プレイヤーにスキップメインコンテンツにスキップ
  • 1 年前
石炭から石油へ、エネルギー消費社会となった日本。1973年の石油危機は大きな見直しを迫った。エネルギーの多元化を目指し原発の誘致を進め、「サンシャイン計画」に着手。太陽光電池の開発が進む。90年代以降、風力発電など地域で再生可能エネルギーの導入が始まった。今政府は2030年までに再生可能エネルギーを総発電量の20%以上にする目標を掲げた。その軌跡を岩手県・葛巻町、北海道、福島など地域から見つめる。

カテゴリ

🗞
ニュース
トランスクリプション
00:00:00電園風景に風車が立つ山形県庄内町
00:00:14去年10月全国各地の自治体から多くの人々が視察に訪れていました
00:00:35この町の風力発電は1993年に自治体として全国で最初に取り組んだものとして知られています
00:00:54400キロワットが2台最初に立てたやつ
00:00:56こちらの方からずっときれいに一列に並んでそこまでが600キロワット
00:01:02全国風サミット
00:01:08庄内町で始まり去年18回目を迎えました
00:01:14不力発電に取り組む自治体が集まりその成果を報告します
00:01:24時代が大きく変わっているんだというふうなことを
00:01:26この不力発電事業を通じて原点に戻るというふうなことも含めて
00:01:32考えていまして
00:01:35現地で直接エネルギーを使える
00:01:38送電ロスもない送電経費もかからない
00:01:41そういったまさにエネルギーの地産地消をできる環境を望んでいるものであります
00:01:46国は2030年のエネルギー供給の在り方を発表しました
00:01:53そこで再生可能エネルギーによる電力を20%以上に高めようとしています
00:02:01新しいエネルギーを確保するということを高いを
00:02:06国としては一生懸命やっております
00:02:08福島の原発事故後
00:02:13中国を集めている風力や太陽光発電などの再生可能エネルギー
00:02:19戦後70年
00:02:24資源の少ない日本は新たなエネルギーをどう求めてきたのでしょうか
00:02:31ご視聴ありがとうございました
00:03:01ご視聴ありがとうございました
00:03:31海戦後
00:03:38復興の鍵を握ったエネルギー政策
00:03:42石炭
00:03:43そして石油へ
00:03:45高度経済成長が始まります
00:03:50しかし1973年石油危機が遅い政策の転換が迫られました
00:04:01それでどういう対策を取ったらいいかというと
00:04:06その国産でエネルギーを少なくとも3割は元と
00:04:11原子力発電が推進され
00:04:15同時に太陽電池など新たなエネルギーの模索も始まります
00:04:20太陽電池というものを率先して日本が完成して
00:04:28大量世代に持ち込んでいかなきゃ
00:04:30日本は資源がないだけに再度苦しむのではないかと
00:04:351990年代
00:04:38世界は地球温暖化の問題に直面
00:04:42日本でも再生可能エネルギーを推進しようと
00:04:47国会議員が動き出します
00:04:49やっぱりその何とか政治できなくみたいな話で
00:04:57石と石が十分できなかったと
00:04:59気温が乗り合わなかったと
00:05:00そして今福島の人々が格闘しています
00:05:06もう一回自分たちの足元資源を見直して
00:05:11自分たちでそのことのエネルギーをやっていくんだと
00:05:15エネルギー消費社会の在り方を問い続けてきた日本
00:05:21戦後のエネルギー政策を知られざる証言で見つめます
00:05:41北上山地の山あいの町岩手県くずまき町
00:05:46風力発電をはじめ再生可能エネルギーに力を入れています
00:05:54この風車の発電容量は400キロワット
00:06:001999年に建てられました
00:06:04クリーンエネルギーの取り組み始めて
00:06:09一番最初に建った町のシンボルですので
00:06:13このクリーンエネルギーが大々的に取り組まれるようになってきて
00:06:18自分の町をしっかり他にアピールできる
00:06:21いい材料になっているんじゃないかなという風には思います
00:06:23くずまき町は人口およそ7000
00:06:30林業と落農を主な産業としてきました
00:06:34町が今力を入れているのが
00:06:43エネルギーの自給率を高めることです
00:06:46中学校には50キロワットの大型の太陽光発電パネルが
00:06:53取り付けられ
00:06:54学校で日中使用する電力の4分の1を賄っています
00:07:00こうした再生可能エネルギーで生み出された電力を合わせると
00:07:08町のすべての電力消費量を上回っています
00:07:12ここに至るまでくずまきの人々はエネルギーとどう向き合ってきたのでしょうか
00:07:23ここは炭焼きの国です
00:07:36今日も窯の中で真っ黒になって働きます
00:07:42岩手県北部は古くから炭焼きが盛んでした
00:07:49多くは農業の傍ら山に入って炭を焼き
00:07:53暮らしを支えていました
00:07:55くずまきで落農を営む沢口孫吉さん
00:08:12敗戦から4年
00:08:15中学を卒業すると農業と炭焼きで
00:08:19自給自足の暮らしをしていました
00:08:21その頃は電気も当然なかった
00:08:26ほとんど町を
00:08:32お飯炊くのも暖を取るのも町だったわけです
00:08:38夏は農作業でしょ
00:08:41まず雑穀を作るための農作業
00:08:44それから現金収入は
00:08:49隅は地だけでしたね
00:08:52敗戦後の昭和20年代
00:08:56エネルギーの供給をどう立て直すかは
00:09:00喫緊の課題でした
00:09:02特に深刻だったのが電力不足でした
00:09:08当時電気の供給は戦時中から続く国策会社の
00:09:21日本発送電が統制していました
00:09:24しかし発電所の故障や燃料不足のため
00:09:30停電が相次いでいました
00:09:32火力発電所はもう止まっています
00:09:35東京のある火力発電所は
00:09:38戦災で壊れたのを修理しましたが
00:09:41石炭がありません
00:09:42現に東京では
00:09:44一日おきの停電が行われ
00:09:46そのため各工場の生産力は非常に減り
00:09:50今や電力危機の問題は
00:09:52楽観を許さない状態にあります
00:09:54占領統治に当たったGHQは
00:10:00電力の安定供給のため
00:10:02新たな体制づくりを命じます
00:10:05それに応じたのが
00:10:09電力の鬼と呼ばれた
00:10:12松永康左衛門でした
00:10:14戦前
00:10:16民間の電力会社を経営していた松永は
00:10:19国策会社の解体に踏み切ります
00:10:22大分世の中も幼いにかかった
00:10:27何とか電力でもしてやらなきゃいかんと思う
00:10:31誰もそう骨折るものがない
00:10:35だから僕はその時分に
00:10:3824年頃から
00:10:39何とか電力をしてやらなきゃいかん
00:10:42ということを言い出してね
00:10:44それからそんなことを言っているうちに
00:10:48電力の再編成の委員長に選ばれ
00:10:54それを喧嘩するようにして
00:11:00再編成というものは行われて
00:11:04松永は全国を9つに分け
00:11:11民間の活力を生かした
00:11:13新たな電力会社を立ち上げます
00:11:151951年
00:11:19東京電力をはじめとした
00:11:21旧電力体制がスタートします
00:11:24その後
00:11:31電力会社が大型水力発電所の建設に着手
00:11:36大量の電気を都市へ供給していきました
00:11:421960年代になると
00:11:49岩手県のくず巻町でも
00:11:52電気が身近に使われ始めます
00:11:55その様子を記録したフィルムが
00:11:59町の公民館に残っていました
00:12:02その頃に地区の電気が入ったという状況です
00:12:09まだ電力会社からの電気が届かず
00:12:25無電灯地区と呼ばれた集落では
00:12:28電気を待ちきれず
00:12:30自前で発電する人々も
00:12:32少なくありませんでした
