00:27A CIDADE NO BRASIL
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01:392004年の今日、44歳の若さで、ひっそりと旅立った松原美希。
01:51晩年、大切にしていた楽譜やレコードなど、すべてを自ら燃やしに、音楽を捨て去った彼女。それは一体、なぜだったのか。
02:04公表されていなかったが、美希にはおっとがいた。メールでおっとり残した最後の言葉となって、知られざるドラマが、今、おまかさ。
02:231959年、美希は大阪府に生まれた。父は病院の移住、母は元ジャズ歌手。母の影響で、幼い頃から音楽に親しんだ美希は、しっかりもので、親に心配をかけない子供だった。
02:51名門中学に入学、周囲の誰もが認める優等生だった彼女。姉妹のように仲が良かったいとこは、美希について、こう語る。子供の頃から、何でもできました。勉強もできるし、何してもできる。スポーツもできましたし。憧れの的みたいな感じで、カリスマでしたね。
03:19しかし美希には、家族や友人も知らない大きな夢があった。それは、歌手になること。優等生で、大学に進むと思われていた彼女は、音楽の道を目指し、突然、17歳で上京。後に彼女は、その決断について、こう語っている。私は、大学を捨てたんじゃなくて、自分にとって大切な歌を選んだ。
03:41人生という宝石箱から、私にとって今一番必要なものを選び出して、私なりに、キラキラ輝かせたいのです。東京で、慣れない一人暮らしをしながら、歌手の夢を追った美希。ライブハウスや米軍キャンプで歌う日々が続いた。
03:58そんなある日、彼女の運命は大きく変わった。六本木のジャズクラブで、飛び入りでステージに上がった美希の歌声に、観客たちは息を呑んだ。その歌声が評判となり、たちまちデビューが決まった。
04:1370年代後半から80年代前半といえば、偶然のアイドル全盛者。そんな中、美希はこの曲で華やかにデビューを飾った。
04:39曲を手掛けたのは、作詞三浦芳子、作曲林哲司という奇麗なヒットメーカーたち。まさに、期待の新人としてのデビュー。19歳ながら、独特の大人の雰囲気が人気に拍車をかけた。
04:40Street with me、さよなかのもあうたたき。まえあないで、この泣いた。あの季節は、今まえのまえ。Street
05:07with me、作曲した林哲司は、美希についてこう書かれた。笑うとね、とってもね、笑顔が素敵な人で、
05:27彼女の空いた感じから、あのボーカルが出てくるっていうことがね、最初あったときは予想もつかなかったんですけどね、かわいい、あの、容姿のね、彼女が、
05:47こういうポップスの曲を大人びた歌い方で歌ってるっていう、その、ギャップみたいなものがね、あの、なんかほんとにいい形で、えー、表現されてて、あの、なんかその、不思議な魅力を持った女性だったなっていうのをするんですよね。
06:03レコードは30万枚を折り上げ、数々の賞を受賞。デビュー2年目にして、美希の曲が、人気CMのキャンペーンソングに抜擢された。その曲は、ニートなゴールサンチ。
06:04I'm gonna feel me, me, every day.美しいものは、美味しいのです。姿勢の、ルア。I
06:16need to.この曲で、歌手としてのミキの人気は不動のものとなった。その後、コンサートや学園祭に引っ張りだことなったミキ。あるとき、
07:00彼女は、自分の歌の詩に、女性としての理想像を重ね、こう肩を受け入れる。白内容は、セクシーで、スピーディーで、それでいて、ちょっと茶目気があって、女っぽくて、いろんなこう、理想の女の人。着実に、歌手活動を積み重ねていった彼女は、ラジオ番組で、こんな言葉を残している。25になって、すごく思うのは、私ぐらいの年齢で、今、
07:09歌手をやっている人、一人やめ、二人やめって、だんだん消えてきちゃうんです。それが、すっごく悔しいなと思うんですけどね。
07:20でも、それなりの、女の愛心というのが、出てくれば好きな、そういう感じがします。その後、自らのバンドを結成。
