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  • 12 hours ago
今朝は、信心とは自分の心を見つめ、神様の心を見つめること、と頂きました。信心には3つの側面があると思います。1つはいわゆるご利益、生身の人間が頂く現世利益的なおかげです。そして後の2つが今日頂く信心の真髄とも言える自分自身の心を見つめることと、天地金乃神様の御心を見つめることです。

ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
Transcript
00:00I was so concerned with the human being,
00:05but I don't think that I'm looking for it.
00:10I don't think that I'm looking for it.
00:12I don't think that I'm looking for it.
00:25同じことですかね。食べず飲まずで、それで良いのだというわけには参りませんね。
00:40ですから、生身の人間として、やはり命ある、この世で命あるものとしていただいていかなければならない。授けてもらわなければならない。原生理薬のような理薬もあります。
00:41It is also important for the wisdom of God.
00:46When you're looking at the Spirit and God of God,
00:52you'll see that your soul will be seated.
00:53That's why we are deeply satisfied with the wisdom of God.
00:58That's why we are deeply satisfied with the wisdom of God.
01:02What is the answer?
01:06The hope of themesis is given to us.
01:14神より根高大臣にいつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。
01:23信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしていくのが、誠の道を踏んでいくのぞ。
01:33根高大臣が教えたことを違わぬように人に伝えて、誠の信心をさせるのが神へのお礼ぞ。
01:53これが神になるのぞ。神にないても、神より上になるとは思うな。形のおかげがついてくるほどの心の助かりに、月のおかげがいただける。
02:11梅の花が福育とした香りを漂わせながら花を咲かせるように、自然に大祝売の働き、すなわち頼まんでも現れるようなおかげを人に伝えるならば伝わらぬはずはない。
02:17心願成就ということは、人間が助かるということが第一です。
02:21これが神様への第一のお礼にもなるのです。
02:25このような信心が、徳を受けることになるのです。
02:31これが神になるのぞにもつながることです。
02:40神になるのぞとあります。
02:48神は、まことの信心を伝える。そして、まことの信心をさせる。
03:04ということでありますが、それが神へのお礼ともなり、また、神にもなるということですが、
03:23その神になるとか、神へのお礼とか、まことの信心とかもされますけれども、信心とは一体何なのかということになりますと、
03:29その、何と言いますかね。
03:44今朝、いただきますことは、信心とは、自分の心を見つめ、神様の心を見つめることだと。
03:51まあ、これは何と言いましょうかね。
03:53その、
03:59あれは何ですか、何か武芸ですかね。
04:05敵を知り、己を知らば、百戦危うからずですか。
04:09そういう何か兵法というのですかね。
04:10兵法というのですかね。
04:17があったように、何かで読んだような気がいたしますが、
04:33敵を知り、己を知らば、百戦危うからずと。まずは、敵を知る、そして己を知る、この両方がいるわけですね。
04:40信心も、まあ、どちらかというと、どちらかに偏りがちなところがありますね。
04:44自らの心を育てていることだと。
04:49信心は、自らの心を、まあ、この世には魂を磨きに来たのだ、
04:52ということがありますね。
04:56そちらを強調するあまり、
05:01今度は神様の心を分からおうとする。
05:08心が、まあ、なおざりになったりすることがありますね。
05:12とにかく、自らが改まっていくことだと。
05:20これによって、改まり、あれによって、磨きと言いましょうか、磨き、改まっていく。
05:21自らの心だと。
05:31しかし、それと同時にまた、神様のお心が、分からなければなりませんね。
05:35その神様のお心を分かろうとする。
05:43この両方が、相まっているように思いますね。
05:55しかし、まあ、都学信心と言いますと、大抵は、困った時の神頼み、というところから、入るのでしょうから、何か、困ったことがある。
06:04その困ったということの内容は、大体において、まあ、自分に何か不都合なことが起こってきた。
06:11こんなことは、起こってほしくない。まあ、向こうに押し合いたい、というようなものが、
06:40身に降りかかってきた、と言いましょうかね。いわゆる、病気、災難、というものでしょうかね。そういう、災い、と言いましょうか。そういうもの、いわば、向こうに押し合いたいようなものが、身の上に降りかかってきた。それを、取り除いてもらいたい、というものですね。困ったことがあった。そこに、
