プレイヤーにスキップメインコンテンツにスキップ
  • 1 年前

カテゴリ

🗞
ニュース
トランスクリプション
00:00:00今から100年前 皇帝の座を追われた一人の男がいた
00:00:20その男は日本と結びつくことで 皇帝に帰り咲こうとした
00:00:30男の名は愛神カクラフギ 新朝最後の皇帝 ラストエンペラーである
00:00:441911年 中国全土を揺るがす 侵害革命が勃発
00:00:48これによりおよそ300年続いた 新朝は崩壊
00:00:56当時6歳のフギは皇帝の座を追われた
00:01:09ルテンの人生を歩み始めたフギ
00:01:12大陸進出を目論む日本軍の手が伸びていく
00:01:17フギの傍らに影のように寄り添う 日本人がいた
00:01:27その名を工藤忠といった
00:01:35工藤はですね 次に満州国時代 使えた数少ない日本で
00:01:43非常に信頼されて 忠という名前までもらったという
00:01:47すごい人物です
00:01:48工藤は満州国建国から崩壊に至る激動の中で
00:01:56数々の歴史的な瞬間に立ち会っていた
00:02:00その肉製テープが今回初めて公開された
00:02:06天真ガラフネイル
00:02:08石油管理の油を ガイカソリンについてたんだね
00:02:15もしその途上図があったら クリスをつけて
00:02:18クリスをつけて クリスをつけてないと
00:02:19結果こうしてもないと
00:02:211932年 中国東北部に満州国が建国される
00:02:30やがて不義は皇帝となるが
00:02:33その実権は 日本の関東軍に握られていた
00:02:38関東軍は不義の側近に 一人の男を送り込んだ
00:02:45陸軍中佐 吉岡康直
00:02:49吉岡の娘 牧一子さんが
00:02:59カメラの前で初めて父を語った
00:03:03うちのお父さんはいろんな
00:03:09中国と日本との関係など話したり
00:03:20不義さんがとっても喜んで
00:03:24不義の傍らにいた二人の日本人
00:03:31彼らの目に最後の皇帝の姿は
00:03:35どのように映っていたのだろうか
00:03:37ラストエンペラー 愛心閣羅不義がたどった
00:03:45激動の人生
00:03:47その真実を炙り出す
00:03:50今年10月 北京市内で
00:04:11侵害革命100年を記念する 集いが開かれた
00:04:24多くは新王朝にゆかりの深い 満州族の人々である
00:04:33満州族の人口は現在およそ1000万人 中国の全人口の1%にも満たない
00:04:43貴重ノートには愛心閣羅の名前が並んでいる
00:05:12彼らはおよそ300年続いた 新王朝の末裔である
00:05:19会の主催者 愛心閣羅育章さん
00:05:29ラストエンペラー不義の老いにあたる
00:05:33フートンと呼ばれる 古い家並みが残る旧市街
00:05:56ここに育章さんの父が暮らしている
00:06:03今年93歳になる愛心閣羅夫人さん
00:06:11不義の12歳年下 末の弟である
00:06:22フルです
00:06:24私はここにいる何が?
00:06:29いつも壮りの 記者をのせっかく見ます
00:06:31記者を教えてくれます
00:06:33もう少し後はしっかりしたな
00:06:35もう少し後は この光台をしっかりした
00:06:37これが暮らしたな
00:06:39この光台をしっかりした
00:06:41この光台をしっかりした
00:06:42このノートにして よく東京の音が
00:06:46ここに炭拗みがある
00:06:48武蔡宏仁。
00:06:49奥乙は、
00:06:50彼は彼氏の子供としては、
00:06:53彼氏です。
00:06:55彼氏は兄弟が、
00:06:56彼氏は、
00:06:57彼氏としている感情があります。
00:06:59彼氏は、
00:07:01彼氏の閣下は、
00:07:03彼氏の経緯の経験は、
00:07:07非常奇特、
00:07:09変化が非常劇烈なことです。
00:07:14一回は、
00:07:17皇帝一回是堂王者で一回是デーカーウェーマンのハーディイオンよし風呂
00:07:26夫人さんの兄愛心角ら不義が新潮皇帝の座を追われた時代
00:07:32中国全土革命の嵐が吹き荒れた それは今からちょうど100年前のことである
00:07:411911年10月10日 新潮打倒を目指す革命派が武将で放棄 侵害革命が起こる
00:07:58この時新潮の皇帝は愛心角ら不義 わずか5歳であった
00:08:05翌1912年 中国南部に中華民国臨時政府が受立され 大総統に孫文が就任する
00:08:18一方北部には北洋軍を率いる実力者 遠征外がいた
00:08:29新潮は遠征外を起用して革命側との交渉に当たらせた
00:08:34しかし遠征外は孫文と手を結び 大総統の地位を譲り受け
00:08:42新潮に皇帝の大尉を迫った
00:08:52遠征外は大尉と引き換えに新潮の存続を保障する 優待条件を提示した
00:08:59それは皇帝の存続 財産の保障 資金上での居住を認めるというものだった
00:09:09新潮はこの優待条件を受け入れ 不義はわずか3年3ヶ月で退位した
00:09:222000年以上続いた中国の皇帝政治に 幕が下りたのである
00:09:30皇帝政治は終わったが 新潮の権威は残されたという説を唱える人がいる
00:09:45中国社会科学院の梅優研究員
00:09:49これまでの学説を一変する 論文を発表してきた
00:09:54確かに新の王朝は集結しました
00:09:59しかし滅亡したわけではありません
00:10:01新の王朝は資金上の中だけに とても小さく収まったのです
00:10:07遠征外は新潮の核式を資金上の中に 保存していこうと思っていました
00:10:15これはイタリアのバチカンに似ています
00:10:19中国をおよそ300年も収めた 王朝を残すことは
00:10:25将来の中国に役に立つだろうと 考えたのです
00:10:30侵害革命の5年後 遠征外が死亡
00:10:37実力者不在の中 軍閥が乱立し 政権争いが激化する
00:10:42中国は混乱の時代を迎えた
00:10:46一方で不義を再び皇帝の座につけようとする 副壁派が各地で活動を続けていた
00:11:001917年 内政の混乱に乗じて 副壁派が事件を起こす
00:11:10退位した不義を強引に担ぎ出し 2度目の肯定則意識を行った
00:11:21しかし この復活劇は わずか12日間で失敗に終わった
00:11:26その頃 不義に越権を求めた 一人の日本人がいた
00:11:37男の名は 工藤哲三郎
00:11:43工藤もまた 皇帝復活を望む 副壁派の一人だった
00:11:48工藤はなぜ 不義に近づこうとしたのだろうか
00:11:59死後40年余り経った 工藤の自宅には 多くの遺品が残されている
00:12:08中国を中心とした東洋史を研究してきた 東北大学名誉教授 山田勝義さん
