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ハートネットTV 戦後80年 生死を分かつ“塀” ~精神障害者たちの戦争~ 20250825
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2 日前
カテゴリ
📚
教育
トランスクリプション
動画のトランスクリプション全文を表示
00:00
その頃、キジカタのいとこと同居していた
00:14
精神分裂症と診断されていたそうだが
00:20
私にとっての彼女は
00:23
昼も夜も空襲もお構いなしに
00:27
不思議の世界に連れ込んでくれる
00:30
妖精のような存在だった
00:33
今思ってもきれいな人だったんじゃないけど
00:38
私にしてみると当時5歳ぐらいの子供ですから
00:43
本当にお姉ちゃんが一人増えたって感じで
00:47
うれしくてうれしくて
00:48
それで彼女もまた私のことをかわいがってくれて
00:52
いろんな遊びを一緒にしましてね
00:54
楽しかったですね
00:56
いとこが突然姿を消したのは
01:03
空襲が激しくなった頃だった
01:06
どこへ行ったの?と尋ねると
01:10
母は病気が重くなったので
01:14
松沢病院へ入ったのよと教えてくれた
01:18
非常時にキチガイを野放しにしておくわけにはいかなかった
01:25
と聞いたのは
01:27
後々成長してからだった
01:30
いとこが一体どういう状態に置かれたのか気になりますね
01:37
なんか鉄腰みたいところに入れられちゃったのかもしれないって
01:40
いとこは二度と戻っては来なかった
01:47
いとこは死んだのだと教えられた
01:51
死の理由がずっと気になっていた
01:57
どこでどうなったかっていうのが謎だったんですね
02:02
はっきりしないまんま
02:04
それが今まで続いてきたって感じですね
02:07
80年前
02:11
いとこが入院を余儀なくされた精神科病院
02:15
戦時中そこでは多くの患者が命を落としていました
02:24
主な原因は栄養失調によるガシでした
02:37
精神科病院の塀の向こう側で
02:41
いとこはあの戦争の中をどう生きようとしたのでしょうか
02:47
いとこはことのほか月が好きだった
03:05
月がきれいな夜には
03:10
自分が月の周りを舞う蝶になったと錯覚するらしかった
03:25
ノンフィクション作家の向井翔子さん
03:28
86歳
03:29
医療や介護などのテーマを取材し
03:33
数々の作品を発表してきました
03:36
一生せかせか働きながら
03:50
子供育てながら
03:52
親見ながら
03:53
それともう一つはね
03:56
うちのおじいさん悪い癖があってね
03:58
ほら土木なんですねあの人
04:01
工事
04:02
連れてくんのなんか終わると
04:04
だからなんだろう
04:06
その半端のおかみさんみたいに
04:09
割り勝ちでーってこう切るもんだから
04:12
それでもうちょっとなんかおかしくなったら
04:15
もう指切り落とすかもしれない
04:17
やっと日々切ってんだよ
04:19
1939年に生まれた向井さん
04:26
東京池袋で両親と2人の兄と暮らしていました
04:32
園子さんと出会ったのは5歳の頃
04:38
一回りほど年上だったと記憶しています
04:42
私自身が幼いんで確実なことは分からないんですが
04:49
聞いてる話によれば
04:51
その子の親が戦争中に満鉄に勤めていて
04:56
満州かなり結核が早く
04:57
それで親がみんな結核で亡くなってしまって
05:00
それで一人残っちゃったので
05:03
うちに引き取って一緒に暮らすようになったんですね
05:07
写真が全部空襲で焼けちゃったもんですから
05:13
記憶しかないんですけど
05:15
おさみやがみの少女っていう感じでした
05:17
私はね
05:20
世の中はキティがいて
05:22
もう差別用語ですけど
05:24
もうひどいこと言いますけれど
05:26
私にはね
05:27
一緒に遊んでくれる
05:28
ちょっと面白い遊びもしてくれるお姉さん
05:31
っていう感じでした
05:32
二人でいると人形が踊りだし
05:39
月がささやいてきた
05:41
それはくるみ割り人形や
05:47
アリスの不思議の国にでも迷い込んだような
05:52
奇妙な体験だった
05:54
彼女は幼児だった私だけと
06:02
感じ合える世界を生きていたのかもしれない
06:05
しかし
06:13
街に空襲警報が鳴り響き始めると
06:18
園子さんは思いも揺らぬ行動を取るようになります
06:23
空に爆音が響き出すと
06:28
いとこは決まって家から飛び出した
