43年ぶり“国境線”で 海上集会開催
  • 12 年前
北緯27度線 43年ぶり 海上集会開催(琉球朝日放送)

かつて、国境で沖縄の祖国復帰を求めて繰り広げた海上集会が28日、43年ぶりに開催されました。
海上集会は、復帰前の1963年から69年にかけて、沖縄本島の最北端・辺戸岬と鹿児島県の最南端・与論島の間にかつて存在した国境・北緯27度線で開催されたものです。
国頭村と与論町の復帰40周年事業として43年ぶりに開催された28日の海上集会には、両地域からおよそ130人を乗せた25隻の船が集結。
船べりを近づけて堅い握手を交わしたり「沖縄を返せ」と大合唱するなど、かつて、復帰を切望し、声をあげた先人たちの思いをたどり改めて、復帰を見つめ直しているようでした。
このあと、陸上ではかがり火集会が行われます。

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43年ぶり “国境線”で海上集会(NHK)
4月28日 18時50分

沖縄が日本に復帰して来月で40年になりますが、祖国復帰を求めて、沖縄と鹿児島の間の海の上にあった国境線で行われていた「海上集会」が、28日43年ぶりに再現されました。

この海上集会は、敗戦後の日本が主権を回復したあとも昭和47年までの20年間、アメリカの統治が続いた沖縄と鹿児島の間にあった国境線で、祖国復帰を求めて一時期開かれていたものです。
日本が主権を回復した日付に合わせて、28日その集会が43年ぶりに再現されました。
沖縄県最北端の国頭村と、鹿児島県最南端の与論町をそれぞれ出港した25隻の船が、“国境線”だった北緯27度線付近の洋上に集いました。
船が横付けされると、乗っている100人余りが互いに固い握手を交わしたあと、「二度とこのような悲惨な歴史を繰り返すことのないよう、恒久平和に向けて努力することを誓う」と宣言文を読み上げました。
そして、当時歌われた祖国復帰を求める歌を全員で合唱し、分断の歴史を振り返るとともに、互いの絆を確かめ合いました。
国頭村の宮城久和村長は「沖縄に今なおアメリカ軍基地がある現状は、われわれが求めていた日本復帰の姿にはほど遠い。復帰とは何だったのか、改めて考える必要がある」と話していました。
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