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00:00偶然の勝利はあれども、敗北はすべて必然。
00:07日本の歴史を彩った偉人たちは、いかにして敗れていったのか。
00:13その裏にはどんな原因と過ちがあったのか。
00:19今回は、4度にわたって内閣総理大臣を務め、
00:23大日本帝国憲法を成立させた伊藤博文の敗北を紐解きます。
00:29西郷、大久保ら、討伐の原動力となった英雄たちの背中を追い、
00:35明治政府のリーダーとなった若木穂。
00:39近代国家の実現に向けて、欧米との不平等条約改正に挑み続けた伊藤の苦悩とは、
00:47敗れし者たちの失敗から学ぶ人生哲学。
00:53偉人敗北からの教訓。
01:03歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちは何を学ぶのか。
01:09偉人敗北からの教訓。
01:11進行役の中西優里です。
01:14そして歴史作家の伊藤淳さんです。
01:16今日もよろしくお願いします。
01:18よろしくお願いします。
01:19前回は500円札のモデルになった岩倉智美を取り上げましたけれども、
01:24お札の顔って定期的に変わりますよね、岩倉が500円札のモデルになっていた時代って、ほかのお札はどうだったんですか。
01:32はい伊藤博文が千円札で聖徳太子が五千円札と一万円札だったんですよつまり聖徳太子が2つのお札をですね兼ねてたということでですねじゃあ同時期に五千円札と一万円札どちらも聖徳太子だったやややこしい時代だったんですねややこしいことやりましたよね今回は岩倉智美らの後を継いで不平等条約の改正に挑んだ日本の初代内閣総理大臣伊藤博文さんは、
02:01伊藤博文の敗北に注目しますこの人は長年千円札の顔として親しまれてきましたけれども大日本帝国憲法の制定であったりあと国会の解説など本当に教科書で彼もが習う偉業を成し遂げた人ですよねただ結構批判の声も聞くんですよねまず伊藤はですね目立とうとすることが多いんですよつまり公務員士が強い人物だったんですねまたですね政治哲学や一環化については
02:30考えがないように見えるんですよねつまり状況に応じて変幻自在に持論を変えるというそして第三にはですね誰かの知り馬に乗ることが多いんですね誰か権力者の知り馬に乗ってうまく自分もその後カムに収まるみたいなことですよね
03:00それがまあいろいろ人気のない部分につながっていたということを説明させていただいたんですけどね
03:05通算で4度も総理を務めた人物でもありますけどこの長い政治家人生の中で特に大きなテーマがあったみたいですね
03:14まずあの伊藤というのは長州ファイブという名前でも有名ですけど長州五血というふうに昔は呼んでたんですけどね
03:21その一人として幕末に英国へ行ってるんですよねそこで三国革命の凄まじさを目の当たりにしたつまり最初に知った日本人の一人になるわけです
03:30そこで国家が手をなすまでの制度設計の必要性というのは痛感するんですよね
03:35そのためにまずやるべきことはやはり憲法法律関係の制定とですね不平等条約の解消しなければいけないということをですね彼は思うわけですよね
03:46さあ今回はそんな伊藤博文の敗北をひもときながら明日を生きるための教訓を探していきますまずは伊藤博文の人生を振り返りますこちらをご覧ください
03:59憲法の制定など日本の近代化に心血を注いだ伊藤博文は
04:061841年小州藩の農民の子として生まれながらも
04:14縁学に勤しが
04:1617歳で吉田松陰の松下村塾に入門し尊能上位活動に身を投じます
04:24その後生涯の名優井上香るらとともに
04:30長州五血の一員としてイギリスに渡り
04:33西洋の国家制度や技術に大きな衝撃を受けた伊藤は
04:38海外との交渉役として明治政府に参加し
04:43木戸孝義や大久保利道らの信任を得てその才能を開花させていきます
04:501871年には岩倉施設団の副使として
04:58欧米との不平等条約改正交渉に臨みますが
05:02交渉は不調に終わり失意のうちに帰国します
05:06その後明治政府のリーダー核となった伊藤は
05:12井上香るや大隈重信らとともに
05:16日本の近代化に乗り出します