07:04それを、いわゆる困ったときの、神頼みというわけです。それと、もう一つ、大体ありますのは、その、願い事がある。こういうふうにしてほしい。ああ、あってほしい。こうあってほしい。こうなりたい。ああ、なりたい。どこそこの、まあ、
07:16大学受験であったり、高校受験であったり、いわゆる、学業ですか、その試験というものがある。それに合格しますように、ということであったり、
07:23さまざまな願いがあるわけですね。あそこに就職したいとか、
07:27商売が繁盛してほしいとか、
07:55そのお金持ちになりたい。あるいは、こういう仕事に就きたい。地位や名誉が欲しい。それを実現してほしい、という、自分の欲があるわけですけれども、まあ、夢というのか、願いというのか、そういうものを、自分の力だけでは、どうも足りないようだと。そこで、神様にお願い、いわば、
08:24お力添えをいただく、というのでしょうかね。まあ、もちろん、自分にも力はあるけれども、それより、神様に手伝ってもらったら、まさに鬼にかなぼうだ、というわけですから、神様、まあ、後押しをしてください。まあ、バックアップをしてください、と言いましょうかね。後押しをお願いします。ヘルプしてください。というわけですね。まあ、
08:49だいたいは、新人をすると言いましょうか。新人と言うと、この2つが、多いのではないでしょうかね。そして、そういうことの願いを持つ中に、アジが困ったことであったり、それを、助けてもらいたい、と、神様にお願いしたら、
09:04そうしたら、それならば、そういう願いを叶えてほしいならば、ここをこう改まりなさい、あそこを改まりなさい、と、言われることがありますね。
09:20よく、よく、おかげをいただくということで、いわばその、ご犬崎さん、よりか、心の改まるの方が、よく効く、と、言われることがありますね。
09:49神様にお願いして、取り継い者の力によって、まあ、ごうぶるようにしてと言いましょうか、無理、無理やりにでもください、ください、と言っていただくおかげ、があります。と、もう一つは、その、私がここを改まりますから、こういう心を改まりますから、人を責めるような心を、改まっていきますから、と、
10:19自らの心を改める。だから、ここは改善しますから、心ですね、心のここを改善しますから、どうぞ神様、おかげを授けてください、というわけです。神様の願いは、やはり、人間が助かることが第一と、今日の身にこう理解にも、おせられますように、確かにそうです。
10:35その、では、人が助かるということは、どういうことか。これは、ただ、重いものが持てない。それを、神様に持ってもらって、それで助かった、というのではない。
10:42人の本当の助かりは、人の本当の助かりは、その持てない荷物を持てるように、力をつけること。
10:58今まで、自分では持てないから、誰かに持って、運んでもらおう。そういう助かりを、いただいてきたわけですけれども、これが、自分が力がついて、自分で持ち上げて、運ぶことができたら、
11:13一番良いわけですね。神様も、そういう助かりを、願っておられる。しかし、そこには、力を、筋力を、鍛えるわけですから、時間がかかりますね。
11:42今すぐ持って、運びたい。これは、誰か力持ちを、連れてきて、運んでもらう。ということで、助かるわけですけれども、神様の、目論みと言いましょうか、願いは、自分の力で、持ち上げて、運べることができるように、まあ、鍛えることだと、言いましょうかね。ですから、自らの心を、育てることによって、
12:11自らの助かりを、得る。それが、神様の願いでも、あるわけですね。人が助かることが、第一だと言われて、その人が助かる、ということのためには、その人の心が、育たなければ、助かるようが、ないわけですから。人が助かる、ということを、第一としておられるといえば、それは、人の心が育つことを、第一としておられる。
12:41とも、読み換えられる、と思いますね。意味するところの、内容は、そういうことになりましょうからね。ただ、持ち上げて、その重いものを、持てない。それを、こちらが、力持ちの人が、持ち上げて、助けてやる。そういう、助かり方を、神様が、願っておられる、
13:06それは、単に、一時的なことですから、もちろん、そういう、助かりも、ありましょうけれども、本当の、神様が、願っておられる、助かりというものは、その、無事故自体が、自身が、力をつけて、持ち上げる力を、つけて、自分で、持ち上げる、ことが、できるようになる。それが、本当の、助かりである、わけですからね。
13:35というように、自らの助かりのために、自らの心を、磨いていく。そのためには、自分の心が、なんとまあ、小さい私であろうか、と、心の小さい私だ、それこそ、浅ましい心を、持っている。人を責めるような、心がある。心が小さいからですね、腹を立てている。
14:04これもやはり、心が小さいからでしょうね。もう一回り、大きな心になる。浅ましい、心であったり、それこそ、人のチャンを、叩き落としてでも、自分が、利益を得ようとする、といったような、まあ、悪い心と言いましょうかね、そういう、心が、自分の中にも、あるなと、いうことに、気づかせていただく。
14:25昨日でしたかね、見ること、見ること、自分の心を、顕微鏡で見ることと、そういう、自分の心の、改めるべきところを、それこそ、顕微鏡を、持って見るように、見つめる。ということが、大切ですね。
14:47しかし、ここで、止まったのでは、いけない、というわけですね。もう一つ、信心には、なるほど、自分自身の、改めりだ、と同時に、その、やはり、神様との、関係において、ということなのですね。
