- 2025/5/18
カテゴリ
😹
面白系トランスクリプション
00:00:00俳優人生45年目を迎える 佐藤浩一さん
00:00:05それは隣の切りっぽさに行きましょう
00:00:08まず柔らかいのから変わってきます
00:00:13常に映画ドラマの第一線で活躍してきました
00:00:20父親は名優三国錬太郎
00:00:25本名佐藤雅雄
00:00:31浩一さんが小学生の時に両親は離婚し
00:00:35父親は家を出ていきました
00:00:40ネガティブなそういう感情もあったと思いました
00:00:44それは当然
00:00:46やはり自分が何者なのかも分からない間
00:00:52やはり三国さんがどういう風な中で
00:00:58何をもって何を背負って生きて来られたのかな
00:01:02というのをこの年になって聞いてもいいかなと思いました
00:01:09今日のゲストは佐藤浩一さんです
00:01:12どうぞ
00:01:13よろしくお願いします
00:01:20三国さんの背負ってきたものを聞いてもいいかなと思われた
00:01:24どういう心境の変化が
00:01:27彼自身が言っていることがどこまで本当で
00:01:31どこからが三国錬太郎としての創作なのか
00:01:35それも知りたかったというのもありますね
00:01:37物真似すごい上手らしいじゃないですか
00:01:40三国さんの
00:01:41そうなっちゃうんだよ
00:01:44まずはこの方を訪ねました
00:01:47浩一の妻綾子さんは義理の父の正雄から
00:01:52謎めいた話を聞いていました
00:01:56だから私は佐藤じゃないんだよ
00:02:00本当に
00:02:01私は佐藤じゃないんだよ
00:02:03私は佐藤じゃないんだよ
00:02:05私は佐藤じゃないんだよ
00:02:07私は佐藤じゃないんだよ
00:02:10本当は佐藤じゃないんだよって
00:02:13自分はお父さんがね
00:02:15多分みんな兄弟とは違う
00:02:17佐藤のお父さんじゃないと思うっていうのは
00:02:20何回か言っていたので
00:02:26浩一の父佐藤正雄は
00:02:29大正12年
00:02:31佐藤忠と藩の長男として届けられています
00:02:36正雄の出生にどんないきさつがあったのか
00:02:44まずは正雄の母藩のルーツからたどります
00:02:50藩の旧姓は小泉
00:02:53故郷は伊豆藩島の南にある御村でした
00:03:01小泉は大正12年
00:03:05小泉家の親戚が見つかりました
00:03:10藩の兄の子孫
00:03:12民宿を営む陽一さんです
00:03:19小泉家は代々漁師だったといいます
00:03:24漁船の縄はみんなで網やったりするんじゃない
00:03:29それのトップだった
00:03:33そういう漁船の仲間のリーダー
00:03:40明治時代漁場をめぐり争った裁判の記録に
00:03:44小一の曹操夫にあたる小泉七重門の名がありました
00:03:52109人の漁師を率いる代表となっていました
00:03:58藩は明治38年
00:04:02七重門の産女として誕生
00:04:06名に不自由なく育っていきます
00:04:10しかし小泉家は突然の苦難に襲われます
00:04:19嵐で収入源の船を失い
00:04:22七重門は窮地に追い込まれてしまったのです
00:04:26一家は離産することになりました
00:04:34藩の娘木見恵さんです
00:04:40うちの母は苦労したと思います
00:04:46中学に上がらずに女中暴行に出されたんじゃないでしょうかね
00:04:53クレっていうのは聞いたことあります
00:04:58当時の軍港があった広島のクレ
00:05:05藩は海軍の軍人の家に200円で年期暴行に出されたといいます
00:05:14しかし17歳の時突然藩は航行先から追い出されてしまいます
00:05:23藩の実に何が起きたのか
00:05:3120年にわたり正男から聞き取りを重ねた作家の宇都宮さんは
00:05:36この時のことを聞いていました
00:05:42お腹にもしかしたら僕はいたのかもしれない
00:05:47広島の軍人さんのところで
00:05:54妊娠して追い出されたんじゃないかというような話を話されていました
00:06:03藩は身重の体で故郷を目指しました
00:06:09しかし沼津港の寄船乗り場で気分が悪くなってしまいます
00:06:15その時解放してくれた男性その人こそ佐藤忠です
00:06:26運命的に出会った藩と忠
00:06:31この日海は荒れ寄船は決行します
00:06:36一晩かけて事情を聞いた忠
00:06:40藩のすべてを受け入れることを決めたのです
00:06:47大正12年1月藩は男の子を出産
00:06:52正男後の三国蓮太郎です
00:06:58忠の子として出生を届け二人は結婚します
00:07:05まさおの父となった忠はどんな人物だったのか
00:07:13親戚の坂倉八代子さんです
00:07:19男気があるっていうかああいう人を言うんじゃないかなと思う
00:07:25今でも思うよくなるとすごくとことん愛してくれるか面倒見てくれる人だったから
00:07:35忠は明治26年伊豆半島南西部の町松崎で佐藤家の産卵として誕生しました
00:07:49佐藤家の親戚が見つかりました
00:07:5594歳になる哲さんです
00:07:59当時の佐藤家の仕事を覚えていました
00:08:04オケ屋やってたんだって
00:08:08牛の食べるってあのほらオケ屋
00:08:13オケの鷹
00:08:16鷹っていうかこう
00:08:19ああいう青い竹でさ
00:08:22蜂巻きして
00:08:24こういうとこ鳴っこしちゃった
00:08:27オケ作りをしていたという田田氏の家のことを
00:08:31松崎の郷土氏に詳しい近藤さんが聞いていました
