当時、シンセサイザーを駆使した音楽としては、すでにドイツのタンジェリン・ドリームやクラフトワーク、イギリスのEL&P、日本の冨田勲などが有名であった。そんな中で現れたYMOの音楽は、日本において当時の若い世代を中心に熱狂的に受け入れられた。そのため、YMO結成、そしてクラフトワークの「人間解体」発売、また同じくシンセサイザーを多用したディーヴォの「頽廃的美学論」の発売がなされた1978年を「テクノ元年」と呼ぶ者も存在する[要出典]。また英米・英語圏の音楽界に対しても少なからぬ音楽的影響力を残しており、例えば「U・T」(アルバム『BGM』収録。)はトランス・テクノ、「RIOT IN LAGOS」(坂本龍一のソロアルバム『B-2 UNIT』収録。1980年の第2回ワールド・ツアーのオープニングで演奏された。)は、ヒップホップのそれぞれ始祖であると、後に英米で評されている[要出典]。