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偉人・敗北からの教訓 第136回「村上義清・信玄を二度も撃破した猛将の戦術と不覚」 - 2026年04月18日
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00:05偶然の勝利はあれども、敗北はすべて必然。
00:11日本の歴史を彩った偉人たちは、いかにして敗れていったのか。
00:16その裏にはどんな原因と過ちがあったのか。
00:26今回は武田信玄に2度も勝利しながら、故郷を追われた猛将村上義輝の敗北を紐解きます。
00:33源氏の血を引く名門として、信濃の豪族たちを束ねたリーダー。
00:42越後に逃れ、川中島の戦いを引き起こした吉清は、年下の信玄とどこに差があったのか。
00:48敗れし者たちの失敗から学ぶ人生哲学。
01:23英雄たちがいますけれども、こういう英雄たちに実は一泡吹かせていました。
01:26みたいな強敵も結構いるんですよね。
01:28実はですね、結構いましてね。
01:32それによって英雄たちの輝きが増していったということは言えると思うんですよね。
01:38例えば信長に苦戦を敷いたですね、長島の一戸一騎やですね、本願寺の賢女とかですね。
01:42また家康にとっての真田正幸も強敵でしたよね。
01:45実はですね、あの信玄にも強敵がいましてね。
01:53山口信州の一国人にもかかわらず信玄を向こうに回してですね、2度も大勝利を収めた男がいるんですね。
01:55村上義貴雄というんですけどね。
01:58なかなか今知られていないかもしれませんけどね。
02:06さあ、ということで今回は戦国最強と呼ばれたあの武田信玄に2度も勝利した
02:11猛将村上義貴雄の敗北に注目したいと思います。
02:16まあ若き日の信玄にとっては相当な強敵だったようですよね。
02:22信玄の侵略を防いだという武将はいても明確に信玄に価値を収めた武将というのは義貴雄だけなんですよ。
02:29しかも1度ならず2度までもということだったんで名称と呼んでも差し支えないと思うんですよね。
02:34義貴雄が川中島の戦いのきっかけを作った張本人ということ。
02:47実はそうなんですよね信玄と謙信の両友が川中島で衝突するきっかけとなったのは北品の国衆の明治時立場だった村上義貴雄が英一郷の国に落下することによって始まるんですね。
03:00さあ今回はそんな村上義貴雄の敗北をひもときながら明日を生きるための教訓を探していきましょうまずは村上義貴雄の人生を振り返りますこちらをご覧ください
03:15戦国最強とうたわれた武田信玄を2度も破った猛将村上義貴雄は1501年、信濃の国、桂尾城に生まれました。
03:341541年には貝の守護武田信虎や信濃の名族諏和頼重と手を組んで雲野平に進出し、真田幸津奈良を追放して小さ型軍を手に入れます。
03:48しかし貝では信虎の息子武田信玄が父を追放して国士となると、武田家が徐々にシナの侵略を始めます。
04:06信玄が巣はイナ、サクを制圧し小さ型軍に駒を進めると、1548年、義貴雄は上田原で大軍を迎え撃ちます。
04:22勢いに乗って深入りした武田勢ですが、村上勢の猛攻を受けて敗退せざるを得ませんでした。義貴雄は信玄自身をも負傷させるほどの激戦を制しました。
04:45しかし2年後、再び信玄が進行してきます。自分の留守中に砥石城が包囲されたことを知った義貴雄は、すぐに引き返して、退却する武田軍を一気に散撃します。砥石崩れと呼ばれるほどの大打撃を与えたのです。
05:132度の敗北で心産を舐めた信玄は、以来攻略法を改め、外交や暴力を駆使して村上勢の切り崩しにかかります。1551年、信玄に就いた真田幸綱が省略で砥石城を陥落させると、国衆たちは次々と武田家に寝返り始めます。
05:30そして武田軍が桂尾城に迫ると義貴雄は城を捨て上杉謙信を頼って越後へと逃れます。
05:53信玄を2度も下した義貴雄はなぜあっけなく故郷を追われたのか今回は若き日の信玄を苦しめた猛将村上義貴雄の敗北に迫りますさあここで村上義貴雄の人生の主な出来事を振り返っていきます。