00:08:36佐藤家がオケやってて
00:08:40いわゆる死んだ人の館オケも作ってたっていう
00:08:48だからそれをやるのは時間低いっていう風に見られた
00:08:54大事な仕事ですけど辛い仕事だったじゃないでしょうかね
00:09:01田田氏の家は遺体を納める座館など館オケも作っていました
00:09:11田田氏の父信太郎は遺体の埋葬を受け負うこともありました
00:09:18小学校を出ると田田氏もその家業をしていました
00:09:23当時死にまつわるなりわいはけがれに触れるとして
00:09:28差別の目を向けられることも少なくありませんでした
00:09:34祖父の方に関しても
00:09:37なんとかこの差別底辺の生活から
00:09:41なんとか這い上がりたいともがきました
00:09:47理不尽な差別に強い反発を覚えていた田田氏は
00:09:51そうした虚偶から抜け出そうと決意します
00:09:58当時日本は兵力をシベリアへ派遣していました
00:10:03田田氏は軍族として志願します
00:10:08戦争による戦争によって
00:10:10新たな職を得るために
00:10:12軍隊で技術を身に付けようと考えたのです
00:10:16無線発電所などを整備する業務に懸命に取り組みます
00:10:22しかし軍隊生活も田田氏を失望させました
00:10:29田田氏は戦争に戻って
00:10:31戦争に戻って戦争に戻って
00:10:33戦争に戻って戦争に戻って
00:10:35戦争に戻って戦争に戻って
00:10:37戦争に戻って戦争に戻って
00:10:40下の者を見下し
00:10:42権力を傘に着る上官たちに行き通りを感じる日々
00:10:48軍隊を忌み嫌うようになりました
00:10:562年後帰国した田田氏は
00:10:59シベリアで覚えた技術を活かし
00:11:02電気工事の職人として働き始めます
00:11:09マサオに十分な教育を受けさせるため
00:11:12危険とされていた仕事にも励みました
00:11:19そんな田田氏の下で
00:11:21マサオは机上な少年に育っていきます
00:11:28マサオの小学校の同級生が見つかりました
00:11:33カギヤマヤスヒさん101歳です
00:11:37101歳です
00:12:01こんなエピソードもありました
00:12:05同級生だった菅野さんが大切にしていたというランドセル
00:12:10信政さんは父親からマサオとの思い出話を聞いていました
00:12:34昭和10年マサオは父田田氏のたっての希望で
00:12:49新学校だった下田の東洋中学に入学します
00:12:57しかしマサオにとって
00:12:59学校生活は苦痛でしかありませんでした
00:13:04徹底した規律の寮生活と軍事教練
00:13:10次第に学校をサボるようになりました
00:13:17そんなマサオに田田氏は劣化のごとく起こります
00:13:24ひばしを振り下ろしペンチで殴りかかることもありました
00:13:34学校に行けって
00:13:39殴られても逃げても逃げても追いかけてくるんだけど
00:13:49それでも自分を思って
00:13:56自分のためにやってくれてるっていうのは
00:14:04わかった
00:14:09結局マサオは中学を中退
00:14:17そして下田港に停泊していた貨物船に忍び込み
00:14:21密港で中国へ渡ります
00:14:26マサオ14歳
00:14:28この後何年にも渡る放浪生活の始まりでした
00:14:35中国から朝鮮半島へ渡り
00:14:38ダンスホールの貿易や弁当売りをしながら
00:14:42孤独な日々を過ごします
00:14:49帰国後沼津湖にたどり着いたマサオ
00:14:57戸籍によるとここで昭和16年
00:15:015歳年上の女性と結婚し
00:15:04長女いとこが誕生しています
00:15:13これまで知られていなかった
00:15:15最初の妻と子供の存在
00:15:21調査を続けて半年
00:15:23沼津市内の寺で
00:15:25マサオの娘いとこの母籍が見つかりました
00:15:31いとこは数え年2歳で亡くなっていました
00:15:39墓を守っているいとこの親戚も見つかりました
00:15:44ひろあきさんは当時のことを
00:15:46父親から伝え聞いていました
00:16:02そこで知り合って仲良くなって
00:16:05それでいとこちゃんが生まれたという
00:16:12マサオが初めて気づいた家庭
00:16:15しかしその幸せは長くは続きませんでした
00:16:21いとこの死後若い夫婦は離婚
00:16:24わずか2年の結婚生活でした
00:16:31今回ひろあきさんが決められた話を
00:16:34明かしてくれたのには理由がありました
00:17:02そういうことっていうのはやはり一つの
00:17:05先ほども言いましたけど供養になって
00:17:08実際自分のお姉さんにあたるわけですから
00:17:11それはもう全然お儚びしていただけたら
00:17:14こちらだってすごい嬉しいと思うし
00:17:16ましてやはりね
00:17:18いとこちゃんがすごい嬉しいじゃないですかね
00:17:21そう思います
00:17:25沼津を去ったマサオは
00:17:27大阪の鉄工所や造船所で働きながら
00:17:30食いつなぐ日々を送ります
00:17:36時代は戦争のただ中へ
00:17:4119歳の時
00:17:43マサオに召集令状が届きました
00:17:50マサオは汽車に飛び乗り
00:17:52九州へ逃れます
00:17:56父親が剣をしていた軍隊には
00:17:58行く気はありませんでした
00:18:04しかしたどり着いた佐賀県の唐津で
00:18:08マサオは警察に捕らえられ
00:18:10故郷の静岡で軍隊に入れられます