05:18伊藤が目指したのは憲法の制定と国会の改設
05:26そして不平等条約の改正でした
05:29ところが大隈と意見が対立すると
05:34その大隈を政府から追放します
05:371885年に初代内閣総理大臣に就任すると
05:42憲法の制定に自ら乗り出し
05:45条約改正交渉は
05:47名優の井上に託しました
05:49しかし井上の
05:53王家主義的な外交活動は失敗し
05:56交渉が頓挫すると
05:58新たな外相のポストに追放した大隈を抜擢し
06:02起死改正を図ります
06:04総理から数密院議長に転じた伊藤は
06:101889年
06:12ついに大日本帝国憲法の発布にこぎつけます
06:16しかしこの頃大隈の強硬な外交方針に
06:23国内外から批判が殺到し
06:25不平等条約の撤廃交渉はまたもや
06:29暗証に乗り上げました
06:31伊藤はこの騒動を収めるべく
06:37自ら公職の座を下ります
06:39伊藤敗北の瞬間です
06:43なぜ伊藤は不平等条約の改正に苦戦を強いられたのか今回は日本の近代化に挑み続けた伊藤博文の敗北に迫りますさあここで伊藤博文の人生の主な出来事を振り返っていきます
07:06もともとは農民出身だったんですね
07:10実は父親がですね長州藩の足軽だった伊藤家に養子入りしたことで足軽の身分を得たんですね
07:17若い頃は意外と過激な尊重派だったという面もあるみたいですね
07:22いや過激でしたね
07:23もしも伊藤が若い頃に死んでいたらですね
07:27最も過激な上位子の一人として名をとどめたんではないかなと思うんですよね
07:32国学者のですね花輪二郎がですね背底の孤児を調査しているという噂を聞きつけて花輪二郎を残殺してるんですね
07:40そういうちょっと影の部分を持ちつつも時代とともにですね過激な上位子氏から万能の政治家へと変貌を遂げていくんですよね
07:49伊藤を見ていると本当に人はいつまでも同じ場所に留まっていない
07:53やはり学んでですねそれを糧としてですね大きな存在になっていくんだなというのを痛感しますね
07:59そんな伊藤博文が取り組んだ大きなテーマの一つが不平等条約の解消だったということですけれども
08:07改めてこの当時の条約ってどういうところが不平等だったんですか
08:12欧米の列強がアジアの諸国に対して関税自主権を放棄させ外国人の犯罪に対して地外保険を行使させる条約だったわけですよね
08:22日本の場合ですね保険制度が長かったため近代法による法治国家の諸原則が整備されていなかったんですよね
08:30ですから欧米列強とですねいろいろ外交交渉したりとか
08:35そう取引するためにはですねこういった不平等条約を結ばずを終えなかった
08:39そういう背景があるんですよ
08:41西郷隆盛、大久保利道、木戸孝義という維新の賛欠の跡を継ぎ明治政府のリーダーとなった伊藤博文には共に近代国家の夢を語り合える存在がいました。
08:56日本の未来を形成するための議論が繰り広げられている国会議事堂
09:03中央広間には議会政治の礎を築いた3人の像が立っています
09:12その一人、日本初の内閣総理大臣となった伊藤博文は
09:19向き合うように立つ大隈重信と共に夢を語り合いながらも
09:25ことあるごとに対立を繰り返していたのです
09:281841年、伊藤は林理介として現在の山口県光市の農家の家に生まれました
09:40生誕の地に立つ伊藤光資料館には
09:47聖火をはじめ大礼服、書館、千円札の一号券など
09:52伊藤ゆかりの品々が展示されています
09:56伊藤の登園にあたる館長の林さんは
10:03幼少期の伊藤についてこう話します
10:06理介少年が神社でだしを出して遊んどって
10:11正野さんに叱られたという逸話があります
10:14他の子は真っ先に飛んで逃げたんですけど
10:17林理介少年は悪さをしてすいませんと
10:21素直に謝ったと
10:229歳の時伊藤は萩にある親戚の寺に預けられます
10:29住職の桜井さんによると
10:32当時が農民でしょう
10:35ね、読み書く知らない
10:37住職から読み書く教えてもらう
10:39大人のすぐ裏がね、高杉氏のところの住宅がある
10:43身分は全然違うけど、近所の遊び友達
10:46子の大間さんとかって遊びよって