06:01貝武田氏は源氏の血を引く名門ですけれども、この信玄の村上氏もかなりの名門だったんですね。
06:07実はですねこれまあ村上氏の執事にはあの諸説あるんですけど名門は名門なんですね。
06:11これあの祖先があの村上源氏説が有力なんです。
06:21村上天皇の子孫が信玄の国の更新郡の村上に到着して黒人化したのが村上氏という説があるんですけど、もう一つあの聖和源氏説というのがありましてね。
06:32聖和天皇の後代の孫にあたる頼貴雄が道書に住んで村上生を名乗ったという説もあれば、またあの面白いところでは高麗人説というのがありましてね。
06:39朝鮮半島から来た都来人に村上生を過失したという記録が残ってるんですね。
06:42それが祖先なんではないかという説もあるんですね。
07:06いずれにしても単なる土豪ではないということだけは確実なんですね。この吉木王年代というと信玄よりはかなり年上だったんですよね。そうなんですね。約20歳の開きがあるんですよね。ですから信玄よりも一世代上の人というふうに思った方がいいと思いますね。まあ本当にね信玄を2度も敗北させたというのは本当にすごいことだと思うんですけれどもね。
07:31やはり吉木王はそれだけ名称だったということなんでしょうか。もちろん名称だったと思いますね。当時というのはやはりこういったある意味リーダーシップのある統治者に対して口約束だろうが何だろうがそれを履行しているからこそみんなついてくるわけですよね。しかも吉木王の家臣じゃなくて三角国衆、同格の国衆たちをついてこさせたというのはやはり吉木王というのはただもんではないなと。
07:47名門としての誇りを胸に親子ほど年の離れた信玄と感化を交えた村上吉木王。なぜ吉木王は信濃の一領主でありながら武田の大軍に勝利することができたのでしょうか。こちらをご覧ください。
08:06長野県の北部、坂木町にある村上吉木王の本拠桂尾城。筑間川に面したこの地は北信濃の各地域に通じる交通の要所でした。
08:21かつて吉木王が支配した地域の一角にある長野県立歴史館。信濃の国の歴史や生活を実感することができます。
08:36特別館長の笹本さんは当時の信濃の状況についてこう話します。信州っていうのは盆地が非常に多くて文化のつながり方が地域地域によって全く違うんですね。
09:04その結果、信州では統一権力ができてない。大きなまとまりができてなかった。険しい山岳で隔てられた盆地に数多くの豪族が隣立していた信濃の国。中でも中部から南部に勢力を持つ守護の小笠原氏と、北部から東部を束ねる村上氏は劣格の存在でした。
09:25村上氏は国衆の名手として南北朝のころに信濃総大将と称され、室町時代の初期には王闘合戦と呼ばれる戦いで守護の小笠原氏を追放するなど、戦での強さを誇っていました。
09:40吉木雄は若くして信濃村上氏の党首となると、朝廷から小笠原女王という武家の中でもトップクラスの地位を与えられたといわれます。
09:57さらに室町幕府からは東国統治の要所、信濃をまとめる役割も期待されます。しかしその領地は北信濃の一部に過ぎませんでした。
10:16そこで吉木雄は信濃東部の小さ型軍、現在の上田地方への進出を目指します。この時手を組んだのは、海を統一し信濃に目を向けていた武田信玄の父、信虎でした。
10:28両者が小さ型軍に進出した背景には、商標記と呼ばれる寒冷な気候のために、たびたび起こった飢饉があったといいます。
10:50当時は気候異常の中で食料がないんですよ。で、恐らく貝の竹だからしたら、狙い目一番行きたかったのは南。ところがそこに今川がいるわけですね。東側は北条がいる。そうすると攻めていけるのは北側の信濃でしかなかった。
11:11吉木雄は信虎と協力して小さ型軍に攻め入り、この地の豪族、軍の白をシナノから追放します。その中には、後に武田家臣として吉木雄を苦しめることになる真田行綱もいました。
11:35その直後、武田信虎が着難の信玄と家臣たちにより、貝から追放されるという事件が起きます。
11:56信玄は、父の失敗を繰り返さないよう、国力を損なわずに戦を進める方法を磨きます。その時、手本としたのが、武田氏に伝わる中国古代の兵法書、孫氏です。
