京阪電鉄 天満橋-野江間高架複々線工事記録
  • 12 年前
京阪本線 天満橋-野江間の高架複々線工事。当時、野江から先の蒲生信号所から天満橋までが複線で、特に国鉄(現在のJR西日本)との連絡駅である京橋駅では、朝の通勤・通学ラッシュ時の乗降客が激しく(混雑度200%)、一部の乗客は電車からホームへジャンプしたり、駅構内には踏切があり、踏切には駅員を配置。当時の京阪は蒲生信号所-守口市が複々線、守口市から先は(地上1階の)複線、架線電圧がまだ600Vで8両化ができず(1編成あたりの両数は7両まで)、またその他にも寝屋川市駅では電車に乗りきれない、大阪方面へ運びきれない状態(冷房車はおろか、5000系が投入されていなかった)。また、片町(当時)-京橋間には踏切があり、踏切遮断時間が7時間にもおよんだ。 そこで、京阪は京橋駅の高架駅への改良をはじめとした天満橋?野江間の高架複々線工事に(1968年2月)着手。工事は2期工事に分けられた。 1期目は天満橋-野江間の高架新線工事工事の進め方→用地買収→京橋駅の大工事→大阪環状線跨線橋の架設→レールの敷設→架線工事→ATS装置(地上子)と信号機の設置→送電開始を経て今はなき2000系による試運転→新しい京橋駅への乗り入れを知らせる案内放送(車掌)→京橋界隈→新線への線路切り替え作業→修祓式(開業式)→新線直通運転→高架化により踏切待ち解消  2期目は天満橋-京橋間の線増工事(複々線化)旧片町駅撤去作業→高架工事→寝屋川橋りょう架設工事→前島立体交差新架橋工事→レールの敷設→線路切り替え→複々線工事竣工
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