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君は木村政彦を知っているか

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スポーツ
トランスクリプション
00:00:005月26日東京ドーム
00:00:05この日人々は伝説の男を目撃した
00:00:10男の名はヒクソン・グレイシー
00:00:14競技の格闘技グレイシー充実を今に伝える無敵の格闘家である
00:00:30しかし今から50年前このヒクソンが学びし
00:00:35グレイシー充実を完膚なきまでに叩きのめした日本人柔道家がいたという
00:00:40その名は木村雅彦
00:00:45強さの面において一歩でも二歩でも近づきたいという思いがありました
00:00:50負けたら自分で腹を切っ掛くというかね
00:00:56すごく覚悟で臨んで下に出たというような感じの早さが起動だったんですよ
00:01:02史上初の全日本柔道3連覇
00:01:07そして十数年間無敗という驚異的な記録
00:01:12ところがその栄光とは対照的に
00:01:16彼の人生は波乱万丈の連続であった
00:01:19幻の団体プロ柔道への参加
00:01:26空手家大山増達との出会い
00:01:30そして最大のライバル力道さん
00:01:37あれ木村さん負けたんじゃないよと私は常に思ったの
00:01:41あの話絶対しますねうちで
00:01:47嫌ですから
00:01:48男は時代に生き時代に流され
00:01:59そして時代とともに壮絶に散っていった
00:02:02君は木村雅彦を知っているか
00:02:08東京文京区にある日本柔道の聖地高堂館
00:02:22加納地五郎が築いた矢原の道はここで生まれ
00:02:28そして世界へと羽ばたいていった
00:02:31しかしその120年の歴史の中で
00:02:36今なお語り継がれる伝説の柔道家がいる
00:02:39木村雅彦
00:02:42行動監視上最強と言われる男である
00:02:46木村雅彦さんってご存知ですか
00:02:49はいはいもうもちろん知っておりますが
00:02:52強いいずれにしても強い
00:02:55あれだけの名選手には出ないですやっぱりね
00:02:57木村が死して今年で8年
00:03:02しかしその柔道人生は
00:03:05生前から死と向き合う壮絶なものであったという
00:03:08そうさして人がびっくりするような
00:03:14驚愕するような訓練はしていないと
00:03:17誰でもやれることをやったということにしか
00:03:22過ぎないんじゃないかと思いますが
00:03:24今考えると死んでもやり遂げると
00:03:30柔道のためでは死んでもいいと
00:03:32死を枕に共にしてもいいというような
00:03:35感じのもとに精進いたしました
00:03:39柔道の鬼木村雅彦
00:03:44彼は一体どんな人生を歩んだのであろうか
00:03:48まずはこの男のルーツからたどっていくことにしよう
00:03:52熊本県川尻町
00:03:57木村は大正6年
00:04:00こののどかな田舎町で生を受けた
00:04:05早くから当格を現していた彼は
00:04:08名門人生中学に進み
00:04:104年で全国制覇を達成
00:04:1318歳ですでに余談
00:04:16早稲田、慶応、明治といった多くの大学が
00:04:20学費免除でスカウトに動いたという
00:04:22しかし木村が選んだのは
00:04:27当時無名の卓色大学
00:04:29その師範、牛島達熊は同じ熊本
00:04:34しかも陳勢の先輩であった
00:04:36俺のところに住めばいい
00:04:39小遣いせんぐらいはやるよ
00:04:41家が貧しかった木村は
00:04:45この一言で拓大進学を決意
00:04:48まさに運命的な出会いであった
00:04:51当時牛島は全日本選手権を連覇
00:04:57日本一の柔道家として知られていた
00:05:00その勝負への執念たるや凄まじく
00:05:06眼球を負傷してもなお試合を続行
00:05:09対戦外でから猛虎として襲えられた
00:05:12彼の指導法はというと
00:05:16これがまさしく地獄の猛稽古
00:05:18木村は再三寝技で締め落とされ
00:05:21徹底的に仕事かれたという
00:05:23牛島が勝負に対しいかに厳しかったか
00:05:29こんなエピソードが残っている
00:05:32高道館の紅白寺へ
00:05:35五弾焼弾がかかる中
00:05:37木村はいきなり八人抜きの対処
00:05:39ひるいなき強さであった
00:05:419人目
00:05:45名刺の宮島に力尽き敗れるものの
00:05:48評価は技量抜群
00:05:50見事五弾に昇格した
00:05:52その夜喜びさんで帰ってきた木村
00:05:57しかしこれを牛島に報告するや
00:06:00そこに飛んできたのは
00:06:02痛烈な鉄拳であった
00:06:04試合は殺し合いと同じだ
00:06:09お前は8人に勝って
00:06:139人目に殺されたのだ
00:06:15天狗の花をへし折られた木村
00:06:19これを機に一年発起を決意する
00:06:223倍努力
00:06:26当時他の人は1日3時間くらいしてたもんですから
00:06:356時間くらい練習すれば
00:06:37選手権は取れるだろうと思ったんです
00:06:41ところが相手があいつを倒してやろうって言うんで
00:06:463時間のところ6時間やったら
00:06:49今度は5分と5分になって
00:06:51勝手も行行かまぐれしかならない
00:06:54したがって3倍すれば絶対に取れるということをもって
00:06:59訓練した結果連続して優勝することができたわけです
00:07:04木村の練習は朝9時から始まる
00:07:09宅内はもてより警視庁行動官と次々に出稽古
00:07:14その様まさに足裏の如し
00:07:18さらに帰ってウサギ飛び1キロ
00:07:25腕立て伏せ1000回
00:07:30そして仕上げは大木への打ち込み1000本
00:07:38蒸気を超える練習は1日9時間
00:07:42それを1年365日
00:07:45これぞ鬼の修行でやった
00:07:47睡眠時間は3時間
00:07:52寝る時間さえ惜しかったという
00:07:55寝ている姿は死んでいる姿
00:08:00その間に進歩はない
00:08:03この3倍努力は確実に身を結んだ
00:08:08その年の秋
00:08:12木村はなんと1年生で大学選手権を制覇
00:08:16それ以降出る試合すべて優勝という離れ技を演じる
00:08:23拓大在学中主な学生タイトルはほぼそうなめ
00:08:27まさに木村腐敗伝説の幕開けであった
00:08:31そんな木村を敬愛する柔道家は数多い
00:08:40現在シドニーオリンピックに向け
00:08:43ナショナルチームを率いる全日本監督山下康彦
00:08:46彼も木村信者の一人である
00:08:50日本の柔道界で不正室の大柔道家で
00:08:56そして共同の先輩ですから
00:08:59強さの面において一歩でも二歩でも近づきたいという思いがありました
00:09:03木村と山下は同じ熊本県の出身
00:09:09柔道雑誌の対談を機に信仰を持つようになった
00:09:14山下自身多感な少年時代
