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ニューストランスクリプション
00:00アメリカの第41代大統領 ジョージ・H・W・ブッシュ氏が94歳でよう去りました
00:30ブッシュ氏が大統領に就任したのは1989年です
00:42その2年後アメリカは多国籍軍を組織して 冷戦を初となる大規模な戦争に突入
00:51万岸戦争です
00:53この時日本は莫大な資金援助を行いました
00:5990億ドルの新たな追加支援を
01:04どこが戦争が終わり戦場となった国 クエイトが出した感謝広告には
01:11なぜか日本の名前はなかったのです
01:141990年8月 突如クエイトに侵攻したイラク
01:27油田の領有権などを巡る対立が原因でした
01:31アメリカはすかさず対応し 砂漠の盾作戦を展開
01:40イラクとクエイトに国境を接する サウジアラビアに軍を集結させました
01:52この国も続々と合流 アメリカを中心とした多国籍軍が
01:56臨戦態勢に入ります
02:00日本にもアメリカから 輸送や補給などの要請がありました
02:06けれど憲法上の制約から 応じることができなかったのです
02:10その代わり
02:1510億米ドルの協力を
02:1910億ドルの資金協力を決めたのは イラクのクエイト侵攻1ヶ月後でした
02:28しかしこれは
02:30トゥーリトル トゥーレイト
02:32少なすぎる 遅すぎると
02:35アメリカの激しい批判にさらされます
02:38日本政府の行動は
02:41世界の軽蔑とアメリカの敵意を 買う以外の何物でもない
02:46この時代に日本政府は 周辺国への援助を含め
02:5130億ドルの追加を決定
02:53最初の支援決定から わずか2週間後のことでした
02:571991年1月
03:06ついにイラクに対する 多国籍軍の攻撃が開始されます
03:12こうして始まった湾岸戦争
03:25砂漠の嵐と名付けられた作戦で
03:28サウジアラビアの空軍基地や ペルシャバンの空母などから
03:33イラク国内の軍事拠点に 大規模空爆が行われました
03:40日本はさらなる資金協力を求められます
03:44海戦から間もなく 多国籍軍に90億ドルを追加支援
03:49これまでと合わせて 総額130億ドル
03:56当時の日本円で およそ1兆7千億円が 増税など財源に賄われました
04:04それでもアメリカは不満だったと 地日派で知られる
04:08アーミ提示元国務副長官は言います
04:131991年のアメリカ政府は 日本を単なる貯金箱としか考えていませんでした
04:212月多国籍軍は大規模な地上戦に突入 イラクを攻撃しました
04:31そして海戦から1ヶ月余りで クエイトを解放
04:40湾岸戦争は終結します
04:43それから11日後
04:46アメリカの新聞に こんな全面広告が掲載されました
04:52アメリカ そして世界の国々に感謝します
04:57解放されたクエイトによる感謝広告です 紙面には清浄機を中心に11カ国の国旗と30の国名しかしそこに日本の名はなかったのです
05:17アメリカの日本大使館には衝撃が走りました日本の名前ないじゃないかとおかしいって言ってクエイト大使館に抗議をしたとこの出来事が日本を変貌させることになるのです
05:35湾岸戦争で1兆7000億円もの支援をした日本の名がなぜ感謝広告に乗らなかったのか
05:47元サウジアラビア大使の尾田隆氏は当時広告を出したクエイト政府関係者に事の敬意を尋ねています
05:59ワシントンによるクエイトの大使館の人たちが多国籍軍はどういう国だということをアメリカに聞いてアメリカがこういう国だというものをそのまま右から左へ出しちゃったんだと
06:09しかし広告には日本同様資金援助のみだったドイツの名があります
06:20尾田氏は日本がリストから漏れたのは戦後の混乱が招いたミスではないかと指摘します
06:27相談するなんて余裕なかったんでしょうね右から左すっとこううっかりミスですね
06:32けれど日本ではこの出来事をきっかけに資金面だけでなく人的貢献もという声が高まりました
06:43海風内閣で官房副長官を務めた石原信夫氏は言います
06:51やはり人的貢献というのは目に見える形であるとしないとね
06:56なかなか国際社会は評価してくれないんですよ
07:01そして1991年4月
07:07これは武力の行使ではありません
07:09したがって憲法の禁止するものではないのであります
07:13政府はペルシャワンの嫌いを除去するため自衛隊の総改定派遣を決定します
07:21自衛隊初の海外派遣
07:24それはあの会社広告から一月後のことだったのです
07:29ご視聴ありがとうございました
07:37ありがとうございました