00:12:34規模開拓組合長によって検討されました
00:12:40思い出しました
00:12:50これです確か
00:12:54これですこれです
00:12:57なかなかそれ珍しいもんだからね
00:13:09結構見物する人ありましたよ
00:13:13その玄関のとこが体育館だったんだな昔ね
00:13:19同じ頃沢口さんが住む集落に
00:13:24初めて電気が届きました
00:13:27とにかく電気が通ったということで
00:13:33祝賀会ですよね
00:13:35お祝いをしたんです
00:13:37ここで
00:13:40はい
00:13:4137年2月1日から
00:13:47くずまき変電所の運転を開始しました
00:13:511962年
00:13:56くずまき町に東北電力の変電所が開設され
00:14:01これを境に電気が町中に広く行き届くようになりました
00:14:07150年くらいかな
00:14:09それでもその田舎ではそのくらい集まれば
00:14:13大変ぬにやかな方です
00:14:15いやーみんな大喜びでしたよ
00:14:19電気が通ったということでね
00:14:22すごいではみんな本当にあの
00:14:25文明の灯火のね
00:14:29恩恵の預かったということで
00:14:31みんな喜んであの
00:14:32ぬにやかにやりました
00:14:34いやーやっぱりその
00:14:39すごくなんか
00:14:42自分が良かったですね
00:14:44明るいなーって
00:14:46本当にこれから明るいどこで
00:14:48暮らすんだなーという思いでした
00:14:51その頃
00:14:58日本のエネルギー政策は
00:15:00大きな転換期を迎えていました
00:15:02石炭から石油へ
00:15:06エネルギーシフトが進められたのです
00:15:09炭鉱の閉鎖が相次い
00:15:15三井三池炭鉱では
00:15:17労働葬儀が1年近くにわたって続きました
00:15:211962年に石油の輸入が自由化されると
00:15:30転換が一気に進みます
00:15:32安くてエネルギー効率の良い石油は
00:15:39産業の発展をもたらしました
00:15:51オリンピックを機に
00:15:57高度経済成長が一気に加速
00:15:59大量生産とともに消費が拡大し
00:16:03エネルギー消費も倍増していきます
00:16:06人々は豊かさを求め
00:16:13都市へと向かいました
00:16:15岩手県の葛巻町でも
00:16:20集団就職で多くの若者たちが
00:16:23ふるさとを離れていきました
00:16:25この頃、落納を始めた沢口さん
00:16:37冬場は横浜へ出稼ぎに出るなど
00:16:41暮らしも大きく変わりました
00:16:43石油を使うような田舎でも
00:16:51なってきたんですよね
00:16:52そしたらもう炭は今度は安くなって
00:16:58木炭が安くなって
00:17:00木炭作っていっても
00:17:05あんまり財産が合わないようになって
00:17:07木炭墨やじというのは
00:17:10二人でいったわけです
00:17:11電池地具でも何でも新しいものができて
00:17:18電池屋さんも一生懸命売り込みが来るからね
00:17:23それを知らないでいっても
00:17:26買わせられたり
00:17:27まず便利になったり
00:17:31暮らしが良くなってくると同時に
00:17:36お金がかかる時代が来たなというのを
00:17:41誰も感じたようでしたね
00:17:43その頃は
00:17:44電気や石油の普及とともに訪れた
00:17:50エネルギー消費社会
00:17:52それまで地域でエネルギーを自給していた
00:17:57くずまきの人々の暮らしは
00:17:59大きく変貌していったのです
00:18:021970年
00:18:15大阪万博が開かれます
00:18:17人々は新しいエネルギーで
00:18:21生み出された光を目の当たりにします
00:18:24原子の火
00:18:27福井県の鶴ヶ原子力発電所から
00:18:31送られた電気です
00:18:32万博を企画準備した
00:18:38通商産業省の堺谷太一さん
00:18:41石油に代わる新たなエネルギーの
00:18:45必要性を感じていたといいます
00:18:4869年
00:18:5369年からね
00:18:55人類の石油資源
00:18:58あの固いマイドールをというやつですね
00:19:01これが減り出しているというのはね
00:19:03報じられたんです
00:19:06これはBP
00:19:08ブリティッシュペトロイムの
00:19:11その報告でですね
00:19:13それがやっぱりショックでした
00:19:16大変この
00:19:20日本の
00:19:21エネルギー石油は危ないと
00:19:25これはもう私の持論でございまして
00:19:30堺谷さんが有利をしていたのは
00:19:32日本のエネルギー自給率でした
00:19:36石炭が主力だった1960年には
00:19:40およそ6割でしたが
00:19:42石油にシフトした結果
00:19:441970年には15%にまで落ち込んでいました
00:19:49エネルギーの供給量の比率では
00:19:53石油が75%を超え
00:19:56ほとんどが輸入に頼っていました
00:19:59日本の石油は非常に中東移動
00:20:06輸入石油がどんどん増えて
00:20:08石炭も水力も限界になってきた
00:20:12それでどういう対策を取ったらいいかというと
00:20:14その国産でエネルギーを少なくとも
00:20:183割はもとと
00:20:20国産というのは結局
00:20:22原子力と
00:20:24サンシャインというか
00:20:26自然エネルギーであると
00:20:291973年8月
00:20:32政府は太陽熱など
00:20:35新たなエネルギーの開発を発表
00:20:38サンシャイン定格と名付け
00:20:40準備を進めていました
00:20:46その矢先の10月
00:20:49日本のエネルギー政策が大きく揺らぎます
00:20:53中東戦争の煽りを受けた石油危機
00:20:56オイルショックです
00:20:59節電が奨励され
00:21:06省エネルギーが進められます
00:21:14一方、田中角栄首相は
00:21:17新たなエネルギーに活路を求めます
00:21:20その中心は原子力でした
00:21:23石油問題がここまで来たら
00:21:29原子力発電がどんなに必要であるか
00:21:33もう全く議論がない
00:21:35抜本的な対策を
00:21:37政府が責任を持って行う
00:21:40この際、思い切って国が表に出てですね
00:21:46この問題に積極的に取り組んでいかなきゃいけない
00:21:50という趣旨の発言をして
00:21:52そこで原発推進への
00:21:57ジャンプといいますか
00:21:59踏み切りというのがされたわけですよね
00:22:02やっぱりそこで田中さんが強調されたのは
00:22:05いつまでも中東依存しておったら
00:22:09今回のようなことになると
00:22:11やっぱり早くその
00:22:13純国産エネルギーである原子力に
00:22:19切り替えていかなきゃいけないという点を
00:22:22強調したと思いますね
00:22:26田中首相は原発を誘致する自治体に
00:22:30交付金を支給する
00:22:32いわゆる電源散歩を成立させ推進します
00:22:39その一方で
00:22:40サンシャイン計画を立案した通産省は
00:22:43再生可能エネルギーの実用化を目指して
00:22:46動き出しました
00:22:48何か日本で作れるようなエネルギーがないかと
00:22:55いうので自然エネルギー
00:22:57太陽光とか風力とかですね
00:22:59そういうものを開発するプロジェクトを
00:23:02立て上げたらいいなということがあったんです
00:23:06太陽光、太陽光、熱、風力、あるいは地熱
00:23:12そういった国産でできるエネルギーですね
00:23:16これを当時は非常に高価高かった
00:23:21これを技術を開発して
00:23:24引き合うような値段にできないかな
00:23:27ここから始まりです
00:23:29動き出したサンシャイン計画
00:23:36その技術開発のため