00:09:19木村の生き方に少なからず影響を受けたという
00:09:23私も中国からかなり柔道に熱心に打ち込んでまして
00:09:29練習が終わって帰ってきて
00:09:31夜中にですね
00:09:33当時じいさんの二人で生活しましたけど
00:09:36じいさんがレスマットの時に起きて
00:09:39家の柱にですね
00:09:41バスタオルを巻きつけて
00:09:43かくまってますよね
00:09:44巻きつけて
00:09:44それで大すがりの仮の練習をしたという記憶がありますね
00:09:48もしかするとこれなんかやっぱり木村先生の
00:09:51その大木の話が耳に入ってて
00:09:54それから僕自身が考えたのかもしれないですね
00:09:57ところで木村は空手やボクシングといった
00:10:04一種格闘技にも深い関心を抱いていた
00:10:07特にのめり込んだのが空手である
00:10:12柔道の稽古の後
00:10:14牧原月500本が1日のノルマ
00:10:17目的は柔道の握りを強くするためであった
00:10:22柔道は相手の道技をまずしっかりと握り
00:10:28自分の優位な体勢に持っていくことが基本である
00:10:31しかしこのように握りが甘いと
00:10:35相手をコントロールできないばかりか
00:10:37自らの技もかけづらくなる
00:10:40彼が足しげく通ったのが小刀館道場
00:10:49空手界の第一人者船越義賃の下で本格的に修行を積み
00:10:55空手の世界でも一目置かれる存在だったという
00:10:58そしてその空手を通して木村はある男と出会う
00:11:07その人物とは後に日本空手界の革命児と言われた
00:11:12この男であった
00:11:14極真空手の創始者
00:11:23大山末札である
00:11:25木村と大山は卓色大学の先輩後輩
00:11:31しかし二人の関係はそれ以上の特別なものであったという
00:11:36武道の先達でもあり拓大の先輩でもあった彼を
00:11:43兄貴兄貴と心から慕ったものだ
00:11:49実はこの本にはゴーストライターがいた
00:11:52作家牧木沙織である
00:11:55牧の実景はあの劇画作家
00:11:59小梶原一騎
00:12:01二人は大山の弟子というだけでなく
00:12:06当時爆発的なブームとなった
00:12:08空手馬鹿一台の制作などを通じ
00:12:11大山とは本位な間柄にあった
00:12:14牧は武道家として
00:12:18そしてジャーナリストとして
00:12:20大山と木村の関係を最もよく知る人物の一人である
00:12:24大山先生が喧嘩空で世界に勝つという本をさ
00:12:31出してこれな7,8万円で大ベストセラーになったんだけど
00:12:34俺はゴーストライターだったのね
00:12:3620万か30万くらいしか
00:12:38小物語だったけど
00:12:41その時の柔道の強さって
00:12:43俺はもうよく大山先生も言ったけど
00:12:441対1で狭い部屋に入ったら柔道が一番強いって
00:12:47だからもう口癖のように言ってたよ
00:12:50木村は空手に興味を持ったが
00:12:54逆に大山は柔道に興味を持った
00:12:57大山は後に阿佐ヶ谷にある柔道の曽根道場に入門
00:13:03余談の因果を得るまでに上達したという
00:13:07大山先生も要するに今言われている
00:13:10立ち技系の格闘技の一番のウィークポイントは
00:13:13寝技だということは大山先生分かってたんだね
00:13:16ところが彼柔道にその
00:13:18曽根道場に通ってみて改めて分かったんだよね
00:13:20その偉大さがさ
00:13:23木村正彦の柔道というのはね
00:13:26そこらのあれはちょっと別格だということが
00:13:29大山二つの空手の確保なしているいくつかのもの
00:13:34強大な一つがやっぱり木村正彦さんだと思うんだよね
00:13:37あの極真空手にも影響を与えたという木村の柔道
00:13:44それは実際どんな破壊力を秘めていたのであろうか
00:13:49柔道全日本選手権
00:14:00この日一人の男が人々の注目を一心に集めていた
00:14:12篠原新日27歳
00:14:14現役の世界チャンピオンである一方
00:14:17この全日本に特別のこだわりを持つ柔道家である
00:14:21篠原は決勝でも若手の井上高生を子供扱い
00:14:38下馬表通り堂々の大会3連覇を成し遂げた
00:14:42全日本3連覇は
00:14:46あの山下小川に次ぐ戦後3人目の快挙
00:14:50しかし戦前日本で初めてそれを達成した男がいた
00:14:55木村であった
00:14:57当時すでに学生で敵なしの木村は
00:15:03全日本でも連勝に次ぐ連勝
00:15:06そのあまりの強さに小説姿三四郎の作者
00:15:11小見達根夫はこんな言葉を残している
00:15:15木村の前に木村なく
00:15:18木村の後に木村なし
00:15:21あの木村先生のお名前は聞いたことがございます
00:15:24あります
00:15:25なんか木村の前に木村なしでしたっけ
00:15:29全日本の大会の前には負けたらこう
00:15:34自分でこう腹を切腹っていうんですかね
00:15:37する覚悟で望んで下に出たっていうような感じの話を聞いたことありますけど
00:15:43腹を切る覚悟
00:15:47それは昭和12年のことであった
00:15:50初めて臨んだ全日本選手権
00:15:55木村はこの大舞台で初出場初優勝の快挙を演じる
00:16:01ところが勝ちはしたものの
00:16:04それをまぐれだと思った木村は
00:16:07その夜担当を取り出し腹に当てた
00:16:10試合は命を懸けるもの
00:16:15今後敗者となれば腹を切る
00:16:19木村は実際に皮を切り
00:16:22自らの意思を確認した
00:16:24もう死は怖くない
00:16:26いつでも死ねる
00:16:28この決死の覚悟が木村から甘えと妥協を取り払った
00:16:33結果翌昭和13年
00:16:41続く14年と木村は無敵の強さで連続優勝
00:16:45ついに誰も成し得なかった全日本3連覇を達成した
00:16:50木村家に残る全日本優勝
00:16:573連覇の偉業に対し行動感から送られたものだという
00:17:02しかし身長169センチ
00:17:08体重86キロと決して大柄ではない木村が
00:17:12なぜこの旗を持ち続けることができたのであろうか
00:17:15その答えは
00:17:19必殺技大外狩りにあった
00:17:26行動感でもその破壊力は脅威の的
00:17:32脳震盪を起こす者が続出し
00:17:34ついには誰もが木村を避けるようになったという
00:17:38おはようございます
00:17:40おはようございます
00:17:41その意気承認がここにいる
00:17:44男の名は遠藤光吉75歳
00:17:48その名前を聞いて懐かしがるオールドファンも多いのではないだろうか
00:17:53遠藤はあの力道山と共にかつて一世を風靡した元プロレスラー
00:18:03しかしプロレスに転向する前はプロ十郎に所属し
00:18:07幾度となく木村の胸を借りたという
00:18:13石ですよ
00:18:16ですからね
00:18:18石でもってさーっと切られるような感じのものがね
