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  • 7 か月前
トランスクリプション
00:00東洋の心を語るというシリーズの第3回目になります
00:06本日のテーマは 汝自身を知れということでございます
00:11汝自身を知れ 結局自分とは一体何であろうか
00:18事故とは何かということかと思いますけれども
00:21毎日をどう生きていくかということにも関わるし
00:25事故というものをどう捉えるのかという哲学的な問題でもあるし
00:30人類の永遠の課題かと思うんでありますけれども
00:34本日はこのテーマにつきまして
00:37いろいろとお話を伺っていきたいと思います
00:41お話を伺います方は 東方学院院長の中村はじめ先生でございます
00:46よろしくお願いいたします
00:48そして本日のテーマが 汝自身を知れという
00:54事故とは何かと 事故をどう求めていくかということかと思うんですが
00:59これは宗教の上でも あるいは哲学思想の上でも
01:04古来いろいろと論じられ 取り上げられてきた問題であるかと思うんでございますけれども
01:11その辺から少しお話を伺いたいのでございますが
01:14事故と申しますか あるいは自分自身ということは
01:19我々が生きていくためにも 最も大切な事柄だと思うんです
01:25古来の哲学宗教におきましても
01:30みんな事故とは何かということを 問題にいたしました
01:35事故という言葉ですが 英語ではselfと申しますね
01:41それからドイツ語ではぜひselfという 言い方もございますが
01:45自分を反省して そこで事故というものを見つめるわけです
01:51この事故を知るということは 非常に難しいことでありまして
02:00私どもは漢字で事故と書いておりますが
02:05その事故の字というのはですね
02:08元は中国で自分の鼻をですね 表した言葉だったんですね
02:18顔の真ん中について 顔の真ん中に鼻がありましょう
02:20これをですね 漢字というのは 象形文字ですから
02:24それをかたどって ああいう字という字を使ったんですね
02:31顔の中心にあって 本当にやはり自分のことを言う時に
02:37鼻をさして私などと言いますし
02:39そういうわけなんですね
02:40ああそうですか なるほど
02:41つまり 鼻が顔の真ん中にありましょう
02:45顔が大事なものです その真ん中にあるんだから
02:48非常に中心となる大事なもののはずですが
02:51しかし自分の鼻は見えないわけなんです
02:53そうですね
02:54他の人の顔なり鼻は見えるわけなんです
02:57で 自分の鼻を見ることができない
03:03ということはさらに考えてみますとですね
03:05自分を見つめるとか 自分を反省するということは
03:08非常に難しいことです
03:10けれども 自分の存在の奥に
03:13事故と言わるべきものがあって
03:16それが我々の生き方を導いていると
03:21いうことが言える
03:24そこにも示されているわけなんです
03:26非常に面白い いいことを教えていただいたと思うんですが
03:31そうではないですか 事故の地というのは
03:34鼻ということで
03:35そうなんですね
03:36従って自分のことがよく見えないのも
03:39そうなると当然なのでありまして
03:41そうなんですね
03:42自分で自分の鼻見えませんのでね
03:43なるほど
03:44事故の地からですね
03:46鼻という漢字も作られたんですが
03:48その下にある部分は
03:50鼻という漢字の下にある部分は
03:52これは単なる音符だって言うんですね
03:54音を示すためだけのものです
03:56それだけに昔から
04:01ギリシャの時代からも
04:03あるいはインドにおきましても
04:05中国におきましても
04:07自分ではなかなか見えない事故
04:09それをどう考えていくかというので
04:11苦労してきたわけですね
04:12そういうわけですね
04:13すぐには捉えにくいけれど
04:16しかし考えてみれば
04:17一番大事な事柄なんですね
04:19で 汝自身を知れということは
04:23昔 ギリシャのデルフォンの神殿に
04:27掲げられていた句であるというので
04:30一般に知られておりますが
04:32学者の言うところによりますと
04:34元はですね
04:35明々の人が身の程を知れという意味だったと
04:39解釈されておりますが
04:41これが
04:44ソクラ説によって
04:46非常に深い意味に解釈されましてね
04:50明々の人の本当の事故を探求し求めよと
04:57いうところから
04:59哲学的な施策が深められたわけです
05:04これは何もギリシャだけの問題じゃないのでありまして
05:07インドではですね
05:09もう事故を知るということは
05:12ある意味でインド哲学のですね
05:15この中心課題だったわけです
05:18すでにウパニシャッドの中でですね
05:22事故を知るということが
05:25大きなテーマになっていまして
05:28その後
05:31インド哲学二千数百年の歴史を通じて
05:35常に学者が論議してきたことでございます
05:39事故というものを求めていくのに
05:42大変考える良い材料となる
05:47仏典の言葉がございますので
05:49まずそれをご紹介しながら
05:51また色々お話を伺ってみたいと思いますけれども
05:54私には子がある
05:58私には財があると思って
06:01愚かな人は悩む
06:03しかしすでに事故が自分のものでない
06:07まして子が自分のものであろうか
06:11どうして財が自分のものであろうか
06:14ダンマパダ
06:16まあ日本では北九郷と知られているものでありますけれども
06:19先生ここにその
06:21事故が自分のものでない
06:23ちょっとすごい表現だと思うんですけれども
06:25そうですね
06:27非常に鋭い表現だと思いますね
06:29これはまあ
06:31私たち一般の生活を考えてみましてもですね
06:34自分に何か属しているものがあると思うわけですね
06:37自分には子供がある
06:39あるいは自分は財産がある
06:41こういうものが
06:42その事故を作り上げている
06:44事故に属している
06:46自分はそれに頼っている
06:48安心だと
06:49まあ一応そう考えますが
06:51しかし
06:53考えてみれば
06:57それらはこの
06:59自分の事故として頼ることができるかどうか
07:02例えば
07:04子供をいかに愛してもですね
07:07この世を去る時は自分は一人で去らなきゃなりませんね
07:10何かの時には頼りにならないと
07:13それから財といったってですね
07:15いくらお金持ちだって
07:17その財産をあの家へ持っていけるわけじゃないんですから
07:20そうするとやっぱり事故からは気に晴らされたものです
07:23だから
07:24本当の意味の事故とは言えないのではないか
07:27だから頼りにならない
07:30そんならその自分はどうしたらいいか
07:33まず自分自身を整えるということが必要ではないかと
07:38まあそこへこの施策が行くわけなんです
07:42まあどうしてもあの