00:12:20これまでほとんど知られることのなかった 工藤に 初めて光を当てた
00:12:26工藤はですね 青森県生まれで
00:12:32県道がなかなか強く 非常に身体強健な人物で
00:12:40大陸にわたって 大陸での活動家
00:12:43いわゆる大陸浪人というような 形で活動するわけですが
00:12:47工藤は20代から30代にかけて 中国をたびたび放浪
00:12:55残されたアルバムには 中国偏狂の人々の暮らしが記録されている
00:13:01工藤は日本と他のアジアの国々との連帯を目指す
00:13:09いわゆるアジア主義者の一人だった
00:13:12同じ思想を持つ 東山光や小川平吉などの
00:13:21著名な指導者と知り合った
00:13:24中国に精通する工藤は 陸軍から重宝活動の依頼を受ける
00:13:33これがきっかけで 陸軍と太いパイプを持つことになる
00:13:4232歳の時 副壁を目指し日本で活動をしていた
00:13:47新朝の重心 松陰と出会う
00:13:50これが工藤の人生を決めた
00:13:54その松陰の人となりというものに 続婚と言いますか
00:14:00あの工藤が掘り込んで 振幅したんだと思います
00:14:03そういう松陰が 陸軍を非常に 陸軍に対して忠誠を尽くしておりましたから
00:14:16それをやはり 工藤は引き継いだという
00:14:19ずっと松陰の思いを 自分の思いとしたという
00:14:23そういうところがあったと思います
00:14:24この出会いがきっかけで 工藤は副壁派となり
00:14:32松陰と行動を共にする
00:14:39工藤は松陰の紹介で 不義と対面した
00:14:43その日のことを 工藤は次のように 綴っている
00:14:50四金城において 皇帝に会見した
00:14:54そして 密かにその意中を述べたところ
00:14:58少年皇帝は 神戸を左右に振った
00:15:05自分は そんなことを考える暇がない
00:15:10毎日 勉強に忙しい
00:15:14しかし やがて定位につかれたら 勉強ばかりしてはおられませんぞ
00:15:23そうか 皇帝になれば
00:15:26勉強をしなくてもよいか
00:15:30気色をたたえて 少年らしく乗り気になった
00:15:37これが 工藤と皇帝不義との 初めての出会いだった
00:15:52それは突然の出来事だった
00:15:561924年 軍閥の一人 風玉将が 空出た起こし
00:16:02北京に破兵 四金城に攻め込み
00:16:05次のような要求を伝えた
00:16:07皇帝の称号を 永久に廃止する
00:16:15本日午後3時までに 宮殿を出なければ 攻撃を開始する
00:16:21不義は 追われるように 資金城を出た
00:16:28不義は イギリスやオランダなど 列強に救済を求めた
00:16:42受け入れを表明したのは 日本だった
00:16:46不義の側近の中に 日本とパイプを持つ者が
00:16:50パイプを持つ者が 数多くいたのである
00:17:01不義は北京を離れ 受け入れ先の 日本領事館のある天津に向かった
00:17:17天津は 貿易港として 海外に門戸を広げ
00:17:219カ国の疎開があり 日本領事館も置かれていた
00:17:32町の西側は 日本疎開で占められていた
00:17:37その一角に 長縁という 洋館があった
00:17:44不義は 3年前に結婚した 妻の縁業と この長縁で暮らし始める
00:17:56駆動をはじめとする 副壁派も たびたび訪れた
00:18:03天津社会科学院の 長李民さん
00:18:14天津における 不義の行動を 長年調査している
00:18:20不義は 資金上を追われてから 誰が受け入れてくれるのか
00:18:25どうやって 生活していけばいいのか
00:18:28全てが疑問符でした
00:18:32こういう状況の中 日本の領事館の手助けで
00:18:36天津に来たのです
00:18:38天津にあった 疎開は 地外保険の地でした
00:18:42中国人や外国人が入って 中国の法を犯しても
00:18:47警察は手が出せません
00:18:49疎開にいることで 不義の身の安全を 図ることができたのです
00:18:54その頃 日本は 日露戦争の勝利によって
00:19:01旧満州 中国東北部への 進出を始めていた
00:19:08日本は 両東半島を 咀嚼地とし
00:19:12南満州鉄道 いわゆる 満鉄を設立した
00:19:18一方 孫文の革命を 引き継いだ 蒋介石は
00:19:22中国全土を統一するため 黒伐を開始した
00:19:27北京に迫る 国民東軍
00:19:32その行く手には 満州に拠点を持つ 宝天軍閥の小作林がいた
00:19:39両者は 戦闘状態に入った
00:19:41国民東軍の攻撃を 阻止できないと見た 張作林は
00:19:53北京から撤退 本拠地の 宝天へ向かっていた
00:19:571928年6月4日未明 事件が起こった
00:20:11遼寧省 新陽 かつて 宝天と呼ばれていた
00:20:19その郊外にある 広古屯
00:20:232つの鉄道が 交差している地点が 事件の現場である
00:20:28コーコトン事件発生地
00:20:48それは 張作林爆殺事件を意味する
00:20:51この鉄道線路の爆発で 張作林は死亡
00:21:10日本の関東軍は
00:21:12犯行は 紹介席率いる 国民党のゲリラと発表した
00:21:17犯人とみられる 中国人2人の死体が
00:21:20現場近くで発見された
00:21:28この頃 天津で不義に 越見していた工藤は
00:21:32事件の一報を聞いて 宝天に急行
00:21:37学生時代の友人で 関東軍の食卓だった
00:21:41足立高成から 事件の真相を聞き出した
00:21:45足立は 実行犯の一人だった
00:21:50戦後 工藤がインタビューを受けて
00:21:55事件の真相を語る 工藤の肉声テープが
00:21:58テレビで初めて公開される
00:22:01話している そういうテープです
00:22:03その爆発した後 一つ見たのが
00:22:10これは普通判断たのが
00:22:12あの鉄橋の
00:22:14あれが マーディフの
00:22:16この判断が 写っちゃうんだから
00:22:18計画的にやったわけだ
00:22:22まあ 工藤さんやったと言ってたのが
00:22:24やる前に 伊藤金次郎と
00:22:30足立にその 工藤さんが呼んで
00:22:33そっちの声を落としたら 協力してくれ
00:22:36そこで すぐに 賛成して
00:22:42それじゃあ 一つ 犬の屋根や
00:22:45シナルの方で 三人繰りつくしたんです
00:22:51事件の死亡者 関東軍参謀の
00:22:54河本大作は
00:22:56三人の中国人を 犯人に仕立て上げようとした
00:23:01そこで 三人の物で
00:23:03よいよったんで 人に居なかったんだ