06:31
慌てて後を追い
06:35
すり傷だらけの彼女を連れ戻すのは
06:38
母だった
06:40
白い根巻がひらひら
06:44
まるで蝶々みたいに幻想的で
06:47
捕まえるのがかわいそうだったわ
06:50
子供にとっての戦争っていうのは
06:55
ただ恐怖
06:56
地獄ですよね
06:58
だからその子がね
07:00
心を病んでいっても仕方なかったんじゃないかな
07:04
デリケートな心がね
07:05
いとこはそこかしこに火をつけ始めたらしい
07:13
初めは庭で焚き火をし
07:16
煙に顔を突っ込む程度だった
07:19
涙をポロポロこぼし
07:23
せきこみながら
07:25
戦地の兵隊さんを思えば
07:27
このくらい我慢ですよ
07:30
と歌うように口ずさむ
07:33
ある日大人たちがどやどやと現れ
07:41
大好きなお姉さんは引きずり出された
07:45
この非常時に
07:50
火つけきちがい女
07:51
荒々しい声を忘れられない
07:55
いとこは
08:00
二度と戻っては来なかった
08:03
いとこは死んだのだと教えられた
08:07
結局あの時の大騒ぎの中で
08:15
その子がどこに祀られているのか
08:17
お墓も私は分からないんです
08:19
だからお参りもしてない
08:21
だから今回いろいろ記憶をたどるってことが
08:24
私にとっての
08:25
なんか食材意識っていう形になるような
08:28
気もしますね
08:37
後にいとこは運よく
08:43
都立松沢病院に入院できたのだと
08:46
両親の会話で耳にした
08:48
精神科医療で有名な大病院である
08:57
父はそれ以上を語らず
09:02
詳しいことは分からぬままとなった
09:05
園子さんはどんな最後を迎えたのか
09:17
向井さんは都立松沢病院を訪れました
09:28
園子さんの当時のカルテを探してもらいましたが
09:31
見つかりませんでした
09:33
敷地の一角に戦時中の様子を
09:44
今に伝える場所がありました
09:45
戦前から戦中にかけての
09:54
松沢病院の資料を展示しています
09:57
この当時っておいくつぐらいでした
10:06
18か19
10:08
20日前です
10:10
わーかかる
10:11
はい
10:11
いとこさんはここの病棟の中でも若手の方なんで
10:16
いろいろ病院の病棟の中で
10:19
ご活躍された方だと思うよ
10:21
これは常に病棟で
10:25
バケツリレーですね
10:27
防災区に
10:28
院内にだんだん男性の職員がいなくなってきて
10:34
どうしても病院を全体が女性の方々がカバーしていかなる
10:39
そうでしょうね
10:40
当時の食事
10:44
それにお米が登場するのがまれであったでしょう
10:50
お米から豆に変わって
10:53
芋に変わって
10:54
それすら全然なくなって
10:57
全くの水分だけ
11:00
戦時中
11:03
全国各地の精神科病院で
11:07
極度の食糧不足により
11:10
多くの患者が栄養失調で亡くなりました
11:13
松沢病院でも患者の死亡率は
11:20
平時よりはるかに高くなっていました
11:23
これが患者さんの在院数と連関死亡者
11:29
特に一番大きい20年の660人に対して470人
11:37
非常に生存率の厳しい時代
11:46
戦後松沢病院の医師たちによって
11:49
その実態が分析されます
11:52
戦争の長期化とともに死亡率が上がり
11:58
終戦の1945年には40%を超えました
12:03
その一方で国民全体の死亡率は1%台
12:09
兵の中と外で大きな差が生じたのは
12:15
なぜなのでしょうか
12:17
1937年
12:23
日中戦争が開戦
12:25
農村からの出生が増え
12:28
農業の担い手が不足していきます
12:31
食料の生産は減り
12:35
食料品の値段が高騰していきました
12:38
当時松沢病院の患者の多くは
12:44
その入院費を公費
12:46
との予算で賄われていました
12:49
食費は定額で1日20銭
12:54
物価が高騰しても
12:56
食費はほとんど上がらず
12:59
必要な栄養が取れなくなっていきます
13:01
当時の内村雄志院長は
13:07
患者の動物性タンパク質の摂取量が
13:11
非常に減少していると訴えています
13:14
戦争前
13:19
1月20日ほどは
13:22
必要な量を提供できていましたが
13:24
1940年には
13:27
4、5日にまで激減していました
13:31
これ様々な栄養欠乏症が出てますよね
13:37
それで最後は死に至っているわけですね
13:41
戦時中の栄養状況に詳しい
13:46
日本栄養士会の会長
