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  • 2 日前

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教育
トランスクリプション
00:00その頃、キジカタのいとこと同居していた
00:14精神分裂症と診断されていたそうだが
00:20私にとっての彼女は
00:23昼も夜も空襲もお構いなしに
00:27不思議の世界に連れ込んでくれる
00:30妖精のような存在だった
00:33今思ってもきれいな人だったんじゃないけど
00:38私にしてみると当時5歳ぐらいの子供ですから
00:43本当にお姉ちゃんが一人増えたって感じで
00:47うれしくてうれしくて
00:48それで彼女もまた私のことをかわいがってくれて
00:52いろんな遊びを一緒にしましてね
00:54楽しかったですね
00:56いとこが突然姿を消したのは
01:03空襲が激しくなった頃だった
01:06どこへ行ったの?と尋ねると
01:10母は病気が重くなったので
01:14松沢病院へ入ったのよと教えてくれた
01:18非常時にキチガイを野放しにしておくわけにはいかなかった
01:25と聞いたのは
01:27後々成長してからだった
01:30いとこが一体どういう状態に置かれたのか気になりますね
01:37なんか鉄腰みたいところに入れられちゃったのかもしれないって
01:40いとこは二度と戻っては来なかった
01:47いとこは死んだのだと教えられた
01:51死の理由がずっと気になっていた
01:57どこでどうなったかっていうのが謎だったんですね
02:02はっきりしないまんま
02:04それが今まで続いてきたって感じですね
02:0780年前
02:11いとこが入院を余儀なくされた精神科病院
02:15戦時中そこでは多くの患者が命を落としていました
02:24主な原因は栄養失調によるガシでした
02:37精神科病院の塀の向こう側で
02:41いとこはあの戦争の中をどう生きようとしたのでしょうか
02:47いとこはことのほか月が好きだった
03:05月がきれいな夜には
03:10自分が月の周りを舞う蝶になったと錯覚するらしかった
03:25ノンフィクション作家の向井翔子さん
03:2886歳
03:29医療や介護などのテーマを取材し
03:33数々の作品を発表してきました
03:36一生せかせか働きながら
03:50子供育てながら
03:52親見ながら
03:53それともう一つはね
03:56うちのおじいさん悪い癖があってね
03:58ほら土木なんですねあの人
04:01工事
04:02連れてくんのなんか終わると
04:04だからなんだろう
04:06その半端のおかみさんみたいに
04:09割り勝ちでーってこう切るもんだから
04:12それでもうちょっとなんかおかしくなったら
04:15もう指切り落とすかもしれない
04:17やっと日々切ってんだよ
04:191939年に生まれた向井さん
04:26東京池袋で両親と2人の兄と暮らしていました
04:32園子さんと出会ったのは5歳の頃
04:38一回りほど年上だったと記憶しています
04:42私自身が幼いんで確実なことは分からないんですが
04:49聞いてる話によれば
04:51その子の親が戦争中に満鉄に勤めていて
04:56満州かなり結核が早く
04:57それで親がみんな結核で亡くなってしまって
05:00それで一人残っちゃったので
05:03うちに引き取って一緒に暮らすようになったんですね
05:07写真が全部空襲で焼けちゃったもんですから
05:13記憶しかないんですけど
05:15おさみやがみの少女っていう感じでした
05:17私はね
05:20世の中はキティがいて
05:22もう差別用語ですけど
05:24もうひどいこと言いますけれど
05:26私にはね
05:27一緒に遊んでくれる
05:28ちょっと面白い遊びもしてくれるお姉さん
05:31っていう感じでした
05:32二人でいると人形が踊りだし
05:39月がささやいてきた
05:41それはくるみ割り人形や
05:47アリスの不思議の国にでも迷い込んだような
05:52奇妙な体験だった
05:54彼女は幼児だった私だけと
06:02感じ合える世界を生きていたのかもしれない
06:05しかし
06:13街に空襲警報が鳴り響き始めると
06:18園子さんは思いも揺らぬ行動を取るようになります
06:23空に爆音が響き出すと
06:28いとこは決まって家から飛び出した
06:31慌てて後を追い
06:35すり傷だらけの彼女を連れ戻すのは
06:38母だった
06:40白い根巻がひらひら
06:44まるで蝶々みたいに幻想的で
06:47捕まえるのがかわいそうだったわ
06:50子供にとっての戦争っていうのは
06:55ただ恐怖
06:56地獄ですよね
06:58だからその子がね