12:12合理的な戦略・戦術を解いて、今も評価される孫氏から、信玄は何を学んだのか。孫氏と信玄の関係を研究する宇中美さんに聞きました。
12:27その人の一番重要点はですね戦えないで勝つことなんですよいわゆる戦いっていうのはすごい国を比喩させる人も死ぬしその人は大嫌いなんですね戦わずして勝つために暴力の限りを使うわけですいわゆる省略外交ですね。
12:55一方、吉木雄はあくまでも戦って勝つことを目指す武将でした。こうして、当時42歳の猛将吉木雄と、22歳の父将信玄との信玄をめぐる戦いが始まります。信玄は吉木雄との直接対決を避けて、
13:21巣は稲と信玄の南部に照準を定め、3年近い時間をかけて慎重に勢力を広げていきます。信玄は一旦戦いがあったらば、しばらく昇給し、要するに国を疲弊させないということですね。で、国の力が戻ったらば、再び第二の戦いを行う。まさに孫氏的な発想で動いているわけです。
13:44一方、吉木雄は次第に支配を広げていく信玄に警戒心を募らせます。このまま武田が勢力をなせば、立ち向かえなくなる。しかし、これまで争ってきた諸公と手を結ぶのも弱意ではない。
14:02信玄はさらに吉木雄の領地に接する作軍の滋賀城を攻めます。信玄は打ち取った敵の首を城の周りに並べ、城内を恐怖に陥れて攻め落とすと、
14:19敵3000人を処刑し、女性と子供たちは奴隷として売り払うという過酷な処置を行います。死側の人たちは、はっきり言うと、生贄の羊らしだった。でも、おかげでその後は、あんまり殺戮をしないです。
14:39武田の脅威が吉木雄の目前に迫ります。このままでは、この榊も同じ仕打ちに遭う。しかし、武田はこの地に不慣れなはず。必ず隙はある。
15:07南信濃を手に入れた武田信玄は、女性を飼って、村上吉木雄を叩くべく甲府を出陣します。
15:30ところが、峠を越えて村上陵に入ると、雪が深く降り積もっていました。山を隔てた貝とは気候が違っていたのです。この雪では貝の者らには、密すら見えまい。
15:40信玄は悪天候にもかかわらず、村上陵の上田原に侵入し、吉木雄の軍勢と対じします。
15:50そして武田の重心、板垣信方が敵陣に深く切り込む奮闘を見せます。
16:03この木を吉木雄は見逃しませんでした五郎隊板垣殿のお出ましか今だかかれい!
16:27村上軍は深入りした板垣隊に攻めかかり板垣信方は戦死しますさらに追撃して武田方の重心を数多く打ち取りましたついには信玄までもが傷を負い武田軍はあえなく敗退したのです
16:44これは戦術的に言うと信玄の方の過失です板垣さんが信玄の先生にあたるぐらい年取ってますから武田軍の弱いとこを狙うわけですよこれ戦術上の基本ですからだからまさに村上吉木雄にそれをやられちゃったわけですね
16:51吉木雄はこの勝利に勢いを得て外交作戦に乗り出します
17:04信玄に下った者たちに再起を促す一方で関東官令など外の勢力とも結んで信玄包囲網を敷いたのです
17:21これにより武田方の拠点諏訪でも判断が起こり信玄は危機的状況に押し入ります信玄が得意なことを吉木雄にやられちゃったということですよ
17:29信玄というのは外交網を作って包囲するのが好きな人ですからそれをやられちゃったというのはどれほど吉木雄が優秀かということですよね
17:57力でねじ伏せようとした信玄は吉木雄に敗れてから慎重に慎重を重ねるようになりますこれから以降力止めあんまりしないですよね信玄は勝てる戦争しかしなくなり勝つためにどうしたらいいかってことをいっぱい考えるこの後も吉木雄は手だれの武将として信玄を苦しませるのです
18:21信玄相手にこう偶然ではなくてちゃんと勝ってるんだなっていうのが伝わってきました本当に強かったんですねいやもう実際強かったと思いますよやっぱりあの特に自分の家臣だけじゃないっていうところがポイントでねやっぱり周辺の国衆たちをまとめ上げるそのリーダーシップは見事だったと思うんですよね
18:34当時の信玄ってこの村上市だけじゃなくて小さな豪族たちがそれぞれ根を張っていたわけですけれどもやはりその盆地でこう山で隔てられているというところで束ねきれないという理由があったんですか
18:48まあかなり難しかったでしょうねですから武田氏のような強力な軍勢兵力もですねやっぱりその権力も強大な軍勢が他国から入ってこない限りなかなかね支配しきれないそういう土地だったんですよね
