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  • 2 週間前
今年は六四天安門事件から36周年にあたりますが、中国共産党の官製メディアは一斉に沈黙し、市民による議論も厳しく抑え込まれています。 米国に亡命している天安門事件の当事者である呉仁華さんはこのほど、当時陸軍第38集団軍のトップだった徐勤先さんが学生への発砲を拒否したため、当局によって秘密裏に有罪判決を受けるまでの過程を語り、約6時間に及ぶ動画をSNSで公開しました。 この映像には、当時の軍の行動に関する多くの機密性の高い詳細が含まれています。​

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00:00六四天安門事件から36周年にあたりますが、中国共産党の関西メディアは一斉に沈黙し、市民による議論も厳しく抑え込まれています。
00:11アメリカに亡命している天安門事件の当事者であるゴジンカさんはこのほど、当時陸軍第38集団軍のトップだったジョキンセンさんが学生への発砲を拒否したため、
00:23当局によって秘密裏に有罪判決を受けるまでの過程を語り、約6時間に及ぶ動画をSNSで公開しました。
00:31この映像には、当時の軍の行動に関する多くの機密性の高い詳細が含まれています。
00:381989年6月3日、中国共産党は精鋭部隊である第38軍に戒厳令を実施するため北京へ侵襲するよう命じ、武力による流血を伴う弾圧を行いました。
00:52当時、第38軍のトップ、ジョキンセンさんは出動命令書の署名を拒否したため、軍法会議により秘密裏に実刑判決を受けました。
01:0311月25日、元中国政法大学の講師であり、六四事件の当事者でもあるゴジンカさんは、初めてジョキンセンさんの裁判映像をインターネット上に公開しました。
01:156時間3分44秒に及ぶ映像の中で、ジョキンセンさんは、改憲令は中共中央軍事委員会が明示、国務員が交付したもので、
01:26第38軍や第27軍などが他市の武器を携えて北京へ入り、学生に対して鎮圧を行ったと証言しています。
01:35ジョキンセンさんの裁判は、1990年3月17日に北京の軍法会議で行われました。
02:04鎮圧行動への不同意を理由に、ジョキンセンは軍庁職を即座に解任され、その後逮捕、起訴され、懲役5年を言い渡されました。
02:24裁判の過程でも、彼は当時の軍の行動にまつわる多くの敏感な情報を明らかにしました。
02:30これまでは多くの場合、一時資料がなく、ジョキンセン将軍はただの伝説のように語られてきました。
02:42しかし今、法廷で彼の堂々たる姿を目にし、その言動を聞くと、
02:48北京軍区の政治委員、リュウシンカが改憲令を伝達した際に、なぜ彼がそれを拒否したのかがはっきりわかります。
02:56大義と原則の前で、彼は明確で揺るぎない態度を示していました。
03:02州法佐さんによると、当時、北京では民意がかつてないほど高まり、
03:07100万人近い市民が25万の軍に平和的に抵抗したにもかかわらず、
03:13その事実は中共の暴力と虚偽によって覆い隠されたといいます。
03:17実際、北京に駐留していた軍の中でも、戒厳令に反対する兵士が多くいたと指摘しています。
03:241989年当時の北京は、まさに全民一致の状態でした。
03:32学生、市民、共産党幹部、そして軍人まで、多くの人が戒厳令に反対していたのです。
03:40これは非常に明白な事実です。
03:42私は天安門広場で、私たちに直接支持を表明した多くの軍人を迎えましたし、
03:49手紙や電報なども多数受け取りました。
03:51ですが、その多くの人たちがその後どうなったのか、私たちはほとんど知りません。
03:586月4日未明、中共は武装部隊を動員して広場の排除作戦を実施し、学生や市民に対して発砲しました。
04:07その結果、数百人、もしくはそれ以上の犠牲者が出たとされています。
04:12かつて中国で市民記者として活動していた朱書康さんは、
04:172007年に湖南へ向かう列車の中で一人の軍人の妻と出会い、
04:23彼女の夫が六四鎮圧に参加した際に撮影した写真の副写を依頼されたと証言しています。
04:29朱書康さんは、当時の様子を次のように振り返ります。
04:33普通列車の中で、向かいに座っていた人と雑談していたところ、
04:40その人が軍人の妻だと分かりました。
04:43六四の話をすると、彼女は荷物の中に家族写真があると言い、
04:48夫は天安門に行ったことがあると話しました。
04:51そのため、その中には天安門で撮られた写真もあり、
04:55私はその5枚を撮影しました。
04:574枚ほどの写真のうち、1枚の裏には6月5日記念のような文字が書かれていました。
05:04つまり、天安門での鎮圧後に撮った写真だったのです。
05:08朱書康さんは、ゾウラというネット名で、
05:112024年6月4日にこれらの写真をSNSに公開し、
05:16簡単な背景説明を添えました。
05:20写真は6月4日に撮影されたものです。
05:23多くの人は、六四の大虐殺と言いますが、
05:27実際の大量殺害は3日夜から4日未明にかけて起こりました。
05:314日未明に広場を清掃する際、
05:34これらの軍人はついでに記念写真を撮りました。
05:37それらはカラー写真です。
05:39つまり、銃を持って天安門広場にいた軍人の姿が確かに記録されており、
05:45彼らが事件の重大さを理解していなかったこと、
05:48ただ共産党の命令に従う処刑人であったことを示しています。
05:52現在に至るまで、除菌専さんの裁判資料は、
05:55中共によって国家機密とされています。
05:58中共はやましさを感じており、
06:03人々が89年の六四を語ることを恐れ、
06:07真相を知ることを恐れています。
06:09しかし、真実は隠し通せるものではありません。
06:1336年を経た今、このように重要な歴史の一幕が明らかになったことは、
06:19まだ多くの真実が明るみに出ることを示しています。
06:23この6時間に及ぶ高画質の貴重な映像には、
06:26詳細な情報が非常に豊富に含まれており、
06:29これは中共内部の重要部門の中にも、
06:32良心を失っていない人々がいることを示しています。
06:35シュウホウサさんはさらに、
06:3837年前、中共当局は国民を虐殺する道を選びました。
06:43そして37年後の今、
06:46その暴政と逆行的な政策の数々は、
06:49ますます多くの人々に拒絶されています。
06:52今は決定的な時期であり、
06:54中共の終焉の時は日に日に近づいていると言えると述べました。
06:59NTDジャパンがお伝えしました。
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