- 4 か月前
ETV特集 シリーズ 父の日記を読む 闇の時代からのメッセージ~清沢冽・戦時下の日記~ 1994.9.8
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📚
教育トランスクリプション
00:20東京大田区宇野木の歓声な住宅地
00:24太平洋戦争の最中ここで一人の男が日記を綴って
00:30いました
00:37その日記には戦時下の日本と日本人の姿が通列な批評
00:42眼を持って描かれていました
00:59それは多くの国民が自らの目や耳そして口を塞ぐことを
01:05余儀なくされていた時代に
01:06ひめやかに語られた人間の声でした
01:18日記の主はジャーナリスト清沢清
01:23彼は身の危険を覚悟の上で日記を書き続けました
01:28戦時下に凝縮された日本社会の病理
01:32それを描くことが清沢が自らに課した使命だったのです
01:42切り抜かれた新聞記事とそれに反応するように
01:45時の政府と世論への批判が繰り広げられる清沢の
01:49日記
01:51戦後暗黒日記と名付けられたこの日記は
01:55暗闇の時代の貴重な記録として今も読み継がれて
01:58います
02:06昭和17年12月9日
02:10近頃のことを書き残したい気持ちから日記を書く
02:14昨日は大東亜戦争記念日だった
02:18ラジオは朝の大倉大臣の放送に始めて
02:22まるで感情的共感であった
02:26夕方は米国は鬼畜で英国はあくまでといった放送
02:31で
02:31家族でさえもラジオを切ったそうだ
02:37各感情に訴えなければ戦争は完遂できぬか
02:49大東亜戦争1周年において
02:51誰も言ったことは
02:53国民の戦争意識功用が足らぬということだった
02:57これ以上どうして戦争意識功用が可能か
03:02すべて役人本位だ
03:05役人のために政治が行われている
03:11暗黒日記は海戦からちょうど1年後に書き始めら
03:15れました
03:17清沢はこの時すでに
03:18この戦争がなぜ始められ
03:21何を目的としているかを
03:23日本の指導者や国民が全く見失っていることに気づいて
03:27います
03:33各方面でA・Bを憎むことを教えている
03:38秋田県横手町の婦人会は
03:40チャーチルとローズベルトの人形を釣って
03:43女子供が出てザクリザクリと突き刺していると
03:47今朝の毎日新聞報酬
03:51我が国において敵を憎むことを教える
03:56例えば清浄機の上を足で踏むことし
04:00戦争目的はそうした感情よりも
04:03遥かに高からざるべからず
04:07昔の仇討ち思想では
04:09世界新秩序の建設は不可能である
04:14高い理想を打ち立て
04:16その理想の実現を
04:17米国が阻むというのでなければ
04:19ダメである
04:28ひとたび敵となれば
04:29アメリカ人はすべて鬼畜と呼び
04:32全国民が揃って同じ方向へと向かっていく日本
04:37移民としてアメリカで長く暮らし
04:39日本の外交政策を批判し続けた清沢にとって
04:43当時の日本は
04:44国のあるべき姿とはほど遠いものでした
04:51日本人が良心的でないのは
04:53どこに原因があるのだろうか
04:56考えていることと
04:57まるで反対のことを言うのである
05:00ペリー侵略士もそうであり
05:02米人鬼畜呼ばわりもそうである
05:05米人残虐説の宣伝もそうだ
05:09僕の周囲でこれをやらないものはほとんどない
05:13僕などが沈黙を守っている唯一の存在だ
05:18これは国家を最大絶対の存在と考え
05:22その国策の線に沿うことが義務だという考え方
05:27それと共にそうすることの方が利益だという利益主義からで
05:32あろう
05:33外国においてはそうした立場を取らない人々が少なくない
05:42この戦争が終わった後
05:44日本人がより懸命に生きられるように
05:47そんな願いを込めて日記は
05:49終戦の直前に清沢が死ぬ間際まで
05:532年半にわたり書き続けられました
06:01政治史学者の北岡真一さんは
06:03日本の外交史を研究する過程で清沢の著作と出会
06:07いました
06:09北岡さんは当時の国際関係を正確に見据えた