00:23:38各地に実験施設が作られていきます
00:23:43瀬戸内海沿岸の香川県旧仁王町
00:23:48沿田の跡地を活用しようと
00:23:50サンシャイン計画に関心を示しました
00:23:54中心になって誘致を進めたのが
00:24:01仁王町長だった三宅久雄さんです
00:24:10三宅町長の下で誘致に奔走したのが
00:24:13町の企画課長と町議会議員でした
00:24:18その頃確かね
00:24:20全国7カ所ぐらいね
00:24:22広報値がすでに出ていたらしいです
00:24:24で、おそまきながら
00:24:26仁王町本を乗り出すと
00:24:27川県知事さんをはじめですね
00:24:29大勢の四国経済連合会の会社さんとか
00:24:32もう要所の方々全部ね
00:24:35まとまって陳情に行ったわけですわ
00:24:37それが始まりでね
00:24:39みんなやっぱり日の玉になってやろうと
00:24:42方向が決まったら一致して力を入れた
00:24:48さらに三宅町長は
00:24:51香川県選出の国会議員
00:24:53大平正義にも働きかけます
00:25:00後に首相となった大平は
00:25:02省エネルックを披露するなど
00:25:04エネルギー政策に積極的に取り組んでいました
00:25:08激しい誘致合戦の末、仁王町にプラントの建設が決まりました
00:25:20ああ
00:25:22激しい誘致合戦の末、仁王町にプラントの建設が決まりました
00:25:351981年、試験運転が始まります
00:25:39どうもおめでとうございます
00:25:41ありがとうございました
00:25:42長かったですね
00:25:43長かったですね
00:25:44長かったです
00:25:45もうこの日を待っておったわけですから
00:25:48太陽熱発電については
00:25:49確かに世界のお庭になったと私は思っています
00:25:52このプラントは太陽の熱を鏡で反射させて
00:26:14中心の塔の一点に集めます
00:26:17そこで水を熱して発生した蒸気で
00:26:21タービンを回し発電するものです
00:26:24庁議会議員だった楠本久雄さんは
00:26:32太陽熱発電を町おこしの起爆剤にしようと
00:26:36あるイベントを企画しました
00:26:38これが太陽化学博物館でソーラリアムと名付けて
00:26:47太陽白の時のメーン会場で
00:26:50すごい道具たくさんの人が来られた
00:26:57この外側がずっとあそこから出て
00:27:01いろいろ施設を見ることができたんですね
00:27:05あれから
00:27:06ニオ太陽白
00:27:17プラントの実験開始に合わせて開幕しました
00:27:21およそ2年半の開催期間中
00:27:26延べ100万人を超える人々が訪れました
00:27:33太陽熱発電で沸かしたお湯など
00:27:36未来のエネルギーを体験できるコーナーが設けられました
00:27:41地元は太陽エネルギーブームに沸きました
00:27:56もう未来を見たような気がしましたよね。
00:28:23しかし実験は壁に突き当たりました
00:28:30サンシャイン計画に参加した科学者の一人
00:28:38当時東京大学教授の加谷陽一さんです
00:28:44やってみて非常に良かったという話は
00:28:49残念ながら聞けなかったという気がします
00:28:53当然ながら気象によってかなり出力が左右されますし
00:29:01瀬戸内海だから非常に天気が良いと思ったのかもしれませんけれども
00:29:07実験をやってみた限りでは必ずしもそう言い切れなかった
00:29:14結局太陽熱発電は実用化にはいられませんでした
00:29:22いよいよ来年の3月で終わりますけれども
00:29:25終わりますと太陽の日が消えるわけですが
00:29:29しかし油が有限であるということはもうこれははっきりした事実ですから
00:29:34この研究の成果が必ず私は利用してもらえる時期が来ると思うんです
00:29:41一方民間では太陽電池の研究が始まっていました
00:29:53太陽の光を吸収して電気に変えて発電しようというものです
00:30:06京セラの名誉会長稲森和夫さん
00:30:10オイルショックをきっかけに独自に太陽電池の開発を始めました
00:30:21セラミックスを使った絶縁体で業績を伸ばした稲森さん
00:30:26その技術を太陽電池に応用しました
00:30:31ちょうどオイルショックがあってですね
00:30:33起こってもともとエネルギーは輸入国ですから
00:30:38太陽光発電というものがエネルギー源として
00:30:43大きなウエイトを占めるようになっていくのではないかと
00:30:46言われておりましたので
00:30:47それをやはり日本で独自にですね
00:30:52優秀な太陽光発電の機器設備等を日本で作らなければ
00:31:07それを海外から輸入したのではですね
00:31:10さらに日本の将来が問題だと思ったものですから
00:31:14どうしても日本でそれを作り上げていきたいというふうに思って始まったんですけども
00:31:24同じ頃太陽電池を使った商品を開発した人がいました
00:31:29当時山陽電機の研究員で後に社長となった桑野幸典さんです
00:31:36これがですね
00:31:38その
00:31:401980年今から
00:31:4436年前に
00:31:46初めて
00:31:48ここに太陽電池があるんですけど
00:31:50これで
00:31:52これを隠しますとね
00:31:54太陽電池を隠すと
00:31:56表示が消えると
00:31:58消えますね
00:32:00エレクトロニクス用にまず使ってみようということで
00:32:02このソーラー電卓っていうのをやって
00:32:06こういう応用があるよということを見せて
00:32:10そのステップとして
00:32:12タオ電池を続ければ
00:32:14太陽光発電の時代
00:32:16すなわち屋根の上に乗せて
00:32:18家庭の電気を賄えるという時代が来ると
00:32:20その一歩としてこういうことがあるということを
00:32:24参戦本部にお見せしたんですね
00:32:26それはまあ
00:32:28その当時の通産省ですけど
00:32:30幹部は非常によく理解をして
00:32:32分かったということで
00:32:34我々も入れていただいたということですね
00:32:36なるほどね
00:32:38でまずその太陽光
00:32:40太陽熱というものを
00:32:42安く作れる技術を
00:32:44コストダウンを実際に
00:32:46実行するのは企業なんですよね
00:32:48理論的には
00:32:50研究所でもできますけど
00:32:52だから
00:32:54だから生産の設備
00:32:58生産設備を作らないと
00:33:00実際にコストダウンが
00:33:02実現できませんから
00:33:04そうすると生産設備を
00:33:06作れるというのはやっぱり
00:33:08企業様にお願いするよりしょうがない
00:33:10と考えたんですね
00:33:121980年代
00:33:18日本はバブル景気に沸き
00:33:20さらなる消費社会へと
00:33:22突き進みます
00:33:26自動車や家電製品が
00:33:28街にあふれました
00:33:30オイルショック以降
00:33:36抑制されていたエネルギーの消費量も
00:33:38バブルを機に
00:33:40再び増加していきます
00:33:45オイルショックの時
00:33:4775%だった石油への依存度は
00:33:5012年後の1985年には
00:33:5455%まで下がりました
00:33:57国産エネルギーとして
00:34:00期待された原子力の比率は
00:34:02一気に9.1%まで伸びます
00:34:07サンシャイン計画で開発を目指した
00:34:10再生可能エネルギーは
00:34:121.3%と伸び悩んでいました
00:34:20どうしたら太陽光発電の普及を
00:34:22拡大できるのか
00:34:24京セラの稲森さんは
00:34:26山陽電機の桑野さんとともに
00:34:29太陽光発電混和会を結成
00:34:33コストの問題を克服するために
00:34:36発電した電気から利益を生み出す
00:34:39仕組みが必要だと訴えます
