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  • 2 日前
ラストメッセージ 第5集 命をかけた日中友好 岡崎嘉平太 2007.3.19

カテゴリ

📚
教育
トランスクリプション
00:00新年を貫き命を燃やして生き抜いた人たち
00:30一人一人時代と格闘しながら戦後の日本を走り続けました
00:39フィルムに残るその姿その声は今私たちに大切なものは何かを問いかけます
00:54日本人へのラストメッセージ明日への言葉がよみがえります
00:59国交のない時代日本と中国をつなぐために生涯をかけた岡崎加平太
01:10岡崎は中恩来と絆を育み民間人ながら日中の国交正常化に大きな役割を果たしました
01:36お互いに相手を知ることが最も大切だと考え
01:46百回に泳ぐ中国への旅を続けた岡崎加平太
01:51日中友好に命をかけたその姿を見つめます
01:58中国の首都北京です
02:12私の後ろにある建物が人民大会堂です
02:17中国の国会議事堂であり外国からの要人を迎えるところです
02:22この人民大会堂で日本と中国は国交正常化の共同声明を発表し
02:29歴史的な調印式を行いました
02:31今年はちょうどその35周年にあたります
02:351972年田中閣営総理大臣と周恩来首相が握手した
02:42あの有名な場面を思い出す方も多いかと思います
02:45こちらの写真をご覧ください
02:48田中総理大臣が北京を訪ねる2日前に撮影した写真です
02:53中央に写っているのが周恩来首相
02:56その横にいるのが今日のラストメッセージの主人公岡崎嘉平太です
03:01実は周恩来はわざわざ北京に岡崎を招いて食事会を開きました
03:07貿易交渉を通じて民間人ながら
03:11日中の国交正常化に苦労を重ねた岡崎を特別に値切らったのです
03:15岡崎にあった沈黙人は誰もがその人間的な魅力に引き込まれていったといいます
03:22どんな人柄だったんでしょうか
03:24岡崎を心から敬愛するという夫婦がいると聞いて訪ねていました
03:29カレントーさんと妻のヒツヒンさん
03:382人は独身時代周恩来と岡崎の通訳を務めていました
03:49実は2人の縁結びをしたのは岡崎でした
03:52結婚のお祝いに岡崎から贈られたアルバムがあります
04:00そこには心は縦糸、愛は横糸、織りなせ人の世を美しくという言葉が書かれています
04:08信は経験、愛は経験、愛は経験、信愛交織、人生永遠美好
04:15そういう言葉は非常に良いです
04:17これだけの祝福をお祝いにしています
04:20しかし、カレント夫妻は日中友好が岡崎の願い通りになっていないことに心を痛めています
04:40しかし、カレント夫妻は日中友好が岡崎の願い通りになっていないことに心を痛めています
04:49このような状況については、日本の関係を持っています
05:1935年が経ちますけれども残念ながら隣の国同士である日本と中国の関係は必ずしも良好であるとは言えません
05:28お互いによく知り合うことが大切だと言い続けた岡崎嘉平太
05:33その志を今見つめ直してみたいと思います
05:38終戦から4年後の1949年
05:49社会主義国家中国の誕生はアジアの勢力図を変えました
06:00中国共産党に敗れた国民党は台湾に新たな政府を作ります
06:08アメリカは台湾を支え社会主義の中国を自由主義陣営の敵とみなします
06:16日本は1952年アメリカの意向に従い台湾の国民政府と外交関係を結びました
06:25一方当時人口5億7000万人の中国とは国交を断絶した状態が続きます
06:37岡崎は戦後経営危機にあった2つの会社を建て直した後
06:43全日空の社長を務めます
06:45その頃からいつも気にしていたのは中国のことです
06:51隣の国といつまでも敵対しているのはおかしいと考えていました
06:56岡山県出身者のための学生寮
07:04ここに同郷の後輩たちに語った岡崎の講演テープが残されていました
07:18たとえイデオロギーが違っても
07:22中国と付き合うことの大切さを熱く語っています
07:26我々は隣国からだんだんだんだん交わりを深くして
07:34隣国との間に争いを起こさない
07:36アメリカもそれは大切な人であり
07:39我々が自由陣営から離れることは絶対人数にとって不利でありますけれども
07:43ただそれだけで自由陣営に属しない者を悪口を言い蹴飛ばして済むかというと
07:48そういうわけには参りません
07:50まず相手を知る
07:52とにかく我々が体を持って行ってみる
07:55向こうの人と直接会ってみる
07:57直接向こうの実情を見た上で
08:00我々の意気を判断しなきゃいけない
08:02ある時岡崎は自民党の松村健三議員を訪ねます
08:11中国の重要性を認めていた数少ない議員でした
08:152人は日中をつなぐことに意気投合
08:22岡崎は松村から中国の要人と定期的に会える方法を考えてほしいと頼まれました
08:30岡崎は1962年夏
08:37大型で総合的な貿易構想を提案します
08:41その狙いは2つ
08:44まず貿易交渉の席で政府の要人とのパイプができること
08:49もう1つはプラント輸出などを通じて両国の間で交流が生まれることです