13:48
中村定治さんに
13:50
当時の院長の論文を読み解いてもらいました
13:54
この論文の中にいろんな症状が出てるんですが
13:59
例えばビタミンAが不足すると
14:02
視力が落っこちてくるんですね
14:04
野望症というのが起こって
14:06
これが長く続くと失明してしまうんです
14:10
さらにタンパク質が不足すると
14:14
むくみができますね
14:16
タンパク欠乏すると
14:18
いろんな消化機能
14:20
代謝の機能が落ちますから
14:22
命を維持することができなくなってくる
14:25
当時松沢病院で看護師をしていた男性の
14:44
インタビュー音声が残っていました
14:46
録音をした精神科医の塚崎直樹さん
14:55
戦時下の精神科病院の歴史を書籍にまとめようと
14:59
40年前全国の病院を回り
15:03
医師や看護師にインタビューを行いました
15:07
向井さんは
15:15
園子さんが松沢病院にいたと思われる時期の
15:19
看護師の証言を聞かせてもらいました
15:22
栄養失調もいろいろあって
15:29
一番初めはヨメクラです
15:31
ヨメクラが始まって
15:33
それからヨメクラの時期が遠いすぎると
15:37
今度は口がんが腫れてむくんじゃう
15:40
その時期がすぎるとまぶたが腫れ
15:43
それから全身がもくみがくる
15:47
そこまでの経験を自分自身がしたことがないので
16:02
想像もつかないですけれど
16:04
そういうところに実際に私の身内がいたのかなって
16:09
想像しますと恐ろしいものがありますね
16:17
戦争の激化とともに
16:20
食料不足は可烈さを増していきます
16:23
患者の死亡率は
16:28
食料の配給精度が確立されると
16:32
一旦は下がります
16:33
しかしその後再び急上昇していきます
16:38
食料事情の悪化によって
16:45
配給に遅れや中止が相次ぐようになったのです
16:50
塀の外では闇での取引や農村への買い出しで
16:59
不足する食料を補うようになります
17:02
これは戦争中の栄養摂取の実態調査
17:09
昭和19年3月の配給による熱量は1403カロリー
17:17
タンパク質量は38.3グラムなのに対し
17:22
実際の摂取量は1842カロリー59グラムと多くなっています
17:30
その差は闇から取って食べていたということです
17:36
だから逆に言えば脱法行為なんだが
17:40
闇から取らないと生きていけないような
17:44
社会状況だったということですよね
17:46
塀に遮断され
17:50
闇での食料調達ができない患者たちは
17:53
深刻な飢餓状態に陥っていきました
17:56
食える草というものをみんな食ったでしょうね
18:04
蛇が食うカエルが食うネズミも食う
18:10
犬があったりしてまた中に入ってくると
18:14
貫いてこれを食っちゃったんです
18:16
食えるもみんな食ったんです
18:19
しかし兵の外へ支援を求めても
18:26
手は差し伸べられませんでした
18:29
私単独で
18:34
厚生省に行き
18:36
農林省に行き
18:39
ずいぶんやったんですけど
18:41
結局言うことは
18:43
完全な人でも
18:45
3食食べられないのだから
18:48
そういうところの人は
18:51
まあご遠慮願うほか仕方がありません
18:54
とはっきり言われましたね
18:58
1945年の終戦の年
19:05
松沢病院では
19:07
多くの患者たちが餓死
19:10
敷地内に穴が掘られ
19:13
300人近くが埋葬されました
19:16
かわいそうなゾウ
19:24
という絵本を
19:26
思い浮かべていた
19:28
戦争末期
19:33
上野動物園で
19:35
動物たちが
19:37
餓死させられた時
19:38
ゾウたちは
19:40
餌をもらいたくて
19:42
飼育係に芸をし続けたのだという
19:45
美しいものに憧れるしかできなかった
19:51
いとこは
19:52
人にこびる芸などは
19:55
持ち合わせていなかった
19:56
ただ
19:59
窓から月を見つめていたのだろうか
20:03
月をかき消し
20:05
街を焼き尽くす豪華を眺めながら
20:09
この世の終わりを悟っていたのだろうか
20:13
向井さんが園子さんの死を知ったのは戦争末期
20:22
両親の話を偶然耳にしてのことでした
20:26
園子さんたち患者の死を医師たちはどう受け止めていたのか
20:35
訪ねたのは松沢病院の名誉院長
20:46
斉藤雅彦さん
20:48
戦時中のカルテを分析するなど
20:53
歴史を研究し
20:54
精神医療のより良い在り方を考え続けてきました
20:59
そのいとこが