00:34:41どうしてもこれを普及されるためには
00:34:46電力系統にオレフとしてつないで
00:34:51電源としてこれを使ってもらうように
00:34:55すべきだと思ったものですから
00:34:58買い取ってもらえるのであれば
00:35:00太陽電池の普及に
00:35:01貢献すると思ったのです
00:35:05それまでは発電した電気は
00:35:08自家消費するしかなく
00:35:10足りない分は
00:35:11送電線から電気を買うなどしていました
00:35:16それに対して発電した電気を送電線に
00:35:19系統を連携し
00:35:22電力会社に売るシステムを作る必要がありました
00:35:30しかし技術面の問題などから
00:35:33電力会社の反応は冷ややかでした
00:35:35なんで電力会社は電気を売る会社なのに
00:35:43なぜ小原さんの電気を買わなきゃいけないのか
00:35:47というのが趣旨の話があったりして
00:35:50オイルショックの時代の
00:35:52そういう問題を含めて説明をしたのです
00:35:58非常にネガティブでした
00:36:00非常に不安定な電気であれば
00:36:03電力が発生するし
00:36:04曇ってくると電力は発生しませんし
00:36:07非常に不安定な電力をつながられると困る
00:36:10というのが最初の印象でした
00:36:14稲森さんと桑野さんは
00:36:18サンシャイン計画で進められた
00:36:20太陽光発電システムの実験に加わりました
00:36:34太陽光発電の電気を
00:36:40送電線に系統連携する技術が開発されていきます
00:36:45通産省も電力会社に連携を働きかけました
00:36:49私はその頃
00:36:53再生エネルギーなり系統の連携に
00:36:59後ろ向きであることは
00:37:02原子力も含めて電力全体にとって
00:37:05マイナスなんだということを
00:37:07だいぶ議論してその方向で動いたということですね
00:37:12日本の電力の
00:37:15体制とエネルギー全体の事情からいって
00:37:19大型電源最優先というのは
00:37:21ある程度やむを得ないところがあったですね
00:37:25原子力にしろ火力にしろ
00:37:28そういう意味で大型電源の
00:37:32原子力は特にシンボリックな
00:37:35中心的な課題だったわけですけども
00:37:39ただそのために
00:37:41分散型あるいは先端技術の
00:37:45新しい技術に対して
00:37:49拒否する
00:37:51あるいは消極的姿勢維持していくっていうのは
00:37:54世の中でそういうのに対する
00:37:57期待感が高いだけにマイナスだと
00:37:59やっぱりその
00:38:01もっと総合的に柔軟にね
00:38:03これから取り組んでいく
00:38:071992年
00:38:09電力会社が余剰電力の買取を始めます
00:38:15住宅用に発電して電力が余った場合
00:38:20それを買い取ることを認めたのです
00:38:23桑野さんは早速自宅の屋根に
00:38:29開発中の太陽電池を乗せました
00:38:32発電した電気を初めて電力会社に売る
00:38:37桑野発電所を開設します
00:38:39乾杯
00:38:43おめでとうございます
00:38:46もう感激でしたね
00:38:48実際にあの日は晴れてね
00:38:51晴れた日だったので
00:38:54水中を入れた途端に
00:38:56円盤型の石炭電力機が逆転
00:39:00逆回転し始めたので
00:39:02みんなで見て、ああすごいなと
00:39:04しかしこれは一歩なんですね
00:39:06これずっと広げていくっていうことをやら
00:39:11これからは広げていくっていうのをやらなきゃいけないというふうに思いました
00:39:161993年
00:39:20京セラは、住宅用の太陽光発電システムを
00:39:25日本で初めて販売します
00:39:30当然、量産をしていけば太陽パネルも
00:39:35うんと安く作れるようになっていくだろうと思うしですね
00:39:38だから最初はコスト割であってもですね
00:39:42そういうね、各家手で使ってもらうようにすればですね
00:39:45当然普及していって大量財産できるだろうと
00:39:48そうするとコストも下げられるというふうに思ったからです
00:39:52稲森さんと桑野さんはその後も太陽光発電を普及させるため
00:40:00設置の際の補助金制度も勝ち取りました
00:40:04日本の太陽光発電システムは海外にも進出します
00:40:151990年代後半には太陽電池の生産量が世界一となりました
00:40:311986年
00:40:35世界のエネルギー事情に大きな衝撃を与える出来事が
00:40:41ソビエトで起こります
00:40:43チェルノブイリ原発事故です
00:40:48欧米では大気汚染と環境破壊に反対する市民運動が活発化します
00:40:57さらに二酸化炭素CO2の排出による地球温暖化の問題が持ち上がります
00:41:12CO2の排出が増える一方で
00:41:15それを吸収する森の多くが伐採され環境破壊が進みます
00:41:22地球温暖化をどう食い止めるのか
00:41:271991年パリでOECDの環境問題閣僚会議が開かれます
00:41:34日本から愛知和夫環境庁長官が出席しました
00:41:41とにかくあらゆる手段を講じて
00:41:46みんな知恵を出していかなきゃなりませんからね
00:41:49この目的達成するためにはですね
00:41:52これはまた我々政治家の立場から言うと
00:41:55どうやって国民のコンセンサスを作るか
00:41:57理解を求めていくかというのは難しいわけですが
00:41:59しかしその辺をこれから私ども努力しなきゃならない
00:42:05課題だと思ってますけど
00:42:08それはもうCO2を抑えるなんていう発想がね
00:42:13だいたい全然なかったんですから
00:42:15その通販省なり電力会社なり
00:42:19あるいは産業界全体の中に
00:42:21でだいたいそのCO2が温暖化の原因だということ
00:42:26まだ本当にその確立されてなかったですから
00:42:29学問的にもね
00:42:31だからCO2削減なんて話は
00:42:33全く相手にされなかったような気がしますね
00:42:38それじゃあそれで何ができるかというと
00:42:41やっぱりやることは身近なところからですよね
00:42:44それにはそういうことを一生懸命やってる
00:42:47NGOの人たちや何かと一緒に取り組むということが大事だと
00:42:52いうような思いを非常に強くしたのを覚えてますけど
00:42:54エネルギー供給量の比率はどう推移したのでしょうか
00:43:01石油への依存度は85年から10年間ほとんど変わりませんでした
00:43:07石油に代わる国産エネルギーでは原子力が増加します
00:43:17再生可能エネルギーは2.8%になりました
00:43:213社員計画に関わった加谷陽一さんです
00:43:32その後、通産省の諮問機関で
00:43:36エネルギー政策の立案に携わりました
00:43:391990年以来、常にこの3つの問題
00:43:44つまり、具体的に言うと
00:43:48供給安定性と経済発展と
00:43:52CO2の抑制というのを
00:43:55どうバーアンスを取るかというのが
00:43:58いつも問題になってきたので
00:44:00この時でもそれをどうしようかというので
00:44:02それを議論としてやっていました
00:44:07もちろん再生可能エネルギーが伸ばせれば
00:44:10こんな意図ではないのですが
00:44:12水力はほとんど日本の場合は限界に来ていましたし
00:44:17太陽光発電は一生懸命やっているけれども
00:44:22まだ太陽電池の値段が高くて
00:44:27とても大幅に広めるという状況がなかった
00:44:30そうすればやはり答えはですね
00:44:33需要を抑えて原子力を伸ばすという
00:44:36あざらにないんじゃないでしょうか
00:44:41原子力発電所は
00:44:431970年代後半から増え続け
00:44:4690年代半ばには
00:44:49すでに48基の原子炉が稼働
00:44:52さらに3基の建設が進んでいました
