- 11 時間前
カテゴリ
📺
テレビトランスクリプション
00:00:00俳優人生45年目を迎える佐藤光一さん
00:00:12常に映画ドラマの第一線で活躍してきました
00:00:20父親は名優三国蓮太郎
00:00:25本名佐藤雅雄
00:00:31光一さんが小学生の時に両親は離婚し
00:00:35父親は家を出て行きました
00:00:41ネガティブなそういう感情もあったと思いました
00:00:45それは当然
00:00:47やはり自分が何者なのかも分からない
00:00:52間はやはり
00:00:54三国さんがどういう風な中で
00:00:58何かを何を持って何を背負って生きてこられたのかな
00:01:02というのを
00:01:04この年になってちょっとそれは聞いてもいいかなという風に思いまして
00:01:09今日のゲストは佐藤光一さんです
00:01:11どうぞよろしくお願いします
00:01:14よろしくお願いいたします
00:01:15いやいやいや
00:01:19ちょっと三国さんの背負ってきたものを聞いてもいいかなと思われたと
00:01:24どういう心境の変化が
00:01:26彼自身が言っていることがね
00:01:28どこまで本当で
00:01:30どこからが三国蓮太郎としての創作なのか
00:01:34それも知りたかったというのもありますね
00:01:36なんかモノマネすごい上手らしいじゃないですか
00:01:38いやいや
00:01:39三国さんの
00:01:40そうなっちゃうんだよ
00:01:55まずはこの方を訪ねました
00:01:59光一の妻綾子さんは義理の父の正男から謎めいた話
00:02:04を聞いていました
00:02:08だから私は佐藤じゃないんだよ
00:02:12本当は佐藤じゃないんだよって
00:02:14自分はお父さんがね
00:02:17多分みんな兄弟とは違う佐藤のお父さんじゃないと思うっていうのは
00:02:23何回か言っていたので
00:02:28高一の父佐藤雅雄は
00:02:31大正12年
00:02:33佐藤忠と藩の長男として届けられています
00:02:41雅雄の出生にどんな戦いがあったのか
00:02:48まずは雅雄の母
00:02:50藩のルーツからたどります
00:02:55藩の旧姓は小泉
00:02:57故郷は伊豆半島の南にある漁村でした
00:03:05小泉家の親戚が見つかりました
00:03:10藩の兄の子孫
00:03:11民宿を営む陽一さんです
00:03:19小泉家は代々漁師だったといいます
00:03:24漁船の名はみんなで網やったりするんじゃない
00:03:29それのトップだった
00:03:32そういう漁船の仲間のリーダー
00:03:37網元
00:03:39明治時代漁場をめぐり争った裁判の記録に
00:03:43孝一の祖祖父にあたる小泉七右衛門の名があり
00:03:48ました
00:03:51109人の漁師を率いる代表となっていました
00:03:59藩は明治38年七右衛門の三女として誕生
00:04:06何不自由なく育っていきます
00:04:10しかし小泉家は突然の苦難に襲われます
00:04:19嵐で収入権の船を失い
00:04:22七右衛門は窮地に追い込まれてしまったのです
00:04:26一家は離散することになりました
00:04:34藩の娘、清江さんです
00:04:39うちの母は苦労したと思います
00:04:45中学に上がらずに女中暴行に出されたんじゃないでしょうか
00:04:50ね
00:05:04藩は海軍の軍人の家に200円で年季暴行に出さ
00:05:10れたといいます
00:05:13しかし17歳の時突然藩は方向先から追い出されてしま
00:05:19います
00:05:23藩の身に何が起きたのか
00:05:3120年にわたり正男から聞き取りを重ねた作家の
00:05:35宇都宮さんは
00:05:36この時のことを聞いていました
00:05:41お腹にもしかしたらもう僕はいたのかもしれない
00:05:47広島の軍人さんのところで
00:05:53妊娠して追い出されたんじゃないかというような話を話されていました
00:06:03藩は身をもの体で故郷を目指しました
00:06:08しかし沼津港の寄船乗り場で気分が悪くなってしま
00:06:13います
00:06:16その時解放してくれた男性
00:06:19その人こそ佐藤忠です
00:06:26運命的に出会った藩と忠
00:06:31この日海は荒れ気泉は欠航します
00:06:36一晩かけて事情を聞いたただし
00:06:40藩のすべてを受け入れることを決めたのです
00:06:47大正12年1月
00:06:49藩は男の子を出産
00:06:52正男のちの三国蓮太郎です
00:06:58ただしの子として出生を届け
00:07:00二人は結婚します
00:07:07正男の父となったただしはどんな人物だったのか
00:07:14親戚の坂倉弥也子さんです
00:07:19男気があるっていうか
00:07:21ああいう人が言うんじゃないかなと思う
00:07:25今でも思う
00:07:26よくなるとすごくとことも対してくれるか
00:07:30面倒見てくれる人だったから
00:07:34ただしは明治26年
00:07:37伊豆半島南西部の町松崎で
00:07:40佐藤家の三男として誕生しました
00:07:48佐藤家の親戚が見つかりました
00:07:5594歳になる鉄さんです
00:07:58当時の佐藤家の仕事を覚えていました
00:08:04おけがやってたんだって
00:08:08牛の食べる
00:08:11ほらおけのタガ
00:08:16タガっていうか
00:08:19青い竹でさ
00:08:21ハチマキして
00:08:24こういうとこなっこしゃいた
00:08:26そういうだわ
00:08:29おけづくりをしていたという
00:08:31ただしの家のことを
00:08:32松崎の郷土市に詳しい
00:08:35近藤さんが聞いていました
00:08:38佐藤家がおけやってて
00:08:41いわゆる
00:08:44死んだ人の
00:08:46棺桶も作ってたっていう
00:08:50だから
00:08:51それをやるのは
00:08:53時代低いっていうふうに
00:08:55見られたんですね
00:08:57大事な仕事ですけど
00:08:59つらい仕事だったじゃないでしょうかね
00:09:04ただしの家は
00:09:06遺体を納める座管など
00:09:08看護家も作っていました
00:09:14ただしの父慎太郎は
00:09:16遺体の埋葬を受け負うこともありました
00:09:21小学校を出ると
00:09:22ただしもその家業を手伝っていました
00:09:29当時死にまつわるなりわいは
00:09:32汚れに触れるとして
00:09:34差別の目を向けられることも
00:09:36少なくありませんでした
00:09:56理不尽な差別に強い反発を覚えていた
00:10:00ただしは
00:10:01そうした境遇から抜け出そうと決意します
00:10:07当時日本は
