星影のワルツ・千昌夫_別れることは つらいけど
  • 14 年前
千昌夫君が、少し、紫の入った学生服で「この歌は僕の田舎でヒットしています」といって各局を回って歩いていたのは、確か、昭和40年「北国の青い空がヒット中」だったと思う。当時、彼の所属していたレコード会社はミノルホン・レコード。藤健二「スリーファンキィーの高倉一志・解散後」ぐらいしかいなかったとおもう。それにしても、よく頑張っていました。ヒットしたのは、それから暫くして。学食のラジオで聞いた。
因に僕は、Qシート書くアルバイトでした.