07:00心を病んでいっても仕方なかったんじゃないかな
07:04デリケートな心がね
07:05いとこはそこかしこに火をつけ始めたらしい
07:13初めは庭で焚き火をし
07:16煙に顔を突っ込む程度だった
07:19涙をポロポロこぼし
07:23せきこみながら
07:25戦地の兵隊さんを思えば
07:27このくらい我慢ですよ
07:30と歌うように口ずさむ
07:33ある日大人たちがどやどやと現れ
07:41大好きなお姉さんは引きずり出された
07:45この非常時に
07:50火つけきちがい女
07:51荒々しい声を忘れられない
07:55いとこは
08:00二度と戻っては来なかった
08:03いとこは死んだのだと教えられた
08:07結局あの時の大騒ぎの中で
08:15その子がどこに祀られているのか
08:17お墓も私は分からないんです
08:19だからお参りもしてない
08:21だから今回いろいろ記憶をたどるってことが
08:24私にとっての
08:25なんか食材意識っていう形になるような
08:28気もしますね
08:37後にいとこは運よく
08:43都立松沢病院に入院できたのだと
08:46両親の会話で耳にした
08:48精神科医療で有名な大病院である
08:57父はそれ以上を語らず
09:02詳しいことは分からぬままとなった
09:05園子さんはどんな最後を迎えたのか
09:17向井さんは都立松沢病院を訪れました
09:28園子さんの当時のカルテを探してもらいましたが
09:31見つかりませんでした
09:33敷地の一角に戦時中の様子を
09:44今に伝える場所がありました
09:45戦前から戦中にかけての
09:54松沢病院の資料を展示しています
09:57この当時っておいくつぐらいでした
10:0618か19
10:0820日前です
10:10わーかかる
10:11はい
10:11いとこさんはここの病棟の中でも若手の方なんで
10:16いろいろ病院の病棟の中で
10:19ご活躍された方だと思うよ
10:21これは常に病棟で
10:25バケツリレーですね
10:27防災区に
10:28院内にだんだん男性の職員がいなくなってきて
10:34どうしても病院を全体が女性の方々がカバーしていかなる
10:39そうでしょうね
10:40当時の食事
10:44それにお米が登場するのがまれであったでしょう
10:50お米から豆に変わって
10:53芋に変わって
10:54それすら全然なくなって
10:57全くの水分だけ
11:00戦時中
11:03全国各地の精神科病院で
11:07極度の食糧不足により
11:10多くの患者が栄養失調で亡くなりました
11:13松沢病院でも患者の死亡率は
11:20平時よりはるかに高くなっていました
11:23これが患者さんの在院数と連関死亡者
11:29特に一番大きい20年の660人に対して470人
11:37非常に生存率の厳しい時代
11:46戦後松沢病院の医師たちによって
11:49その実態が分析されます
11:52戦争の長期化とともに死亡率が上がり
11:58終戦の1945年には40%を超えました
12:03その一方で国民全体の死亡率は1%台
12:09兵の中と外で大きな差が生じたのは
12:15なぜなのでしょうか
12:171937年
12:23日中戦争が開戦
12:25農村からの出生が増え
12:28農業の担い手が不足していきます
12:31食料の生産は減り
12:35食料品の値段が高騰していきました
12:38当時松沢病院の患者の多くは
12:44その入院費を公費
12:46との予算で賄われていました
12:49食費は定額で1日20銭
12:54物価が高騰しても
12:56食費はほとんど上がらず
12:59必要な栄養が取れなくなっていきます
13:01当時の内村雄志院長は
13:07患者の動物性タンパク質の摂取量が
13:11非常に減少していると訴えています
13:14戦争前
13:191月20日ほどは
13:22必要な量を提供できていましたが
13:241940年には
13:274、5日にまで激減していました
13:31これ様々な栄養欠乏症が出てますよね
13:37それで最後は死に至っているわけですね
13:41戦時中の栄養状況に詳しい
13:46日本栄養士会の会長
13:48中村定治さんに
13:50当時の院長の論文を読み解いてもらいました
13:54この論文の中にいろんな症状が出てるんですが
13:59例えばビタミンAが不足すると
14:02視力が落っこちてくるんですね
14:04野望症というのが起こって
14:06これが長く続くと失明してしまうんです
14:10さらにタンパク質が不足すると
14:14むくみができますね
14:16タンパク欠乏すると
14:18いろんな消化機能
14:20代謝の機能が落ちますから
14:22命を維持することができなくなってくる
14:25当時松沢病院で看護師をしていた男性の