00:23:05伝える作業を 過ぎてきてたね
00:23:09奮上しとったんです
00:23:11今 お前らが
00:23:12その 日本の 軍隊の
00:23:16いいふうに言ったら ビラティッシュはね
00:23:18ようと その こういうとおいうクリバー
00:23:21誰もわからんから
00:23:23で 紙を 繰りでね
00:23:26こう 反対に こう 伝わり合って
00:23:28こういう その 警戒が
00:23:32ぶつぶつぶさしてたんだね
00:23:34それで クリスターのところで
00:23:38かつて 日本と同盟関係にあった
00:23:40張作林は 勢力拡大とともに
00:23:44日本の意のままに 動かなくなっていた
00:23:47河本大作が 独断で暗殺を決行したのである
00:23:51駆動はですね
00:23:55これが 日本がやったということが
00:23:58広まると 特に 正解的政権等に広まった場合
00:24:07それから それが 世界に広まった場合
00:24:09日本の立場が 非常に悪くなると
00:24:11いう報告書に そういう 懸念を書いてるわけですね
00:24:15これは 放置しておくわけにはいかないという
00:24:16そこで まあ 兼ねてから
00:24:20知っている小川秘吉
00:24:22彼に まずは 詳細な報告をしたわけですね
00:24:27駆動は 直ちに日本に戻り
00:24:31事件の詳細を 手紙にしたためた
00:24:33放点における 爆発事件の真相
00:24:44事件から2週間後 駆動は
00:24:48当時の鉄道大臣 小川平吉に この書簡を送った
00:24:52某大佐は 既に決心し
00:24:57立教下に 爆弾を 装置して
00:25:00一挙に サクリンを ホームランと
00:25:03既に その準備を 両競り
00:25:09小川は 総理大臣 田中義一に報告
00:25:14この報告や その後の調査から
00:25:17事件の真相を 知った田中は
00:25:20軍関係者の 処罰を決め
00:25:22昭和天皇に 上走した
00:25:27しかし その後 軍部や 閣僚の 反対にあい
00:25:32結局 責任者の 処分を 曖昧にした
00:25:36これが 昭和天皇の 布教を 買った
00:25:401929年 田中内閣は 総辞職に 追い込まれた
00:25:49こうして 事件の真相は 長く封印されることになる
00:26:01日本は 軍部の独走を 政治が抑えきれない時代に 突入していく
00:26:07長作林爆殺事件から 一月後の 1928年7月
00:26:19不義は 新聞で 衝撃的な 記事を目にした
00:26:24新朝の 領母が 盗掘されたのである
00:26:36北京の東に 新朝の 広大な 領母 東領がある
00:26:41ここには 5人の 歴代皇帝と その 妃が 祀られている
00:26:52不義を 皇帝に 命じた 聖太郷の 領母
00:27:03地下宮殿の 天井が 壊され 棺は こじ開けられた
00:27:08戦いで おいしい 招いている
00:27:12その上 漆営の形を 選んで下さい
00:27:15その下から 自体の中に 要もっとはなかった
00:27:20そして 神々や金剛の珍等
00:27:24その中に 使わせて 獅子を 採破えたから
00:27:28その上に 採取したい 水族に 採取する
00:27:31水族に 採取したい
00:27:33遺体は剥き出しにされ
00:27:41棺の副葬品はすべて持ち出された
00:27:43犯人は紹介席率いる国民党軍の孫伝英だった
00:27:56側近の報告を受けた不義は一枚の絵を描いた
00:28:00そこには慎重最後の皇帝の憎しみが込められていた
00:28:08長遠には聖太郷の遺廃と祭壇が設けられた
00:28:21側近たちが同国する中不義はこう言った
00:28:25この恨みに報いなかったならば
00:28:32私は愛神カクラの子孫ではない
00:28:37私のいる限り大臣は滅亡せぬ
00:28:50不義が天使に移り住んで4年が過ぎた
00:28:53その間紹介席は中国の統一を達成しつつあった
00:28:58一方日本は三島半島に出兵し
00:29:03その権益確保を図ろうとしていた
00:29:06不義は長遠から同じ日本疎開にある
00:29:14西遠に引っ越しをする
00:29:15そこに天津に駐留する
00:29:23シナ中東軍の参謀が訪れた
00:29:26吉岡康名を少佐だった
00:29:35不義は美術に造形が深く
00:29:45同じ趣味を持つ吉岡と馬があった
00:29:48孔子に渡り吉岡と交流を深めていく
00:29:52吉岡は家族と共に2年間天津で過ごした
00:30:00次女の和子さん
00:30:06父に連れられて西遠の家にもたびたび訪れた
00:30:15あるのはやっぱりね
00:30:21美術に対する執念がすごく両方なんです
00:30:27それは不義さんも一緒に父も同じように
00:30:31父と父から言われた天使を始めたんです
00:30:40楽しかったんですね
00:30:43お父さんも初めてで何もできず
00:30:49両方がわあわあ笑いながら
00:30:55あっちに飛びこっちに飛び
00:30:58いろんなテニスができたんです
00:31:06だから不義さんも本当に喜んで
00:31:12あれはよく覚えてますけど
00:31:17うちのお父さんは
00:31:22いろんな中国と日本との関係など話したり
00:31:34そういう言葉を
00:31:36なんていうの
00:31:41その時に
00:31:45不義さんもとっと喜んで
00:31:53吉岡は不義の側近からの要請で
00:32:01内政問題や中国の将来について抗議するなど
00:32:05不義の先生役を務めた
00:32:07この出会いから5年後
00:32:12不義は
00:32:13吉岡と運命的な再会を果たすことになる
00:32:17今天上午
00:32:29辽宁吉林黑洞江三省
00:32:31在沈阳首次共同举行
00:32:33明景壮中一事
00:32:34記念九一八事變
00:32:36爆発八十周年
00:32:372011年9月18日
00:32:46旧満州の東北三省では
00:32:48サイレンが3分間鳴り
00:32:50車が一斉に止まった
00:32:52そして市民は黙祷をした
00:32:55満州事変から80年が過ぎた
00:33:06中国では
00:33:08満州事変を九一八事変と呼ぶ
00:33:12新洋にある博物館の前には
00:33:17多くの市民が集まった
00:33:25博物館の横に残された鉄道線路
00:33:54ここが満州事変の起きた現場である
00:33:581931年9月18日
00:34:10関東軍は
00:34:11宝天龍城湖で
00:34:13南満州鉄道の線路を爆破した
00:34:16当時
00:34:19張作林の息子張学良は
00:34:22国民党と手を結び
00:34:23満州に新たな鉄道を建設するなど