07:45財産子供にしても今のお話のようにすぐ
07:48あの自分とは離れていってしまいますし
07:51自分の自由にならない
07:54そうしたものが本当に自分のものなのと言えることはないし
07:59だからこそ自分というものを求めていくということが
08:02どうしても出てくるかと思うんですが
08:05先生やはりこの事故を求めるということは
08:08あの昔からいろいろな形で試みられているかと思いますので
08:14あの事故を知るとは何かと
08:17ギリシャ以来いろいろその求め方が解かれているようでございますけれども
08:23この事故というのをですね
08:26インド哲学あるいは仏教哲学におきましては
08:29どう表現しているかと申しますと
08:31アートマンというんですね
08:33アートマンというのは
08:35英語で言ったらセルフという言葉に相当するわけでして
08:43自分自身を振り返って言及するときに使われる代名詞なんですね
08:49その語源を見ますとですね
08:56インドヨーロッパ語の諸々の言語を通じて言えることですが
09:01息を意味する言葉だったんです
09:04呼吸でございます
09:05呼吸です
09:06なるほど
09:07元アートマンは呼吸という意味であったと
09:10英語でもアトモスピアと言いましょう
09:13アトモスというのはギリシャ語に由来するんですが
09:15やっぱり風で動く風です
09:17だからこの呼吸、息というものは動く風ですから
09:24で、アトモスで表現されたこともある
09:27だからドイツ語ではですね
09:29アートメンというような言葉があります
09:31呼吸すること、アートメンというですね
09:33そこに繋がるわけですが
09:35で、なぜそういう言葉を使ったかと言いますと
09:38人間の事故は何だろうと考えてみると
09:41そうすると命のある間は我々は息をしていると見たわけですね
09:47息をしているその奥に事故があるんだろうと思って
09:53それで呼吸の現象に気づいて
09:57それから事故を反省して
09:59だんだん中へ入っていったわけです
10:01そこからインドの哲学的施策が始まるわけです
10:06呼吸がなければ生きていけない道理でございますし
10:09一番大事なもの、一番本質的なもの
10:12そうですね
10:13事故ということになってきたのかと思うんですが
10:15先生、その事故というものを
10:17実はなかなか大事だということは知っていながら
10:21先ほどの花ではございませんけれども
10:24自分の方で特に求めようとはしないんですね
10:27他のつまらないものは求めるけれども
10:30事故を求めるということを
10:32なかなか私どもよくやらないわけで
10:34なんか中国の申し印に
10:36前に先生から伺ったことがございます
10:39面白い例えがあるとか伺いましたんですが
10:42申し印も言っていることですが
10:46人間が自分の持っている鶏だとか犬だとか
10:51逃げてしまうと
10:52大変だと言って追っかけるわけですね
10:54けれど自分自身を忘れている
10:58どうしたことだと
11:00申し印が稽古を放って反省させているわけです
11:06これは仏教にも同じような例えがございまして
11:10事故を求めよということを
11:14一番適切にと申しますか
11:18面白い物語で示していることがあるんです
11:22それはお釈迦さんが
11:26ベナレスで教えを説いて
11:30そしてまたかつて悟りを開かれた
11:34ブッダカヤの方へ歩いて行かれる
11:38途中に林があった
11:40そこで30人の男性がいて
11:46自分の名々の奥さんを連れてきて
11:52楽しんでいた
11:54エクスカージョンでしょうね
11:56遠足のようなものだと思うんです
11:58ところが30のうちで
12:001人だけ妻がいなかった
12:04その人だけ寂しくてかわいそうだ
12:08それで遊び目
12:10遊女を連れてきて
12:12仲良く楽しんでいた
12:14そうしたら気が付いてみたら
12:16その遊女が
12:18その相手の人の大事なものを盗んで
12:25こっそりと逃げてしまった
12:28ああ大変だって言うんですね
12:30それでみんなが
12:31あの女はどこへ行ったかって
12:33探してたって言うんですね
12:34ガヤガヤしてた
12:35そこへお釈迦さんが通り下がった
12:37なんだって
12:38いやこれはこれこれの次第です
12:40そうすると釈迦さんが
12:42なんだ
12:43君たちはそんなことで騒いでいるのか
12:47不条を求めるよりは
12:49事故を求めよって言われた
12:51お前たちは事故を忘れてるじゃないかって
12:54そこでみんなハッと気づいてですね
12:56それで釈迦さんに消えせるようになった
12:58というそういう物語があるんです
13:01あのー
13:02確かに品物ですと
13:04私ども一生懸命探しますですね
13:07あのー
13:08先ほどニワトリとか何かの
13:10申しの話ございましたけれども
13:12あのー本当に
13:1310円どうかを落としても
13:15探し求めるくせに
13:16そうですね
13:17自分自身を探し求めるということは
13:19なかなかしない
13:20なるほど
13:21あのー
13:22そういういろんなことは
13:23エピソードもございまして
13:25その中から
13:27一体自分って何かということを
13:29求めていくんですが
13:30あのー
13:31先生
13:32なんかこういろいろこう
13:34哲学とか宗教の中に
13:36うーん
13:38非常に難しい形で
13:40自己を求めるとか
13:42いうことがよくあるようなんですが
13:44そうした
13:45哲学的なというか
13:47非常にこう高度の修行が必要なような事故ではなくて
13:51もっとその生活の中に自己を求めていくと
13:55いうことを
13:56ブッダの教えの中にあるといいますか
14:02つまり
14:04非常にこう生活実践の中で自己を求めていくという
14:07そういう生き方を
14:09説いたのが
14:10借存であったと
14:11そういうふうに
14:12聞いております
14:13そうですね
14:14むろんその哲学者たちも
14:16その
14:17自我を追求するということをやったわけです
14:20近代哲学というものは
14:22自我の自覚から始まると言われておりますね
14:25デカルトが
14:30我の存在を論争したというのは有名ですが
14:33自分はここで考えている
14:34意識している
14:35だから自分は存在する
14:37あの議論がですね
14:39またインドでも
14:40今から1300年ぐらい前に
14:43シャンカラという哲学者が言っているんです
14:46これはもうインドの
14:48ヒンドゥ教の伝承の哲学者
14:50そうです
14:51なるほど
14:52自分はあらゆるものを疑うことができるんですね
14:57けれども自分の
15:00自己の存在を疑うことはできない
15:03自己を疑おうとすると
15:05その疑っている自己というものがまたここにあると
15:09それは否定できないではないか
15:11だから
15:12自己
15:13アートマンというものを否定することはできない
