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  • 2015/7/20
市民連帯の会 石川知宏 三井環国会招致運動 小沢一郎無罪
((石川知宏))
北海道足寄郡足寄町出身。3人兄弟の末子。実父は2003年(平成15年)の足寄町長選挙で次点になった石川勲。
足寄町立西小学校・足寄町立足寄中学校・函館ラ・サール高校では野球部に所属し、小・中ではプロ野球選手の三井浩二と同級生でかつ同じチーム。
早稲田大学商学部在学中から、小沢一郎の私邸に書生として住み込み、卒業後は私設秘書を務める。
2005年(平成17年)の衆院選で、民主党公認で北海道11区より立候補。84,626票を集めるが、107,056票を得た中川昭一(自民党)に惜敗率79.0%で敗れる。しかし、民主党の衆議院議員荒井聰が2007年4月8日の北海道知事選出馬に伴い、3月16日に辞職したため、比例区次点であった石川は3月27日に総務省中央選管の承認を得て、繰上で初当選(一種の比例復活)を果たした。同選挙区では、民主党候補としては初の当選となり、日本社会党、新進党を含め野党第1党として社会党新村源雄以来21年ぶりの議席となる。
2009年(平成21年)、民主党の小沢一郎代表に対する西松建設事件で、小沢の公設第1秘書の大久保隆規が政治資金規正法違反で逮捕された際には、2009年3月12日に東京地検から事情聴取を受けた。
2009年(平成21年)8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙において、前回同様北海道11区から出馬し118,655票を獲得、中川昭一(89,818票)を破り再選した。2010年1月に、小沢一郎の資金管理団体に絡む陸山会事件では政治資金規正法違反で2月に起訴され、民主党を離党。
2011年(平成23年)12月28日、新党大地・真民主に入党。
2012年(平成24年)12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙に新党大地[2]の公認を受けて北海道11区から立候補した。北海道11区で地盤を持っていた中川昭一の妻・郁子の挑戦を受け、小選挙区では約1万6千票差で敗北した。しかし、新党大地から重複立候補していた比例北海道ブロックの惜敗率の結果により、復活当選し、3期目。
2013年(平成25年)5月16日、北海道帯広市で開かれた後援会の役員会で議員辞職の意向を示すとともに、陸山会事件で有罪判決を受けた件に関して最高裁判所への上告は取り下げないと表明した。5月17日に衆議院議長宛に辞職願を提出し、5月21日の本会議で辞職が許可された。石川の辞職に伴い、鈴木宗男の長女である鈴木貴子が繰り上げ当選することになる。これを受けて、鈴木宗男は「重大な決断で言葉もない。裁判での無罪を信じており、石川さんの再起に向けて今後も連携していきたい」と述べている。
2013年(平成25年)12月31日、鈴木宗男の同意を得て、新党大地を離党。
2014年(平成26年)3月5日に法政大学大学院政治学研究科・政治学専攻・修士課程に合格、現在大学院生。 大学院での研究課題は「英国におけるブレア政権誕生までの労働党改革と日本の民主党との比較研究」。
2014年(平成26年)9月30日付で最高裁判所第3小法廷(大橋正春裁判長)は政治資金規正法違反の刑事裁判について石川の上告を棄却し、禁錮2年、執行猶予3年が確定した。
2015年(平成27年)4月30日付で民主党に復党。

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