00:18:19中国への出兵が決まり出発する直前
00:18:23母藩が面会に来た時のことです
00:18:28藩はマサオにすがるように謝りました
00:18:33警察に居場所を知らせたのは藩だったのです
00:18:38その時の思いを後に聞いていた人がいました
00:18:43警察に藩さんが通報したっていうのは
00:18:48やっぱりものすごいショックだったみたい
00:18:51ものすごい辛かったみたいね
00:18:54でも通報するっていうのも分かると
00:18:59親兄弟が当時の社会情勢だと
00:19:05後ろを指差されるから
00:19:10そして二十歳のマサオは
00:19:12中国の戦地へ赴きます
00:19:18出生する息子に唐氏は一言だけ告げました
00:19:24無駄死にするな
00:19:26必ず生きて帰ってこい
00:19:54人生ですね ミクリさん
00:19:56最初の出生からも
00:19:58藩さんのその方向先を
00:20:0317歳で追い出されるっていう
00:20:07だから結局
00:20:10二人の実の子じゃないという話も
00:20:12ミクリは僕はしてないと思うんですよ
00:20:15最後に捕まってっていうのが
00:20:19お母様に
00:20:21実は母親が居場所を連絡してたっていうのは
00:20:25そういった彼の中の傷ついたあれが
00:20:29役者として何かをやるときに
00:20:31ものすごい財産になってた
00:20:40中国の戦地へ送られたマサオ
00:20:44戦場で命を落としかけたこともありました
00:20:49ここに傷があるんですよ
00:20:53敵からの被弾で
00:20:57お薬も何にもない
00:20:59のっぱらに寝かされてて
00:21:03顔に高熱が出てて寝てて
00:21:08顔あたりにすごいハエとか
00:21:12いろんな虫が寄ってくるんですって
00:21:15何が何でも生きるってその時に
00:21:18顔周りにハエが飛んでる状態で
00:21:22死なないと
00:21:24無駄死にはしない
00:21:27マサオはどれだけ上官に殴られても
00:21:31一度として銃を撃つことはありませんでした
00:21:38そして中国で終戦を迎えたマサオは
00:21:42収容所に入れられました
00:21:45そこで再退社は早く帰国できると聞きつけ
00:21:49娘のいる家族連れに相談を持ちかけます
00:21:55なかなか帰れないし困ってましたけど
00:21:57宮崎の人がいて
00:21:59宮崎の家族がそこで収容されておりました
00:22:03そこの娘さんも一緒におりましてね
00:22:06それで娘さんの養子
00:22:09結婚してるという
00:22:11偽装して
00:22:12偽装してそれで偽装結婚で早く日本に帰る
00:22:16いい感じ
00:22:19その時の娘トヨミです
00:22:26昭和21年6月2人で帰国
00:22:31マサオはトヨミの宮崎の実家に同居し
00:22:35配線工事やバスの運転手として働きました
00:22:44翌年娘ミユキが生まれ
00:22:47二人は結婚します
00:22:54ミユキの長男竹中康さんは
00:22:57マサオの孫にあたります
00:23:02ミユキが生まれて一年後のこと
00:23:05マサオは家を出ていきました
00:23:09それでもトヨミは晩年まで
00:23:12マサオとのことを繰り返し語っていたといいます
00:23:19古い写真があって
00:23:22それにマサオさんって書いて置いてあったりとか
00:23:26デビューする前だと思うんです
00:23:28お一緒にいた頃の写真
00:23:30何かをもらってきて作ってくれたけど
00:23:33美味しくなくて二人で笑ったんだとか
00:23:36っていうような話は
00:23:38よくしてましたよ
00:23:41憎んでたり恨んでたりは全然
00:23:43ない、それは聞いたことない
00:23:45不思議ですよね
00:23:47だから
00:23:49人の魅力かもしれないですよ
00:23:51祖父の
00:23:55その後マサオは
00:23:57鳥取県の蔵吉に移り住みます
00:24:03この布団店の2階に
00:24:05下宿していたといいます
00:24:12布団店の米原さんは
00:24:14マサオの様子を覚えています
00:24:19いやとにかく仕事なしのブラブラで
00:24:22ブラブラであっちに行って
00:24:24食べさせてもらったりとか
00:24:27森したり遊んだりして
00:24:29なんか昼を食べさせてもらったり
00:24:32なんか人になったっていうことだったりですけどね
00:24:37そんな中である出会いがありました
00:24:43町の写真館の店主
00:24:45三田健太郎さんです
00:24:48健太郎さんの子孫たちが
00:24:50写真館を継いでいます
00:24:57ここに三国蓮太郎さんの写真があります
00:25:03私のおじいちゃんにある
00:25:05ここの仙台なんですけど
00:25:07ちょっと写真を撮ってみないかということで
00:25:12マサオと一気統合した
00:25:15マサオと一気統合した健太郎さん
00:25:19写真館を始めたのは
00:25:21戦時中戦地に次々に送られていく
00:25:24兵士たちの姿を家族に残すためでした
00:25:32そんな健太郎さんの撮影したこの一枚が
00:25:36マサオの運命を大きく変えることになります
00:25:41写真を撮って勝手に省畜に送ってみたそうです
00:25:47支度金が来たみたいです
00:25:49その支度金を使って東京に行こうかということになって
00:25:53行かれたようです
00:25:56なんかちょっと嬉しいですね
00:25:58何で嬉しいですか?