08:58私の狙いはプラントを売って建設に日本の技師だとか労働者が行って
09:05向こうの労働者は技師と一緒になって長ければ半年
09:09少なくとも三月四月は一緒に暮らすんだと
09:13その間に戦争によるカラカラになった感情が戻ってくるだろうと
09:18こういう狙いが持ってた
09:20岡山県紀美中央町
09:26岡崎香平太はのどかな田園が広がるこの地で
09:35明治30年に農家の長男として生まれました
09:38父親が若くして亡くなったため
09:425人の子供たちは母親の手で育てられました
09:50岡崎がなぜ中国に関わるようになったのか
09:55きっかけは中学時代から
09:58中国人留学生と親しく付き合ったことにありました
10:02特に一高時代に出会った留学生の京徳博から
10:09中国の歴史文化を学び感銘を受けました
10:132人はやがて大の親友となっていきます
10:19しかし欧米列強がアジアを次々と植民地化する中で
10:28日本も中国に侵攻します
10:31国内には中国人たちを蔑視する空気が漂っていました
10:36ある日岡崎は親友の京徳博から
10:45突然日本を離れることを告げられます
10:48俺はもう中国帰るところに
10:54学校だけ休ませて行ったらどうじゃないかと言ったら
10:57こんな嫌な日本だったら来るんじゃなかったと
10:59俺は貧乏だったから仕方なしに日本に来たんだ
11:03こんな嫌なのは一日もおりたくない
11:04岡崎お前は親切に話を仕掛けてくれたから
11:09君だけには通知したくないって帰っちゃったんです
11:11引き裂かれた友情
11:19それは岡崎にとって深い心の傷となり
11:25日中友好を目指す原点となりました
11:28さらに岡崎は終戦までの8年間上海で暮らし
11:43中国人を深く知るようになります
11:46岡崎は上海で国際銀行の理事を務めていました
11:52その頃日本軍は中国本土を次々と侵略し
12:01上海も日本軍の支配下にありました
12:04岡崎はそうした状況の中でも
12:08中国人を見下すことなく
12:10人間同士の付き合いを大切にしました
12:13当時小学生だった長男の明さんは
12:22父親から中国人を差別するなと厳しく言われていました
12:27ある日明さんがおもちゃの空気銃で
12:35中国人の子供に怪我を負わせます
12:38岡崎はその夜
12:43明さんを連れて怪我をさせた子供の家を探し回りました
12:48その間は親父にあんまり激しく怒られたことないので
12:54えらい僕はビビってたんです
12:57何軒か行って最終的に子供の家が見つかって
13:01やっぱり怯えてるんです
13:03耳に行くなんか
13:04板足を巻いてたかな包帯してたか
13:07これだって言ったら
13:09そこで自分でもうすぐどけ出して
13:12そしたらその頭をこもって
13:15ガンガンガンってここにもう泥がいっぱいついて
13:18向こうの人は本当にびっくりしてたと思いますね
13:21帰りに君がもしそういう目になったらどうなんだと
13:26そういうことしちゃいかんって言って
13:28それ以来何も言わなくてやっぱり身に染みましたね
13:32敗戦で日本へ引き上げる時
13:39岡崎に厳しい言葉を投げかける中国人はいませんでした
13:44そのことを岡崎は終生忘れることはありませんでした
13:50岡崎構想をもとにした貿易交渉は1962年秋
14:03北京で始まります
14:05自民党の高崎達之助議員が団長
14:11民間人の岡崎は副団長として参加します
14:16法中団を迎えたのは首相の周恩来です
14:26毛沢東とともに中国を一つにまとめ
14:30アジアの安定と平和を訴えて
14:32世界から注目される政治家でした
14:41国交が途絶えていた中国に対し
14:44日本は戦争で与えた多大な犠牲について
14:47公式に謝罪をしていませんでした
14:50それだけに岡崎は緊張していました
14:54ところが周恩来の言葉は岡崎の気持ちを一変させました
15:00日清戦争以来
15:03日本は我が国を侵略し
15:06人民を傷つけ苦しめてきました
15:10我々は深い恨みがあります
15:13しかし
15:15中国と日本の間には
15:172000年にわたる友好の歴史があります
15:21戦争による不幸な歴史は
15:24わずか数十年に過ぎません
15:28我々は日本に恨みを持っていますが
15:32それを忘れようと努力をしています
15:34これからは
15:37日中が力を合わせて
15:39アジアを良くしていこうではありませんか
15:42この言葉に聞き入り
15:48心打たれていた岡崎に
15:50周恩来が突然顔を向けました
15:53この会談の通訳を務めたのが
16:01リュウ・トクユウさんです
16:03周恩来総理はいきなり
16:08ところで岡崎さんはどう思われますかと
16:11尋ねたのです
16:11岡崎さんはびっくりした表情で
16:14自分に聞くとは思わなかったような感じでした
16:17その時の表情を
16:19今でも鮮明に覚えています
16:21岡崎は
16:26とっさに
16:27分敬の交わりの
16:29孤児を持ち出しました
16:30対立していた二人が和解し
16:33友のためなら
