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  • 2 日前
日本人は何を考えてきたのか 第二回その2 東北から始まった自由民権 
植木枝盛 千葉卓三郎 樋口陽一 菅原文太 色川大吉 鈴木安蔵
五日市憲法 自由民権 憲法草案

カテゴリ

📚
教育
トランスクリプション
00:03大和田さんにお会いしてね
00:08狩野の中屋の話を聞いて
00:12二人やっぱりそれは血のつながっている二人だから
00:18当たり前なのかもしれないけど
00:21一番強く感じたのはね
00:30その説を曲げていない
00:36大和田さんもね40年
00:41形は反原発だけどそれをざっと通してきた
00:48福島北方事件というのはその後の展開も含めてですね
00:52非常に大きな出来事だと思うんですね
00:56当時考えてみますと農業社会ですから
00:58本質的に日本は
01:00国力の財の源は地方にあるわけですよ
01:06社会の富 力というものがまさに地方にある
01:11その地方からそれを吸い上げて
01:14不国共兵 そして軍備増強
01:19これは列強に対して抵抗するためには
01:22中央政府としてはこれをやらないといけない
01:26地方を抑え込もうとする
01:29それに対していや地方こそが国力の源泉なんだ
01:36これはおそらく植木の連邦制案など
01:39その反映だと思うんですけどね
01:42これからどういう日本というまとまりを作り上げていくか
01:46作り上げていくところで地方の富とか活力を
01:50どういうふうに同時に発展させながらそれをやるの
01:54かという路線と
01:56それから吸い上げられるだけ吸い上げようという
02:00中央中心主義でしょうか
02:02中央政府なりのそういう路線選択があるじゃないですか
02:07それと地方の冗談じゃないという
02:12自分たちはこうなんだという路線のぶつかり合いですよね
02:18130年の間に今度は逆に富は中央に集積されました
02:22よね
02:24当然地方からは我々のところに戻せと
02:29我々から取り上げたものを戻せという
02:32結局その中央政府がどんどんどんどん吸い上げて
02:36いって
02:37今日の地方文献の動きにつながっているという
02:42もう一つやっぱり新しい産業手法の芽生えが出ていた
02:45んですよ
02:45各地方にね
02:48これは工場性主工業ですけれどね
02:50まだ機械性の大工業になれないんだけれども
02:53これは切るなら織物とか
02:57とにかく外国への輸出品というのは
02:59第一がお茶で
03:00その2番目が糸ですから
03:02キートですから
03:03これを輸出することによって
03:06ドル外貨を取っていたわけですね
03:09特に日本のキートというのは
03:11アメリカやヨーロッパからすごく
03:13貴重されなものだったので
03:15非常に品質が良かったんですよ
03:17農村はただもう本当に
03:20畑で芋もたの米を作っているだけではなかったんですよね
03:26それに明治政府は税金かけて取ろうとしたわけですよ
03:32そういう農村の発展に沿って
03:36自分の国力を拡大していくというような
03:39発想になっていなかったものですから
03:42地部事件みたいな
03:43あるいは群馬事件とか
03:44飯田事件とかってみんな抵抗される
03:48そういう中での
03:50三浦文治の志を肥やせという思いであるとか
03:54あるいは狩野と仲江がですね
03:56どんなに厳しい処罰をされても
04:01頑張るんだというあの思い
04:04そういう人たちがやっぱり
04:09自由民権の家中に入って
04:12運動する中で勉強していった
04:16学んでいった
04:17そしてやっぱり一番最後まで
04:20抵抗を仕切ったのは
04:22そういうむしろ大将から上の方じゃなくて
04:27そういう一番下層にいた農民であり
04:32最初に民主主義を目指していくという
04:35この国の動きだったわけですよね
04:37上木恵守が言っているように
04:41小さな民主主義じゃないと
