東京都西多摩郡奥多摩町境;ささら獅子舞『太刀掛』。
  • 13 年前
東京…繁華街が有名だけど、それだけじゃない。
雨量や積雪によって孤立してしまう事もある山間部。
年に一度、夏に行われる奉納獅子舞。
集落の人々の手により受け継がれ今も息づいている。

《道化》と呼ばれる者達が、会場内の観客の笑いを誘い、舞い手達を鼓舞する。道化によって持たれているファルスは、乳幼児の死亡率の高い昔、子宝に恵まれ健やかにあれとの祈願象徴の名残。
和やかな中にある緊張感は舞いが進むにつれ興奮となる。
『太刀掛(白刃)』の魅力はそんなところにある。

もう一つ、刀剣フリークの知見から太刀について考えてみると面白い。
本来、『太刀』は直刀や長刀を指す事が多く、映像に映るような彎曲刀ではない場合が多い。
面白いのはここからで、一般的に直刀を用いていた時代、この関東以北に伝説的な彎曲刀が在ったと云われている。
名前を『蕨刀』と云われ、湾曲した刀身を備え切れ味抜群だったとか。
一説には、北条氏が西から刀鍛冶を連れて相模に落ち着いた後に、『蕨刀』と『太刀』の中間の刀身を鍛えさせてから、現在言われる『刀(日本刀)』が出来たと云われている。
…もしかしたら、境の太刀の原型は蕨刀…なんて思ってみるのも一興。
蕨刀は猟師が獣皮を剥ぐのに使ったとも云われている。ダマスカスナイフを使用して、家宝として次ぐ家が茨城県にはあるという。奥多摩には猟師が存在する。
…やっぱり、伝説の…。

境の獅子舞の特徴として…他の集落などで『女獅子隠し』と云われる演目が二つの演目に分かれて舞われているようなところ。境での演目名は『笹の葉』と『弓掛り』だったと思う。
また、舞の会場に入るのに橋を渡っていたと伝えられているようで、関西の伎楽の流れと云われている当麻寺の奉納行事の獅子頭による先行きを喚起させられる。
ちなみに、伎楽の継承は猿楽・田楽となり、関西では四大流派を育み、世阿弥を一流派残し能となったと云う。他に宝生をはじめ、三流派の存在は伝わっているが、どこに消えてしまったのか…伝承の行方は判っていないようだ。…もしかすると、刀鍛冶や武士と共に関東に移住をしたのかもしれない。
ちなみに、奥多摩のささら獅子舞は、ほぼ三流派に分けられるそうだ。

残念ながらこの後に続く太刀を咥えた獅子の舞は、映像に納められなかった。
境の獅子も刀身を舞い手自身が噛み咥える。
年に一度の夏の獅子舞、ささ、いざ現地へ。
お勧め