14:44インタビュー音声が残っていました
14:46録音をした精神科医の塚崎直樹さん
14:55戦時下の精神科病院の歴史を書籍にまとめようと
14:5940年前全国の病院を回り
15:03医師や看護師にインタビューを行いました
15:07向井さんは
15:15園子さんが松沢病院にいたと思われる時期の
15:19看護師の証言を聞かせてもらいました
15:22栄養失調もいろいろあって
15:29一番初めはヨメクラです
15:31ヨメクラが始まって
15:33それからヨメクラの時期が遠いすぎると
15:37今度は口がんが腫れてむくんじゃう
15:40その時期がすぎるとまぶたが腫れ
15:43それから全身がもくみがくる
15:47そこまでの経験を自分自身がしたことがないので
16:02想像もつかないですけれど
16:04そういうところに実際に私の身内がいたのかなって
16:09想像しますと恐ろしいものがありますね
16:17戦争の激化とともに
16:20食料不足は可烈さを増していきます
16:23患者の死亡率は
16:28食料の配給精度が確立されると
16:32一旦は下がります
16:33しかしその後再び急上昇していきます
16:38食料事情の悪化によって
16:45配給に遅れや中止が相次ぐようになったのです
16:50塀の外では闇での取引や農村への買い出しで
16:59不足する食料を補うようになります
17:02これは戦争中の栄養摂取の実態調査
17:09昭和19年3月の配給による熱量は1403カロリー
17:17タンパク質量は38.3グラムなのに対し
17:22実際の摂取量は1842カロリー59グラムと多くなっています
17:30その差は闇から取って食べていたということです
17:36だから逆に言えば脱法行為なんだが
17:40闇から取らないと生きていけないような
17:44社会状況だったということですよね
17:46塀に遮断され
17:50闇での食料調達ができない患者たちは
17:53深刻な飢餓状態に陥っていきました
17:56食える草というものをみんな食ったでしょうね
18:04蛇が食うカエルが食うネズミも食う
18:10犬があったりしてまた中に入ってくると
18:14貫いてこれを食っちゃったんです
18:16食えるもみんな食ったんです
18:19しかし兵の外へ支援を求めても
18:26手は差し伸べられませんでした
18:29私単独で
18:34厚生省に行き
18:36農林省に行き
18:39ずいぶんやったんですけど
18:41結局言うことは
18:43完全な人でも
18:453食食べられないのだから
18:48そういうところの人は
18:51まあご遠慮願うほか仕方がありません
18:54とはっきり言われましたね
18:581945年の終戦の年
19:05松沢病院では
19:07多くの患者たちが餓死
19:10敷地内に穴が掘られ
19:13300人近くが埋葬されました
19:16かわいそうなゾウ
19:24という絵本を
19:26思い浮かべていた
19:28戦争末期
19:33上野動物園で
19:35動物たちが
19:37餓死させられた時
19:38ゾウたちは
19:40餌をもらいたくて
19:42飼育係に芸をし続けたのだという
19:45美しいものに憧れるしかできなかった
19:51いとこは
19:52人にこびる芸などは
19:55持ち合わせていなかった
19:56ただ
19:59窓から月を見つめていたのだろうか
20:03月をかき消し
20:05街を焼き尽くす豪華を眺めながら
20:09この世の終わりを悟っていたのだろうか
20:13向井さんが園子さんの死を知ったのは戦争末期
20:22両親の話を偶然耳にしてのことでした
20:26園子さんたち患者の死を医師たちはどう受け止めていたのか
20:35訪ねたのは松沢病院の名誉院長
20:46斉藤雅彦さん
20:48戦時中のカルテを分析するなど
20:53歴史を研究し
20:54精神医療のより良い在り方を考え続けてきました
20:59そのいとこが
21:00この病院の患者さんたちは痛くてここにいるわけじゃない
21:06いわば閉じ込められているわけで
21:11閉じ込められた場所で与えられた食料だけを
21:15配給された食料だけで生きていけと言われると
21:20それは大変だった
21:23院長が自分が心に恥じるのは
21:26私たちはこの人たちを閉じ込めた
21:30閉じ込めた場所で
21:32自分たちの生きる道を
21:35自分で探せない状態にしておいて
21:37その中で自然淘汰が起こるのを見ていた
21:42ということに
21:44自分たちの思いがあると言っていらっしゃる
21:47よく精神科の病院の兵が
21:51社会と隔てると言われますけどね
21:54だけど僕は兵を作っているのは僕だじゃなくて
21:58周りの人たちだったと思うんですよね
22:01誰もが今の自分を生き生き生きさせるために
