尾崎豊   関係者との決別の経緯
  • 5 年前
1990年に入り音楽事務所マザーエンタープライズと決別し、新たな事務所である「ロード アンド スカイ」、新たなレコード会社として「CBSソニー」へと移籍し、11月に2年2か月ぶりとなるアルバム『誕生』をリリースした尾崎であったが、アルバムリリースの直後に「ロード アンド スカイ」を離脱する事となる。原因は、周囲の人間が金儲けのために自分に近づいているという猜疑心から来るものであった[1]。

代表取締役社長である高橋信彦は、「業界に対して、非常に不信感を持っているなと思いました。だから、僕としては、彼がこの先、ひとり立ちをしてもいいように、音楽業界というもののシステムや、人間とのつながりの大切さなどを身につけていってほしいと思ったんです。疑ってかかるよりも、まず、知ることを」と語っている。しかし、尾崎はマスコミ不信を顕にし、雑誌の取材などでも突然怒り出すことや、難解な言葉を多用してインタビューが成立しない事などが多々あったため、高橋は全てのインタビューを須藤晃が行うように要請する事となった[1]。

ある日『週刊プレイボーイ』の取材当日に尾崎が現れず、確認したところ手に怪我をし、病院に向かったためであると判明した。尾崎は手を9針縫っており、手には包帯が巻かれていた[注釈 1]。取材を終えた尾崎は、その足で「ロード アンド スカイ」に赴き、事務所を辞める意向を伝えるとともに、高橋と一緒に事務所を作りたいという要請をする。しかし、高橋は取材などの仕事でしか尾崎と接触していなかったため、疑心暗鬼の対象となっておらず、状況が変われば自分にも疑いの目が向けられると悟り、その要請を断った[1]。