カミニート Caminito (小径) フリオ・イグレシアス Julio Iglesias & グラシェラ・スサーナ Graciela Susana ラテン / 訳詞初稿 sima

  • 6 年前
カミニートCaminito (小径) フリオ・イグレシアス Julio Iglesias & グラシェラ・スサーナ Graciela Susana
作詞:ガビノ・コリア・ペニャロサ、作曲:ファン・デ・ディオス・フィリベルト によって作られたタンゴ。
1903年に発表されたガビーノ・コリア・ペニャローサ(Gabino Coria Peñaloza)の格調の高い詩にイタリア系移民三世のフィリベルトが1923年のタンゴコンクールのために曲をつけたものとされている。(1926年発表という文献もある)

カミニート(Caminito)とは、小道のスペイン語で、「小径」 とされているがブエノスアイレスのボカ地区の通りの一角とするのが一般的。
移民受け入れ時代の港町の面影を残した粗末な建物が立ち並ぶ、この所謂貧民街の中からタンゴが発祥したと言われている。
大戦後にブェノスアイレス市がボカ地区の貨物線路跡地の路地を「カミニート」と名付けた散歩道として観光名所とした。
屋根や壁、バルコニーがカラフルに塗り分けられた建物が立ち並んでいて、フィリベルトの親友で同じくボカ生まれの高名な画家キンケラ・マルティンが監修指導して造ったともいわれている、小さな美術館のような通り。
現在は歩行者天国になった通りに土産物屋、タンゴレストランやカフェが並ぶという。
週末になると多くの画家の卵たちが作品を持って集まり、ミニ美術館のようになる。
また、路上では大道芸人たちがタンゴの調べにのって歌ったり、踊ったりもしているようだ。
タンゴの衣装を着た女性たちが観光客たちの記念写真用に、そこかしこにスタンバイしているらしい。

住民の多くはヨーロッパ系移民で、特にイタリアのジェノヴァ出身者が多く、風紀の悪い場末で、娼家などにおけるわいせつなダンスのための音楽として、タンゴ(Tango)はカンドンベ、ミロンガ、ハバネラなど複数の音楽が混ざり合い、19世紀半ばにモンテビデオ近辺のこのラ・プラタ川流域で生まれ盛んに演奏されるようになったと言われる。
それに合わせたダンスもスペインやイタリアからの貧しい移民の日常のはけ口として、日頃の不満を歌にぶつけて自然発生的に酒場で生まれ、男性同士や娼婦を相手に踊られるようになったと云われている。
そしてそのタンゴは一般社会からも卑猥・蔑視されながら、1903年に「エル・チョクロ:El choclo」が1905年ブエノスアイレスの高級レストラン「レストラン・アメリカ」にて初演され、遂に時代の表に躍り出ることになった。
更にヨーロッパに渡ると瞬く間に広く知られるようになり、コンチネンタル・タンゴの曲が続々と生まれ、ダンスも普及した。
アルゼンチン・タンゴとコンチネンタルの区別は、日本だけの使い分けらしい。

知見はないが、カルロス・ガルデルやメキシコに移ったリベルタ・ラマルケの歌はいまでも人気が高いという。
日本では1950年代のタンゴ・ブームの立役者「藤沢嵐子」氏が自身の訳詞で歌ったのが創唱だろうか・・・。
昨今ではスペインポップスのフリオ・イグレシアスやグラシェラ・スサーナも歌っている。

訳詞・イントロ・間奏編曲・歌 Sima
Ver.1 Pf. 砂原嘉博 (ラテン・ポップス調)
Ver.2 Pf. 江口純子 (タンゴ調)
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.174 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

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