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  • 6 週間前
鈴懸の径(すずかけのみち)は、第二次世界大戦中の1942年に発売された灰田勝彦の流行歌である本曲は、佐伯孝夫の作詞、灰田有紀彦(灰田晴彦)が作曲して、有紀彦の弟である灰田勝彦が歌唱して1942年(昭和17年)9月にビクターレコードから発売された。

灰田勝彦の母校でもある立教大学のキャンパス内には、歌詞の題材にもなった「鈴懸の径」が存在し、その名のとおり両側に鈴懸の木が立ち並ぶこみちであり、その後この歌を記念して歌碑も設置されたもともとは同じメロディーで「マロニエの径」として作詞され、その歌詞はとても暗く感傷的な内容だったが、当時の日本というのは軍部に支配された状態で検閲が行われており、戦意をかきたてる勇ましいものは許可され感傷的な内容は発行・発売が禁止されていて「マロニエの径」も却下されてしまったので書きなおさざるを得なくなり、それならばいっそ方向を全く変えて学園歌、若者たちが学校で歌う歌に変更してしまおう、ということになり、あらためて全然異なる歌詞が書かれた[1]。学園歌に変えたので戦争のことを歌わずに済んでおり、戦時中にもかかわらず歌詞内容に戦時色・軍隊色が感じられない数少ない曲である(勝彦はこの年、同様に戦時色に染められない「新雪」を世に送り出して大ヒットを飛ばし、現在も歌い継がれて通信カラオケの収録曲となっている)。https://www.youtube.com/watch?v=08XocsU1rGM&list=RD08XocsU1rGM&start_radio=1
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