06:12清沢の見識に感銘を受け
06:15暗黒日記を改めて読み直しました
06:22日本の戦争中の病理といいますか
06:26政府あるいは軍というものがですね
06:28どうもとんでもないことをしていたものだというですね
06:31ことを非常に鋭くえぐった記録であるわけですね
06:36ただそれだけだとですね
06:38おそらく戦争でひどい目にあったと
06:41もう戦争はゴリゴリだというですね
06:44反戦あるいは沿線の書ということであるんでしょうけども
06:49おそらくその戦争はゴリゴリ
06:51戦争はもうたくさんということを超えたですね
06:53外交の本質とか国際関係の本質とか
06:57日本の政治の本質的に弱いところとかですね
07:00そういうところを非常に厳しくついたところがあるんですね
07:03それが清沢の暗黒日記をですね
07:06戦争直後にある程度もてはやされたんですけども
07:09それを超えて読み継がれているものにしている理由じゃないかという気
07:14がします
07:2855歳でいった清沢がこの世に残したもの
07:32それは暗黒日記と30冊の書物
07:36そして妻と2人の子供でした
07:40妻と長男が多戒した今
07:41日記帳は残された長女のもとに保管されています
07:50清沢清の長女池田真理子さん
07:54彼女は60歳を過ぎた今
07:56自分が幼い頃亡くなった父の日記を読み始めました
08:04長野県南安住郡 穂高町
08:08清沢清のふるさとです
08:134年前からこの町の人々は
08:15清沢の著作の勉強会を始めました
08:22池田真理子さんは毎月この会に出席するために
08:26東京から穂高に通っています
08:43最も熱心に読まれているのは暗黒日記です
08:48自分が経験した戦争の時代を
08:50清沢がどのように見ていたのかを知りたいからだと言います
08:54第1は軍人を抑える政治がなかったことだ
09:05第2に軍部を抑える軍人がなかったことだ
09:10そのことが動物的衝動に恐れて
09:13戦争に持ってきてしまったのだ
09:15いわゆる日本主義の欠点は
09:18国内の愛国者を動員し得ることである
09:21思想の総意をもって愛国の首相も排斥することである
09:27これがファータルな弱点だ
09:32清沢烈が言う愛国者とは
09:36どういう内容であるか
09:40つまりこの時代私どもも小学生で
09:45とにかく愛国の念に燃えているわけですよね
09:49ですから愛国のカテゴリーというか
09:54そのうんと深い見方をしているんじゃないかな
09:58私も軍人の端っくりだから
10:00軍人直右とかね
10:02先人軍
10:04こういう
10:05いわゆるその軍空主義の中での
10:08ですね
10:10教育だったわけですね
10:12だから
10:13清沢さんの教育観というのは
10:15我々の
10:17中軍愛国思想とは
10:21ちょっと違うんじゃないか
10:22ちょっとではなくて大きく違うんじゃないかと
10:25生前といいますか
10:26一生になられた時に
10:28具体的にこういうような
10:32人間になることがいいとかですね
10:34そういうような話というものは
10:36うちではあったんですかね
10:38具体的にこういう人間になれということは
10:41聞かなかったように思いますけれども
10:45健康であれ
10:46それから人の
10:49立場を思いやれる人間であれ
10:52そうやっぱりですから
10:53よい人間として
10:58よい
11:01人間であれということです
11:09町外れにある墓地
11:11母姫を見ると
11:12ほとんどが清沢のせいです
11:2716歳でこの町を離れ
11:2940年後東京でこの世を去るまで
11:32清沢清は
11:33穂高の実家にほとんど戻っていません
11:38麻里子さんも
11:39この地を訪れるようになったのは
11:41父の死後半世紀近くたってからです
11:46清沢は麻里子さんに
11:48自分の老いたちや人生について
11:50あまり語らなかったといいます
11:58検証会が始まりますまではね
12:02そんなに
12:05死が世の中で
12:06そう
12:10話題になっているというか
12:12評価されるというんじゃないでしょうか