00:18:23数回私たちも経験しましたよ
00:18:26大外狩りのね
00:18:28本当に驚いたのはね大外狩りじゃなくて全部大外落としですよ
00:18:35大外があれって言ったらねこうやって後ろに倒す
00:18:40後ろに倒すんじゃなくて真下に落とされるんですから
00:18:44バーッと狩るからね真下に落ちるんですよ
00:18:48遠藤の言う真下に落とす大外狩り
00:18:52それは一般的な大外狩りが相手を後方に倒すものであるのに対し
00:18:58自ら相手の懐に飛び込み一気に足を刈るというもの
00:19:03ではその幻の技をこの目で確かめてみることにしよう
00:19:12これは木村が60歳の頃のもの
00:19:17現存する数少ない大外狩りのVTRである
00:19:21また木村は柔道の中にあの空手の技さえ取り入れた
00:19:31反則ギリギリの裏技である
00:19:34前卓色大学監督岩釣金代
00:19:39木村の一番弟子とも言われるこの男がその一部を紹介してくれた
00:19:44自分の大きい人にこう踏まれた時にね
00:19:46自分がこういう小さくなった姿勢から
00:19:49こうそこまでかける時にやっぱり下からこういう風に相手を崩していく
00:19:55顎をですねまあつくっていうか
00:20:00正確にこれが相手にこう当たるっていうことになれば反則になります
00:20:04実際に木村先生がこう当てられたことはあるんですか
00:20:10あります
00:20:10そうですね
00:20:11やっぱこう唇が切れるぐらいね
00:20:15踏ん張って蹴って我慢したらやっぱり歯がこう欠けたりね
00:20:20木村の柔道
00:20:25それはスポーツではなくまさに命を懸けた武の道であった
00:20:39しかしそんな木村にも楽しい青春時代があった
00:20:43彼が過ごした牛島塾での生活である
00:20:47牛島塾とは師匠牛島の自宅に開設された市塾
00:20:54獣犬堂を志す若者たちが共同生活を送っていた
00:20:59一番思い出に残っている生徒さんは誰ですか
00:21:07やっぱり木村雅彦ですよ
00:21:10木村雅彦さんは非常に弱な人でね
00:21:19私たちをよく笑わせていました
00:21:24一番面白いのはね
00:21:28いつも行くお風呂屋さんの主人が生意気だって言って
00:21:32殴ったんで警察がね夜中に連れて行ったんですね
00:21:38ところがね
00:21:40何羽星を歌ったりそういうのを歌うものですからね
00:21:45他の留置場の人たちが眠られんから
00:21:48どうかしてくれって怒ったらしいんです
00:21:52で警察官困っちゃってね
00:21:54そんな木村を師匠牛島はことのほか可愛がった
00:22:01試合の前には自分の食事を分け与えたり
00:22:05時には区学生だった木村の小遣いの面倒さえ見ることもあった
00:22:14何でも木村木村って言っても
00:22:18いつも木村木村で自分の息子のようにしてましたね
00:22:23そして昭和15年
00:22:28そんな師弟にとって一世一代の晴れ舞台が訪れた
00:22:32展覧試合である
00:22:36当時の展覧試合はまさに国家行事
00:22:41選手に選ばれるだけでも大変な名誉であった
00:22:45当時のやっぱり展覧試合
00:22:48天皇陛下は神様ですからね
00:22:50そういう意味なんですね
00:22:51神様の前で試合するってのはやっぱり偉いことですね
00:22:53天皇陛下に資料を向けてくれるなと
00:22:57ああ資料向けちゃいかんね
00:22:58なるほど
00:22:59だからいろんな動作をですね
00:23:01柔道の中でやる時に資料を向けないことはできるんですよね
00:23:04そうでした
00:23:05試合中にですね
00:23:06天皇陛下をちょいと見たことがあるんですよ
00:23:08そしたら天皇陛下はですね
00:23:10メーバーがこうパチパチパチしようになって
00:23:12富士山先生に言うとですね
00:23:14女神高はバカモン勝ちで送られたんですよ
00:23:17柔道家として最高の舞台に立った木村
00:23:24その決勝戦で待ち受けるは
00:23:27打倒木村に燃えるこの男であった
00:23:30国士官大学首相石川貴彦である
00:23:35まあ意識したというのは目標でしたよね
00:23:41僕のね
00:23:43寝ても立っても情報つるでしょ
00:23:46だからもうまず欠陥はないですね
00:23:49この一戦石川が警戒したのは
00:23:54当然必殺の大外狩り
00:23:57ところが木村が仕掛けたのは大外狩りではなく
00:24:02さらなる大技一本強いであった
00:24:05一回二回強烈に攻める木村
00:24:10一方必死に耐える石川
00:24:13しかし三回目の一本強いであった
00:24:20一本
00:24:29いややっぱりやっぱり強いなと思って
00:24:37やっぱり噂通りと思って思いましたよね
00:24:42天皇陛下の前で叩いてくれました
00:24:47木村は見事展覧試合優勝
00:24:53学生生活最後の試合を優秀の美で飾った
00:24:57そしてその勝利を誰よりも喜んだのは
00:25:01師匠牛島であった
00:25:03これまで一度も褒めたことのなかった先生が
00:25:10初めて私を褒めてくれた
00:25:12映えある天乱試合の優勝者には
00:25:18それぞれ二本の担当が過失された
00:25:21それは今も木村家に家宝として大切に保管されている
00:25:27昭和17年
00:25:36当時すでに戦争へと突入していた日本は
00:25:40国内経済が次第に悪化
00:25:42全日本選手権も中止となり
00:25:46柔道家たちが次々と戦地に送られることになった
00:25:49それは木村とて例外ではなかった
00:25:53入隊したのは24歳の冬
00:25:57柔道家としての絶頂期に彼は軍人として生きなければならなかった
00:26:02もし戦争がなければ
00:26:05木村の全日本選手権10連覇は確実
00:26:08日本の柔道士は大きく変わっていたと言われている
00:26:12木村はこの戦争を境に
00:26:16露天の人生を歩むこととなる
00:26:18戦後、焦土と化した日本
00:26:25しかし人々は自由を謳し
00:26:28新しい時代の到来を予感した
00:26:31ところが柔道家たちにとっては不幸な出来事が相次いだ
00:26:36GHQにより学校柔道が禁止
00:26:41ついで国内最大の武道組織
00:26:44大日本武徳会が解散
00:26:46柔道会は暗黒の時代を迎えつつあった
00:26:51一方その頃、福音した木村は故郷熊本に戻り
00:26:58八つ年下の妻、富と結婚
00:27:00小宝にも恵まれ幸せな生活を送っていた
00:27:05しかし元柔道日本一の名前だけでは
00:27:10食べることさえままならず
00:27:13木村は闇やそして幼人坊など
00:27:16危険な商売に手を染めていくのである
00:27:19東京都調布市
00:27:28この町で今も元気に暮らす一人の女性がいる
00:27:32木村の妻、富、75歳
00:27:37当時の生活を彼女はこう語ってくれた
00:27:41結婚しましたからすぐもう闇屋さんでした
