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00:03スキをもっと自由にBS1212
00:09皆さんにとって昭和はどんな時代でしたか
00:16この番組は昭和の思い出のアイテムや昭和の思い出の場所
00:20昭和の思い出の人を振り返り
00:27古き良き昭和という時代を記憶とともに再生させる番組です
00:38船越英一郎の昭和再生ファクトリーこんばんは
00:42船越英一郎です坂田真凛です真凛ちゃん
00:43今回はですね 昭和の一大ムーブメントフォークソングの特集でございます真凛ちゃん
00:53昭和のフォークというと何が思い浮かびますかそうですね
00:56やっぱり一番最初に浮かぶのは神田川とか
01:12あとは学生街の喫茶店ガロン大好きな曲ですね普通なところに行きますねガロンまで行きます1960年代の後半から70年代にかけてフォークが大ヒットして
01:13僕もすごく楽しみでございます
01:16元かぐや姫 山田パンダさんが思い出の地を巡り昭和のフォークソングブームを再生
01:22昭和のフォークソングブームを再生
01:35さらに吉田拓郎さんと飲み明かした2人のたまり場へ
01:36拓郎が珍しくね ニコニコ笑ってパンダ
01:42これやるよって言って拓郎さん
01:50ごめんなこれあん時泣くなってなんかどうしちゃったんだろうって拓郎さんは知らない知らない
01:55今やっとカミングアウって言った甲子園に行けるのはさぞかし辛かろうの
02:02?みたいなハガキが届いた悔しくてねそういうことから心模様の大ヒットなんだろうね
02:09僕の髪が 肩まで伸びて復活するんですよ
02:11拓郎さんへえ 楽しみですねそうでも大阪とながらですかね大阪コーラー町の境界で
02:33カワーラー来たいよすぐだよそうなんですか実は森瀬正雄さんってハグナシのお一人ですそう
02:34あっ カサコシさんって楽しい探し物は何ですか見つけにくいものですかカバン知ってるんですよ大阪の中も机の中も探したけれど見つからないのに
02:54ここに一人の武将者がいる
02:57やつの部屋の中もやつの部屋よ
03:02上半にはまんねんどこがあり
03:07汚れた汚れた汚れた汚れた食器類
03:08あの時 同じ花を見て美しいと言った二人の
03:19心と心が
03:21今は 今はもう通わないあの素晴らしい愛をもう一度
03:411960年代から70年代にかけて起きたフォークソングブーム
03:48アコースティックギター一本で 弾き語る音楽スタイルは現代のシンガーソングライターを生む
03:51石杖となり
03:521969年 昭和44年に開催された日本初の屋外コンサート全日本フォークジャンボリーは野外フェス文化のきっかけとなった日本の音楽シーンに大きな変化をもたらしたフォークソングブームそれをある人物のフォーク人生とともに再生するすごいねはい
04:19こんにちは 山田パンダです
04:22船越さん お久しぶりですお久しぶりでございますお客さんになりました南皇節率いるフォークグループかぐや姫の元メンバー
04:46山田パンダあなたはもう忘れたかしら赤い手拭い枕にして
04:47代表曲 神田川は160万枚を超えるヒットを記録し一躍時の人に今もなおフォークライブを行う昭和のフォークブームを知る現役シンガー
05:11日本人がみんなギターを持ってあちこちでみんなフォークソングを歌ってる時代があったので
05:24あの頃のブームをもう一度楽しんでもらえたらと思いますよろしく山田パンダさんが思い出の地をめぐるフォークソングブーム再生旅
05:30まずはパンダさんにとってのフォークの原点へ一番最初
05:40僕自身にとってはなんだけどこの渋谷の青い森ってとこでね始まったと僕は思ってるこのね
05:44裏手ぐらいにあったんだよ最後行ったのいつぐらいですか
05:55かぐや姫のね スタート時点に行ったきりちょっと前に行ったねいやー
06:05ここはもう別世界というかさあの時代で渋谷ではないもんあの頃はもっとフラッとビバーなんかもなくてのどかな
06:14まだちょっと素朴な感覚なんだよ1960年代中頃エレキブーム全盛期の当時
06:33どのようにしてフォークブームが訪れたのか1965年なんだけど商店街からピーター・ポーランド・マリーのパフっていう曲が流れてきたんですよ生ギター1本でコーロスを中心にして歌ってるわー
06:42これがフォークだっていうかこれ音いいね僕ん家のライジョンで聴いてる時に