00:10:09兵力をシベリアへ派遣していました
00:10:13ただしは
00:10:13軍属として志願します
00:10:18新たな職を得るために
00:10:20軍隊で技術を身につけようと考えたのです
00:10:25無線発電所などを整備する業務に
00:10:28懸命に取り組みます
00:10:32しかし
00:10:33軍隊生活も
00:10:34ただしを失望させました
00:10:41下の者を見下し
00:10:42権力を重ね着る
00:10:44上官たちに
00:10:45行き通りを感じる日々
00:10:48軍隊を意味嫌うようになりました
00:10:562年後
00:10:57帰国したただしは
00:10:59シベリアで覚えた技術を活かし
00:11:02電気工事の職人として働き始めます
00:11:09マサウに十分な教育を受けさせるため
00:11:12危険とされていた仕事にも励みました
00:11:19そんなただしのもとで
00:11:21マサウは気丈な少年に育っていきます
00:11:28マサウの小学校の同級生が見つかりました
00:11:35鍵山康さん
00:11:36101歳です
00:12:00こんなエピソードもありました
00:12:04同級生だったスグロさんが
00:12:06大切にしていたというランドセル
00:12:09信正さんは
00:12:10父親からマサウとの思い出話を聞いていました
00:12:16これがそうなんですね
00:12:18自分のランドセルを
00:12:20その三国伝太さんが
00:12:22ナイフで
00:12:24傷をつけた
00:12:25このランドセルを
00:12:27背負ってる子は当時いなかったらしいんです
00:12:31みんなこんな欠けるカバンとかね
00:12:34お前は生意気だと
00:12:35そんな貴重なものを
00:12:37負けん気の強いね
00:12:38そういう子だったんじゃないかな
00:12:44昭和10年
00:12:45マサウは父忠のたっての希望で
00:12:48新学校だった下田の東洋中学に入学します
00:12:56しかしマサウにとって
00:12:58学校生活は苦痛でしかありませんでした
00:13:04徹底した規律の寮生活と
00:13:06軍事教練
00:13:09次第に学校をサボるようになりました
00:13:17そんなマサウに
00:13:18忠は劣化のごとく怒ります
00:13:23火箸を振り下ろし
00:13:25ペンチで殴りかかることもありました
00:13:28激しい
00:13:30泣きながら殴るんだよって
00:13:34学校に行けって
00:13:36なるほど
00:13:37ああ
00:13:39殴るんで
00:13:39殴られても
00:13:43逃げても逃げても
00:13:46追いかけてくるんだけど
00:13:49それでも
00:13:50自分を思って
00:13:56自分のために
00:13:59やってくれてるっていうのは
00:14:04分かった
00:14:08結局マサウは
00:14:10中学を中退
00:14:17そして下田港に停泊していた貨物船に忍び込み
00:14:21密航で中国へ渡ります
00:14:25マサウ14歳
00:14:28この後何年にも渡る
00:14:30放浪生活の始まりでした
00:14:36中国から朝鮮半島へ渡り
00:14:38ダンスホールのボーイや弁当売りをしながら
00:14:42孤独な日々を過ごします
00:14:49帰国後
00:14:49沼津港にたどり着いたマサウ
00:14:55戸籍によると
00:14:58ここで昭和16年
00:15:005歳年上の女性と結婚し
00:15:03長女いとこが誕生しています
00:15:12これまで知られていなかった
00:15:14最初の妻と子供の存在
00:15:20調査を続けて半年
00:15:23沼津市内の寺で
00:15:24マサウの娘いとこの墓石が見つかりました
00:15:30いとこは数え年2歳で亡くなっていました
00:15:38墓を守っている
00:15:40いとこの親戚も見つかりました
00:15:43広明さんは当時のことを父親から伝え聞いていました
00:15:51いとこちゃんのお母さんが
00:15:56三国さんがこちらで一時期過ごしていた時に
00:16:00お風呂屋さんに通っていたと
00:16:02そこで知り合って仲良くなって
00:16:07それでいとこちゃんが生まれたっていう
00:16:12マサウが初めて築いた家庭
00:16:15しかしその幸せは長くは続きませんでした
00:16:21いとこの死後若い夫婦は離婚
00:16:24わずか2年の結婚生活でした
00:16:31今回広明さんが秘められた話を
00:16:34明かしてくれたのには理由がありました
00:16:38お彼岸の時にお墓参りに行って
00:16:42また改めてね
00:16:44いとこちゃんの名前刻まれてる名前とか
00:16:46そういうのを見た時に
00:16:48ちょっと一度やっぱり
00:16:50お話してみてもいいのかなって
00:16:52そんな風に思って
00:16:55明らかになるというか
00:16:57そういうのが周りの人に認識されてもらうとか
00:17:01そういうことっていうのが
00:17:03やはり一つの
00:17:04先ほども言いましたけど
00:17:05供養になって
00:17:08実際自分のお姉さんに当たるわけですから
00:17:10それはもう全然
00:17:11お憧れしていただけたら
00:17:13こちらだってすごいうれしいと思うし
00:17:15ましてやはりね
00:17:18いとこちゃんがすごいうれしいじゃないですかね
00:17:20そう思います
00:17:24沼津を去ったマサオは
00:17:26大阪の鉄工所や造船所で働きながら
00:17:29食いつなぐ日々を送ります
00:17:33時代は戦争のただ中へ
00:17:4119歳の時
00:17:42マサオに招集令状が届きました
00:17:49マサオは汽車に飛び乗り
00:17:51九州へ逃れます
00:17:55父親が検温していた軍隊には
00:17:58行く気はありませんでした
00:18:04しかしたどり着いた佐賀県の唐津で
00:18:07マサオは警察に捕らえられ
00:18:10故郷の静岡で軍隊に入れられます
00:18:19中国への出兵が決まり
00:18:21出発する直前
00:18:23母ハンが面会に来た時のことです
00:18:28ハンはマサオにすがるように謝りました
00:18:32警察に居場所を知らせたのは
00:18:35ハンだったのです
00:18:38その時の思いを後に聞いていた人がいました
00:18:43警察にハンさんが通報したっていうのは
00:18:48やっぱりものすごいショックだったみたい
00:18:51ものすごいつらかったみたいね
00:18:56でもその通報するっていうのが分かると
00:18:59親兄弟が当時の社会情勢だと
00:19:05後ろを指させられるから
00:19:10そして二十歳のマサオは
