プレイヤーにスキップ
メインコンテンツにスキップ
検索
ログイン
フルスクリーンで見る
いいね
ブックマーク
共有する
もっと見る
プレイリストに追加する
動画を報告
天地金乃神様の願いの本筋はどこまでも人間氏子が真に助かること (2025-10-02)
Wagakokology-Jp
+フォロー
12 時間前
天地金乃神様の願いの本筋はどこまでも人間氏子が真に助かることです。この中心がズレてはなりません。人は自分の願いが叶ったときに助かったと思いますが、それは真の助かりではありません、一時的な助かりに過ぎません。いつ如何なるときでも和らいでおれ賀んでおれる真実の助かりの世界を目指しましょう。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
カテゴリ
🛠️
ライフスタイル
トランスクリプション
動画のトランスクリプション全文を表示
00:00
ご神君
00:10
一つ
00:11
神信心して見影のあるを不思議とは言う間近者さ
00:16
神信心して不思議と思われる見影が現れないなら
00:24
生きた宗教とは言えません
00:26
おかげを受けて私どもの心も生き生きしてこなければ
00:32
次の本当のおかげ真実のおかげ
00:36
神様がくださろうとしているおかげに触れることはできません
00:40
そこから誠の道が分かり誠の人を目指し
00:46
信心愛楽の世界に住むことができるのです
00:50
信心愛楽
00:55
神人愛楽
00:58
と
00:59
師匠おつぼそう宇宙教師は書いておられます
01:03
神と人とが
01:05
愛楽しみ合い
01:08
愛拝み合う世界
01:09
神人愛楽の世界
01:12
信心愛楽の世界
01:15
それがお道の理想教
01:19
信心の理想教
01:21
このお道の信心の理想教だとも
01:24
師匠は教えてくださいます
01:27
神様が人間自子に願われること
01:32
それはそれこそ
01:34
その神人信心愛楽の世界に
01:38
神様と人間を打ち込むことが
01:41
友々に住まわせていただくことに
01:44
あることに違いはありませんね
01:47
その
01:49
神人信心愛楽の世界における
01:54
人間の姿というものは
01:57
これはフィジカルな姿ということではありませんけれども
02:01
その
02:02
いわゆる
02:05
本当の意味においての
02:07
助かった人間の姿であると
02:10
神様が
02:13
人間自子に願われていること
02:16
それは
02:17
人間の助かりだと
02:19
神様の願いの第一は
02:21
人間の人が助かるということだ
02:24
とも教えてくださいますね
02:26
それもしかも
02:28
ただ人が助かる
02:30
普通私どもが助かるということを
02:35
イメージしますのは
02:36
願い事をする
02:38
あああったらいい
02:39
こうあったらいいと思う
02:42
病気なら病気を治してほしいと思う
02:45
そしてそのことが
02:47
叶う
02:49
私どもの願い事が叶う
02:51
その時に
02:53
ああ助かった
02:54
と思いますね
02:56
願い事がとても叶わない
03:00
例えば大学であったり
03:03
学校で
03:04
高校大学
03:05
または中学もあるのでしょうかね
03:09
今は
03:09
そういう学校の事件であったり
03:12
仕事の
03:13
事件であったり
03:16
さまざまな
03:17
試験があります
03:19
運転免許の試験なども
03:20
そうですけれども
03:21
さまざまなそういう資格試験というようなものがある
03:25
とてもそれに合格するのは難しかろうと思っていた
03:30
一生懸命勉強したけれども
03:32
難しかろうと思っていたけれども
03:35
それが
03:36
おかげで
03:37
合格ができた
03:38
という時などにも
03:41
神様のおかげで
03:44
合格できた
03:45
神様から助けていただいた
03:47
よかった
03:48
と思いますね
03:52
助かった
03:53
助けられた
03:54
と実感いたします
03:56
それがもし
03:57
不合格であったり
03:59
右と願ったのに
04:00
左ということであったり
04:02
左と願ったのに
04:04
右といったり
04:05
ちぐはぐであるとか
04:06
思い一通りにことが運ばない
04:09
というような時に
04:12
神様助けてくださって
04:13
ありがとうございます
04:14
とは申せませんね
04:18
いや
04:18
申せるので
04:20
本当は申せなければならないのだけれども
04:25
私どもの
04:26
それこそ信心が足りませんから
04:28
申すことができない
04:30
ただ
04:32
自分の願い事が
04:34
叶った時にだけ
04:36
助かった
04:38
神様から助けていただいた
04:41
と感じる
04:43
そういう助かった
04:46
助かったと感じる
04:48