04:44ダメだということを言っているよね
04:46大きくなりすぎるとどうも
04:50いろんなところに腐敗が始まったり
04:53国とは何かという
04:56問いを自分で立てるとね
04:59国が先にあったわけではない
05:01国が人間より先にあったわけではない
05:03当たり前のことですけれども
05:05人間が先にあるんだと
05:07本当にあの自由民権というのは
05:09本質的なことを問いかけていたんだな
05:12ということが今の話で分かってきたんですけど
05:14今の私たちに自由民権が投げかけるものは何なのか
05:19それをですね
05:21戦後の発見をちょっと見つめることによって
05:24考えてみたいと思います
05:28東京の五日市
05:31駅から車で20分ほど入った山合いの地
05:37昭和43年
05:38ここで自由民権の歴史を塗り替える発見がありました
05:46民衆思想史研究所の江井秀夫さん
05:5140年ほど前に膨大な資料が見つかった現場に案内して
05:55くれます
05:57問題の蔵はあれですか
05:59これですはい
06:01小さな蔵というかね
06:05江戸時代から続く深沢家という豪能の屋敷
06:10明治10年代
06:11この地で自由民権の勉強会が盛んに開かれていました
06:26ここはもうそれこそ足の踏み場もないぐらいひどかったんですよ
06:30ネズミの踏みと
06:32もうそれこそ虫だらけで
06:35とにかくあとほこりで
06:38何年もの間も
06:3980年ぐらい
06:40ほとんど手つかずで
06:45風通しの良い2階へ上がってみると
06:49風呂敷包みがぶら下がっているのに気づいたといいます
06:56そこからいくつかのものが出てきたんですね
06:59それが今まで考えは及ばない
07:02もう私たちが想像することがなかったような資料が出始め
07:07たんです
07:09この調査には東京経済大学の色川大吉さんの指導の
07:14
07:14当時大学院生のAさんらが参加していました
07:217000点もの資料の中から
07:24今まで知られていなかった新しい憲法草案が発見されたの
07:29です
07:32その草案は後に
07:34五日市憲法と名付けられました
07:40分析の結果
07:41全部で204条もあり
07:44高知の植木江森の草案に匹敵するほどの
07:47徹底した人権保障の規定を設けていることが分かりました
07:54特にこの日本国民は各自の権利自由を足すべし
08:00頼り妨害すべからず
08:02今日の日本国憲法に指摘する条文になっているわけですね
08:08頼り妨害すべからずということは
08:11政府でも妨害してはいかないということでしょう
08:16多くの憲法草案とはやっぱり違ってましたか
08:20違ってます
08:20国民という言い方をはっきりしてますね
08:25これがやはり五日市憲法の大きな特徴だと思います
08:31国民の権利
08:32立法権なんかを見ますと
08:33これは全体の50%を超えるほどに
08:37豊富なわけです
08:38これがすごいということになるわけですね
08:45この草案を書いたのは一体どういう人物なのか
08:50陸陽仙台千葉拓三郎という署名を手がかりに
08:54栄さんは追跡を始めました
09:01宮城県栗原市
09:05謎の寄贄者の姿勢探知は
09:06菅原さんのふるさとでもありました
09:12私はね
09:14隣村なんだけど生まれ育ったのは
09:18千葉拓三郎が生まれたのは
09:24ペリーの来る前の年ぐらいですかね
09:31千葉拓三郎の家の後です
09:36千葉家は仙台藩の下級武士でした
09:41拓三郎は11歳の時
09:43仙台へ出て勉学に励みます
09:49しかし母親戦争が勃発
09:52拓三郎は16歳の若さで
09:55志願して戦場に赴きました
10:01彼は16歳ですから
10:03ちょうど将棋隊とか
10:04二本松少年隊と同じ年ですね
10:08あの殺戮の中でものすごいショックを受けるわけですね
10:12軽死で生き延びて
10:13結局負け戦で
10:18まさに敗軍の兵ですね
10:21自分の母親の経験