12:14普通の人でございましたから
12:20早く亡くなりましたから
12:22そういう言葉がですね
12:24やっぱり残っているというのは
12:26子供にとってはありがたいというか
12:28一つの
12:31理由になりますですね
12:36考え方が違っても
12:37愛国者でありえ
12:39また意見が相違しても
12:41団結することができる
12:44そう
12:45我が国の愛国者は
12:46考えることができぬ
12:49日本的な政策では
12:51他民族などは
12:52決して治めることができないという
12:55実物教育を
12:56日本人に認識させない前に
12:58もし
12:59戦争が終わるようなことがあれば
13:02それはかえって
13:03日本国民にとって
13:05不幸である
13:09清沢清は
13:10明治23年
13:11農家の産卵として生まれ
13:16家が貧しかったため
13:17小学校卒業後
13:18中学に進むことを許されず
13:21農作業を手伝いながら
13:22村の私塾で
13:233年の間学びました
13:26建成義塾と呼ばれたその塾では
13:28キリスト教に基づく
13:30人格教育が行われていました
13:33春になれば
13:33小川のほとりで
13:35聖書を片手に授業がなされ
13:37賛美歌が歌われたといいます
13:47学びながら
13:48労働することの喜びを教えた
13:49建成義塾からは
13:51多くの卒業生たちが
13:53移民としてアメリカへ渡っていきました
13:57清沢もまた
13:58都米して
13:59キリスト教の伝道師になりたいと
14:01夢見るようになりました
14:11明治40年1月
14:13清沢清は
14:14ワシントン州シアトルに到着しました
14:17思う存分
14:18学び働くことができる
14:20新天地でした
14:27当時のアメリカでは
14:28日本人の移民が急増していました
14:32日本人移民たちが就いた仕事は
14:34鉄道工事や製鉄所の作業員など
14:37それまで中国人が就いていた仕事でした
14:41当時大きく発展しようとしていた
14:43アメリカ社会の底辺から出発したのです
14:55清沢は
14:55病院の掃除婦や
14:57アメリカ人家庭の
14:58駒使いをしながら
14:59高校を卒業し
15:01大学で政治経済の授業を
15:04聴講しました
15:09様々な職を経験し
15:11学校に通う中で
15:12清沢はアメリカの社会や文化に対する理解を深
15:16めていきました
15:24一面のやっぱりアメリカからの
15:27あれが続いておりますのか
15:29日曜日の朝など
15:31ワッフルを焼きましてね
15:32その頃まだ電気で焼くワッフルっていうのは
15:35割に珍しかったらしいんですけどね
15:38日曜日の朝はワッフルと決めて
15:41それから生活ですね
15:43椅子の生活とか
15:45洋風という意味でございますか
15:53好みはやっぱりどちらかといえば
15:58洋風のものであったかもしれません
16:03清沢がアメリカに渡った時代は
16:06また日系移民排斥運動の始まる時代でした
16:10アメリカに住む日本人の数は
16:127万人にも膨れ上がっていました
16:16アメリカ人の職を奪うという理由から
16:18日本人商店の焼き討ちが起こっています
16:30日米戦争の声は
16:31当地至る所に伝えられております
16:35とにかく大和民族のこの地における
16:38対偶は驚くべく低いものであります
16:42ジャップ
16:43スケベイ
16:45これが通り言葉です
16:47彼らはあらゆる無別の声を持って迎えてくれます
16:56しかしこの排日運動の嵐の中で
16:59清沢は逆にアメリカ社会の
17:02懐の深さを知ることになります
17:05当時の大統領セオドア・ルーズベルトは
17:07急増する日本人移民の制限は支持するが
17:11日本人に対する差別には反対していました
17:15彼は排日運動の中心
17:17カリフォルニア州の知事に
17:18たびたび手紙を送り
17:20説得に努めていたのです
17:25アメリカのやアメリカの政治の仕組みがあり
17:28大衆社会ですから
17:30国民の強い世論というものがあって