00:19:12中国の戦地へ赴きます
00:19:18出生する息子にただしはひと言だけ告げました
00:19:24無駄死にするな
00:19:26必ず生きて帰ってこい
00:19:31いかがでしたでしょうか
00:19:32いや本当あの大変申し訳ないですけど
00:19:36いとこさんのお話は聞いてなかったんでね
00:19:39それが今回じゃあ初めていとこさんっていう
00:19:42まあ佐藤光一さんにとってはお姉さんになるわけですね
00:19:49きょう知れて
00:19:50うんそれはよかったです
00:19:53すごい人生ですね
00:19:55三国さん
00:19:55最初の出生からもう
00:19:57ハンさんのその
00:19:59うん
00:20:00その方向先に
00:20:0217歳で
00:20:04追い出されるっていう
00:20:06もう
00:20:06だから結局
00:20:08その
00:20:09はい
00:20:09二人の実の子じゃないという話も
00:20:12三国には僕にはしてないと思うんですよ
00:20:15最後にこう捕まってっていうのが
00:20:19お母様に
00:20:20実は母親が
00:20:22居場所を連絡してたっていうのは
00:20:25そういった
00:20:27彼の中の傷ついたあれが
00:20:28役者として何かをやる時に
00:20:30ものすごい財産になってた
00:20:39中国の戦地へ送られた正雄
00:20:44戦場で命を落としかけたこともありました
00:20:49ここに傷があるんですよ
00:20:53敵からの被弾で
00:20:56お薬も何にもない
00:20:59のっぱらに寝てて
00:21:01寝かされてて
00:21:02それの後
00:21:02で
00:21:04顔に
00:21:05高熱が出てて
00:21:07寝てて
00:21:08で
00:21:09川あたりに
00:21:11すごいハエとか
00:21:12いろんな虫が寄ってくるんですって
00:21:15何が何でも生きるって
00:21:17その時に
00:21:18顔周りに
00:21:19灰が飛んでる状態で
00:21:21死なないと
00:21:24無駄死にはしない
00:21:27正雄は
00:21:28どれだけ上官に殴られても
00:21:31一度として銃を撃つことはありませんでした
00:21:37そして
00:21:38中国で終戦を迎えた正雄は
00:21:41収容所に入れられました
00:21:45そこで
00:21:45再退者は早く帰国できると聞きつけ
00:21:49娘のいる家族連れに
00:21:50相談を持ちかけます
00:21:54なかなか帰れないし困ってましたけど
00:21:57宮崎の人がいて
00:21:58宮崎の家族が
00:21:59そこで
00:22:01収容されておりました
00:22:02そこのところの娘さんも一緒におりましたね
00:22:05で娘さんの
00:22:06結婚してるという
00:22:10偽装して
00:22:12それで偽装結婚で
00:22:13早く日本に帰ると
00:22:15その時の娘
00:22:19豊美です
00:22:25昭和21年6月
00:22:272人で帰国
00:22:33正雄は
00:22:34豊美の宮崎の実家に同居し
00:22:37廃線工事やバスの運転手として働きました
00:22:47翌年
00:22:48娘
00:22:48美雪が生まれ
00:22:492人は結婚します
00:22:57美雪の長男
00:22:58竹中康さんです
00:23:01康さんは
00:23:03正雄の孫にあたります
00:23:07美雪が生まれて1年後のこと
00:23:10正雄は家を出ていきました
00:23:15それでも豊美は晩年まで
00:23:17正雄とのことを繰り返し語っていたといいます
00:23:23古い写真があって
00:23:27それに正雄さんって書いて置いてあったりとか
00:23:31デビューする前だと思うんですけど
00:23:33お一緒にいた頃の写真
00:23:34でしょうね
00:23:35何かをもらってきて作ってくれたけど
00:23:38おいしくなくて2人で笑ったんだとか
00:23:40っていうような話は
00:23:43よくしてましたよ
00:23:45憎んでたり恨んでたりは全然
00:23:47それは聞いたことの不思議ですよね
00:23:51だから人の魅力かもしれないですよ
00:23:53祖父の
00:23:58その後正雄は鳥取県の倉吉に移り住みます
00:24:06この布団店の2階に下宿していたといいます
00:24:15布団店の米原さんは
00:24:17正雄の様子を覚えています
00:24:21いやとにかく仕事なしのブラブラで
00:24:24ブラブラであっちに行って
00:24:26食べさせてもらったりとか
00:24:29あの森下に遊んだりして
00:24:31なんか昼を食べさせてもらったり
00:24:33なんか人になったっていうことだったりですけどね
00:24:39そんな中である出会いがありました
00:24:45町の写真館の店主
00:24:47三田健太郎さんです
00:24:51健太郎さんの子孫たちが
00:24:53写真館を継いでいます
00:25:00ここに三国蓮太郎さんの写真があります
00:25:06私のおじいちゃんにあるここの仙台なんですけど
00:25:09ちょっと写真を撮ってみないかということで
00:25:15正雄と意気投合した健太郎さん
00:25:19写真館を始めたのは
00:25:20戦時中戦地に次々に送られていく
00:25:24兵士たちの姿を家族に残すためでした
00:25:32そんな健太郎さんの撮影したこの一枚が
00:25:36マサオの運命を大きく変えることになります
00:25:42写真を撮って勝手に
00:25:44松竹に送ってみたそうです
00:25:48支度金が来たみたいです
00:25:51その支度金を使って東京に行こうか
00:25:53っていうことになって行かれたようです
00:25:57なんかちょっと嬉しい
00:25:59なんで嬉しいですか
00:26:03ちょっとね
00:26:06これがあるからうちも繋げてるのかもしれないし
00:26:10逆にね
00:26:11三国さんところじゃなくて
00:26:14おじいちゃんが三国さん撮った
00:26:16お父さんが誇らしげにいた
00:26:19だからこそ続けてるかなっていうのもあるから
00:26:24縁あって遠い親戚な感覚で見てるのです
00:26:30応援してますよ
00:26:32本当ね
00:26:37昭和25年
00:26:3927歳の時
00:26:40マサオは上京
00:26:46いきなり
00:26:47Aが全魔の主役に
00:26:49大抜擢されました
00:26:54芸名は
00:26:55主人公の役名のママ
00:26:58三国連太郎となりました
00:27:00三国連太郎
00:27:03抜擢したのは
00:27:04木下圭介監督
00:27:10これいい顔だな
00:27:12三国さん