07:50人生すべてを、音楽一筋に、注ぎ込んでいった美希。それを、間近で見ていた、バンドのメンバーは、とにかく、真剣に、音楽と向き合うっていうことは、
08:19さらに、
08:30聞いてしまいます。ですから、この返事は、結構ですよ。悔いのない人生、送ってくださいね。美希。
08:38突然、関係者に届いた、美希からの奇妙なメール。え
08:59?とか思って、そのメールが、とにかく届いて、すぐ僕、変身したと思うんですけど、でももう、そのままだったんですよね。それで、誰に聞いても、あの、分かんないっていうことで、一切何も分かったのか、あったんですよね。美希は、居場所すら誰にも伝えず、姿を消した。
09:29一体、何が起こったのか。実はその時、美希は病に蝕まれていた。地球平和、末期。そして美希は、ある決断を押せる。大切にしていた楽譜やレコードすべてを燃やし、あれほど打ち込んだ音楽に触れることを一切やめたのだ。その理由が、
09:48大切に描かれていた。歌を歌っていた時代、曲を作っていた時代の過去は、もう忘れてください。たぶん、私のこの時代の生き様が、病気を生んだんだよね。だから、自分の中では、もうリセットしたのです。
09:57その話題が出てくると、未来に行けない。そんな弱い自分が、また目を吹き出すのです。
10:06何かやるには、絶対、100
10:07%じゃなくても、120
10:08%、200%、完璧にやりたいっていう立ちなので、ちょっとこう、関わってしまうと、やっぱりその気持ちが起こってくるし、
10:42うーん、だから本当に断ち切ったんだと思うんです。ミキは、全力でガンと戦った。しかし、告げられたのは、余命3ヶ月。ミキは、残されたわずかな日々を家族と過ごした。それまで弱音を一切吐かなかった彼女が、父親にこんな様子を見せたという。
11:10子供の時から、しっかりもんで、一人で独立してたから、それが、いっぺんに、赤ちゃん帰りしたというか、あともうすぐ6ヶ月は、ものすごく、特に母親に甘えましたね。だから、もう、嫁が行くわくもないということは、分かってましたから、できるだけのことはしてやろうということで。そんな父に、ミキは一度だけ心の内を漏らした。
11:34私、いろいろとしたいことが、まだ、心の中では残っているんだから、今身のも嫌だと、はっきり言いましたね。うん。やっぱり、音楽、作曲、もっともっと、あの、詰めてやっていきたいということだったんですね。
11:58自分のすべてだった音楽と決別したミキ。しかし、麻酔で朦朧としていると、上元で音楽の話をしていたという。人々のマイクの姿を消して、3年が過ぎた、2001年の今日。ミキは、静かに天国へと旅立った。
12:1544歳だった。ミキの願いにより、家族だけで行われた葬儀では、最愛の夫に送った最後のメールが、読み上げられた。
12:43病気が分かって入院してから、初めていろいろなことに目が覚めた。そんな気がします。できることなら、健康になってたくさんたくさん、お返ししたいよ。健康になりたい。そしてもう一度、人生を再スタートさせたい。ミキの死が公表されたのは、それから2ヶ月後のことだった。
13:12音楽への思いを残し、旅立ったミキ。しかし、死後5年が過ぎたことし、改めてアルバム5枚が発売されるなど、再び彼女の歌声が注目されている。毎年、命日が近くなると、今も全国からファンが集まるライブハウス。ミキの大ファンだというマスター。
13:27あの曲の時に、爆説したりこうだったと、彼女の魅力が素晴らしいんで、今もやっぱりそういう思いで、皆さん、いいみたいですね。恋してるんでしょうね。間違いなく。未だに冷めない。
13:57大学の魅力が出る。パターンの中の魅力が出る。大学の魅力が出る。一つの把握だ。大学の魅力が出る。大学の魅力が出る。高校に入っている。大学の魅力が出る。大学の魅力が出る。
14:00Não me esqueçam, não me esqueçam
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