17:32それから生々しい政治があり
17:34そういうものは総体として動いて
17:36アメリカの政策を決定する
17:38確かに西海岸では白河がありますけれども
17:41そういうことをしてはいけないと言って
17:44わざわざ東部からやってきて
17:45東部には限りませんが
17:48日本人移民に対する迫害を
17:50非難する声を強く上げる良心的な人もいると
17:54アメリカにはいろんな意見があると
17:56そういうことをよく知るわけですね
18:02大正7年
18:0328歳になった清沢清は
18:0612年間のアメリカ生活に別れを告げ
18:09横浜港に戻りました
18:18当時日本は大正デモクラシーの時代を迎え
18:22街ではデモが盛んに行われていました
18:26しかしその世相を清沢は冷ややかに見ていました
18:34軍国日本はある
18:35官僚日本はある
18:37産業日本も形だけはある
18:40が自由日本はどこにあるんだ
18:44見ろあまりに強大な国家権力と
18:47あまりに階級的な社会意識のために
18:50日本の民衆は
18:52引き薄の下に落ち込んだように
18:53引き回され
18:54小突き回されているではないか
19:04日本に戻った清沢は
19:06新聞社の記者としての活動を始めました
19:10彼はアメリカでの体験をもとに
19:13世界的な視野で
19:14日本の外交や内政を論ずる評論家として
19:17華々しいデビューを飾りました
19:28清沢は中央公論など総合雑誌に寄稿し
19:33国際関係や経済的観点から
19:35日本の外交政策の誤りを指摘していったのです
19:46清沢さんははっきりした
19:51アメリカ的合理主義
19:55またはプラグマティズムの思想で
20:00すっかり武装された人なんです
20:02ですから少数の人に非常に愛され
20:06そしてかなり多数の人に
20:10嫌われたんじゃないでしょうかね
20:13あの当時あまりにもはっきりした
20:16合理主義を主張することは
20:20非合理なものが多い
20:24戦前の社会では
20:27嫌われる
20:30そういうことが多かったですね
20:36他の人たちは結構と
20:37そこのところを要領よくやっていったんですけど
20:42清沢さんははっきりと
20:45合理主義以外の主張をされなかったんですかね
20:59昭和6年9月
21:01満州事変勃発
21:03満州における日本の権益の方が
21:06多くの知識人言論人によって肯定される中
21:09清沢は全く違う視点から異論を述べています
21:17満州問題については
21:19かねてから私に多少の意見がある
21:22満州における日本の権益というのは
21:25端的に言えば
21:26南満州鉄道会社だけのことである
21:30これを擁護するために
21:32日本の一戸師団の兵力と
21:34守備隊を上地し
21:36昭和4年からはさらに
21:38ニコ大隊の兵員数千七百名を増員している
21:44満州のこの利権を守るために
21:46日本は他を全部犠牲にして
21:49前進すべきであろうか
21:52清沢は満州には国力を挙げて
21:55守るほどの権益などなく
21:56むしろ中国や欧米諸国と
21:59敵対することによって失う
22:01外交的経済的利益が大きいことを
22:04冷静に説いています
22:06彼は旧満州ですね
22:10中国の東北地方に行ったことがあって
22:13そこは昔は日本は
22:15自分たちの生命線といってですね
22:17非常に重要なかつ日本が
22:20非常に大きな利権を持っている
22:22ところだと考えていたんですけど
22:24行ってみるとそこに住んでいる
22:26移民というのは割合その基礎が浅い
22:29国家の厚い保護を受けているから
22:30自分たちの足で立っていない
22:32ということを彼は見通すわけですね
22:34これとアメリカに住んで
22:37そして日本政府の保護ほとんどなしで
22:39アメリカ人から迫害されながら
22:41何とか定着している日本人移民と
22:43どっちが立派なんだろうか
22:44ということを考えるわけですね
22:47彼はそういうわけで
22:48日本の大陸権益なんてものは
22:50意外に根が浅いもんだということを
