1945年の“学校日誌”見つかる

  • 8 年前
1945年の“学校日誌”見つかる

2015年12月11日(金) 21時37分

福岡県久留米市の小学校で、終戦の年・1945年の学校日誌が見つかっていたことがわかりました。

戦争に翻弄される学校の様子が、1日も欠かすことなく、記されていました。

表紙の文字はかすれて読めなくなり、色あせてしまった1冊の日誌。

久留米市立大善寺小学校の1945年の記録です。

●発見時の状況を話す大善寺小学校・市川昌庸校長 「私が、探し物をしてたらですね、この書棚の奥のところに、これが置いてあったんですね」 Q見つけた時は? 「昭和20年だからですね、
戦争の時の記録なんで、正直、びっくりしました」

日誌は去年11月、校長室の本棚で見つかりました。

1945年の1月1日から12月31日まで、1日も欠かすことなく、学校での行事や、その日の様子が記されています。

●大善寺小学校・市川昌庸校長 「終戦の年の記録はですね、学校が実際どうだったかというのは、あまり残ってないんですね。これを見た時に、初めて『こんなことがあってたのか』とわかってですね」

日誌には、4月ごろから、学校行事とは関係のない言葉が並ぶようになりました。

●日誌の記述(ナレーション) 「ウーーー…、空襲警報発令」

多い日は、1日に5回、空襲警報が発令されました。

5月1日の日誌です。

●日誌の記述(ナレーション) 「警戒警報解除後、家庭訪問ヲナス」

戦時中の学校の緊迫した様子が伝わってきます。

●市川昌庸校長 「空襲警報が鳴れば、全員、授業を途中でやめて、運動場にある防空壕に避難してるんですね。毎日がそんな状態だったのを見てですね、とても学校として機能してる状態じゃないなと感じました」

●日誌の記述(ナレーション) 「卒業生記念写真撮影」

学校には、当時の卒業アルバムも残されていました。

●写真を見る卒業生たち 「こりゃ、懐かしか。ハハハ…」 「これ、保安殿の建っとるじゃない?」 「保安殿も建っとる。畑もある。玄関のところは、階段もあったもんな」

日誌の舞台となった1945年の卒業生が、この日、学校を訪れました。

●歩きながら話す大石春夫さん 「校舎がですね、1階建てだった。木造で全部。ここ大善寺は」

大石春夫さん(83)も、その1人です。

●1945年の卒業生・大石春夫さん Q警戒警報とか鳴ったら、うれしい? 「そうそうそう。みんな喜びよった、子供は。戦争のことは勝っても、負けても、関係なかっちゃけん、子供には」

当時、戦争の実態が、子供たちにはつかめなかったと言います。

しかし、終戦間近の8月11日、学校があった久留米市をアメリカ軍が襲います。

●日誌の記述(ナレーション) 「久留米市襲撃を受け相當の被害ある由、敵機本校の上空を通り退去せり」

久留米空襲です。

●大石春夫さん 「空襲警報が鳴った時は、煙が、どんどん上がるのが見えよった。(街は)真っ赤になりよったです。よく覚えてますよ」

久留米市の市街地には、159トンの焼い弾が投下され、少なくとも212人が犠牲となりました。

その4日後のことです。

●日誌の記述(ナレーション) 「大東亜戦争終結ノ聖断下ル」

●大石春夫さん 「今、考えたら、戦争に負けとった方が良かったですよ。勝ってたら(戦争が続いてたら)、私たちはおらん。兵隊に引っ張られとる」

大善寺小学校の児童も、今年の平和学習で初めて日誌の存在を知りました。

●大善寺小学校6年・末續藍人くん 「久留米で空襲があったというのは、小さい頃、何となく聞いたんですけど、それが本当で、しかも、授業とか、そういった間に起こっているというのが、
すごく現実味があって、びっくりしました」

●大善寺小学校6年・原口乃亜さん 「前に書いていた人が、私たちに平和を伝えたいのかなっていうのが伝わってきました」

日誌の内容や子供たちの平和学習の様子をまとめた本も、今月、作られました。

●市川昌庸校長 「この日誌が残ったのはですね、『もう二度とこんな時代を繰り返したくない』っていうのは、当時の教師だったら、全員、思ったんじゃないかなと思います。当時の校長は、
やはり、『これをきちっと後世に残していくように』と言ったんだろうと、私は受け止めました」

大善寺小学校の1945年の日誌。

70年前、戦争が学校をも巻き込んだ現実を、今の世に語りかけてきます。

※スタジオ※

●池尻キャスター 当時の様子が想像できる貴重な日誌ですが、校長先生によりますと、この20年くらいの学校日誌は保管されているそうなんですが、それ以前のものは一切、
残っていないということで、誰かが、「終戦の年のものだけは」と、とっておいたのかもしれませんね。

●川上キャスター そうですね。

過去3代の校長先生に伺ってみても、誰もご存じなかったということで、戦後70年の区切りの年に「平和学習に、これを役立ててほしいな」と、出てきたのかなと思ってしまいますね。

●田畑キャスター この学校日誌、福岡県久留米市の六ツ門図書館で、あすから展示されるということです。

お勧め