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  • 2 日前
池田屋事変を期として、新撰組は更に一大飛躍を遂げてゐる。隊員も不足なので、近藤は書を近親に寄せて、隊員の周旋を依頼し、「兵は東国に限り候と存じ奉り候」と、気焔を上げてゐる
朗 読:岩倉 洋子
たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
Following the Ikedaya Incident, the Shinsengumi achieved a further great leap forward. With the ranks thin, Kondō wrote to his close relatives requesting recruitment assistance, declaring with fiery resolve: ‘Soldiers are scarce in the eastern provinces, I believe.’
Recitation: Yoko Iwakura
Taoyaka Internet Broadcasting Website: http: //taoyaka.at-ninja.jp/

カテゴリ

😹
面白系
トランスクリプション
00:00たおやかインターネット放送がお送りする 朗読の時間
00:17菊池観作 池田屋襲撃 最終回 順南の書紙
00:25なお文中には不適切な表現がありますが 作者の意図を尊重して原文のまま朗読します
00:35ひるがえって 獅子側の東野の観察はいずれか
00:43当時 長州藩 京都留水役 野見織江の指揮によれば
00:51京成金箔とともに 勇士らに敬虚を戒めること通説であった
00:57桂小五郎 久坂 義助などばくりの追跡しきりなので
01:05長藩としては彼らに帰国の命を下し 邸内の勇士らにも外出を慎ませていた
01:14吉田利丸に対しても 市中の宿屋に泊まらず
01:20判定に起伏するように勧告したが 入れられず
01:25宮部定蔵らにも 外出を極力制止していたのである
01:31東野の手記によると
01:35野見すなわち 杉山松介 時山直八をして 女王を探らしむ
01:43二人帰り報じて曰く 俊太郎逮捕のため
01:49あるいは不穏のことあらん
01:52よろしく帝門の守りを厳にすべし
01:57と 道や勇士多く池田屋に集まると聞く
02:02その難人たるを つまびらかにせず
02:08夜に入り 杉山松介 密かに槍を引っさげ
02:14外出すと言う
02:17未だ久しからずして 松介片腕を切られ
02:22先決倫理として規定し 急変ありと告げ
02:27帝門を閉ざし 非常に備えしむ
02:32のみ なぜに外出せしやと問う
02:36池田屋におもむかんとして 途中核のごとしいかんに絶えず
02:42と答うるのみ
02:45杉山は途中で 揚撃されたのであろう
02:50屋敷の近傍に 吉田俊真羅の屍を発見す
02:57宮部は池田屋に死し その弟 傷を負い 屋敷に帰る
03:05池田屋 女主 即死
03:09彼ら小五郎は 屋上より逃れて 須州亭の戦所に帰る
03:16この池田屋事変で 勤労方にとって最も大きな損害は
03:22宮部貞蔵と 吉田俊真羅の死であろう
03:28吉田俊真羅は 脇差しをとって力戦し
03:32裏庭で 起きた掃除と 一騎討ちになった
03:37その腕は 相当のものであったが
03:40剣を取っては 天才的と言われた 沖田に 敵はない
03:46肩先を切られたまま逃れ
03:49林家の庭前に監視していた 桑名藩士 本間何菓子を切り
03:55黒川何菓子に 重傷をこむらせ
03:59はせて 河原町の藩邸に向かった
04:04しかし この時は 門の扉は 固く閉ざしてあり
04:09俊真羅は 入ることができない
04:12その身は重傷であり
04:14ついに身体極まって 門外に自決したのである
04:21この時 年齢24であった
04:27吉田俊真羅は 松陰門下の記載で
04:31この時は 張幕朝廷案の一案を隠して