00:27:15いい目してるしな
00:27:18長年
00:27:19木下の助監督を務めてきた
00:27:21横堀さんです
00:27:24二言目には
00:27:26映画監督というのは
00:27:27人の顔を見るのが商売だからっていうのは
00:27:31口癖ですからね
00:27:33顔が結局
00:27:35そいつの生き様を反映するわけでしょ
00:27:39何歳になっても
00:27:41だから三国さんの中に感じられる
00:27:44人間の弱さっていうのかな
00:27:46脆さっていうのかな
00:27:49それがあの面つきと
00:27:51あのハッタリと
00:27:54の中に
00:27:56ほの見えるのが
00:27:57木下圭介は
00:27:58酷く人間を感じたんじゃないですか
00:28:04その後三国は
00:28:06大卒の知性美を持つ
00:28:08有望な新人スターとして
00:28:10大々的に宣伝されていきます
00:28:15しかし三国は肩にはめられ縛られることを拒絶します
00:28:23当時主演俳優は映画会社の専属とされていたにも
00:28:28かかわらず他社の作品に出演し大問題となりました
00:28:33絶対あかんことやこの当時
00:28:35撮影所の門にはこんな貼り紙まで貼られました
00:28:41なんか犬猫
00:28:42見船入るべからずっていう
00:28:45えーと
00:28:46張り紙が
00:28:47大船撮影所の表物に
00:28:50デカデカと貼ってあったのを
00:28:52よく覚えています
00:28:53要するに
00:28:54人間の嘘物をやらない
00:28:57やりたくないという
00:28:58三国の中の
00:29:00信念みたいなものがあって
00:29:02本物の人間を本物でね
00:29:06それらしくじゃなくて
00:29:07そのものとして演じようとする
00:29:10三国の気概が
00:29:14僕の胸を打ちますね
00:29:18そんな頃
00:29:19正男は東京神楽坂の寮邸で
00:29:22一人の女性と出会います
00:29:27売れっ子芸者として名を馳せていた
00:29:30敏子
00:29:32後の孝一の母となる人です
00:29:37いやーいかがですか
00:29:40もう
00:29:42やっぱり人間の脆さとか
00:29:45弱さとか
00:29:46いろんな感情は
00:29:48三国さんの中に感じられたんでしょうね
00:29:50もう彼の顔を見ると本当にもう
00:29:53世の中が分かったような顔になっているから
00:29:56やっぱり経験っていうのは大きいんですね
00:29:58大きいですね
00:30:00三国連太郎さんになる前の
00:30:02この佐藤雅夫さんの人生を知って
00:30:05どう感じられました
00:30:07いやーあんまり僕自身としては絶対
00:30:11何を見ても波立たないだろうなっていう
00:30:14ないだろうなと思うけど
00:30:16思った以上にやはり来ますね
00:30:19はい
00:30:20困ったな
00:30:21お伺いされてました
00:30:22ファミリー・ヒストリー
00:30:28今なんでこれ
00:30:29俳優の傍ら
00:30:30孝一さんは音楽活動も続けています
00:30:34ずっとやられてますね
00:30:48孝一さんのリズム感やその音楽の才能は
00:30:52母敏子譲りです
00:30:57踊りや三味線の名手だった敏子は
00:31:00神楽坂切手の芸者でした
00:31:04本当に男っぽさというか
00:31:06そこの中でこうやっぱりその芸事に対する
00:31:08その数字の通し方っていうのは
00:31:10三国よりよりはっきりしてましたね
00:31:14それが三味線であったり歌であったり
00:31:20こんな映像が残っていました
00:31:27俳優として賞を受賞した
00:31:29三国の祝いの席で夫を支える敏子
00:31:33すごい
00:31:36私が仕事ができるのは
00:31:39すごい
00:31:44すごいVTR
00:31:47敏子と交流のあった渡辺和子さん
00:31:51ずっと不思議に思っていることがありました
00:32:15敏子の裁縫の腕は母方阿部家のルーツと深く関
00:32:19わっていました
00:32:24戸籍で確認できる最も古い阿部家の先祖は宮城
00:32:29県の塩窯で暮らしていました
00:32:34阿部家の本家が見つかりました
00:32:38よろしくお願いします
00:32:40小さい時はうちのおじいちゃんの顔で歩いたって言ってました
00:32:44顔に乗って歩いたりなんかした
00:32:49金持ちだったから
00:32:52女川から船一艘持って潮川に来たんですって
00:32:59で海鮮問屋をやたそうです
00:33:01だからそういう仕事しちゃうんだ
00:33:04わあすごいの出てきた
00:33:07安部家に残る記録には江戸時代初期に孝一の14
00:33:12代前の先祖が
00:33:14押鹿半島から潮川にやってきたことが記されています
00:33:18ここに残ってるってことはいい絵だったんですよね
00:33:22そうですよ
00:33:2214代遡れますから
00:33:24江戸時代の商業史に詳しい斉藤義行教授です
00:33:31安部家は海鮮っていう言葉があるんですけれども
00:33:35海の商人と書きます
00:33:40これに象徴されると思うんですね
00:33:42お米にしてもですね
00:33:43魚にしてもですね
00:33:44それから木綿とか衣類にしてもですね
00:33:48全国的な流通も
00:33:50大きな全国的な物流れを動かしていく
00:33:55そういう人たち一族
00:33:58安部家は仙台の城下町の発展に伴い
00:34:08幕府や藩と強いつながりを持ち
00:34:11力をつけていきます
00:34:16当時綿花の栽培が難しかった東北で
00:34:19厳しい寒さに耐えていた人々のために
00:34:22関西から大量の古着を仕入れ
00:34:25商いをしていました
00:34:30しかし安部家は
00:34:32幕藩体制の終焉とともに
00:34:34その力を失っていきます
00:34:42そうした中で
00:34:43高一の祖祖父安部正次郎は
00:34:4730歳で妻子を連れて上京します
00:34:54正次郎の東京での最初の住所を調べると
00:35:00そこは銀座の洋服店でした
00:35:02へぇ
00:35:06住み込みでテイラーを目指し
00:35:09一心に修行に励みます
00:35:16正次郎のひ孫
00:35:17安部信彦さんです
00:35:21うちの安部家の特徴みたいですね
00:35:24あんまり口をかぼしたりしないで
00:35:26もくもくとやるタイプなのでね
00:35:30必ずねこう基盤を作って
00:35:34まあ一族につないでいくというふうに
00:35:37思ってくれてたんじゃないかなとは思ってますね