19:18ですからこれは吉木雄なり小笠原しかリーダーシップがなかったというわけではなくて地形的な宿命だったんですねでまぁこの吉木雄が信玄と初めてちゃんと戦ったのが上田原の戦いですよねでこの上田原の戦いで討ち取った武田型の武将が結構重要な人物だったんですよねいやーこの時に討ち取られた武将っていうのは板垣信方とあまり虎康というですね板垣信方は信虎の時代から軍事面で活躍してましたね
19:47家臣団の人を務めて信濃の信仰の旗頭だったんですあとこのあまり虎康はですね武田氏の書類で信方とともに信虎追放の際に主導的役割を果たしてたんですよねまさにこの信方と虎康は信玄の両腕と言ってもいいそういう人物だったんですね大きな成果をあげれば誰でも喜びたくなるのは当然ですしかし本当の勝負はまだまだ先のこと
19:54勢いに任せて調子づいていると思わぬ失敗を招くかもしれませんよ
20:12迫りくる武田家を見事に撃退した義貴雄はその後も再び煮栄養を飲ませますしかし若き信玄は2度の失敗を学びに変え義貴雄を敗北の道へと追い詰めていったのです
20:25こちらをご覧ください村上義貴雄の本拠桂尾城がある酒城町に郷土の歴史を展示する酒城塾ふるさと歴史館があります
20:45ここには義貴雄の自貴を伝える品々が展示されていますその中に義貴雄が関東関連上杉氏の家臣にあてて自ら書いたとみられる書状があります
21:12その内容を酒城町の学芸員本間さんに聞きましたこれはですね上田原の戦いの期間中に関東関連上杉氏の援助をお願いしたところそれを納得いただいて嬉しいですという内容になっています義貴雄も他の勢力と協力しながら竹田氏と対抗しようとしていた
21:37義貴雄の書状はこれを含めて4通しか見つかっておらずどれも最後に花王が自筆で書かれていますそれに対し信玄の書状は1500通以上残っていると言われ朱印を押すことで文書を大量に発行し着実な支配を進めていました
22:04一方の義貴雄は書状をあまり出さず人を介して戦や統治を行っていたため花王は実質だったと言われています信玄の場合はしっかり家臣団というものを編成してカギの国一国を両国経営していたというところから印盤をたくさん押してたくさん書状を発給していますよね
22:19それに対して義貴雄の場合は伝統的な友好関係とかの中で周辺の有力な勢力とつながっていてたくさん書かなければ反抗も必要ないってことですよね
22:38人による統治と文書による統治この違いが徐々に義貴雄を追い詰めていくことになります勢いに乗る義貴雄が束ねるシナの連合軍
23:01ただし盆地ごとに散らばる勢力は互いに険しい山々で隔てられていますそこで信玄は連合軍のつながりを断つべく最も攻めやすい守護の小笠原長時を吸収して打ち破りシナの南部の回復に成功します
23:27次のターゲットは義貴雄の本拠 勝良尾城でしたこの時信玄は身長を期して周辺の市城から攻めることにします砥石城です春剣な山の上に築かれた砥石城は難攻不落の要塞でした
23:58しかし信玄は願ってもないチャンスを得ます義貴雄が北篠野の豪族高梨氏を攻めるため遠征に出たのです信玄はこの機を逃さず大軍を率いて鳥石城攻めに取り掛かりますしかしいくら攻めても城は落ちません
24:20一方武田軍が鳥石城を攻めていると知った義貴雄は反撃の方法を探しますまともにぶつかれば武田に敗れるしかし城攻めが長引けば武田の兵は消耗し兵牢も続かなくなる
24:45そして信玄が城攻めを始めてから20日余り経った時義貴雄は決断します高梨と和睦するこれより高梨と共に武田を攻める義貴雄は飛び地に築かれた敵の前線基地
25:07寺尾城を攻め、鳥石城救援の意思を示します信玄は一部の兵を裂いて村上軍の足止めを図ります城攻め開始から1ヶ月信玄はここが勝負時と総攻撃に踏み切ります
25:34それでも城は落ちませんでした信玄はついに鳥石城攻略を諦め全軍に撤退を命じますここだ、引くものを撃つのはたやすい村上軍は撤退する軍勢を一気に追撃し
25:49武田軍7000のうち1000人に及ぶほどの損害を与えましたこうして信玄は後に小石崩れと呼ばれる大敗北を喫したのです
