00:00番組ではテレビ俳優第1号の黒柳哲子さんの歩みを通して昭和100年を振り返っていきます
00:08こちらはイの文字がテレビのブラウン管に映し出された様子を再現したもの
00:16そのテレビで放送初日から出演を続けているのが
00:22昭和28年の2月1日にテレビが始まったわけでございます
00:27昭和の初めに生まれテレビ誌とともに歩んできた黒柳さん時代を目撃し今も発信を続けていますまずは昭和元年から20年までを振り返ります少女時代は戦争一触でした
00:51かわいらしいお母様とこれが黒柳さんですねそうですねかわいいかわいらしいですね
01:00うんでも本当に戦争が多い時代でした六王京事件日中戦争が始まり第二次世界大戦そうですね日独三国同盟なんてねヒットラっていう人がいてあの人偉い人だと教わってたんで後でそんな悪い人だったんだと思ってね知らないから遊ぶ時も三国同盟なんて遊んでました遊ぶ時のテーマといったら?
01:26もう戦争のことでしたよねそうですよね
01:30小学校に上がった頃いつもしていたのが
01:35いつもやってたことって言えば駅に兵隊さんを送りに行く
01:39行ってらっしゃいって万歳ってするとね鶴目を一本くらいくださったんですよ
01:44私は万歳ってやって鶴目をいただいて嬉しいなと思って
01:48お腹空いてたからおやつ欲しさで駆けつけていらした時代
01:52そんな子供がねやっぱり万歳って言っていらっしゃいって言った時に
01:56兵隊さんは行ってきますって言ってこの子のために戦おうっていう人がもしいたら
02:00私は悪かったなと思ってねちょっと責任感じました
02:05やがて戦況が悪化し始めます
02:09小学3年生の頃には1日の食べ物がごくわずかに
02:161日いった大豆15粒で暮らすっていう時がもうだんだんあって
02:2115粒だけ? 15粒だけですよあと何もないんです
02:24母がこれがあなたの1日分だからこれ全部食べちゃうと
02:28引き返ってきても何もないのよって言われて
02:30お水は飲むとお腹いっぱいになるので
02:32少し膨れるかな? 膨れてしまいにおでんきがいっぱいできてね
02:36体中に何だかタンパク質不足ですかね
02:40爪の間にねバイキンが入るみたいになって
02:43全部それが産んじゃうんですよね
02:45全部爪がね痛くなっちゃう
02:48それをね治す薬も売ってなければ
02:51病院に行っても薬もないっていう状態だから
02:53自分で耐えるしかないんですよね
02:55もうああってこうやったまま毎日起きて
02:59かわいそうでしょ
03:00かわいそうですよね小さな子供がね
03:03随分我慢強くなったと思いますよあれでね
03:06小学5年生の時バイオリン奏者だった父森綱さんが
03:12満州へ出征します
03:14電柱の陰に隠れているのが黒柳さん
03:20どうしてそなたが隠れてたんでしょうね
03:22ねえでもお父さんの一番近くにね
03:24立ってらっしゃいますよね
03:26この時は万歳ができなかったそうです
03:31やっぱり戦争に行くとやっぱり戦死っていうことが頭に浮かびますのでやっぱりそうなると嫌だと思ってこれから先どうなんだろうと思いました。
03:44その翌年東京に住んでいた黒柳さんは信じられない光景を目にします
03:54デマがもたらす分断と悲劇過去にはデマに支えられ生まれた独裁政権の凶器がありました国策に翻弄された村では減炭をめぐり対立が続いていきました日本の米政策とは?
04:14初の女性勝利誕生でガラスの天井は破られたのか総裁選に挑んだ3人に直撃
04:24昭和20年3月10日東京大空襲未明からの爆撃で下町は火の海と化し一夜でおよそ10万人が犠牲に黒柳さんの家は離れていて無事でしたが
04:45空を見たら本が読めたんですよ私空が明かくて明るかった全然本が読めたのでびっくりしてね下町だったんですよね今だって1時間ぐらいかかるところでもそれだけ離れてても空が明るくなるぐらいの大変だったと思いますね
05:03空襲の翌日黒柳さんは母に連れられ青森へ疎開その後も主要都市で空襲が続き4月には連合軍が沖縄本島に上陸します広島長崎に原爆が落とされそして8月15日
05:31耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び戦争が終わりました青森にいた黒柳さんは下校途中にバス停で終戦を知ったといいます
05:48バスの手順とかいったらラジオ聞いてるって言うね何だべって言ってしたらなんか戦争が終わるらしいってじゃあお父様帰ってくるかなと思ってじゃあ東京帰れんのかなと思って走ってそこから家へ帰ったの覚えてます
06:06玉雲放送じゃあまさに聞かれていたということですね周りの大人の方の様子とか覚えてますか何だか分かんねってみんな言ってましたねおっしゃってることがそうだったんですね
06:17何とかっておっしゃってるんだけど言葉が分かんねってみんなが言ってたんででもその中からでも戦争が終わるらしいっていうその時負けたとか何とかってことは分かんなかったですよね
06:30なるほどね翌年東京へ帰った黒柳さん4年後に父がシベリアから帰還し再会することができました戦後80年の節目に黒柳さんが思われることって
06:47やっぱり絶対嫌ですよね戦争はね本当は理不尽なものですよねだって出世して永遠に捕らえてですよ父親がね母親だってもしかしたら死んだかもしれないそんなとこで孤児になった子供たちがねどうして生きていくのかって考えたらものすごい理不尽ですよねうんああいう責任ってどうするんでしょうね本当そう思います
07:12そうですねひとたび国が戦争を始めると戦地の兵士だけでなく残されたすべての人々子供も大都市でも地方でも大きな犠牲を強いられるんだなということをね黒柳さんのお話を伺って改めて思い出しました忘れてはいけないことです
07:32この後もこのコーナーでは秘蔵映像を交えてお伝えしてまいりますのでご注目ください