00:34:26日本の既得権益を脅かす存在になっていた
00:34:30脅威を感じた関東軍は
00:34:37爆破事件をきっかけに
00:34:39小学良軍を攻撃し
00:34:41宝天を占領
00:34:42東北部全域を制圧していく
00:34:45事件から4日後の9月22日
00:34:57関東軍の首脳が
00:34:59極秘の会談を行っていた
00:35:01出席者は
00:35:06満州事変の首謀者
00:35:08板垣製志郎
00:35:09石原幹事ら5人
00:35:11議題は
00:35:15満網問題解決策
00:35:18中国東北部の今後を決定する
00:35:20重大な会議だった
00:35:22協議の結果
00:35:24次のような結論となった
00:35:27戦闘亭を党首とする
00:35:35シナ政権を受立し
00:35:37在満網各民族の
00:35:39落土だらしむ
00:35:41不義を満州の党首にする
00:35:49というこの決定を受けて
00:35:51皇天特務機関長
00:35:53土井原健次は
00:35:54不義と信仰の厚い
00:35:56工藤哲三郎に協力を求める
00:35:59土井原さんから
00:36:04林報来た
00:36:05行くから
00:36:07小賀城に行く
00:36:10すぐ来たですよ
00:36:14どういう目的に
00:36:16古城地何種ですか
00:36:18古城地これは毎週の古城地
00:36:22本当にしか
00:36:24本当に嘘もない
00:36:26と言ったら
00:36:27本当に嘘もない
00:36:28とこう言うんだね
00:36:30私は非常な喫煙地だね
00:36:33これは重大図であるし
00:36:35もう一つも
00:36:38土井原が
00:36:39嘘をして
00:36:40どうして俺らと
00:36:41遊びになるならば
00:36:42土井原は
00:36:43さしぐらしくという
00:36:44決心でだね
00:36:45真剣で僕は話したんですよ
00:36:47軍では
00:36:49我々を
00:36:50国の民だ
00:36:52あるいは
00:36:54天皇陛下の民だと言って
00:36:56お建てで仕事をさせて
00:36:58狙い上げて
00:36:59はしごを取って
00:37:00下がらしをつけることをするんだと
00:37:02今度はそういうことないだろうな
00:37:04って
00:37:09かつて工藤は陸軍の依頼で
00:37:12重宝活動をしていた
00:37:14貴族の集団に潜入するという
00:37:17危険な任務だった
00:37:19しかし陸軍は
00:37:21その後工藤を礼遇
00:37:23これが原因で
00:37:25工藤は日本軍に強い不信感を抱くようになる
00:37:29自分が軍の
00:37:34食卓などとして
00:37:36さまざまな活動をしてきて
00:37:38その中で
00:37:39軍に裏切られたという思いもたくさんあったと
00:37:42そういう思いがあるために
00:37:44土井原が
00:37:45ここで何をどういうことをしようとしているのか
00:37:47それに対する疑いは
00:37:49当初は持っていたわけですね
00:37:51だから
00:37:53慎重にそこは
00:37:54確かめたんだと思います
00:37:56それで本当に不意にとって
00:37:58これはいいだろうと
00:38:00つまり不意が工程になれるだろうという
00:38:03そこを踏んだから
00:38:05そこを一歩踏み出したんだろうと思います
00:38:10この直後
00:38:11工藤は友人に一通の手紙を送った
00:38:15この度
00:38:19天津行きは
00:38:22戦闘亭を満州に迎えるため
00:38:25とにかく行くのだ
00:38:27天津行きは
00:38:32非常なる重大な要件を帯びている
00:38:36小生としては
00:38:38一世一代の大業である
00:38:411931年11月2日
00:38:51工藤が不義と面会をしたその翌日
00:38:57関東軍代表として
00:39:00土井原が不義に石鹸を求めた
00:39:03その新国家はどのような国家になるのですか
00:39:09独立自主の国家で
00:39:12戦闘亭が全てを決定する国家であります
00:39:16私が知りたいのは
00:39:20その国が共和制か
00:39:22それとも帝制かということです
00:39:25そういう問題は
00:39:27信用へ行かれれば解決しましょう
00:39:31副壁なら行きますが
00:39:35そうでないなら
00:39:37私は行きません
00:39:39もちろん帝国です
00:39:44それは問題ありません
00:39:50帝国なら行きましょう
00:39:57会見の6日後
00:39:59土井原が天津市内で暴動を引き起こす
00:40:03日本疎開には戒厳令が敷かれた
00:40:06すべてが不義を逃すための暴力だった
00:40:11関東軍の独走に危機感を抱く外務省は
00:40:14天津総領事に不義の監視を要請した
00:40:221931年11月10日
00:40:27西園には天津総領事の監視の目が注がれていた
00:40:31裏門にはシナ中途軍が手配した車
00:40:37不義はトランクの中に身を隠した
00:40:41海原嶺の中
00:40:51車はイギリス疎開の不当へと向かった
00:40:57市内を東西に貫く白河は天津港につながっていた
00:41:16午後8時、不当に到着した不義を蒸気船が待っていた
00:41:22工藤はその船にいた
00:41:28我々分奏ネ ADEE
00:41:39日本の軍人が3人当たり
00:41:41皆、使間 Anyway
00:41:43そこへ待ち上げて
00:41:45僕の顔になったよフレ
00:41:53かけた青年校庭 抵抗症親子
00:41:57日本人の私 通訳らが随行していた
00:42:05真夜中に馬兵にかかった
00:42:13止まれ 突然命令が下った
00:42:20中途に大きな空間について 飛車があるのでそこに駆け入っています
00:42:26そこに監視員がいつもいるんですよ
00:42:29夜11時にこう行ったもんだから
00:42:32通信長がなかなかいたんだ 駆け入った
00:42:36こう船をつける振るまで行った後 ここにつける振るまでシューッと行っちゃった
00:42:43待てーって言って ボンボンと音が出てきた
00:42:46船内にはガソリンを入れた石油管が ひそかに積まれていた
00:43:00天津から船に入れて 駆け入ってくるのに
00:43:05石油管に油を ガソリンをつけるのに
00:43:10これ俺は知らないんだけどね
00:43:13これはね もしも途中につくわったら
00:43:17クイスをつけて スジビンさないと
00:43:19結果コイスもないといけば
00:43:23ああ ドット自体が後で行くわかったんだけど それがね