15:16
15:17ただ面白いことには
15:18シャンカラの議論はですね
15:20そこからすぐその
15:24大画の存在を飛躍するわけです
15:28自己は否定できない
15:29だからその奥にある大画というものも
15:31これは否定できない
15:32あの大画と申しますと大きい
15:34大きいわれですね
15:36そうしますと私どもの日常を普通に
15:39私画とか私のものと言っている画というものの
15:43もう一つ奥に本当の自己があるといいますか
15:46大きい画があると
15:47こういう考え方でございます
15:48そうです
15:49この近代西洋哲学の場合には
15:52個人的な自我の存在というところで
15:55ちょっとこう止まっているわけですね
15:57ところがシャンカラはさらにその奥へ突き進んだ
16:02自我の存在の証明が
16:06その奥にある絶対者の存在の自覚というところまで進んだ
16:12というので
16:13シャンカラの試作の特徴があるわけです
16:17ただこれはですね
16:18所詮哲学者の議論なんですね
16:20現実に生きている我々としてはですね
16:23もっとその生きた意味での自己の捉え方というものが必要じゃないかと
16:31そうするとシャクソンの言葉なんてものを改めて
16:35反省する必要が起きてくるわけです
16:37先生、シャクソンがそういう
16:41もっと実際的な形で捉えると
16:45言いながら仏教の方で無我という言葉でございますが
16:49無我というのは我がないというふうに読めると思うんですが
16:54その我がないということと我という事故でありましょうか
16:59それを求めようということは
17:01どういうふうにこれを考えたらよろしいんでございますか
17:03これはですね
17:04無我説ということが仏教の根本の教えだということによく言われますけど
17:09その意味は我衆をなくせよって言うんですね
17:12我々は自分に執着しているでしょ
17:17我衆があります
17:19そして欲望にとらわれている
17:21それを超えよというところから発したんです
17:25だからその別に我がないという意味ではなくて
17:29むしろ経典に説かれている推しはですね
17:32いかなるものも我ではない
17:35いかなるものも自己ではないと
17:37そういうのが元の意味でした
17:41だから非我説って言った方が当たると思うんですね
17:44なるほど
17:45無我というと我がないということですが
17:49それが我がないというよりはむしろどんなものも我ではない
17:54そうなんです
17:56非我我にあらずというふうに捉えた方が実践的である
18:01そういうわけです
18:02例えばさっき言葉が出ましたけどね
18:05自分が非常な財産を持っている
18:08けどその財産といってもですね
18:10これを考えてみれば本当の自分じゃないわけですね
18:14いつかは自分から離れるかもしれない
18:17それから愛する家族が周りにいる
18:20けれどもですね
18:21死ぬ時は一人でしょ
18:23そうすると厳密な意味ではそれも我であるとは言えない
18:28あるいは社会的な名誉であるとか地位とか
18:31いろいろありますけどね
18:32それも本当の意味の我ではないと
18:35さらに仏教の反省はもっと内面に入っていくわけです
18:39我々の存在を構成している
18:41このいろいろな作用団の要素を考えるわけですね
18:45例えば知覚能力というのがあります
18:48思考能力というものはあるでしょ
18:50意識する働きもあります
18:52こういうようなもの一つ一つをとってみても
18:54それは我ではない
18:56またその中に我があるのではない
18:59またそれらが我に属するものでもないと
19:03こういって追求していくんですね
19:06非常に反省的なんです
19:08そうしますと先生
19:09こういうふうに見てよろしいものでございましょうかしら
19:12つまり私どもいろいろものを考えたり見たりしながら
19:17これが私ですよと
19:19まあ我ですよと
19:20あるいはこれが私のものですよ
19:23そうです
19:24そういうふうに握りしめてしまうんですね
19:26そうなんですね
19:27握りしめてしまうんだけれども
19:29考えてみればこれが私ですよという
19:32私にしたって永久に持ち続けられるものでもないし
19:37自分でこう自由にもならないし
19:40私のものと言いながら
19:42みんなこう離れていってしまう
19:44結局これが私ですよとか
19:47私のものですよと
19:49つまり我であるとか
19:51我のものとか言って握りしめるものはないから
19:55その意味でどんなものも私として捕まえちゃいけませんよと
20:01私にあらず
20:03私のものにあらずと
20:05こう受け止めるという
20:06そういうふうに考える
20:07そういうことになりますよ
20:09つまり無常の教えと表裏の関係にあると思うんです
20:12よく世間の人が執着するものはですね
20:15無常の立場から見ますと
20:18いつかは消え失せるものですね
20:21それは自分の死後にまでは残るかもしれないけども
20:24もういつかは消え失せるものでしょう
20:27そうすると永久不変の実態であるということは言えないわけですね
20:32ところが実際に私どもやっておりますのは
20:35例えば命にしても健康にしても若さにしても
20:40その他死なものにしても
20:42一旦自分のものにしてしまいますと
20:44握りしめてしまって
20:47永遠に自分のものであれというようなことを
20:50常に願いますですね
20:51そうですね
20:52いつも挫折するわけです
20:53そういうわけです
20:54なるほど
20:55そういうような具体的に
20:58形のあるものが自己であるとか
21:01自分に属するものであると
21:03考えてはいけない
21:04じゃあ本当の自己はどこにあるかということですね
21:07で自己を決して仏教は否定していないんです
21:10自己が存在しないとは言わない
21:13自己はどこにあるか
21:14それは人間がですね
21:16この人間の道理生きる理がありますね
21:20生きていくための道理筋道
21:23それに従って生きていく
21:26そこに本当の自己が現れると
21:29だから多面では
21:32自己は自己の主であるとかね
21:35言う具合に説いて
21:38実践的な意味で自己を理解しております
21:43その意味で一つ大変適切な言葉を
21:47お選びいただいておりますので
21:49それをまずご紹介しながら
21:50またそのお話を伺いたいと思いますが
21:54何者かを我が物であると
21:57執着して動揺している人を見よ
22:01彼らの有様は
22:03干からびた流れの水にいる
22:06魚のようなものである
22:09スッタニパータ
22:10原始物典の中でも一番古い時代のものかと思いますが
22:16やはり先生今のお話で
22:19我が物であると執着すると
22:22本当にアップアップしている魚と同じではないかと
22:26こういうことですね
22:28考えてみれば通列な寸間ですね
22:31我々は日常いろいろなことに追われても
22:34あたふたま暮らしているわけですけれども