というのでしょうか
04:48
そういう助かり方
04:50
そういう助かりを感じる
04:53
その助かり
04:55
を神様が
04:56
うじこに願って
04:58
おられるのではありませんね
05:01
そういう助かりを願っているのは
05:04
人間うじこだけですね
05:06
神様が願われる
05:09
人間に助かってくれよという
05:11
それは
05:12
本当の助かり
05:14
では
05:16
その本当の助かりを得た
05:19
というのは
05:20
どういう状態か
05:22
どういう姿か
05:23
それこそ
05:24
天地かきつけにあります
05:26
おかげは我が心にあり
05:28
和らぎ喜ぶ
05:30
我が心にあり
05:31
と
05:33
申される
05:34
いつ
05:36
いかなる
05:37
どういう中にあってでも
05:39
心が和らいでおれ
05:41
心が喜んでおれる
05:43
という
05:44
そういう心の姿というのでしょうかね
05:47
状態の時に
05:49
これこそまさに
05:52
本当の意味においての
05:53
真の助かりを得ている姿
05:56
と言えるのではないでしょうかね
05:59
よく
06:01
おかげは我が心にあり
06:04
ということを
06:06
その
06:08
例えば病気なら病気をしている
06:11
そして
06:11
病気が治る
06:14
ということを
06:15
おかげをいただいた
06:16
というふうに
06:18
普通
06:18
大概はいただきますね
06:21
そして
06:22
その
06:23
よく
06:27
人を
06:28
責める
06:29
責め道具に
06:30
このおかげは我が心にあり
06:32
を使ったりいたしますけれども
06:35
まだ
06:35
いわゆる
06:37
そのおかげは我が心にあり
06:39
とか
06:39
我が心になったとか
06:41
まあ
06:43
その病人さんが
06:44
言っていると
06:45
いたしましょうか
06:47
それを
06:48
はたから見た人が
06:49
あなたは
06:51
病気になって
06:53
ありがたいとか
06:54
この病気のおかげで
06:56
とか
06:56
言っているけれども
06:57
その病気は
06:59
全然
07:00
治らないじゃないか
07:01
おかげを
07:03
いただいていないじゃないか
07:04
だから
07:06
その
07:06
あなたが
07:08
言っている
07:09
やわゆる
07:10
我が心を
07:12
いただいているとか
07:13
病気しても
07:14
ありがたいとか
07:15
いうのは
07:15
それは
07:16
偽物だろうと
07:18
おかげは
07:20
我が心に
07:20
ありと
07:21
言って
07:21
あるのだから
07:22
本当に
07:24
我が心になったら
07:25
おかげを
07:26
いただくはずだ
07:27
病気が
07:28
治るはずだ
07:30
と
07:31
いったように
07:32
相手を
07:34
見てしまうことが
07:35
あります
07:36
これは
07:38
明らかに
07:39
間違いですね
07:40
病気が
07:43
治るから
07:44
おかげ
07:45
を
07:46
いただいた
07:47
病気が
07:48
治らないから
07:49
おかげを
07:50
いただいていない
07:51
ということでは
07:54
決して
07:55
ありませんからね
07:56
教祖様の
07:59
ご自在にも
08:00
それこそ
08:01
教祖様が
08:02
何月何日に
08:03
元をやる
08:05
と
08:05
言われた
08:05
だから
08:07
病気が
08:08
治るということを
08:09
楽しみにして
08:09
おったら
08:10
その日に
08:12
亡くなって
08:13
しまった
08:13
というような
08:15
ことも
08:15
あるようですね
08:16
いわば
08:18
私どもが
08:19
おかげを
08:20
いただく
08:20
という意味合いは
08:22
大抵において
08:23
自分の
08:23
願い事が
08:24
叶う
08:25
病気なら
08:25
病気が
08:26
願うことを
08:27
おかげと思い
08:28
そこに
08:29
助かった
08:30
と感じる
08:31
と感じるのでしょう
08:32
けれども
08:32
神様が
08:33
願われる
08:34
その神様が
08:35
渡される
08:36
おかげ
08:37
真実の
08:38
おかげ
08:38
というのでしょうかね
08:39
神様が
08:40
渡そうと
08:41
される
08:41
おかげ
08:42
神様の
08:44
感じられる
08:46
ところの
08:47
真実の
08:48
助かり
08:49
というものは
08:50
人間の
08:51
感覚とは
08:52
少し
08:53
違う
08:53
異なっている