00:43:28夜を明かし 船の中で朝食をしたためた
00:43:35工程の食事も同じで 麦飯に味噌汁
00:43:40たくあんの香の物と卵は二つ
00:43:44別に分け隔てはない
00:43:48いよいよ本船に移らねばならんが
00:43:53ここにも敵側の目が光っているので
00:43:56容易に船に移ることができない
00:44:00ずいぶん 落ちる時だんだね
00:44:04誰かの物も分からんところまで こっち落ち上げてね
00:44:08クテアワンゾーンズは来たら
00:44:10そこでやそこで 乗るとしたわけ
00:44:12俺はもう 経過は海っていうのが始めでしょ
00:44:16みんなのも 国も始めでしょ
00:44:20小さい船があの海の中 グログログログロやるの
00:44:25なんか 酔っちゃったんだな
00:44:27ナワハスマンが ここ行かなきゃいけないんだろ
00:44:30そこで困ったよ 上から引っ張る
00:44:33下からおいしいってね
00:44:35そこでまあ 酔いわけです
00:44:39脱出は成功した
00:44:41乗り換えた船で 富岐は工藤らと記念写真を撮った
00:44:56船は一路満州へと向かった
00:45:0411月13日
00:45:06富岐は日本の満鉄が経営する 東甲子温泉に到着する
00:45:15この時 富岐は 福壁の夢が叶いつつあるという
00:45:19希望を抱いていた
00:45:24もともと 満州はおよそ400年前
00:45:27富岐の先祖である 愛神カクラ一族が
00:45:31王朝を開いた地であった
00:45:36しかし 東甲子温泉で 富岐は事実上 軟禁状態に置かれた
00:45:45富岐にとって 常にそばに寄り添う工藤は
00:45:48最も安心して話せる存在だった
00:45:51翌1932年2月
00:46:01関東軍参謀 板垣誠志郎が 富岐と会見
00:46:06次のように述べた
00:46:11新国家は共和制
00:46:14国家元首の肩書は 皇帝ではなく 執政
00:46:19国防治安維持など全てを 関東軍に一任する
00:46:24これは日本の規定方針で 変更の余地はない
00:46:31板垣の言葉は 富岐にとって 耳を疑うものだった
00:46:351932年3月 満州国が建国された
00:46:52富岐は妻縁業とともに 使徒となった新疆に降り立った
00:46:57日本の国土の3倍を有し 人口はおよそ3400万人
00:47:08満州事変勃発からわずか6ヶ月で 新国家が誕生したのである
00:47:16そのスローガンは 五族共和
00:47:19満州 蒙古 韓 朝鮮 そして日本が 共に歩むことを目指していた
00:47:35しかし その実験は 関東軍司令官の下
00:47:40日本人の官僚に 握られていたのである
00:47:43岐津林省 長春 ここに満州国の宮殿が 置かれていた
00:48:04現在 宮殿は博物館となり
00:48:07満州国時代の歴史が 展示されている
00:48:13不動は 新国家満州国で 養殖に抜擢される
00:48:22不義のたっての要請で 失勢の敬語にあたる 自重武官となったのである
00:48:34軍人でも官僚でもない人間が この養殖に就くことは 極めて異例だった
00:48:40この役職に関して 不義が工藤に送った手紙が 残されている
00:48:50工藤閣下は 我が国のために 20年以上も奔走しており
00:48:59功績は一番だ
00:49:00ところが 二刀自重のポストしか 与えられていない
00:49:10閣下は一切希望を述べないが 私は不満に思っている
00:49:16皇帝ではない 不義に対し
00:49:22工藤は 工場陛下と呼ぶ 唯一の日本人だった
00:49:26不義は 忠誠を尽くした者だけに与える 忠の字を工藤に授ける
00:49:35工藤は 哲三郎を忠と改名する
00:49:42この名前は 習性変わることがなかった
00:49:4811月 工藤は 総理大臣となった 邸公所とともに 不義に呼び出された
00:49:59今日は 天心を脱出してから 一年目の日である
00:50:09一周年記念をやる あの時の服装をしてこい
00:50:15皇帝も あの時の服装で出てきた
00:50:22どんぶりに 麦めしがもってあった
00:50:32味噌汁にたくわん それに卵が二つ
00:50:36まさに あの日の食事と 同じものである
00:50:41これが 記念日のごちそうだ
00:50:45抵抗症は 歓喜余って 泣き出した
00:50:50私も たまらなくなって 涙をポロポロこぼした
00:50:54翌年 不義のもとへ 吉報が届いた
00:51:05関東軍司令官 菱狩隆は 不義に 越見を求めた
00:51:17それは 皇帝即位を 伝えるものだった
00:51:21当時の戒見録が 外交資料館に 残されている
00:51:27執政閣下には 満州国の皇帝の位に 昇られること
00:51:36極めて 当然のことなり
00:51:40しかし 菱狩は 最後に こう付け加えた
00:51:48皇帝制の実施は 断じて 新朝の副壁にあらず
00:51:55皇帝即位の 服装をめぐって 関東軍と 富義は 激しく対立した
00:52:08満州国の 大減衰服を 主張する 関東軍に対し
00:52:15富義は 新朝皇帝の 礼服である ロンパオに こだわり続けた
00:52:201934年 3月1日 皇帝即位の日
00:52:36工藤は 自衛官庁となり 皇帝の護衛を 務めることになった
00:52:41工藤の目の前に 論破王をまとった 富義の姿があった
00:52:45その日の早朝 富義は 新朝の伝統にのっとり
00:53:00天に即位を報告する 皇帝の儀に臨んだ
00:53:03午後からの即位式では 富義は 関東軍が要求した 大減衰の清掃に着替えた
00:53:16こうして 式典は 富義と関東軍の間で 妥協が図られた
00:53:21満州国の紋章と定められた 君子蘭が編み込まれた玉座
00:53:33富義は 建国3年目にして 初めて この玉座に着いた
00:53:41この日から 富義は 満州帝国皇帝 皇徳帝となったのである
00:53:47長春市内に今も残る 関東軍司令部の建物
00:54:02関東州と満鉄の防衛のため 創設された関東軍は
00:54:07満州国建国後 その兵力は 70万人にまで拡大していった
00:54:171935年3月 吉岡康直が 関東軍司令部付きとして 新疆に着任した
00:54:30富義とは 5年ぶりの再会だった
00:54:34富義は ことあるごとに 吉岡の自宅に電話をした
00:54:46何かが起こる場合 すぐ 小さなさんもある
00:54:54最初は 電話が来て
00:54:58それで ほっとして
00:55:02必ず その時には うちに
00:55:06ゴールのところに 早く来てくれって
00:55:11そういうことが 多かった
00:55:16毎日のように
00:55:19夕方から夜になると よく電話が来て