00:26:00ちょっとね
00:26:04これがあるからうちも繋げてるのかもしれないし
00:26:08逆にね
00:26:09三国さんのところじゃなくて
00:26:11おじいちゃんが三国さん撮った
00:26:13お父さんがここらしにいた
00:26:16だからこそ続けてるかなっていうのもあるから
00:26:21縁あって遠い親戚な感覚で見てるのでずっと
00:26:28応援してますよ本当に
00:26:38昭和25年27歳の時マサオは上京
00:26:47いきなり映画ゼンマの主役に大抜擢されました
00:26:55芸名は主人公の役名のまま
00:26:58三国連太郎となりました
00:27:03抜擢したのは木下圭介監督
00:27:09これいい顔だな三国さん
00:27:15いい目してるしな
00:27:18長年木下の助監督を務めてきた横堀さんです
00:27:24二言目には映画監督は人の顔を見るのが商売だから
00:27:30っていうのは口癖ですからね
00:27:33顔が結局そいつの生き様を反映するわけでしょ
00:27:39何歳になっても
00:27:41だから三国さんの中に感じられる
00:27:45人間の弱さっていうのかな脆さっていうのかな
00:27:49それがあのつらつきとあのはったりと
00:27:54の中にほのみえるのが木下圭介は
00:27:59ひどく人間を感じたんじゃないですか
00:28:04その後三国は大卒の知性美を持つ
00:28:08有望な新人スターとして大々的に宣伝されていきます
00:28:16しかし三国は肩にはめられ縛られることを拒絶します
00:28:24当時主演俳優は
00:28:26映画会社の専属とされていたにもかかわらず
00:28:30他社の作品に出演し大問題となりました
00:28:36撮影所の門にはこんな張り紙まで貼られました
00:28:42犬猫身舟入るべからずっていう
00:28:47張り紙が大船撮影所の表紋にデカデカと貼ってあったのを
00:28:52よく覚えています
00:28:54要するに人間の嘘物をやりたくないという
00:28:59三国の中の信念みたいなものがあって
00:29:03本物の人間を本物でね
00:29:06それらしくじゃなくて
00:29:08そのものとして演じようとする三国の気概は
00:29:14僕の胸を打ちますね
00:29:18そんな頃正雄は東京神楽坂の寮邸で
00:29:23一人の女性と出会います
00:29:27売れっ子芸者として名を馳せていた豊子
00:29:32後の孝一の母となる人です
00:29:37いかがですか
00:29:42人間の脆さとか弱さとか色んな感情が
00:29:48三国さんの中に感じられたんでしょうね
00:29:51彼の顔を見ると本当にもう
00:29:53世の中が分かったような顔になっているから
00:29:56やっぱり経験っていうのは大きいんですね
00:29:59大きいですね
00:30:01三国連太郎さんになる前の
00:30:03この佐藤正雄さんの人生を知って
00:30:06どう感じられました
00:30:08あんまり僕自身としては絶対
00:30:11何を見ても涙たないだろうなっていう
00:30:15ないだろうなと思うけど
00:30:17思った以上にやはりきますね
00:30:20困ったな
00:30:28俳優の傍ら
00:30:30孝一さんは音楽活動も続けています
00:30:34ずっとやられてるんですね
00:30:49孝一さんのリズム感やその音楽の才能は
00:30:53母俊子譲りです
00:30:57踊りや三味線の名手だった俊子は
00:31:00神楽坂切手の芸者でした
00:31:04本当は男っぽさというか
00:31:06そこの中で芸事に対する
00:31:09その筋の通し方っていうのは三国より
00:31:11よりはっきりしてましたね
00:31:14それが三味線であったり歌であったり
00:31:20こんな映像が残っていました
00:31:23どうもありがとうございました
00:31:27俳優として賞を受賞した三国の祝いの席で
00:31:31夫を支える俊子
00:31:47俊子と交流のあった渡辺一子さん
00:31:51ずっと不思議に思っていることがありました
00:32:15俊子の裁縫の腕は
00:32:17母方安倍家のルーツと深く関わっていました
00:32:24戸籍で確認できる最も古い安倍家の先祖は
00:32:28宮城県の塩釜で暮らしていました
00:32:34安倍家の本家が見つかりました
00:32:48安倍家の経緯は?
00:33:08安倍家に残る記録には
00:33:10江戸時代初期に皇一の十四代前の先祖が
00:33:14雄鹿半島から塩釜にやってきたことが記されています
00:33:19ここに残ってるってことは良い家だったんですよね
00:33:22そうですよ 14代遡れますから
00:33:24江戸時代の商業史に詳しい 斉藤義行教授です
00:33:31阿部家は海商っていう言葉があるんですけれども
00:33:36海の商人と書きます
00:33:39これに象徴されると思うんですね
00:33:42お米にしてもですね 魚にしてもですね
00:33:45それから木綿とか 衣類にしてもですね
00:33:48全国的な流通も 大きな全国的な物流れを動かしていく
00:33:55そういう人たち 一族 これが阿部家であったと
00:34:05阿部家は仙台の城下町の発展に伴い
00:34:09幕府や藩と強いつながりを持ち 力をつけていきます
00:34:16当時 綿花の栽培が難しかった東北で
00:34:20厳しい寒さに耐えていた人々のために
00:34:23関西から大量の古着を仕入れ 秋内をしていました
00:34:31しかし阿部家は幕藩体制の終焉とともに その力を失っていきます
00:34:40そうした中で 高一の曹操夫 阿部正次郎は
00:34:4630歳で妻子を連れて上京します
00:34:54正次郎の東京での最初の住所を調べると
00:35:00そこは銀座の洋服店でした
00:35:04住み込みでテイラーを目指し 一心に修行に励みます
00:35:14正次郎の暇子 阿部信彦さんです
00:35:33そして明治の中頃 正次郎は念願の洋裁店を開店させます
00:35:45しかし商売が軌道に乗り始めた頃 運命が一変します
00:36:04大正12年関東大震災
00:36:08正次郎は家も店もすべてを失ったのです
00:36:17正次郎の孫として 高一の母 戸志子が生まれたのは
00:36:22震災から7年後のことでした
00:36:27戸志子の子供時代は寂しいものでした
00:36:335歳の時に父親は高い
00:36:37翌年 母は再婚し 戸志子の下に弟たちも生まれました