10:24それからそこでの挫折感
10:29そしてもう一つ言うならば
10:34学ぶということのある意味では
10:37この虚しさみたいなものが
10:40逆にいろんなものを学ぼうとする
10:44今度は逆の焦りみたいなものになっていくわけですね
10:47時代が大きく変わって
10:49今までの価値観はほとんど通らなくなってしまった
10:54分かります
10:55そういうとこに立たされた青年がね
11:00やっぱり外へ飛び出していこうという
11:05飛躍を飛翔していこうという
11:09気持ちになるのはよく分かるし
11:14千葉拓三郎は19歳の時
11:17ギリシャ政教と出会います
11:21当時
11:22西洋の思想や新しい技術を学びたいと考えた若者
11:26たちの多くは
11:27キリスト教に関心を寄せました
11:37タクサブローも
11:38平等や博愛といった教えに共鳴していきます
11:43洗礼を受けて
11:44自ら布教活動に従事しました
11:50そして明治7年
11:52事件が起こります
11:54タクサブローはキリスト教に帰へするあまり
11:57自宅にあった伊勢神宮の玉串と先祖の遺廃を投
12:03げ捨てたのです
12:07これが不経済となり
12:09タクサブローは100日間刑務所に入りました
12:16そこでの経験がやはり
12:20タクサブローにとっては相当厳しかったんですね
12:24そこにはまさに人権無視という
12:27徹底したギリシャ政教での弾圧ですね
12:32そういうものが
12:36五日市憲法の自由
12:41平等という思想につながっていったんでしょうかね
12:51五日市憲法第56条
12:56およそ日本国民は何の宗教たるを論ぜず
13:00これを信仰するは各人の自由に任す
13:05故郷を離れ東京へ出てきたタクサブローは
13:1528歳の時
13:17五日市に流れ着きます
13:20この地で
13:21共に民権思想を学習する仲間たちと出会いました
13:29現在一枚だけ残っているタクサブローの写真です
13:34挫折を経験し理想を追い求めた末
13:38自由民権の思想に引きつけられていきました
13:46当時
13:47深沢家などの豪農が中心となって
13:50学芸講談会と呼ばれる学習結社が組織されていました
13:56100人を超える会員には
13:58貧しい農民も含めた様々な階層の人がいて
14:02対等の立場で参加することができました
14:06月に3回の会合で
14:08彼らが議論を重ねていた討論のテーマが記録さ
14:13れています
14:15面白いね
14:16これね
14:17論じたんですね
14:18当時の
14:19これが一台一台
14:22議題に挙げて
14:26助手を立つるの可否
14:28今まさに機能とという
14:30もうこの時代からこんなことが議論されたんだ
14:35出版を全く自由にするの可否
14:40言論の自由のことですね
14:46増税の利害
14:50彼らの問題意識の高さを
14:53本当に意識は高いですね
14:56今の我々よりよほど高いわ
15:05それぞれのテーマについて
15:07賛成か反対かその理由も含めて
15:10全員が意見を述べる形で討論されました
15:18こういうものを見ると非常にリアリティが
15:22そうですね
15:24ありますね
15:26140年前とは思えないような
15:30人の
15:32なんか
15:33吐く息
15:35当時の人の
15:36そういう
15:36呼吸がなんかこういうものに
15:40感じられるっていうのが
15:42ある意味ではやはり
15:43五日市憲法草案というのは
15:44こうした
15:45五日市の人々の意見の集約されたものが
15:49丈夫に生きていったという風に考えていいと思います
15:57仲間たちと活発に話し合いながら
16:00千葉拓三郎がまとめ上げた
16:02憲法草案
16:07しかし
16:08彼は31歳の若さで病死してしまいます
16:14五日市憲法はその後
16:15長い間
16:16誰の目にも触れることがなかったのです
16:30津波の被害が大きかった三陸海が
16:33今復興に向けて動き始めています