00:44:55北海道では
00:44:57トマリ原子力発電所が
00:45:001989年から運転を開始していました
00:45:04これに対して
00:45:09北海道の労組や生活共同組合などが
00:45:12反対運動を続けていました
00:45:13原発の是非を問う住民投票を行うよう
00:45:29100万人を超える署名を集め
00:45:31議会に条例の制定を求めました
00:45:35投票総数106票
00:45:39白票52票
00:45:41正票54票
00:45:44以上の通り正票が多数であります
00:45:47よって本件は否決されました
00:45:50異様の閉鎖を解きました
00:45:51住民投票の条例案は
00:45:54帰結されました
00:45:58その後3号機の増設計画が持ち上がります
00:46:02生活クラブ政教北海道の職員だった
00:46:07鈴木徹さん
00:46:08反対運動の行き詰まりを感じていました
00:46:15また同じような形の運動で
00:46:20本当に止められるんだろうか
00:46:23多分みんな思ってたんじゃないかな
00:46:26という気はしています
00:46:28私自身もそう思ってましたし
00:46:30それはそれでやるべきだと
00:46:32続けるべきだと思うんですね
00:46:34ただそれだけでは難しいのかなという思いがあって
00:46:38運動することに意義があるとか
00:46:43目的があるみたいになってしまいがちじゃないですか
00:46:47こういう死に運動っていうのはね
00:46:49でも本当にやっぱりそういう
00:46:51エネルギーや電力の仕組みを変えていくという
00:46:56ふうにしていかないとね
00:46:59変わらないんじゃないかというふうに
00:47:02やっぱり私はどっかで思ってた
00:47:05というのがありますよね
00:47:08鈴木さんは海外の興味深い動きを知る人と出会い
00:47:13勉強会に招きました
00:47:15東北大学教授の長谷川光一さんです
00:47:19長谷川さんはアメリカのカリフォルニア州で
00:47:29エネルギーをめぐる住民と電力公社との対話を
00:47:33長年調査しました
00:47:341989年
00:47:41カリフォルニア州サクラメントで
00:47:44事故続きだった原発が
00:47:47住民投票の末閉鎖されます
00:47:52その後の電力をどうするのか
00:47:55電力公社と市民は
00:47:58議論の末
00:48:01節電や植林など
00:48:02さまざまな取り組みを始めます
00:48:05さらに
00:48:09再生可能エネルギーを増やそうと
00:48:12考えられたのが
00:48:14グリーン料金制度です
00:48:16通常の電力料金より
00:48:18月額4ドル多く支払うものです
00:48:22住民は通常の電気料金に
00:48:274ドル上乗せした額を支払います
00:48:30電力公社はそれを
00:48:33太陽光発電の設備投資に充てます
00:48:36支払った人はさらに
00:48:40自宅の屋根を貸し出すことで
00:48:42その普及に協力しようという取り組みです
00:48:44太陽光発電
00:48:48割高につくわけですね
00:48:50割高につくそのコストを
00:48:52誰が負担するのかっていう
00:48:54電力会社が負担するっていう
00:48:59でもそれは電力会社は結局
00:49:03電気料金によって支えられているわけですから
00:49:06消費者がまんべんなく負担するってことになりますよね
00:49:09電気料金で負担するっていう
00:49:10このグリーン電気料金の考え方っていうのは
00:49:15一種のボランティア的に
00:49:17ある人たちが支えますっていうことですよね
00:49:21400円だったらコーヒーいっぱいだと
00:49:24コーヒーいっぱいをみんながこう
00:49:27一世帯ごとにですね
00:49:29拠出しあって
00:49:31まとまったお金にするっていうことだったら
00:49:34難しくないねって
00:49:36カリフォルニアの試みを
00:49:40鈴木さんは北海道で活かせないかと考えます
00:49:44これもやっぱりすごく新鮮というか
00:49:49ある意味目から鱗が落ちるような
00:49:51そういう出会いがあってですね
00:49:54電力を供給する側も
00:49:56それを消費する側もですね
00:49:59一緒に議論をするとか
00:50:01それからお互いに何か一つのことを一緒にやるとかね
00:50:06それから消費者としてできることを
00:50:11エネルギーや電力の事業の中に参加していくというね
00:50:16そういう可能性みたいなものがすごく
00:50:20そのときは思いましたね
00:50:24鈴木さんたちは市民共同発電所をつくろうと呼びかけます
00:50:33電気料金に5%を上乗せして支払う
00:50:38グリーン電気料金運動を提案
00:50:40さらに新会社北海道グリーンファンドを立ち上げて
00:50:47出資も募りました
00:50:49その結果1000人を超える市民から
00:50:531億6000万円が集まりました
00:50:552001年
00:51:05北海道のオホーツク海沿岸に
00:51:081台の風車が完成します
00:51:11通称浜風茶
00:51:13全国初の市民風車
00:51:25出資した市民の名前が刻まれています
00:51:32その後、鈴木さんたち市民出資の風車は
00:51:3614基建設されました
00:51:38多くの人がね
00:51:44実際にお金を出してくれた
00:51:47お金を出すって結構大変なことですから
00:51:50そのリスクを取ってでも
00:51:54やっぱりこれに賭けようっていう人たちが
00:51:57それだけいたっていうのはね
00:51:59やっぱり手応えを感じたものがありましたし
00:52:02たかだか1本の市民風車ですけどね
00:52:04その奥行きの深さっていうか
00:52:06そこから切り開いていける
00:52:10次の新しい社会みたいなものを
00:52:14ちょっと感じましたね
00:52:16同じ頃、電力会社も
00:52:21新しい取り組みを始めていました
00:52:24北海道電力は風力発電の事業者から
00:52:29電気を長期間一定の金額で購入する制度を始めます
00:52:33これが銀行の融資や
00:52:37企業からの出資を促していきます
00:52:40こうした長期電力購入は全国で行われたため
00:52:49企業や自治体の多くが発電事業に乗り出しました
00:52:53かつて、薪や炭など森の資源で自給していた
00:53:05岩手県の葛巻町です
00:53:07風力発電の取り組みが進む全国の動きに関心を持った人がいました
00:53:18当時、庁議会議員だった中崎和久さんです
00:53:24それで、あの、企業の方々は
00:53:33じゃあその、山の中で風向のいいところはないかって
00:53:39日本各地を調査してられてるんです
00:53:41で、たまたまその時、あの、くず巻の稜線を見た人が
00:53:46ここは良さそうだな、という人がおったわけですね
00:53:51まあ、なぜならばちょうど山の上は牧草地だったので
00:53:56木もないし何もない、だから調査もしやすい
00:54:00そんなことでまあ、目をつけていたわけです
00:54:03まあ、これはやる価値があるだろう、という
00:54:06で、私はあの、議会の中では率先して
00:54:12まあ、挑戦した方がいいよ、という
00:54:14中崎さんは、風力発電の実情を知るため
00:54:19先進地を視察することを提案
00:54:231998年、12人の庁議会議員が
00:54:29ヨーロッパに向かいました
00:54:31デンマークを訪れたとき目にしたのが
00:54:37田園風景に立ち並ぶ風車でした
00:54:39その頃、ヨーロッパでは、デンマークやドイツを中心に
00:54:50風力発電の導入が進んでいました
00:54:531990年代、ヨーロッパでは、電力の自由化や
00:54:59発電と送電を分離する発送電分離などが進みます
00:55:03再生可能エネルギーの普及に必要なインフラが整備されていったのです
00:55:10この風車をね、間近にご覧になったときっていうのは、どういうふうに感じました?