08:54
ようですね
08:55
まずそのこと
08:57
分からねば
08:59
なりませんね
09:00
ですから
09:01
こういうことは
09:03
やはり
09:03
教えを
09:04
いただかなければ
09:05
分かりません
09:06
ですから
09:07
教えを
09:08
いただく
09:09
ということが
09:10
大切になりますね
09:11
人が
09:13
真実
09:13
助かって
09:14
いくことの
09:14
ためには
09:15
やはり
09:16
教えを
09:16
しっかり
09:17
いただかなければ
09:18
本当の
09:19
助かりを
09:19
いただくことは
09:21
難しい
09:22
その
09:25
おかげは
09:26
我が心に
09:27
あり
09:27
と病気の
09:28
話に
09:29
戻りますと
09:30
本当に
09:32
和らぐ
09:33
喜ぶ
09:34
心に
09:35
の状態
09:36
になって
09:37
いる
09:37
ならば
09:38
もう
09:39
病気が
09:40
治ろうが
09:41
治るまいが
09:42
それは
09:42
本人にとっては
09:44
問題では
09:45
なくなっている
09:47
はず
09:47
ですね
09:48
病気を
09:50
治してください
09:51
そのために
09:51
我が心になろう
09:52
としている間は
09:55
我が心には
09:56
なれませんね
09:57
それこそ
09:59
死んでも
10:00
ままよ
10:00
という
10:01
見教えが
10:01
あります
10:02
あれなども
10:02
やはり
10:03
死んでも
10:04
ままよ
10:04
という
10:04
気にならなければ
10:06
本当の
10:07
和らぎ
10:07
喜ぶ
10:08
心はいただけない
10:09
ということですね
10:10
師匠は
10:13
それこそ
10:14
糖尿病という
10:15
病気を
10:16
患っておられました
10:17
これは
10:18
旗から見ての
10:19
話ですね
10:20
ですから
10:23
旗から見れば
10:25
糖尿病だ
10:26
どうして
10:27
我先生は
10:30
病気が
10:31
治られないの
10:32
だろうか
10:34
我が心は
10:36
我が心と
10:37
言っておられるけれども
10:38
一向に病気は
10:39
治られないじゃないか
10:40
我先生の
10:42
我が心は
10:43
偽者だ
10:44
と
10:46
いったような
10:48
なんと
10:50
言いましょうかね
10:51
相手を
10:53
根踏みする
10:54
というのでしょうかね
10:55
これは
10:56
間違いですね
10:58
師匠は
10:59
病気とは
11:00
思っておられなかった
11:02
それこそ
11:03
糖尿病という
11:05
名の
11:05
神様の
11:06
ご都合
11:07
として
11:08
いただいて
11:09
おられましたから
11:10
その
11:11
師匠自体
11:13
の中には
11:14
その病気を
11:15
治そうとか
11:16
病気が
11:17
治ったらいいとか
11:18
そういうことは
11:21
一つもったに
11:22
一寸だに
11:24
考えておられなかったようですね
11:26
もうそれを
11:28
神様が
11:28
くださったものとして
11:30
いただき抜いておられた
11:32
というのが
11:33
本当のところでしょうね
11:35
だから
11:36
我が心になってないから
11:39
病気が治らないのだ
11:40
というのは
11:42
そう
11:42
根踏みしている人の
11:45
価値観が
11:46
間違っているということになりましょうね
11:49
神様の願いは
11:52
人が
11:53
助かることです
11:54
その
11:56
病気が治ることでは
11:57
ありませんね
11:59
教祖様も
12:02
この
12:03
方の
12:04
神は
12:05
病気治しや
12:06
災難受けの神ではない
12:08
心治しの神だ
12:10
と
12:12
明言しておられますね
12:14
ただ
12:15
ここで
12:16
注意しなければならないのは
12:18
その
12:18
いわゆる
12:19
おかげが
12:20
いただけない
12:21
病気が
12:22
治らない
12:22
ということを
12:24
それでも
12:25
よいのだ
12:26
と
12:26
その
12:27
まあ
12:27
言い訳にしては
12:30
なりませんね
12:31
本当に
12:34
病気も
12:36
神様が
12:37
差し向けて
12:38
くださったもの
12:39
それととも
12:40
いただき抜いていこう
12:41
という覚悟ができて
12:43
いただき抜いている
12:44
という心の状態
12:46
であるならば
12:49