00:27:44本当に柔道何にもできなくて
00:27:47芋飴って言いますかね
00:27:50ここはまた芋が取れますからね
00:27:53それで作った黒い飴
00:27:54夜、自転車の後ろに乗せていったようなことを思って
00:28:00覚えてますけどね
00:28:02かわいせいそうな仕事
00:28:04木村をはじめ国内の柔道家たちは
00:28:09当時生きることで精一杯
00:28:11とても柔道どころではなかった
00:28:13ところがそんな現状に黙っていられない男がいた
00:28:19木村の死、牛島でやった
00:28:23牛島は理想に燃える若き柔道家たちを結集
00:28:29行動感とは一線を隠す新組織を立ち上げた
00:28:33これが日本発動武道工業団体プロ柔道
00:28:37エースは木村であった
00:28:40当時のメンバーは二十数名
00:28:45その中にあの遠藤光吉の姿もあった
00:28:49柔道を朝から晩までやりたくてやりたくて
00:28:55たまらなかったわけですよね
00:28:56柔道一筋なっていうことじゃなくて
00:29:00もう柔道の中にどっぷり使っておりたかったわけですよね
00:29:05プロ柔道は当初大成功を収めた
00:29:10旗揚げ工業では木村が初代チャンピオンに君臨
00:29:14裾にラインの入った重浪技や
00:29:17選手全員に背番号をつけるなど
00:29:20ユニークな団体としても知られた
00:29:22当時の人気映画春の後ろ
00:29:27プロ柔道は映画界ともタイアップを図り
00:29:30画前注目を浴びることとなった
00:29:33一方行動感はこのプロ柔道に対し
00:29:41どんな立場を取っていたのであろうか
00:29:43専門家はこのように語る
00:29:45必ずしもプロの柔道に進出したからといって
00:29:50即それが悪いことだとか
00:29:52マイナスの評価に一色になったということは
00:29:56考えにくいと思います
00:29:57むしろ憧れであるとか
00:30:02なかったわけじゃないと思います
00:30:06行きたいけれども自分はそこまでプロとしての実力がないと
00:30:11だからという
00:30:12そして夢を託したとかですね
00:30:15ところが順調だったのはほんの数ヶ月
00:30:21次第に客足が遠のき
00:30:23ファイトマネーも滞る有様
00:30:25しかし選手たちは木村と柔道ができる
00:30:30それだけで満足であった
00:30:32どうだ遠藤もやってみるかもう一回
00:30:37というようなね
00:30:38それ起きろと
00:30:40それ起きる
00:30:42一緒にその
00:30:43練習もできるし
00:30:46同じように食事もしてですね
00:30:49同じような
00:30:50寝物語も聞かれるということはですよね
00:30:54これは最高の喜びだった
00:30:55風呂だから
00:30:58風呂だから
00:30:58税にもらえるとか
00:30:59風呂だから
00:31:00いくらこうだなって
00:31:01そんなことは考えてなかった
00:31:03だが木村は
00:31:06情熱だけで柔道をしているわけにはいかなかった
00:31:09その頃
00:31:11妻富が
00:31:12当時死亡率の高いと言われていた
00:31:15肺結核を発病
00:31:16金がなければ
00:31:18妻の命さえ危なかった
00:31:20そんな折
00:31:22ある話が舞い込む
00:31:25柔道ハワイ公園の誘いであった
00:31:28しかし
00:31:30ヘッドハントされたのは
00:31:32木村以下
00:31:33山口
00:31:33酒部の主力3選手
00:31:35仲間を
00:31:37そして
00:31:38師匠牛島を裏切る
00:31:40後ろめたさを感じながらも
00:31:42妻のため
00:31:42ついに木村は
00:31:44プロ柔道脱退の意思を表明した
00:31:46なんでね
00:31:49俺たち若い者を
00:31:50置いていってしまうのとかね
00:31:52なんとほんと悔しいなあ
00:31:54あの人たちの
00:31:55ね私たちをこう
00:31:57うまいようにね
00:31:58引きずったみたいなことを言って
00:32:00何だったとか
00:32:01そういうような
00:32:02ことは全然なし
00:32:04育ててもらっただけで
00:32:06私はありがとうと
00:32:07今でも思う
00:32:08木村に対し
00:32:12師匠牛島は
00:32:13最後まで
00:32:14一言たりとも
00:32:16非難の言葉を
00:32:17口にはしなかった
00:32:18その後
00:32:19ほどなくして
00:32:20プロ柔道は
00:32:21解散
00:32:22わずか
00:32:23半年の命であった
00:32:26プロ柔道を
00:32:34飛び出した木村たちは
00:32:35ここハワイで
00:32:36新しい柔道に
00:32:37取り組んだ
00:32:38それは
00:32:40アメリカ人を
00:32:41投げ飛ばすという
00:32:42単純なもの
00:32:43しかし
00:32:45当時
00:32:45反米感情の強かった
00:32:47ハワイの日系人たちからは
00:32:49絶大なる支持を
00:32:50受けたという
00:32:50その3ヶ月後
00:32:53木村は
00:32:54プロモーターから
00:32:55もっと金になるという
00:32:56ビジネスを
00:32:57紹介された
00:32:58それが
00:33:00彼の人生を
00:33:02後に大きく変えることとなる
00:33:03小ビジネス
00:33:04プロレスであった
00:33:06プロレスは
00:33:13決して木村の肌に
00:33:15合っていたわけではない
00:33:16しかし
00:33:17破格のファイトマレーが
00:33:19それまで
00:33:20入手困難だった
00:33:21血格の特効薬
00:33:22ストレプトマイシンなどの
00:33:24購入を可能にし
00:33:25木村は
00:33:26それを
00:33:27妻のもとに
00:33:28送り続けた
00:33:29この木村の愛が
00:33:31彼女を
00:33:32死の口から
00:33:33救ったのである
00:33:34もうずっと
00:33:36だから感謝ですよ
00:33:37私は
00:33:38毎日
00:33:38お祈りしてます
00:33:39はい
00:33:40ほんとね
00:33:43こんなに長生きすると
00:33:45思わなかった
00:33:46ちなみに
00:33:49木村の初マットは
00:33:50昭和26年6月
00:33:52あの力道山より
00:33:544ヶ月早い
00:33:55プロレスデビューであった
00:33:56ところで木村には
00:34:01柔道着を嫌い相手にも
00:34:03対応できる
00:34:04得意の関節技があった
00:34:06柔道の腕絡みである
00:34:09これは晩年の木村
00:34:15柔道にこんな関節技があったのかと
00:34:19驚く方も多いのではないだろうか
00:34:21木村は学生時代
00:34:231日2,3人を
