど、
36:22それ以外で物が落ちたとか崩れたとかで、
36:25人が怪我したっていうのは、
36:27あんまりなかったので、
36:28そういう面では今回はラッキーだと。
36:31ただ、今おっしゃられるように、
36:33万が一、
36:34これからもっとひどい災害が起きたときに、
36:37じゃあどうするのというところは、
36:40これはまさにですね、
36:42そこの国の人もそうですけど、
36:45子どもにしてみれば、
36:46アレルギー体質の人もいますし、
36:49あるいはその宗教で、
36:51豚肉、牛肉が食べれない人もたくさんいらっしゃいますので、
36:55そういったところは、
36:57全く日本は欠けているというか、
37:00先ほどの浜口先生のお言葉を借りるとですね、
37:04本気にいろんなことを考えているのかというのも、
37:07私も同感でございます。
37:10ただ、
37:10じゃあ今私が何ができるかというと、
37:14何もできない。
37:16ただ、こういう日本C版学会ですとか、
37:19NBCR対策推進機構を通じてですね、
37:23いろんなことを発信したり、
37:25いろんなことを共有したり、
37:27そういう中で問題解決ができる場面が来ればですね、
37:30そこは身を通じて、
37:33いろんなことにチャレンジをしていきたいなというふうに思います。
37:37今おっしゃられたようにですね、
37:39日本はインバウンドでお金が増えるということだけが先行してまして、
37:46その実際に問題になるようなことの検討は、
37:51おそらく何もしてないというと、
37:53ちょっと語弊があるかもしれませんが、
37:55ほとんどしてないんじゃないかなというふうに思います。
37:58ですから、インバウンドをこれからもどんどん推進していくのであれば、
38:03やはりその受け入れ、
38:04あるいは万が一災害が起きたときに、
38:07どういうような情報発信をするのか、
38:10本当に日本人と外国人を平等に扱えるのかとか、
38:14いうようなことも含めてですね、
38:16考えていかなきゃいけないんじゃないかなというふうに思います。
38:20すいません。
38:22ありがとうございます。心強いです。
38:25何、よろしいでしょうか。
38:28じゃあ、遠藤先生どうもありがとうございました。
38:29どうもありがとうございました。
38:36これで午前中の講演第1、第2を終わらせていただきます。
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