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  • 6 時間前
その時、歴史が動いた 石橋湛山 冷戦の壁を破ろうとした男 世界平和へ願い の2007.7.4

カテゴリ

📚
教育
トランスクリプション
00:04日本が帝国主義を掲げアジアに進出していた大正時
00:09
00:10そして昭和の始まり
00:16この帝国主義に完全と異論を唱えた一人の男がいました
00:22当時経済ジャーナリストだった石橋炭山です
00:29平和を志向する炭山は日本が帝国主義を捨てるよう
00:33訴えます
00:36アジアの植民地を維持することは経済的にも日本の
00:41負担になる
00:42炭山はひたすら記事を書き続けました
00:49その炭山の下についに国家から弾圧の手が伸びて
00:53きます
00:55しかし炭山は主張を曲げませんでした
01:03そして終戦
01:05帝国主義が終わりを告げ平和が訪れたかに見え
01:10ました
01:16ところが今度はアメリカとソ連を中心に東西冷戦が
01:20始まります
01:22しかも核開発競争も加熱
01:25世界そして日本も核の脅威にさらされるようになったのです
01:34戦後政治家に転身した炭山は
01:37冷戦構造に風穴を開けることを決意します
01:44炭山は自民党総裁選に出馬
01:47アメリカとの関係を重視する岸信介を破ります
01:52そして内閣総理大臣に就任します
01:57アメリカの言うことばかりで日本に押し付けてくる
02:00ようなことをされたら困らしい
02:02これ日本のためばかりでない世界平和全体のために非常に必
02:05要なことだと思うか
02:09ところが炭山を病魔が襲います
02:16炭山は在任わずか65日で辞任に追い込まれました
02:22もはや冷戦を打ち破ることは叶わないのか
02:32しかし時代は炭山の放っては起きませんでした
02:37台湾を巡ってアメリカと中国の関係が悪化し
02:40一触即発の事態に陥ったのです
02:48自分は病の体を犠牲にしても平和を維持する努力
02:53をしたり
02:57炭山は日本と国交のなかった共産権中国を訪問し
03:03日本が独自のパイプを築くことで冷戦構造を打ち
03:07破ろうとしました
03:11その時歴史が動いた
03:17今日は戦前戦後を通じて世界平和を求めて戦い続けた
03:22
03:24石橋炭山の生涯に迫ります
03:41こんばんは皆さん松平です
03:44その時歴史が動いた
03:45今日の主人公はこの人です
03:47総理大臣西橋炭山
03:50今の安倍総理のお母さんのお父さん
03:53岸信介
03:54いわゆる60年安保の時の総理大臣ですけども
03:57その直前の総理がこの石橋炭山でありました
04:00今の民主党の幹事長の鳩山幸男氏のおじいさん
04:05鳩山一郎が退陣する時にですね
04:08その後の自民党総裁を誰にするかという総裁選挙で
04:11この石橋炭山は岸信介に勝っているんですね
04:14勝って総理大臣になったわけですけれども
04:17病に倒れて65日で退陣してしまう
04:20その後に出てきたのが岸内閣という
04:21こういう流れでございますが
04:23今日のその時は昭和34年
04:261959年の9月17日といたしました
04:29この日はその石橋炭山がですね
04:32病をして中国に
04:34まだここなかったんですけども
04:36渡ってですね
04:37その中国の周恩来首相と
04:42日中米蘇平和同盟構想を提示したという
04:47この瞬間でございました
04:49石橋炭山は戦前は日本の帝国主義と戦ってまいりました
04:53そして戦後は東西冷戦構造と戦ってきた
04:59この日中米蘇平和同盟構想というのは
05:03後のですね日中国交回復
05:06あるいは東西冷戦構想の終弁につながっていくわけで
05:13ございますけれども
05:13今日はまずですねこの石橋炭山が
05:16戦前にこの日本の帝国主義といかに戦っていったのか
05:22というところから
05:31大正3年
05:33ヨーロッパを舞台に帝国主義の利害が衝突して
05:36第一次世界大戦が勃発します
05:42日本はこの混乱に乗じて大陸へ勢力を広げようとします
05:49早急に植民地を拡大することで
05:52欧米列強に対抗しようと考えていたのです
06:00世論もこうした政策を支持しました
06:04世界の一等国に仲間入りしたことに
06:07日本全体が熱狂していたのです
06:13そんな中