16:35死も厭わぬ仲になったという
16:37物語に例えて
16:38日中が手を携えていくことの
16:41大切さを語ったのです
16:43岡崎さんは
16:46中国の歴史
16:48古典にとても造形が深く
16:50突然質問されても
16:52適切に古典を引用できたのです
16:54私は大変敬服いたしました
16:58周総理は岡崎さんの話を聞き
17:01大きくうなずいていました
17:03周総理も岡崎さんの考えに
17:06共感していると思いました
17:08通訳の劉徳優さんは
17:15二人の間に
17:16外交儀礼を超えた
17:17響き合うものを感じていました
17:19周総理という人は非常にモラルの高い
17:28人間的モラルの高い人だという
17:30それから周総理に会っているって
17:33偉い人と会って話をしているって
17:35身を固くすることはないんですよ
17:36全くね
17:37何十年来の友達と話しているような
17:41そういう感じを
17:42保つ人ですね
17:43非常に味のあるという
17:49静谷なんですかね
17:50この時
17:555年契約の
17:57日中総合貿易に関する
17:59覚書が結ばれ
18:01岡崎構想は実現します
18:03国交が途絶えた中で
18:07周恩来はじめ
18:08中国政府と直接話し合っていく場が
18:11この時生まれ
18:12国交正常化を目指していく上で
18:15重要なパイプとなっていきます
18:17岡崎加平太のふるさと
18:30岡山県紀美中央町
18:32母校の大和小学校には
18:34彼がとても大切にした言葉が掲げられています
18:37人の身になって考えよう
18:44とてもシンプルな言葉ですが
18:46彼は人間は一人では生きられない
18:48だからこそ
18:50人と人とが付き合うのには
18:51あいつの立場になって考え行動することが
18:54何よりも大事であるという
18:56信念を持っていました
18:57隣の国中国と仲良くするのにも
19:00この言葉が根っこにありました
19:02こちらは岡崎加平太記念館です
19:08ここには彼にまつわる
19:09様々な資料が展示されています
19:11こちらは書斎を再現したコーナー
19:16ちょっと邪魔してみます
19:19生前愛用した筆などが並んでいます
19:24彼は色紙を頼まれますとよく書いた言葉があります
19:29それがこちらです
19:30真は縦糸
19:33愛は横糸
19:34織りなせ人の世を美しく
19:37この言葉は彼が自分の経験に基づいて考え出し
19:41書外大切にした言葉なんですね
19:43真偽を貫き人を愛することが
19:46人間社会を美しく
19:48そして豊かにするものなんだという意味です
19:50こうした彼のヒューマニストぶりはどうやって育まれたんでしょうか
19:55こちらに母親信さんの像があります
19:59いつも手元に置いていました
20:00岡崎は母親から大きな影響を受けながら育ったと話しています
20:05人にも繊殖な女性でした
20:11私も色んな事情があって
20:15かなり貧乏したこともあるんですけど
20:18その時でももっと困っている人があると
20:21密かに食べるようなものを持って行ってあげようという
20:24それは私の一番上の姉がもう亡くなりましたけど
20:28そのことを言ってましたね
20:30まあ昔流の母ではあったんですけどね
20:36私が育っていくのは貧乏の中で育っていってますからね
20:40俺は母はありがたかったですね
20:42岡崎はまた母親から
20:46人の身になって考えることを学んだと
20:49二条伝に次のように記しています
20:51私はどちらかといえば
20:54気一本で怒りっぽく
20:57子供の時は喧嘩太郎でした
20:59それを母は心配して
21:01自分が譲ればことが丸く収まる時には譲るもんだよと
21:06口癖のように言って私を今しめていました
21:09岡崎家平太は人の身になって考えること
21:15真は縦糸愛は横糸という言葉を心情に
21:19日中の国交正常化に向けて取り組んでいきます
21:22しかし彼の前にはいくつもの大きな壁が立ちはだかります
21:271964年の交渉では
21:33日中双方に貿易事務所を置くことが決まりました
21:37岡崎は政府機関から優秀な人材を派遣してもらおうと考え
21:43まず外務省へ向かいました
21:46しかし拒否されます
21:49当時日本政府は台湾の国民政府と外交関係を結び
21:57中華人民共和国政府を承認していなかったからです
22:01岡崎家平太さんがいくらお金のためだと言って
22:07LT貿易に人を出してくれと言ったって
22:11その結果生かされるやつはどうなるんだと
22:16それから役所として組織として
22:21政府部内でどういう立場に立つんだと
22:24あるいは対外的なアメリカ政府との関係
22:27国民政府との関係ね
22:29引いては日本国内におけるね
22:34この位置づけ
22:35いろいろ考えてみるとね
22:37どうもあんまり組織としての
22:41我が省の利益にあんまりならないなと
22:45次に岡崎は通産省へ行き
22:50粘り強く説得を続けます
22:53通産省の渡辺八重治さんは