00:34:25これで脱臼に追い込み
00:34:27ついに当時の行動館では
00:34:28瀕死技となってしまった
00:34:30彼は後
00:34:38ブラジルに渡り
00:34:39生涯最強の挑戦者を迎えることとなるが
00:34:42この技が大きな武器となった
00:34:44その男とは
00:34:47エリオ・グレイシー
00:34:48そう
00:34:49あのグレイシー一族の
00:34:51ルーツとなる男でやった
00:34:53昭和26年夏
00:35:01木村たち一行は地元新聞社の招きで
00:35:05このブラジルへとやってきた
00:35:07ここでも日系人の歓迎は熱烈
00:35:12木村たちがどこに行っても
00:35:15日本からの英雄ともてはやされた
00:35:17ところが彼らに対し
00:35:21ライバル心をむき出しにする男がいた
00:35:23エリオ・グレイシー
00:35:27グレイシー充実のルーツとなる男でやった
00:35:31グレイシー充実とは
00:35:35名刺の柔道家
00:35:36バイラ・ミツヨが伝えた日本柔道を
00:35:39エリオ・グレイシーとその兄が改良したもの
00:35:42バーリ・トゥードと呼ばれる
00:35:45ほとんどルールのない危険な試合を通し
00:35:48実践的な武術を完成させた
00:35:50当時エリオは10年間腐敗
00:35:55日本のチャンピオンだという木村の噂を聞きつけ
00:35:59すぐさま挑戦状を叩きつけてきた
00:36:01後に木村は
00:36:04たびたびこのグレイシー充実の話題を口にしたという
00:36:07とにかくブラジルに面白いスポーツがある
00:36:13何でもある
00:36:15噛みつき以外は何でもある
00:36:17僕なんかお酒の席で聞いてますからね
00:36:21そんな喧嘩みたいなスポーツがあるわけない
00:36:24って言ってたんですけどね
00:36:26本当にありましたね
00:36:27これまで全く無名であったグレイシー充実
00:36:35だがその名を広く世に知らしめたのは
00:36:387年前アメリカで始まった
00:36:40このアルティメット大会であった
00:36:42歌い文句はノールール
00:36:47すなわちルールなしの真剣勝負
00:36:50プロレス、相撲、空手など
00:36:54あらゆる格闘技の一線級が出場
00:36:57大きな話題となった
00:36:58後に日本からも空手家の市原美之樹や
00:37:04あの元横綱北尾浩二が参戦
00:37:06しかし結果はことごとく惨敗に終わった
00:37:10ところが怪我人が続出する中
00:37:17無傷で勝ち上がる男がいた
00:37:19彼は決勝でも空手のチャンピオンを楽々と料理
00:37:25わずか数分でギブアップを奪い
00:37:27ついに優勝をさらった
00:37:29この男こそがホイス・グレイシー
00:37:33あのエリオ・グレイシー6番目の息子であった
00:37:37世界はこの時初めてグレイシー充実という
00:37:44名前を知ることとなる
00:37:45その後グレイシー一族が次々と日本に上陸を果たす
00:37:51あの6男ホイスをはじめ
00:37:54その兄ゴナン・ホイラー
00:37:56そして最強と言われる3男ヒクソン
00:37:59特にヒクソンがプロレスラー高田信彦をはじめ
00:38:06今まで6人の日本人と対戦
00:38:09彼らを一人残らずマットに沈めた
00:38:12しかしなぜこうも日本人と縁が深いのか
00:38:16その因縁は彼らの父エリオと木村との関係にまで遡る
00:38:22負けることを許されない
00:38:28勝つことを宿命付けられた一族が
00:38:31血の結束を高めるグレイシー・トレインです
00:38:36エリオ・グレイシーは今年で87歳
00:38:43今なお戦いの舞台にその身を投じている
00:38:46息子たちの試合には必ず帯同
00:38:51グレイシー・ファミリーの精神的支柱でもある
00:38:55彼は50年前の木村との一戦を今でもはっきりと覚えていた
00:39:00木村はいよいよ私と戦うことになった
00:39:09この日マラカニアンスタジアムには続々と監修が詰めかけた
00:39:15歴史に残る思い出深い試合であった
00:39:21当時詰めかけた監修はブラジル大統領を筆頭に
00:39:29ほとんどが国民的スターエリオの応援
00:39:32一方木村には敵意のブーイング
00:39:35そんな異様な雰囲気の中試合が始まった
00:39:39木村はまず得意の大外狩りを仕掛け
00:39:45相手の脳振動を狙いに行く
00:39:47続いてヘッドロック
00:39:56これでかなりダメージを与えた
00:39:58そのため木村は逆にエリオの身を案じたという
00:40:02木村は人間的にも立派であった
00:40:08木村の前では私も子供同然で
00:40:12しっかり手玉に取られてしまった
00:40:14私を倒そうとしたのは無論であるが
00:40:18彼の態度に悪意は見えなかった
00:40:20木村のヘッドロックが強すぎて
00:40:24私の耳から血が出ると
00:40:26彼は腕を緩めて大丈夫かと
00:40:29しかしエリオはそれでも参らない
00:40:35ついに木村はあの危険な技を出さなくてはならなかった
00:40:39関節技腕絡みである
00:40:44木村は渾身の力を込め
00:40:50エリオの左手を絞り上げた
00:40:52グジグジという不気味な音が1,2度した
00:40:59しんと静まり返った会場に
00:41:02骨が折れる音が大きく響いた
00:41:05ところが腕が折れても
00:41:11なおエリオはリブアップを拒否
00:41:13そして
00:41:15なんというトアコンの持ち主である
00:41:24腕が折れ骨が砕けても戦う
00:41:28試合には勝ったが
00:41:31勝負への修練は
00:41:33私の完敗であった
00:41:37試合後
00:41:41エリオの精神力を絶賛する木村
00:41:44逆に木村の強さを称賛するエリオ
00:41:48この一戦は真の男の戦いとして
00:41:52多くのブラジル国民の感動を読んだ
00:41:55そしてあの腕絡みは
00:41:58後に木村ロックと名付けられ
00:42:01今だおその強さとともに語り継がれている
00:42:04昭和29年
00:42:09マリリン・モンロを来訪に湧く日本
00:42:12世の中にはもうほとんど
00:42:15戦争の色がなくなりつつあった
00:42:17その頃木村は故郷熊本を拠点に
00:42:22細々とプロレス活動
00:42:23プロ柔道の失敗を踏まえ
00:42:26派手な技やパフォーマンス
00:42:28時には流血症を演じるなど
00:42:31客の喜ぶことは
00:42:32どんなことでも演じてみせた
00:42:34しかしそうした彼の姿勢が
00:42:37計らずとも行動感との距離を
00:42:39広げていくのであった
00:42:40この辺打ちますと人間はね
00:42:44血が出るんですよ
00:42:46だからプロレス見てると
00:42:49血がパッと出るけど
00:42:50私もあんまりああいうのを聞きられたから
00:42:53見えないけど
00:42:54一回だけ見に行っても
00:42:56一回行きませんでしたもんね
00:42:58そうですか