10:49家が貧しく
10:52父と共に萩の下級藩士伊藤直上門の下で
10:57奉公していた伊藤は
10:5914歳で伊藤家の養子となり
11:03農民から一点、武士の身分となりました
11:08そして17歳の時
11:12吉田松陰が主催する
11:14松家村塾の門をたたきます
11:16松陰神社の宮司、白神さんは
11:22松陰は伊藤の中にある可能性を見いだしたといいます
11:27なかなか終戦家になりそうだというふうに
11:31表してはありません
11:32終戦家とは
11:35ことを成すために立ち回る人物のこと
11:38つまり、政治家に向いているとみたのです
11:42学問は今一つ知説である
11:46人間的にも今一つ花がない
11:49けれども、すごく彼を愛しているという言葉を残しております
11:53そういう人間的な素朴さというのが
11:57そういうところに惹かれたのではないかなと思っております
12:01松陰らに影響を受け、尊能上位運動に加わった伊藤は、やがて海外に強い関心を抱きます、伊藤博文に関する著書がある滝井さんは、その真意をこう話します。
12:25ひと言で上位って言うけれども、いろんな考え方があって、外国人というものを拒否するというのではなくて、彼らの圧力というものをはね返すというのが、むしろ主番。
12:38伊藤は諸外国と対等に渡り合うためには、まず相手を知ること、そして海外の技術を学び、国を強くする必要があると考えたのです。
12:52そして23歳の時、大きなチャンスが訪れます。
12:58聖州藩が若き藩主たちをイギリスに留学させることにしたのです。
13:05西洋に行けるチャンスがあるとすると、すぐそれにパッと乗っていく。
13:12知らないものを知りたいという好奇心というものが、彼の強みだったと思いますね。
13:20イギリスに渡った伊藤は、その発展ぶりに愕然とします。
13:26日本とは全く違った大都会を見て、それは圧倒され、驚き、ショックを受けた。
13:38日本が外国から学ぶべきことは想像以上に多くある。
13:43これを機に伊藤はいち早く開国し外国と積極的に交流すべきと考えるようになったのです。
14:13帰国して3年。
14:16大政奉還によって江戸幕府が幕を下ろし、明治新政府が発足したばかりの頃、伊藤は神戸にやってきました。
14:27すると、街が何やら騒然としています。
14:33実はその前の日、岡山藩の兵とフランス人水兵が衝突する大事件が起きていたのです。
14:43維新を研究する市坂さんが事件のあらましを話してくれました。
14:48この向こう側が、南側が外国人恐竜地、地外保険の地ですね。
14:55開港したばかりの神戸の恐竜地です。
14:58岡山藩の行列は西側の方からずっと来たわけですね。数百人がですね。
15:03その隊列の前を横切ろうとしたフランス兵を無礼と負傷させ、挙句に銃撃戦に発展したのです。
15:15現場に居合わせたイギリス公使パークスは激怒し、列強諸国と共に神戸の中心部を占拠しました。
15:25それを知った伊藤は持ち前の行動力を発揮します。
15:29当時、明治政府誕生したばっかりですから、これがですね、やっぱり外国相手にどうやって交渉していいか分からない。
15:40この時、まだ政府の人間ではなかった伊藤は、パークスとの交渉に自ら名乗りを挙げます。
15:49明治政府も彼は外国人相手に、外交官として必要だからということで、すぐに明治政府というところに入れてですね。
15:57その関東にさせるわけです。
16:01この騒動の中で、伊藤は急遽政府の一員に加わることになったのです。
16:08ところが、伊藤の交渉も虚しく、列強側は聞く耳を持たず、岡山藩の責任者は切腹となりました。
16:18悔しい思い。
16:21フランス兵一人のけがと、日本人の侍一人の命がですね、対等に扱われたということなんです。
16:28で、それがやっぱり当時の西洋列強と日本との関係を象徴しているようなものだったんですね。
16:34この命の格差こそ、国の弱さ。
16:38日本を諸外国と対等に渡り合える強い国にしなければならないと痛感したのです。
16:45この時の交渉力と行動力が認められた伊藤は、新政府の財政担当に抜擢されます。
16:57そして1871年には、得意の英語力を変われ、岩倉智美を匿名全権大使とする施設団の副使として、欧米に随行することになったのです。