00:55:24必ず 仕方がないっていう 感じもあった
00:55:34かわいそうだっていう 頃にもあった
00:55:38そういう 一緒に 父は 行っておりました
00:55:44吉岡は 工藤と並んで 皇帝不義が信頼できる
00:55:51数少ない日本人だった
00:55:53吉岡には 帝室御用係という 新たな役職が与えられた
00:56:02ノンフィクション作家の 中田誠一さん
00:56:06満州国に関わった関係者を 長年にわたり取材している
00:56:10吉岡が なぜ 府議の御用係になったか
00:56:17ということになると それは 天津時代に
00:56:20非常に信頼関係築いていた 府議とね
00:56:22それから 吉岡が 昭和9年に
00:56:25陸軍主管学校の 戦士の教官をやるわけだ
00:56:29その時の教え子が 不潔なんですよ
00:56:31そういう非常に 親しい関係があるから
00:56:33関東軍は 吉岡に目をつけて
00:56:36御用係っていう 特別な 要するに連絡係
00:56:40えー 府議と 関東軍との 連絡係としてね
00:56:45吉岡を御用係って 新しいポストを 作ったわけですな
00:56:49関東軍は 府議の傍らに 吉岡を配置するとともに
00:56:54一つのプロジェクトを 推進した
00:56:57それは 府議の日本訪問だった
00:57:001935年4月 府議は 初めて日本を訪れる
00:57:12東京駅に到着した 府議は
00:57:28出迎えた 昭和天皇と 歴史的な 対面を果たす
00:57:31沿道を埋める 群衆の 歓喜の声に送られ
00:57:42府議は 初めて 皇居を訪れた
00:57:45満州国からは およそ80人が 随行した
00:57:59その中に 駆動の姿もあった
00:58:09東京での滞在中 府議は 昭和天皇の母 皇太后を訪ねた
00:58:15東京駅と 皇太后の陛下の関係は
00:58:22まったく 親と このような関係です
00:58:26陛下は こういう 団をさなったり
00:58:30上がったら すぐに おいしゃごをしてね
00:58:33ほら 皇太后陛下は
00:58:37ニコニコニコニコ 笑ってたね
00:58:40そして 通訳の話をしても
00:58:42その 暮らしいことが 非常なんだ
00:58:47陛下後です
00:58:49どうも 自分で この思わずしは
00:58:52皇太后陛下の 御子座を 移釈したり
00:58:58あがんだり ブリーだったかも した
00:59:01これは 自分の親父も あれぐつぶな
00:59:04そして あれぐつぶな
00:59:05そして 思わずは おなあ
00:59:06お父さんの いわけしておったらね
00:59:09そんな具合で 陛下心から
00:59:12こういう相撲である
00:59:14それが 宇宙って
00:59:16皇太后も 陛下も
00:59:18自分の子供のような
00:59:20それで 腕をつくって おしたんですよ
00:59:22そう
00:59:27我をしも 御母のごとく おぼしつる
00:59:32その御心に 親しまれつつ
00:59:35不義は 19日間 日本に滞在
00:59:48各地で 熱烈な 歓迎を受けた
01:00:00日本から帰国後 不義の態度が 一変する
01:00:03帰国翌日 不義は 文武百貫を 大広間に集めた
01:00:13不義は 原稿を持たずに 一時間半にわたり
01:00:19訪日の感想を 語り続けた
01:00:22そして 不義は こう 締めくくった
01:00:26天皇と私の 心持ちは 一つである
01:00:31日本のために 諮って 衆ならざる者は
01:00:36私にとっても 不忠のものである
01:00:40不義は 日本に行って まず悟ったのは
01:00:45自分と それから 日本の天皇陛下とは
01:00:48同列であると
01:00:50それから 天皇陛下を 天皇のね
01:00:53密を利用すれば 自分は 関東軍を抑えられると
01:00:56いう自信を 持ったわけです
01:00:57皇帝は 日本を訪問されてから
01:01:03別人のように 迷路となった
01:01:06満州において 日本の軍人から 受けていた
01:01:09明星しがたい 圧迫感が これで一掃され
01:01:13初めて 落ち着きを 得られた 心境だった
01:01:17不義の訪日の翌年 日本は 国策として
01:01:2710年間に500万人を 満州に移住させることを決定
01:01:31王道落土を夢みた 多くの日本人が
01:01:35満州に移り住んだ
01:01:37日満一帯の 政策が進められた
01:01:411937年4月
01:01:55不義の1歳下の弟 不潔が結婚する
01:01:59その相手は 日本の家族出身 佐賀博であった
01:02:03二人の縁談を取り持ったのは 帝室御用係の吉岡だった
01:02:14吉岡は 見合い写真を持って 日満両国を行き来し
01:02:19婚礼をまとめたのである
01:02:26この頃 満州国では
01:02:28後継ぎの問題が 最重要課題となっていた
01:02:31不義には 子供がなく
01:02:41妻遠行との間に 夫婦生活はなかったと言われている
01:02:46遠行は 重度のアヘン中毒で
01:02:50公の場に姿を見せることは ほとんどなかった
01:02:53次期皇帝が 誰になるのか
01:03:06それをめぐって 一つの密約が交わされていた
01:03:09不義と関東軍司令官との間で 極秘利に覚書が交わされていたのである
01:03:26覚書
01:03:27次期 皇徳皇帝に 男子亡き場合
01:03:34後継の継承は 関東軍司令官の同意を得て
01:03:40次のごとく定む
01:03:42一つ 皇徳皇帝と 帝皇との間に
01:03:52帝男子亡きこと 確実となりたる時は
01:03:57後継継承は
01:04:01後継継承は
01:04:04いつに 天皇の栄慮によりて
01:04:09これを 決定するものとす
01:04:20不義に男子が生まれない場合
01:04:23関東軍の同意を得た上
01:04:24昭和天皇が後継者を決定する というのである
01:04:32不義の跡継ぎはね
01:04:34昭和天皇が決めると 関東軍が不義に子供ができない
01:04:37ということを分かっているから
01:04:39そういう一条を入れさせたんですね
01:04:41関東軍の狙いというのは
01:04:43やっぱり日本と安心閣はヒロさんと
01:04:45それから弟の不潔の間にできたね
01:04:47この二人の間の子供 男の子
01:04:49これが昭和天皇のおぼし虫によってね
01:04:52これは次の満州国の第二大皇帝になると
01:04:54いうことを 監督が明らかに狙ってた
01:05:00不義は長い時間ためらった末
01:05:03この覚書に署名をした
01:05:051937年7月 日中戦争が勃発
01:05:25満州国は日本の広報支援を担うことになる