00:42:59血が流れたんだみたいに怖くて
00:43:01木村は遠藤光吉や
00:43:06ボクシングのピストン堀口
00:43:07それに空手の大山マスタツラを
00:43:10ゲストに招き全国を巡業
00:43:12しかしブームを巻き起こすまでには
00:43:15至らなかった
00:43:16ところが同じ頃
00:43:19抜群のビジネスセンスを武器に
00:43:22プロレス産業へ殴り込みを
00:43:23かけようとする男がいた
00:43:25後に国民的ヒーローにまで登り詰めた
00:43:29あの力道山である
00:43:31大相撲廃業後
00:43:36プロレス界へ転身した力道山は
00:43:38およそ1年にわたってアメリカ修行
00:43:41プロレスビジネスの多くを吸収し
00:43:45日本へと持ち帰った
00:43:46彼がまず手掛けたのは
00:43:51日本プロレス協会の設立
00:43:53あの遠藤光吉らとタッグを組む
00:43:57続いて必殺技の開発
00:44:01後に彼の代名詞ともなった
00:44:04空手チョップである
00:44:05実はこの空手チョップ
00:44:09その開発にはこの男のアドバイスもあったという
00:44:13空手家大山マスタツ
00:44:16抜群のパワーを持っていた力道山は
00:44:23空手の技の飲み込みも早かった
00:44:25そして土台作りが固まると見るや
00:44:30彼は壮大なプランを打ち上げた
00:44:33それはなんと世界タッグチャンピオン
00:44:38シャープ兄弟の翔平
00:44:39そしてそのパートナーに
00:44:42ある大物日本人格闘家を指名したのである
00:44:45その格闘家とは木村であった
00:44:502人は初対面から息統合
00:44:56プロレスに賭ける熱い思いを誓い合う
00:45:00新しいプロスポーツを共に作ろうじゃないか
00:45:07元関脇力道山
00:45:11そして元柔道日本一木村
00:45:14日本プロレス界の歴史的な第一歩を踏み出したのは
00:45:19この夢のタッグチームであった
00:45:21プロレスリングの世界ヘビー級タッグチーム選手権をかける
00:45:30日米対抗第一戦は
00:45:312月21日倉前国技館で挙行
00:45:34無敵を誇るシャープ兄弟に挑むは
00:45:36力道山木村組
00:45:37試合は兄のベンシャープと木村の対戦で開始
00:45:43殴る蹴る何でも恋の荒っぽい競技に
00:45:46監修も殺気立っています
00:45:47608分35冠のマイクシャープ
00:45:54木村を高々と持ち上げて連続飛行機投げ
00:45:57兄弟にカールガール板につけられ
00:45:59木村は全くブロッキー
00:46:01シャープ兄弟はまず一勝をものにしました
00:46:03試合最期投資満々の力道山が
00:46:08猛然とベンに飛びかかりました
00:46:10わずか55秒でさすがのマイクも
00:46:17完全に伸びてしまいました
00:46:19さていよいよ決戦です
00:46:22リング上4選手入りんがれての大立ち回り
00:46:25さてはベンの眉間から強なアスターンです
00:46:30沖レフェリーはついに試合中止を戦し
00:46:32タッグティーム世界選手権第一戦が
00:46:35当然たるうちに引き分けに終わったのであります
00:46:37日本中に大ブームを巻き起こしたプロレス
00:46:42ところが舞台裏では悲劇が待ち受けていた
00:46:46ヒーローはいつも力道山
00:46:52一方木村は毎試合出ては負けるという
00:46:55完全な力道山の引き立て役
00:46:59そんな彼に世間の風は冷たかった
00:47:01本当は木村は弱いんじゃないか
00:47:07柔道日本一のプライドが泣いていた
00:47:12プロレスやりますときは悪役で
00:47:16いつも悪役ですもんうちは
00:47:18自分もだから悪役に徹底していたのね
00:47:23ただ悔しかったことは悔しかったでしょうね
00:47:28結局木村はそんな待遇に耐えきれず
00:47:34ついに力道山とのコンビを解消
00:47:36そしてある新聞にこんなコメントを寄せた
00:47:42力道山のプロレスは勝だ
00:47:45真剣勝負なら絶対に負けない
00:47:48この一言が力道山の怒りを買った
00:47:53上等だ
00:47:55どっちが日本一か決着をつけようじゃないか
00:47:59両優並び立たず
00:48:02ついに戦争が始まった
00:48:05マスコミを使った報道が先
00:48:10力道山のプロレスを徹底的に批判する木村に対し
00:48:15逆に勝利にこだわる力道山
00:48:18試合のテーマはこの勝リズム1点に絞られ
00:48:25やっぱりこうプロレスというのは勝が主でございます
00:48:31もちろんプロどんなプロでもね
00:48:34勝というものは人に見せるものを勝って言うでしょ
00:48:38だから人に見せるものが見て満足するようなものじゃなかったら
00:48:44これ寝打ちないですよ
00:48:45真剣勝負というのは人間世の中の全てが真剣勝負なんですよ
00:48:50全てが真剣勝負
00:48:52勝なのか果たして真剣勝負なのか
00:48:56昭和の岩流島と言われたこの一戦
00:48:59それは実に悲惨な結末を迎える
00:49:03力道山との一戦から今年で46年
00:49:21木村の妻富は今も時々あの試合のことを思い出すという
00:49:26あの話は絶対しませんうちでは
00:49:30嫌ですから
00:49:32詩人のおかげで力図さん
00:49:35有名になったようなもんね
00:49:38全国的にそしてちょうどプロレスの始まりでしたしね
00:49:43賑わせましたもんね
00:49:45爪痕を残されたのは家族だけではない
00:49:52プロレス関係者もまた同じ思いでいる
00:49:56ああいう風な試合とかなんかになる予定じゃなかったんだけれども
00:50:03やっぱりねその当時のプロレスというものはね
00:50:07本当のプロレスリングという一つのね
00:50:12ケースがなかったんですよね
00:50:15何やってもいいみたいなことをね
00:50:18都合悪かったらね
00:50:19何も歯でも腰でもすぐさを追ってですよね
00:50:23格好なんか悪くてもいいからね
00:50:25任せばいいんだというようなことが
00:50:28共にあったのかもしれないし
00:50:31力にだけあったのかもしれないし
00:50:34そういう一つの底にね
00:50:37何とも言えない割り切れない気持ち
00:50:39今も私も持ってますからね
00:50:42人々があまり語りたがらないこの一戦
00:50:47そこにはいくつもの謎が隠されていた
00:50:55昭和29年11月
00:50:58力道山と木村は揃って調印式に臨んだ
00:51:02しかしこの日から本番までの1ヶ月
00:51:06両者の行動はあまりにも対照的であった
00:51:10好きな先をも断ち死に物狂いで練習に励む力道山
00:51:16木村の実力を相当恐れていたという
00:51:20間接で決められるかですね
00:51:23完全に抑え込まれたらばどうにもならなくなるということはですね
00:51:27これは相撲にない手がたくさんあるわけですよね
00:51:30ですからそれが一番自分としてですね