26:18吉木雄はやっぱり人気応変なんですよこの辺がやっぱり動物的な直感というかだから信玄は吉木雄タイプはやりづらかったと思うんですよリズメでお互いに戦うんじゃなくて直感で来られちゃうっていうのは吉木雄は再び武田軍を破った余生を飼って武田が支配していた小室や策を襲い海の一部にまで侵入します
26:45さらに武田軍に追われた小笠原長時と合流し拠点の福岡市城奪還に乗り出します武田に2度までも勝った戦となればあやつらには負けんこの時信玄は得意の手を打ちます吉木雄の本拠
26:55桂尾城を攻撃するというデマを広めたのです吉木雄はやむなく桂尾城に引き上げます
27:11残された小笠原長時は単独で武田軍と当たりあっけなく撤退します戦に勝った吉木雄に
27:37信玄の策略が襲いかかります10年前吉木雄に敗れ品野を追われた真田幸綱は武田家に仕え信玄流の戦い方を学んでいました信玄はこの幸綱に
27:54戸石城の攻略を任せますその方法は省略でした行き綱は村上方の知人や演者を次々と寝返らせ戸石城を丸ごと乗っ取ってしまいます
28:23これこそが信玄が孫子に学んだ戦わずして勝つ方法でした孫子は戦略重視ですそれは多少汚く見えても戦争よりはマシだって考えですねだから戦略を使うってことがやっぱり孫子をやる人間の基本になるわけですよ敗下に裏切られた吉木雄はせっかく守り抜いた戸石城を戦うこともできずに明け渡しました
28:50このままでは終わらん吉木雄は再び小笠原長時を支援し丘陵回復を目指して下陣します信玄はこの動きを知るとシナの各地の豪族たちを省略で次々と味方に引き込んでいきます
29:05武田信玄の場合は侵略戦争ですから勝ちさえすれば勝ちにどんどん土地を分配できる村上義兄が勝った2つの戦争は侵略戦争ではなくて祖国防衛戦争ですから
29:14いくら戦争をしても何の利益もなかった吉木雄皇に仕えても本当に利益があるのって言われたら考える人は相当いたんじゃないかと思います
29:28何の利益もなく国を守れというだけでは裏切りもやむを得ないしかし戦いさえすれば今度もきっと勝つ
29:43甲府にいる信玄はシナノの家臣たちを使い小石城を再興するため地下ユースに出陣すると触れ回ります
30:09しかしこれはまたもや信玄のデマでした天文22年3月信玄は甲府を出陣しますそして予告した砥石城ではなく山の向こうの安住地方に侵入し
30:37残っていた小笠原仕方の城を片っ端から陥落させましたあとは山を越えて村上市の本拠地を攻めるだけですここは笠尾城を川の対岸から守る防御拠点の荒戸城です
31:01吉木雄はどのように追い詰められていったのか筑波市歴史文化財センターの平林さんに案内してもらいましたアルト城を見ていただく通り筑波川を挟んで反対側にちょうど非常によくカタロージを見ることができます
31:21さらにその向こう側に砥石城というのがございますついに砥石城を戻されてしまって村上市教はこの目に見える範囲しか支配をすることができない北の方はこの尾根からずっと続く一番先端に八代城というお城がございます反対側には塩崎という地域がありまして
31:39その二つの配下の武将というのが村上からですねちょっと願いって武田方についてしまっていると屋敷用の本拠地桂尾城の南はすでに武田に抑えられ向かいの山からは武田軍が迫っていました
32:06さらに川中島方面を守る重心の八代氏と塩崎氏が省略により一気に武田側へ寝返ったのですショックな思いっていうのは少なからずあったんじゃないかなと今まで平和に収めていたこの地域をですね力で支配されていくとそういう中で非常に難しい判断を迫られた
32:33武田軍が迫る中桂尾城に籠る吉木雄は窮地に立たされます戦わずしてこれほどまでに追い詰められるとはもはやこれまでか天文22年4月9日の朝方
32:52吉木雄は桂尾城を出て北へ逃れます向かったのは越後急成長する上杉謙信に助けを求め再起を図るこれが吉木雄の出した答えでした
33:13こうして吉木雄は信玄と戦うことすらできずに桂尾城を捨てることとなったのです戦争しては確かに強いんだけど時代の流れを読んでない信玄信長みたいな全国統一をどうやって進めていくか
33:33そのためにはどのくらい多くの文章を出したりどのくらい家臣たちを掌握して兵士を用意するか村上義貴はそういったことをほとんど考えていなかったそこが彼が最も弱かった点じゃないかと思います信玄を二度も打ち破りながら