もうそこには
12:50
いや
12:51
これも
12:52
我が神様の
12:53
お働きなんだ
12:54
だから
12:55
いただいていくんだ
12:56
といったような
12:57
まあ
12:57
言い訳的な
12:59
心の
13:00
姿
13:01
ではない
13:02
神速を
13:04
いただいている姿
13:05
というのでしょうかね
13:07
そういうもので
13:08
なければならないことは
13:09
その通りですね
13:12
ただ
13:14
その
13:15
言い訳的に
13:16
聞こえるようなことも
13:18
ありますけれども
13:19
そうだとすれば
13:21
それはまだ
13:21
本当に助かった
13:23
いわゆる
13:24
本当に
13:24
我が心を
13:25
いただいた
13:26
ものではない
13:27
ということでは
13:28
ないでしょうかね
13:30
ですから
13:32
病気が
13:33
治らないから
13:34
おかげを
13:35
いただいていない
13:35
病気が
13:37
治らないから
13:37
我が心になり得ていない
13:39
ということでは
13:41
ないということですね
13:43
たとえ
13:45
どういう
13:46
病気の中であってでも
13:47
どんな
13:48
難儀の中であってでも
13:49
心が
13:51
和らいでおれる
13:52
本当に
13:53
和らいでおれる
13:54
本当に
13:55
喜んでおれる
13:56
ならば
13:57
それで
13:58
よいわけですから
13:59
そこに
14:00
神様との
14:01
交流が
14:02
あっておれば
14:04
いわゆる
14:05
情の
14:05
通い合い
14:06
というのでしょうかね
14:07
そういうものが
14:08
そこに
14:09
生まれていれば
14:10
それで
14:10
それで
14:12
それこそ
14:12
正解だ
14:13
ということでは
14:14
ないでしょうかね
14:15
よく
14:18
お道が
14:19
廃れてきている
14:21
というか
14:22
だんだん
14:23
傾いてきている
14:24
また
14:25
教会も
14:26
傾いてきている
14:27
という
14:28
現実がある
14:29
そこに
14:30
教会の
14:31
発展を
14:32
願ったり
14:33
教団の
14:34
発展を
14:34
願ったり
14:35
いたしますけれども
14:36
神様の
14:38
願いは
14:39
教会の
14:40
発展や
14:40
教団の
14:41
発展では
14:41
ありませんね
14:42
神様の
14:44
願いは
14:45
どこまでも
14:46
人が
14:47
助かる
14:48
ということ
14:48
人が
14:50
真実
14:50
助かる
14:51
ということ
14:52
これが
14:53
神様の
14:54
願いだと
14:55
そこの
14:56
中心が
14:57
ぶれてくると
14:59
まあ
15:00
おかしなこと
15:01
になってまいりますね
15:02
ですから
15:03
神様の
15:05
願い
15:06
神様の
15:07
本音と
15:07
言いましょうか
15:08
それは
15:10
私ども
15:12
人間
15:12
うじこが
15:13
真に
15:15
助かる
15:16
ということ
15:16
その
15:18
真に
15:19
助かるためには
15:20
どうあるのか
15:21
ということになった
15:23
ときに
15:24
あやく
15:27
理念が
15:27
まあ
15:28
効果がある
15:30
そこに
15:31
手立てが
15:31
述べられている
15:32
ということになりましょうね
15:34
それは
15:35
やはり
15:36
この方の神は
15:37
病気直しや
15:39
災難よけの神ではない
15:40
心直しの神だ
15:42
では
15:43
どういう
15:44
心に
15:45
直していくのか
15:47
その
15:47
心は
15:48
天の
15:50
心
15:50
地の
15:50
心
15:51
日月の
15:51
心
15:52
天地
15:52
日月の
15:53
心を
15:54
目指していくのだ
15:55
そこに
15:58
初めて
15:58
人間の
15:59
真の
15:59
幸福
16:01
しかも
16:02
真の
16:02
助かり
16:03
が
16:04
得られる
16:04
道が
16:05
そこに
16:05
ついてくる
16:06
ということになりますね
16:08
神様の
16:12
願いは
16:13
人間
16:15
うじこの
16:15
真実の
16:16
助かりにある
16:17
ここの
16:20
中心を
16:22
まあ
16:24
どぞらせてはいけない
16:25
ということでしょうかね
16:27
教祖様も
16:29
人が
16:30
助かりさえすれば
