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裁判官のアフターファイブ 日本とドイツ

gataro-clone
5 年前|263 視聴
「日独裁判官物語」の精神を広げる
2009年12月7日
片桐直樹さん(映画監督)

  ドキュメンタリー映画『日独裁判官物語』が公開されて10年たった。
「日本の司法はどうにもならないことになっている。司法改革と云う事が司法界はもちろん政治に場でも経済界でも盛んに叫ばれている。しかし国民にはちっとも浸透していない。真に国民のための司法とは何か?を考えるための映画を作れないだろうか?」と云う相談を、後に製作母体となった「記録映画日独裁判物語製作・普及100人委員会」の弁護士さん達から受けたのは1997年春のことだった。ある弁護士さんは先年ヨーロッパに視察に行って彼の地の裁判官が市民的自由を生かして様々な活動を政治、社会、文化面でやっている姿を見て、何と日本と違うのか?と感じられた。日本の裁判官は全くの閉塞状態にある。欧米の裁判官と日本の裁判官の例えばアフターファイブを比較した映画が出来ないだろうか?と云うところから出発したのである。
私は恵庭事件をテーマに「裁かれる自衛隊」を、憲法に違反し肥大化する自衛隊を告発する「自衛隊~その実態と私たち」などを製作してきたが、日本の裁判所は長沼ナイキ訴訟第一審判決を除いて自衛隊の合違憲性の判断を避けてきた。日本の裁判官が市民の前で発言することはほとんどなく、私は、裁判官は何を考えているのだと憤慨していた。
また1970年以来、私は当時東ドイツのライプチッヒで開かれる国際世界記録映画祭に初めて参加してから93年まで毎年のようにドイツに行っていた。当初は出品し、賞を貰って(「自衛隊」「トンニャッと・ベトナム」は銀鳩賞)国際審査委員を務めるようになり、時には日本のTⅤ番組を何本か製作したこともあり、ドイツとは縁が深かった。そんなことから1985年ヴァイツゼカー大統領の「荒野の40年」と云う名演説、「過去に目をふさぐ者は現在も盲目である」と云う有名な演説であるが、それをテーマに戦後40年のドイツと日本を比較するドキュメンタリーの企画をTV局に持ち込んだが成功しなかった。ベルリンの壁の崩壊したときもそうだった。そんな事があったので、日本の司法は多くドイツから影響を受けているといわれるし、戦前のファシズム国家、敗戦、経済大国と同じ歴史経験を持つドイツと日本の司法に絞って描くことでより分かり易い作品をつくれるのではないかと考え、これはぜひ成功させねばと取り組んだのであった。
ドイツでの取材、ロケは関係当局、裁判官組合の絶大なる協力で大成功だったが、苦労したのは日本の裁判所、裁判官であった。その救いがたい閉鎖性と官僚制。一時はこれでは日独裁判官物語ではなく、独独裁判官物語になっちゃうとの声も出たほどだった。 
この映画を見た法曹界の人々のなかには、彼我の差に驚きながらも、法制度や国の体制の違いとして受け止める傾向があった。しかし、一般の人々からは「愕然とした」「思わず笑ってしまうほど、この国は遅れているのですね」(22才学生)、「このままでは日本の民主主義は大変なことになる」(48才女性)、「ドイツと日本のこの格差は社会全体の格差ではないかと考え、背筋が寒くなりました」(55歳会社員)などの感想が寄せられた。人権と自由は民主主義の基本であるからだ。特に主婦の方々が映画を観てそのことを考えてくれた。
その年(1999年)、政府に司法制度改革審議会が設けられ、司法改革への国民的な関心が高まった。現職の裁判官たちが「日本裁判官ネットワーク」をつくり、市民集会やテレビ番組で発言を開始した。
2001年に司法制度改革審議会が意見書をまとめ、その後司法改革に関わる様々な施策が実施された。法曹増員と法曹養成制度改革、被疑者国選弁護制度の実施、日本司法支援センター(法テラス)の開設などが進められ、今年からは裁判員制度も始まった。この間、裁判官に関わる施策としても、裁判官の指名の適否に国民の意見を反映させる委員会ができた。
この間の司法改革の進展は、自民党中心の政権が新自由主義的な政策を推進してきた一環とも言えるが、弁護士会や市民の司法改革への関心と要求なしには実現しなかっただろう。『日独裁判官物語』がその流れにいささかなりとも貢献できたとすれば、感慨深く思う。
もちろん、こんにちの司法改革の到達点はシビアに見る必要もある。私は、市民の裁判への参加も、その趣旨をより徹底するため、裁判員制度から陪審制度に発展させるべきと考える。市民に開かれ、市民の権利を擁護する裁判所にしていきたいという『日独裁判官物語』の精神について、あらためて多くの方々と語り合いたいと思う。

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