00:35:43そして明治の中頃
00:35:45正次郎は念願の洋裁店を開店させます
00:35:54しかし商売が軌道に乗り始めた頃運命が一変します
00:36:01突如として大地震に見舞われました
00:36:03へぇ
00:36:04大正12年関東大震災
00:36:08正次郎は家も店も全てを失ったのです
00:36:17正次郎の孫として
00:36:18孝一の母とし子が生まれたのは
00:36:21震災から7年後のことでした
00:36:27とし子の子供時代は寂しいものでした
00:36:335歳の時に父親は高い
00:36:37翌年母は再婚し
00:36:39とし子の下に弟たちも生まれました
00:36:469歳の時とし子は父方のおばの幼女となります
00:36:57妖母春は神楽坂で芸者の置き家を営む女性でした
00:37:05そこで敏子は強く惹かれる光景に出会います
00:37:13芸者の立ち居振る舞いや華やかさ
00:37:18磨き抜かれた三味線の音や踊りに魅せられます
00:37:24多分華やかだったから憧れたようなことを言ってたともに
00:37:29眩しくて私もやってみたいと思ったっていう話は聞きましたけど
00:37:37芸を磨くっていうことにすごく一生懸命小さい頃から幼女に
00:37:42行ってから
00:37:44習い事はしっかりやったって
00:37:48敏子と一緒に座敷に出ていた吉田芳子さんです
00:37:53こんにちは
00:37:55こんにちは
00:37:57はいもう踊りがね男踊りがとても上手でて
00:38:01はいもう展開一品だったんですよ
00:38:05セリフは上手でしたね
00:38:08おいお前来いよとかね
00:38:11ちょっとこうやるような
00:38:13しぐさがねやっぱりちょっと男になりますね
00:38:16ガラッと変わって
00:38:19うんお酒飲みね
00:38:22うん炭化切るし
00:38:25清水の二郎町の姿みたいですね
00:38:28女二郎町
00:38:32そんな敏子の姿に心を奪われたのが三国でした
00:38:38結婚を申し込まれた時のことを敏子は語っていました
00:38:45帰る時に何か私に送りましょうって
00:38:48神楽坂の方にずっと行きまして
00:38:50そしたら何か一緒にならないかっていうふうなことで
00:38:55何もともかくできなくてもいいって
00:38:57私を信頼してくれっていうですね
00:39:04昭和32年2人は結婚神楽坂に新居を構え新た
00:39:10な家庭を築き始めます
00:39:15いやいかがですか
00:39:17安倍家の方もまたすごいですね
00:39:20その商人だったっていうのはご存じだったんですか?
00:39:22いや全くいいじゃないです
00:39:24ただ彼女も母親本当にそういうさっきも言いましたよ
00:39:28男っぷりがいいっていうか
00:39:29本当歌踊りに対してはすごく厳しくて
00:39:32お母さんは?
00:39:33やっぱりそれは小さい時にやっぱり寂しいちょっと
00:39:37少し寂しい老いたちだったっていうのもやっぱり関係してるんで
00:39:41しょうかね?
00:39:42じゃないですかねだから芸事だけは絶対負けたくないっていう
00:39:46本当に三国が本当にそれは僕の意思だけど
00:39:50やっぱりこの人と一緒になったら
00:39:53その芸事のそれが全部自分のものになるんだって
00:39:57いやでも確かに三国さんならそういうこと考えそうな
00:40:02いやだけどお母さんのその言うたら
00:40:05送っていく時に一緒になろうかっていうそのプロポーズですよねい
00:40:09わば
00:40:10それっていうのはいかがですかそういう経緯が?
00:40:13なんからしいというかそれはほんとねいい時だったんですね。
00:40:26結婚から3年後の昭和35年長男孝一が誕生します。
00:40:35三国は本格派俳優への階段を上っていました。
00:40:44代表作となる飢餓海峡では過去におびえる男の人間の
00:40:49業を演じ切ります。
00:40:54三国の撮影現場を俳優石橋蓮司さんは印象深く
00:40:59覚えています。
00:41:02制作部から話して今三国さんと深作金次監督だったんです
00:41:07が今議論ちょっとしてて明日ですかちょっとお持ちくださいっていうことになって夜
00:41:157時ぐらいからアクロスの5時6時になる。それを全員
00:41:22スタッフも待ってるし。
00:41:27一つの映画に没頭すると三国は家を開けることが多
00:41:31くなっていきます幼い光一が父親と過ごす時間はほとん
00:41:40どありませんでした撮影所行ったらトシコの指揮が残っています
00:41:47パパ駄目だよあんまり打ち明けちゃうよ
00:41:57最近のことですがパパは高一にやり込められて苦笑して
00:42:02いました。
00:42:04でもパパの仕事に対する一途さを三国蓮太郎をや
00:42:11めちゃえと言いながらもこの頃高一も幼いなりに
00:42:16理解しているようです。
00:42:20こうちゃんかわいそうだねって言われるのが一番嫌でそれが小
00:42:25学校低学年ぐらいの時に
00:42:28自分はそういう風な顔は一切出さないっていうそういう子でした。
00:42:37当時佐藤家と親しく交流していた北村さん三国から久し
00:42:44ぶりの帰宅を告げる電話が入った時のトシコの
00:42:48様子が印象に残っています。
00:43:18久しぶりの帰宅を告げています。
00:43:20っていうのはあるんだな素敵だなと思った覚えがあります。
00:43:26しかし三国の家庭生活はほころびを見せ始めます。
00:43:33返還前の沖縄で撮影された映画神々の深き欲望。
00:43:42撮影は2年に及び予算も付きかけ、三国は私欲
00:43:46にもできぬまま家に帰ることもありませんでした。
00:43:54そして三国とトシコは離婚。
00:44:00孝一が11歳の時、三国は家を出て行きます。
00:44:12昭和51年、三国の父、ただしが亡くなりました。
00:44:22三国はただしを見とってから、まるで取り憑かれたように一
00:44:27つの映画に没頭していきます。
00:44:33いかなる人も平等であることを説き人間の抱える煩悩
00:44:38とも向き合った僧侶親男その生涯を描こうとしたのです
00:44:44よーいスタート!
00:44:49構想準備に10年を費やし撮影をスタート三国自身
00:44:55が監督を務めました新蘭を演じた森山純久さんです新
00:45:10蘭がはだしで石の転がる山道を下りるシーンで
00:45:14のことでした。
00:45:19そのうちも痛くてもヨロヨロした時にストップストップスト
00:45:24ップ!何をやってるんですか?と言われて自分の靴を投げ捨て
00:45:33て靴下も脱いでそこを歩くんですよ。
00:45:39どこが痛いんだ?何が痛いんだ?何百人の人間が死んだ
00:45:46んだ?え?
