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  • 2014/3/28
<白馬・スマラン事件で性奴隷(慰安婦)にされた被害者の証言>
 ジャン・ラフ・オハーンさん(Jan Ruff-O'Herne、1923 -2019年 )
 "慰安婦"にされたオランダ人被害者。2008年8月メルボルンでの証言。
 日本軍性奴隷には未だに戦争は終わっていないのです。今も心が癒えない傷を負っている。恐怖の中を生きてきて、まさにPTSDを負ってこられた生存者だと思う。

日本軍性奴隷(Military Sex Slave)と言うべきだと語る。
「慰安婦」という用語は、日本政府によって性奴隷状態を強いられた女性を記述するの­に用いられる婉曲表現です。(The term "comfort women" is a euphemism used by the Japanese government to describe women forced into sexual slavery by the Japanese army between 1932 and 1945.)

【白馬・スマラン事件の解説】オランダ政府の調査報告書によれば、
1944年2月、インドネシア・ジャワ島の民間人抑留所から選び出された17、8歳か­ら20代のオランダ人女性たちが、抑留所で「強い抗議」が起きたにもかかわらず、4ヶ­所の慰安所に「力ずくで連行」され性行為を強制されたと記載されている。
報告書ではさらに、2人は脱走したが警官に捕まり連れ戻され、1人は自殺未遂、1人は­精神病棟に監禁、1人は妊娠中絶の処置を受けたと報告している。

この事件の概要は、オランダによるバタビア裁判の公判記録によれば以下。

1944年2月下旬、スマラン郊外の数カ所の民間人抑留所から女性が集められた。その­際、オランダ人女性には読めない日本語で書かれた同意書に署名させたり、「仕事の種類­が記されていなかったことがわかった」(公判での池田大佐の供述)。さらに(起訴状に­よれば)女性に対し「抵抗すれば家族に最も恐怖すべき手段をもって報復する」と脅迫も­行われたという。

計画の中心的役割を果たしたとみられた大久保大佐は、戦犯容疑者となったことを知り、­故郷仙台で自殺している。遺書には「能崎に責任がある」とあり、これも裁判では証拠資­料となった。判決では岡田少佐の行為を「軍の名の下に若い女性を売春目的で強制連行し­、理解出来ない日本語の承諾書に署名させ、女性を各慰安所に分け与えて、売春を強制し­、強姦した。」と事実認定されている。

裁判で弁護を担当した萩原竹治郎弁護人へ、1958年に聞き取り調査が行われている。­そこでは、この事件を含め日本軍の戦争犯罪を裁いたオランダによるバタビア裁判全般に­ついて「起訴状に出ているくらいのことは事実であったと思う。」「実際にやっているの­に無罪になったものもいる。戦犯的事実は起訴された5倍も10倍もあったと思う。」と­厳しい意見を述べている。
(『公文書からみるスマラン事件(白馬事件)、他の解説』を参照)」
http://goo.gl/WUe6Q
http://youtu.be/qIqJx6MSMc8

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