00:55:19相関でしたね、やっぱりね
00:55:21こんなでかいもので、どうやって
00:55:27立てて、どうやって電気がいってるかっていうのをまず
00:55:32見て、そして行って、その理屈を勉強するわけです
00:55:40それ以外に単純に言うとですね、あの
00:55:45デンマークの畜産そのもののあり方みたいな
00:55:49酪農だとか、養豚
00:55:53そこから出る、いわゆる糞尿だとか、いろんなものを
00:55:57利活用している、畜産バイオマス発電、糞尿処理
00:56:04それも、あの
00:56:07現状をきちっと見ることができましたし
00:56:12もともと、くずまきは、その糞尿の処理をどうするかという問題で
00:56:16みんな頭を悩ましてたのを、どう解決するかという
00:56:20だから私たちも、これをうまく利用しましょうと
00:56:26もともと、捨てるものだとか、厄介なものだとか
00:56:31邪魔者をうまく利用しようという流れは
00:56:35くずまきにあったので、もともと
00:56:38だからそれと合わせてエネルギーも
00:56:41それをうまく利用していきましょうと
00:56:43デンマーク視察の翌年、1999年
00:56:50中崎さんの提案は、くずまき町新エネルギービジョンとしてまとめられます
00:56:57基本理念は、天の恵みと地の恵み
00:57:03そして、先人が守り育み、受け継いできた人の恵みを生かし
00:57:08新エネルギーを推進することでした
00:57:10その年、町が4分の1を出資し、放牧場に3基の風車が建設されました
00:57:23楽能を営んできた、沢口孫吉さんです
00:57:41乳牛の糞をどう処理するのか、頭を悩ませてきました
00:57:46町では、1万頭近い牛が飼育されています
00:57:54その糞尿を使った、蓄粉バイオマス発電を行う施設も作りました
00:58:02町の森林組合の理事でもあった中崎さん
00:58:17気にかけていたことがもう一つありました
00:58:21森が荒れ始めていたのです
00:58:26木材の値段が安いため
00:58:34切り出しが進まず、手入れや間伐が行き届いていませんでした
00:58:45以前は木炭だとかそういうもので生活ができたんですけど
00:58:51今はなかなかそういうことにならなかったので
00:58:54もう手をかけれなかったという時代ですよね
00:58:59そうだからそれがまたまた木炭だとか薪だとかってなってくれば
00:59:06またこれは手をかけて切り出してそれに使ってもらって
00:59:09エネルギーとして使ってもらってまたやれるという
00:59:12そこで中崎さんたち森林組合は
00:59:20岩手大量窯と呼ばれる窯を復活し
00:59:24木炭の生産を再開しました
00:59:29都会の料理店などに新たな販路を求め増産していきます
00:59:35木を切り出した後、再び植林し
00:59:39森を再生しているのです
00:59:45地域にあるエネルギーだとか
00:59:49産物をしっかりと地域で自家消費をしながら生活をしてきたのを
00:59:55もう一度そういう時代のことを思い出しながら
00:59:59もう一度それを繰り返しましょうという
01:00:01私はエネルギーこそ地産地消だと思うんです
01:00:04地域エネルギーは地域で賄う
01:00:10それは森の豊かなところでは森でもってエネルギーを賄えばいいし
01:00:16水の豊かなところは水でもってエネルギーを
01:00:19ですから風力でも太陽光でも
01:00:23今考えられる栗エネルギーをやれるとこには
01:00:26どんどんどんどん推進をしながら
01:00:29町の持っている自然エネルギーを使って
01:00:33町のいわゆる電気の利用率だとかそういうものをですね
01:00:41自給率を高めましょうと
01:00:441990年代後半
01:00:48日本のエネルギー自給率は
01:00:51オイルショックの頃より5%増え
01:00:54およそ20%となりました
01:00:59こうした中
01:01:011997年地球温暖化防止京都会議
01:01:06COP3が開かれます
01:01:10先進国がCO2の削減目標を話し合いました
01:01:14東京都議定書が締結され
01:01:24CO2削減の数値目標が取り決められました
01:01:28京都議定書が締結され
01:01:38CO2削減の数値目標が取り決められました
01:01:47京都議定書を受けて
01:01:49通産省はエネルギーの長期見通しを新たに立て直します
01:01:53電力供給量の比率では
01:01:59当時30%余りだった原子力を
01:02:032010年には45%にまで高めようとします
01:02:10再生可能エネルギーによる電力は
01:02:130.5%から4倍の2%に伸ばそうとします
01:02:18温暖化の削減という目標
01:02:25それを具体的に
01:02:28エネルギー受給の形の中に
01:02:31どう表すかというのが
01:02:33一つの大きなポイントだった
01:02:35やはりそうなると
01:02:38まず一番大きいのは小エネルギーですね
01:02:42ですからエネルギーの伸びを
01:02:44できるだけ抑えるということが一つと
01:02:45やはり原子力に
01:02:48あう程度頑張ってもらわないと
01:02:50減りませんから
01:02:52新エネルギーを増やすべきだという考え方は
01:02:55私もあったんですが
01:02:57現実の問題として
01:02:59太陽電池の値段が
01:03:02まだ相当高いと
01:03:04そうした場合に
01:03:06これをどうやって増やすかというのが
01:03:08一つのポイントになったわけです
01:03:09この頃、企業や自治体などを中心に
01:03:15省エネルギーへの取り組みが
01:03:17積極的に行われます
01:03:19ハイブリッドカーやエコ家電など
01:03:24自動車や家電製品の省エネ化が進みます
01:03:27東京都では
01:03:33事業所へのCO2排出削減を義務づけていくなど
01:03:38温暖化対策が進められていきます
01:03:41エネルギーの消費量は
01:03:471990年代に入り
01:03:49バブル時代の勢いは止まりましたが
01:03:52高い水準にとどまっていました
01:03:53200人を超える超党派の国会議員が
01:04:03再生可能エネルギーの促進を目指す
01:04:07会長に就任したのは
01:04:12元環境庁長官の愛知和夫さんでした
01:04:19自然エネルギーはもう
01:04:22そっちにいろんな意味の勢力が
01:04:26資金的にももちろんそうだけど
01:04:28重点がいかないと
01:04:30どうしても原発の方にいっちゃうと
01:04:32原発なしっていうわけにもいかないです
01:04:34それはもちろん現実問題ってそうだけど
01:04:35そうだけど
01:04:37それをこんなの話っていうか
01:04:41何か制限がなければ
01:04:43どうしてもそっちにいっちゃうんですね
01:04:45やっぱりそれはもう国民生活に直結する話だから
01:04:48やっぱり国会で議論しなきゃダメじゃないかと
01:04:51それはまさにその自然エネルギーっていうのは
01:04:54これからメインになるべきだと
01:04:55再生可能エネルギーを産業として育成するために
01:05:05愛知さんたちはドイツですでに実施されていた制度を
01:05:09日本に導入しようと提案します
01:05:11固定価格買取制度です
01:05:19電力会社は発電事業者が再生可能エネルギーで発電した電気を
01:05:26固定価格で全て買い取らなければなりません
01:05:30この制度のもと
01:05:35ドイツでは1990年代から風力発電を中心に
01:05:41再生可能エネルギーの導入が始まり
01:05:45その供給量が伸びていました
01:05:52一方経済産業省を中心に構想したのが
01:05:56固定枠買取制度です
01:06:00電力会社は供給する全ての電気のうち
01:06:05固定の割合を固定枠として
01:06:08再生可能エネルギーで発電した電気にしなければなりません
01:06:19供給量で見ると固定価格買取では
01:06:23発電事業者が増えれば再生可能エネルギーは増加します
01:06:27一方固定枠買取では
01:06:32一定枠の供給が義務付けられますが
01:06:35それ以上供給するかどうかは