16:40明治の初め
16:41母親戦争で敗者となった三陸地方
16:45この地で
16:46復興を模索し
16:47憲法の構想を
16:49抱いた人物がいました
16:55織田田目綱
16:57彼も千葉拓三郎と同じように
17:00人々から忘れ去られていた静岡でした
17:08織田田目綱の出身地である
17:10岩手県久慈市
17:13廃校になった中学校の校舎が
17:15郷土資料館になっています
17:19こちらの方が今回
17:21被災された方のですね
17:23仮設住宅になっております
17:2510世帯群
17:28じゃあ本当の海岸の
17:30そうですね
17:30あの家が流されてしまった方たちが
17:35入居しております
17:41織田田目綱の暇子にあたる
17:43織田清綱さん
17:48長い間
17:49織田家に眠っていた資料です
17:53田目綱が書いたと言われる
17:55憲法草案の存在が
17:5630年ほど前
17:58世に知られるようになりました
18:03憲法総合表裏
18:07これは明治13年に政府が作成した憲法案に対して
18:11織田田目綱が赤字で批評や意見を加えた文書
18:16です
18:18天皇についての条項
18:20田目綱は
18:22天皇が陸海軍を統括する
18:25いわゆる統帥権は
18:27議会両院の議決によるとしています
18:35統帥権を軍隊に渡さなということを発言しているわけです
18:43それは当時非常にいろいろ取り捨てされていますね
18:49山形有朝が大体統帥権を天皇に託するということを決めて
18:56伊藤博文などはそれに反対したと
19:00自分いろいろ議論があったようだけど
19:03結局は
19:06統帥権は天皇に在して
19:11ずっとそのまま昭和まで至ったということですね
19:19明治憲法では統帥権は内閣から独立して
19:24天皇に直属していました
19:27昭和に入り軍はこの統帥権を盾に
19:31大陸進出への道を進んでいったのです
19:39小田田目綱の思想はどのような風土で生まれたので
19:43しょうか
19:45江戸時代南部半領だったこの地では例外が多く
19:50貴金が絶えませんでした
19:53さらに
19:54母親戦争の敗北
19:57農民たちは貧窮にあえいでいました
20:02下級役人の子だった田目綱は
20:05学業に抜きんでて
20:06江戸の学校で学ぶ機会を得ました
20:11そして
20:12故郷に戻って考え続けたのは
20:15人々の暮らしを豊かにするための方策でした
20:23明治22年の陸開拓案の構想理念がここに書かれて
20:34いるわけです
20:35かかる経費についても非常に実情を照らし合わせて
20:44正しく計算された構想だということが分かってきておりますね
20:51田目綱は生涯に何度も三陸の開拓案を政府に提
20:57出しました
21:00原野を開拓し牧場と鉱山を開き
21:04港を作り道路を通す
21:10そして
21:11三陸に大学を作る構想を立てていました
21:16注目されるのは
21:17教師の半分を西洋人にするというアイデアです
21:24さらに
21:25優秀な生徒はヨーロッパに留学させ
21:28卒業生の中から国会議員を出す
21:33この構想は
21:34多滅な自身の経験から発想されたものでした
21:40自分の障害を見た時に
21:44やっぱり勉強する
21:47学ぶということの大変さ加減というのが
21:52非常に身に染みて
21:53やっぱり分かっていたんだろうと思うんです
21:59それでこの復興案は
22:02取り上げられたんですか
22:05中央政府には
22:06取り上げられない
22:07ないです
22:08明治30年代になってから
22:11もう一度
22:12これを
22:15時の総理大臣なんかも含めて
22:19働きかけるんですけども
22:21やっぱりその時も取り上げられずに
22:27いつも東北は
22:29見捨てられていくのかな
22:33多滅なの計画の中には
22:35戦後の国土開発で実現したものが少なくありません
22:40彼が道路を作ろうとしていたところには
22:43鉄道が敷かれました
22:46しかし今