22:57岡崎の要求に驚かされますが
23:00先を見越した目に感心します
23:03とにかく優秀な人間を出してくれと
23:09俺は金がないから
23:12その給料はそのまま役所で払ってくれと
23:16それからあれこれと指図はしないでくれと
23:20ずいぶん失礼な人だが
23:23これは本物かもしらんと
23:29結局通産省は
23:35中国の重要性に理解を示し
23:37人を派遣します
23:39そして渡辺さん自身も
23:42岡崎の情熱にほだされ
23:44スタッフに加わりました
23:46後に貿易事務所で仕事をした
23:52高向岩尾さんは
23:54岡崎の
23:55事務はするな
23:57中国人と触れ合いという口癖を
24:00鮮明に記憶しています
24:02岡崎先生は単に仕事として
24:09日中関係をやるということでは
24:12ダメだと
24:14中国人の人と交わるという
24:18そういうことが
24:21日本人が中国人を知る
24:26中国人が日本人を知ることのために
24:29いいことではないかと
24:30仕事の上で親しくしているだけじゃなくて
24:33人と人としての親しさが
24:35大事だよということを考えていましたね
24:37中国と貿易交渉を行う
24:42岡崎たちの活動は
24:43右翼団体から強い抗議を受けます
24:46この映像は
24:49中国へ出発するときの様子です
24:51特に高崎議員に代わり
24:55代表となった岡崎個人へ
24:57抗議の矛先が向けられます
24:59当時
25:04岡崎と常に行動を共にしていた
25:07金光さだじさん
25:08抗議活動の厳しさを
25:11つぶさに見てきました
25:12もう売国土って
25:17罵られ
25:19卵をぶつけられたりね
25:23それはやっぱり
25:26大変な攻撃でしたね
25:30大きいトラックで何十台も
25:34集まってきまして
25:35岡崎行っててこいって
25:39もうボリュームいっぱいに
25:42わめき立てるわけです
25:44自宅にも脅迫電話が
25:48頻繁にかかるようになっていました
25:50これはすごかったですからね
25:56私のうちに対する脅迫とか
25:57なんと
25:58それで
25:59一時期から
26:01警察官がもう止まり込みで
26:04おりましたし
26:05脅迫電話とかも
26:06すごい
26:07そういうのがかかってきてて
26:08私は弟妹たち
26:10それ見て育ってますからね
26:13内心ではちょっと怖いなと思ったのかもしれないけど
26:17やっぱり親父がそれやってることは正しいんだと
26:20母親がそれを言いますからね
26:23あんたたちお父さんがもし急にいなくなってもね
26:26国のためになったんだからね
26:28誇りを持ちなさいと
26:29岡崎はこうした抗議活動にひるむことなく
26:36貿易交渉を続けました
26:38岡崎と周恩来の会談は18回に及び
26:432人は率直に日中の将来について語り合いました
26:47息子の明さんは父親に連れられて
26:54周恩来と会ったことがあります
26:56その時周恩来は
26:59なぜあなたの父親を信頼するのかを話しました
27:03君のお父さんはね
27:06多分自分のこと言わないだろうと
27:08だけどね
27:11我々はね
27:15友情のためにね
27:18自分の精神をかけるような人をね
27:20本当に信用するんだと
27:22それで僕は中国にいてね
27:24僕も殺す人なんていないよと
27:26すごく安全だと
27:27でも昨日お父さんに日本帰るとね
27:29ちょっと危ないんじゃないかと
27:31今までもそういうこともあっただろう
27:33それを乗り越えてやってきて
27:34やっぱり中日のために
27:37命をかけてきたと
27:39だからそれが僕らが君のお父さんを
27:42信用するゆえなんだということをおっしゃいました
27:45岡崎と周恩来の通訳を務め
27:51現在中日友好協会の副会長である王孝賢さん
27:55国交断絶の中で続けられたこの貿易こそ
28:00貴重なパイプになったと見ています
28:02覚書貿易は
28:07中日両国の国交正常化の架け橋でした
28:11半官半民の貿易協定でしたが
28:14重要な外交の役割を担っていました
28:17この覚書貿易が10年間ほど続き
28:21中国と日本の国交正常化へとつながったのです
28:26非常に重要な役割を果たしました
28:29王孝賢さんは
28:332人の間の親密さを感じ取っていました
28:36ある時岡崎さんに年を尋ねて
28:42一つ上だと分かると
28:44周総理は
28:45私のお兄さんだと言われました
28:472人は兄弟と呼び合う
28:51大変親しい間柄で
28:53お互いに信頼し合い
28:55打てば響いたのです
28:56岡崎がその枠組みを考え出し
29:10周恩来がそれを認めてスタートした
29:121962年の貿易協定は
29:15国交断絶の状態であった当時
29:17大変大きな役割を果たしました
29:20まず貿易ですが
29:22貿易量が伸びて
29:23人の交流が盛んになりました
29:25その貿易以上に大きかったのが
29:28日中間のあらゆる問題を話し合う