22:37これを高い立場から見ますとね
22:40水たまわりに魚が澄んでいる
22:42だんだん水がひいて干からびてくる
22:45やがて水がなくないその中で
22:47バタバタとこう
22:49のたち帰りますね
22:51そんなようなものじゃないかって言うんですね
22:53なるほど考えてみれば
22:55私ですよとか
22:57私のものですよと
22:59今の言葉でございませんけれども
23:02本当に執着しているわけですね
23:05それが先ほどの先生のお話ですと
23:08無情でありますから
23:10常に変わっていってしまう
23:13握りしめていくわけにいかないから
23:17かえって欲求不満になって
23:20アップアップする状態になってしまう
23:22本当に一言ではなくて
23:25少し本気になって
23:27自分の生活を振り返ってみると
23:29なるほどそうかなと
23:30思い知らされるほどの
23:32実感のある言葉なわけなんですが
23:36結局先生そうしますと
23:38無我と言っても
23:40決して自己存在がないなんて
23:42言ってるのではなくて
23:44どんなものも私とか
23:46私のものとか
23:48いうふうに執着するのを
23:50するのを良しなさいと
23:52むしろそういう
23:53執着を離れたところに
23:55本当のキラキラした自分というものが
23:57働き出るんだと
23:58こうかと思うんですが
24:00そうです
24:01仏天の中にはですね
24:02反対にその
24:03実践的な高い意味での
24:05自己を解いています
24:07例えば
24:08自己をいたわれとかね
24:10自己のためを考えよとか
24:12場合によって
24:13自己を愛しめ
24:15自己を愛せよ
24:16という言葉もあるんですね
24:18これはその
24:19浅はかな自己という意味じゃないんですね
24:22本当に
24:23この人間が
24:24真実の自己を
24:26実現するように
24:28心がけよと
24:30いうことを言ってるわけなんです
24:32だから
24:33仏教は決して
24:34自己否定どころじゃなくて
24:36本当の自己
24:37真実の自己を
24:38表すということを
24:40説いているわけです
24:42これはその
24:43よその国の思想においても
24:45やはり
24:46多かれ少なかれ
24:47見られることだと思います
24:49そういうわけで
24:50非常に実践的な形で
24:52つまり
24:54自己を愛しむとか
24:55自己を整えるということは
24:57寝っ転がっていて
25:00頭で考えても
25:01できることでは
25:02ございませんので
25:03非常に実践的な形で
25:05やるし
25:06それから
25:07それなりの
25:08訓練と申しますか
25:10それがなければならない
25:13そうしたことを
25:16自分に
25:17道理に
25:18大変ピタッとあった
25:21自己を整えていく
25:23という教えがございますので
25:25ご紹介をいたしたいと思いますが
25:28実に
25:29自己は
25:30自分の主である
25:32自己は
25:33自分の夜辺である
25:35故に
25:36自己を整えよ
25:38商人が
25:40良い馬を
25:41調教するように
25:42ダンマパダでありますが
25:46やはり
25:47この
25:48先生
25:50自分のことは
25:51やっぱり
25:52自分でやっていかないと
25:53いけないわけですね
25:55そうですね
25:56結局
25:57人に頼っている
25:58というのでは
26:00自己の
26:01本当の生き方というものを
26:03見失う恐れがありますから
26:04やっぱり自分のことは
26:06自分で
26:07考えて
26:08自分を整えて
26:10生きていけ
26:11というわけです
26:12自分を
26:14整するとか
26:15整えるとか
26:16言いますと
26:17欲望は
26:18全部抑えてしまって
26:20窮屈な生活をしよう
26:22という印象を
26:23与えますけど
26:24終身の教え
26:26という場合に
26:27取られますけど
26:28そうじゃなくて
26:30事故というものを
26:31考えてみますと
26:32いろいろな
26:34複雑な人間関係の中に
26:38置かれて
26:39そして我々は
26:40生きているわけですね
26:41周囲から
26:42切り離されて
26:43生きるということは
26:44できない
26:45他の人から
26:46切り離された存在ではないし
26:47また
26:48周りの自然環境にしても
26:50この頃
26:52しきりに
26:53強調されていますように
26:54決して我々人間に
26:56対立するものではない
26:57むしろ我々と
26:59融合しているものだ
27:00そこまで
27:01思いを馳せて
27:02本当に
27:04事故が
27:05どう生きていったら
27:06いいかということを
27:07考えますと
27:08そうすると
27:09自ら生きるべき
27:10道というものが
27:11明らかになる
27:12それに
27:13合致するように
27:15平たい言葉で
27:17言いますと
27:18宇宙の波長に
27:19自分を合わせて
27:21生きていく
27:22そうしますと
27:23何か
27:24精神修養とか
27:26いうような
27:27特別なことではなくて
27:28もちろん
27:29生き方でありますから
27:31具体的な訓練は
27:32必要なんでしょうけれども
27:34その訓練する方向が
27:36決して独りよがりのものでなくて
27:39社会の中の
27:41自ずと
27:42一つの生き方であるとか
27:44あるいは
27:45宇宙の大原則であるとか
27:48そうしたものに
27:49ピタッと
27:50あった形で
27:51自己を生かしていく
27:53そういうこと
27:54そういうことになりますよね
27:56今おっしゃった
27:57独りよがりの
27:58自己観念
27:59これが
28:00この頃の世の中を
28:01見てみますと
28:02非常に
28:04世の中を損なっているん
28:06じゃないでしょうか
28:07自分さえ
28:08良ければいい
28:09しかも
28:10自分がですね
28:11一時の感情に任せて
28:13ですね
28:14勝手なことをする
28:15人のことは考えない
28:16という風潮が
28:18ことにこの頃強まっておりますね
28:20自分勝手なことをして
28:21私は一人偉いんだって
28:23言ってるんですけれども
28:24実はそうじゃなくて
28:26自分自身に勝つのが
28:28本当の
28:29勝利を得た人だという
28:31経典の言葉がございます
28:33ご紹介をいたしますが
28:35戦場において
28:37100万人に勝つよりも
28:39ただ一つの
28:40自己に勝つ人こそ
28:42実に
28:43最上の勝利者である
28:45先生これ確か
28:46老子も
28:47あの
28:48自己に勝つ者を
28:49勝者
28:50勝てる者となす
28:51といったような
28:52そういう言葉がありますね