33:44新時代の戦い方になすすべもなく敗れた村上義貴を戦闘無敵戦略無力の敗北でした
34:14戦国時代の大きな世代転換を見ているようなそんな気持ちにもなりますし吉木世の敗北ですけど信玄がなぜ信玄になったのかを見ているような気持ちにもなりましたねいいこと言いますねその通りだと思いますね世代交代ということとやはり信玄は学ぶんですよ学習のどこか信玄の強みなんですよね
34:40同じ過ちは犯さない人のせいにもしないんで負けたら自責で考える何で負けたのかというのをしっかり分析して次に戦うときは十分に勝てるだけの自固めを行ってから戦うこれが信玄の凄みですよねそれだけの教訓を与えたというところで言うとやはり村上義貴の存在感というのも改めて感じますねありますね
34:53戸石城を失って獣臣たちに裏切られてしまった吉清というのは結構あっさり桂お嬢を捨てて謙信を頼るわけですけれどもここで徹底抗戦するみたいな選択肢というのはなかったでしょうか
35:03非常に難しいと思いますよねここで歴史作家ならではの視点で歴史の裏側を考察する伊藤潤の見解ポイント
35:30戸石城こそ村上氏の生命線ということで戸石城がもう吉清の両名と言ってもいいぐらい前衛の役割を果たしていたわけですよね桂お嬢は確かに本拠なんですけど爪白的な役割を果たしていた戸石城を失うことで何が変わってくるのかというと監視機能を失うどこからでも攻められてきてしまうともう足元まで迫られてしまうということになるわけですよね桂お嬢に牢上して牢上戦をしたとしても
35:58助けてくれる人もいないということで御爪のない牢上戦になってしまうそれだったらウェスに献身を頼って落ちた方がいいなというふうに思ったんではないでしょうかねこうした戦いの経緯を見ていくと旧世代と新時代の戦いというふうにも見えてきますよね確かにいち早く海の国を統一して他国への侵略を開始した進言というのは新世代と言えると思うんですよねあくまで吉清の方は
36:13北信濃の黒人勢力を取りまとめているという形ですから明らかにこれ軍団の質が違いますよね過去の成功によっていると学ぶことがおろそかになるものです気づいた時には手遅れとならないように
36:28時代を見通し学ぶ力を磨かなくてはいけませんねCMの後は川中島の戦いの火付け役となった吉清の運命をたどります
36:47宿敵武田信玄に居場を覆われた吉清は上杉謙信という強力な存在を味方につけて再び信濃に乗り込みますこうして長きにわたるあの戦いが始まるのです
37:12こちらをご覧ください村上芳清は信濃から越後へと逃れ上杉謙信に信玄の攻勢を抑えてくれるよう願い出ます若き謙信は30近くも年上の芳清の願いを受け止め共に信玄と戦うことを決意します
37:42吉清の存在は謙信に大きな影響を与えたと越後の歴史を研究する小林さんが話します武田氏の北上を10年単位で送らせてくれたこれが非常に大きいポイントだろうというふうに思います謙信という存在を育ててくれたその時間的な意味でですねこれが吉清だったというふうに思います
38:11まあ一種の時間稼ぎ桂王城自落の13日後吉清は上杉軍とともに信濃に入り再び信玄と対決しますこれが全5回にわたって繰り広げられる川中島の戦いの始まりでした戦の天才とも言うべき謙信を味方にした吉清は武田軍を何度も窮地に追い込みます
38:21しかし戦闘が終わると上杉軍は引き上げてしまうため決着はなかなかつきませんでした
38:46陶器にはたくさんの積雪があるわけでそうなるとやはり補給炉が確保できなくなってしまいますので江上型はもう引き上げてしまうんですよそうなると今までいろいろ努力して武田型の勢力を駆逐した場所にまた武田型が潮略などで入ってくるともうあのもぐらたたきゲームのような形になっていて
38:53一番の激戦だった第4次の川中島の戦い
39:00この時吉清は信玄の弟信重を打ち取ったと言われています
39:22しかしそれでも給料に戻ることはできませんでした周辺の協力を得られる体制ではすでにいないしなの戻ってもやっぱりそこであの処理を安堵してもらって一部将として生きるしかないと思いますし
39:28足掛け12年にもわたる川中島の戦いは