06:15日本の大陸進出を冷ややかに見つめていた
06:19一人の男がいました
06:21経済史東洋経済新報の記者
06:24石橋炭山です
06:31炭山は大日本主義の幻想と題したキャンペーン記事を
06:36書きます
06:38全ての植民地を一切捨てる覚悟をせよ
06:45炭山はその理屈として経済的な分析を持ち出しています
06:52炭山の主張はこうです
06:55当時日本とアジアの植民地との貿易額は
06:59およそ9億円
07:03一方日本とアメリカイギリスとの貿易額は
07:06その倍の18億円です
07:10日本が帝国主義を続けてアメリカイギリスと衝突
07:13すれば
07:14その18億円が犠牲になると試算して
07:18平和的な貿易立国を目指すべきだと説いたのです
07:22これは当時誰も思いつかなかった主張でした
07:31炭山が若い頃から集めた本が今も残されています
07:36炭山は当時珍しかった経済学の現象を書き込み
07:40むさぼるように読み漁りました
07:45そしてまだ日本ではほとんど知られていなかった
07:48ケインズの理論にも接し
07:50経済を通じて世界情勢を見る目を養っていました
08:00そんな中で炭山は
08:02国と国とのあるべき関係をこう考えるに至ります
08:07礼節を守らなければならぬというは
08:10決して個人間のみのことではない
08:14国と国との関係においても
08:17またこれと同様の態度を取らなければ
08:20各国民の生活は永遠に幸福なるを得ない
08:33しかし事態は
08:34炭山が訴えたのとは逆の方向に進んでいきます
08:40昭和6年満州事変が起こります
08:47軍部の主導によって
08:49日本は本格的に大陸進出を推し進めていったのです
08:56この政策は世界各国から強い批判を浴びます
09:02日本は国際連盟を脱退
09:05世界から孤立していきました
09:12炭山は危機感を募らせます
09:16そして
09:17ただ一人でも日本と欧米の橋渡しをしようと決意します
09:26昭和9年
09:27東洋経済新報の英字版
09:29オリエンタルエコノミストを創刊
09:33イギリスやアメリカで発行して
09:35日本の政策は決して国民の総意ではないと世界に訴えました
09:44私たちは
09:46あなたたちと友好関係を取り戻すべきだと考えて
09:50います
09:53そして東洋に平和と繁栄をもたらしたいのです
10:05しかしこうした国の政策を批判する言論活動に
10:09政府や軍部から厳しい目が向けられていきます
10:18昭和17年には記者や編集者たちが逮捕され
10:22拷問の末4人が獄死するという事件が起こりました
10:32東洋経済への検閲も厳しさを増します
10:36憲兵から直接編集者に圧力が加えられるようになっていきました
10:43紙やインクの配給も大幅に減らされてしまいます
10:54それでもタンザンはペンを折ることはしませんでした
11:01私は自分の正しいと信ずる主張のために
11:05今後いかなる艱難が身の上に降りかかってこようと
11:08
11:09甘んじて受けるつもりだ
11:13両親に外ることを書き
11:16国のためにならぬことを書かねばならぬくらいなら
11:20雑誌をやめた方が良い
11:28天の力を信じ抵抗を続けるタンザン
11:32ところが悲しい知らせがもたらされます
11:37召集された息子が南洋の島で戦死したというのです
11:46タンザンは日記に思いをこう刻みました
11:53汝が潮場
11:55父が変わりて国のために生かさん
12:07昭和20年8月15日
12:10終戦
12:18人々の間には深い喪失感が広がっていました
12:28しかしタンザンは違いました
12:31終戦後すぐに発行した特集記事にこう書き記します
12:47今こそ日本は平和的な貿易立国として羽ばたくこと
12:52ができると
12:53タンザンは宣言したのです
12:58それはタンザンが日中米ソ平和同盟を提唱する
13:0414年前のことでした
13:12ゲストのご紹介です
13:13東洋英和女学院大学教授の増田博さんでいらっ
13:15しゃいます
13:15どうぞよろしくお願いいたします
13:18増田さんは外交使がご専門でいらっしゃいますが
13:20はじめにタンザンの反骨精神
13:23さらに解明的な思想
13:25これはどこから来ているのでしょうか
13:27タンザンはですね10歳の時に父親の親友のお寺に
13:32預けられまして
13:33厳しい修行を積むんですね
13:35その結果として非常に自律心の強い