00:36:469歳の時 戸志子は父方のおばの幼女となります
00:36:53両母春は神楽坂で芸者の浮世を営む女性でした
00:37:02そこで戸志子は強く惹かれる光景に出会います
00:37:08芸者の立ち居振る舞いや華やかさ
00:37:14磨き抜かれた三味線の音や踊りに 目を向かう
00:37:19芸者の立ち居振る舞いや華やかさ
00:37:24磨き抜かれた三味線の音や踊りに 目を向かう
00:37:29芸者の立ち居振る舞いや華やかさ
00:37:34磨き抜かれた三味線の音や踊りに 目を向かう
00:37:39芸者の立ち居振る舞いや華やかさ
00:37:44両母春で女性の稽古としての 習い事はしっかりやったという
00:37:51芸者の立ち居振る舞いや華やかさ
00:37:54戸志子と一緒に座敷に出ていた 義田よしこさんです
00:38:00こんにちは
00:38:02男通りがとても上手で展開いっぴんだったんですよ
00:38:09行こうよとかね ちょっとか行くやるな
00:38:13すしぶさがねやっぱりちょっと男になりますね ガラッと変わって
00:38:19お酒飲みで 炭火切るし
00:38:25清水の二郎町の姿みたいですね女二郎町
00:38:32そんな年子の姿に心を奪われたのが 三国でした
00:38:39結婚を申し込まれた時のことを俊子は語っていました
00:38:45帰るときに何か私だけを送りましょうって 神楽坂の方にずっと行きました
00:38:50そしたら何か一緒にならないかというふうなことで
00:38:55何もともかくできなくてもいいって私を信頼してくれって言うんですね ついてきてくるって言うもんですね
00:39:04昭和32年2人は結婚
00:39:08神楽坂に新居を構え新たな家庭を築き始めます
00:39:15いかがですか 安倍家の方もまたすごいですねその商人だったっていうのはご存知だった
00:39:22いやー全くじゃないです ただ彼女も母親本当にそういう先も言いません男っぷりがいいっていうか
00:39:30本当歌踊りに対してはすごく厳しくてお母さんはやっぱりそれは小さい時にやっぱり寂しい ちょっと少し寂しい老いたちだったっていうのもやっぱり関係しているんでしょうかねじゃないですかね
00:39:42だから芸事だけで芸事だけは絶対負けたくないっていう 本当に国が本当にそれは僕もしたけどやっぱり
00:39:52この人と一緒になったらその芸事のそれが全部自分のものになるんだ でも確かにみくりさんならそういうことを考えそうな
00:40:02いやだけどお母さんのその言うたら送っていくときに一緒になろうかっていうその プロポーズですよね岩盤
00:40:10それっていうのはいかがですかそういう経緯は何か らしいというかはいまあそれは本当ね
00:40:18いい時だったんですね
00:40:26結婚から3年後の昭和35年 長男高一が誕生します
00:40:35肉には本格派俳優への階段を登っていました
00:40:44代表作となる木が海峡では 過去に怯える男の人間の豪を演じ切ります
00:40:54三国の撮影現場を俳優石橋レンジさんは少し印象深くを覚えています 制作部から話していま
00:41:04三国さんとさっきず深さキンジ監督だったんですが 議論をちょっとしてて
00:41:11ファースですがちょっとお待ちくださいということになって 夜7時ぐらいから
00:41:17アクリルスの5時6時なんだ その税スタッフもあったらしい
00:41:27一つの映画に没頭すると肉には家を開けることが多くなっていきます
00:41:36幼い高一が父親と過ごす時間はほとんどありませんでした 撮影所言ったら
00:41:45トシコの式が残っています
00:41:50パパダメだよあんまり打ち明けちゃ
00:41:56最近のことですがパパは高一にやり込められて苦笑していましたとそのへ たんですよ
00:42:05でもパパの仕事に対する一途さを 三国連太郎をやめちゃえと言いながらも
00:42:13この頃高一も幼いなりに理解しているようです
00:42:20こーちゃんかわいそうだねー って言われるのが一番嫌で
00:42:24それが小学校定学年ぐらいの時
00:42:28なぁ自分はそういうふうな顔は一切 出さないっていうそういうことでした
00:42:37当時佐藤家と親しく交流していた北村さん
00:42:43三国から久しぶりの帰宅を告げる電話が入った時の トシコの様子が印象に残っています
00:42:53貴様が 本当に嬉しい顔なさったんですよね
00:42:58なんか ほんとなんか
00:43:00そういった一言ね 惚れたの惚れたのよっていうことをどの時かちょっと忘れたんですけど
00:43:10おっしゃったんですよ で笑って
00:43:15生きなことをそういう男女関係っていうのはあるんだな 素敵だなぁと思った覚えがあります
00:43:26しかし三国の家庭生活はほころびを見せ始めます
00:43:33返還前の沖縄で撮影された映画 神々の深き欲望
00:43:42撮影は2年に及び予算もつきかけ 三国は私欲にもできぬまま家に帰ることもありませんでした
00:43:54そして三国とトシコは離婚
00:44:00高一が11歳の時 三国は家を出て行きます
00:44:12昭和51年 三国の父ただしが亡くなりました
00:44:22三国はただしを見とってから まるで取り憑かれたように
00:44:27一つの映画に没頭していきます
00:44:33いかなる人も平等であることを説き 人間の抱える煩悩とも向き合った僧侶死んだ
00:44:41その生涯を描こうとしたのです
00:44:49構想準備に10年を費やし撮影をスタート
00:44:54三国自身が監督を務めました
00:45:02新蘭を演じた森山純久さんです
00:45:10新蘭が裸足で石の転がる山道を 降りるシーンでのことでした
00:45:24ストップ 何をやっているんですか
00:45:28と言われて 自分の靴を投げ捨てて
00:45:34靴下を脱いで そこを歩くんですよ
00:45:39どこが痛いんだ 何が痛いんだ
00:45:44何百人の人間が死んだんだ
00:45:49強いてあげられたものに 非常に赤いライトを当てている
00:46:02だけどそれだけでは終わっていないものを 感じるんですよ 三国さんの中では
00:46:09そういう悪業だと非難している 俺は何なの
00:46:16そういう自分の内面 動くべきものを追い続けて
00:46:22半端じゃない気持ちで 半端じゃないことで
00:46:25気持ちではない 追い続けて実践していった
00:46:29というような方だと思っています
00:46:34三国の胸には育ててくれた父ただしが 反骨の精神で生き抜いた姿がありました