29:31窓口として機能したことです
29:32貿易事務所が大使館の役割を果たしました
29:35さらに新聞やテレビの
29:39記者の交換が実現したことです
29:41それまで共産主義家の中国の姿は
29:44闇の中にあるかのように
29:46全く情報が伝わってきませんでした
29:48記者が常駐するようになって
29:50日本人が中国を知り
29:52中国人が日本を知る貴重な機会が
29:55格段に増えました
29:56しかし日中をつなぐ唯一のこのパイプは
30:001967年最大の危機を迎えます
30:041967年9月
30:10佐藤総理大臣が台湾を訪問します
30:14さらに日本とアメリカは
30:17中国は軍事的な脅威であるという
30:20共同声明を発表
30:22それを中国は明確な敵視政策と受け止めます
30:27一方中国国内では文化大革命が激しさを増し
30:36自由主義陣営に対する反発も
30:39強くなっていきました
30:40こうした中
30:455年間の貿易協定は
30:48期限切れを迎え
30:49新たな契約が必要でした
30:51ところが
30:53中国は佐藤政権に強く反発
30:56交渉を拒否します
30:58翌年2月
31:02ようやく中国側が交渉のテーブルにつきます
31:06しかし要求は厳しいものでした
31:12中国側は佐藤政権を通列に批判し
31:16その誤りを文書で認めない限り
31:19貿易協定は結べないと迫ってきました
31:26この時岡崎は決裂だけは避けなければならないと考えていました
31:32このパイプが一旦切れたら二度とつなげないと思っていたからです
31:38激しいやり取りの中で岡崎と共に交渉に当たった
31:46田川誠一議員は
31:48一旦日本に引き上げるべきではないかと考えていました
31:52私らは場合によっては切らなきゃダメだというような
31:58切って帰っちゃえということを何回も思ったことがある
32:05やっぱりそういう点は岡崎さんなんかもいわゆる練れてますよね
32:10だからそういう点では大事なことになると
32:15私なんかはやっぱり岡崎さんにお任せしちゃうんです
32:20岡崎たちは中国側が要求する過激な表現では
32:35日本国内の中国への理解者までもが離れてしまうと説得します
32:40中国側はアメリカ帝国主義に追随する佐藤政府と
32:48記述するように要求してきましたが
32:50日本側は追随するを削除し
32:54佐藤政府を日本当局に変更する妥協案を提示します
32:59議論の末中国側も折れました
33:07交渉開始から1ヶ月後
33:12中国を敵視しないなど政治三原則を認めて調印
33:18日中覚書防疫という新たな協定を結びました
33:23やっぱり暗闇の中で向こうに何がいるかわからないと
33:31言うのは非常に危ないことだよと
33:39細い糸でもつないで
33:43中国の指導者が何を考え
33:48どういう気持ちでいるのかということを
33:51その分かる
33:54聞く機会はこのルートしかないんだということですね
34:01日本には
34:02帰国後一部の議員から
34:07中国に屈服したと通烈な批判を受けました
34:11しかし岡崎は
34:14中国政府ととことん議論し合えたことこそ
34:17重要だと考えていました
34:251972年2月
34:27アメリカのニクソン大統領が訪中し
34:30米中が急接近
34:32世界情勢が大きく変化します
34:34前の年
34:38中国は国連加盟を認められ
34:41国際社会へ復帰します
34:43一方
34:44台湾は国連から脱退を余儀なくされます
34:48一気に潮目は変わり
34:51日本も動き出します
34:53しかし国交正常化のためには
34:58様々な問題が残っていました
35:00その一つが戦争賠償金です
35:05当時その金額は
35:08500億ドルとも800億ドルとも言われて
35:11日本側は
35:13中国が賠償金を請求してくることを
35:16懸念していました
35:174月
35:21覚書貿易の会談で
35:24周恩来は岡崎たちへ
35:26戦争賠償金について話をしました
35:28今日本に軍部があればね
35:33我々は賠償を請求します
35:35しかし今日本に軍部はないと
35:37その時に賠償を請求すれば
35:40同じ被害者の日本人民の負担になる
35:43そういうことは
35:46我々のイデオロギーが許しません
35:49私は賠償を取らない方がいいと思います
35:53大体こんな話をされました
35:55岡崎は
35:59周恩来から直接聞いた
36:01この貴重な情報を
36:02すぐに外務省に伝えました
36:04国交正常化の条件に
36:08中国側が
36:09戦争賠償金を持ち出すことはないと
36:12明言したのです
36:137月
36:19佐藤内閣に代わり
36:21田中内閣が誕生
36:23そして9月25日に
36:26報酬することが
36:27発表されました
36:28田中総理大臣の報酬を
36:352週間後に控えた
36:379月12日
36:39周恩来と
36:41日本側の
36:42事前協議が
36:43開かれました
36:44その時
36:49周恩来は
36:51日中の国交正常化が決まる日に