00:51:37要警戒中の警戒だったんでしょうね
00:51:40一方の木村は故郷熊本でトレーニング
00:51:46しかしあれだけ真剣勝負を歌ったにもかかわらず
00:51:50その顔に緊張感はほとんどなかった
00:51:53それだけではない
00:51:56弟分大山マスタツを唖然とさせたこんなエピソードも残っている
00:52:01大山先生がその木村さんが
00:52:06あのなんか九州行ってて
00:52:10ね上京してきてさ試合の何日か前上京していって
00:52:14大景気に出迎えた時に
00:52:17その大山あの木村さんが酒の匂いプンプンさせて降りてきてさ
00:52:21これはもうこの先輩勝てないと思ったって言ってたよそれはね
00:52:25軽い気持ちでしたもんねプロレスやる時
00:52:29真剣勝負と思ってないから
00:52:32そこがあるんですよ主人の考えと
00:52:37真剣勝負と言いつつ真剣味のない木村
00:52:43逆に勝と言いつつそれ以上を求める力道山
00:52:47そんな不可解な舞台裏の風景をよそに
00:52:51世紀の一戦が瞬く間にやってくるのである
00:52:5512月22日
00:53:00会場となった倉前国技官は長男院を監修
00:53:04木村の応援には師匠牛島
00:53:13そして弟分大山が駆けつけた
00:53:16そして両選手入場
00:53:21いよいよ決戦の時
00:53:23試合はクリーンファイトで始まった
00:53:42落ち着いているかに見えた両者
00:53:51ところが開始から力道山には相当なプレッシャーがあったという
00:53:56どうしてもですよね木村さんをですよね
00:54:01こう持ち上げて持ち上げて持ち上げてる人だけが多くてですよね
00:54:05持ち上げられるから力はもう持ち上げられるんじゃなくて
00:54:10潰されるだろう潰されるだろうと思ってこういう風な
00:54:15試合までの雰囲気だったのよ
00:54:18力道山の心には常に張り詰める糸があった
00:54:24ところがその糸を切ったのは木村であった
00:54:30開始15分
00:54:32木村が不要意に払った急所蹴り
00:54:35このたった一蹴りが力道山の顔色を変えた
00:54:4115分過ぎ力道を猛然と張り手足蹴りを浴びせ
00:54:49木村は窮地に追い込まれています
00:55:05力道なお追撃の手を緩めず手刀振るって張り手を連発
00:55:08名乗る蹴るの力道山
00:55:11ルム木村にまた一撃
00:55:18木村通れました15分49秒で完全にノックアウト
00:55:22力道山は待望の選手権の栄冠を獲得したのであります
00:55:27それはプロレスの試合ではなかった
00:55:33無残にもマットの上に崩れ落ちる元柔道日本一
00:55:39その屍に男たちの人生模様が交錯した
00:55:45試合後リングに真っ先に駆け上がった男がいる
00:55:52木村の後方にそっと寄り添うその姿
00:55:56師匠牛島達久間
00:56:00主人が壇上に上がったんです
00:56:06後で聞いたんです
00:56:08なんでいらしたんですかと
00:56:10木村の骨を拾うのはお礼だと言って
00:56:15またリングの下では半狂乱の男がいた
00:56:20弟分大山増達
00:56:23最強であるべき木村の敗北
00:56:28しかもそれは自分が教えた空手による悲劇
00:56:32己力道殺してやる
00:56:36しかしそんな大山の叫びも虚しく
00:56:41力道山が一夜でプロレス界の制圧に成功
00:56:45その後国民的ヒーローにまで登り詰める
00:56:48一方木村はその名声が完全に失墜
00:56:55今まで築き上げた全てを失ってしまった
00:56:59だがそんな人生を左右する大一番に
00:57:04なぜ木村は軽い気持ちで臨み
00:57:07なぜああもあっけなく破れてしまったのか
00:57:10その謎に関して木村は長年沈黙を守り続けた
00:57:15しかし数十年の時を経ついにその重い口を開く
00:57:22これは17年前九州で放送されたあるテレビ番組
00:57:30木村が語る裏側はあまりにショッキングな内容であった
00:57:35小野管流島となれた力道との対決になる
00:57:38あの辺は
00:57:40あれは
00:57:41はじめはですね
00:57:42どっちがあってもいいから
00:57:44順でやろうとしたんだけども
00:57:47力はいやこの場合は引き分けした方がいいと
00:57:51はじめは引き分けした方がいいと
00:57:52そしてその次は
00:57:54ジャン憲法して
00:57:56勝った方が勝ちにすると
00:57:59負けた方が逆になると
00:58:00その次負けた方が勝つというふうなじんぐりじんぐりの試合をしていけば
00:58:07日本国中も沸かせるじゃないかと
00:58:09転戦していってね
00:58:10なるほど
00:58:10そしたら莫大な利益を得ると
00:58:13これはもう目に見えていると
00:58:15そういう話は力道さんの方から来たわけですか
00:58:18お互いに会って話があったわけですよ
00:58:22試合が始まって
00:58:23ゴンクが簡単になったけど
00:58:25どうした
00:58:26あれがちょっと上になった瞬間ね
00:58:30私がそのポッとね膝をこう触っただけなんですよ
00:58:34富田さんの膝が力道さんの下がったと
00:58:37急所に
00:58:37そうそう
00:58:38蹴ったということをね
00:58:39お客さんに見せるんですね
00:58:41蹴ったように見せる
00:58:42彼は飛び上がって
00:58:44うまいことやるなと思ってね
00:58:46これ相手が手を挙げたら
00:58:48あ振るなと思って
00:58:49こういうふうに構えているやつを
00:58:51こう開いてやったわけですよ
00:58:53打ちやすいように
00:58:54そしたら矢庭にこうぶってきたんだけども
00:58:58ぶってきたところが
00:58:59本当の軽動脈をぶってきたんですね
00:59:022回ほど送られたから
00:59:03もう頭はシーンとして倒れちまったと
00:59:06裏切られたと木村は言った
00:59:11しかしプロレスを舐めていた彼に
00:59:14心の隙はなかったか
00:59:17鬼に徹した力道さん
00:59:19逆に鬼になりきれなかった木村
00:59:22昭和の岩竜島
00:59:25今から46年前の出来事である
00:59:28力道山との一戦から4年
00:59:35行動館からも半ば波紋状態にあった木村は
00:59:39故郷熊本に戻り
00:59:41寂しい毎日を送っていた
00:59:43そんな彼の元にある日
00:59:50一人の書楼の紳士が訪ねてきた
00:59:53師匠牛島でやった
00:59:58久しぶりの再会に急行を温める二人
01:00:04その席で牛島が熊本弁でこう切り出した
01:00:08武者やっぱり宅台に戻った方がよかぼう
01:00:14牛島は木村の復帰を強く望んでいた
01:00:19監督として低迷する母校再建に力を貸してほしいという
01:00:24木村は涙が出る思いであった
01:00:29こんな俺でも人の役に立てるのか
01:00:33心は決まった
01:00:38必ずや宅台をば日本一にしましょう