17:10施設団の最大の目的は、江戸幕府がアメリカと結んだ日米修行通商条約などの不平等条約を改正するための予備交渉でした。
17:27中でも伊藤が絶望したのが、日本で罪を犯した外国人を日本の法で裁くことができない行事裁判権の撤廃です。
17:45最初に訪れたサンフランシスコで熱烈な歓迎を受けると、伊藤は流暢な英語でスピーチを行います。
17:56アピールしたのは、廃藩事件の成功でした。
18:03我が国は、封建の長き悪しき制度を一発の銃弾も放さず、一滴の血も流さず、人民の自由の自覚で改革したのである。
18:18南北戦争で多くの血を流したアメリカ人は、伊藤の演説に衝撃を受けたといいます。
18:25サンフランシスコでの好意的な反応に喜んだ伊藤は、条約改正の予備交渉にとどまらず、一気に本交渉まで進めるかもしれないと期待します。
18:41ところが、ワシントンで驚きの事実が判明します。
18:48国家同士の交渉には、元首の委任状が必要であるにもかかわらず、一向はそれを持ち合わせていなかったのです。
19:01伊藤と大久保利道は、委任状を取りに大急ぎで帰国しました。
19:08この大死体について日本の近代史に詳しい坂本さんはこう話します。
19:18やっぱり見通しの甘さというのを痛感をしたと思いますよ、これまでイケイケドンドンだったんですけど、より慎重になるというのは、この経験がとても大きかったんじゃないかとアメリカでの交渉に失敗した後、ヨーロッパを歴訪した伊藤は、強い決意を胸に刻みます。
19:41条約改正の高いハードルをクリアするためには、日本の総合力、そのためには文明化しなきゃいけない。
19:51日本が近代国家として認められるには、国民の権利と自由が保障される新たな政治体制をつくる必要があります。
20:01ところがその矢先維新三傑の木戸孝義、西郷隆盛、大久保利道が相次いでこの世を去ってしまいます伊藤は計らずも明治政府の中心人物に押し上げられる形となったのです
20:22総質感とともに、ここからどうやって政府を回していくんだろうと非常に不安だったと思いますね。
20:32時を同じくして政府の実力者として台頭したのが、少州五血の一人として、共にイギリスに渡った名優井上香織と、佐賀藩出身で伊藤の外遊中に留守政府を預かっていた3歳年上の大隈重信です。
20:53伊藤が政府のリーダーとなる内務協に就任すると、大隈はこう語りかけます。
21:02君が大いに尽力せよ。僕は優れた君に従ってことを成し遂げるため、一緒に死ぬまで尽力しよう。
21:14伊藤は大隈、井上とともに天下国家を論じ合い、絆を強めていきます。
21:21しかし憲法制定や国会開設の議論が高まると、大隈は
21:28早急に憲法を制定し、2年後に国会を開く。
21:33などの求心的な意見書を、伊藤に内密に天皇へ直接提出しました。
21:41その後も、全身的な改革を望む伊藤と、求心的な大隈はことあるごとに衝突し、
21:49ついに伊藤は実力者である大隈を政府から追放したのです。
21:59こうして政府のトップに立った伊藤は自身の信じる立憲国家の構築とその先にある不平等条約の改正に突き進んでいきます。
22:12伊藤博文自身の作説ストーリーというのもありますしやはり彼の中でいろいろこう何て言うんでしょうか時代の流れに合わせて試行錯誤していたんだなとすごい伝わってきましたね。
22:28はい。明治初期の伊藤というのはですね、欧米諸国への憧れから求心的な改革の信奉者だったんですね。
22:36しかし伊藤はですね、やっぱり欧米諸国を実際に見てきているということもあって、現実主義者でもあったんですよね。
22:41つまり現実の社会状況や大久保や喜怒といった権力者の気持ちを忖度しなければいけないということも彼は考えていたんですよね。
22:49それがですね、求心主義を最後まで貫いた大久保との間に亀裂を生んでしまったということなんですよね。
22:55吉田松陰も政治家向きだと見込んだというぐらいコミュニケーション能力があったということですけれども、結構その海外と接する中で磨かれた部分も大きそうですよね。
23:05はい。サンフランシスコでの歓迎会の席上で世に名高い日の丸演説っていうのを英語で行って、米国でも名を挙げたんですね。
23:13堂々としてたんですね。