36:54岡崎が北京に招かれていないことに気づきます
36:57周恩来は
37:00北京に来てほしいと
37:01すぐに電話するように頼みました
37:04その場にいた
37:09金光貞治さんは
37:11咳き込んで東京へ電話をかけました
37:13岡崎先生の答えがね
37:19恐縮です
37:22恐縮です
37:25って2編言いましたね
37:26それもゆっくりゆっくりね
37:28あの人の性格だから
37:31あんまり表に出さないけど
37:33やっぱり
37:35喜んでる感じは
37:38ありましたね
37:39岡崎は
37:49急遽
37:50テレビの中継機材を
37:52運ぶ飛行機に便乗し
37:53北京へ向かいます
37:55その時
37:57岡崎に同行したのが
37:59貿易事務所の
38:00高向岩尾さんです
38:02喜びかみしめてるっていうような
38:08表現だと思うんですけども
38:11この
38:11じっと
38:18ずっと外を見てられましたね
38:26待てますとね
38:27
38:28うん
38:32うん
38:349月23日
38:44田中総理大臣が
38:46北京に来る
38:472日前に撮られた写真です
38:49周恩来は
38:51岡崎を迎えての
38:53ささやかな食事会を開きました
38:55乾杯で始まった
39:01一択だけの宴
39:02一択だけの宴席
39:03周恩来は
39:07一言話したいと立ち上がりました
39:10岡崎は
39:12その時のねぎらいの言葉を
39:15生涯忘れませんでした
39:17岡崎総理はもう
39:20我が国には
39:21水を飲む時には
39:24井戸を掘った人を
39:25忘れないという言葉がありました
39:27まもなく
39:28田中総理が来られて
39:31日中国交は正常化しますけれども
39:33田中総理が来られたから
39:36解除するのではありませんと
39:37長い間
39:39困難な時期にね
39:41日中友好に努力された方々が
39:44あったから今日
39:47正常化ができるんですよ
39:49岡崎先生
39:50もちろと先生
39:51あなた方もその一人ですよ
39:53こう言われましたね
39:57まあ完璧しましたね
40:021972年9月29日
40:06戦後27年目にして
40:09ついに日本と中国の国交が
40:12正常化しました
40:14共同声明で
40:16日本は
40:17過去の戦争に対して
40:19責任を痛感し
40:20深く反省すると述べました
40:22岡崎が発案し
40:27周恩来が大事にしてきた
40:29覚書貿易
40:31一本の細い糸は
40:3410年後
40:34国と国とを結ぶ
40:36太い絆として
40:38身を結んだのです
40:39岡崎貴平太は
40:461972年
40:48日本と中国の国交が
40:50正常化した時に
40:51周恩来から
40:52この後もずっと
40:53中国に来てくださいと
40:54声をかけられました
40:55その言葉に答えるかのように
40:58岡崎はその後
40:59日中の間で
41:00人と人をつなぐことに
41:02力を背にます
41:03あらゆるジャンルで
41:05人的交流を深めることが
41:06大切だと考えたわけです
41:07私の後ろにあります
41:10この建物
41:10北京にある
41:11中日青年交流センターです
41:14実はここが生まれる
41:16きっかけを作ったのも
41:17岡崎でした
41:17岡崎は
41:19中国人が日本の企業で
41:21研修を受けられる仕組みを作り
41:22中国の近代化に
41:24日本の技術や
41:25ノウハウを
41:26生かせるようにしたのです
41:27この写真は
41:30日本で学んだ
41:32研修生たちの写真です
41:33中国全土から選ばれた
41:35優秀な600人
41:37日本で研修を受け
41:39中国に帰り
41:40
41:41様々な分野で活躍しています
41:43新鮮証券取引所
41:53中国で初めて開かれた証券市場で
41:59高度成長を続ける
42:00中国経済の象徴の一つです
42:03この証券取引所を作るのに
42:12最も力を発揮したのは
42:14日本で研修を受けた
42:16ウコクゴーさんです
42:17中国が改革開放してから
42:22初めて作った証券取引所です
42:25ここができたのは
42:31岡崎先生の努力のおかげなのです
42:34当初中国政府は
42:39計画経済に反する証券市場の導入に
42:43消極的でした
42:44しかし岡崎は
42:46教えるのは私の仕事
42:48使うかどうか決めるのは
42:50あなた方ですと話し
42:53熱心に日本へ
42:54研修生を送るように進めました
42:56ウサンは
43:02日本の証券会社で
43:042年間研修を受けますが
43:05今も
43:07歓迎会での
43:09岡崎の言葉を
43:10よく覚えています
43:11岡崎先生は
43:17歓迎会で
43:19こう話してくれました
43:20証券取引を
43:22勉強するために
43:24ようやく中国から
43:25研修生を迎えることができました
43:28近い将来
43:29この2人の若者は
43:31必ず中国の証券事業に