28:53やはり
28:54釈尊もこう言っておりますし
28:56国旗という言葉
28:57もともと中国の言葉じゃないですか
28:58己に勝つ
28:59そうですね
29:00己に勝つ
29:01そして我々の祖先はですね
29:03絶えずこう
29:05勤めてきたわけなんですが
29:07
29:08インドではですね
29:09あの
29:10この
29:11自己に打ち勝つということを
29:13非常に強調しまして
29:15ヒンドゥ教でも解きますし
29:17それから
29:18ジャイナ教でもですね
29:19これと同じようなことを言うんです
29:21ですから
29:22仏教でも
29:23ジャイナ教でも
29:24本当に
29:25修行を完成した人といいますか
29:29自分の工場に勤めた人
29:32自分を高めることに勤めた人
29:34これをですね
29:36勝利者って言うんですね
29:38ジナと申します
29:40ジナっていうのは
29:41勝利を得た人
29:43勝利者って意味ですね
29:45それが本当の勝利
29:47そういうことですね
29:48戦場において
29:50戦人の敵に打ち勝つよりも
29:53自分自身に打ち勝つことの方が
29:55もっと難しい
29:56それを成し遂げたのは偉大な人だと
29:59すごい良い奴
30:01確かに一番
30:02今日最初にもお話ございましたように
30:05自分の鼻に例えられるような自分というもので
30:09なかなか見えませんし
30:11追い求めようとしない
30:13どうしても勝った負けたって言いますと
30:15他人との社会の中での勝ち負けになるけれども
30:21本当の勝利というのは自分に勝つことだと
30:26先生でも自分に勝つと言っても
30:28別に自分の自分同士で格闘するわけではありません
30:31もっと精神的な意味でありましょうけれども
30:34その
30:36つまりこうじゃないですかね
30:37我々の意欲っていうものはいろいろあるわけですわね
30:40だから時には矛盾するわけです
30:42あれもしたいこれもしたい
30:43それらが矛盾し相互することだってあるわけです
30:47その場合にどの道を行くか整えなきゃいけないわけです
30:51今はこれをしなきゃいけない
30:53この次にはこういうことをするとか
30:55あの場合はこうであるべきだと
30:57そういう具合に整えるということが
30:59つまり事故に打ち勝つことになるんじゃないでしょうか
31:03結局自分というものをノホーズにするのではなくて
31:07やはりいろいろ考えて抑えるところは抑える面がないといけないかと思うし
31:12それが事故に勝つことであり
31:15そして事故を先ほどの先生
31:19事故を愛するとおっしゃったわけがありますけど
31:22そういう言葉も仏典に説かれているんです
31:24事故を愛すると
31:25なかなかその
31:27私自身で考えましてもですね
31:30とてもこうだらしない自分であるわけなんで
31:33そのだらしない自分であるからこそ
31:36その本当の事故を求めると言うんですが
31:39その求める私がもともとだらしないんでありますから
31:43とても難しいなと思うんですが
31:46先生それでも自分を大事にしていかなければいけないという
31:54インドの仏典に事故を愛するというのはどういうことかということの
32:01大変良いエピソードがあるようでございますので
32:04仏典の中からそれをご紹介申し上げたいと思うんですけれども
32:10確かこれはインドのコウサラという国の王様の
32:15パセーナディという王様と
32:18王妃のマンリカーという方との
32:21会話の中に出てきたという風に聞いておりますんですが
32:25まずご紹介をいたしましょう
32:27思いによっていかなる方向に赴いても
32:33自分よりさらに愛しいものに達することはない
32:37このように他の人々にとっても自分がとても愛しい
32:43それゆえに自己を愛する人は他人を傷つけてはならない
32:49三ユッタニカーヤという
32:51これも原始仏典の中でかなり古い仏典かと思いますが
32:55先生この今出てきた言葉の意味の内容をご説明いただきます前に
33:02このストーリーをちょっとご紹介をいただきたいんでございますが
33:05これはですね
33:06あるその美しい月夜に王様が宮殿の上にのぼってですね
33:13月を眺めて夜景をめでていたって言うんです
33:17インドの宮殿は屋根の上が平らになっておりましょう
33:22日本と違うんです
33:23日本の屋根はこういう具合にね
33:25尖ってますけれども
33:27インドの大宮殿は大抵屋根の上が平らで
33:33そこで休息したり寝ることもできるようになっています
33:36屋上のようになっております
33:38屋上のようになっております
33:39それでそばにお妃が行って
33:42今日はこの美しい眺めを楽しめて本当にいいなと
33:48月をおめでて王様が思わず言葉を発したわけです
33:57その時にですね
33:59王様がそのお妃に向かってですね
34:06この世の中で
34:12いろいろ大切なもの
34:14愛するものがいろいろあるが
34:17自分より愛しいもの
34:23自分より大切なものがあるかしらと
34:27王様がそのお妃に聞いたわけですね
34:31その王様がそう聞いたわけはですね
34:36王様の方からお妃に
34:39甘い答えを期待してたわけなんですね
34:44そうでもないでしょうね
34:46おそらくね
34:48よく特に若い
34:50若くなくても同じかもしれませんけれども
34:53愛情を持ち合っている人々の間の会話といたしましては
34:57やはりその愛情を確かめていきたいと
35:00何者にもまして
35:02あなたが一番大切でありますという答えを
35:05やはり欲しいというのは
35:07誰でもそう思うでございます
35:09そうです
35:10ところがそのお妃はですね
35:13その王様の期待をはぐらかしてしまったんです
35:16私にとっては自己よりも
35:18あの大切なものはございません
35:22自分よりも愛しいものはありません
35:25我が身可愛いや
35:27我が身可愛いや
35:28随分ドライな返事
35:29ドライな返事ですよ
35:30さらにその王様に向かって鋭くつくわけです
35:33王様あなたはいかがですかって言うんですね
35:36そうすると王様もですね
35:38やっぱりそういう答えを言わされない
35:40やっぱり自分でも考えてみると自分が一番愛しいと
35:44そこで今度自分が愛しいということについての
35:47反省が起きるわけなんです
35:49今お読みいただいたこの聖典の言葉のようにですね
35:54考えてみるとどちらへ向かって探し求めても
36:01自分よりも一番愛しいものはないと
36:06つまり誰だってその我が身可愛いやだと
36:09それと他の人だって同じじゃないかと
36:12そこでこの人と人の関係を反省するわけです
36:16そんならば人に対して害を与え損なうということが一番悪いことである
36:24反対に人を愛し愛しむということが最もたっといことである
36:30これは誰にとっても同じことだ
36:33だからこの気持ちを人々の間で実現しようじゃありませんかと
36:39そこから仏教の慈悲の教えが出てくるんですね