00:46:44本当に涙を浮かべながら
00:46:51親父には感謝しているという風に
00:46:55だからどうでもよかったんじゃないでしょうか
00:46:59自分の父親がもしかして違うかもしれない
00:47:07それもどうでもよかったんじゃないですか
00:47:10俺の一番大事な親父が苦しんだ差別
00:47:14抑圧された生活
00:47:17そういったものに対して それを覆していこうと思う
00:47:23ものはお父様が胸にしっかり いらしたのではないかなと思います
00:47:30だから佐藤ただしじゃなかったら 三国レンタルは生まれなかったかもしれないですね
00:47:41高校生となった高一
00:47:44実家を出てアパートで一人暮らし始めます
00:47:50母とし子は離婚後 新たなパートナーを得ていました
00:48:00中学の頃からの50年来の友人 小林さんです
00:48:07一人暮らし 高校生が
00:48:13辛そうな時が一時期あったに記憶してますね
00:48:18ちゃんと飯食ってんのかよって 言った時が記憶があります
00:48:25そんな高一には 幼い頃の父との記憶が胸にありました
00:48:33本当にこれは感謝しているのは
00:48:36撮影の現場にいつも小さい僕を 連れて行ってくれたっていう
00:48:42幼い僕にすごく不思議な世界だとして見れて
00:48:46まるで本当に 宇宙基地みたいなように
00:48:51作られていく映画の様を 見せていただいたということ
00:48:56それを見ることができたということが
00:49:01やっぱり僕の今を作っている 何かではあると思うんです
00:49:09昭和55年 高一はドラマに出演
00:49:1319歳でデビューを果たします
00:49:17父に役者になることを伝えたのは
00:49:20ドラマの出演後のことでした
00:49:24東西線の早稲田の駅のホームで 役者をやろうと思う
00:49:30みくんに言った 馬鹿野郎の話を聞いて
00:49:36その馬鹿野郎の話を聞いて
00:49:40その馬鹿野郎の話を聞いて
00:49:46電車が来る前に 一言 あっそう
00:49:51というだけで わかった
00:49:55他にもうちょっと何か 言っていただけるものだと
00:49:59ばかり思ったら それだけだったんで
00:50:04後年 みくんには その時のことを語っていました
00:50:10みくんは裏方が何かを やるんだと思っていたみたいね
00:50:15役者って聞いても びっくり予定しちゃって
00:50:19どうしようかなと思ったみたいですよ
00:50:22でもNHKの放映を見て
00:50:25才能あるって 僕より才能あるって言ってました
00:50:29その後 映画が出たんですね
00:50:32青春の門 あれ見て
00:50:34なんとか一人で 一人出しできるかもしれないってことを言ってました
00:50:40関係者とかいるところで 見たくないんでしょ
00:50:43小石さんの映画見るときは 地方でよく見ました
00:50:46誰もいないところ
00:50:49全部見てますよ
00:50:57俳優となった小石は
00:50:59父 三国連太郎の存在を背負い 戦いを続けていました
00:51:0830代からその姿を見てきた 坂本隼次監督です
00:51:17早くにデビューした時に
00:51:20苦い思いというか 辛い思いをしている
00:51:26結局 お前みたいに苦労もせず 俳優になり上がっている
00:51:31っていうのを先輩たちに言われたり
00:51:34彼は自分の言葉を持つことを 必死でやってきたと思うんです
00:51:39孤立とか孤独とかから 生まれるんだと思うんですけど
00:51:46負けていく自分は嫌だっていうね
00:51:50自分で自分をカウンセリングしていくには
00:51:54何かしらの哲学を持っていなきゃいけないし
00:51:57言葉を持っていなきゃいけないから
00:51:59そうやって過ごしてきた時間が 長いと思いますよ
00:52:05デビューから16年
00:52:07小石は父 三国と初めて 共演することになります
00:52:13憎しみ 対立する 父と息子の物語でした
00:52:24ミスしやがった
00:52:29こういう立場で親父の芝居を 見るのもないですからね
00:52:34何か親が言うというのは 非常に幼すぎるか
00:52:37いやいや あそこもキャッチボールがあって
00:52:41なんかいざんとこう言ったら
00:52:43それで結論として 四郎が
00:52:46それはお袋の茶碗だというふうに ポツンと言い出すようにして
00:52:49あとは切っちゃった
00:52:51自分でいいようにいいように切って
00:52:54何ですかこれ
00:52:58その撮影現場は
00:53:00たびたびメディアで 負中が取り沙汰されていた
00:53:03世間のイメージとは異なるものでした
00:53:07メディアはそう描きたいだろうし
00:53:11メディアというか他社はそう思ってみた方が 楽しいだろうし
00:53:18中学はそれはいつでもあると思うし
00:53:21あったと思いますけどね
00:53:23自分自身自信がないから
00:53:26自分も何者なのか分からないから そう思ったわけで
00:53:29でも自分が佐藤恒一さん役者なんだって
00:53:32自分自身が分かったら 逃げ暮らせたり
00:53:35逃げられないんだろうが 父親なのは当たり前
00:53:39それを言われることもその通りでございます
00:53:43自分でそう言えるようになる ということだと思うんですけど
00:53:49恒一は32歳の時 俳優だった綾子さんと結婚
00:53:56そして平成8年 簡一郎が誕生します
00:54:05れんちゃんと呼ばせ
00:54:07誰よりも簡一郎を可愛がっていた肉に
00:54:13誕生日やクリスマスは 必ず家族揃って祝いました
00:54:27恒一が開くホームパーティーに たびたび参加していた
00:54:31俳優松本純さんです
00:54:36肉にさんにご挨拶すると
00:54:38かんがいつもお世話になってますって言ってくださる
00:54:42っていうのが恒例でしたね
00:54:46そこに参加させてもらっている人間からすると
00:54:48本当に親子3世代の
00:54:52簡一郎君にとっては優しいおじいちゃんっていう
00:54:56距離感の感じですかね
00:55:05当局省芹沢鴨
00:55:07藍津港の命によりお花畑にばかりと
00:55:1040代を過ぎて恒一は
00:55:12俳優として活躍の場を広げていきます