00:45:49それで虐げられたものに少しライトを当ててる。非常に痛い
00:45:59のライトを当ててる。
00:46:02だけどそれだけでは終わっていないものを感じるんですよ。三国さんの
00:46:09中では。そういう悪業だと非難している。俺は何なの?
00:46:16そういう自分の内面動くめくものみたいなものを追い続けて
00:46:21半端じゃない気持ちで半端じゃないことで気持ちはない追い続け
00:46:27たって実践していったというような方だと思っていますけども。
00:46:34三国の胸には育ててくれた父正が半骨の精神で生
00:46:40き抜いた姿がありました。
00:46:44本当に涙を浮かべながら親父には感謝しているという風に。だから
00:46:55どうでもよかったんじゃないでしょうか。
00:46:59自分の父親がもしかして違うかもしれない。それもどうでもよかったん
00:47:09じゃないですか。
00:47:10俺の一番大事な親父が苦しんだ差別、抑圧された生活、
00:47:17そういったものに対してそれを覆していこうと思うものは
00:47:25お父様が胸にしっかりいらしたんじゃないかなと思います。
00:47:31だから佐藤正氏じゃなかったら三国連太郎は生まれなかった
00:47:36かもしれないですね。
00:47:41高校生となった孝一。実家を出てアパートで一人暮
00:47:47らし始めます。
00:47:48高校生で?
00:47:50母としこは離婚後、新たなパートナーを得ていました。
00:48:00中学の頃からの50年来の友人、小林さんです。
00:48:07一人暮らし、高校生が、なんか辛そうな時が一時期あった
00:48:17に記憶してますね。
00:48:18ちゃんと眩しくってんのかよって、なんかこういった時が記憶があります。
00:48:22高校生で一人暮らし。
00:48:25そんな孝一には、幼い頃の父との記憶が胸にありました。
00:48:34本当にこれを感謝しているのは、撮影の現場に、いつも小さい僕を
00:48:40連れて行ってくれたっていう、幼い僕にすごく不思議な世界だと
00:48:45して見れて、
00:48:46まるで本当に、言葉あれだけど宇宙の宇宙基地みたいなように
00:48:51作られていく映画の様を見せていただいたということ、それを見ることが
00:48:58できたということがやっぱり、やっぱり何か僕の今を作っている何
00:49:04かではあると思うんです。
00:49:05うん昭和55年、光一はドラマに出演、19歳でデビュ
00:49:14ーを果たします。
00:49:28父に役者になることを伝えたのは、ドラマの出演後の
00:49:32ことでした。
00:49:35あの東西線の早稲田の駅伝、ホームで役者をやろうと思う。
00:49:41で、三国に言った。
00:49:45電車に来る前に、そしたら一言、あっそう。
00:49:51というだけで、分かった。
00:49:55他にもうちょっと何か、言っていただけるもんだとばかり思ったら、それ
00:50:00だけだったんで、うんうん。
00:50:04光年三国はその時のことを語っていました。
00:50:11三国は裏方が何かをやるんだと思ってたみたいね。
00:50:15役者って聞いてもびっくり予定しちゃって、大丈夫かなと思ったみたい
00:50:20ですよ。
00:50:22でもNHKの方へ見て、才能ある。僕より才能があるって言
00:50:27ってました。
00:50:29その後、映画出たんですね。
00:50:32青春の門、あれ見て、なんとか一人で一人出しできるかもしれない
00:50:37ってことを言ってました。
00:50:41関係者とかいるとこで見たくないんでしょ。
00:50:43小石さんの映画見るときは、地方でよく見ました。
00:50:46誰もいないとこ。
00:50:49全部見てますよ俳優となった光一は父三国伝太郎の存
00:51:01在を背負い戦いを続けていました30代からその姿を見てきた坂
00:51:12本潤次監督です
00:51:17早くにデビューしたときに、結構苦い思いというか、つ
00:51:24らい思いをしている。
00:51:26結局、お前みたいに苦労もせず俳優になりやがって、っていうの
00:51:31を先輩たちに言われたり、だから彼はやっぱり自分の言
00:51:36葉を持つことっていうのを必死でやってきたと思う。
00:51:39孤立とか孤独とかから生まれるんだと思うんですけど、でもそこにや
00:51:45っぱりこう、負けていく自分は嫌だっていうね。
00:51:51自分で自分をカウンセリングしていくには何かしらの
00:51:55哲学を持ってなきゃいけないし、言葉を持ってなきゃ
00:51:58いけないから、そうやって過ごしてきた時間が長いと思いますよ。
00:52:05デビューから16年孝一は父みくにと初めて共演する
00:52:10ことになります憎しみ対立する父と息子の物語でしたおいしい。
00:52:35何か俺が言うというのは非常に幼すぎるか。
00:52:38いやいや、あそこのキャッチボールはね。あって何かやいざ
00:52:42んってこう言ったら。それで結論としてシローがそれを袋にちゃ
00:52:47うんだっていうふうにぽつんと言い出すようにして、あとは切っちゃった。
00:52:51自分でいいように、いいように切って。何ですかこれ。
00:52:58その撮影現場はたびたびメディアで不仲が取
00:53:02り沙汰されていた世間のイメージとは異なるものでした。
00:53:09メディアはそう書きたいだろうし、というかメディアというか
00:53:14他社はそう思ってみたほうが楽しいだろうし。
00:53:20中圧はそれはいつでもあると思うし、あったと思いますけどね。
00:53:25自分自身に自信がないから、自分も何者なのか分から
00:53:29ないからそう思ったわけで。でも自分が佐藤高一って役者なんだ
00:53:32って、自分自身が分かったら、べくにニニクリメディア
00:53:36だろうが父親なのは当たり前。それを言われることもそのと
00:53:41おりでございます。そう自分でそう言えるようになるっていうことだと思うんです
00:53:46けど。
00:53:49孝一は32歳の時俳優だった綾子さんと結婚そして平成
00:53:578年勘一郎が誕生しますれんちゃんと呼ばせ誰よりも
00:54:08勘一郎をかわいがっていた憎み。
00:54:13誕生日やクリスマスは必ず家族そろって祝いました孝
00:54:27一が開くホームパーティーに度々参加していた俳優松
00:54:32本純さんです。
00:54:37三国さんにご挨拶すると、菅がいつもお世話になってますって
00:54:40言ってくださるっていうのが恒例でしたね。
00:54:45そこに参加させてもらってる人間からすると本当に親子3
00:54:49世代の何かこう勘一郎君にとっては優しいおじいちゃん
00:54:54っていう何か距離感の感じですかね。
00:55:29やってらっしゃるんですよ。で、総合的にセリザー鴨を振り
00:55:37返ってみると、まあ僕から見た印象ですけども、佐藤さんの勝
00:55:44ちって感じがしますね。
00:55:46しかもその中にどこかやっぱり三国さんの鴨が少し
00:55:50こう紛れ込んでる感じもねなんか本当に良かったし素敵な親子
00:55:55関係だなと思って。
00:56:00晩年の御国は国民的映画となった釣りばか日誌
00:56:05スーさんの役柄で親しまれていました。
00:56:20シリーズ後半の演出をした朝原雄三監督です。
00:56:27本当に80歳に近くなってきてやっぱりセリザーが上
00:56:30手く入らないとか自分の中でこう思ったようにできないっていう時が
00:56:34あるんですけど、そういう時は本当にねあの何度もやり直させてく
00:56:39れって言うんですよね。
00:56:41でもその度に三国さんはその中学生たちに頭下げてす
00:56:45いませんもう一回やらせてください次はちゃんとやりますからって謝ってるんです
00:56:48よ。自分自身に対するチャレンジっていうかがまだ続いてたっていう
00:56:56か。
00:56:58どんな舞台に立っても三国のその姿勢は生涯変わり
00:57:02ませんでしたこう一度行った朗読劇です。
00:57:10行くんじゃない!
