人種の平等と世界平和(パリ講和会議)

  • 13 年前
パリ講和会議における日本の行動
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パリ講和会には、西園寺公望侯爵(元首相)や牧野伸顕男爵を初めとするの代表団が派遣された。
この時の首相は、平民宰相といわれた原敬。

・1894-1895年 日清戦争
・1904-1905年 日露戦争 日本海の名称が国際的に使用されることとなる。
・1914-1918年 第一次世界大戦
・1917年 ロシア革命
・1919年 パリ講和会
・1921年 原敬暗殺
・1936年 二・二六事件
・1937年 支那事変
・1937年-1945年 日中戦争(対中華民国であって中華人民共和国ではない)
・1939-1945年 第二次世界大戦
・1941年 ABCD包囲網により経済封鎖を受け日本は戦争へ
・1941-1945年 大東亜戦争/太平洋戦争

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「人種的差別撤廃提案」と改正案
フランスに正義であるとまで言わしめた改正案にまで反対し続けたイギリスと
一旦は賛成しておきながら、突如として全会一致を持ち出して議案を否決したアメリカ大統領ウィルソン
この決してほめることのできない行動を記憶に留めておきましょう。

今もあまり変わってない善悪二元論のイギリスが如何に日本の事を考えて教育しているか推して知るべしw
フランス革命で血を流し民主化したフランスは痛みがあろうとも、正当性のあるものを受け入れる素地がある。
イギリスとフランスの関係もここからほんの少し垣間見えます。

この頃から日本を放置しておけないと考えた覇権主義の欧米列強とソ連や、日本を目下に置きたい中国などの思惑の一致から、徐々に追い込まれ、ABCD包囲網から戦争へ突入していくんですね。
この頃からソ連のコミンテルンは、色々やってたみたいですね。日本軍がやったことになってることも、それは表面上で、当時はソ連のコミンテルンがやった事だというのが常識だったそうです。
原敬や高橋是清など、卓越した政治手腕と国際感覚を持つ政治家が暗殺されたのちに、戦争に突入した過去を忘れてはならないでしょう。

この番組を見て高校の頃に、同じ内容の授業を受けたことを思いだしました。
振り返れば、いい先生に出会ったものです。変に自虐的な歴史観が無く、日本の功罪をバランスよく教えてくださいました。
自虐的歴史観に基づいた報道ばかり目にするのでほとんど忘れていましたが(苦笑)

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