22:48津波の被害を受け
22:49列車は止まったままです
22:56旅の最後に
22:59陸前高田を訪ねた
23:04そこには復興へと動き出す人々がいた
23:10地元の若者たちは
23:13自分たちの力で
23:15町を作り直そうとしている
23:23港を訪ねると
23:26地盤沈下で水位が上がって
23:29船がつけられない
23:31壊れた堤防もそのまま
23:34復旧はまだ遠い
23:41漁師たちは
23:43津波で家族を失った板手から立ち上がり
23:48漁業を復活させる準備を少しずつ始めている
23:58ほとんど全滅
23:59何もないです
24:01それこそ他の家から人から
24:05みんな持ってかれますよね
24:12大丈夫かな
24:16大丈夫にしないとね
24:17大丈夫に
24:18はいそうですね
24:19みんなそれぞれ頑張ってる
24:22今更頑張れでもないんですけど
24:25徐々にやっていくしかない
24:39今陸前高田では
24:42地域の人々が主役となった
24:45町づくりの計画が立ち上がっている
24:51リーダーの一人
24:53若い河野道博くん
24:57醤油屋の跡継ぎ
25:00店も工場も津波で流されてしまった
25:08約30年前
25:11東北の人々の声は
25:14中央政府に受け入れられなかった
25:17今度こそ
25:19彼らが望む復興への道は開かれるのか
25:23若いの
25:24いくつだ
25:2638です
25:31あの復興というね
25:32無事を間にして
25:35国と今度は波じゃなく
25:38地震ではなく国と対峙
25:42これからしなければいけない
25:45勝てるかな
25:47東北は津波がなくても
25:51実は壊滅してました
25:53ああそうか
25:54そうです
25:56東北の中山幹地で行われている農業
25:59私も農業をやりました
26:01ほとんどそこを担っている人たちは
26:0470代80代の人たちで
26:07それが合理化できるかどうかという
26:11技術的な部分を継承する部分を
26:14全く欠落して
26:17もうすぐその技術が失われて
26:20日本は食料も自分たちで作れない
26:24エネルギーも自分の自国では得られない
26:27で子どもたちは大人を尊敬していない
26:32多分津波がなくても
26:34遅かれ早かれ
26:36日本という国に
26:37希望を見出すことは
26:39難しくなっていたとか
26:41であれば逆に何にもなくなった街から
26:44希望を発信することで
26:46具体的に形にしていくことで
26:50制度も変えていくことで
26:53新しい日本を作ることが私はできると思います
26:56だから東北が福島も含めて
27:01再生することが
27:03日本の希望になりますし
27:05国民の希望になると思います
27:08国はそれを放置するとは私は当然思わない
27:11もし放置するのであれば
27:15その時はその時で考えます
27:19戦うかな
27:22潜在一軍のチャンスなのかな
27:25そう思っているのかな
27:26そうです
27:28そう思います
27:31思わず菅原さんが戦うかって
27:34おっしゃいましたけど
27:36もうこの地震と津波がなくても
27:41東北はもう壊れてましたよ
27:45っていうことを言ったからドキッとしてね
27:49やっぱり植木江森じゃないと
27:51あんな若いのにね
27:53タジタジだったよ
27:55菅原さんが
27:58目がパッと開くような感じがした
28:00何もないとこから
28:02新しい日本を作っていくことが
28:03それを小さい旗印だけど
28:09彼の中で自由民権の旗を掲げたことかもしれないな
28:15今旗印っておっしゃったけど
28:17実はその130年前にも
28:20東北の人からこういうアイデアが生まれてきているっていう
28:24そこら辺は何かこう
28:26今まであまりにも日陰に置かれていた
28:30この際に
28:33体制が変わったこの際に
28:36光を当てさせようという気持ちではなかったかと思うんですよね
28:42それはもうその前に