07:37続いては出水さん
07:39さあここからはですね食や流行文化など昭和の100年で私たちの暮らしはどんなふうに移り変わっていったのかをご紹介します
07:50まず今回はこちらですおいしそうなステーキですがこれなんと冷凍食品なんです
07:59ということでぶっからかで注目されまして去年の国内での消費額が1兆3000億円を超えました
08:07過去最高ですこういった冷凍食品の歴史を見てまいりたいと思います
08:12まずはこちらです冷凍食品の夜明けから見ていきます大臣もうまい
08:20どういったことかといいますと1964年の東京オリンピックこんなことがあったんですね
08:27映っているのは当時オリンピック大臣だった佐藤英作氏です
08:34選手村の試食会の時の映像をご覧いただいているんですが冷凍食品も並べられていまして佐藤氏も味見をしているんですね
08:42この時に冷凍のローストビーフを口にしまして佐藤氏こんな風に発言するんです
08:49これはうまい実にうまいということで選手村の食事への採用も決まりまして家庭の普及というのも広がっていったんですよね
08:59この普及を後押ししたのが冷凍庫付きの冷蔵庫の誕生です
09:081960年に誕生したんですがこの佐藤氏の発言以降もこのようにどんどんどんどんと家庭の中に普及していくんですよね
09:14さあそしてそのオリンピックの翌年冷凍食品にとってある革命が起こります
09:23この後皆さんもお聞きなじみがあるのではないでしょうか
09:31電子レンジなんです
09:331965年に電子レンジというのが誕生しまして当時の価格はなんと19万8000円
09:40今で言いますと90万円ちょっとお値段だということで高級品だったんですけれども
09:46この電子レンジ家庭用のものが普及していきましてこんな商品たちも生まれていくんですよね
09:53新レンジ生活これが1994年に発売されまして
09:58昔はですね冷凍食品といっても揚げるですとかひと手間が必要だったんですが
10:03電子レンジでチンするだけで美味しい揚げ物も味わえるということになりまして
10:07時短が進んでいったということで
10:10浜田さん当時の冷凍食品が家庭に浸透してくる様というのはどんな風に記憶してらっしゃいますか
10:15でも小さい時の記憶で電子レンジがあったので多分使っていたんじゃないかなと思いますね
10:21もう今でこそそれこそ友場だらけの世帯も増えましたので
10:25なくては生活できないお弁当作りとか
10:27強い味方ですよね
10:29その後コロナ禍を迎えまして冷凍食品というのはグルメ化が進んでいくんですね
10:36こちらは人気店の飯田商店とコラボした冷凍ラーメンです
10:44水を加える手間がなく手間いらずで本格的な味を楽しめてしまうんです
10:50そしてこちらは解凍するだけでレストランさながらのステーキも味わえてしまうんです
11:00日本最高峰の冷凍食品がコンセプトのリブロースステーキとなっています
11:06ここまで冷凍食品というのは進んでいるんですが
11:10ではここから未来の冷凍食品はどうなっていくのかをご紹介していきます
11:16まずはこれ何の機械だかお分かりになるでしょうか
11:20これ実は3Dフードプリンターでタコの切り身というのを作っているんです
11:26ここに冷凍技術が使われていまして
11:29まずは食品を急速冷凍してパウダー化して保存します
11:33この食べる時にパウダーをペースト状にして3Dプリンターで形作っていくんです
11:39この中にはタコの皮通常捨てられてしまうものが含まれていまして
11:44フードロス対策にもなっているんです
11:47今日はぜひランマルさんにこのタコの切り身を味わっていただきたいと思いまして
11:52スタジオにご用意しました
11:54どうぞお召し上がりください
11:55いいですか
11:56はい
11:56いつもいろんなものを食べている気がします
11:59めっちゃかまぼこっぽさ
12:05ありますね
12:07みたいなところを再現してありますもんね
12:09ワクワク感やばいっす
12:11パクリとどうぞ
12:12朝ごはんです今日の
12:13いただきます
12:14素直な
12:23歯ごたえとかどうなんですか
12:25タコ風味のかまぼこです
12:28でも風味はタコなんですか
12:31風味は確かにタコです
12:353Dプリンターでこれを作ったと思うとめっちゃすごいなとは思います
12:41だいたいそこ
12:42切り身を作るのに今ですと15分から20分ぐらいかかるということなんですが
12:47先ほどご覧いただきましたパウダー状のもの
12:49冷凍しておくとなんと10年ほど保存することができるということで
12:54何かあった時の非常用の食品としても期待されているということで松本さんどうでしょう将来は3Dプリンターでプリントアウトしたものを食べているかもしれそうですねそういう時代も近いのかもしれないですけど確かねあと3年2029年というのが冷凍食品100周年になるんですよ最初のヒントって北極圏に住むイヌイットという人たちが魚を取って瞬時に氷じゃないですかそれが長持ちするというところから始まったらしいんですけどでもちょっともう一気に入っているんですよ
13:13最初のヒントって北極圏に住むイヌイットという人たちが魚を取って瞬時に氷じゃないですかそれが長持ちするというところから始まったらしいんですけどでもちょっともう3Dプリンターになるとそれとはまた違う世界になっちゃうかもしれませんね
13:28ここから先の100年もまた楽しみになってくる進化をご覧いただきましたまたこれも日本の技術力というところですけれども続いてはですね今年も参議院議員選挙や宮城県知事選挙で問題になりましたデマの拡散について取り上げますかつてこうしたフェイクニュースが国民を煽動し悲劇を生んだ歴史がありましたその時代と今を比較しながら考えます