二代目松山会は愛媛県松山市道後湯月町5?42湯月山ビル(部屋番号やフロアは不明、2002年頃までは松山市道後北代に事務所があった)に本部を置いた暴力団で、元指定暴力団・六代目山口組の二次団体。2012年11月解散。旧松山連合会。
〇略歴
・郷田会
昭和30年代、大野一家出身の郷田昇が郷田会を結成。
1964年頃、本多会・郷田会が解散した。
旧郷田会傘下の岡本組(のち岡本会)は三代目山口組・菅谷組に加入した。
旧郷田会傘下の兵藤組(のち兵藤会)は独立組織となった。
1977年、菅谷組が三代目山口組を絶縁となり、独立組織となった。
1981年、菅谷組が解散し、岡本会は独立組織となった。
・統風三友会
1961年、松山に本拠を置いた渡部組が内部抗争により解散した。
1969年、旧渡部組の伊藤武史(伊藤武夫)により伊藤会が結成された。
1972年、旧渡部組の柳川重男により柳川会が結成された。
1976年、旧柳川会の上田満寿蔵により石鐵会が結成された。
1984年、伊藤会、石鐵会及び同じく松山市に本拠を置いた大西組により統風三友会が結成された。
・松山連合会
1989年、いずれも愛媛県を拠点とした、旧郷田会の岡本会、兵藤会と、統風三友会の伊藤会、石鐵会、大西組の5団体が松山連合会を結成。
解散した関西二十日会に代わり、西日本二十日会が結成された。
関西二十日会とは違い、反山口組ではなかった。
西日本二十日会の加盟団体は、松山連合会の他、唐津市の西部連合、下関市の合田一家、広島市の共政会、尾道市の?道会、笠岡市の浅野組、岡山市の木下会、徳島市の勝浦会、高松市の親和会、大阪市の波谷組。
・松山会
1990年3月、松山連合会は五代目山口組に加入。松山会に改称。
1996年10月、岡本雅博が引退。副会長の正田悟(二代目岡本会会長)が二代目を継承。五代目山口組若中に昇格。
2012年、正田悟が引退。松山会の跡目は継承されず組員は矢嶋組等に移籍した。
〇系譜
初 代-岡本雅博(岡本会会長)
二代目-正田悟(二代目岡本会会長)
〇二代目松山会組織図
会 長-正田 悟(六代目山口組若中)
若 頭-武智浩三(四代目岡本会会長)
舎弟頭-島寿勇次(島寿組組長)
本部長-田中直哉(極政会会長)
若頭補佐-下川浩一(下川組組長)
若頭補佐-橋本晋(二代目大石興業組長)
副本部長-山田栄(二代目白方組組長)
2011/10/16に撮影した動画のようです。2021年2月にはすでに湯月山ビルはなくなっている。