28:45店名だの店舗だの
28:47大規模がしょっちゅう来てですね
28:50そのたんびに
28:51大きな大規模を受けていた
28:54そのたんびに
28:55大きな何万という死者が出るような
28:57ガッシャーが出ていたんですから
28:59そういうものから立ち直るためには
29:01発想を根本的に変えなきゃいけないという
29:04考え方じゃなかったかと思うんですよ
29:06だから三流行を世界に開くと
29:09やっぱり見渡してみて
29:11世界中見渡してみて
29:13新しい時代は
29:15その周辺から起こるわけですよ
29:17そうですね
29:18中心じゃなくて
29:19例えばローマ帝国の中心からじゃなくて
29:22その周辺から起こる
29:23
29:25明治維新の
29:28何よりの潜在一偶の
29:30転換期に際してですね
29:33例えば岩手か
29:34今のようなものが出てくるというのは
29:37決して偶然じゃない
29:38そこへ行くと
29:40京都や江戸の人たちは
29:45今日明日の政権争奪が忙しいですから
29:49いわば今風に言えば
29:51長田町での政局に忙しい
29:53政局プレッシュね
29:56大きな物差しでのビジョンが
30:01なかなか
30:02本当は生まれなくちゃいけないんですけど
30:04生まれない
30:05むしろ周辺から出ていくという
30:09東北ゆかりの人が
30:12未来の希望につながるような
30:14憲法の構想を出していた
30:16千葉田草風呂という人は
30:17東北で
30:18伝統していろんなところを
30:19訪ねて勉強して
30:20技術政教にも入ったりね
30:23だからある意味では
30:24放浪する若者たちという感じなんですね
30:26おそらく明治時代にはそういう人いっぱいいたんだろうと
30:30つまり藩が潰されて
30:33東北というのは族軍の敵地だった
30:37公に東京じゃ就職できない
30:41食いつぶしてあちこち走路をして
30:44最後の勝負の選手だったら落ち着くと
30:47その時驚いたのは
30:49蔵を開けたら
30:50200数十冊
30:51300冊近い本があるわけです
30:54その本の中に
30:55デンマーク憲法
30:56オランダ憲法
30:57もちろんフランス憲法
30:59アメリカ憲法
31:00そういう本があるんですよ
31:02誰がこんなものを読んだのかと思いました
31:05だって五日市という
31:08武蔵五日市からですね
31:10熊谷20分くらい入った山のどん詰まりですよ
31:13日々農村の労働でね
31:15きつい労働をやりながら
31:18そういう世界に通ずる
31:20いろんな文献を読みこなして議論をする
31:24驚くべきこと
31:25驚くことですね
31:29憲法の指さん
31:31どういうふうにご覧になりますか
31:32はい 改めてね
31:35我々の今持っている日本国憲法に
31:38つながる地下水脈の水源だなと
31:42源だなと
31:44特にいろかわさんご自身が
31:47人頭式で発掘しました
31:49五日市憲法草案ですね
31:51つまり何かをしたいという
31:54やむにやまれる行動
31:57それとそれから世界につながっていく
32:01地ですよね 地
32:04行動と地というのが草深い
32:07この村落でですね
32:08ああいうふうに結びついていたという
32:11これこそですね
32:16地下水脈の水源だろうと
32:19改めてそういう思いを強くしますね
32:23戦後 こういう議論がありますよね
32:29戦後日本は戦争に負けて
32:33日本の歴史に関係のないものを
32:36戦勝国に押し付けられた
32:40だからこれをご破産にしてやり直そうと
32:44とんでもないそういうことではないんだということがですね
32:49実際1945年敗戦後
32:53この占領軍が非常に注目した
32:56民間の憲法研究会という
33:00人方々が作った案があるんですよね
33:05在野の知識人
33:08在野の論客たちの集まりですが
33:10その中で唯一の憲法研究者が
33:14その鈴木康造が高知に行った時に