36:42なるほど
36:43今先ほど私ご紹介した詩がそうしたパセーナビオーと
36:51マンリカ王妃との間の会話に基づきながら
36:55シャクソンが教えた言葉でございます
36:58そうなんです
36:59そうしますとシャクソンという方は我が身可愛いやということは
37:03まず認める
37:04認めるわけですね
37:06認めた上でそれじゃあ我が身可愛いんだから
37:09好きなことをさせればいいのかというと
37:12そうではないんだと
37:14自分にとって自分が一番大切であるとするならば
37:19他人様にとっても他人様の自分がその方には一番大切なのだから
37:24その人自身が一番大切なわけなんです
37:28他人を自分の身に引き当てて考える
37:31そうなんです
37:32他人を我が身に引き当てて考える
37:34あるいは他人の身になって考えるということですね
37:38なるほど
37:40非常に簡単なことでございますしね
37:44私ども英語を習いましたときに
37:47向こうのことわざというので
37:50自分のしてもらいたいと思うことを他人になせなんて
37:53言葉と習った記憶もございます
37:56西欧の伝承
37:57それと同じことなんですよ
37:59なるほど
38:00ただそれが極めて分かりやすい形でありながら
38:04実はそれが今先生おっしゃいましたが
38:07仏教でいう慈悲というものの
38:09いわば出発点といいますか
38:11基本という
38:12そういうふうに見てよろしいか
38:13そういうことになります
38:14慈悲というと非常に
38:15宗教的な高い徳であるという印象を与えますが
38:19確かにそれに違いないんですが
38:21元の意味はですね
38:23慈悲の字はサンスクリット語で
38:25マイプリーと申しまして
38:26真の友情という意味なんです
38:28つまり本当の友人同士が持っている
38:32真実の気持ちですね
38:33それが字なんです
38:35それが悲というのは哀れみという意味ですね
38:37この人とこの哀れみを共にし
38:40同情するという
38:42これも本質においては同じことですね
38:47だから仏教では特に慈悲という言葉を説くのであります
38:50何かこう慈悲と言いますと
38:52身を構えまして
38:55何かこう
38:57さひとさんに何かしなくちゃいけないんだ
38:59といったような感じがないわけでもないんですけれども
39:03確かにね
39:07慈悲と申しますとね
39:08宗教的な印象はあって
39:09これは仏様でなきゃ実現できないことだと
39:12一般に受け取られると
39:14そうじゃなくてですね
39:15一般の人々の間でも
39:17その気持ちは実現されていることなんです
39:21例えば何でもないことですが
39:22我々困った時にですね
39:23道を人に聞きますね
39:25そうするとその人は親切に教えてくださる
39:28そこにはそのところの関連はないわけですよ
39:31あの人が困ってるから助けてやろうって気持ちで
39:35人にその道を教えるということが
39:37もう日常ざらにありますね
39:40実際にこう人間の中に具現されていることですが
39:43ただそれをもっと高めて広くしようって言うんですね
39:46だから慈悲っていう言葉を
39:49中国の教として翻訳されました時にですね
39:54古い時代には賢愛と訳してるんです
39:57金愛すると
39:59はぁなるほど
40:00これは牧師の言葉ですがね
40:02広く人々を全て愛すると
40:06なるほど
40:07それが慈悲だって言うんですね
40:09じゃあそうしますと
40:11特にもう素晴らしく修行の積んだ方が
40:15何かするというんじゃなくて
40:17一人一人が生活をしている中で
40:20他人に対して思いやりの気持ちを述べ
40:23友人のごとく
40:27それこそこうして欲しいなと思うことを
40:30自分にもしていく
40:31そうなんですよ
40:32ですから中国ではね
40:33石として
40:34熟教の伝統は強かったですから
40:36あの仁という言葉を
40:38それに対比しましてね
40:41慈悲っていうのは
40:42例えて言えば中国で言う仁のことだ
40:45あるいは仁と
40:46自仁とね
40:47訳してることもあります
40:49そうした
40:50そうしたことがやはり
40:52自分というものを大切にすることだし
40:55自分に勝つことでもあるし
40:57こういうふうに伺ってまいりますと
40:59生活実践の中で
41:02なんて言いますか
41:03理想的に100%までしろというのは難しい
41:06かもしれませんけれども
41:08全然できないということではなくて
41:11むしろ身近なできることから
41:14努力してそれを続けていくことが
41:17自己を愛しむ道であるということかと思います
41:20そういうことになりましょうね
41:21つまり人間の意欲はいろいろあるわけですが
41:24それを調和をとりましてね
41:26そして整えて
41:28進んでいく
41:30それが人のためになることでもより
41:32また自己を愛する意欲でもあると
41:34いうことになるんでしょう
41:35それが
41:38釈尊もそうでありますし
41:40おそらく世界の人類というものの
41:43自分というものを見出していく道に
41:45連なるかと思うんですが
41:47ちょうどそれに関しまして
41:50釈尊の最晩年の時のエピソードと
41:55それに関連した教えがございますので
41:59それをまずご紹介しながら
42:01またお話を伺いたいと思います
42:05ああなんだよ
42:07私はもう追い口
42:09弱いを重ね
42:11浪水し
42:12人生の旅路を通り過ぎ
42:15老齢に達して
42:17我が弱いは八重となった
42:19ああなんだよ
42:20例えば
42:21古ぼけた車が
42:23革紐の助けによって
42:25やっと動いていくように
42:27私の車体も
42:28革紐の助けによって
42:30持っているのだ
42:31しかし
42:32ああなんだよ
42:33工場に勤めた人が
42:35一切の層を
42:37心に留めることなく
42:39いちいちの感受を
42:41滅したことによって
42:43層のない
42:44心の統一に入って
42:46留まる時
42:47その時
42:48彼の体は健全なのである
42:53それゆえに
42:54ああなんだよ
42:56この世で
42:57自らを島とし
42:59自らをよりどころとして
43:01他人をよりどころとせず
43:03法を島とし
43:05法をよりどころとして
43:07他の者をよりどころとせずに
43:09あれ
43:11これは先生
43:12確か
43:14大変長い名前の経典で
43:17マハパリニバーナスタ
43:20そうですね
43:21釈尊の最後の旅路を
43:23述べているお経です
43:25先生が
43:26翻訳を出されて
43:28翻訳では確か
43:29大いなる死と
43:31大きい死ですね
43:33釈尊の初音班でございますから
43:35確かそういうふうに
43:36お訳しになっていたかと思いますんですが
43:3880歳になった老人となった釈尊が
43:44本当にこう
43:46体が弱って