04:35帰国の途中 京都によって 受難したのである
04:41この日も 留水役の飲み織江が しきりに止めると
04:45いや 直帰ってくる と言って
04:48殿様からの下され物の 小塚などを
04:52飲みに託して 出かけて行ったのである
04:56この時 自分で髪を言ったが
04:59元結衣が 三度も切れたので
05:02結びても また結びても 黒髪の
05:06乱れ染めにし 世をいかにせん
05:10という歌を読んで 飲みに示したという
05:14これが ついに その時勢となったわけである
05:21宮部貞蔵は 乱戦の中に
05:24池田屋に置いて 倒れた
05:27一説には 身体極まって
05:30階段の下で 徒服して 果てたとも言う
05:35歳は 45であった
05:39宮部貞蔵は 日後の産
05:43吉田松陰とは 親友の中であり
05:46尊重派の 早々たる一人で
05:49同志からは 先輩の一人として
05:52水服された 人物である
05:55松陰勝って 宮部を表して
05:59国を憂え 君に忠
06:03またよく 法友と交わりて 真あり
06:07その人 根徳にして 豪気
06:11よ 元よりその人を 琴とす
06:14と言っている
06:17三条実富の 信頼厚く
06:20その使命を 奉じて 司法に使いし
06:23牧泉とともに 年齢 主案 ともに長者であり
06:28死死の間に 最も重きをなした 人物であった
06:33生き残っていたら 子孫は 公爵になったかもしれん
06:39のみの 主旗によると
06:41桂小五郎は 池田屋から 津州の 屋敷へ逃げ込んで
06:46危うき命を 拾ったとなっているが
06:49事実は 違うらしい
06:52この夜 小五郎は 一度 池田屋を訪れたが
06:59まだ 同志が みな 集まらぬので
07:02津州の 藩邸をおとのおて
07:04大島友の城と しばらく 対談していると
07:08死中が にわかに 騒々しくなった
07:11何事か と 人を出して 様子を探らせると
07:15新選組の 池田屋切り込みだという
07:18桂が刀を下げて その場に 馳せつけようとするのを
07:23大島が 無理に これを 引き止めて
07:26その世の難を 逃れたのだという
07:30この時 せめて 木戸孝義の 命を
07:34天下だけでも 長藩のため
07:37引いては 明治維新のために
07:40不幸中の 幸いと 言わねはならない
07:43桂小五郎も この事件においては
07:46簡単ながら 手記を書き
07:49天皇山に 兵を出す
07:51これに 基づけり と 結んでいる
07:55簡潔ながら さすがに よく 断じている
07:59池田屋における 幕府型の 傍挙が
08:03いかに 長州藩士をして 月光せしめたか
08:078月18日の 政変以来
08:10隠隠に 隠隠を 重ねてきた 長藩も
08:13ついに 観忍袋の 尾を切ったのである
08:18ついに 長軍の 上落となり
08:20天皇山に 本拠を進め
08:23浜栗五門の 戦闘となるのである
08:27少なくとも 池田屋事変は
08:30金門戦争の 導火線に 口火を切ったと
08:34言うべきであろう
08:37近藤勲の 最後
08:42このほか 池田屋で死んだ 獅子の中には
08:45大高兄弟 石川淳次郎ら
08:49優位の 勤納家がいた
08:53いずれも その死体は
08:55鳥方の手によって 三条縄手の
08:58三円寺境内へ 運ばれて 捨てておかれた
09:02何しろ 暑い頃なので
09:04後には この屍が
09:06何人のものか 判明しないほど
09:09腐ってしまい
09:10池田屋の 使用人を 呼び出して
09:13これは 宮部さん
09:15これは 大高さん
09:16と 識別させた という 話である
09:20池田屋事変を 機として
09:22新選組は さらに 一大飛躍を 遂げている
09:26隊員も 不足なので
09:29近藤は 賞近親に寄せて
09:31隊員の 終戦を 依頼し
09:33兵は 東国に限り 候と
09:36存じ 建祭り 候と
09:38機縁を 挙げている