01:05:28日中戦争は 泥沼の長期戦となっていく
01:05:45その戦争の最中 神教の宮殿内に
01:05:48建国神廟が混流された
01:05:52そこに祀られたのは 天照大神神だった
01:05:562001年 建国神廟の大規模な調査が行われた
01:06:10現在 祖籍だけが残されている
01:06:13調査を行った 吉林省社会科学院の大文法研究
01:06:24なぜ 建国神廟が作られたのか
01:06:41なぜ 建国神廟が作られたのか
01:06:44それは 関東軍司令官 南次郎の
01:07:00不義への提案から始まっている
01:07:03国民の思想統一については
01:07:08建国 非なお浅い満州国においては
01:07:14特に心を痛さねばならぬと思います
01:07:18それについて考えていることは
01:07:21満州国にも 国家のため
01:07:24犠牲となった人々を祀る 社が必要と思います
01:07:29例えば 日本の靖国神社のようなものであります
01:07:33まことに結構であります
01:07:39この精神が 根本であります
01:07:481940年6月
01:07:51不義は 紀元2600年を祝うため
01:07:54二度目の来日を果たした
01:07:56昭和天皇に再会した不義は
01:08:04会見で こう語った
01:08:06今回は この機会において
01:08:10神宮神社五陵塔を 参拝する予定にてなお
01:08:15天照す大神を奉仕
01:08:18建国神廟を 創建したき念願であります
01:08:22不義は 天皇から賜った 太刀一振りと
01:08:30伊勢神宮でお祓いをした鏡を 満州に持ち帰った
01:08:34これを 天照す大神の御神体としたのである
01:08:38当時 陸軍省から 外務省幹部に送られた記録には
01:08:52御神体について 次のように記されている
01:08:59関東軍が実施に熱心で
01:09:01満州国皇帝陛下も 強いご希望があると伝えられている
01:09:14帰国した不義は 毎月2回
01:09:17高官を引き連れ 建国神廟に参拝した
01:09:21参拝は 1945年8月まで
01:09:25欠かすことなく続けられた
01:09:31建国神廟の参拝について
01:09:39関東軍は 日本の神官のような 服をデザインしました
01:09:45しかし不義は それに抵抗し
01:09:49遠回しに否定し こう述べたのです
01:09:52私が神官の服を着るのは 荘厳ではない
01:09:59私は軍服で 天照大神の神事をやりたい
01:10:05天皇のように 勲章をつけてやれば 良いではないかと
01:10:10このように不義は 自らの気持ちを 表したのです
01:10:25建国神廟を研究している 国学院大学 樋口秀美准教授
01:10:30不義の側にも 建国神廟を祀る理由があったと 考えている
01:10:38皇帝権力の強化ですね
01:10:41特に日本人に対して 権威を誇示するという
01:10:47満州国の関東軍や 日本人の管理に対して 皇帝権力を誇示する
01:10:55自分は天皇と同格だから 自分の言うことを聞きなさいという
01:11:01形で 権力を誇示していたんじゃないかと思います
01:11:05それが一番誇示したい相手というのは?
01:11:08関東軍司令部じゃないですかね
01:11:09軍人が天皇への忠誠心が 厚いというところを
01:11:16逆に利用するという
01:11:18そういう政治的な 賢明さというんですかね
01:11:21ある種のずるさを 不義は 持ち合わせていたんじゃないかなと思いますね
01:11:28しかし 天照大神を祀る 建国神廟の混流は
01:11:34神長の長い伝統とは 相入れないものだった
01:11:39天照大神を祀ることは 先祖を変えることを意味します
01:11:47この時 福壁の夢が消えたことを 不義ははっきりと認識したのです
01:11:56至近所を追われてから 不義が片時も忘れることのなかった
01:12:01福壁への思い
01:12:03それは 完全に費えたのである
01:12:091940年 定年を迎えた工藤忠は 区内府自衛所長を退任した
01:12:27福壁から送られた 直筆の書画を 工藤は大切に日本へ持ち帰っている
01:12:41時代は 太平洋戦争へ突入
01:12:49満州もまた その戦火に 巻き込まれていく
01:12:54不義に悲劇が訪れるのは 工藤が退任して 4年8ヶ月後のことだった
01:13:001945年 8月9日 午前0時
01:13:12ソビエトが 日本に戦線布告
01:13:16国境を接する満州にも ソビエト軍が侵攻する
01:13:20首都新疆にも その日のうちに 空襲警報が流れた
01:13:248月10日 関東軍は 新疆を捨て
01:13:40朝鮮国境近くに 政府を移転することを 不義に伝えた
01:13:44建国神僚の御神体は 厚いコンクリートに覆われた 地下神僚に収められていた
01:13:58そして 8月12日
01:14:17建国神僚に 火が放たれた
01:14:20御神体が持ち出され 不義は 宮殿を脱出する
01:14:24列車は 朝鮮の国境を目指していた
01:14:37王緑港を挟んだ 向こう岸は 日本の植民地 朝鮮だった
01:14:44朝鮮だった
01:14:53不義が到着した 国境の村 大律師
01:14:56放山会社の 社宅が 一向の住居となった
01:15:14臨時宮殿となった 鉱山事務所
01:15:31臨時宮殿となった 鉱山事務所
01:15:348月15日 正午
01:15:50不義は 昭和天皇の 玉音放送を聞く
01:15:53不義は 一目をはばからず 声を上げて 泣いた
01:16:13そして18日未明 不義は 満州国の大臣
01:16:29御用係の吉尾から 数人の日本人を前に
01:16:33大尉証書を 読み上げた
01:16:36人生で3度目の 皇帝大尉だった
01:16:40敗戦の日 東京にいた 工藤は 不義の身を案じていた
01:16:59工藤は かねてから 交流のあった 元総理 近江文丸と面会した
01:17:08この絵は 安心しなさい 皇帝は 今晩来る
01:17:14そう 工藤に告げた
01:17:208月19日 日本へ 亡命途中の 不義を乗せた 飛行機が
01:17:26宝天に到着する
01:17:31それから間もなく ソビエト軍が 飛来
01:17:34不義は 拘束される
01:17:36不義は 吉尾からとともに シベリアに連行された
01:17:53吉尾の娘 和子さんが 父と最後に会ったのは
01:17:568月12日のことだった
01:18:01私はね 男の子みたいで
01:18:05ずーししくて 一言も 言いませんでした
01:18:12でも 姉は 夢中になって
01:18:17これで最後よって 言った
01:18:20痛い
01:18:24じゃあ お姉さまは これで最後だってことを
01:18:27逆に お分かりになっていたんですかね
01:18:30もうね 多分ね だけど
