ダッカテロ、緊迫の現場新映像 2016年7月05日

  • 8 年前
ダッカテロ、緊迫の現場新映像

バングラデシュのテロ事件、犯行グループの人物像などが明らかになってきました。

日本人7人を含む20人が犠牲になった今回の事件。

私たちは、発生直後の緊迫の現場を撮影した新たな映像を入手しました。

銃を構え、敷地の中の様子をうかがう治安部隊の隊員。

中では銃撃戦の音が絶え間なく続いています。

カメラは、門の上のわずかなすき間へ。

テラスに人の姿はありませんが、レストランの中で激しい銃撃戦が続きました。

バングラデシュ・ダッカで日本人7人を含む20人の人質が死亡したテロ事件。

これは、私たちが新たに入手した緊迫の現場の映像です。

事件が起きたのは先週金曜日の夜。

週末でにぎわうレストランが一転して恐怖に包まれたのです。

闇に響き渡る銃声。

撮影した地元のカメラマンは・・・

「夜暗くて、とても恐ろしい現場でした。でも私は何が起きているかを報道しなくてはいけないと思い、自分に弾が当たるかもしれないことを忘れて撮影していたんです」(撮影した地元カメラマン)

「撃ち合いです。銃撃戦でけが人が出ているもようです」

足を撃たれた治安部隊の隊員が仲間の隊員に連れられてきます。胸の付近を撃たれたのでしょうか、上半身血だらけの隊員の姿も。

「車はどこだ? 早く持ってこい!」

「人質の救出作戦を指揮した警察幹部の自宅だそうです」(記者)

突入作戦を指揮した治安当局の最高幹部が私たちの単独取材に応じました。

Q.日本人の方々はどの段階で被害に遭ったんですか?

「武装グループは建物に入ってきた途端、銃を乱射しました。食事をしていた外国人に向け銃を撃ちました。どこの国の人かなんて知る由もなかったでしょう」(突入作戦を指揮 治安当局の最高幹部)

客の携帯電話やハンドマイクを通じて武装グループに話をするよう呼びかけたものの、反応はなかったといいます。

Q.彼らは交渉を拒否した?

「反応がなかった。交渉する気がなかった」(突入作戦を指揮 治安当局の最高幹部)

Q.犯人たちの目的は何だと思うか?

「とにかく残酷なことをしたかった。世界の人々にインパクトを与えたかったのだろう。テロリストとは注目を浴びたいもの」

Q.どんな武器が使われた?

「自動小銃やピストルなどを持っていた」

Q.ナイフが使われたとの報道もあるが?

「マチェットという大型の刃物も持っていました。けれど、犠牲者の大半は射殺されていました」

鎮圧するまでにおよそ11時間を要し、20人の犠牲が出たことについては・・・

「救出した人質全員に聴き取りをし、ほとんどの被害者は犯人グループが到着したと同時に殺害されたと証言した。発生2時間後に突入しても同じ結果だった。ご遺族には心からお悔やみ申し上げます。
できるかぎりのことをし、一人でも多くの命を救おうとしました」(突入作戦を指揮 治安当局の最高幹部)

バングラデシュ政府によりますと、高学歴で裕福な家庭の出身だったという実行犯のメンバーたち。

バングラデシュの家としては明らかに立派な照明やソファーが並ぶ室内。

ミール・サメー・ムバシール容疑者は、父親が大手外資系通信会社の幹部でした。

その父親がインタビューに応じました。

「普段1人で出歩かないような子でした。彼はとても臆病で優しく、穏やかでおとなしい子どもでした」(ムバシール容疑者の父親)

ムバシール容疑者は予備校に通っていましたが、今年2月、学校の近くで車を降りた後、行方がわからなくなったといいます。

「パスポートも置いて、何も持っていなかった。近所履きのくたびれたサンダルを履いていきました。そのまま戻らないというつもりはなかったんでしょう」(ムバシール容疑者の父親)

父親は、インターネットを通じて過激思想に染まったのではと話します。

「(過激思想に勧誘する)目に見えないモンスターに私たちは囲まれているのです。怖い銃を持って笑っている・・・。これ(戦闘員の格好)は息子ではない。
こっちの普通の子が私の息子です」(ムバシール容疑者の父親)

行方不明になる5~6か月前から熱心に勉強するようになったといいます。なぜ犯行に・・・。

「とても美しい子どもでした。ユーモアのセンスもありました。とてもいい子だったんです。信じられません」(ムバシール容疑者の父親)

一方、マレーシアの大学に留学していたロハン・インティアズ容疑者は、去年の終わり頃から行方をくらましていました。

父親は与党の政治家で、元ダッカ市の幹部。

母親は名門高校の教師だったといいます。

姉が取材に応じました。

「成績も良いし、勉強もできるし、とても良い子でした。なぜこういうことに巻き込まれたのか分からない。姉として被害に遭った人たちに心からおわびを申し上げます。どうぞお許しください」(ロハン容疑者の姉)

テロの犠牲となった7人の日本人。

午前5時50分、家族に付き添われ、無言のまま帰国しました。

白い布に包まれた棺がゆっくりと運び出されます。

岸田外務大臣をはじめ花を手向ける人々の中には、7人が参加していたプロジェクトを手がけるJICA=国際協力機構の北岡理事長、バングラデシュの駐日大使の姿も見られました。

「ご家族の皆様方にお会いさせていただき、大変疲労の色の濃く出ておられる方も大勢いました」(岸田文雄外相)

大学で都市計画問題を学び、途上国で活躍してきた酒井夕子さん。叔父の大橋雅信さんは、つらい胸のうちを明かします。

「あの子はまだ若いし、この仕事でずっと世界の発展途上国の人たちのために働くつもりでいた。つらかっただろうね。痛かっただろうね」(酒井さんの叔父 大橋雅信さん)

酒井さんの会社の後輩だった下平瑠衣さん。遺族は5日、手書きのコメントを発表。やり場のない憤り、苦しみがつづられていました。

「大切な娘との突然の別れがまだ信じられない状況です。なぜこのような事件に巻き込まれたのか、何に対して憤りをぶつけていいのか分かりません」(下平さんの遺族のコメント)

大学の建築学科で学んだ強みを生かし、建築コンサルタントとしてバングラデシュで働いていた下平さん。大学時代の恩師は・・・

「将来、自分は海外発展途上国の街づくりに関わりたいと。現地ですごく行動力もあって、周りの人たちを元気にする、できる気にさせてしまう、周辺まで変えていく力があったところが一番の彼女の良さ。
それがもう活躍できなくなったのが残念」(大学時代 下平さんを指導 芝浦工業大学 志村秀明教授)

全文

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2814236.html
https://web.archive.org/web/20160705184127/http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2814236.html

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