00:57:13私は手の父の手を振り上がった。その時、父の手が私
00:57:19の方を呼んだ。
00:57:21なあ、息子よ。
00:57:25なんて言うのは、相手を思う気持ちがある時だけ。
00:57:32うん?
00:57:37その後、三国は体調を崩し、入退院を繰り返すよう
00:57:41になります。
00:57:46俳優さんってオンとオフがあると思うんですけど、三国さんがこう
00:57:50したが来るとオンになる感じだったと思います。
00:57:53はい。なんかこうドローンとした目が、ピカッって感じになるんですよ。
00:58:02だれだれさんはどうしてますかねとか、三国さんの口からだれ
00:58:06だれさんっていう言葉は、
00:58:08光一さん以外、私は聞いたことないです。
00:58:11うん。
00:58:14映画の制作スタッフだった岩田さんが、最後に三国を
00:58:19見舞った時のことです。
00:58:23もう僕のことが言っても、もう分からないぐらい、なってらしたんですよ。
00:58:30失礼させていただきます、本当に。っていうご挨拶をしたら、
00:58:36今日何時開始ですかって言われたんです。
00:58:39うん。
00:58:48認識しちゃったんだ。
00:58:50今日は撮影ないんで、ゆっくりお休みください。って言って。
00:58:55後にも先にもそれが、最後の言葉で。
00:59:01いやもうちょっと涙は止まらなくて。いやもう本当に今思い出しても
00:59:10ちょっとダメですね。
00:59:14平成25年佐藤正雄はその生涯で183本の映画を
00:59:21三国蓮太郎として演じ切り90年の人生に幕を下
00:59:27ろしました。そして勘一郎も俳優の道を歩き始めることになります。
00:59:39息子から俳優になりたいと告げられた時、孝一は。
00:59:47まさしく三国と一緒で、あ、そうとしか言いようがなかったです。
00:59:51やっぱりそうなるか。あ、そう。
00:59:57三国が言うことじゃなくて、僕の言葉として言わせてもら
01:00:01えば、いい出会いがあるかどうか。その出会いだけ。それに恵まれる
01:00:09ように。
01:00:10平成はいつも朝、仏壇の親父に向かって行ってます。
01:00:18孝一君が三国さんに役者になろうと思うって言った時にね、
01:00:22あ、そう。一言だったって言ったし、今度関一郎が同じこと言
01:00:27ったら、あ、そう。
01:00:28結局ね、三国と同じ答え方をしてたって言ってたから、その
01:00:34圧巣の中には、あの、嬉しさが入ってるんですよ。
01:00:38どこかで期待してたはずな。
01:00:42自分を乗り越えていくのも楽しみにしてると思うな。
01:00:49河一郎のデビューから3年後、孝一は息子と初共
01:00:54演を果たしました。
01:00:59いかがでしたでしょうかいやいや改めてうんちょっと危なくちょっとね涙腺も崩
01:01:10壊したのでいやいやいやいやいや
01:01:12出していただいていいんですよ
01:01:13嫌です
01:01:16僕がこう
01:01:18見舞いに行って顔見に行って
01:01:22お前今何やってんだ
01:01:23これこれこうでこういう作品をやってるんだ
01:01:26誰々と一緒に
01:01:28ああそうか
01:01:30明らかに嫉妬してるわけですよ
01:01:34俺も
01:01:34芝居がしたいっていう
01:01:38すごいですね
01:01:39それが逆に僕は
01:01:40あ嬉しくてね
01:01:44この人の中にそれだけ
01:01:46その気持ちがまだあるっていうことが
01:01:49活力なんだ
01:01:51最後までですね
01:01:52小市さんが来たら
01:01:54オンになるっておっしゃってましたもんね
01:01:56目がね
01:01:57やっぱり息子であり
01:02:00役者として嫉妬する存在だったのかも
01:02:04であれたということは嬉しいです
01:02:05うーん
01:02:07三国さんと小市さんっていう関係性もあるんですけどやっぱりその三
01:02:12国さんにとってはそのお父さんの正さんの存在っていうのがや
01:02:17っぱり非常に大きいものだったんですね
01:02:21僕を連れて行って
01:02:24自分のおじいちゃんだよっていうのは
01:02:27というのが根に何とか
01:02:29それが恒例というかね
01:02:31はい
01:02:33佐藤正氏じゃなかったら
01:02:35三国蓮太郎は生まれなかったかもしれないって
01:02:38いやあの言葉はどういうふうに
01:02:41いやまあそういうことだと思います
01:02:43役者三国蓮太郎につながってるんですね
01:02:46そのお父さんの考え方とか
01:02:48反骨精神っていうのは
01:02:50それと同じなんですよね
01:02:51三国蓮太郎がいなかったらやっぱり
01:02:54僕は佐藤五一にはなれなかった
01:02:59ご来場いただきましてありがとうございます
01:03:04この日、光一さんが妻・綾子さんと取り組んできたある映画
01:03:09が上映されます
01:03:11あっ、サイル・ロースさん監督してますか
01:03:15主人公は虐待やネグレクトを受け
01:03:18施設で育った若者たち
01:03:21本人が演じています
01:03:24好きな女作ってさ
01:03:26たくさん子供作れへんね
01:03:28フフフ
01:03:30光一さんは施設の職員役を演じました
01:03:36光一さんと綾子さんは
01:03:38児童養護施設の子供たちを預かる
01:03:41短期終末佐藤や
01:03:43フレンドホームの活動を続けてきました
01:03:499歳で母親を亡くし
01:03:51養護施設で育った佐紀さん
01:03:541年半、佐藤家で暮らしました
01:03:58岸燃料があったりとかする時期があって
01:04:03でも、光一さんが
01:04:08自死をしたりとかする人のニュースを見るたびに
01:04:11すごく悲しそうにするんですよね