21:00
この病院の患者さんたちは痛くてここにいるわけじゃない
21:06
いわば閉じ込められているわけで
21:11
閉じ込められた場所で与えられた食料だけを
21:15
配給された食料だけで生きていけと言われると
21:20
それは大変だった
21:23
院長が自分が心に恥じるのは
21:26
私たちはこの人たちを閉じ込めた
21:30
閉じ込めた場所で
21:32
自分たちの生きる道を
21:35
自分で探せない状態にしておいて
21:37
その中で自然淘汰が起こるのを見ていた
21:42
ということに
21:44
自分たちの思いがあると言っていらっしゃる
21:47
よく精神科の病院の兵が
21:51
社会と隔てると言われますけどね
21:54
だけど僕は兵を作っているのは僕だじゃなくて
21:58
周りの人たちだったと思うんですよね
22:01
誰もが今の自分を生き生き生きさせるために
22:10
邪魔なものを排除したいというのは
22:12
みんな本能的に持っていると思うんですね
22:15
だから精神科の病院の問題というよりは
22:19
社会の問題だろうなと思う
22:23
今日ね市役所行ってちょっとご覧ください
22:32
向井さんは家計図をたどって
22:36
父方の親族を調べ
22:39
園子さんの戸籍にたどり着きました
22:41
あっ死亡って書いてますね
22:45
戦争中戦時中ですね
22:48
もう何か手書きで死亡ということになって
22:53
私の父が届くということになって
22:55
東京都豊島区西須賀も4丁目
23:01
414番地にて死亡ですね
23:05
園子さんが亡くなった場所は
23:10
厚沢病院のある世田谷区ではなく
23:13
豊島区となっていました
23:15
そうするとなぜね
23:20
この菅野に移ったのかっていう
23:22
414番
23:25
4丁目のこれ
23:30
保養院ですね
23:32
その場所にあったのは
23:35
保養院という名称の精神科病院
23:40
当時この地域には
23:45
多くの精神科病院が集まっていました
23:48
その一つの保養院に
23:53
園子さんは何らかの理由で
23:56
転院したと考えられます
23:58
保養院は空襲で全焼
24:05
患者の記録も焼け
24:08
手がかりは何も残っていません
24:10
どっちみち閉ざされた空間に
24:17
取り込められているわけですよね
24:19
どっちにしても
24:21
この時代からしても
24:24
人間扱いされていたとは思えないんですけど
24:26
食べるものも食べられず
24:29
やはりガシドウ用になくなった可能性があると思います
24:38
塀の中の極限状態を伝える音声テープ
24:42
その中に
24:46
向井さんの心に留まった証言がありました
24:50
それは厳しい飢えに耐える患者たちを支えようと
25:05
食料確保に奮闘する病院の職員たちの様子
25:09
看護師の浦野志麻さん
25:15
敷地内にあった運動場や中庭を開墾し
25:20
農地に変え
25:21
患者とともに農作業に汗を流しました
25:25
その時のかぼちゃが未熟なこんな小さなかぼちゃで
25:30
種ごとそっくにいたのがものすごく甘くてね
25:32
その頃何もなかったですから
25:33
あの甘さってのいまだにこう残ってますけどね
25:38
食事はですね
25:40
一つのテーブルだけで食べるのもつまらないから
25:43
中庭に全部食堂のテーブルを出させてね
25:46
そして明るいところで食事をするとかね
25:49
浦野さんのお話っていうのは
25:53
食料が十分なれば解決するとか
25:55
そういう問題じゃなくてね
25:57
やっぱり患者さんとどういうふうに関わっていくのか
26:00
日々の希望というかな
26:02
生きる目標みたいなものをどうやって作っていくのかっていう
26:05
そういうことをおっしゃってるんですね
26:08
私としましては
26:11
ああいうつらい時期に浦野さんが不調産でいらした
26:15
こんなに前向きに光を当ててくださる
26:18
人間の国を見てくださる方がですね
26:21
いらした
26:22
なんかすごい奇跡のような
26:25
つい孤独とか絶望とかって思っちゃうんですけど
26:31
このやっぱり光のそばには闇があるけれど
26:33
闇の隣が光だし
26:35
必ず光があるって
26:37
そういうことを伺ったのは何か
26:39
救いになりました
26:41
浦野志麻さんは戦後も102歳で亡くなる直前まで
26:49
精神障害のある人たちと共に過ごしたといいます
26:54
世の中に生きにくい人間から先に犠牲になってきますよね
27:01
そうですね
27:02
そこに島さんが向き合ってくださった
27:04
それが今の時代に伝わっているというのに