22:10邪魔なものを排除したいというのは
22:12みんな本能的に持っていると思うんですね
22:15だから精神科の病院の問題というよりは
22:19社会の問題だろうなと思う
22:23今日ね市役所行ってちょっとご覧ください
22:32向井さんは家計図をたどって
22:36父方の親族を調べ
22:39園子さんの戸籍にたどり着きました
22:41あっ死亡って書いてますね
22:45戦争中戦時中ですね
22:48もう何か手書きで死亡ということになって
22:53私の父が届くということになって
22:55東京都豊島区西須賀も4丁目
23:01414番地にて死亡ですね
23:05園子さんが亡くなった場所は
23:10厚沢病院のある世田谷区ではなく
23:13豊島区となっていました
23:15そうするとなぜね
23:20この菅野に移ったのかっていう
23:22414番
23:254丁目のこれ
23:30保養院ですね
23:32その場所にあったのは
23:35保養院という名称の精神科病院
23:40当時この地域には
23:45多くの精神科病院が集まっていました
23:48その一つの保養院に
23:53園子さんは何らかの理由で
23:56転院したと考えられます
23:58保養院は空襲で全焼
24:05患者の記録も焼け
24:08手がかりは何も残っていません
24:10どっちみち閉ざされた空間に
24:17取り込められているわけですよね
24:19どっちにしても
24:21この時代からしても
24:24人間扱いされていたとは思えないんですけど
24:26食べるものも食べられず
24:29やはりガシドウ用になくなった可能性があると思います
24:38塀の中の極限状態を伝える音声テープ
24:42その中に
24:46向井さんの心に留まった証言がありました
24:50それは厳しい飢えに耐える患者たちを支えようと
25:05食料確保に奮闘する病院の職員たちの様子
25:09看護師の浦野志麻さん
25:15敷地内にあった運動場や中庭を開墾し
25:20農地に変え
25:21患者とともに農作業に汗を流しました
25:25その時のかぼちゃが未熟なこんな小さなかぼちゃで
25:30種ごとそっくにいたのがものすごく甘くてね
25:32その頃何もなかったですから
25:33あの甘さってのいまだにこう残ってますけどね
25:38食事はですね
25:40一つのテーブルだけで食べるのもつまらないから
25:43中庭に全部食堂のテーブルを出させてね
25:46そして明るいところで食事をするとかね
25:49浦野さんのお話っていうのは
25:53食料が十分なれば解決するとか
25:55そういう問題じゃなくてね
25:57やっぱり患者さんとどういうふうに関わっていくのか
26:00日々の希望というかな
26:02生きる目標みたいなものをどうやって作っていくのかっていう
26:05そういうことをおっしゃってるんですね
26:08私としましては
26:11ああいうつらい時期に浦野さんが不調産でいらした
26:15こんなに前向きに光を当ててくださる
26:18人間の国を見てくださる方がですね
26:21いらした
26:22なんかすごい奇跡のような
26:25つい孤独とか絶望とかって思っちゃうんですけど
26:31このやっぱり光のそばには闇があるけれど
26:33闇の隣が光だし
26:35必ず光があるって
26:37そういうことを伺ったのは何か
26:39救いになりました
26:41浦野志麻さんは戦後も102歳で亡くなる直前まで
26:49精神障害のある人たちと共に過ごしたといいます
26:54世の中に生きにくい人間から先に犠牲になってきますよね
27:01そうですね
27:02そこに島さんが向き合ってくださった
27:04それが今の時代に伝わっているというのに
27:08食べることのすごい貪欲なまでにありましたよね
27:14できたー
27:16病院を勤め上げたあと自宅の敷地に精神障害者の地域生活を支援する作業所を資材を投げ打って開設します
27:31そこはおいしい食べ物をいつでもおなかいっぱい食べられる場所
27:43私自身は病気になれば治療をし
27:52食べたいものを食べ生きてこられたっていう
27:55長い歴史の中でも本当に幸せな人生だったって
27:59だからある意味勝ち組なんですよ
28:03私はだからその才の目がそっちに入ったっていうか
28:08運が良かった
28:09だからこうやって来てこられたって
28:12声なき人々を排除しながら生き延びてきたっていう
28:17かわいい若いなのだと思って
28:34妙な話ですが
28:36あの世ってある子がいいなと思ってるんですよ
28:40そうするとそこでその子にあえて会ったら
28:45わびたくなる抱きついてわびるかしら
28:47どうでもいいことですけど

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