01:06:38電力会社の判断に委ねられ
01:06:41発電事業者の参入は制限されることになります
01:06:46価格は固定価格買取の場合
01:06:50長期間固定されますが
01:06:53固定枠買取の場合
01:06:55売り手と買い手の交渉によって決まります
01:06:592つの制度のどちらを選ぶのか
01:07:04議論は経済産業省の
01:07:07新エネルギー部会に持ち込まれます
01:07:09当時、東京大学大学院教授の山地賢治委員が
01:07:21固定価格買取を批判します
01:07:24補助を上乗せした価格をあらかじめ設定して
01:07:29買取義務を負わせるなどという計画経済的方策では
01:07:33市場競争力のある再生可能エネルギーには
01:07:38結びつかないと考える
01:07:40買取価格を決めたのでは
01:07:44その価格を下げようというインセンティブは
01:07:46働かないんじゃないかということです
01:07:48同じ再生可能エネルギーの導入量を
01:07:51できるだけ負担が少なく
01:07:53つまり効率的に達成する必要がある
01:07:55そういうふうに思ったわけですね
01:07:57そのためには固定価格で買取というよりも
01:08:00量の目的を決めて
01:08:01その中は競争でやってください
01:08:04というほうが
01:08:06効率的な目標達成になるだろうと
01:08:10これに対し
01:08:12NPO法人代表の飯田哲成委員が
01:08:16固定価格買取制度を押す立場から反論します
01:08:21固定価格買取制度は
01:08:24価格を固定していわば決めてしまう
01:08:27それを計画経済といえば計画経済ですが
01:08:29ところが量は自由なわけです
01:08:32いくらでも入れてください
01:08:34という話でそこは自由競争なんですね
01:08:38固定枠はいかにも価格を競っているので市場的ですけど
01:08:43実は枠を国が決めるんですね
01:08:46市場の枠を決めてしまうというのは
01:08:49これこそいかにも計画経済的でですね
01:08:51自然エネルギーの初期というのは
01:08:55プレイヤーが少なすぎるので市場にならないんですね
01:08:59そもそも作る人が少ない
01:09:02経験者も少ない
01:09:04経験者が少ないときには
01:09:06ちゃんと市場を開拓できるような
01:09:08優しい制度から始めることが妥当だろうと
01:09:12一方、東京電力副社長の勝又恒久委員はこう述べます
01:09:22新エネルギーの長短特質はきちっと整理して
01:09:27その上で育ててどんどん使っていくのだけれど
01:09:32限界がある
01:09:33議論の末、新エネルギー部会は報告書でこう結論づけます
01:09:43クォータ、固定枠を設定することにより
01:09:50効率的な目標達成が期待される
01:09:53結局、固定枠買取制度が選択されました
01:10:032002年、新たな法律が国会で成立します
01:10:15固定枠買取制度は、発電事業者にさまざまな影響を与えました
01:10:20市民風車を始めた北海道グリーンファンドの鈴木徹さん
01:10:33新規建設を前に壁に突き当たりました
01:10:37まあ、その買取枠、電力の買取枠ですね
01:10:42制限されるという中で、例えば大手さんなんかだと
01:10:47非常に大きなウィンドファームの取り組みとか
01:10:51あってですね、やっぱりそれは相対の取引になりますんでね
01:10:57やっぱり発言権も強いと
01:11:00我々の高々ポツンと一本の風車ですから買い叩かれて
01:11:03本当に事業もギリギリですよね
01:11:08で、成り立つような
01:11:12買取の価格ですね、買取の価格
01:11:16まずやっぱりこういう取り組みはね、僕は生き残っていれば
01:11:21きっといつかまた春が来ると思っていて
01:11:23一つ一つのプロジェクトですね
01:11:24まあ、進み方は遅く、ペースは遅くなるかもしれないけど
01:11:30着実に広げていこうというのがありましたね
01:11:34同じ頃、構造改革を進める国は
01:11:40住宅に太陽光発電を設置する際の補助金の支給を打ち切ります
01:11:45それまで太陽電池の生産量で世界一を誇っていた日本は
01:11:542008年に中国とドイツに抜かれました
01:11:57いや、それは国内でやっぱりそういう大きな需要がないものですからね
01:12:05それはもうしようがないと思いましたね
01:12:07せっかく心血添えでやってきた太陽電池事業が
01:12:14大きく育っていくかと思ったけれども
01:12:19そうでもなくなってしまったということは
01:12:22非常に悲しい思いがしておりました
01:12:24一方、国際社会では地球温暖化対策に関心が集まります
01:12:342008年、東亜湖で開かれたサミット
01:12:41福田康夫首相は福田ビジョンを発表しました
01:12:46今こそ私たちは産業革命後に作り上げられた
01:12:50化石エネルギーへの依存を断ち切り
01:12:54そして将来一世代のための低炭素社会へと大きく
01:12:58舵を切らなければいけないという時にきたと
01:13:01太陽光発電の導入量を2030年までに40倍にすると宣言
01:13:09設置の際の補助金制度も復活しました
01:13:12民主党への政権交代後、再生可能エネルギーをめぐる政策に転機が訪れます
01:13:27全量買取方式の固定価格買取制度の導入や
01:13:34地球温暖化対策のための税の導入など
01:13:38具体的に施策を実施する段階に移行しており
01:13:43これらにより国内でのCO2排出削減を着実に進めてまいりたいと思います
01:13:482011年3月11日
01:13:57菅直人首相はこの日の午前中の閣議で
01:14:02電力の固定価格買取の法案を閣議決定します
01:14:11その日の午後
01:14:18震災から5ヶ月後の2011年8月
01:14:34賛成237、反対ゼロ
01:14:38よって法案は前回一致をもって可決されました
01:14:46固定価格買取制度が成立します
01:14:49スイッチオン
01:14:57新制度がスタートすると
01:15:00様々な業種から事業への参入が相次ぎました
01:15:04長い目で見れば再生可能エネルギーは一番安い発電コストのものになるのではないかと
01:15:13震災前、エネルギー自給率はおよそ20%でした
01:15:19しかし震災後、各地の原子力発電所が運転停止となり
01:15:242012年、6.3%まで落ち込みました
01:15:28やはり震災を経て
01:15:34原子力という非常に大規模なエネルギー供給をする電源が一気になくなってしまったと
01:15:43一時的にですね
01:15:45という中で、やはりエネルギー自給を考えていく際に
01:15:50これに代替するものとして
01:15:52再生可能エネルギーに対する脚光というのが一気に高まったんだと思うんですね
01:15:57実際にそれを受けて、特に太陽光を中心でありますけれども
01:16:01相当量の導入が急速に進んできています
01:16:05地球温暖化の問題ももちろんされることながら
01:16:08エネルギーの安定供給ということを考えたときにですね
01:16:12再生可能エネルギーをまずは最大導入
01:16:16もう急速に導入させていく必要性
01:16:21それで社会にどうやったら受け入れられていくだろうかということを検証し
01:16:26導入を進めていかなきゃいけないと
01:16:28大きくなれ 大きくなれ
01:16:33原発事故のあった福島です
01:16:38被災地では、住民の帰還に向けて
01:16:45新たなまちづくりの準備も進められています
01:16:49震災後、福島では再生可能エネルギー研究所が開設
01:16:59ここを拠点に、新たな技術の開発に乗り出しました
01:17:10福島第一原子力発電所の沖合では、新たな実験も始まりました
01:17:15世界初の、海に浮かぶ洋上風力発電施設です
01:17:25福島県は、2012年に
01:17:32再生可能エネルギー推進ビジョンを発表しました
01:17:352040年頃をめどに、県内のエネルギー需要量の100%以上を
01:17:46再生可能エネルギーで賄おうという高い目標を掲げています
01:17:55この原発事故を反転、構成して
01:17:58やっぱり世界の最先端が集まって、世界が中止する