13:39諸子貫徹する精神力をですね
13:43養うことになります
13:45それから青年時代にですね
13:48民主主義の思想を
13:51収めていたということでありまして
13:54それが特異な言論の根底になっていったわけです
13:58それにしてもですね
13:59あの時代状況の中でですね
14:02その書士を鑑定する
14:03主張するとこれ大変なことだぞね
14:05大変なことだったと思います
14:07しかし政府内部にも
14:09石橋炭山の経済合理主義を評価する声が
14:12だんだん広がっていくんですね
14:15昭和19年にですね
14:17炭山は大倉省内にですね
14:20戦時経済特別調査委員会という組織の形成を
14:24働きかけるんですね
14:26その中で炭山はですね
14:28戦後の自由貿易体制というものは復活するだろう
14:31となれば日本は貿易立国として
14:35発展できるということを断言するわけですね
14:41石橋炭山は終戦を迎えます
14:44多くの日本人がこの終戦で
14:47がっくりこの首を肩を落としている
14:50肖然としているそのさなかに
14:52彼は日本の善とは用々たりというふうに宣言をいたします
14:57しかしその戦後日本の中で
14:59しかし彼は新たな敵と戦うことになるのでございます
15:08戦慮下の日本では
15:10連合国軍総司令部GHQの指導の下
15:13民主化が強力に推し進められていました
15:22昭和21年5月
15:24吉田茂が内閣総理大臣に就任
15:27これが炭山の運命を大きく変えます
15:31吉田は炭山を大倉大臣に抜擢したのです
15:40大倉大臣に就任すると炭山は
15:43経済復興のため
15:44これまで誰もが手をつけられなかった
15:47正義機にメスを入れます
15:49それは
15:51新中軍の経費削減です
15:58新中軍の処刑費は一種の賠償とみなされ
16:01日本政府が負担していました
16:05兵士やその家族のための豪華な住宅や
16:08ゴルフ場の建設費
16:11さらには様々な贅沢品の費用も含まれていました
16:20例えば商工は
16:21注文すればいつでも金魚や豪華な花束を
16:25届けさせることができました
16:29こうした経費は
16:31国家予算の実に3分の1を占めていました
16:38貧困にあえぐ日本人の生活を
16:40さらに圧迫していたのです
16:48タンザンはこの経費を削減するよう
16:51GHQに真っ向から要求しました
16:56GHQはこの問題が大きくなり
16:59占領政策が内外から批判されることを懸念しました
17:05ついにGHQは経費の2割削減に同意します
17:16GHQの言いなりにはならない強気なタンザン
17:21そんな彼を国民は親しみを込めて
17:24豪華な新造大臣と呼ぶようになりました
17:35ところが昭和22年5月
17:38タンザンは突如GHQから
17:40公職追放に追い込まれます
17:54タンザンが公職を退いている間に
17:57世界は大きく動きます
18:02昭和25年6月
18:03朝鮮戦争が勃発します
18:07自由主義陣営と共産主義陣営が
18:09朝鮮半島を舞台に衝突
18:13東西冷戦がエスカレートしていったのです
18:19第二次大戦後
18:21ソ連を名手とする東側の共産主義陣営と
18:24アメリカを中心とする西側の自由主義陣営の対立
18:28
18:28世界を二分していました
18:32そうした中
18:33アジアでは中国で共産党政権が成立
18:37アメリカは危機感を募らせます
18:44そこでアメリカは日本に共産主義の防波堤の役
18:49割を負わせました
18:54そして昭和26年
18:56日本は西側の一員として独立を果たします
19:07この年
19:07タンザンは公職追放を解除され
19:104年ぶりに再び政治の世界へ復帰しました
19:21その頃
19:21米戦は米ソの核開発競争によって緊迫の度を深
19:26めていました
19:29昭和27年11月
19:32アメリカは水爆実験を実施
19:40明る年
19:42ソ連もアメリカに対抗して水爆の実験を行います
19:50そして日本は
19:53核の脅威にさらされました
19:57昭和29年3月
19:59第5福龍丸が太平洋ビキニ干渉で行われた
20:03アメリカの水爆実験によって被爆したのです
20:12東西の果てしない軍閣競争を前に
20:14タンザンは第3次世界大戦の危機をも感じていました
20:26互いに猛烈に原爆水爆を用いる結果は