06:47このウッドベースの音があんまり入ってないから
06:48僕はね この曲はね 生げた1本の感覚で最初
07:21聞こえたんだけど あっそうだ すごくドラムハイトいい感じ
07:37当時と景色が変わり 青い森の場所がピンときません
07:52青い森の場所はパンダさんが記憶していた場所の隣の住所で
07:54お店は閉店し 建物もしっかり変わっていたやっぱりないな
08:03あってほしいと思ったけど半世紀だもんな
08:05あんまりにも違いすぎちゃってさ イメージ分かれねそうですよねあっというふうに大きさ僕一番最初に行った時にフルイドがやってて
08:20大学の音の裏表紙に サナエちゃんを描いたのっていうこれがなかなかね
08:26キャッチーでさああいいなって すごくフルイドの印象が強い強いの
08:29ほら出るほら サナエちゃんを描いたのこの
08:38どうしたってってのが後々
08:42中井戸玲一君としてなかなかケッチーな
08:44イスインギター弾くで ボーカルは 金田崎義太郎あ
08:52二人そんま
09:18コークソングが日本で広まり始めた頃
09:19青い森をはじめとする フォーク喫茶が日本全国で急増プロの歌手だけでなく
09:35お客さんもフォークを歌うことができるフォーク好きが集まる憩いの場となっていたそれまではバンド
09:36ドラムス ベース ギターで荷物も多いバンドをやるには
09:43場所を確保しなきゃいけないでもフォークっていうのは
09:44生ギターあれば
09:45公園でもどこでも みんな集まって ちょっとやろうだよって言ってやるよ
09:51すごく身近に感じたんだと思う自分でもやるんじゃないかっていう
09:54音楽に対しての希望的なものが生まれたのはフォークだと思う
10:00青い森で何度も歌っていたパンダさん 当時の思い出がよみがえる
10:03カウエムの最初の 結成登場に出た時に高校生の一人が
10:12僕のとこ来た僕作った曲はあるんですけど
10:17歌ってもらえませんかねっていうわけそれがRC試作セッションの
10:21今の清志郎スーパーロッカーとしての
10:24清志郎の面影はまだなくて
10:25そぼけな 寡黙な少年だよ 働くて持ってきて
10:35これですってで 聴いたら今の清志郎です歌います
10:41あの音が思い出せないって一人でこう
10:42歌っている歌を 聴いてああ
10:44いいなってで それを カギエムのファーストアラム
10:48初めましてに入れましょうってことだ
10:58ああ 懐かしいああ
11:02懐かしいよあの
11:05このベースの刻みがあるやんこれがね
11:09僕自身最初にやった時にこのベースが
11:11楽しかったね これ
11:13これが 単純な刻みなんだけどこれがいい知いてないよ
11:30僕に雨も降りだしたレコーディングの時に知いてないよ
11:32僕はだろっていうあの 向こうのスタッフから来たんですで
11:37清志が出ました知いてないよ
11:39僕 僕を見ていいんだよってそうなんです
11:41知いてないよ 僕には雨が降りだしたっていうこの微妙なワットにはねもう
11:52すごく僕は忘れられません続いては
12:00少し時代を遡ってパンダさんが学生時代フォークシンガーの道を歩むきっかけとなった場所へ
12:24高生年級会館に行きたいんだよ1967年の新宿です9月2日でした聖地ですよブラフォー見たのがチケット買ってから1ヶ月はもう僕の中ではコンサートが始まっててブラフォーのことで頭いっぱいになってた思いがありますね
12:31かわいですグリーンフィールズねブラザースフォー
12:58アメリカの大学生フォークグループブラザースフォア代表曲グリーンフィールズは無名ながら年間で全米2位の世界的ヒットその人気は日本でも広がりカレッジフォークの先駆けとなったそしてその頃いち早くヒットを出した日本のフォークグループが
13:25フォークセダーズの帰ってきて酔っ払いがもうラジオをひねるともうあっちこっちでラジオから流れてきて始まりだっていうのは予感をさせた楽曲でしたねこういうファルセットな声とかすごいよね北山さんとその発想がファンキーな気持ちになれるよねこの通りだ
13:55こんなにビルはなかったよぼんびりとした街並みでさビルも低かったし空がもうちょっと広かったよえー変わっちまったねずーっと駅からブラフォンのチケットをね握りしめて歩くわけよこれワクワク通りや僕の中でこれはワクワク通り?
