プレイヤーにスキップメインコンテンツにスキップ
  • 1 日前
日本各地でクマの被害が相次いでいます。実はこの問題、三百年前の江戸時代にも起きていました。
たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
Bear attacks have been occurring across Japan. In fact, this very problem arose three hundred years ago during the Edo period.
Taoyaka Internet Broadcasting HP: http://taoyaka.at-ninja.jp/

カテゴリ

📚
教育
トランスクリプション
00:00今、日本各地で、熊の被害が相次いでいます。
00:12住宅地に現れ、人を襲う。
00:15山と人との距離が近づきすぎた現実。
00:21しかし、実はこの問題、300年前の江戸時代にも起きていました。
00:26舞台は、北の国、弘前藩現在の青森県です。
00:34今回の日本の歴史は、人が山に入り、熊が里へ降りた。
00:40その狭間に生まれた知恵が未来を守る。
00:44おテーマにお送りします。
00:46原禄10年、1697年。
00:58弘前藩の月谷村と湯野沢では、山菜取りをしていた女性が熊に襲われました。
01:05翌年にも、滝木を取りに行った50歳の男性が犠牲に、これらの事件は熊荒れと呼ばれました。
01:13弘前藩町お国日記によると、25年間で70人もの領民が熊荒れでしょう。
01:23それは、当時の人々にとって大きな社会問題でした。
01:29では、なぜ、弘前藩で熊被害が増えたのでしょうか。
01:34一つは、神殿開発による自然破壊。
01:39人々が新しい田畑を求めて、山の麓まで切り開いたことで、熊の住処と人の暮らしの境界が壊れてしまったのです。
01:49もう一つは、時代の法令、生類憐れみの令、命を大切にするという理念の下、誰もが自由に熊を狩ることが禁じられていました。
02:03そのため、被害があってもすぐには対応できず、熊は人のいる里へ、さらに近づいていったのです。
02:11弘前藩は、この状況を見過ごしませんでした。
02:20藩は、漁師を組織し、税を免除して、熊の駆除に当たらせました。
02:27最初は、槍一本での戦い。命を懸けて、荒れ熊に挑みました。
02:33やがて、藩は、足軽に鉄砲を持たせ、被害のあった村々へ派遣。
02:44その結果、熊を仕留める成功例が増えていきます。
02:49こうして、藩の対策は、徐々に効果を上げていきました。
02:56弘前藩は、さらに一歩踏み込みます。
02:59熊が人里に降りる前に対応できるよう、漁師たちを、山すそいわゆる里山に配置したのです。
03:08彼らは、農業を営みながら山の番をし、人と熊の間に、自然の干渉地帯を作りました。
03:16この仕組みが機能し始めると、不思議なことに、熊荒れは減っていき、やがて、記録から姿を消します。
03:2425年という長い歳月の末に、人と熊の距離が、ようやく保たれるようになったのです。
03:32ご視聴ありがとうございました。
04:02時は流れて、現代。
04:19過疎化と高齢化で、里山は荒れ、かつてあった干渉地帯は姿を消しました。
04:27その結果、熊は、再び人の暮らしの場へ。
04:30私たちは、300年前と同じ課題に直面しています。
04:41広崎藩の人々が示したのは、単なる駆除ではなく、人と熊、それぞれの領域を守る知恵でした。
04:49人と自然の距離。
04:55それは、私たちの生き方そのものを映す鏡です。
04:59300年前の広崎藩が築いた共存の知恵を、今再び、未来への手がかりとして思い出してみませんか。
05:07ご視聴ありがとうございました。
05:37ご視聴ありがとうございました
06:07ご視聴ありがとうございました
最初にコメントしましょう
コメントを追加

お勧め