23:14すごくいいですよ。大歓迎でしょ。だからもうちょっと調子に乗っちゃうの分かるんですよね。
23:18いやーまあ気持ちとしては分かりますよね。
23:21そこで伊藤は勇み足を演じてしまう。
23:23交渉自体は本当に大きな失敗ということになってしまったんですよね。
23:28得意絶頂からもう落とされていっていくわけですよね。
23:32岩倉施設団というのは伊藤の要件過ぎて慎重さを欠く悪い意味が出てしまったんではないかなと思いますよね。
23:38はしゃぐ気持ちも何か分からなくはないんですけれども。
23:42維新三傑がなくなってしまったあとというのはこの伊藤博文と井上薫と大隈重信がリーダー格になるわけですけれども大隈と伊藤の政治思想みたいなところはそこまで変わりはなかったんでしょうか。
23:57ここで歴史作家ならではの視点で歴史の裏側を考察する伊藤潤の見解ポイント。
24:07実はあまり変わらないんですね。ただスピード感が違うということなんですよね。
24:11全時代的な権力者はですね、その反抜を振り払おうとしていったんですよね。
24:15当然同志だった伊藤がついてきてくれると思ったと。
24:18だから伊藤はですね、ついてきてくれなかったと。
24:21これなぜなのかなっていうのは私もいろいろ考えたんですけど、
24:24伊藤にとっての強みっていうのは長州藩出身ということなんですよね。
24:28それがなくなると権力基盤のない大隈と同等になってしまうということで自らの寄って立つ権力基盤の長州藩罰を弱くしたくなかったということがあったんではないかなということが考えられるわけですね。
24:42頭脳明石でコミュニケーション能力も高ければ自信過剰になって周りと衝突することもあります。くれぐれも調子に乗りすぎて努力を水の泡にしないようにしましょうね。
25:01近代国家の実現に向けて憲法の制定に乗り出す伊藤は不平等条約の改正という重要なテーマをある人物に託しますしかしそれが痛恨の敗北の始まりでしたこちらをご覧ください
25:20大隈を政府から追放した翌年伊藤は憲法制定に向けた調査でヨーロッパを巡ると帰国後にはその治験をもとに内閣制度を創設します。
25:35制度とかそういったものに関して作っている伊藤なので、やはりもうその時期になるとやはり伊藤の存在というのは一等値の木に出てくる。
25:50そして1885年伊藤はいよいよ初代内閣総理大臣に就任します。
26:01日本が近代国家を目指す上で欠かせない憲法の制定。
26:08そして責任の課題である不平等条約の改正に本格的に乗り出したのです。
26:17条約改正の指揮を任せたのは外務大臣に任命した名優井上香織です。
26:26しかし極端な桜花政策が批判を受けて井上は辞任。
26:32交渉も失敗に終わりました。
26:36そこで伊藤はある人物を頼ります。
26:41かつて政府から追放した政敵大熊に外務大臣として復帰してほしいと直談判したのです。
26:50彼は変わり身の速さというのが信条でもあるし、
26:59後の彼の政治スタイルを見ても政治の極意というのは妥協と情報だというふうに彼は言うわけですね。
27:07自分の政敵というものを潰して権力を勝ち取るというのではなくて、
27:14いかに自分の敵とつるむことができるかというのが彼の政治スタイルなんですね。
27:20伊藤は大熊の外交手腕に期待したのです。
27:32大熊に条約改正を託した伊藤は総理大臣の職を黒田清高に譲り、
27:39自らは憲法草案を審議する数密院の初代議長に就任し、
27:46憲法制定に全力を注ぎます。
27:51その背景には明治天皇からの熱い信頼がありました。
27:57明治天皇の信任というのが伊藤の一番大きな強みだったと思います。
28:04明治天皇が信頼した点は伊藤の国家構想というのが恩恵で文明的と。
28:14伊藤は日本の歴史や古典も研究しながら数密院での審議を重ねました。
28:22そして、およそ10か月後、ついに大日本帝国憲法の発布にこぎつけます。
28:31憲法を制定し、そしてその議会を開いて、そしてそれを運用していく。
28:36ヨーロッパの運命と変わらないでしょうと。
28:38そういう国をあなたたちが平等条約で差別をしつけるんですかみたいな。
28:43ようやく西洋と肩を並べられた。