01:18:02再生可能エネルギー、これをしっかりと想像していきましょう
01:18:12発電事業への参入が活発となる中
01:18:16作り酒屋の旧代名、佐藤八宇衛門さんは
01:18:20藍津電力を立ち上げました
01:18:25佐藤さんは、固定価格買取制度を使って
01:18:28藍津地方に2500キロワットの太陽光発電施設を作りました
01:18:35私たちは自分たちのエネルギーは自分たちで作り出すと
01:18:40太陽光で良し、自分たちの地域で使うエネルギーなんてのは
01:18:44もう地元で簡単に作れるんです
01:18:46藍津電力では、さらに新たな発電を模索しています
01:18:52砂防ダムを利用した小水力発電です
01:18:59ダムの上流に水をため、別のルートに水を引いて落下させ、発電する試みです
01:19:08水力や太陽光、バイオマスなどで、小規模分散型の発電を目指しているのです
01:19:22水力や太陽光、バイオマスなどで、小規模分散型の発電を目指しているのです
01:19:34地域が、地域の再生化のエネルギーで持って地域を豊かにする
01:19:41そしてもう一回、自分たちの足元資源を見直して
01:19:45自分たちでそのことのエネルギーをやっていくんだと
01:19:49それはあくまでも地元の人たちが、地元の人たちのためにやって
01:19:54地元の人たちに還元される発電会社になっているのかということ
01:19:57そのことによって、雇用が発生し、お金が回り、豊かさが出る、利益が出たら、それをまた投資していけるという
01:20:06今こそ地方を生かすために、地方で再生可能エネルギーを推進すべきですよ
01:20:11去年、政府はエネルギー供給の将来像、いわゆるエネルギーミックスを発表しました
01:20:21政府としては、再生可能エネルギーの最大限の導入を進め
01:20:312030年の発電電力量の約2割をさらに上回る水準の導入を目指すこととしています
01:20:40技術開発や規制改革等を組み合わせて、今後とも再生可能エネルギーの最大限導入を目指して
01:20:48全力を挙げていく考えであります
01:20:51再生可能エネルギーは、現在の10%余りから、2030年には20%以上に高め、原子力は20から22%としています
01:21:09去年夏には、鹿児島県の仙台原発が再稼働しました
01:21:14今年の春には、電力の小売りが自由化されます
01:21:30ガス会社やIT企業などからの参入が相次いでいます
01:21:35さらに、電力システムの改革も進められ、2020年には発電と送電の運用を分ける発送電分離も予定されています
01:21:52資源エネルギー庁は、再生可能エネルギーの未来をどう構想しているのでしょうか
01:22:02このエネルギーミックスの中で、再生可能エネルギーというのは、22から24%というウェイト
01:22:11これはかなり高い水準だと思いますけれども
01:22:13これを達成することによって、化石燃料に頼らない
01:22:17できる限り頼らない、自給自足ができる
01:22:21ウェイトを高めていく、そういうエネルギー供給体制を作っていくと
01:22:24再生可能エネルギーの導入を進め、本格的に導入を進めていくためには、いわゆる電力のシステム
01:22:32この安定供給をするための仕組みとして、蓄電池ですとか、出力の予測ですとか
01:22:39今度は再エネが入ってくる、分散型の電源になっていくということに応じて
01:22:44電力線、送電線の整備というのが必要になってくるのかもしれません
01:22:48やっていく中で、クリアできるかどうか
01:22:51これが実現できれば、22から24%というのは達成できる目標だと思います
01:22:57そして達成しなければならない、そういう目標なんだと思います
01:23:03今、世界ではシェールガスなど、新たなエネルギーの開発が進み
01:23:09原油価格が下落しています
01:23:12さらに、中国の経済発展など、エネルギー消費の拡大も進んでいます
01:23:21エネルギーの未来に、何が問われているのでしょうか
01:23:28将来的には、化石燃料はもっともっと減らさないといけないでしょうね
01:23:34そうすると、やはり自然エネルギーが一番伸びる、伸びしろのあるものだと思います
01:23:44レーダーというか、ビジョニストが必要なときだと思います
01:23:50それは、一つは電力の耐性
01:23:54もう一つは、この石油の安さ
01:23:58特にこれからまた、石油が安くなると、石油に移動しようという圧力もかかってくると思います
01:24:08だから、そういう時々の変化にまとわされないで
01:24:1330年、50年、100年の経済をね
01:24:17しっかりと、このエネルギーでは立てなければいけないと思いますね
01:24:23日本の役割は、やっぱり技術面で
01:24:26エネルギー、新しいエネルギーをどうするかとか
01:24:29小エネルギーなんか、まだまだ小エネルギーの余地がありますから
01:24:33そういうところで、日本が科学技術の力を発揮していくとか
01:24:39いっぱいあると思いますね
01:24:41そういうことを含めて、それを日本だけでまずはやると
01:24:46その次は、それを世界に発信していくと
01:24:49それで、世界がビックリするようなことを言い出すという
01:24:53ような発想も必要なんじゃないかと、場によっては思いますけど
01:24:57大量生産をしていけば、経済は発展するんだという
01:25:01現在の正式というのは、そういうメカニズムで出来上がっているわけです
01:25:06そういう中で、たるを知るということをですね
01:25:09もっともっと、みんなに分かってもらって
01:25:13現在の状況で、みんな、つつましく生きていくという
01:25:18人類全体が生きていくということをしなければ
01:25:21今世紀末には、おそらく地球人口が100億を超えるだろうと思います
01:25:27そうすると、その時にはですね、エネルギーがおろか
01:25:31いわゆる食料も不足するだろうと思いますし
01:25:33おそらく、それをきっかけに地域紛争が勃発していくだろうと思いますし
01:25:38それが放置していきますと、おそらく地球上の人類が
01:25:44滅亡に瀕するかもしれないという、急がありますので
01:25:48たるを知るという、そういう概念を
01:25:51もっと、世界中の住宅者が殺せればならないときじゃなかったのかと
01:25:57こう思っています
01:26:03岩手県葛巻町
01:26:06北上山地の尾根伝いに
01:26:08今、12基の風車が稼働しています
01:26:14さらに、22基の風車を建設するプロジェクトも進められ
01:26:19エネルギーの自給自足を目指しています
01:26:28かつて、デンマークを訪れ
01:26:30再生可能エネルギーの普及に努めてきた
01:26:33中崎和久さんです
01:26:35森の資源を見直そうと、薪ストーブを呼びかけています
01:26:50こういうのをもっと広げていかなきゃいけないし
01:26:53もうどんどんどんどんどんどん増えてます、地元でも
01:26:55もう、ついこの間も何軒か取り付けてますから
01:26:59中崎さんは、毎年都会の子どもたちを
01:27:01葛巻の森に招いています
01:27:03自然を大切にし、資源を活用することの意味を
01:27:08子どもたちに伝える取り組みです
01:27:12私たちは、私たちはしっかりと木を切って、利用をして
01:27:19そしてまた植えて、それを次の世代に残していく
01:27:24ただ、森を歩いたのにも、いろんな感じ方が
01:27:27私たちは、しっかりと木を切って、利用をして
01:27:34そしてまた植えて、それを次の世代に残していく
01:27:39ただ、森を歩いたのにも、いろんな感じ方があります
01:27:43風を感じることもそうです
01:27:45お日様を直接感じることもそうです
01:27:48これからどうやっていけばいいのかなっていうことを
01:27:51皆さんもよく考えてみてください
01:27:53私たちの生活を支えるエネルギー資源
01:27:59子どもたちの未来へ、どう受け継いでいくのか
01:28:04一人一人に問いかけられています
01:28:10私たちの生活を支えるエネルギー資源
01:28:16私たちの生活を支えるエネルギー資源
01:28:18私たちの生活を支えるエネルギー実施に
01:28:28私たちの生活を支えるエネルギーに
01:28:34ご視聴ありがとうございました

お勧め