20:31放射能が光線国ばかりでなく全世界に飛散しみな
20:37ぎり
20:38実に悲惨な状態を呈するであろう
20:42こうなってはもう人類はおしまいである
20:50タンザンは冷戦構造に風穴を開けることを
20:54自らの政治的使命にします
21:02昭和29年12月
21:05タンザンは鳩山内閣で通産大臣に就任すると
21:09経済を足掛かりとしたアジア外交に着手しました
21:18日本は西側陣営の台湾中華民国とすでに国交を
21:23結んでいましたが
21:24東側陣営の中国・中華人民共和国とは国交がありません
21:29でした
21:33そんな中タンザンは中国と民間貿易協定を結ぶことを
21:38後押しします
21:43協定には双方に通商代表部を設置することや
21:47日本一の開催などが盛り込まれました
21:52タンザンはこうした絆から
21:55共産権・中国との国交回復へつなげていきたいと考
21:59えていたのです
22:06しかしアメリカが猛反発します
22:12ダレス国務長官は日本政府に伝えました
22:17中国・ソ連との通商関係促進は
22:21アメリカ政府の対日援助計画に支障をきたす
22:33アメリカの強硬な姿勢を前に
22:35鳩山総理は動揺します
22:40しかしタンザンはこう言い放ちました
22:45アメリカの意向は
22:48無視しましょう
22:54タンザンはアメリカからの横槍にひるむことなく
22:58さらに日中輸出入組合の結成を支援
23:02中国との貿易は軌道に乗り始めました
23:11ところがあくる年
23:13鳩山内閣は退陣します
23:20その後継者として急浮上したのは
23:24アメリカとの関係を重視する
23:26岸井信介でした
23:34これに対して東西冷戦の終結を目指すタンザンは
23:38アメリカ一変党ではなく
23:40共産権とも関係改善することを訴え
23:44自民党総裁選に出馬します
23:47時にタンザン72歳
23:54党大会は予定通り幕が開いて
23:56注目の総裁候選となり
23:59上位の岸さん石橋さんの間に
24:01決選投票が行われました
24:04その結果258対251
24:08わずか7票の差で石橋さんが岸さんを抑えて
24:11新総裁に決定しました
24:17内閣総理大臣となったタンザンは
24:20イデオロギーを超えた外交方針を
24:23すぐさま打ち出します
24:26これ結局日本が中共との貿易を
24:30あらゆると進めると
24:32いうようなことはですね
24:33東洋の安定をもたらす縁であるし
24:37これは日本のためばかりでない
24:38世界平和全体のために非常に
24:40必要なことだと思うから
24:41それでアメリカの政策も
24:43それにマッチするようにしてくれないと
24:45アメリカの言うことばかりでですね
24:46日本に押し付けてくるようなことを
24:48されたら困るし
24:53石橋内閣誕生の方に接した
24:55アメリカ政府の反応を伝える
24:57秘密報告書が残っています
25:03アメリカは
25:05岸に大きな期待をかけていた
25:11石橋の総理大臣就任に
25:13疑いなく狼狽している
25:26戦後の日米関係を研究している
25:28アリゾナ大学のマイケル・シャラー教授は
25:32石橋政権の誕生は
25:34アメリカ政府にとって
25:35最悪の事態だったと指摘しています
26:06タンザンは
26:07日本の総理大臣として
26:09冷戦構造を突き崩す大事業に
26:12挑もうとします
26:14それは
26:15炭山が
26:16日中米ソ平和同盟を提唱する
26:193年前のことでした
26:26戦前は経済ジャーナリストとして
26:30日本の帝国主義と戦った石橋炭山
26:33戦後は東西冷戦構造と戦いました
26:37西側の自由主義陣営と
26:39それから東側の共産主義陣営
26:42その陣営が戦う
26:43このことは戦前の日本の帝国主義と何ら変わるところは
26:48ないんだというふうに平和を施行する石橋炭山の目には映
26:52ったのでございます
26:55東西冷戦構造の中での核開発競争に危惧を抱いた
27:00石橋炭山は
27:01総理大臣として自らその冷戦構造の打破を目指しました
27:05しかしその彼に思わぬ事態が襲いかかるのでございます
27:10そしてそれを乗り越えて
27:11いよいよ今日のその時を迎えるのでございます
27:20昭和32年1月
27:21炭山は全国遊説に乗り出します
27:25炭山は各地で国民に直接対中貿易の拡大など