22:53非常に強く知ったと
22:54これは彼がアメリカで知ったものが
22:57日本が生命線として考えていたものが
23:00実は脆弱であるということを見抜くですね
23:01大きな手がかりを提供した
23:03そういう例だろうと思いますね
23:09国際関係を重視する清沢の思想は
23:12しばしば右翼から激しく攻撃されました
23:17そして昭和4年
23:18清沢はついに新聞社を辞職せざるを得なくなりました
23:24フリーの評論家となった清沢にとって
23:26雑誌中央討論の常連執筆者の親睦団体
23:30西近井がその後の拠り所となります
23:41西国陸海軍は本要か未明
23:47西太平洋において
23:51米軍と戦闘状態に入れ
23:57昭和16年の日米海戦
24:00アメリカをよく知り
24:02巨大な経済力を持つこの国との協調を強く主張
24:05してきた清沢は
24:06無力感と絶望感に襲われます
24:11この頃清沢の名は
24:13特攻警察のブラックリストに載せられ
24:15雑誌への寄稿は禁止
24:17自宅は監視されるようになります
24:23ジャーナリスト清沢清の生きる道は
24:26閉ざされていったのです
24:35清沢は中央討論のあった丸ビルに
24:38レストランを開き
24:40老いに経営させることにしました
24:42この場所で彼は密かに人に会い
24:45情報の交換をしたのです
24:50老山正道君
24:52久しぶりに出席する
24:55自由に話し得るのはこの回ぐらいなものである
24:59他では2,3人の回でも断じて正直は言えぬ
25:04そこには常にスパイがいるからである
25:08さらばとて我らの話は常に国家の暗記を忘れ
25:13ず
25:14これをいかに対処すべきかを研究闘技しつつある
25:18のであるが
25:21私が集まったり自分たちの友達が集まる場所を
25:25欲しがったんです
25:27あのあれを炎上なく集まる場所を欲しがったんですね
25:32それって僕じゃ誰が聞いたって誰が集まったとか
25:37そんなことは言えませんしね
25:38何々は他の全然の話を聞き来られれば
25:43喋ったりどういう顔ぶれが集まるとか
25:46どんなような話をしてるのがあったり
25:48喋ると大変だからって言ったら
25:50ここで僕に言えやすい
25:52僕に絶対喋っちゃいけないと
25:54どうも言えません
26:11旅行より帰りて
26:14この日記帳は持っていかなかった
26:18荷物になることもその一つの理由だが
26:21それよりもどこでゼッカにかかり
26:24この日記帳を取り調べられねばならぬかを恐れたから
26:28だ
26:30我らの生活は普段の脅威に怯える
26:40僕が憲兵隊に検挙されたという流言は
26:43すでに何十回も出ている
26:46事実は僕はまだそういう意味では
26:49一回も呼ばれたこともない
26:51肩書きのないことが
26:53怪我のない理由であるかもしらぬ
27:00小泉晋三氏は内閣顧問だ
27:04痩せた
27:06驚いたことは
27:07全く右翼的になったことである
27:10戦争でどうなっても
27:12米国の奴隷になるよりいいと彼は言う
27:16僕は寂しくなった
27:18小泉氏のごときは最も強靭なるリベラリストだと思
27:23った
27:24しかるに今それが全く反対であることを発見した
27:29意見がこうも変わるものだろうか
27:31日本人がそうなのか
27:39知識人たちは自分の考えを変えるか
27:42あるいは沈黙していきました
27:46国家総動員の名の下に
27:47全てが戦争一色になっていきました
27:52そして清沢の友人も親戚も
27:54次々と戦場へと駆り出されていきました
28:02自分の意見の発表の場を失った清沢は
28:05うのきの自宅にこもることが多くなりました
28:09毎日4時にマリコさんと犬の散歩に出る以外は
28:13何千冊もの書物の詰まった書斎で
28:15日記を書き続けていたのです
28:25よそのお父さんは朝出て夜帰り出しちゃいます
28:28家の家はずっと家におりますし
28:34ですから私は学校の父の職業欄に
28:39なんか著述行と書かれるよりも
28:43なんとか陰って会社陰とかね
28:45そう書かれる方が