14:16ビルがあんじゃんはいあのパーあたりだなあー懐かしいねこの駅からのね距離感がちょうどいいんだよある程度かかる方がコンサートカードに入るときはいいねあーそう着きましたねここだったんだねここだったんだね
14:37東京厚生年金会館は残っておらず大手電気店のビルに赤い絨毯の階段がバーっとあってこのね赤い絨毯がよかったんだよ階段の向こうにブラフォーがいるわけでしょピュッピュッピュッとブラフォーが4人が
14:51オーラがあってさキャー光りかかえてるわけよブラフォーが僕の中のフォークの出発点だねそのコンサートでパンダさんが胸を打たれた曲が7つの推薦
14:53I may not have a mansionI
14:59haven't any landとにかくしたんだよこれビーメミちゃんに描いてるけど花はどこ行ったの
15:19?大ヒットだろないいね僕らここいるねここチェックだけど厚みがあってねボーカルが優しいよねすごくこう丁寧に歌ってくれるよねすごくこうワクセルの僕に
15:47入ってくるねありがとうちょっと泣きすぎだよ俺やばいなちょっと生のブラザースフォアに心を奪われたパンダさんその直後に転機が僕はね実は日本テレビの報道部でアルバイトしてたんだね徳光さんとか福留さんとかアナウンサーが
16:17坊や掛けろって言うんだけど坊やってやったら外部部にカンペカズオって人がいて新たにグループ作ろうと思ってるんだけど山田くん加入しない後ろにやらないあとギターのところ太郎くんこれがもうギターの名刺でシュリークスってグループ
16:18パンダさんだけが音楽未経験
16:38猛特訓ですよブラフォーで聴いてるものの一切ハムるとなると大変なことだった朝5時に日本テレビの報道部に入ってお昼過ぎまで猛特訓して授業を受けに行くんです5時から8時まで人生で一番忙しかった
17:07人生の歴史がそのまんま日本のフォークソングの歴史にオーバーラップしていくんですねレジェンドだね船越さんフォークの中で一番心に残っている曲といいますかVTRの中にあったフォーククルセダーズっていうね帰ってきたよ俺は死んじまってたあれがねなんだフォークってあのフォークだのスプーンだのっていうフォークかよみたいないやいや実はフォークっていうのは
17:14もともとは民謡なんていうねあの意味合いだんだよなんていうさことを知るわけですよそこから知る
17:36?そして橋田の彦さんがこのフォークルセダーズが解散した次の年に発表したのが風っていう歌これもまた空前の大ヒートするわけですよ未だにいろんな方たちがカバーしたりするような大変な名曲ですね何度も哀愁を見た歌詞いいよね列車の中で聴きたいようなそんな歌ですね
17:57そして北山治さんっていうのがこの次の年に発表したのが戦争を知らない子どもたち当時はベトナム戦争の真っ只中です日本の若いジェネレーションの人たちもねやっぱり反戦を訴えて世界平和を呼びかけようっても戦争を知らない若者たちが
18:11何が偉そうに世界平和だなんて言ってるんだよなんていうさ風潮がなきにしもあらずだったんだねそんな中で生まれたのがこの戦争を知らない子どもたちなんだねそれが万博で歌われるっていうことにさ
18:31ものすごい意味も意義もあったわけですよねこれもまた大ヒットするわけですこの3曲3連発で僕の中にフォークソングっていうのは若者たちが自分の思いを歌に乗せて世の中に向けて発信していくものなんだっていうのがこうすり込まれていくんだねそしてこの後
18:59ビリーバンバンとは大の仲良しでしたね濃厚促で倒れた親友ビリーバンバンすすむさんがパンダさんへ当てた手紙にこんな手紙もらえると思わなかったなんていうやつなんだよ山田パンダさんのフォークソング再生旅続いてはシュリークス時代に猛特訓を積んだ
19:27早稲田大学へこの辺の感覚は全然雰囲気は全然変わらないね周りにビルとかなんか見えないしこの空気感はもう当時のままだよこれ全然変わらないいいなやっぱこののどかな感じっていうかねあ、受験かあ、そんで入れないんだねロケを行った時期は入試シーズンで残念ながら立ち入り禁止披露する場っていうのはあったんですか?