27:30独自の外交方針を訴えました
27:35遊説は北海道から九州まで
27:3710日足らずで9カ所を回るという強行軍で続けら
27:41れました
27:47そして
27:49遊説から戻った直後の1月25日朝のことです
28:01炭山は突如洗面所で倒れました
28:09脳梗塞でした
28:15炭山倒れるとのニュースに日本中に衝撃が走りました
28:20医師団は2ヶ月の安静を要すると診断しました
28:28ようやく冷戦構造の打破に取り組もうとした矢先の
28:32病魔
28:33しかし炭山はこの医師団の診断を
28:37総理大臣として重く受け止めました
28:45聖露家国際病院の日野原重明さんは
28:48当時炭山の治療に当たっていた医師団の一人です
28:55師匠になったらね
28:56なんとかね
28:58これはね代行してもらってというような気持ちが大事もあるの
29:02にね
29:03勇気の中にね
29:05知りぞくって言って
29:07読んで
29:08将来のことを読んで知りぞくっていう
29:11あの勇気の方が大きな勇気
29:17炭山は声明を発表しました
29:22私の政治的良心に従います
29:28在任期間65日
29:30炭山は志半ばで総理大臣を辞任しました
29:41炭山が退陣した後
29:42政権の座についたのは岸信介でした
29:49岸は炭山が推し進めた政策を転換
29:53アメリカ寄りの姿勢を示し
29:55共産党政権の中国を認めない方針を打ち出します
30:04中国はこの岸政権の姿勢に反発しました
30:11昭和33年5月
30:13炭山が築いてきた日中の貿易関係は斬絶します
30:24その直後
30:25アメリカと中国の関係がにわかに緊迫します
30:32中国軍が台湾の勢力下にあった金門島に対して
30:36武力行使に及んだのです
30:42台湾を支援するアメリカは第7艦隊を図
30:45米中関係は一触即発の事態に陥りました
30:56心配で夜も眠れない
31:01自分は病態を犠牲にしても
31:04平和を維持する努力をしたい
31:09炭山は麻痺が残る体に鞭打って
31:13中国を訪問することを決意します
31:21そして自ら直接周恩来首相に
31:24アメリカとの緊張感は
31:25冷戦構造からの脱却を訴えようとしたのです
31:33しかし岸政権は
31:35アメリカと対立する中国を訪問する以上
31:39たとえ前の総理大臣であっても
31:42政府は無関係であるとの姿勢を崩しませんでした
31:52昭和34年9月7日の羽田空港
31:57放中する炭山の前に
31:593000人以上の人々が押し寄せました
32:05放中を支持する者
32:07反対する者
32:09双方が入り乱れ
32:10騒然とした中での出発でした
32:17炭山は出発の直前こう語っています
32:22世界を起こすに足る大いなる仕事であります
32:25しっかりそれだけにまた一度や二度の訪問で
32:30かさづくような簡単な問題ではありません
32:33今後一層のご支援を委託
32:35ここにご安心申し上げます
32:439月12日北京
32:47炭山たちが滞在するホテルで最初の交渉が始ま
32:50りました
32:53しかし目的である周恩来首相との会談は
32:58すぐには実現しませんでした
33:03会談の相手は対日交渉の代表
33:06梁翔氏でした
33:11梁は吉政権が中国敵視政策を取っているとして厳しく非
33:17
33:18その修正を強行に求めました
33:24炭山は中国側の主張に理解を示しながらも
33:29まずは互いの政治的な立場を尊重するよう求めました
33:36ところが中国側は納得しません
33:44炭山はこう漏らしました
33:47中国側の岸内閣とアメリカに対する憎悪は全く凄
33:53まじ
33:55これでは容易に日中打開の糸口はつかめない
34:04包着した話し合いは
34:05炭山と周恩来との直接会談に持ち越されました
34:16そしてその時
34:19昭和34年1959年9月17日
34:24炭山は周恩来との会談の中で
34:27これまで誰にも漏らさず温めていた構想を示しました
34:36それは日中米蘇平和同盟というプランでした
34:44冷戦を終わらせ世界平和を実現するために
34:49日中米中など2国間では解決困難な問題を
34:544カ国の枠組みで話し合おうと
34:56周恩来に提言したのです
35:02炭山は日本が
35:05米中ソの架け橋の役割を果たしたいと訴えました
35:11この炭山からの申し出は
35:13周恩来にとっても一向に値するものでした