28:49伊藤はやっとの思いで成立させた憲法が、条約改正交渉にも力を発揮すると大いに期待したのです。
29:04憲法制定を成し遂げた伊藤を横目に、条約改正問題を任された大隈には別の思惑がありました。
29:16俺は条約改正をやって名を残したいとかいうのもなくはないと思いますよね。
29:21大隈は諸外国との交渉を進める上で、ある情報を示しました。
29:36現在の最高裁判所にあたる大審議院で、外国人判事の盗用を認めるというものでした。
29:51大隈の方針がイギリスの新聞に取り上げられると、日本中の国民が反発し、伊藤が成立させた憲法に矛盾するという声も上がります。
30:06黒塾ですね。国民の不利になるようなことを強行しているんじゃないかというイメージが広まったということですよね。
30:16まずいことになった。
30:20伊藤は既死改正をかけて、ある解決策を提示しました。
30:26外国人犯人、日本国籍を取得させる帰化法という新たな法律を作ろうとしたのです。
30:33しかし、これがまた反対派の猛反発を招きます。
30:40自由民権運動の運動家というのが、言ってみればエンターテイナーで、演説会というのは、差し詰め今ではロックコンサートみたいな、みんなでシャウトして、全員でトランス状態になっていくような。
30:57この騒動を収めるべく、伊藤は交渉の延期を求めますが、大隈はそれを拒みました。
31:07強気に交渉を進める大隈は、アメリカ、ドイツ、ロシアから、次々と条約改正の合意を取り付けます。
31:22ところが、当時の最強国であるイギリスとの交渉は難航していました。
31:29イギリスが拒否するなら現行条約を全て破棄する。
31:44戦争も恐れぬ強気に天皇は不安を募らせました天皇はあんまり大隈のことを信頼してなかったんですよね彼が大蔵教とかやってた時も積極的に外債を買おうとするとか天皇としては大隈は日本を外国に売ろうとしてんじゃないかみたいな。
32:08天皇の諮問機関である崇密院議長の伊藤は天皇の心中をもんぱかる一方で自分が抜擢した大隈の思いも理解しています。
32:23終戦家と呼ばれ優れたコミュニケーション能力でどんな時でもバランスをとってきた伊藤もこの時ばかりはストレスで毎日腹痛に襲われていたといいます。
32:38伊藤はついに腹をくくります。
32:45崇密院議長の職を退くことそれが大隈の暴走を食い止める最後の手でした。
32:56自分が辞めることによって大隈が再興してくれて、今とは違う方向に行ってくれることを願っていたと思います。
33:08かなり強硬な意思表示だったんじゃないかと思います。
33:13考え直せみたいな。
33:15過激な大隈を止めるためなら、実質的な政府トップの座も捨てる。
33:28基台のバランサー、捨て身の敗北です。
33:33その1週間後、馬車で移動中の大隈は反対派の活動に爆弾を投げ込まれ、右足を切断して辞職。
33:46条約改正交渉はまたもや頓挫しました。
33:53条約改正が失敗したというふうな、そのことについてはショックというよりも、やはりこれも自分の仕事だなみたいな感じになっていったんじゃないでしょうかね。
34:07伊藤は自らの責任を痛感しながらも静かに復活を誓いました。
34:15目指しているところは多分そう変わりなかったと思うんですけどやはり人間ですからちょっとしたことのずれとかでやり方とか変わってきてしまうそこでお互い道が分かれてしまうということもあるんですね。
34:29本当に伊藤というのがですね、いろんな人の声に耳を傾ける。それが明治天皇であり、かつては大久保と清道や木戸高吉だったわけですよね。
34:38そしてそういった方々の意見を入れながらですね、恩恵な方向で憲法やさまざまな法律の制度設計していくということが得意なわけですよね。
34:47大隈は耳傾けないですからもうこうすればこうでうまくいくっていう確信を持って行ってますから私はねこれ大隈のその構想というのをもし彼がああいう形で重症を負わなければ続けていても条約改正できたと思うんですよ。
34:59大隈は早稲田大学を創設したということですけどこういう教育が大切だというのは伊藤も同じ考えだったんでしょうか。
35:11伊藤にとって教育とはやはり立憲性を支える知能機関を作り上げることで大学を政治エリートの供給をもとにしようという構想があったんですよね。