19:47それがね、3ヶ月の猛特訓した後いきなり神戸君は学園祭から豊島高海道、目黒高海道諸々の学生が5、6組出るコンサート片っ端から入れてるんだよ最低週に1回はあの、政治に立ってたシュリークス結成当時
19:59ほとんどの大学にフォークソング部がありフォークライブは文化祭の主役級の盛り上がりだった中でも人気が高かったグループが
20:13フォーセンスがいて、リガニズが海を越しているそれから、ビリバンバンが白いブランクでヒットしてカレッジフォーカーの五三家といいますフォーセンスもなかなかね、小さな駅は
20:41女性の人たちの心をふすぐったというかいい感じの曲でこれは、この世界、このメロディーラインの雰囲気がねパーッと明るい部分と、こう、なんていうかしんびりこう、学生やっぱどこか寂しいよねっていう、そういう心をね、ふすぐったんだと思うよ
21:08そして、パンダさんが所属していたシュリークスが披露したとある学園祭の録音データも、なんと残っていた貴重だねああ、いい、ハモってるあ、ベース入ってる!
21:18ベースベース聞いてよ、これこれこれ、俺
21:20What are you doing?
21:25I'm not even a kid.
21:26I'm not even a kid.
21:27My wife is like this.
21:28I was at the showroom at the showroom.
21:34I had a microphone on the showroom.
21:35I was just a kid.
21:36I was a kid.
21:39Who was the kid?
21:40He was a kid.
21:42He was a kid with a cassette.
22:12FONK人生を走り始めたパンダさん数々のステージに出演した中で忘れられない思い出が社会への鋭いメッセージを込めたプロテストソングで
22:41若者から熱狂的な支持を集めた岡林信康さん当時の日本では東大安田行動事件をはじめ全国で学生運動が激しく岡林さんの友よは運動家のようにデモの場で歌われたそして1969年昭和44年にはベトナム戦争への抗議を訴える若者と機動隊が激突
22:47700人以上の逮捕者が出たフォークゲリラ事件も勃発した
23:06そうなんですよ全員でパーッと並んでみんなで友よっていう一緒に歌えたら嬉しいなって岡林さんがセンターで僕はラッキーなことに岡林さんが横に立つことが嬉しかったんだよせっかくなので友よを当時のレコードで聞いてもらう
23:25当時この岡林さんのレコードっていうのはねとっても貴重でねレコードも存在感があったこの頃のレコードはいいよねアナログはねこれだよな何年ぶりだろうこれいやー僕はもうCDばっかり聴いてるけど
23:54これは何十年ぶりだ針をレコードへするっと手が震えちゃう止まっちゃったよ違うよこれ何で止まるのちょっと奥までこれ縁にもせないとこっちから中に行くの俺さ完全に間違ってたレコードの縁に針を落とさなければならないがなんとパンダさん針をレコードの内側に落としてしまったもうおい衝撃すぎますめっちゃ優しい
24:21いやーそうですパンダさん再チャレンジ止まるんだよ乗っけたろうわー懐かしいほら優しい声でしょほらねフルコーラスで空で歌いますよ
24:25これまた誰なんですかね
24:35この波紋のところを僕らが羽織るんですよ
24:51本当にこのねあの穏やかなあったかい声がね
25:06これだよねそして学園祭など数々のステージで経験を積んだシュリークスは1969年昭和44年に
25:21君を人生はでレコードデビューしかし売り上げは伸びずヒットとはならなかったそしてリベンジをかけた2作目で奇想天外が秘策に売って出る
25:39優先放送から火がつきましたってことをよく見たら言ってたじゃあ僕はその優先放送の中に入ってレコードを回すようなことできたらいいよねプログラムになるよねって言ってる聴きたい曲を電話でリクエストする優先放送
26:08その影響力は大きくレコード会社がPRのために優先放送を回り新曲を何度もかけてヒットへつなげることも多かったそこでパンダさんたちは自ら優先放送で働き強引に自分たちの曲を優先で流す作戦を打ち立てたすごい作戦だねで主人のとこに行って僕こういうレコードを出してる
26:32ここに載ってる僕なんですけどレコード回していいですかって言った無理だなそれは最初終わりだ2回ぐらい僕に直談判したら山田くん1時間にいっぺん自分の曲流していいよなるだけ他の人たちに分からないようにねここに置いといてこう周り見てピュッとカーって流した
26:46しかし元々民謡さらばラウスよに森重久弥さんが新たな歌詞を追加したこの知床旅場はシュリークス以外に別のアーティストも歌っており
27:05ラジオをつけたら加藤徳子さんのシュートクルユーロが流れ来たあれはでお徳さんお徳さんでちゃんとこうレコードガチャの方でこうやって完全に僕らのシュルシュルシュルトコは置き去りになってお徳さんのレコードがピューッと大ヒットしてね
27:07Well, I had two months since I was a big fan.