43:47古い車体
43:49車を革紐で結んで
43:51やっと動いているようなもんですよと
43:53何かいかにもこう
43:56老釈尊の
43:58何か本当にこう
43:59隠そうともしない
44:00人柄がこう
44:02如実に出ている感動的な
44:05言葉ですね
44:06思い浮かべられますですね
44:07釈尊はもう
44:10人生の最後には
44:15領事線と申しますか
44:16和紙の峰と呼ばれている
44:18山から降りてですね
44:20そして
44:23ご自分のその
44:25故郷の
44:27まあ
44:28ネパールの方へこう
44:30向かって旅をされたわけですね
44:3280歳の老人の旅ですからね
44:35
44:36道を
44:37道も今のように良くはなかったでしょうか
44:39そこをこう
44:41一人で
44:42お弟子を連れて
44:43自分でも歩かなきゃならない
44:46とぼとぼと歩いたわけですから
44:48でその
44:49有様はですね
44:51ちょうど古ぼけた
44:53車が
44:54もう
44:55ガタビシになって
44:57
44:58かろうじて
44:59革紐によって
45:00修理されて
45:01繕われて
45:02動いているようなものだ
45:04これはね
45:06本当にもう
45:07リアリスティックに
45:08描かれてます
45:10ですね
45:11非常にこう臨場感のあるといいますか
45:14あの
45:15光景がふっと目の前に浮かんでくるような
45:17あの
45:19強点かと思います
45:21そう思いますね
45:22まあ
45:23自社和尚として
45:24あの
45:25ついておられるのが
45:26アーナンダという人でありましょうから
45:28そのアーナンダに向かって
45:30シャクソンが
45:32自らを島とし
45:34自らをよりどころとすると
45:36あれから
45:37あれから
45:38法を島とし
45:40法をよりどころとする
45:43まあ本日のテーマが
45:45事故ということでありますけれども
45:47あの
45:50その
45:51自分を島とし
45:53先生この
45:54自分を島としというのは
45:55次によりどころと
45:56同じことでございますね
45:58同じことなんですよ
45:59その
46:00よりどころっていうのは
46:01抽象的な表現ですね
46:02それから島としっていうのは
46:04具象的な表現です
46:05あれは
46:06あの
46:07元の言葉で申しますと
46:08ディーパって言うんですよね
46:09あるいは
46:10酢と訳した方がいいのかもしれません
46:12川の中酢とは言うと
46:13川の中酢の酢です
46:14なるほど
46:15と申しますのはね
46:16インドでは
46:17その
46:18洪水がありますとね
46:20そうすると
46:21もう一面に水があふれるんですね
46:24そして
46:25あの
46:27山が見えませんでしょう
46:29だいたい
46:30あの
46:31インドの中部地方では
46:34だから
46:35一面の海になってしまうんですね
46:37人間のもう住むところもないわけです
46:40だから
46:41仕方なしに
46:42こう
46:43いくらか高く
46:44
46:45水面に出ている
46:46そのところですね
46:47そこに人々はこう
46:50逃げていって
46:51頼って
46:52
46:53水が引くまで
46:54そこで暮らしているわけです
46:56この
46:58洪水といっても
46:59インドはとほもなく広いんですね
47:01向こうが見えないんですから
47:03日本ではね
47:04洪水がいくらひどいって言ったって
47:06洪水の端は見えるわけでしょ
47:08これやっぱり大陸ですね
47:10その辺からおそらくインドでは
47:13私どもがこう
47:14それこそ
47:15アップアップしながら生きている
47:17この生活を
47:18大きな荒海にたとえているのかもしれませんが
47:20そうでしょうか
47:22そうしたものの中にある
47:23泣かすといいますか
47:24島が
47:25なるほどこれは動かない
47:26そこにたどり着いていけば
47:28しっかりとした
47:31よりどころでございます
47:32そういう意味かと思いますが
47:34先生その
47:35自分をよりどころとする
47:37先ほど来
47:38あの
47:41我が身かわいやということは認めますよと
47:44そして自分を大切にするということは
47:46生活実践の中で
47:50他人のことを思いやりながらやっていくことが
47:54最初の一番基本的な形であると
47:57いうことでございました
47:59そうすると
48:00自分をよりどころとするということは
48:03そういう生き方を
48:05自分でしないとダメだよという
48:07いわば
48:08本当に事故というものを実現していく
48:11事故を見出していくためには
48:13それはまず自分の実践がなければダメですよと
48:17そういう意味でここは見てよろしいんでございますか
48:20そういう意味に解釈できると思いますね
48:23自分に耐えるというのはどういうことかと
48:28この自分というものを反省しますと
48:31選択の可能性ないし必然性に迫られているわけです
48:36つまり毎日こういう生き方をしようか
48:38ああいう生き方をしようか
48:39どっちに行ってもいいわけですね
48:40選択してどっちかに決めなきゃならない
48:43そういう選択を我々は
48:45もうしょっちゅう迫られているわけです
48:49自分に耐えるというのは
48:50自分でそれを決めるわけです
48:52じゃあ
48:53どういう具合にして決めるかということになります
48:56そうすると
48:57人間が
48:58人間として生きていく
49:00生き方の理想があるわけですね
49:03生きていくべき道筋がある
49:06それに従って自分が判断を決める
49:10だから事故に頼るということはですね
49:14同時に人としての生きていくべき道筋に頼るということになる
49:21それが法と見てよろしい
49:22それがここで言われている法なんですね
49:24なるほど
49:25この法っていうのは元の答えはダンマって言いますかね
49:27法律という意味よりは
49:31もう少し広くまた深い意味なんですね
49:34人々の生きていくべき寄るべ道筋と
49:40そういうようなものをインドではダンマ
49:44ダルマとサンスクリットで申しますが
49:46保つものって言います
49:47人を人として保つもの
49:49人として保つには必ず道筋があるわけです
49:53もしもそれを乱してしまえばですね
49:56人間の顔をしているけど人手なしだということになりますわね
50:01人が生きていくための決まり、乗り、道筋がある
50:08それを自分が体現する
50:11それが事故に頼ることである
50:15その法を自覚すればですね
50:21あるいは他の人と意見が違うことがあるかもしれないけど
50:25自分はこう生きるのが一番いいと思って
50:28断固として進むということもあるわけです
50:30100万人と言えでも悪いかんというようなことを申しましょう