43:34大きな力を発揮してくれると
43:37信じています
43:38岡崎先生の
43:42心がこもった話は
43:44とても深く印象に残りました
43:47日中の国交が正常化して
43:564年後
43:57周恩来は
43:5878年の生涯を閉じました
44:01国民から慕われ
44:05アジアと世界の平和を
44:07願い続けた
44:08周恩来
44:09その死を知った岡崎は
44:15ショックを受け
44:16しばらく家から出られませんでした
44:19母親から聞いたんだけど
44:24母親がね
44:25お父さんかわいそうだったって
44:27言いましたね
44:28ポツンとね
44:30首相利が亡くなったって
44:32電話かかってきて
44:33それが分かったんでしょうか
44:35そのままもうずーっと
44:38口をほとんど聞かない
44:40食物のどを通らないと
44:41本当にそう言ったらしいですよ
44:43母親は何度か
44:45その時に話してくれるんですけど
44:47お父さんかわいそうだった
44:48かわいそうだった
44:49そんなこと母親から
44:50聞いたことないんですけどね
44:52そう言ってましたね
44:53高祖省ワイアン市
45:00中恩来の生まれ故郷です
45:04岡崎は後に
45:11中恩来の聖火を訪ねています
45:14その聖火の一角にある井戸の前で
45:19岡崎は涙をため
45:21ずっと佇んでいたといいます
45:24中恩来との会談で通訳を務めた
45:28カレントーさんは
45:29岡崎の言葉が忘れられません
45:31シュウソウリこそ
45:36本当の日中有効の井戸を掘った人で
45:40今私たちが飲んでいる
45:43日中有効の水は
45:45みんなシュウソウリが掘った井戸から
45:48湧いてきた水だとよく話されていました
45:52国交が正常化した後も
46:03岡崎の思いとは逆に
46:06日中関係を損なう事態がしばしば起こります
46:09その一つが歴史教科書の問題です
46:13教科書検定で文部省が
46:17侵略という記述を
46:20進出と修正するように求めたと報道され
46:24中国が猛反発する事態が起きました
46:27中国との戦争について
46:32記述をした1,2の教科書におきまして
46:35どちらかといえば
46:37進出という言葉の方が客観性のある用語ではございませんか
46:41歴史の事実を改ざんする
46:44軍国主義を復活しようとしているというようなことは
46:48これはもうと考えておらないわけでございます
46:51岡崎は日本が過去の過ちを隠そうとすることに対して
46:58常日頃批判を行ってきました
47:00日中関係のことにつきましては
47:06どうしても私は我々のやった過去の反省を
47:10中国に対してやった過去の反省
47:12これは反省をして
47:15そういうことを聞いたり見たり
47:19学んだりすることは
47:21つらいことだけれども
47:23自分たちのやった過去の間違ったことは
47:26間違ったままに一応認識を
47:28それから我々はどうするかというような
47:31そういうことをやらなければならない
47:34それは教育によるわけですね
47:36その教育が十分いかないと
47:41自分ではこれでいいんだと思うことが
47:44近隣の国からは決して歓迎されない
47:49岡崎が周恩来と初めて会った時の通訳をした
47:57龍徳雄さんです
47:59周恩来が亡くなってから5年後
48:06岡崎から一通の手紙を受け取ります
48:09世界の情勢は
48:21だんだん険しくなっていくように思われます
48:26それにつけても
48:28小生はこんな時
48:301962年秋
48:33初めて帰国を訪問し
48:35尊敬する周恩来総理のお話を
48:39伺ったあの世のことを
48:42あの夜のことを
48:43回想せざるを得ません
48:45日本に対する恨みを忘れ
48:47手紙では
48:48共にアジアを良くしようという
48:51周恩来の言葉に対して
48:54果たして日本人が十分答えているだろうかと
48:57岡崎は綴っていました
48:59これを読んだ時
49:08私は大変感動をしました
49:11岡崎さんは
49:13ご自身を振り返って
49:15自問したのです
49:16日本はやるべきことを
49:19やり遂げたのだろうかと
49:21岡崎さんは
49:23まだまだだと
49:24深く反省していました
49:25自分に対して非常に厳しい方でした
49:30岡崎さんは
49:34日本が縦糸は真
49:37横糸は愛の社会になってほしいと
49:40願いました
49:41何を勝ち取るかと言いますと
49:44平和です
49:45国と国
49:47人と人は真偽を
49:49重んじなければなりません
49:51岡崎さんの残した言葉は非常に重要だと思います
49:56岡崎は90歳を超えてからも
50:05中国各地を訪ね旅を続けました
50:08もっと中国を知りたい
50:13もっと中国人と出会いたい
50:18この映像は1989年3月
50:2699回目の宝虫の様子を撮影したものです
50:30いつも旅には
50:34中国に初めて行く人を連れて行きました
50:37少しでも多くの日本人が