27:16I was doing this with the country.
27:18I was doing a big job, because I was first a year for a concert tour.
27:37東芝レコード主催の総勢40名で行く大型海外ツアーに、なんと所属するシュリークスが参加することに。
27:47羽田空港にみんな集まって、ライバルだったソルティシガーの山本幸太郎がお魅力に来てくれてるんです。
28:02そして1ヶ月のツアー期間の中で、パンダさんはある人物と仲を深めました。
28:15それが当時、関西のカレッジフォークで活動していた谷村真嗣さん。
28:19ツアーでニューヨークを訪れた際。
28:22どっかの新聞を買ってきた。
28:28そこにピースフェスティバルインシェイススタジアムって書いてある。
28:31そこで野外ライブをやるって。
28:34出演バンバン見たら、CCR。
28:35ジャネス・ジョプリン。
28:38うれしかったね。
28:38ポール・サイモン。
28:44これは行くしかないだろうって言って、チッペイとチケットを買って行った。
28:45もうこれ、結果ない。
28:46大鳥がCCRだったのかな。
28:53あれはやましいんじゃろいーんって歌を出すと、もうここはね、こう立っちゃうんだよ。
28:54ええ、僕たちのコンサート会場考えられない。
29:00将来、できることやることがあるのかねって話したんだよ。
29:02やり得たね。
29:10それから29年後、大舞台紅白歌合戦で、かぐや姫と谷村真嗣が共演。
29:13その舞台裏では。
29:14シェイスタジアムの話はここでした。
29:21お互いうまくいったね、ちゃんとステップ踏んだじゃん。
29:36そして1ヶ月の海外ツアーを終え、帰国の飛行機の中で、あるニュースを目にすることに。
29:45スシワデスさんが、これ日本の新聞でやった社会面のここに、ソルティシュガー大ヒット。
29:55空港に見送りに来た孝太郎の寂しい顔が、まんめ意味の万歳の孝太郎がここにいるわけですよ。
30:04海外ツアーに奮闘した1ヶ月の間に、ライバルソルティシュガーが走れ孝太郎で一躍時の人に。
30:0530%くらい拍手を送りながら70%悔しいという思いでいっぱいでしたね。
30:13これから始まる大レース。
30:15いしめきあっていななくわ。
30:17いいね。
30:19プンプンプンプン。
30:23今日はダービーめでたいな。
30:40走れ走れ走れ。
30:45その中でもひときわ信仰が深かったフォークシンガーが。
30:52ベリー・ヴィパンバンとは僕は影兵衛もそうだったし、ソロになっても結構乗員とか多かった。
31:02それで長崎に行ったときに、チャンポが一番長崎でうまいとこ知ってるから行こうっつって、鈴が僕を誘ってくれて、食べに行ったことがあるけど、おいしかったね。
31:04大の仲良しでしたね。
31:12君は覚えているかしら あの白いブランコ
31:15ビリー・ヴィパンバンも優しいね。
31:19進むの声が特にジェントルだよな。
31:20優しいね。
31:26あの白いブランコ
31:33学生時代に出会ってから50年以上の付き合いになる、ビリー・ヴァンパン。
31:45兄、たかしさんの他会に続き、弟の進むさんが脳梗塞を患ったことが昨年公表され、現在も治療が続いているのだが。
31:50パンダさんへのお手紙を進むさんからの預かって。
31:50マジか、いや、ダメだこれ。
32:12僕、聞いただけで、やべ、やべ、やべ、やべ、やべ、やべ、やべ、やべ、これって、ちょっと怖い、怖い、やべ、やべ、やべ、すごいわ。
32:33若い時から優しかったよね。
32:39お茶もよく飲みに行ったりしたかな。
32:45歌の話で盛り上がったりしたね。
32:53お兄さんというよりは、僕と仲良かったはず。
33:05今、実は病気したからうまく伝えられなくて、歯がゆうけど、ちょっとずつ元気になってます。
33:09また、うわ、俺って。
33:23見てたら、心から応援してから、元気になって、また一緒にお茶を飲んで、一緒にジョイントやろうよ、ね。
33:24頑張ってね。
33:26ああ、こんな手紙もらえると思わなかった。
33:29ありがとう。
33:30なんていう奴なんだよ。
33:36僕はもう、白いブランコっていう奴が大好きでね。
33:39実はね、2バージョン存在するんですけどね。
33:41はい。