01:18:34私は 何が起こるか 分からないけれど
01:18:38あるいは 死ぬことも 平気でした
01:18:51やっぱり 後ろに父は 最後まで
01:18:56フィギさんを 助けることが あったと思います
01:19:11そう言ったはずでしょうね 多分ね
01:19:14吉岡康直は ソビエトに対する スパイ活動を行った容疑で
01:19:23逮捕・拘留される
01:19:272年後 拘留先の モスクワで病死
01:19:34吉岡にスパイ活動がなかったことが 明らかにされたのは
01:19:381991年のことだった
01:19:50終戦の翌年
01:19:521946年8月
01:19:55フギは 東京裁判に
01:19:58連合国側の証人として 出庭した
01:20:00出庭した
01:20:18当時 フギは ソ連に 浮流されていますね
01:20:23それで ソ連から シビリアから 連れ出されて 東京まで来るわけですね
01:20:27その時 様々な 要するに 監視があるわけですよ
01:20:31それから いろんな 話を 聞いてみますと
01:20:35いろんな人が 話を聞いていると
01:20:37フギは 性格的に 非常に弱いんですよ
01:20:39弱い
01:20:41中で やっぱり 自分の立場を 弁護するようなことをね
01:20:43徹底的に 喋ろうと思って
01:20:45吉岡にも 罪をなすりしたし
01:20:47やっぱり 日本軍国主義についてはね
01:20:49やっぱり 罪をなすりした
01:20:50不義が 承認台に立った時
01:20:55傍聴席には 工藤忠がいた
01:20:58東京裁判に際しては
01:21:01是非 個人的に お目にかかろうとしたが
01:21:05許されなかった
01:21:07よって 私は 某新聞社 臨時記者として 法廷に出かけ
01:21:12工藤に出かけ
01:21:13できるだけ 工藤の身近に 接しようと努めた
01:21:18工藤の額には 一筋の髪の毛が乱れ
01:21:24養殖は げっそりと 衰えていた
01:21:27私は つと胸が迫ってきて
01:21:31顔を上げることが できなかった
01:21:33裁判を起きて 聞いてから
01:21:39開発部の 銀河に 回っておった
01:21:42そしたら 島へ出てきた
01:21:44僕との びっくりして
01:21:47僕も びっくりした 昨日ね
01:21:49俺は もう 常々な 相手だった
01:21:52企業的な相手だったんですよ
01:21:54そうして いくつ 自動車に乗ってから
01:21:56でも いくと 空白もいて
01:21:59僕も 出たな
01:22:00で 僕は ここだけだくせやって
01:22:02で それやった 無言の若い人たちがね
01:22:05それ以来 その とうとう 反応されていく
01:22:13フギとともに歩んで 30年
01:22:17工藤は 中国に生きた 自らの反省を
01:22:21見つめ直していく
01:22:221965年6月
01:22:31工藤は 台湾を訪問
01:22:34そこで かつての 国民政府の 要人に遭い
01:22:38自らも関わった 戦争の悲劇を
01:22:41謝罪したという
01:22:46工藤は アジア主義という
01:22:48そういう信念を 持っているわけですが
01:22:51アジア主義は 日本の多くの アジア主義者が言うように
01:22:55日本的国が中心で 日本的国が
01:22:58様々な形で 動いていくという
01:23:01そういうことではなくて
01:23:03例えば 中国の動きについて言えば
01:23:06中国の人々が
01:23:08その 国内を 改革していく
01:23:11それを 日本は 後援し 支援すべきだという
01:23:14そういう考え方を 思っていたわけです
01:23:18その意味で
01:23:20軍部に 手を貸したということは
01:23:22直接 手を出すことに
01:23:25加担したということになるわけですね
01:23:28工藤はですね
01:23:30戦後も 何て言いますか
01:23:33晩年 最晩年まで
01:23:36この結果 アジアの人々に
01:23:39異様な 苦しみを与えたと
01:23:41それに自分が 加担したという思いは
01:23:44強かったんだと思いますね
01:23:48台湾訪問の後
01:23:50工藤は 北京にいた不義に 会いに行く予定だった
01:23:54しかし その年の暮れ
01:23:57工藤は83歳で 亡くなった
01:24:00東京裁判の後
01:24:13ソビエトの収容所に 拘留されていた不義は
01:24:171950年
01:24:19建国間もない 中国の政府に 引き渡される
01:24:2210年間の 収容所生活で
01:24:28不義は 満州国時代の 自らの行為を
01:24:32厳しく問われることになった
01:24:351967年
01:24:43不義は 一市民として
01:24:47波乱に富んだ 61年の生涯を 閉じた
01:24:52今年10月 新豪町の末裔が 一堂に会した 満州族の集い
01:25:09大族の流れを 組む彼らは 文化大革命の時代 厳しい批判を受け
01:25:23息を潜めるようにして 生きてきた
01:25:26渡江と同時代 親近い父子の文化にも 生きてきた
01:25:27なあ 満姨 渡姨のような顔 宝姨は
01:25:28渡姨は あなたは 天下の名のを ええん
01:25:29渡姨は 私は 満姨を 塗料しする
01:25:44私は 満州国内の開発になる
01:25:46会の最後に
01:26:14主催者で不義をおじに持つ
01:26:16愛心角良育章さんが
01:26:18こう締めくくった
01:26:44そのための人生が
01:26:48とても嬉しいです
01:26:50私が今世民委員で申し上げます
01:26:53ぜひとても嬉しいです
01:26:56そして国家の発展によりも新旺を発達することができる
01:27:03ご自身健康健康長寿
01:27:07どうもありがとうございました
01:27:10西洋柿は1、2、3
01:27:13西洋柿
01:27:15素材とても
01:27:17ご自身健康健康長寿
01:27:20素材とても嬉しい
01:27:22北京郊外にある新潮の歴代皇帝が眠る広大な領土
01:27:48連日多くの観光客が訪れる
01:27:52その隣にある民間の墓地
01:28:01そこにフギは眠っている
01:28:07侵害革命から100年
01:28:12ラストエンペラーフギの激動の人生は
01:28:15日本と中国の間に起きた
01:28:18消すことのできない歴史の断面を
01:28:21今も問い続けている
01:28:25さようなら
01:28:30途中によ Là
01:28:40に対策することにある
01:28:43だぬきな
01:28:43復旧生の下
01:28:46ご視聴ありがとうございました
コメント

お勧め