28:46なんか上等なような気がいたしましたね
28:50私は教育のせいで
28:52先生にしちゃいけないんですけど
28:56国に忠義に忠義という
29:02いろいろと
29:06学校の教えに忠実でございましたからね
29:09そういう意味では
29:11父が何か
29:16その国に忠義でないことがあるのかなというような
29:20そういうちょっと恐れみたいなものは
29:23多分なかったわけじゃないと思うんですね
29:32清沢は一人日記を綴ることが
29:35日本の現代史を書くことにつながり
29:38それが戦後日本人の教育に役立つと思い定めていたのです
29:55昭和18年に入ると
29:57連合軍は勢力を盛り返し
29:59次々と日本の占領地域を脱回していきました
30:03兵力で劣勢となった日本軍が取ったのは
30:06玉砕戦法でした
30:12昨日、アッツ島の日本軍が
30:15玉砕した旨の放送があった
30:17午後5時、大本営発表だ
30:20今朝の新聞で見ると
30:22最後には百数十名しか残らず
30:25負傷者は自決し
30:26現行者は突撃して死んだと言う
30:30これが軍関係でなければ
30:32こうした疑問が起こって
30:34社会の問題となったろう
30:37敵の行動は分かっていたはずだ
30:40しからば
30:41なぜにこれに対する前後処置をせず
30:44孤立無縁のままにしておいたか
30:47作戦に対する批判が全くないことが
30:50その反省が皆無になり
30:52したがって
30:53あらゆる失敗が行われるわけではないか
30:58次に来る者はキスカだ
31:08イタリー・バドリオ政府は9月8日
31:11米英に対し無条件降伏をしました
31:15これは日独位三国同盟
31:17および単独不公和の名役を裏切る
31:20卑劣な行為でありますが
31:24イタリー無条件に降伏す
31:28マルビルの新聞屋は長い長い行列を作って
31:32その新聞を買うために一生懸命だった
31:36よほどのショックを与えたようだ
31:39昨日までイタリー・イタリーと言っていたのが
31:42今日は文芸欄その他まで動員しての悪口だ
31:47ムソリーに没落はすなわち
31:50イタリー政策改変の論理的結論だ
31:54しかるに日本の新聞は勝手に
31:57希望的観測を書いていた
32:00これは日本自身の責任で
32:02そんなことにまでイタリーは責任は負えぬ
32:09この頃清沢は日記の中で
32:12敗色が濃くなっても居直る
32:14工場内閣の姿勢に批判を繰り返しています
32:18それは戦後の日本のあるべき姿や
32:20世界秩序など何も語らずに
32:23ただただ国民を玉砕の道へと誘う
32:26指導者たちへの激しい行き通りでした
32:35本土防衛の生命線と言われたサイパン島
32:39日本の移任統治領だったこの島には
32:42およそ2万5千人の日本人が定住していました
32:48アメリカ軍との激しい戦闘の末
32:50日本軍は玉砕
32:52住民およそ5千人が自決へと追い込まれました
32:59今朝の新聞は全面サイパンの記事だ
33:03サイパンの全日本人が玉砕したのは
33:06今後の問題を提供する
33:09そうした死に方は犬死ににならないのか
33:17サイパンその他の島にいる日本人に
33:21全部の玉砕を強いないで
33:23せめて普通人にそこに居残ることを
33:26命じたらどうだろう
33:28そうすれば将来そこの経済的基礎ができるのである
33:34今のように全滅では米国側には
33:37あつらえ向きである
33:39何にも残らず彼らの自由になるからだ
33:44しかしこうしたことは絶対に論議できないのだ
33:54サイパン陥落後東京は連日B29による空襲に
33:59さらされます
34:01敗戦の年昭和20年元旦
34:03清沢は日記に戦後への決意をしたためています
34:09昭和20年1月1日
34:13昨夜から今朝にかけ3回空襲警報を鳴る
34:18配給のお餅を食っておめでとうを言うとやはり新
34:23年らしくなる
34:24鈍天
34:27日本国民は今初めて戦争を経験している
34:32戦争は文化の母だとか100年戦争だとか言って
34:36戦争を賛美してきたのは長いことだった
34:41僕が迫害されたのは反戦主義だという理由からであった