33:45森岡健一郎さんがアレンジして、最初のシングルカットされたバージョンにはね、2番がないの。
33:47えー。
33:48その後、ビリー・バンバンによるアレンジのね。
33:51これはもう、ザ・フォークソングっていう感じ。
33:56これもまたね、胸にしみるいいアレンジになるんですけどね。
33:59こっちにはね、フルコーラス入ってるんですよね。
34:08これ聴き比べてみるとね、また同じ白いブランコでも、全然味わいの違うね、2曲を聴き比べていただきたいな。
34:15この後、吉田拓郎との見明かした2人のたまり場で、50年越しのカミングアウト。
34:21拓郎さんが、ごめんなこれ、あのとき泣くな、なんかどうしちゃったんだろうって。
34:22拓郎さんは?
34:24知らない。知らない。今、やっとカミングアウトした。
34:33山田パンダさんが巡るポークソング思い出再生旅。
34:39そしては、かぐや姫結成後に通った吉田拓郎さんとのたまり場へ。
34:49これから向かっているのはペニーレーンなんだけども、1年ほど前、西条秀樹の思い出再生で来たんですよ。
35:08前回訪れた際、ペニーレーンは当時の場所から移転していたことが発覚。
35:12本当にちょっとずれてるわけだ。
35:16あ、これね。はい、見えてきました。
35:20ペニーレーンっていうポークのね、仲間たちのほうのたまり場。
35:27場所は変わってしまったが、パンダさんが当時通っていたペニーレーン。
35:32一体なぜ、距離の近いこの場所に移転したのか。
35:34こんにちは。
35:35ペニーレーンやってきました。
35:42ペニーレーンっていう名前を継いでるのに、向こうじゃなくて、なぜここなんですか。
35:51ペニーレーンを一旦閉じて、で、こっちでじゃあまた店始めようかっていうときに、じゃあペニーレーンにしようということで。
35:52あ、そうか。
35:58当時のペニーレーンは90年代に一度閉店。
36:0520年前に再開したのだが、当時の場所は空いておらず、場所を移り営業している。
36:35でもペニーレーンって名前が残ってると嬉しいよね。
36:42あってよーとか言って入っていくと、この向こうにソファがあって、その真ん中にたくろうがいるんだよね。
36:48あまり頻繁に呼ばれるから、僕は近くにマーションにもう映ったもん。
36:50ここがあんまり楽しくペニーレーンって。
37:03このタクロの人間なんてがあるけど、これからタクロがね、大旋風を巻き起こすときの中、僕はエリピューだと認知してるんだけどね。
37:21このね、繰り返しなんだけどね。これがなかなかいいんだよね。
37:27ずーっとこれ。僕はヨタタクロの楽陽をカバーしてシングル版で出したんですよ。
37:28あそう、楽陽。
37:35これ一一にしようってタクロが言ってくれて、ギターを持って急に行くぞって言って、タクロがピンニングが出て行った。
37:36どこに行くのって。
37:51六本木に行って、お前が出したその楽陽のキャンペーンに行くぞって言って、ギターを持って、六本木のミスをてんてんとに楽陽を歌ってくれて、パンダから楽陽出したんだよ、みんな買ってくれよって言って、うれしかったね。
37:55そんな拓郎さんの意外な一面も。
38:02月刊編本の対談コーナーを僕やってて、いろんな人と対談してた。
38:05で、キャンディーズが月刊編本のゲストに来てくる。
38:08僕は俺らで一本やってるんだ。ゲストで来てくれないかな。
38:21で、たくろうがそれを聞いたかなんかして、なんでそんなのアイドルのゲストに呼べるんだよとかってクレームをつきました。
38:22つけないよね。
38:26ペニヤに来るといろんな話があって。
38:35と、ここでパンダさんが長く心に溜め込んだ、たくろうさんに伝えなくてはいけないあることを話します。
38:47あの、たくろうが珍しくね、あの、ニコニコ笑って、パンダ、これやるよって言って、パンダ、テーブルの上にこうやって置いたんですよ。
38:47ああ、時計じゃんって言ってる。
38:50そう、時計お前にやるよって。
38:57あ、で、大事、ありがとうってポケットに入れればよかったんだけど、このままにしてたんだよ。
39:04僕はもう、たくろうがわーっと飲んで、1時間か2時間飲んで、もう、ヘロヘロ鳴って、パッと見たら、ないんだよ。
39:06あら。
39:06これ、いまだにその時は出てこない。
39:0850年前。
39:15たくろうさん、ごめんな、これ、あの時、なんかどうしちゃったんだろうって。