35:21もう学校で英才教育を行ってそういった人材を政府だとかですね民間企業等に供給していくということそれが国家の役割だというふうに思ってたわけなんですよね。
35:32この伊藤博文はどうして明治天皇から信頼が厚かったんでしょうか。
35:36まあ一言で言えばその人柄と恩恵な思想だと思うんですよね。
35:40明治天皇も人間ですから人に対する交互の情はありますよね。そしてやはりどうしても天皇家を守っていかなければいけないということで保守的になってしまう。これは致し方ないところだと思うんですよね。
35:51伊藤は好きでも大隈は嫌いということでそれが彼らの2人の運命にも大きく左右していったわけですよね。
35:59相手がどれだけ頼もしくても重要な仕事を丸投げしていたらいざという時に対処できなくなります。責任ある立場に立てばどんな失敗も他人のせいにはできませんよ。
36:18何度も跳ね返された列強との不平等条約は後の第2次伊藤内閣の時代にようやく一部撤廃を勝ち取ります。しかし伊藤は条約の完全撤廃を見届けることなく教団に倒れるのです。こちらをご覧ください。
36:36外務大臣の大隈が暴漢に襲われてから3年後。52歳の伊藤は2度目の内閣を組織し、祝願の条約改正に再び本腰を入れます。
36:51新たな外務大臣には切れ物で知られるムツ・ムネミツを任命し、日本が近代憲法を持つ国家であることを世界に強く訴えかけます。
37:05そしてロシアの台頭を警戒するイギリスを相手に巧みな交渉を展開し、1894年、ついに行事裁判権の撤廃を勝ち取りました。
37:23満足してたと思いますよ。やるだけのことをやったと。
37:28岩倉施設団での屈辱から22年、伊藤の赤年の思いが晴れた瞬間でした。
37:38その後、日本は関税自主権の回復という課題を残しながら、日清日露戦争へと突入し、伊藤も対外交渉に奔走します。
37:51そして1905年、伊藤は韓国東韓府の初代長官に就任します。
37:58韓国併合に反対の立場で、韓国の自立と国力の充実化を目指していた伊藤ですが、その統治は一部の反発を招きます。
38:12そして1909年、満州のハルビンを訪れた際、韓国の独立運動家、安潤軍に銃撃され、激動の生涯を閉じました。
38:27去年69、近代国家を目指すリーダーとしては道半ばの人生でした。
38:37しかし、その多大な業績を西坂さんはこう評価します。
38:43ものすごい努力、勉強した形跡、ああいうものを見て、政治家というのはこうじゃなかったらいかんなと。
38:50しかもそれを勉強してますよっていう態度をせずに、俺は女の好きで酒も好きで遊んでばっかいるんだみたいな態度をずっと貫いた。
38:58評評とした態度を貫いた面白さ。
39:01そういう魅力がやっぱりいろんな人を動かしいろんな人とコミュニケーションを取りながら近代化というものをわりとスムーズにさせていったんじゃないかなと。
39:12伊藤じゃなかったらやっぱりできなかった。
39:16生誕地の山口県光市に伊藤が自ら設計した洋館が建っています。
39:24公共の場に使ってほしいと、親父の場に使ってほしいことを一気に願っていました。
39:32伊藤は歓声を見ることなくこの世を去りましたが、生前の願い通り、この建物は診療所や結婚式場として、
39:41世の人々のために尽くしたい。
39:48生涯その志を貫いた伊藤は近代国家の土台作りに奔走しながら日本の未来を思い続けていたのです。
40:02いろんな困難がある中でやはりそれを粘り強く続けていたということが伝わってきましたよね。
40:11いや、本当に粘り強かったと思いますよ。
40:13ある時から性的な大熊もので利用しつつ、もうとにかく日本をいい方向に導こうという、その精神というのは本当に見上げたものだと思いますけどね。
40:21でも伊藤が何度も交渉に失敗してきた領事裁判権というのは、なぜあのタイミングで撤廃することができたと思われますか。
40:28一言で言うと木が熟したからということが言えると思うんですよね。
40:33そもそも不平等条約というのはですね、日本が欧米並みの法治国家じゃなかったことに起因してますよね。
40:39幕府がいわゆる前近代的な法権国家だったということもあって、欧米の国家のような法律というのはできていなかったという。
40:47それをまず整備しなければいけない。
40:49それが整備されたら不平等条約を解消してあげるよというふうに欧米のその列強は言ってたわけなんですよね。