00:55:17新戦組っていう醍醐ドラマをやった時に
00:55:21芹沢鴨という役をやっていただいたんですけども
00:55:26肉にさんも以前 芹沢鴨の役をやってらっしゃるんですよ
00:55:32総合的に芹沢鴨を振り返ってみると
00:55:40僕から見た印象ですけども
00:55:44佐藤さんの勝ちって感じがしますね
00:55:47しかもその中にどこかやっぱり
00:55:49肉にさんの鴨が少し紛れ込んでる感じも
00:55:53本当に良かったし
00:55:55素敵な親子関係だなと思って
00:55:58晩年の三久には国民的映画となった
00:56:02釣りバカ日誌 スーさんの役柄で親しまれていました
00:56:19シリーズ後半の演出をした朝原雄三監督です
00:56:27本当に80歳に近くなってきて
00:56:30セリフがうまく入らないとか
00:56:32自分の中で思ったようにできないっていう時があるんですけど
00:56:36そういう時は本当に何度もやり直させてくれって言うんですよね
00:56:41でもその度に肉にさんは
00:56:43中学生たちに頭下げて
00:56:45すいませんもう一回やらせてください
00:56:46次はちゃんとやりますからって謝ってるんですよ
00:56:50自分自身に対するチャレンジっていうか
00:56:54まだ続いてたっていうか
00:56:58どんな舞台に立っても
00:57:00三久にのその姿勢は生涯変わりませんでした
00:57:04こう一度行った朗読劇です
00:57:11行くんではない
00:57:14私は手の父の手を振りながら
00:57:16その時父の開けが私の方を振るんだ
00:57:21なあ息子よ
00:57:25殴っていいのは
00:57:28相手を思う気持ちがある時だけ
00:57:37その後三久には体調を崩し
00:57:40入隊員を繰り返すようになります
00:57:46俳優さんってオンとオフがあると思うんですけど
00:57:49三久にさんが小市さんが来るとオンになる
00:57:52感じだったと思います
00:57:55なんかこうドローンとした目が
00:57:58光って感じになる
00:58:02誰々さんはどうしてますかねとか
00:58:05三久にさんの口から誰々さんっていう言葉は
00:58:08小市さん以外私は聞いたことないです
00:58:14映画の制作スタッフだった岩田さんが
00:58:17最後に三久にを見舞った時のことです
00:58:22もう僕のことが言っても
00:58:25もう分からないぐらい
00:58:27なってらしたんですよ
00:58:30失礼させていただきます本当に
00:58:33っていうご挨拶をしたら
00:58:36今日何時開始ですかって言われたんです
00:58:43シュッと戻ったんじゃないですか
00:58:46今日は何時開始ですかって言われたんで
00:58:50今日は撮影ないんでゆっくりお休みください
00:58:55後にも先にもそれが最後の言葉で
00:59:01いやもうちょっと涙が止まらなくて
00:59:06いやもう本当に
00:59:09今思い出してもちょっとダメですね
00:59:13平成25年
00:59:16佐藤雅夫はその生涯で
00:59:19183本の映画を三久にレンタローとして演じ切り
00:59:2490年の人生に幕を下ろしました
00:59:30そして簡一郎も俳優の道を
00:59:33歩き始めることになります
00:59:37息子から俳優になりたいと告げられた時
00:59:40光一は
00:59:44いやまさしく美国と一緒で
00:59:47そうとしか言いようがなかったです
00:59:50やっぱりそうなるか
00:59:55美国がいいことじゃなくて
00:59:58僕の言葉として言わせてもらえば
01:00:01いい出会いがあるかどうか
01:00:05その出会いだけ
01:00:08それに恵まれるように
01:00:11というのはいつも朝
01:00:14仏壇の親父に向かって言ってます
01:00:18光一くんが美国さんに
01:00:21役者になろうと思ってた時に
01:00:24ああそう一言だったって言ったし
01:00:27簡一郎が同じこと言ったら
01:00:30ああそうって結局
01:00:33明日の中には
01:00:36嬉しさが入ってるんですよ
01:00:39どこかで期待してたはずなの
01:00:42自分を乗り越えていくのを楽しみにしてる
01:00:49簡一郎のデビューから3年後
01:00:52光一は息子と初共演を果たしました
01:00:59いかがでしたでしょうか
01:01:04改めて
01:01:09危なく霊仙も崩壊したんですけど
01:01:12いやいや出していただいていいんですよ
01:01:15嫌です
01:01:18僕が見舞いに行って
01:01:21顔見に行って
01:01:24お前今何やってんだ
01:01:27こういう作品をやってるんだ
01:01:30明らかに嫉妬してるわけですよ
01:01:34芝居がしたいっていう
01:01:39それが逆に僕は
01:01:42嬉しくてね
01:01:45その気持ちがまだあるっていうことが
01:01:48活力なんだっていう
01:01:51最後までですね
01:01:54光一さんが来たらオンになるっておっしゃってましたもんね
01:01:58やっぱり息子であり
01:02:01役者として嫉妬する存在だったのかも
01:02:04であれたということは嬉しいです
01:02:07三国さんと光一さんっていう関係性もあるんですけど
01:02:10やっぱり三国さんにとっては
01:02:13お父さんの忠さんの存在っていうのが
01:02:16やっぱり非常に大きいものだったんですね
01:02:19僕を連れて行って
01:02:22光一
01:02:25自分のおじいちゃんだよっていうのは
01:02:28というのが根に何とか
01:02:31それが恒例というかね
01:02:34佐藤正しじゃなかったら
01:02:37三国連太郎は生まれなかったかもしれないって言わ
01:02:40あの言葉はどういう風に
01:02:43そういうことだと思います
01:02:46役者三国連太郎に繋がってるんですね
01:02:49お父さんの考え方とか反骨精神っていうのが
01:02:52三国連太郎がいなかったらやっぱり
01:02:55僕は佐藤光一にはなれなかった
01:03:04この日光一さんが妻彩子さんと取り組んできた
01:03:07ある映画が上映されます
01:03:15主人公は虐待やネグレクトを受け
01:03:18施設で育った若者たち
01:03:22本人が演じています
01:03:25好きな女作ってさ
01:03:27たくさん子供作ればいいんだ