39:16たくろうさんは、なくしたことも知らない。
39:19知らない。今、やっとカミングアウトした。
39:2150年ぶりに。
39:30そして、もう一人のフォーク仲間、井上陽水さんとは、共に福岡県の出身で、息があったそう。
39:36陽水がパッと入ってきて、陽水が、おお、パンちゃん、土源しとったとって言うわけよ。
39:40九州弁で、あの、楽屋とかでしゃべれる。
39:46それがすごく嬉しくて、例えば、陽水と僕は同居なんで、
39:49甲子園の高校野球の予選を戦うわけよ。
39:51もちろん僕らが大人なんだって、後輩がいる。
39:54僕は加保高校なんだけど、出身がね。
39:56加保と田川。
40:00それが甲子園をかけて、福岡の最終決戦で、勝った方が甲子園行きだったわけよ。
40:05僕らの加保高校は負けて、陽水の高輪が甲子園に行こうとなった。
40:09そしたら、一週、三日後くらいに、うちにハガキが届いた。
40:12甲子園に行けるのは、さずかしい、つらかろうの?みたいな。
40:16高輪が、一件、あの、見とってくれんね、みたいな。
40:17ハガキが届いた。
40:20悔しくてね。
40:23ただ、高輪が一回戦で負けた。
40:27ほらなと思ってたら、また陽水がハガキが来て。
40:31上げることに取ったけど、負けてしまおうて。
40:32で、ハガキがくれた。
40:36そういうことから心模様の大ヒットンなんだろうね。
40:39あれ、ヴィンセモンとどこのこのって、シチュエーションがあるじゃない。
40:42陽水ならでの大ヒットチューンだよ、心模様。
40:52ああ、出た、このイントロでもう、よし、ほらほら、これがすぐ、よしようですよ。
40:57寂しさのずれずれに
40:59こらね。
41:04ほら、手紙を
41:09したためてます。
41:14繊細なね、いいね、これ。
41:15ほんとに陽水ってすごいな、と思う。
41:20陽水はね、ビニーリ、サイニーリ、
41:25心を探るっていうか、コロリティとか、もう滑って総合的にいって。
41:27すごい。
41:30陽水とタクルは僕にとっては、東西の横綱なの。
41:35もう常にツートップでね、いる存在だね。
41:43神田川のミリオンヒットで、昭和のフォークソングブームを象徴するグループとなった、かぐや姫。
41:53シュリークスが参加した海外ツアー終了後、グループを脱退。その直後に結成されたかぐや姫は、どのようにして生まれたのか。
42:13アメリカのツアーから帰ってきて、FM東海で洋楽のディスクジョッキをやらないかと声がかかったのね。その番組にたまたま考察が来てくれて、第2期のかぐや姫をやるんで、一緒にやりませんか?っていう声がかかって。
42:22いや、僕はもうシュリークスで、すっかりやり尽くした感があるんで、ないなって切ったんですよ。
42:30で、また次なんかしばらくして、また第2回目の電話があって。で、またそこでも同じように断って。
42:46で3回目がまた勝ってたの、キノコさんのね、ねっちゃんが。3回も悟ってくれるなんて、もう一緒にやらなさいよって押されて、あっ、やろうかなって言ったんですね。
42:59公設さんの粘り強さと、奥様の後押しで、かぐや姫への参加が決定。実はその時、かぐや姫が解散することも、すでに決まっていたという。
43:18公設と言うんですよ。最低3年間は絶対やりましょうね。約束ですよ。実質3年半ぐらいやったんで、僕はそういった意味では1つの3年目だったんで、ちゃんとやりたかなっていう感覚はある。
43:193年っていうのは何か意味があったのか。
43:33何にも今分からない。公設聞いたこともないし。3年あれば、かぐや姫っていうのは1つの、なんていうかな、効率を保てていけるんじゃないかっていう。まあ僕は想像ですよ。
43:38リーダーとしての公設のそういう3年間だったんじゃないかと思うんだけどね。
43:47こうして、南公設とかぐや姫の活動がスタート。ヒットの目が出たのは4作目のレコードだった。
43:57僕の胸でお休みっていうのがやっとオリコンというかヒットチャートにチャートインしたんですよね。
44:03君の笑顔の向こうにある。
44:07これは山田神田さんのサクサクな。
44:11僕の奥の悲劇はね。
44:15アルバムではね、原則自分が作った曲は自分が歌うの。
44:18その時は自分が歌う。
44:20He said, he said, I can't stop singing.