09:40東国人の 近藤勲としては
09:43最もな 言い分で
09:44池田氏 池田屋事変は
09:47当時 都格 軽視されがちの
09:49関東男児の 意気を
09:52神方に 示したものと 言ってよい
09:55これから 伏見 戸場の 戦いまでは
09:58新選組の 黄金時代である
10:02浜栗五門の 戦いには
10:04戦闘に 赤字に 誠という字の 旗を立てて
10:09合図の 欠物 林厳介の 指揮の下に
10:12奮戦している
10:14戸佐藩の 大建物 後藤昭二郎に
10:19ある日 近藤勲が会うと
10:21昭二郎は すぐに
10:23拙者は 貴公の その腰のものが 大嫌いで
10:27とやった
10:29勲は 苦笑しながら
10:31その刀を 遠ざけた
10:33という話があるが
10:35たぶん この頃のことだろう
10:38それほど 近藤勲の名は
10:41響き渡っていたのである
10:43しかも 勲は
10:45単なる テロリストとしての
10:47自分に 飽きたらず
10:49政治的にも
10:50軍軍 守護職 諸子代
10:53苦行の中へも 食い込んでいったが
10:56純逆を誤った悲しさ
10:59時世は 日に日に 日なりである
11:03伏見 戸場の戦いは
11:06幕軍に対して 致命傷を与えたと同時に
11:10新戦組に 徹底的な打撃を与えた
11:15大部隊を中心とする 近世的な砲撃戦に対して
11:20一騎打ちの戦法は 問題でなく
11:24こてつは もとごめじゅうに 刃の立つ道理はないのである
11:30江戸に逃げかえった 近藤は
11:33その後 いろいろと 格索したが
11:35一度 落ち目になると
11:37することなすこと 後手となって
11:40甲州勝沼の戦に敗れ
11:43下房流山で ついに 官軍の手に捕らえられた
11:49この時 聖敵である 戸佐藩の
11:53谷守部 多敵は
11:55活族多念悪をなす
11:58勇士の党を殺害すること 数うるに絶えず
12:02いったん命つき 幕につく
12:06その様を見るに 三尺子といえども
12:09なお 弁ずべきよ
12:11がぜん首をさしのべてくる
12:14ふるだぬき 巧みに人をたぶらかし
12:17その極み ついにひるいで
12:20って 児童の捕らえとなること
12:23古今の商談なり
12:26まことに 名高き近藤勲
12:29寸兵を浪せず 幕につくも
12:32また 懲りの数のつくると
12:34一徹なり と
12:36思い切った 国標を下している
12:39いかに 近藤が
12:41官軍側から 憎まれていたかが
12:43わかるし
12:44他に 他敵の
12:46器量の 小さいかもしれる
12:49人間も 落ち目になれば
12:51考えも 愚劣になる
12:53紅葉陳部隊で 大名角にしてもらい
12:57故郷へ 錦を飾ったつもりの
13:00チキブリなど
13:01往年の近藤勲とは
13:03別人の感がある
13:05しかし これも
13:07必ずしも 近藤勲だけの
13:09欠点ではない
13:10けだし 得意に 失意に
13:13端然たる人は
13:15そうあるわけはないのだ
13:17もっとも 近藤勲が
13:20五稜郭で 戦死していたら
13:22終わりを 全うしたことになるのは
13:25もちろんである
13:27真田幸村や 後藤元次や
13:30木村重成など
13:32前時代に 準じた人々が
13:34徳川時代の 民間英雄であったように
13:38近藤勲が 現代の民間英雄であることは
13:42愉快なことである
13:45大衆というものは
13:47御用歴史の歪みを
13:49自然に 正すものかもしれない
13:52しかし 近藤勲の人気は
13:55映画と 大衆文芸の影響で
13:58この両者がなかったら
14:00今ほど 有名ではないだろう
14:03地下の近藤勲も
14:05この点は 苦笑しているだろう
14:08木口観作 池田屋襲撃 最終回をお送りしました
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