01:00:42この時木村45歳
01:00:47再び夢を追う人生がスタートした
01:00:5020年ぶりの母校復帰
01:00:55しかしそこに見たのは万年一部リーグ再開
01:01:01負け犬根性に浸る後輩たちの姿でやった
01:01:04そんな彼らに木村が施したのは
01:01:09徹底したスパルタ教育
01:01:11木村は進んで鬼となった
01:01:14木村先生にもし練習でね
01:01:18殺されるようなことがあれば
01:01:21構わないというか
01:01:23死んでも構わないというような気持ちで
01:01:27やはり柔道になられた気がしますね
01:01:30師匠が鬼なら弟子たちも鬼
01:01:34しかしその気迫が大輪の腹を咲かせる
01:01:38昭和40年
01:01:41木村監督就任4年目で
01:01:44チームは大学選手権祇願の初優勝
01:01:47そして数年後
01:01:49一番弟子岩釣りが拡大出身者として
01:01:53木村以来2人目となる全日本選手権制覇
01:01:56早くも夢は現実となった
01:02:00ところが木村は決して表舞台に立とうとはしなかった
01:02:13試合場での応援
01:02:15木村の定位置はいつも会場の片隅だったという
01:02:19俺はプロに行った人間だから
01:02:24この辺りがちょうどいい
01:02:26それがこの男の生き方でもあった
01:02:31試合会場とかそういうところでも
01:02:34ほとんどお見受けしたことないんですね
01:02:35プロ柔道
01:02:37プロレースに行かれて
01:02:38その結果として柔道界との距離ができてしまった
01:02:42んじゃないかなと思うんですね
01:02:45やっぱりそんなことにとらわれないで
01:02:49やっぱりこう畳上で
01:02:51我々若者を当時のですね
01:02:54押した激励して欲しかったし
01:02:57やっぱりそういう思いは
01:03:00特に熊本の大先輩所で
01:03:02私は他の選手よりも強く持ってたでしょうね
01:03:07日本十郎会はその後
01:03:09この山下をはじめ数々の名選手を輩出
01:03:14十郎は日本の伝統文化から世界のスポーツへと展望を込み
01:03:21しかし皮肉にもそんな時代の波が
01:03:24人々の記憶から木村の名前を消し去っていった
01:03:28そして昭和58年春
01:03:37木村はけっそりと柔道界を後にした
01:03:41弱い65歳
01:03:44潔い引き庭であった
01:03:54戦いのない生活
01:03:56それは木村夫妻にとって初めて心安らぐ時であった
01:04:01失われた時間を取り戻すように海外旅行に没頭
01:04:09孫たちにも恵まれ幸せな日々が続いた
01:04:13おそらく人生で一番の
01:04:16新しい戦後は平成であります
01:04:26昭和から平成へ
01:04:28この年木村は70歳の誕生日を迎えた
01:04:32体に異変を感じたのはそんなある日のこと
01:04:36すぐさま病院に直行した木村
01:04:40しかしそこに待っていたのは思いもよらぬ現実であった
01:04:48体に自信があるもんですけど病院に行くのが嫌いだと
01:04:53あれはもう少し早くするとね
01:04:55もうちょっと今すらねなんですけど
01:04:58行かないんですもん
01:05:00あのリュウリュウとした体が日に日に痩せ細っていく
01:05:06ガンは確実に木村の体を蝕んでいった
01:05:12ここに木村が病床に残した一枚の色紙がある
01:05:19フンキ
01:05:20まさに自らをこぶさせたかったのであろう
01:05:24これを前世紀のものと見比べると
01:05:27そのエネルギーは悲しいほど弱々しい
01:05:30そんな中妻と見は必死の看病を続けた
01:05:36来る日も来る日も
01:05:41しかし思いは届かなかった
01:05:47平成5年4月18日
01:05:50木村は入院先の病院で眠るように息を引き取った
01:05:55去年75歳
01:05:59最後は静かな旅立ちであった
01:06:01お前にいらしたように
01:06:105年間一緒にもう月っきりでお陰で看護できましたからね
01:06:12もう
01:06:14送るときはもう涙も出ませんでした
01:06:16はいもう
01:06:18やるだけやったと
01:06:19やるだけやったと
01:06:20ところがね
01:06:21涙も出なかったんですけどね
01:06:23毎日その
01:06:24病気する2年ばっかり毎日散歩に行ってたんです
01:06:28
01:06:29それで私は元気になったんですけどね
01:06:31その散歩道を
01:06:33って思って元気になったから
01:06:35そこのともにカービーで立ったら
01:06:38涙も出なかった
01:06:40それで私は元気になったんですけどね
01:06:42それで私は元気になったんですけどね
01:06:44その散歩道を
01:06:46って思って元気になったから
01:06:48そこのともにカービーで立ったら
01:06:52涙がさらずら出るんですよ
01:06:55素晴らしい人生じゃなかったかしら
01:06:59もういいね思い出す
01:07:03残すことはないので
01:07:04これでいいねって言っていましたよ
01:07:06やっぱり誇りに思ってますね
01:07:10おかげではい
01:07:12普通だったらもうこんな生活できなかった
01:07:15いろいろあったけどやっぱり良かった
01:07:18キムラの肉体はもうこの世には存在しない
01:07:26しかしその魂は今も形を変えて生き続けている
01:07:33プロ格闘技の世界ではキムラ以来
01:07:36初めてグレイシー一族を破るものが出てきた
01:07:40プロレスラー桜庭和志
01:07:43ゴナンホイラーを破った技は
01:07:46あの伝説の腕絡み
01:07:49まさに歴史は繰り返した
01:07:58一方柔道界のボルテージも高い
01:08:02最強の夫人で臨むシロニー
01:08:05キムラから半世紀経った今も
01:08:07日本柔道の誇りには一点の曇りもない
01:08:11柔道そしてプロ格闘技
01:08:17この2つの流れの源流にキムラという男がいた
01:08:21柔の道を全うし壮絶に散っていったその格闘人生
01:08:27この男の生涯を我々はきっと忘れはしない
01:08:31キムラマサヒコよ永遠なれ
01:08:37熊本にある名札大事前寺
01:08:41キムラはこのふるさとの寺の片隅で今もひっそりと眠っている
01:08:46そう現役時代その強さを称えられたあの言葉とともに
01:08:53キムラの前にキムラなく
01:08:57キムラの後にキムラなし
01:08:59キムラの後にキムラの後に肯定が
01:09:01キムラを誇りする
01:09:03キムラの後にキムラが
01:09:05キムラの後に住む
01:09:06全部の間にキムラが
01:09:08あんたりなし
01:09:09キムラの後にチェックしてくれ
01:09:11もう一つの残り
01:09:15キムラにつくれ
01:09:17夜収り hepatの後につくれ
01:09:20一度リアルの後に生きてきて

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