15:15自分が、自分の心を、見つめようとするけれども、なかなか、見つめる、ことが、できない。なぜならば、目が、外に向いているから、と言えましょうかね。自分の、顔の、についた、私の、先日の、ビデオではありませんが、自分の、顔についた、汚れというものは、自分では、
15:45できない。だから、そこに、鏡を立てなければ、見えない。教えの鏡であったり、それは、鏡というものそのものが、成り行きというものでも、あることが、ありますね。その、成り行きを通して、ああ、こういうことが、起こってきた。ああ、こういうことに対して、腹を立てているな。これは、まだ、私の心が、小さいから、腹を立てているのだ。
16:14いわば、この、成り行きを通して、私の心の、小ささを、見せてくださったんだ。気づかせてくださったんだ。あるいは、この成り行きを通して、私の心の、まあ、汚さと言いましょうかね。そういう、私の心に、汚れがあるものを、神様が、見せてくださったんだ。と、その、成り行きを通して、
16:31自らの心の、あり様、ありよう、心の汚れと言いましょうか、汚れと言いましょうか、そういうものに、気づかせていただく。これは、神様が、そうしてくださったからですね。
16:56神様が、私自身が、私の心の、ありように、その汚れに、気づくように、その成り行きをもって、まあ、差し向けてくださった、ということになりましょうかね。そういう、神様の、お心を、見つめさせていただく。そういう、神様の、まあ、いわば、ご親切、
17:11というものに、気づかせていただく、ということになりましょうね。そして、そこに、神様に対する、まあ、お礼の心というもの、感謝の心が、湧いてまいりますね。
17:40その、その成り行きを通して、その中で、腹を立てている。あの人ばっかりは、この人ばっかりはと、腹を立てている。そして、その、腹を立てている、自分に、その成り行きによって、気づかせていただく。そして、そこに、ああ、これは、私の心が、まだまだ、小さいからだ。私の心に、こういう、汚いものがあるからだ。
18:09ということを、気づかせていただく。そして、そこに、あらたまりが、出てくるわけですね。その、あらたまりが、いわば、神様が、私の心を、自分の汚さに、気づかせ、あらたまさせる、ことのために、この成り行きがあったのだ。ということが、本然と、分からされる。そして、そこに、そういう、お働きを、
18:38くださった、神様のご親切、神様のお心に対して、お礼が、言えれるようになる。まあ、そういう、ところまで、心が、進んできたら、大変、ありがたいことですけれども、結局、信心というのは、自分の心を、見つめ、そして、そこに、そういう、お働きを、くださった、味は、その成り行きに、込められた、
18:44神様の願い、神様のお心、というものを、見つめさせていただく。
19:14この両方が、
19:34お心を、見つめていくことだと、そういう、信心の、繰り返しですね、一回だけではいけません。あれは、フグですか、フグの毒を取りにも、繰り返し、繰り返しの、水洗いが、
20:02必要だと、必要だと、言われるそうですね。ですから、私どもの心も、繰り返し、繰り返しの、稽古と言いましょうか、改まりと言いましょうか、一回改まったから、それでよい、ということではない。また、次々に、それこそ、雑草が生えるように、生えてくるものですね。また、顕微鏡で、見れば見るほど、あそこもあり、ここもあり、改まらなければ、
20:32というような心が、見つかるものですね。ですから、そういう、信心を、させていただく中に、初めて、神様が、この宇宙子は、もう大丈夫だ。自分で、自分の心を、見つめて、改まっていくことが、できる。これならば、いわば、おかげを、いくら渡しても、
20:57大勝負だと。まあ、満身をすることも、なかろう。自生して、改まっていくだろう。というような、ことになったときに、そこに、また、願わんでも、頼まんでも、いただけれる。というような、おかげの世界に、入っていくのでは、ないでしょうかね。
21:22おかげの世界が、その、その、他が、ですか、受け物が、田んぼが、越えていれば、そこに、豊かなものが、育つ、と、言われますから、そういう、いわゆる、願いを、していただく、おかげ、というものも、ありましょうけれども、願わずとも、いただけれど、おかげ、
21:52という、この、二つの、おかげの世界が、あるわけですからね。やはり、心を見つめ、心を育てていく、と、同時に、生身の人間ですから、生身の人間であるところの、ご飯も、食べなければならない。真っ裸で、過ごすわけにはいきません。切るものも、切なければならない。伸びた髪を、切るハサミもいる。
22:22髭を剃る、ナイフですか、髭剃りですか、もいる。そういう、私どもの、日常生活を、快適に、過ごさせていただくような、いわゆる、厳正利悪、というものも、いるわけですからね。ただ、心を見つめてさえ、それ、いれば、それでよい、というものではない。見つめて、心を見つめていれば、食べず、飲まず、
22:44食わず、いわゆる、ですね、同じことですかね。食べず、飲まずで、それでよいのだ、というわけには、参りませんね。ですから、生身の人間として、やはり、命ある、この世で、命あるものとして、いただいていかなければならない。授けてもらわなければならない。
23:07原生利悪のような利悪のような利悪もあります。それを、いただいていくのも、もちろん、信心です。と同時に、また、自らの心を見つめ、神様の心を見つめていく、というところまで、信心が、高められていかねばならない。深められていかねばならない。
23:17ということでもありますね。どうぞ、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

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