35:17まだ国連の代表権を持たなかった中国共産党政権にと
35:21って
35:21国際社会への足掛かりとなるものだったのです
35:28周恩来は炭山の提案に同意
35:31ついに台湾への武力行使をしないと伝えました
35:40炭山と周恩来は共同声明を発表します
35:46日本と中国は
35:48両国民が手を携えて
35:52極東と世界の平和に貢献すべきである
36:03炭山はイデオロギーを超えて
36:06中国と平和的な関係を築くことに成功したのです
36:17翌年
36:19断絶していた日中貿易は再開
36:22民間レベルでの交流も盛んになりました
36:29中国はやがて東西の枠組みを超えて
36:33国際社会の一員として迎えられます
36:40風にあげられました
36:41A Subaru me following
36:41調べて was hat
36:43経ってなりました
36:45オニャでイデオロジア
36:46二人用は全てなし
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37:02亨に日本
37:03プランカあります日本
37:05
37:15タンザンが訪中してから13年後の昭和47年
37:20日本と中国との国交が正式に回復しました
37:31冷戦構造を打ち破りたいというタンザンの悲願は
37:35その第一歩を実現したのです
37:44松田さんは今日のその時をどうお捉えになりますか
37:48あの当時世界の中で冷戦構造を打破するといったような
37:54考え方を持つ政治家というのはほとんどいなかったと思うんですね
37:58しかもタンザンは自民党内の反対をあえて押し切
38:01って訪中したと
38:04その結果として石橋とシオンライとの信頼関係ができる
38:09それが後の日中国交正常化の礎になったということが言えると思います
38:15今日のその時はどう歴史を動かしたというふうにお考えでしょう
38:19
38:20タンザンの法中から12年後にニクションショックが起
38:24こるわけですね
38:25米中接近です
38:26そして中国の国連加盟も実現いたします
38:31つまり冷戦構造は絶対的なものではないという
38:34タンザンの先見性
38:36洞察力を示していると私は思います
38:40冷戦の終結からもう18年経過するわけですけれども
38:46日本も世界もまだポスト冷戦のですね
38:50新しい国際的な枠組みづくりに苦労しているように思います
38:55私は改めてこういう流動的な時こそですね
38:59石橋タンザンの思想を見つめ直す
39:02そういう意義があるのではないかと私は思います
39:06ありがとうございました
39:09石橋タンザンが提唱した日中米ソ平和同盟構想
39:15これがその後の世界にどう生かされたのか生かされなかった
39:19のか
39:19そしてその中で石橋タンザンがどう生きそして死んでいったの
39:23
39:23石橋タンザンが残した言葉などをご紹介しなが
39:26
39:26今夜はお別れしたいと思います
39:28今夜もご覧いただきありがとうございました
39:35昭和48年4月25日
39:39日中国交回復を見届けたタンザンは
39:42波乱万丈の生涯を閉じます
39:46去年88
39:52葬儀には党派イデオロギー国境を越えて
39:57様々な立場の人々が参列
40:00タンザンを忍びました
40:10それから16年を経た1989年
40:14ベルリンの壁は崩壊し
40:16タンザンの願った冷戦の終結が実現しました
40:27そして今
40:29中国は日本にとって最大の貿易相手国となっています
40:41日本、アメリカ、中国3カ国の貿易高は
40:45世界の2割を占め
40:48それぞれの政治体制の違いを乗り越えて
40:51経済的に切り離すことができない
40:53密接な関係が築かれています
41:04国と国とがいかにあるべきか
41:08タンザンの万年の言葉です
41:14私はかねてから
41:16人生の中はただ理屈だけでは解決できぬと考えていた
41:23理屈は我と彼とを疎閣し
41:29同情は我と彼とを融合する大切な要件である
41:36相手の立場に立って
41:38物事を考えてみるということである
41:44これは
41:45国と国との付き合いでも
41:48例外ではない
42:18ご視聴ありがとうございました
42:20ご視聴ありがとうございました
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