39:47謙信と信玄が直接対決を避けるようになり決着をつけないまま終わります信濃の大部分は信玄の支配下となり吉清はついに桂尾城に戻ることはできませんでした
40:1465歳の頃吉清は上杉の家臣として越後の熱城を任されます熱城というのは現在の新潟県の一番富山県より上杉方にとってはやはり保育長を見据えた上での要害になりますので吉清に任すということは非常に彼を軍事戦略家として信用していたからだろうというふうに考えております
40:44その後も吉清は地位と経験を生かし取り継ぎ役として織田信長とのやり取りなどで役目を果たしますしかし信濃には一度も帰れぬまま73歳でその生涯を閉じますそしてくしくもその3ヶ月余りの後宿命のライバル武田信玄も
41:02病でこの世を去りました名将信玄を下した唯一の存在でありながら故郷を追われた浦上義貴雄結果的にその存在が戦国時代の動向を左右したといわれます
41:13村上義貴雄が川中島の導火戦の一つなわけですよ川中島の戦いが例えばどちらかの勝利に終わっていれば
41:18天下統一というのは信長よりはるか前に達成されてたということですね
41:25日本の真ん中で抜群の強さを誇っていた村上義貴雄
41:42私もこの村上義貴雄のことは実は信玄に二度勝っていた武将ということは知ってはいたんですけれども
42:04時代を左右するぐらいの大きい存在の人だったんだなというのを改めて感じましたね確かにねここで吉木雄が全く例えば小笠原氏のように踏ん張れずに川中島を制覇されてしまうと謙信がもっと若い状態で信玄とぶつかり合うということになりますよねそうするとまずもって謙信は勝てない
42:32天下を信玄が取ったかもしれないというようなことはあり得た歴史の真実かもしれないですよね上杉謙信も生まれなかったかもしれないですね私たち知っているようなさあ改めて吉木雄の敗北から私たちが学ぶべき人生の教訓をお願いしますヨラは大樹の影は己自身を弱体化させるですね吉木雄はですね背後に謙信という大樹がいたわけなんですよね
43:02それによって死に物狂いで戦うという姿勢を失ってですね不利になったら越後に逃げ込むというそういう腰が引けた武将になってしまったというのが残念なんですよねもしそういった謙信のような大勢力が越後にいなければおそらく吉木雄は国衆たちをまとめ上げて勝良城に籠るなどしてですね信玄に対して必死に抵抗したかもしれないんですよねですからねこの頼るべき存在というのは諸刃の剣なんですよねこれ現代社会でも同じようなケース多くてですね
43:29結構すぐに上司を頼りにする人っていると思うんですよねこれは私営業をやってたんでよくわかるんですけど自分で顧客へのアプローチを詰め切らないうちにですね上司とかそれ以上の偉い人に同行を依頼して詰めてもらいたいとこれは営業失格というふうに私は思うんですよね偉い人を連れて行くときはですね契約が決まった人の握手だけでいいということが大切だと思うんですよね
43:47全て自己完結で終わらせる覚悟がやはり人を成長させると思います大きな存在があると頼っていれば大丈夫と思ってしまうものです困難でも自分の考えをしっかり持ってことに対処していきたいものですね
43:53これぞ浦上義貴雄の敗北から学ぶ教訓です
44:15頼りになる存在って本当にいてくれるとすごく甘えちゃう部分があるじゃないですかでもいなくなってしまったら意外と自分で何とかしようという力も働くのでそこは結構自分に厳しくやっていくと鍛えられる部分もあるかなという気はするんですよね
44:36まさにその通りですよね昔ね私なんか若い頃っていうのはみんな家を出ていけって言われて自立して一人暮らし始めるそうなってくるともう掃除洗濯洗い物全部自分でやらなきゃいけないんでそうやって親元を離れて自立心を養っていく成長していくということができたんですけどね私も一人暮らし始めたての頃は
44:54こういう家事も全部母がやってくれてたのかって気づいたことがいっぱいありましてすごく鍛えられたなという気がしましたね伊藤さん今日もありがとうございましたありがとうございました偉人敗北からの教訓それではまた次回お会いしましょう
45:01ご視聴ありがとうございました
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