34:46戦争はそんなに油産に行くようなものなのか
34:50それを今彼らは味わっているのだ
34:54当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから
34:58その間に正しい教育をしなくてはならぬ
35:02日本で最大の不自由は
35:05国際問題において
35:06相手の立場を説明することができない一時だ
35:11日本には自分の立場しかない
35:15日本がどうぞして健全に進歩するように
35:19それが心から願望される
35:23この国に生まれ
35:25この国に死に
35:26死死存存もまた同じ運命をたどるのだ
35:32仇打ち思想が国民の再起の動力になるようでは
35:36この国民に見込みはない
35:40僕は分泌的要請を
35:42国民の考え方転換のために捧げるであろう
35:47本年も歴史を書き続ける
35:50戦争に勝つとか負けるというのは最後の目的じゃなくて
35:54国家の歴史民族の歴史ってずっと長いんだと
35:56その中のほんの一コマに過ぎない
35:59というのはですね
36:00おそらくそのもっと長い歴史を持つ
36:02ヨーロッパの古い国々には割合上司的なことだろうと思
36:05うんですよ
36:06それをその最後の一人まで戦うというのはですね
36:09つまりそれがもう勝つか負けるかが最後の目的だってことです
36:13よね
36:13そうではなくて
36:14より長い日本民族の運命から考えれば
36:18何が賢明なのかと
36:20彼はもちろん戦争はすべきでないって意見ですし
36:23始まってからはできるだけ早くやめるべきだって意見です
36:25けども
36:27それはそういう長い目でですね
36:30日本民族の歴史を考えればということでしょうね
36:34それと対になって言えることかもしれませんけども
36:36この辺りから特に彼は
36:39ナショナリストとしての姿を非常にはっきり表すようになって
36:42いる気がします
36:43それはある意味で当然で
36:44彼の親しい人が戦争で亡くなりですね
36:48彼の家が焼かれですね
36:50そういうものに会うと
36:53強い意気通りを覚えると
36:54それはやむを得ないことだったと思います
36:56それを向けても彼は
36:59親中ですね
37:00非常に強いナショナリストだったと思いますね
37:074月15日
37:09本日は一生のうち
37:11最も思い出の多い日であった
37:14この日僕は空爆の洗礼を受けたのである
37:19屋根に火がついている
37:21これはダメだと諦めた
37:23書籍や私有物が全部焼けるんだという感想が
37:26脳中を過ぎる
37:29はしごを運んで行って屋根を見ると
37:31火はいつか消えていた
37:34この火事を見火事と戦って
37:37僕は何か憎くて痛風にした
37:41怒り浸透に発すというのはこのことだろう
37:45しかしそれがただ米国という敵だけではないようだ
37:50僕は盛んに米国のやつめ尺に触ると言った
37:56それには明らかに人に聞いてもらいたいためのセリフが
38:00混じっていた
38:02新米敵と言われはしないかという懸念から
38:05特にそうした点を強調するのである
38:09だが何かに対し異動力を感じなかったというのならば
38:14明らかに嘘だ
38:16こんな戦争をやるのは誰だと
38:18僕はこの愚劣な政治と指導者に通訓していたのである
38:29昭和20年3月の大空襲で一面の焼け野原とな
38:33った東京
38:35敗戦の足音が近づく中
38:37清沢は戦後の世界秩序に関する構想をまとめ
38:41執筆していました
38:48戦後への思いが大きく膨らみ始めた矢先
38:52清沢清は急性肺炎のため入院
38:55わずか3日後の5月21日他界しました
39:02去年55歳
39:04葬儀は前日の大空襲の被害のため
39:07家族も間に合わず
39:08わずか3人の知人が集まる寂しいものでした
39:16清沢の突然の死から3ヶ月
39:19戦争は終わりました
39:24戦後の日本の再建のために
39:26清沢が日記をもとに執筆しようとしていた
39:29現代史の本はついに書かれることはありませんでした
39:36一つはですね
39:38日本の教育に理想がない