44:26He said, I can't stop singing.
44:31I can't stop singing.
45:03僕のみの休みをちょうどリードして、リクエストもらえるようになった。たまたまアルバムの1曲です。神田川は元々はシングルカットされておらず、かぐや姫サードのアルバム曲としてリリース。
45:12ラジオ番組が神田川を流したところ、視聴者からのリクエストが殺到する事態に。
45:42ラジオを聴いた視聴者からシングルリリースを望む声が多く寄せられ、アルバムのリリースを流した。
45:54リリースからわずか2ヶ月後にシングル版を発表。すると勢いは止まらず、瞬く間に160万枚を売り上げるビッグセールスとなった。
46:03そして神田川大ヒットの裏付けともいえる出来事が。
46:24うちの奥さんがボーシャさんに会ってて、そのお友達がパリに住んでて高田健三のアシスタントデザイナーの入江さんにパリに会いに行った。それで入江さんが言うわけよ。掘り出し本のレコードを持ってるんだよ、僕はって自慢げに言うんですよ。
46:53みんなでここに集まって、聞いてみようって言うわけ。いいでしょ、最高でしょ、どうですって僕らにも言うわけよ。いいよね、神田川、このパリにあってるよねって言って。僕を知らずに、掛け見を知らずに、彼は掛け見を買ってきて、ここで流してるわけ。だからその広がり、その自分の知らんところで知らない人が買って、自慢げに言って、ああ、大ヒット曲ってのはこれなんだなと思った。
47:03神田川がヒットしたことで、仕事量は急増。パンダさんのトレードマーク、巨大なウッドベースの運搬でトラブルが。
47:12鍵姫と人に、楽器車というか、それはなかった事態があって、電車なんか乗ってる場合ではなくて、タクシーで移動する。
47:25で、タクシーで移動する時に、ウッドベースがあったら、タクシーの運転手さんは、乗車拠点ではない。乗らないから。で、アイデア出して、メンバー隠れて。
47:30で、松屋が立って、一人で立って、手をあげる。で、止まる。
47:4522歳の2人で、ウッドベースをバーッと持ってきて、運転手の横の枕をピョンと取って、後ろの窓からガーンとウッドベースを突っ込んで、よろしくお願いします。
48:09楽しかったよ。だから、運転手さんの顔が、うまい、よろしくお願いします。こういう感じでね、やってるのは、3人で結束して、タクシー乗せたって思いでは、一生忘れないし、個人的に嬉しいってことなので、楽しかった。昭和のフォークソングブームのど真ん中を走り、58年にわたり、フォークと向き合ってきたパンダさん。
48:36やっぱり僕にとってはね、フォークはね、人生そのものって感じかな。23歳から始めて、今年81歳になるんですよ。長い間のフォーク人生っていう。いやー、しみじみ、楽しかったなーっていう思いでいっぱいですね。フォークとともに、時代を生きてきた山田パンダさん。
48:56そこで出会った音楽や仲間を胸に。これからも、パンダさんのフォーク人生は続いていきます。次回。松本会長がね、預けてくださった名称タオル。名称がつないだ奇跡の物語。馬と人を愛した名称松本オーナーの知られざる素顔。
48:59かっこいい方だなとは常に思ってた。
49:05③あっち。③あっち。③うっ
49:09!アーティーニーがつくださった。
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