2015-05.24「 T○Sは中田考を信用しろと?」またもや無理矢理安倍政権批判

  • 9 年前
比べては失礼に当たるとは思うけど、イスラム教学者 池内恵氏のほうが遥かに信用できます↓

<池内恵氏Facebookより転載>5月27日
未だに「トルコに対策本部を置かなかった=失態」という議論をする人がいるが、それは無知。信じている人は、ちょっと可哀想な人だなという気がする。

「トルコを頼ればよかった」「トルコの方式で」という人は、要するに中田考さんとかを逮捕して無期懲役判決でも出した上で捕虜交換をすればよかった、と言っているわけである。世の中には魔法の杖はない。

2月6日のフェイスブックでの議論のURLを貼っておきます。ここで本文も貼り付けますが、元のポストの議論の中では、質問にも答えています。
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202617017305668
‪#‎日本人人質事件‬
‪#‎オーラルヒストリー日本人人質事件‬
「イスラーム国」日本人人質事件オーラル・ヒストリー(13)トルコを通じた水面下の情報収集
 
 日本政府はトルコの情報機関と緊密に協力していたことを示す談話。「具体的な場所は外相自身も知らされていなかった」。そうでしょうね。秘密保持ってそんなもんです。
 ヨルダンに対策本部を置いたからといって、トルコで何もやっていないわけがない。トルコでもレバノンでも動いている。みなさん、一連のテロの間、自分たちがどれだけあさましい責任のなすりつけをしたか、デマに踊らされて愚かな認識をしたか、振り返ってみるといい。それで批判されると「言論の自由を封殺する空気がある」などと卑怯な論法に逃げ込む。言論の自由があるからそのような誤謬を発言することも可能になった。言論の自由は、自らの発言が検証されることへの責任を伴っている。それ以上でもそれ以下でもない。「空気」が怖いと言っている人は、普段「空気」で人を黙らせている人だ。

 現在日本語資料から離れた環境にいるので一語一句書き起こせないが、テレビ各局へのコメントの中で、二人の元外交官が下記に記す趣旨の発言をしていた。

宮家邦彦さん:対策本部は、極端な話、どこに置いてもいい。
大野元裕さん:ヨルダンに本部を置いて、トルコのシリアの国境に近いところにも拠点を置ければベスト。

 これらが妥当な線で、これ以外に言うことなどほとんどない。しかし今でもテレビを通じて、「トルコに対策本部を置くべきだった」といった風説が流され、インターネット上では「事実」としてしまう界隈がある。指摘しておかないと、時間が経つと誤った事実が固定化されてしまいかねない。
 歴史研究をしていると、こういった通説が「事実」と一般にされてしまっている事例を非常に多く目にする。その多くは、時代の「空気」に阿った専門家とメディアの黙認によって作られている。数十年経つと「あの人はいい加減な人だった」と専門家の間では事実が知られるのだが、同時代の一般大衆には気づかない人が多い。

 大野さんの肩書きが「中東調査会 民主党 参議院議員」となっていたところに、分析者と政治家としての立場の切り分けの難しさを感じた。民主党参議院議員としては、政府が失敗をしたと言わなければならないのだろう。そもそもアラビストとして、イラクとシリアの集団を相手にするのに対策本部がトルコでは難しい、イスタンブールやアンカラでは遠すぎる、国境付近は辺境の地でインフラに乏しい、といった事情は初心者でもわかる。政府がトルコ・シリア国境付近にも拠点を築いても良かったとは思うが(そもそも築かなかったという確証もないが)、それは細部の話である。
 ところで、こういった事件が起こるたびに、「情報機関を作れ」「危機対応能力を高めよ」といった議論が出るのだが、こんな時にトルコの辺境に短時間で拠点を築けるような国になるということは、かなり大きな諜報機関を持ち、外務省の人員も大幅拡張して、それこそ中田孝さんや常岡さんのような人たち(よりももっと怪しい人たち)を1000人ぐらい機密費で養って、競って情報を取って来させるような国になるのだが、それでもいいのだろうか。人員の急派も、トルコの軍用基地に直接専用機を飛ばすような、そんな国。その時日本の国の形はおそらくものすごく変わってしまっているだろう。