39:40それから本当に教養はない
39:43それから残るのは小手先の技術の追求だということですね
39:49それでやってきた人たち
39:51それで成功した人たちが
39:54国家のリーダーになった結果がですね
39:56こういう政治になっているということですね
39:58と同時に国際関係の見方
40:02外交の見方
40:03そういうものに対する
40:05日本人の考え方の浅さということを批判してですね
40:10特に彼はそれは専門ですから
40:12なんとかそこで
40:13日本人の思考をより堅実で
40:16そこの深いものにしたいということを考えたということでしょう
40:25清沢清の日記は
40:27死の2週間前
40:295月5日に終わっています
40:32そこには
40:33若いカップルのナコードを務めたことが記されています
40:38結婚は探すものではなく
40:40拾うものである
40:42未来を開く若い2人に送った言葉が
40:452年半
40:46ノート5冊にわたって書き続けられた
40:49日記の最後となりました
40:56清沢の死後
40:57刊行された暗黒日記には
41:00序文として一つの文章が加えられました
41:04それは清沢が2人の子供にあてた手紙でした
41:15我が子にあたう
41:17お前はまだ何もわからない
41:19がお前の今朝の質問がお父さんを驚かした
41:23この書の構成が出来上がって
41:25序文を書こうとしている朝である
41:27お前はお父さんあれはシナ人じゃないの
41:31と壁にかけてある写真を指して聞いた
41:34うんシナ人ですよ
41:36と答えると
41:37じゃああの人と戦争するんですね
41:39と言うのだ
41:41お父さんのお友達ですから
41:43戦争するんじゃなくて仲良くするんです
41:46だってシナ人でしょ
41:47あそこの道からタンクを持ってきて
41:49この家を撃ってしまいますよ
41:52お前の言うことを聞いていて
41:54お父さんは思わず憂鬱になったんだ
41:58お前にはただ一つの希望がある
42:01それはお前が相手の立場に対して
42:04寛大であろうことだ
42:06そして一つの学理なり
42:07思想なりを入れる場合に
42:09決して頭から断定してしまわない
42:12心構えを持つことだ
42:14お前のお父さんは
42:16一部から非愛国者のように
42:18言われたことがある
42:20しかし一家に育ったお前として
42:22これほど滑稽な非難はないことが
42:24大きくなったら分かるはずだ
42:279000万という多い国民の中で
42:31自分だけが国家の前と
42:33お礼なければならぬような義務を
42:34誰に負わされたか
42:37お前のお父さんは
42:38時々こんな自問を胸に描いて
42:41自重したい気持ちになるほど
42:42真剣にこの国の前とを憂えているんだ
42:47お前もこの国に生まれた以上は
42:50国家を愛するに決まっている
42:52が
42:53お前の考えるように考えなくても
42:56この国を愛する者がたくさんいることだけは
42:59認めるようになってくれ
43:00お前のお父さんも
43:02全然反対な立場に立つ人に対しても
43:05真剣でさえあれば
43:06常に敬意を払ってきたんだ
43:11西洋の誰かは
43:13私は自分が生まれた時より
43:15自分の死ぬ時の方が少し世の中を良くしたと
43:18信ずることが願いだ
43:20と言った
43:21お前は世の中を救うの
43:24なんのという夢のような考えを持たないでいい
43:28一生道理のあるところに従った
43:31そういう確信を持ったようになれば
43:34それでお前のお父さんの願いは足りるのだ
43:38おりんもおり
43:39今朝の食卓で
43:41お前のがんぜない質問があったばかりに
43:43お前に与える手紙が
43:45この著の序文の代わりになった
43:48これも何かの思い出になろう
44:12戦時下の暗黒の時代を記録し続けた
44:16清沢清の日記
44:20それは戦後50年経った今も
44:22日本人の生き方を深い眼差しで見つめています
45:0020年経った後50年経った一回
45:01一回発表し続けと
45:07洗濯してね
45:08appeal