50:34なるほど、そうしますとその道筋というものがある
50:38この道筋と言っても基本はもちろん示されていると思いますけれども
50:43十人、十色の人間の社会でありますから
50:47それぞれに一生懸命自分なりの心の奥底に立ち戻って
50:53良心的に自分の生き方を今先生のおっしゃったら選び取って
50:59選び取っていくときにその筋道と言いますか
51:03法というものに各人が一生懸命それに乗っ取っていくように
51:08努力をしていかなければいけない
51:11そういう努力をすることが今の自らをよりどころとするということでもあると
51:17そうです、だから両方が一致するわけなんですね
51:19そうしますと同じことを二つに分けていったような感じがしない
51:25まさにそうですね
51:26事故に関して言うときには
51:29事故に頼れという表現になります
51:31それから人間の普遍的な規範という法に目をつけて言うときは
51:36法に頼れということになる
51:38実質的には同じことを言うわけです
51:40法と言いますか規範というものが何かこう巻物みたいになって
51:45床の間に置いてあるでしたら何の意味もないわけですから
51:49またそういうものの道理と言いますか筋道でありますから
51:54これは人間がというよりも私どもがそれを生活の中に実践しなければ
52:01働き出さない道理でありますし
52:03我々の現実は非常に複雑なものでしょう
52:07いろいろな人間関係に置かれています
52:10そしてありとあらゆる影響を受けて
52:15個人というものが出来上がっているわけですから
52:18いろいろな条件を構造的に理解してですね
52:25それで最後に決定を下すと
52:29それらすべてを考慮しなきゃいけないわけです
52:33この目を塞いで何も見ないで
52:37俺はこう行くんだと言ってパッと決めるというのは
52:39そういう生き方では非常に現実から浮き上がってしまう
52:45自らを拠り所とするというのは
52:48馬車馬のように勝手なことをするんじゃなくて
52:51法に則った努力をすることが自分によること
52:56それが先ほどラインのお話で
52:58自己を愛する道でもあるし
53:00自己を勝利者に導く道でもある
53:04一方法の方から言うと
53:06法というのを実践するのは自分でなければならないし
53:10その自己に頼るということと法に頼るということが
53:13二つのものを一緒にしなさいよなんてものではなくて
53:17もう最初から事故に頼ることは法に頼ることだし
53:21法を従うということはそれを実践する事故があるわけだしと
53:26先生そうなりますと
53:28私は一人で生きているなんてことはあんまりありえなくなってしまいます
53:34これはありえないことですね
53:35それは思い上がりですね
53:37もう人間は他の人との連関を切り離してはもう考えられないし
53:45生きていくことはできないわけでしょ
53:47法というもの自体の中にも
53:49様々な人間関係もあれば
53:52自然法則の中に従っていくこともございましょうし
53:58何かこう
54:02いわゆると私ども
54:04別に借金してませんよ
54:06私迷惑かけてませんよというような言い方があるんですが
54:12本当の意味で自分の自己を知る
54:16あるいは自己を求めていくということは
54:18むしろ自分がもう非常に多くのものの関わりの中に置かれているといいますか
54:26その中に生かされているということをまず認識しておかないと
54:30そういうこともありますね
54:32今おっしゃったように私は借金してませんよ
54:35人には迷惑かけませんよと言われてもですね
54:38その方がそこまで到達するまでには
54:42そういうことが言えるようになるまでには
54:44無数に多くの人の恩を受けてきているわけでしょう
54:48それは目に見える
54:50その方が自覚しておられる恩もあるでしょうけど
54:52目に見えないところで受けている恩もあるわけですね
54:56そう思えばですね
54:58それに対する感謝の気持ちが一人でに出てくるんじゃないですかね
55:02普遍的な法というものも
55:06抽象的な物体みたいなものとしてどっかにあるんじゃなくて
55:13明々の人が実践し生かすことによって
55:17法としての意味が生きてくるわけでしょ
55:21そうですね
55:22人間の美徳なんていったって抽象的なものがあるわけじゃないんです
55:26個々の人が実践するからこそ美徳として生きてくるわけなんですね
55:32とても先生これ大切な問題ではないかと私も思うんですね
55:39よくいろいろな正しい生き方というものが教えられるんですけれども
55:45あるいは説くというものが説かれるんですが
55:48ややもするとそれが言葉で終わってしまう
55:51抽象的な観念として終わってしまって
55:56あの
55:57平和だとか愛だとかいろんなことを言うんですが
56:02単に机の上の印刷物の活字になっていて
56:06抽象的な観念に留まっていて自分の生活に戻ってこない
56:11やはりそれだと自己を求めるとか
56:15何時自身を知れということにはならない
56:18やはり何時自身を知れ自己を知るということの一番大切なことの
56:22まず第一は自分で実践していくということでしょうね
56:27実践する場合にですね
56:29人間の実践の場面って非常に複雑なものでしょう
56:32だからいろいろな点を考慮して慎重に考慮しなきゃいけない
56:38そこで己を顧みるということが必要になってくるわけですね
56:43どうしても自分一人の存在じゃないから
56:47他というものとの関わり
56:49それが他人かもしれないし
56:51もうそれから歴史的な時間空間を超えた
56:55様々な宇宙の理法との関わりかもしれないし
56:59そうしたものの中に置かれている自分というものを
57:03考えながらその理法に即しながら
57:08それぞれの生き方を選び取っていくという
57:13そういうことになると思いますね
57:14ところがそこまで思いを致さないとですね
57:17そうすると今ここにいると
57:18俺はこのように力があるんだと
57:20そしてこうついうのぼれてしまうわけですね
57:25そうであってはいけないので
57:26事故というものがここにあるのは
57:29もう無数に目に見えない
57:31この過去からの原因といいますか
57:35条件といいますか影響といいますか
57:37そういうものが集約してですね
57:40ここに生きているわけですから
57:42そこまで思いを馳せることによって
57:45本当の生き方ができるだろうと思いますね
57:49それが自己というものを表す道であり
57:53愛する道であり
57:55結局それがもっと俗な言葉で言えば
57:57幸せというものに連なる幸福感
57:59本当の幸福感というものに連なる道であるかと思いますし
58:03何時自身を知ることのポイントになろうかと思います
58:08そう思います
58:10本日はどうも大変ありがとうございました
58:12ありがとうございました
58:13ご視聴ありがとうございました
58:14ご視聴ありがとうございました
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