01:03:31光一さんは施設の職員役を演じました
01:03:37光一さんと彩子さんは
01:03:39児童養護施設の子供たちを預かる
01:03:42短期週末佐藤やフレンドホームの活動を
01:03:45続けてきました
01:03:499歳で母親を亡くし
01:03:51養護施設で育った彩子さん
01:03:541年半佐藤家で暮らしました
01:03:59起死年齢があったりとかする時期があって
01:04:03でも光一さんが
01:04:08自死をしたりとかする人のニュースを見るたびに
01:04:11すごく悲しそうにするんですよね
01:04:15絶対残された人の気持ちを
01:04:18考えてないって言っていた時があって
01:04:21それを聞いて私
01:04:24こっそりトイレにお手洗いに行って
01:04:28泣いてしまって
01:04:31光一さんのことはパパって呼んでるんですけど
01:04:37本当に出会ってなかったら
01:04:41私今ここに存在してないんだろうなって思うというか
01:04:46フィリピン人の母親を持ち
01:04:4911歳まで国籍を持てなかったブローハンさん
01:04:55光一さんが黙って話を聞いてくれた後
01:04:58発した一言が胸に刺さったと言います
01:05:04ブローハン
01:05:07それは家族のためにとか
01:05:10友人のためにって言ってるけれども
01:05:14家族のせいにしていて
01:05:17友達のせいにしてるよって言われた
01:05:20その一言が確かにそうだなって思ったのは
01:05:23やっぱり僕が家族のせいにしている限り
01:05:26自分の人生は変わっていかないなって思っていたし
01:05:29あの天気がなかったら
01:05:32全然違う道また辿ってたんだろうなと思うと
01:05:35すごい感謝を光一さんにしています
01:05:38彼も本当に
01:05:41幼少期いろんなことがあったので
01:05:47たくさんの傷がまだね
01:05:50心の中に残っていて
01:05:53それを理解できるんじゃないですかね
01:05:56優しいと思います
01:05:59根本が
01:06:02優しい人です
01:06:06優しい人です
01:06:09その優しさはどこで培われたのだと思いますか
01:06:12本当はだから愛されて
01:06:15自分の記憶にないかもしれないけど
01:06:18多分すごく愛されて
01:06:21あった証だと私は思っています
01:06:27三国蓮太郎さんが亡くなってから
01:06:30今年で12年
01:06:3413回帰の会に
01:06:37俳優や関係者など400人が集いました
01:06:42不思議なもので
01:06:45幼児が出てくる
01:06:48なんとも自分で写真を見て
01:06:51ゾッとするときもあるんですよね
01:06:54これがそういう定めなのかなと思います
01:06:57三国さんが自ら監督出演した
01:07:00映画のフィルムが残されていました
01:07:06人生を諦めかけた主人公は
01:07:09アフガニスタンへ放浪の旅に出て
01:07:12一人の少年と出会います
01:07:17少年の役名を三国さんは
01:07:20メルビー、天使と名付けました
01:07:23メルビーは
01:07:26天使と名付けました
01:07:30別れた僕にとって
01:07:31光一っていうのは天使だったんです
01:07:34このときはもう子供の
01:07:36残してきた子供のことしか考えてないんです
01:07:4311歳のとき、別れた息子光一さん
01:07:50同じ俳優の道へ進んだ息子のことを
01:07:53三国さんはいつも心に留め見つめてきました
01:08:24僕が違いますね
01:08:31そして自らも父親となった光一さん
01:08:36関一郎さんの子育てに
01:08:38力を貸してくれたのはこの子
01:08:4340年代の友人、アカシアさんまさんです
01:08:53父親にずっと遊んでたんですけども
01:08:56光一もあんまり遊ばない
01:08:59なんで遊ばないのって聞いたら
01:09:02子供の男の子のお父さんっていうのが
01:09:08三国さんがその頃いらっしゃらなかったんで
01:09:11育て方がわからないって
01:09:14すごい悩んでらっしゃって
01:09:18それでも今こうして見てみると
01:09:21お父さんの背中を見ながら
01:09:24育ってる光一郎君はすごい
01:09:27だから子供と遊んだり何やりせんでも
01:09:30背中さえ見せとけば
01:09:33子供はちゃんと親を尊敬するんだと思う
01:09:37本当に不思議な感じですね
01:09:42似てしまうDNAが操作するのか
01:09:46見たくないと思ってると思うんですけども
01:09:49似ていくあの3人
01:09:53僕は楽しいです
01:09:58祖父、父に続き俳優となり
01:10:01今年9年目を迎える光一郎さん
01:10:05父、光一さんとの初共演は
01:10:08印象深いものだったといいます
01:10:12お前さ、簡単に売れるとか売れないとか言うな
01:10:15生意気だぞ
01:10:17パワハラですよ
01:10:20親父は誰が見ても緊張してるくらい
01:10:23カチカチだったんですよ
01:10:26平気なフリはするんですよ
01:10:29面白い一面を
01:10:32僕は子供時代見ることはなかったので
01:10:36この仕事を始めてから
01:10:39父という人を
01:10:43より深く知れた気がします
01:10:48一つの家族というのは文化であって
01:10:55うちの文化はお芝居であり
01:10:59映画だったと思っています
01:11:02であると思うんです
01:11:05大人になって
01:11:08すごくいい父親の背中を見れてたんだなと
01:11:11佐藤光一さんのファミリーヒストリー
01:11:15劇堂の時代
01:11:18反骨の精神で生き抜いた父親たち
01:11:21その背中を追い
01:11:24俳優として人間を演じ続ける
01:11:27家族の物語でした
01:11:31いかがでしたか?
01:11:34何でしょうね
01:11:37一言では言えないですけど
01:11:40はい
お勧め
20:54
|
次
1:15:09
1:10:43
44:28
59:22
43:59
49:56
10:58
1:59:52
1:28:50
13:57
1:43:19
1:09:28
59:25
28:58
1:16:39
46:01
4:00
1:41:52