50:41中国の人と食事をし
50:43会話を交わす機会を作ろうとしたのです
50:46旅行することの元の考え方は
50:54私はね
50:55感情で中国が好きにならなきゃいかんって
50:58言い始まったんですよ
51:00これは面白いところがあるんですよ
51:03別の好きところがあるから行ってみようと
51:06だけではね
51:07中古にならないですよ
51:10好きだとか嫌だというのを
51:12感情的に好きだというのを作るのは
51:14どうしても中国の事物に接してですね
51:19なんていうんだろうですね
51:23中国に行ってみたい
51:24中国人と話してもして仲良くしたい
51:27そういう感情を持つようにしなきゃいかんと思うんですよ
51:31そして2ヶ月後
51:36中国への旅は100回目を迎えます
51:39岡崎は微笑みながら
51:45中国のような奥深い国は
51:48100回くらいでは分からないと話していました
51:52100回目の旅を終えた3ヶ月後の9月
52:01岡崎は自宅の階段で転倒
52:05意識は戻ることなく
52:0892年の生涯を終えました
52:11棺には敬愛する周恩来の写真が添えられました
52:18岡崎香平太は今
52:24ふるさとの岡山県紀美中央町に眠っています
52:27彼は亡くなるまで日中友好を願い続けていました
52:32しかし2005年には
52:35中国で歴史教科書問題などをめぐって
52:38大規模な反日デモが起きました
52:40一方内閣府の世論調査では
52:43日本人の70%が日中関係は良好ではないと感じています
52:49もし岡崎が生きていれば
52:52この事態をどう受け止めたでしょうか
52:54この岡崎の墓には
52:57中国人たちが今なおお参りに訪れています
53:01岡崎小学金で日本にやってきている
53:05中国人留学生たちです
53:07岡崎は若い時にこそ
53:10お互いを知り合い交流することが大切だと
53:13考えていました
53:14留学生たちが中国に帰った後は
53:19日本で学んだ知識を広めるばかりではなくて
53:22一人一人が交流の担い手になってほしいと
53:25望んでいました
53:26南京大学で水質汚染を研究している
53:38千進さんも岡崎小学金で日本に留学した一人です
53:43千進さんは東京工業大学で2年間学びました
53:48千進さんは留学中家族と一緒に横浜で暮らし
53:59子供は日本の学校に通いました
54:02家族ぐるみで日本人と付き合い
54:13日本を深く理解できたことが何よりの財産だといいます
54:17そしてその体験を中国の人たちへ伝えていきたいと考えています
54:24私たちのような普通の人の交流をもっと広げていきたい
54:33そうしてほしいですよね
54:35お互いに普通の人の交流でお互いの理解ができて
54:43生活どういう生活しているのか
54:46じゃあこっちが違うかそっちは同じね
54:49そういうことね
54:51分かってあれば
54:53つまりまず2回分かるんですね
54:57周恩来のふるさとと岡崎のふるさとは
55:0614年前から交流を続けています
55:09去年は岡山県紀美中央町から
55:158人の中学生が周恩来のふるさと
55:19ワイアン市を訪れました
55:20中学生たちは中国人の家でホームステイを体験します
55:29岡崎が最初に中国人と触れたのは中学生の頃でした
55:42素直な気持ちを持った若い頃に
55:46お互いの国を知るのが一番だと
55:48岡崎は考えていました
55:50お互いの国を知るのが一番だと
55:56半日の心があったりするのかなと思ったんですよ
55:59お話聞いたら全くないって言われてて
56:05すごい嬉しかったですね
56:06この日子供たちは周恩来の聖火を訪れました
56:17この日子供たちは周恩来の聖火を訪れました
56:30日中をつなぐ井戸
56:39子供たちの世代もそして次の世代も
56:42この水を枯らしてはいけないというのが
56:46岡崎の信念でした
56:47今年の夏は中国の子供たちが
56:57岡崎のふるさと岡山を訪れ
57:00ホームステイをする予定です
57:11日中の国交が正常化して35年
57:14未来を見つめた岡崎の言葉が響きます
57:19人と人との間柄の美しさに
57:24勝る美しさはないであろう
57:26私が真は縦糸愛は横糸
57:32織りなせ人の世を美しく
57:35というのはまさにこのことである
57:38この旗織り作業の素晴らしさに目覚めるとき
57:42私どもの新しい社会への道は
57:46決して苦労などではなく
57:47楽しい発見の営みになっていくに違いない
57:52この営みを一緒に行うことによって
57:57より良い日本
57:58より良いアジアの錦織りを
58:01後に続く人々に残すことこそ
58:05私の心からの願いなのである
58:09日本と中国のより良い明日を願い
58:16真と愛の大切さを訴え続けた
58:20岡崎加平太です
58:22ご視聴ありがとうございました
58:52ご視聴ありがとうございました
58:55ご視聴ありがとうございました
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