27:08
食べることのすごい貪欲なまでにありましたよね
27:14
できたー
27:16
病院を勤め上げたあと自宅の敷地に精神障害者の地域生活を支援する作業所を資材を投げ打って開設します
27:31
そこはおいしい食べ物をいつでもおなかいっぱい食べられる場所
27:43
私自身は病気になれば治療をし
27:52
食べたいものを食べ生きてこられたっていう
27:55
長い歴史の中でも本当に幸せな人生だったって
27:59
だからある意味勝ち組なんですよ
28:03
私はだからその才の目がそっちに入ったっていうか
28:08
運が良かった
28:09
だからこうやって来てこられたって
28:12
声なき人々を排除しながら生き延びてきたっていう
28:17
かわいい若いなのだと思って
28:34
妙な話ですが
28:36
あの世ってある子がいいなと思ってるんですよ
28:40
そうするとそこでその子にあえて会ったら
28:45
わびたくなる抱きついてわびるかしら
28:47
どうでもいいことですけど
お勧め
26:59
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サンデーモーニング 風をよむ「冬の武器化」_0110_202212180800
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今日ドキッ!「道警ヤジ排除問題」警察官が出廷 法廷で語ったこと_0110_202212221800
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今日ドキッ!特集「道警ヤジ排除から2年 声上げられぬ社会に危機感」20210714
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3 年前
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今日ドキッ!特集「演説にヤジ…なぜ警察に囲まれる?」 0110 201909251544
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今日ドキッ!もうひとホリ「安部元総理銃撃 なぜ防げず ヤジ排除裁判への影響は?」_0110_202207151800
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みんテレ「安部元首相にヤジ「排除は違憲」」20220325 17時11分
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今日ドキッ!「道警ヤジ排除 賠償命じられた道 控訴」_0110_202204011800
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3 年前
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今日ドキッ!「演説にヤジの市民を排除 道警の違法性認め 賠償命じる」 20220325
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3 年前
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ほっとニュース北海道「“やじ排除”訴訟 札幌地裁 原告の訴え認め 道に賠償を命じる」_0310_202203251810
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ほっとニュース北海道「首相演説にヤジ飛ばし”排除” 警官を刑事告訴 道に賠償求め訴え」 0310 201912031810
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ほっとニュース北海道「道警ヤジ排除 賠償命じた判決不服 道が控訴」_0310_202204011810
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イチオシ!!「道警ヤジ排除訴訟 判決「警察官の行為は違法」」20220325 18時15分
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どさんこワイド179「道警ヤジ排除訴訟 道に賠償命令「表現の自由を侵害」」 20220325
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イチオシ!!「道警ヤジ排除訴訟 判決「警察官の行為は違法」」20220325 17時33分
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