16:31
結構です
16:32
という
16:34
その
16:34
お言葉の中に
16:35
凝縮されているのでは
16:37
ないでしょうかね
16:38
ただ
16:39
その
16:39
助かり
16:39
ということを
16:41
勘違いしてはいけません
16:44
けれどもね
16:44
人間
16:46
うじこが
16:47
考えるところの
16:48
おかげを
16:49
いただいて
16:49
助かったという
16:50
助かりではない
16:51
どういう中に
16:54
でも
16:54
助かっておられる
16:55
という
16:56
真実の
16:57
助かりの
16:58
心の
16:59
世界
17:00
いわば
17:01
柔らぎ
17:02
喜ぶ
17:02
我が心の
17:03
世界
17:03
神と
17:05
愛楽の
17:06
世界
17:06
ということになりましょうね
17:08
どうぞ
17:10
よろしく
17:10
お願いいたします
17:12
ありがとうございます
17:14
ご視聴ありがとうございました
最初にコメントしましょう
コメントを追加
お勧め
18:05
|
次
天地金乃神様の願いの第一は人が真に助かることです (2025-09-25)
Wagakokology-Jp
1 週間前
15:16
天地金乃神様の願いは氏子に真実のことを伝えて助けること (2024-10-29)
Wagakokology-Jp
11 か月前
15:05
我儘な願いが叶うことによる助かりではなく、心が育つことによる真の助かり (2024-10-31)
Wagakokology-Jp
11 か月前
14:51
天地金乃神様の願いの第一は人間氏子の真の助かり、難儀が有るも無きもわが心 (2024-11-12)
Wagakokology-Jp
11 か月前
16:26
天地金乃神様はより真実の助かりを授けようとしておられる (2024-11-09)
Wagakokology-Jp
11 か月前
16:13
天地金乃神様の願いの第一は人間氏子の真の助かりです (2025-03-06)
Wagakokology-Jp
7 か月前
16:42
天地金乃神様の御心に触れて初めて真の助かりの世界がある (2025-02-08)
Wagakokology-Jp
8 か月前
17:25
自らの心が育ち、神様の御心に触れるとき真の助かりが得られる (2025-07-18)
Wagakokology-Jp
3 か月前
14:41
天地金乃神様は人間氏子をより助かることの出来る世界へ導き入れようとしておられる (2025-08-07)
Wagakokology-Jp
2 か月前
15:20
天地金乃神様と人との合い拝み合う世界がゴール (2025-03-01)
Wagakokology-Jp
7 か月前
14:17
天地金乃神様に許される願いを願う (2024-10-26)
Wagakokology-Jp
11 か月前
15:31
人々の願いが叶うことが真の助かりになる訳ではない (2024-12-10)
Wagakokology-Jp
10 か月前
15:38
天地書附は天地金乃神様の氏子にかける願いの表明 (2025-05-27)
Wagakokology-Jp
4 か月前
15:41
先ずは願い事が叶うような助かりを授けて下さる (2024-09-25)
Wagakokology-Jp
1 年前
15:35
助かりには二通りある (2025-06-04)
Wagakokology-Jp
4 か月前
15:48
人間は勝手なものである、土の心にこそ真の助かりがある (2024-10-16)
Wagakokology-Jp
1 年前
16:34
師匠大坪総一郎師は、救われる身から、救う身になれと教えて下さった (2025-08-23)
Wagakokology-Jp
6 週間前
15:05
自らの心を育てることに専心すれば身の回りのことは天地金乃神様が整えて下さる (2024-10-20)
Wagakokology-Jp
1 年前
16:08
天地金乃神様は氏子の願いを叶えて下さり、心を育てようとして居られる神様 (2025-01-17)
Wagakokology-Jp
9 か月前
16:24
天地金乃神様が一番喜ばれること、それは氏子の心が育つこと (2025-05-14)
Wagakokology-Jp
5 か月前
15:25
人間氏子の心を育てて真実の助かりを授けようとしておられる神様 (2024-11-02)
Wagakokology-Jp
11 か月前
15:22
天地金乃神様の願いは人間氏子の心が育つこと (2025-03-02)
Wagakokology-Jp
7 か月前
18:24
取次者の力による一時的なおかげ、氏子の自らの改まりによるおかげ (2025-06-16)
Wagakokology-Jp
4 か月前
14:10
真の助かりには心磨きの肚決めと天地金乃神様への絶対信が要ります (2024-12-25)
Wagakokology-Jp
9 か月前
16:48
まけときまっしょ (2025-03-09)
Wagakokology-Jp
7 か月前
最初にコメントしましょう