33:19そこで今まで世の中に知られていなかった
33:24植木の資料に出会うんですね
33:27そういう鈴木康造が中心になって
33:30民間草案を書いた
33:36鈴木康造は現在の福島県南相馬市の出身
33:41自由民権運動に光を当てた憲法学者です
33:47昭和11年 高知を訪れた鈴木は
33:51渦もれていた植木絵盛の憲法草案を再発見します
33:59そして敗戦後
34:01鈴木は憲法研究会のメンバーとして
34:04憲法草案を作成
34:07その際
34:08植木をはじめとする自由民権運動の思想を取り入
34:12れました
34:19憲法研究会の草案はGHQに提出されました
34:24これらも参照しながら
34:26日本国憲法のGHQ草案がまとめられたのです
34:33注目すべきことはアメリカの当局は
34:36日本の戦前にも民主主義があったんだという認識をしていた
34:42ということです
34:44これは植木絵盛だけじゃなくて
34:465日1時そして数々の自由民権運動の中で
34:54模索されていた憲法構想というのが
34:58私は幸せな地下水が表に出る機会を得た
35:08そういうふうに理解しています
35:11戦後の民主主義の元のところには
35:15自由民権運動というのがあるというのが先生の考え
35:19全く井上さんのおっしゃる通りだと思いますね
35:25鈴木康三さんとかそういう方の力もある
35:30遡った植木盛とか千葉拓散
35:33非常に優れた本当に貴重な憲法が作られたわけじゃないですか
35:42今こそその憲法をもう一度一つ一つ読んでいけば
35:51日本の国はこういうふうにしていかなきゃいけないということが
35:54示されているわけだからそこへ戻ることじゃないのかな
35:59若者たちが新しい自由民権を考えてほしいですね
36:12そうですね
36:16今度の東日本大震災のあれで
36:19僕はずいぶん走り回って感じたんですけれども
36:25若者がね今のこの暮らしちょっとおかしいぞ
36:31不自然だぞというふうにちょっとそういうきっかけをつかんで
36:34きて
36:35この桁違いの他の人の災難に対して
36:39自分がロークを分かち合うという感覚が出てきて
36:43それが行動に現れてきたということはね
36:46やっぱり新しい日本を開くんじゃないかという気がしますが
36:53光は辺境からというか
36:57いやもうお二人の話聞いてね
36:59もうそれは昔から言われることで
37:02光は辺境から
37:09自由民権運動が130年前に燃え上がった福島
37:15毎年民権家の子孫たちが集まり
37:18福島自由民権大学が開かれています
37:23それぞれの人たちの生活をめぐるですね
37:26自由と民権そして生存というものをめぐる
37:29そういったものを見直す
37:34自由民権の精神を現代にどう生かしていくのか
37:39地域の人々や研究者たちも参加して議論を重ね
37:43ています
37:47自由民権の水脈が果たして
37:51あの時に途絶えてしまったのか
37:56今日までどっかにこう不走不走でも
38:01血の中を這いながらあるんだろうか
38:06俺は原発反対やってきたけども
38:09その言葉は自由民権という言葉はついてないけども
38:16政府がやることが間違っているから
38:18直しなさいというのは
38:20民権運動と同じじゃなかったのかなって
38:23実は民権さんと
38:26初めてきました
38:32陸前高田の復興計画
38:36この場所にあった蔵作りの街並みを
38:38よみがえらせるために
38:39流された古い建物の木材を集めてきました
38:47集めたんですよ地元の人たちが
38:50これ全部
38:52瓦礫の中から
38:54新しい木材では
38:57復元できない
39:02目指すのは懐かしい未来の創造
39:07過去の英知を掘り起こし
39:09そこから未来を作っていこうというのです
39:15東北の人たちは今
39:17少しずつ歩き始めています
39:33ご視聴ありがとうございました
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