40:54ですから日本がまず憲法を準視する国家として、また民法、商法、刑法、こういったものを整備したというふうに認められたからということが言えると思うんですよね。
41:03またもう一つ言わせていただくと外的要因もあるんです。
41:06つまりですね、ロシアとの関係が悪化した英国がですね、日本に接近するためにこの条約改正をのんだということで、それにほかの列強も追随していったということです。
41:18でも伊藤博文というのは、改めて日本の近代化に生涯を捧げたわけじゃないですか。
41:25彼自身は日本をどんな国にしたいと思っていたと思われますか。
41:29はい。国民が政治に主体として参加する国にしたいということですね。
41:33つまり、議会制民主主義を根幹とする立憲政治ということになるわけですよね。
41:37改めて伊藤博文の敗北から私たちが学ぶべき人生の教訓をお願いします。
41:45はい。人は感情の生き物ということを忘れないということですよね。
41:50今回、伊藤博文の失敗のポイントというのが、条約改正交渉ということになってしまったんですけど、やはりですね、伊藤の失敗というのは最後、安純君に暗殺されてしまったことだというふうに私は思うんですよね。
42:04伊藤というのはすごく賢い人間で、うまく周りと調整しながら政治を運営してきていたという自信もあったと思うんですよね。
42:13そして誰もが賢い理性的な判断をするという、そういう思い込みがあったと思うんですよ。
42:18伊藤自身が韓国のためにいろいろ尽くしてきたわけですね。
42:23ところがですね、韓国のナショナリストにとってそんなことは分かっている。
42:28でも伊藤というのは日本の象徴だし、やはり日本というのは我々を踏みにじるような扱いをしているから、許しがたい存在だということで暗殺されてしまったわけですよね。
42:38かつて伊藤もですね、若い頃、志士としてナショナリズム的なものを考えていたわけなんで、
42:45やはり韓国の人たちもそういった感情があるということを思い出してほしかったということですよね。
42:52ナショナリストにとって、よそ者に共同されることは耐え難いことだったと。
42:57それをやはり伊藤は理解してですね、周囲すべきだったんではないかなと思うんですよね。
43:03自分に立場や感情があるならば、当然相手にもそれぞれ異なる立場と感情があります。
43:12目の前の人の心の声と感情に、もう少しだけ耳を傾けてみませんか。
43:20これぞ伊藤博文の敗北から学ぶ教訓です。
43:27本当に優秀な終戦家であったこと間違いないですけど、一番大事な部分でやっぱりその大隈との関係性がうまくいかなくなってしまったり、こうやりたいことの事例が起きてしまうというところを見ると、なんか一番の本当達成したかった目的に到達できなかったのかなという気もしますよね。
43:50伊藤がゴールを条約改正というところに据えていた、それは確かなことなんですけど、ただ条約改正っても一言で言ってうまくいく、簡単にいくことではありませんからね。
44:01もちろん国際関係もありますけど、国内の政治、それを調整してまとめていくというのも、伊藤のような優れた終戦家でも難しかった。
44:09それがやはり盟友の大隈重信とですね、田元を分かすことになってしまったことで、非常に大きなですね、挫折を味わうことになってしまったということは言えると思うんですよね。
44:20混乱している時代の中で、ああいうバランサーのような人、人と人と間に立って調整できる人というのは本当にいなくてはいけない存在でしたよね。
44:29重要ですよね。特にこういう形で勢力図がね、反抜とかがあって、混沌としている中で、まとめていくにはですね、もう八方美人という言い方ありますけど、いろんな人と良好な人間関係を築ける、この伊藤博文を無くして明治の時代はなかったという、言い切れるんじゃないでしょうかね。
44:47そうですね。皆さん、きょうもありがとうございました。
44:50ありがとうございました。
44:52偉人敗北からの教訓、それではまた次回お会いしましょう。
44:59ありがとうございました。
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