01:04:16残された人の気持ちを
01:04:17考えてないって言っていた時があって
01:04:21それを聞いて
01:04:22何か私、もうこっそり取りにトイレに
01:04:25お手洗いに行って、もう泣いてしまって
01:04:30お医さんのことはパパって呼んでるんですけど
01:04:33うーん、なんか、本当に出会ってなかったら
01:04:40私、今ここに存在してないんだろうなって思うというか
01:04:47フィリピン人の母親を持ち
01:04:4911歳まで国籍を持てなかったブローハンさん
01:04:55光一さんが黙って話を聞いてくれた後、発した一言が
01:05:00胸に刺さったといいます
01:05:04ブローハン
01:05:08それは家族のためにとか
01:05:10友人のためにって言ってるけれども
01:05:13家族のせいにしていて
01:05:15友達のせいにしているよって
01:05:17言われたその一言が
01:05:20確かにそうだなって思ったのは
01:05:22やっぱり僕が家族のせいにしている限り
01:05:26自分の人生は変わっていかないなっていうふうに思っていた
01:05:30し
01:05:31あの天気がなかったら
01:05:32全然違う道また辿ってたんだろうなって思うと
01:05:35すごい感謝をポイツさんにしています
01:05:42彼も本当に
01:05:45幼少期いろんなことがあったので
01:05:50たくさんの傷がまだ心の中に残っていて
01:05:57それを理解できるんじゃないですかね
01:06:01優しいと思います根本が
01:06:03うん
01:06:05優しい人です
01:06:08その優しさはどこで培われたのだと思いますか?
01:06:12本当はだから愛されて
01:06:15自分の記憶にないかもしれないけど
01:06:17多分すごく愛されて
01:06:20うん
01:06:21だかしだと私は思ってます
01:06:26三国連太郎さんが亡くなってから
01:06:29今年で12年
01:06:32明日のこの日
01:06:3413回帰の会に俳優や関係者など
01:06:37400人が集いました
01:07:01三国さんが自ら監督出演した映画のフィルムが残
01:07:06されていました
01:07:10人生を諦めかけた主人公は
01:07:13アフガニスタンへ
01:07:15放浪の旅に出て
01:07:16一人の少年と出会います
01:07:21少年の役名を三国さんは
01:07:24メルビー
01:07:25天使と名付けました
01:07:29分かれた僕にとって
01:07:30孝一ってのは天使だったんです
01:07:34この時はもう子供の残してきた子供のことしか考えてないんです
01:07:4211歳の時
01:07:43別れた息子
01:07:45孝一さん
01:07:49同じ俳優の道へ進んだ息子のことを
01:07:52三国さんはいつも心に留め見つめてきました
01:08:04この間テレビでなんかシャレたこと言ってましたね
01:08:06もう超えましたっていうこと
01:08:08僕の方が超えました向こうがね
01:08:11何言ってるかと思いますけどね
01:08:14やっぱり深さが違うんじゃないかと思います
01:08:18向こうがそう言いましたから
01:08:19もう超えましたって言うから
01:08:20僕もここで言わせてもらいます
01:08:22いい関係
01:08:25僕が違います
01:08:31そして自らも父親となった孝一さん
01:08:36孝一郎さんの子育てに力を貸してくれたのは
01:08:40この中
01:08:41はいお願いします
01:08:4340年代の友人
01:08:44明石屋さんまさんです
01:08:48僕は関君とよくオーストラリアなんか行って
01:08:52一緒にずっと遊んでたんですけども
01:08:54こういう自分はあんまり遊ばない
01:08:57なんで遊べへんのって聞いたら
01:08:59僕は子供の男の子のお父さんっていうのが
01:09:07三国さんがその頃いらっしゃらなかったんで
01:09:10育て方が分からないってすごい悩んでらっしゃって
01:09:17それでも今こうして見てみると
01:09:20お父さんの背中を見ながら育ってる
01:09:25勘一郎くんはすごい
01:09:27だから子供と遊んだり何にせんでも背中さえ見せとけ
01:09:31ば
01:09:32子供はちゃんと親を尊敬するんだと思う本当に不思議な感じ
01:09:41ですね似てしまうDNAが操作するのか似たくないと思ってると思
01:09:48うんですけども似ていくあの3人何か僕は楽しいです。
01:09:58祖父父に続き俳優となり今年9年目を迎える勘一
01:10:04郎さん
01:10:06父郝一さんとの初共演は印象深いものだったといいます
01:10:11お前さ簡単にな売れるとか売れないとか言うな生意気だぞ
01:10:16もうパワハラですよ
01:10:19親父はもう本当に誰が見ても緊張してるってくらいこうカチ
01:10:24カチだったんですよ
01:10:25平気なフリアするんですよ
01:10:27面白い方です
01:10:28っていう面白い一面を僕は子供時代見ることはなかったので
01:10:35この仕事を始めてから父という人をより深く知れた気がします
01:10:45よね
01:10:47まあ一つの家族っていうのは文化であって
01:10:51そのうちの文化はお芝居であり映画だったと思ってます
01:11:02まあであると思うんです
01:11:04やっぱ大人になってすごくいい父親の背中を見れてたんだな
01:11:11と
01:11:14佐藤浩一さんのファミリーヒストリー激動の時代反
01:11:20骨の精神で生き抜いた父親たちその背中を追い俳
01:11:26優として人間を演じ続ける家族の物語でした
01:11:40いかがでしたか
01:11:43いやもう
01:11:46なんでしょうね一言では言えないですけどほんと
01:11:48うん
01:11:49恋愛
01:11:49可愛い
01:11:50恋愛
01:11:50ありがとうございました。