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  • 1 年前
戦後、家から出られないいわば「座敷ろう」状態に置かれた障害者。その後、重い障害のある子を抱える親たちが国を動かし、障害者施設が充実していく。しかし70年代、施設は社会からの隔離だと当事者たちが反発。81年の国連・国際障害者年を機に、障害者が他の人と同じように地域で暮らす“ノーマライゼーション”の理念が広がっていく。障害のある人もない人も共に暮らせる社会を目指した戦後の歩みを、当事者の証言でたどる。

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ニュース
トランスクリプション
00:00あの日濁流に飲み込まれた集落
00:195年前ここで一人の男性が命を落としました
00:45佐藤正明さん去年35
00:48全身の筋力が衰える難病
00:51キンジストロフィーでした
00:53その時ちょうどヘルパーはいませんでした
00:59近所に住む親族が駆けつけたといいます
01:03彼をベッドから車椅子に移動させようと思った瞬間に
01:10この角度で見ると
01:12やれの上を津波を越えてくるのが見えたそうなんですね
01:16津波だーっと大きな声で咲くんだら
01:19佐藤さんは10日後
01:34がれきの下から見つかりました
01:36東日本大震災では1600人以上の障害者が犠牲となりました
01:48被災した市町村への調査では
01:52障害者の死亡率は全住民の2倍に上りました
01:57それから5年
02:03佐藤さんを支援していた福祉事業所では
02:07死亡率2倍の格差を乗り越えようと
02:11障害者の防災について研修を繰り返しています
02:15障害者の避難訓練は地域の人と一体になって取り組んでいます
02:26共に生きるということが地域に根を張っていくと
02:34当然その延長上に災害時の対応について
02:40地域の中で話が出てくる
02:42どこどこのばあちゃんは誰が助けに行くとかね
02:45どこどこの車椅子の彼はどうするとか
02:48そういう話が自然に出てくると思うんですね
02:51今日本は障害のある人もない人も
02:58共に暮らせる社会に向けて
03:00大きく動き始めています
03:024月には障害を理由にした差別を禁止する法律が施行されます
03:09戦後70年
03:12障害者の福祉はどのように歩んできたのでしょうか
03:21ご視聴ありがとうございました
03:51ご視聴ありがとうございました
04:21戦後
04:28障害者の福祉は困窮した小異軍人の訴えから始まりました
04:33高度経済成長期
04:42障害のある子を抱える親たちの訴えが国を動かし
04:47障害者施設が次々と作られます
04:52どんなに障害が重くても一生懸命生きてるんです
04:56ところが1970年代
05:01障害者たちが施設は社会からの隔離だと行政に激しく抗議します
05:08入っている人には悪いけどごみ捨て場ですね
05:141981年国連の国際障害者年
05:21障害者も地域で他の人と同じように暮らすべきだという考え方が広がります
05:27どこに住みたいか誰と住みたいかということをちゃんと自分で決められるようにする
05:352005年
05:37障害者に金銭的な負担を求める新しい制度が波紋を呼びました
05:43厚労省の職員も本当に苦労したんですよ
05:48人殺しと何回罵られて
05:50いや障害者施設は普通の人と同じようには暮らしたらなけれどですか
06:01戦後の障害者福祉を重度の身体障害者を中心に行政や支援者の証言でたどっていきます
06:13東京都世田谷区にある公明特別支援学校
06:32身体に障害のある子どもたち190人が学んでいます
06:381932年
06:42日本で初めての死体不自由時の公立学校として設立されました
06:48校長室に1本の16ミリフィルムが保管されています
06:57これですね
07:00その中に太平洋戦争中の子どもたちの様子を捉えた映像がありました
07:09当時こうした学校は数少なく
07:15障害のある子どもが学校で学ぶこと自体珍しかったといいます
07:20軍事教練に取り組む様子も映されていました
07:29この学校の卒業生
07:36花田春長さん90歳です
07:39脳性麻痺のため手足や言語に重い障害があります
07:44戦争中
07:48障害者は肩身の狭い思いを強いられたといいます
07:52徴兵検査を受けるため父親と車で出かけた時のことです
08:01担当の将校が
08:12ドアも開けないで
08:19帰った
08:21帰った
08:26交通兵の兵ですね
08:28兵種不合格
08:32それで終わりに
08:36窓越しに
08:39見ただけで
08:42帰った
08:45バカにするなと思って
08:54人間扱いしてない
08:58敗戦を迎えた日本
09:05GHQの占領下で戦後のスタートを切ります
09:09焼け野原となった町で
09:13人々は物不足の中
09:15困窮生活を強いられました
09:18戦争は数多くの障害者を見ました
09:27戦闘で障害を負った
09:30焼夷軍人は
09:3132万人に上りました
09:33非軍事化政策を進めるGHQは
09:40軍人恩急など
09:42焼夷軍人への支援の打ち切りを命じます
09:45生活に困窮した人々は
09:51街頭などで募金を訴えました
09:53乗っていた戦艦が爆撃を受け
10:00両目を失明した
10:02川人義明さんです
10:04一番困ったのは
10:07元軍人に一切援助をして
10:09何やないということだって
10:11入院してても入院費がいるわけだ
10:14今度は
10:16なんで生活はできませんやんか
10:18このまま行けてても知らない
10:21小さな人々も歩けるから行くって
10:23踏み切りに立ったんです
10:25遮断機が上がる
10:27遮断機が降りる
10:28そうなんでしばらく立てて
10:30そこで立てたんですよ
10:32救済を求める焼夷軍人たち
10:50しかし
10:52GHQの占領下
10:53政府は救済に動けませんでした
10:56そんな時
11:00アメリカから一人の女性が来日します
11:0330区の障害で知られる
11:06ヘレン・ケラー
11:08社会活動家として活躍していました
11:11ヘレン・ケラーは全国を講演して回り
11:17政府やGHQとも混乱
11:19身体障害者への支援を訴えます
11:23これを機に政府は
11:27焼夷軍人だけでなく
11:29身体障害者全体に対象を広げた法律を作ります
11:341949年
11:37日本で初めてできた
11:39障害者のための法律
11:41身体障害者福祉法
11:44義足や義手などの給付や職業訓練など
11:50社会復帰を目的としたものでした
11:53一方で
12:04法律の対象とならなかった人たちもいます
12:08これは厚生省が発行した法律の手引書
12:12厚生の見込みの全くないと認められる
12:17スコップル重度の障害者は含まない
12:22法律の対象外となった重度の障害者は
12:41家族による保護に頼るしかなかったといいます
12:44米国産
12:49米国産
12:50米国産
12:53所在者などでかけんなさいなと思っておいて
12:59大 하면
13:03大好きなあると思うからな
13:08大好きな
13:11花田さんは1947年 障害者のための文芸雑誌 篠の目を立ち上げます
13:20思い障害のある人たちが詩や俳句などで 思いをとろしていました
13:27ある男性の詩です
13:50四角い窓 僕は空の広さを知らない
13:55空はしょっちゅう黒い木の枠に収まった 四角いもの
14:01その四角い空が薄く霞めば

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